異世界審査員92.防災訓練その4

18.06.18

* この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

高橋是清内閣は6月総辞職したが、後藤新平はその後継内閣に入閣せず、いまだ野にいて大震災プロジェクトのリーダーをしている。
今日1922年8月15日、後藤新平、米山教授、幸子そして中島社長が横須賀の追浜飛行場にいる。いや正確には飛行場ではなく、その1キロ沖合で小型の連絡艇に乗っていた。
キャビンから士官が甲板に出てきて後藤に話しかける。

海軍士官
士官
「後藤閣下、無線連絡が入りました。現在、江の島上空とのことです。到着まであと5分くらいでしょう」
後藤新平
「分かりもした。ここからでは飛行場の方からになりますか?」
海軍士官
士官
「いやもっと左寄り、横須賀の町の上のあたりでしょう」

周りの者が皆、横須賀市街の上空を見つめる。ほどなくしてエンジンの音が聞こえてきた。この時代の飛行機は巡航速度が200キロくらいだから音が聞こえてもなかなか姿を現さない。

水兵
水兵
「あっ、見えました」
飛行艇 皆、水兵が指さす方に顔を向けて、「見えた、見えた」と声を上げた。
それは一機ではなく二機編隊で飛んできた。見ているうちに姿も音もどんどんと大きくなる。飛んできたのは、この時代ではべらぼうな大きさだ。船の形をした胴体の上に幅が40メートルもある翼がある。近づくにつれて飛行機の形がよく見えてきた。エンジンが3つ付いている。そして二機は同じではなく、一機は普通の形だが、もう一機は主翼の後ろに飛行機の3分の1くらいの大きな円盤が乗っている。

後藤新平
「背中に付いているのはなんだ、ありゃ! 」
米山中佐
「いろいろ工夫がありましてね」

二機の飛行機はぐんぐんと高度を下げてきてそのまま着水し、水面を数百メートル滑走する。突然エンジンとプロペラの音が変わった。すると急にスピードが落ちた。それからゆっくり舵を切り皆が乗った連絡艇に近づく。50メートルほどまで近づくとまたエンジンの音が変わり飛行艇が止まり波に揺れている。中島社長は回転するプロペラを見ている。

中島社長
「ほう!この飛行機はプロペラのピッチを変えることができる。プロペラの角度を変えられるなら動力を有効に活用でき、エンジンの馬力が3割増しになったくらいの効果がある。この技術はいつどこで誰が発明したのか?(注1)

中島社長がブツブツと独り言を語り、首をひねっている。

飛行機の胴体横にある出入り口が開いて乗組員が顔を出した。水兵が慎重に連絡艇を飛行艇に近づける。飛行機の乗員にロープを投げお互いにロープを引きあうと、連絡艇と飛行艇は軽くぶつかった。よく見ると連絡艇の舷側に自動車のタイヤが縛られていてぶつかってもお互いに傷がつかないようにしている。
乗組員が引っ込んで、川西社長と吉沢教授が現れた。二人は連絡艇に飛び移る。

川西清兵衛
「お出迎えありがとうございます。
米山さん、伊丹さん、お約束の期限は今年暮れでしたな、消防用のタンク搭載とか電波探知機のアンテナ設置とか、いろいろ追加や変更がありましたが、お約束より3か月早く完成しましたぞ」

お忘れになったかもしれませんのでご紹介

中島社長
中島知久平
元海軍技術士官で飛行機の設計者。海軍を辞めて群馬県に中島飛行機会社を設立した。現在のスバル自動車である。
スバル360
川西清兵衛
川西清兵衛
川西機械の社長、初めは中島飛行機に出資していた。だがすぐに中島社長と喧嘩して、中島飛行機から技術者を引き抜いて川西飛行機を設立。現在の新明和工業である。
この二人に限らず実在の人物は、本人のお顔に似せたつもりです。ご確認ください。
幸子
「私は川西社長が約束を守ると信じてましたよ」
米山教授
「川西社長、早速ですが放水を見せていただけませんか。
その後、機体を陸に上げたら吉沢さんから哨戒機の説明をお願いしたい」

川西社長が無線電話で何か話すと、背中に円盤のない方が再びエンジンの音が変わり、そしてポンプを動かす音がする。海水を汲み上げているのだろう、見る見るうちに機体は50センチくらい沈んできた。

後藤新平
「だいぶ水を積めるのだな」
川西清兵衛
「航続距離によって変わりますが、短距離なら10トンは積めます。というかそれが要求仕様でしたから。ただ最大に積みますと離水まで2000メートルくらい滑走が必要になります。海であってもそれだけの広さを確保できるところは限定されますね。聞くところでは東京で火災が起きたとき消火に使うとのことですが、着水して水を汲むところを確保する必要があります」
米山教授
「それは後ほど・・・満水になったようですから、早速お願いできますか」

飛行艇は先ほどよりだいぶゆっくりの動き、広いところに出ると滑走を始めてほどなく離水した。

米山教授
「さすがに満水ですと動きが遅いですね」
川西清兵衛
「自重と同じくらい水を積みますからね」
中島社長
「それにしても10トンとは・・・私の飛行機の影が薄くなってしまった」
幸子
「要求仕様が違うのですから、それは当然です。中島さんの飛行機はまた別の要求に特化しているだけです」

飛行艇は旋回して戻って来ると皆がいるところから300mくらいのところを低高度で飛びながら放水を始めた。延々と放水し続ける。

後藤新平
「これだけ放水できるなら消火は期待できるね」
米山教授
「実を言いまして今は海水を撒いてます。実際には海水を市街地や田畑に撒きますと、塩害の問題が起きます。早い話が農作物が作れなくなります」
後藤新平
「ほう、どうしたらいいのかな?」
米山教授
「淡水を積めばよいのですが、これだけ大きな飛行機が離着水できる河川はありませんし、近くに大きな淡水湖がありません。一番近い霞ケ浦で片道70キロ、下総基地の3倍から4倍です(注2)
川西清兵衛
「もちろん水を汲み込み時間とか放水時間は同じですから、飛行時間の差のみとなり、そうですね片道20数分の違いです」
米山教授
「とはいえここで海水を積んで放水なら一日9回できますが、霞ケ浦からとなりますと一日5回になります」
後藤新平
「飛行艇ではなく陸上機にすればよかったのではないか?」
米山教授
「この飛行機は、元々が南洋諸島との連絡用飛行艇でした。南洋の小島には飛行場がありませんからね。せっかくだから消防用に使えるようにしたのです。
ともかく帝都火災のときは霞ケ浦から水を運ぶつもりです。それとあの円盤が付いたものは哨戒機として使います(注3)
中野部長
「哨戒機は防災だけでなく戦闘時にも使うわけだろう。ますます水上機ではまずいのではないか」
米山教授
「元々この飛行機は汎用を考えて作ったものではありません。
ところが1年ほど前、兼安さんから満州で戦争が起きた場合に、飛行機や陸上部隊を早期発見する哨戒機、できれば空飛ぶ指令室が欲しいという要望を受けました。我が国は満州に航空基地がありません。それで本土から、本土と言っても地球は丸いので大陸に一番近い北海道から飛びたって、満州の空で索敵と指揮管制を行う発想が出ました。それで長距離飛行ができるこの飛行艇を選んだわけです」
中野部長
「本土から満州まで飛行して、向こうで早期警戒と指揮管制をして、また本土まで戻って来るだって!
そんな遠距離を飛んだら、向こうで滞空する時間はいくらもないだろう」
川西清兵衛
「北海道から満州まで1600キロありますから片道5時間、往復10時間。現地上空ではエンジンをひとつ止めて燃料消費を落とせば8時間は滞空出来ます。現地に24時間監視体制をとるには予備機を含めて5機あればよいかと」
中野部長
「はあ!信じられん。そこまでして本土から飛ぶ意味があるのか?」
吉沢教授
「中野部長、なにしろ高度な技術の塊です。万が一、外国に情報が漏れた場合、損失は計り知れません。もし燃料が足りなくなった場合は、帰り道で日本海に着水して海軍に給油を依頼するつもりです」
中野部長
「いやはや、もう私の理解できないことをしているのだなあ」

その後、陸に上がり飛行機の背中に付いている円盤の仕組みの説明を受ける。

吉沢教授
「飛行機は電波探知機、火災や動いている機械などは赤外線を発しますから赤外線を検知、潜水艦の場合は磁気探知、その他写真や目視による偵察を行います。実を言いまして探知方法についてはまだ完成しておらず開発中です」
後藤新平
「防災と戦闘がまったく同じ技術なのに驚いた。防災仕様のまま戦闘に使えるということは、防災演習は戦闘の演習でもあるということか」
吉沢教授
「それには外国の駐在武官も気が付くでしょう。消火飛行機はともかく、哨戒機は秘匿する必要があります。防災訓練のときは高度8000以上を飛ぶことにします。この高度でしたら背中の円盤は見えないと思います」
中野部長
「8000だって!乗員は高山病になってしまうぞ」
川西清兵衛
「この飛行機は乗員が乗る部屋は与圧するようにしております(注4)
中島社長
「ほう、そこまで進んでいるのか。その技術も欲しいなあ〜」


9月2日山本権平内閣が成立した。翌日の朝、政策研究所では後藤閣下が入閣しなかったことがいっとき話題になる。
後藤新平が現れてメンバーを集める。まだ兼安教授と石原助教授は満州から戻っていない。

後藤新平
「先日は川西飛行機が開発した消防用飛行機を見て感動したよ。消防もさることながら、我が国も世界最先端の飛行機を作るようになったことに驚いた。
さて震災プロジェクトの進捗を確認したい。
まもなく第二回の防災演習を行うが、米本君、準備はどうかね?」
米山教授
「はい、昨年と同じことの繰り返しでも仕方ありません。震災時の対応についていろいろ検討してきたことを反映しています。
まず対象を東京府だけでなく震災と火災を受ける横浜、川崎両市と、津波を受ける安房と相模湾を対象に加えました。
そして横浜と川崎に対しては、消火と避難の訓練をします。津波予想地域については避難場所の確認と避難訓練を行います。
消火体制は今更増強することは難しいので、飛行機による消火を横浜・川崎に振り向けようと思います」
後藤新平
「東京は手抜きするということか?」
米山教授
「東京は、消火より避難、水利による消火よりも破壊消火を優先とします」
後藤新平
「総合的に考えるとそれが良いのか?」
米山教授
「そうしたときでも向こうの世界よりも火災の被害は少なく、かつ人的被害は大きく減らせます。特に軍隊を消火に使うより避難者移送に使った方が人命の損害を大きく減らせるというシミュレーション結果が出ました」
幸子
「建屋の焼失は向こうの世界と同じくらいと割り切って、あとは震災後を考えた都市計画の前倒しということで」
後藤新平
「お芝居なら、お主も悪よのう〜という高笑いが聞こえるところか。
津波の方は?」
米山教授
「できることは限られておりますので、向こうの世界で被害のあった地域を各市町村に伝え、該当地域の避難体制を取らせています」
後藤新平
「訓練は昨年同様に9月10日だったな。頼むぞ」
米山教授
「然るべく」


9月5日(火)、政策研究所の一室に二人の地震学者がいた。今村明恒と大森房吉である(注5)
今村博士大森博士
今村明恒博士大森房吉博士
今村は10年ほど前に東京に大地震が起きるという論説を書き、それを新聞が前提をカットして転載して、大災害がくると大騒ぎになった。今村の上司であった大森はこの騒ぎの火消しのために今村の説を誤りと否定した。それ以降、今村博士は世間から「ホラ吹きの今村」と呼ばれる。
二人の関係が実際どうだったのか分からないが、今村は大森に盾突くことをせず、ずっと大森を立てて大森の死後も彼の成果を讃えた。

ドアが開いて数人の男と一人の女が入ってきた。今村と大森は先頭の人を見て立ち上がった。

大森博士
「後藤閣下、本日はお招きいただき参上いたしました。なにか面白いものを見せていただけるとのこと」
後藤新平
「面白いとは保証はできないが・・・楽しんでほしいと思ってな。そして実を言って今日はそれを見せられるわけではない。説明だけだ。
お二人はもちろん地震学者で地震予知とか研究をされているのは分かる。だが我々も地震を無視しているわけじゃない。為政者は地震が来るか来ないか分らないが、万が一発生したとき、その被害を最小にとどめようとしている。昨年、帝都防災訓練を行ったのはご存じだと思う。今年以降も毎年それを継続しようと考えている」
大森博士
「昨年の防災訓練には我々ももちろん参加いたしました。皇大の研究所から上野の森へ避難しました」
後藤新平
「それじゃ飛行機による消火もご覧になったか?」
大森博士
「はい、先進技術を活用とはさすがと感じました」
今村博士
「失礼ですが、飛行機からの消火はあまり有効ではないように思いました」
後藤新平
「なぜそう思われたのかな?」
今村博士
「空から撒いても地上で水をかけても効果は同じでしょう。水の量が重要です。飛行機から投下した爆弾のようなものは1斗缶ていどと聞きました。1機4個だそうですから仮に10機が投下しても4石、地上でその程度の水をかけても家一軒の火事でさえ消えないでしょう」

注:1升は1.8リットルで1升瓶、1斗は18リットルで1斗缶、1石は180リットルでドラム缶とほぼ同じ。


後藤新平
「おい、消防飛行機発案者よ、今村先生のご意見になにかあるか?」
米山教授
「飛行機による消火を考えたのは私、米山です。今村先生のおっしゃる通りです。そして我々はそれを知っていて、なおかつ消防飛行機を発案しました」
今村博士
「ほう?」
米山教授
「我々は地震を防ぐことはできません。いつ起きるかもわかりません。しかし地震が起きたなら、

ソ式練習機

ソ式練習機

その被害を最小にすべくあらゆる手を打つのは当然です。といっても予算の制約もあり、科学技術の制約もあります。ですから使えるものは何でも使うという発想になります。
飛行機が進歩して、先の欧州大戦では偵察や爆撃に使われました。我が国でも陸軍と海軍の飛行機は爆撃の演習をしています。演習では本物の爆弾を落とす代わりに模擬弾を使います。そのとき水を入れた容器を使えば落したところが明確になります。それを水爆弾("すいばく"でなく"みず爆弾"だよ)と呼んでいますが、それで普段から訓練してもらって、火災が起きたときは水爆弾で消火してもらおうと考えました。
効果のほどはおっしゃる通りでしょうけど、人が近づけないところなど使い道はあるでしょう。消火活動で爆撃の腕が上がればなおよろしいと思います」
今村博士
「なるほど、総合的に考えられたと・・・
別件でござるが、大森先生は以前から地震で水道管が破損して、送水できないことを懸念されている。その対策はお考えだろうか?」
幸子
「水道管の更新や埋設場所を移すのは、大変な手間暇そしてお金が必要です。おっしゃることはよく分かりますが、今すぐ対応できません。
それでとりあえずは陸軍や海軍の連絡艇などにポンプを付けて、火災発生時は川から陸の消防車にポンプで送水するよう計画しています」
大森博士
「なるほど、とはいえその送水範囲はせいぜい200メートルでしょう」
幸子
「確かに、それに地震火災が起きたら1か所2か所ではありません。冬場や炊事ときなら数十か所あるいは数百か所で同時に火災が起きます。ポンプを付けた小舟10隻が水を送ってもたかが知れます」
大森博士
「あまり意味がないようだね」
幸子
「為政者そして私たちスタッフは夢物語を語るわけにはいきません。現実にできる対策を考え実行しなければなりません。問題を提起するより解決することは非常に困難なのです」
大森博士
「門外漢が消防飛行機とか水道管などを語ってはいけないということかな」
幸子
「いえいえ、大いに問題提起していただきたいと思います。しかし同時に今できることも考えてほしいということです。
船に消防ポンプを付けても、大森博士の評価は100点満点で10点かもしれませんが、0点ではありません。
今村先生は消防飛行機の効果は大したことがないとおっしゃった。しかし大してお金をかけず1点でも上積みできるならやるというのが私たち行政官の努めでしょう。犠牲者がゼロにならなくても、ひとりでも減らしたいと考えています。
それに航空隊の自分たちも役に立ちたいという気持ちも理解してほしいですね」
大森博士
今村博士 「わかりました、大変失礼なことを申し上げてしまった」
後藤新平
「まあ、お互いに目指すところは一緒だ。来週の防災訓練では昨年に増して新しい趣向を考えている。お二人を司令部に招待するから見学してほしい。地震の研究には役立たないだろうが、我々為政者側も無為無策ではないと知ってほしいということだ」


9月6日ここは小岩駅から北へ1キロほどの所の田んぼである。あたりは早生(わせ)の稲は既に稲刈りも終わって稲架(はせ)にかけてある。
東1キロほどの所を江戸川が流れる。野菊の墓のお話はこの辺だ。北へ1キロ行けば帝釈天となる。
陸軍の歩兵数百人が天幕を張ったり、スコップで穴を掘ったりしている。

加藤大佐
ワシは加藤大佐である。陸軍大学校に行っていないワシは本来なら中佐止まりだ。ところが7・8年前になるが、ブルネイ上陸戦に従軍した。あれが買われたと思っているが、おかげさまで退役前に大佐になれた。今は佐倉の連隊長である。
とはいえ来年早々に定年退職である。子供の頃から幼年学校・士官学校と軍隊ばかりの人生を送ってきたが、退役したら軍と全く離れて、弟が主宰している塾で論語でも教えようかと考えている。

シャベル さて、今は東京と千葉の境にある小岩というところにいる。昨年大規模な帝都防災訓練を行った。その結果を内務省を中心に近衛師団や警視庁が種々検討した。
聞くところによると、徳川時代でも大火はあったが、当時は2キロも歩いて錦糸町まで逃げれば助かったらしい。だが現在では帝都が拡大してきて、火災が起きたら錦糸町どころか亀戸まで火の海になるので、荒川を渡り小岩まで10キロも逃げなければならないらしい。その距離では壮年はともかく幼児や年寄りには無理なのは明白だ。
それで火事が燃え広がる前に両国や墨田周辺の住民には、錦糸町まで徒歩で避難させ、そこから陸軍のトラックで小岩の江戸川近くの田畑に移送するという結論になったという。

避難場所として市川にある陸軍の施設も検討したが、避難者が10万以上となる見込みなのでとても無理、そこで小岩の田んぼに天幕を張って、そこに一時避難させることになったのだ。今回はその実験を兼ねた訓練である。

実際に災害が起きたら10万とか20万の人が避難すると思われるが、そんな人数の予行演習はとてもできないので、今回は両国の住民1万人を対象に行う。

中隊長
私は中隊長だ。私の任務は来週行う帝都防災訓練の下準備である。
なんでも1年も前からこの辺の農家と契約し、早生の稲を植えてもらい9月初めには稲刈りを終え、稲刈りを終えた田畑を避難場所に借りたそうだ。
そういうことを調整する事務局は大変だろうと思う。自分は部下200名を動かしてテントなどを設営するだけだから気が楽だ。
田んぼに幕営と聞いて、地面が湿っているのではないかと懸念したが、稲刈りしてからだいぶ日が経っておりなんとかなるだろう。

避難訓練までにまだ4日あるが、当日設営しては間に合わないので、今回は事前に、テント設営、便所掘り、炊事車両の移動などを行う。
テントテントテント

その他、避難者にただ座っていてもらうのは精神的に問題だということで、いろいろ役割を与えて生き甲斐というか己の存在意義を持てるようにするのだという。そういうことを研究している人がいるというのに驚いた。
避難者だけでなく、やる気のない新兵やマンネリの上等兵クラスにも生き甲斐を教えてほしいものだ。

うそ800 本日のゲッソリ
後藤新平の本をいくつか読んだが、多くの本で後藤はカンペキな左翼で共産主義マンセーだという状況証拠満載で嫌になってしまった。そういえばノモンハンの指揮官 小松原中将はソ連駐在時にハニートラップにひっかかり、それ以降日本軍の情報を垂れ流ししたのは間違いないらしい。万死に値する。
毛沢東は「偉大な人物が常に偉大であるとは限らない」とか言ったらしいが、常に偉大である必要はないけれど、一度過ちを犯した人物はそれ以降信頼できないのも事実だ。
ともかく後藤新平も小松原道太郎も好きにはなれない。

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注1
自動車のトランスミッションはなぜあるか、なんてことを知らない人はいないだろう。簡単に言えばガソリンエンジンは回転数によってトルクが一定でなく変化するので、必要なトルクを得るためにエンジンの回転をそのまま車輪に伝えるのでなく、途中で増速や減速することが必要になるからだ。
飛行機や船は相手が固体の道路ではなく流体の空気や水なので、トルクと回転数をそれほど気にしなくてもなんとかなってしまう。だがエンジンの力を効率的に使うためにはプロペラのねじれを変化させて回転数を一定に保つことが必要となる。これを定速プロペラと呼ぶ。
プロペラのねじれを調整できるなら、それを積極的に使って着陸時にプロペラのねじれを逆向きにすれば空気を後方でなく前方に押し出し、滑走距離を短くできる。
定速プロペラの最初の特許はイギリスのロイヤル・エアクラフトで1917年だが、実用化されなかった。その後さまざまなアイデアが提示され、ハミルトンが1935年に実用化した。だから中西がこの時代に独自に発明したとしてもおかしくはない。
Stories of the Battle of Britain 1940 - Constant-Speed Propellers

注2
霞ケ浦は過去、淡水湖と汽水湖をいったりきたりを繰り返してきた。最近では江戸時代から昭和30年までは淡水湖であったが、昭和40年代利根川の浚渫により汽水湖となり、昭和50年代からは淡水湖となった。
歴史が教える霞ケ浦浄化法 −霞ヶ浦の変遷と汚濁の歴史3−

注3
現在の機種区分ならAWACS(早期警戒管制機)あるいはE(早期警戒機)と称すべきかもしれない。まあこの当時は発想さえなかったことだし、昔からある「哨戒」という呼称の方がよろしいかと思いました。
なお「哨戒」という語はPatrol boatの翻訳語で20世紀初頭から戦闘を主とせずに、巡視、密貿易取締、違法漁業取締、救助などを主たる任務とした小型軽装備の船の呼称で、飛行機にも使われるようになったもの。

注4
与圧した飛行機は1937年に実験機の飛行、実用化は1938年のボーイング307旅客機だった。この物語は今1922年だからアリエナイ話ではない。
「航空の歴史と航空医学の発展」立花正一他、宇宙航空環境医学、2012

注5
今村明恒は、過去の地震の記録から、関東地方では周期的に大地震が起こると予想し、1905年に、今後50年以内に東京での大地震が発生すること雑誌『太陽』に寄稿した。この記事が新聞に取り上げられ社会問題になった。上司である大森房吉は問題が大きくなったことから今村の説を誤りとして鎮静化を図った。それで「ホラ吹きの今村」と呼ばれることになる。
1923年関東大震災が起きたとき、大森はオーストラリアに出張中で、大震災を聞いて急遽帰国したがそのショックもあったのだろうが間もなく亡くなった。
この問題は新聞社が今村の論を切り貼りして煽情的な記事にしたことが原因だろう。今の時代も従軍慰安婦とか百人切りといううそを書いている新聞社があるのは困ったことである。


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