異世界審査員94.防災訓練その6

18.06.25

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは
1922年の帝都防災訓練は滞りなく終了した。とはいえ滞りなく進んだのは計画であり、その計画が震災に十分であるか否かは別問題である。そしてまだまだ準備不足というのが震災プロジェクトメンバーの一致した見解である。
だが向こうの世界の関東大震災に対応した対策が、あと1年で完了するとは思えない。犠牲者10万4千という大災害にどう対応すれば良いのか、犠牲者を減らすにはあとなにをしたらよいのか、延焼面積を減らすのに次の手は何か?
いや、犠牲者をいかほど減らせば任務達成と言えるのか?
ということはそもそも終わりのない仕事なのか?
後藤新平
「まず今回の防災訓練結果について、各担当から概要報告をお願いする」
幸子
「では航空消火について。水爆弾投下は、哨戒機が誘導することにより命中率が大幅に向上しました。もちろん水爆弾だけでなく大型機による放水も、各機が目標を決め投下方法を判断するよりも、哨戒機が諸般の状況を考慮して判断し、各機に指示した方が時間的にも早くまた決定は適正でした」
後藤新平
「先日、今村博士は飛行機の消火活動は効果がどうこう言っていたが、」
幸子
「人が近づけない火災とか、駆けつけるには時間がかかるところなど、必ず役に立つと確信します。
まあなんとでもケチはつけられるでしょうけど、気にすることはありません」
米山教授
「破壊消火の方ですが、まず計画した路線すべての破壊は簡単にはいきそうがありません。戦車やブルドーザーを使うのは織り込んでいますが、とても予定したところ全部を破壊できる見込みがありません」
後藤新平
「あまりにも大規模だというのか?」
米山教授
「そうです。例えばみなさんもご存じの車屋爺さんのいる部隊が担当するのは全長3.6キロですが、戦車とブルドーザー70台では1台当たり50メートル、これを2時間で片づけるのは難しい」
後藤新平
ルノーFT17戦車 「いやいや、こういうことは木下藤吉郎がやったのを見習えばいい。
長さ3.6キロで幅30mなら破壊する面積は108,000平米だ。これを60台の戦車が破壊するなら1台当たり1,800平米だ。主力であるルノーFT17軽戦車の幅を1.7mとすると1060m。2時間かけて良いわけだから、ということは時速500mで良い。FT17戦車は時速20qだそうだから簡単じゃないか」
米山教授
「閣下、そもそも戦車で町屋を破壊するといっても、戦車が家並みにぶつかれば壊れてくれるわけじゃなく、戦車も相手が空気のように走れるわけはありません。建屋にワイヤーロープをかけたり、向きを変えたり、常に走っているわけじゃありません。」
後藤新平
「木下藤吉郎方式で考えても無理か」
中野部長
「それじゃ最悪いや最後の手段は爆弾だな」
米山教授
「爆弾? それって火災を起こすようなものでしょう」
中野部長
「焼夷弾でなければ発火する可能性は少ない。ソ式練習機でも水じゃなくて25キロ爆弾を4発運べる。25キロ爆弾でも、直径30mの範囲の木造家屋を破壊してくれるだろう(注1)
米山教授
「すごいこと考えますね」
中野部長
「私は本気だよ。そうだ、中島社長の大型機に爆装を考えてもらおう」
後藤新平
「小さな爆弾をたくさん落とすより、大きな爆弾を少数落した方が容易ではないのか?」
中野部長

「爆弾の威力は爆薬の量に比例しません。概ね1/3乗に比例するようです」

注:初め2/3乗としていましたが、よく考えると1/3乗のようで修正しました。
しかしネットから爆弾と破壊範囲を収集して実験式を作ろうとしましたが、あまりにも多様で一般式は作れませんでした。

米山教授
「爆薬の重さが1000倍になって破壊面積が100倍ということですか?
25キロ爆弾で半径15mとして1トン爆弾で半径30m程度ということか」
中野部長
爆弾 「火薬量を多くしてもエネルギー密度が高くなるだけで、壊せる面積は増えないらしい。ああ、もちろん強固なコンクリート建造物などを破壊するには大きな爆弾が必要だ。
中島の飛行機に25キロ爆弾を200発積めるとしてだ、ええと30m間隔で落せば6キロ、東京湾から北十間川まで5キロの錦糸町防火帯は作れることになる。どうかね?」
米山教授
「うまく壊せるものでしょうか? 出火して火事になりませんか?」
中野部長
「考えてもしょうがない。まずは実験をしなくちゃならんな。稲毛の海岸にでも木造家屋の家並みを作って実験しよう。米山君、実験計画を作ってくれ」
米山教授
「やってみましょう」
中野部長
「ついでに戦車隊も呼んで、爆発後の片づけというか、ちゃんとした防火帯を作る練習も頼むぞ」
後藤新平
「それじゃ、次だが、吉沢教授、今回は哨戒機を使ってみたわけだが、哨戒機と地上の司令機能の役割分担か検討結果はどうなったのか?」
吉沢課長
「昨年は地上の電波探知機で把握した情報を基に、飛行機や戦車、消防隊の位置を把握し、それを司令部に伝え、司令部から各部門へ指示を出しました。
今年は飛行機の電波探知機ですので対象物との距離が近くより正確になりました。位置検出方法は改善されたわけですが、指揮管制となるとどうすべきかまだ判断付きません」
中野部長
「どういうこと?」
吉沢課長
「消火は一方からとか大きな順からするわけではありません。近隣に人がいるかとか飛行機でしか放水できないとかいろいろ考慮して、消火指揮官が消火場所と順序を決定しています。哨戒機でそういった判断まで自己完結するには、消火指揮官が搭乗する必要があります。
となりますと地位の高い方が搭乗するのはどうかとか、少数の方で判断し指揮するのはどうかとか、多数の消火隊とか飛行機への指示とかできるのかと運用方法を悩みます」
中野部長
「昨年同様に江戸城本丸の本部に情報を伝えそこで指揮したらどうなのか。そうすると時間的な遅れが生じるということか?」
吉沢課長
「時間的にはあまり変わらないでしょう。ただ通信系統が途絶えると困ります。正直言って、地上の本部が被害を受けるのではないかという懸念をしているのです。人的には大丈夫でも、本丸地区にも火が回って避難するとか。
それから部外者、特に外国の駐在武官に司令部を見られた場合、地上で指揮していると秘密が漏れるのではないかと」
幸子
「地上の本部は困るわねえ〜、表示板とか計算機とか無線機とか」
米山教授
「どちらにしても本丸の指揮所は、外部の人立ち入り禁止でしょう」
中野部長
「本部には外部の人間を立ち入らせないようにしよう。私に決めさせてもらえるなら地上で指揮を執り、連絡取れなかった場合に備えて副官を搭乗させよう。地上の指揮所が機能しなくなったとき機上で指揮することにする」
吉沢課長
「承知しました」
中野部長
「ところで哨戒機は1機で東京と横浜の消火を管制できるのか?」
吉沢課長
「情報収集はできますが、地上の消火部隊の指揮までとなると、搭乗員だけでは手に負えない、つまり大勢の人が分担して指揮しなければならないと思います」
中野部長
「なら元々考えるまでないだろう。飛んでいるのは1機でも各都市の消火指揮は分けるしかない。
ただ戦争の場合はどうするのだろう。広域の戦闘は指揮管制できませんとなると、哨戒機は哨戒だけで指揮管制はできないということになる」
吉沢課長
哨戒機 「今後の技術の進歩を含めて参謀本部との調整が必要かと考えます。
それからある時点をとらえれば1機で監視と管制は可能と思いますが、長時間そうですね関東大震災ならあとから出火するかもしれませんから、地震発生後、しばらくの間は常時上空で監視している必要があるでしょう。
あの機体は15時間くらいは飛行できるそうですから最低2機、可能なら3機体制が必要です」
中野部長
「向こうの世界では鎮火まで40時間以上かかったそうだ」
後藤新平
「後々、本来の哨戒任務に使えるわけだから3機整備してくれ。元々は南洋諸島との連絡用というが、必要ならその部署が予算を取るだろう」
中野部長
「まあ当分戦争は起こらないようだから考える時間はあるか。
それから外国の駐在武官などが見学に来たときのことだが、皇居外苑に設置する避難本部とか消火隊を見せよう。我々が右往左往している風景を見せれば良いのではないか。
ええと、後藤閣下、次は津波になりますかね?」
後藤新平
「津波対策は米山君だったね」
米山教授
「ハイ、今回は千葉、神奈川の津波避難訓練を行いました。正直言いまして、向こうの世界で多数の犠牲者が出た市町村まで行きましたが、ここで津波が起きるとは言えませんので、津波がきたらという仮定の話をして避難訓練を行いました。そんなわけで真剣さが伝わらなかった恐れはあります」
後藤新平
「それでいいのか?」
米山教授
「まさかいついつ、ここに津波が来ますというようなことは言えませんので」
中野部長
「後藤閣下、仕方ないでしょう。それで避難訓練の結果はどうなのか?」
米山教授
叫び
地震だあ〜
「向こうの世界の史実では、相模湾では地震発生から5分後に津波が海岸に到達しました。
一方11時58分から12時3分まで震度6以上の揺れが続いたわけです。これほどの揺れでしたら普通に歩けません。この6分間のあいだ、しゃがんだりものにつかまって揺れに耐えていたとすると、揺れが終わる前に津波が来てしまいます。
結局、そういう場所では手がありません」
後藤新平
「確かに逃げるどころではないな」
米山教授
「そうです。科学技術が進むと地震の横揺れより速く伝わる縦揺れを検出するP波センサーというものが、自動車やエレベーターに活用されるそうですが、震源地に近ければそれも使えません」
中野部長
「地震が来たら高いところに逃げろと意識付けをするしかないのか」
米山教授
「津波に関しては、住民への広報とか学校教育で意識付けするだけで手を打ちませんか。こんなことを言ってはなんですが、投資対効果を考えると横浜の地震対策と東京の火災対策の方に力を注いだほうが、より多くの人を助けることができます」
後藤新平
「人の命に関わることに投資対効果という発想で良いものか」
米山教授
「ひとりの人が危機に陥っているなら、救助に最大限の努力をするのは当然です。でも10名か3名の一方しか救えない場合なら、10名のほうを選択するのは妥当かと思います」
後藤新平
「うーむ、それも難しい選択だな」
中野部長
「後藤閣下、未確定不確定が多いですが、これもとりあえずとして次に行きましょう」
後藤新平
「とりあえずが多いなあ〜、次は何かな?」
幸子
「江東区からの避難訓練結果ですが・・」
後藤新平
「そうそう、今回は参加者10万人ととんでもない人数だったそうだな」
幸子
「閣下、10万人じゃありません、1万人ですよ。1万人でも大変です。
まず避難所の広さですが、一人畳一枚としても10,000畳、縦100メートル横200メートル、実際には歩くところも必要ですからこの5割増し(注2)
陸軍のテントが縦10メートル横20メートルだそうですから、100張り、テントを張るにも通路など隙間も必要ですし、避難者がトラックから乗り降りする駐車場、本部、炊事するところ、便所などもありますから、200メートルかける400メートルくらいになります。最低2万4千坪ですか」

テント テント テント テント テント テント テント
テント テント テント テント テント テント テント
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後藤新平
「うわー、そんな広さを必要とするのか!」
幸子
「1万人でですよ。10万ですとこの10倍」
中野部長
「伊丹さんは避難場所を見て来たの?」
幸子
「はい、実際にはテントがいくつあったでしょうか。さきほど私はテント100張りと申しましたが、実際は200張りくらいあったようです。
あれで1万人といいますから、関東大震災が起きて家を失くした被災者が50万人も出たら・・・まあ、手が付けられませんね」
後藤新平
「伊丹さん、隅田川より東にはどれくらい住んでいるのですか?」
幸子
「焼け出された人の数というのは記録にないのですよ。でも住民と焼死者の差はほとんど焼け出されたのではないかと思います。向こうの世界で人口は、東京市全体で200万人、隅田川の西側が166万人、東側が42万人でした。
それから考えると30万人くらいでしょうか」


後藤新平
「ちょっと待てよ、なんかおかしいぞ、
隅田川の東と西を比べると、人口は西側が4倍で、死者は東側が6倍なら、東側の死亡率は西側の24倍ということだ。どうみてもおかしいだろう」
幸子
「まずその数字は間違いありません。そして明白な理由があります。
隅田川の東側は地盤が軟弱で強い揺れが起きたこと、大規模な液状化現象が起きたこと、それによる破壊と火事が多発したこと、水道管などの損壊が起きたこと、また水利が悪くて消火が困難だったこと、」
米山教授
「江戸の下町はほとんど徳川家康が来てから埋立てて作ってきた土地です。銀座、築地、八丁堀、いえいえ、日比谷とか丸の内だって埋立て地です(注3)
ですから隅田川の西と東の違いは、埋立てをしっかりしたかしないか、埋立ててから長年経過して地盤が落ち着いたかということでしょう(注4)
幸子
「それに埋立てやすい所から埋立てて来たのでしょう。土地が足りなくなるにつれて、水深の深いところや地盤の悪いところも埋立てたのでしょう」
後藤新平
「江東区がほとんど埋立て地だったとは知らなかった」
米山教授
「古い国名は京都から見て近くは上、遠くは下が付きます。ところが京都から近くが下総国(しもふさのくに)で遠くが上総国(かずさのくに)というのは変でしょう。これは昔水郷地帯だった江東区や江戸川区の通行は困難で、三浦半島から船で上総に渡り、そこから歩いて下総に行ったからです(注5)
古事記ではヤマトタケルノミコトは木更津に船で渡り、そこから船橋まで歩きました。徳川家康が来た頃でも今の八丁堀から市川までは水郷で、成田山参拝は船で船橋まで行って、そこから歩いていました(注6)
幸子
「隅田川と聞くと今の隅田川を思い浮かべるでしょうけど、江戸時代、特に海近くは、隅田川は大雨が降るたびに流れを変えていたのです」
後藤新平
「なるほど、話を戻すと、江東区は地盤が軟弱で地震に弱く、低いから洪水に弱く、水利が悪いということか。
おっと関東大震災では江戸川区とか市川町では被害は出たのか?」
幸子
「江戸川区は田んぼと畑しかありません。それはこちらの世界も同じです。市川町も千葉街道沿いに民家があるだけで、あとは田んぼだけです」
後藤新平
「地震災害を防ぐ最善の方法は都市化しないということか、」
幸子
「都市化しないではなく、安易に埋立地を都市化しないではないでしょうか。水田の稲は収穫時でなければ数日水没しても悪影響はないと言われます。そして水田の多くは昔は洪水に備えた遊水地でもありました。埋立てて水田にしたところを、土地が必要になって宅地とか工場にしたのが間違いだったのでしょう」
後藤新平
「今まで考えてきた対策は、消火とか避難とか対症療法的で、原因療法を考えていなかったということか」
米山教授
「さすが後藤閣下はお医者さんの用語を使うのですね」
後藤新平
「医者に限らず問題対策は目に見える現象ではなく原因を極めんと・・・」
中野部長
「後藤閣下のおっしゃるとおりです。とはいえ1年前に隅田川以東が危険である原因が埋立て地と知っていても、住民の移住とか地盤強化はできません」
後藤新平
「今からできることがあるだろうか?」
中野部長
「対症療法であろうと原因療法であろうと、できることは変わりません。つまり防火帯の建設、避難の徹底、避難者の保護などでしょう。
発生した火災の消火には可能な限り手を打っておりますし」
後藤新平
「条件を設定すると結果が分かる機械があると言ったな」
米山教授
「コンピューターシミュレーションですか?」
後藤新平
「それに今まで打った対策を入力して、どれくらいの被害が軽減されたか試算してみたか?」
米山教授
「試行しました。向こうの史実では死者11万人でしたね。こちらで手を打たない場合はほぼ同じでした。
今まで打った手、つまり消防車の増加、飛行機や舟艇の消防設備の増強、避難体制、隅田川の橋の耐震・耐火策、重要道路の拡張と舗装、関係機関の連絡体制、そして火災発生後の防火帯の構築、そういったものを入れて試算しますと、犠牲者は3万程度となりました」
後藤新平
「今までしたことだけでは、まだ犠牲者が11万から3万までにしか減らないのか?」
米山教授
「そうです。シミュレーションでは消火より避難を重点的にしないと犠牲者は減りません。そのとき避難者は37万になり、その支援がますます重要になります」
後藤新平
「死者が減った分生存者が増えて、避難者の世話が大変になるのか?」
米山教授
「そうはいいませんが・・」
中野部長
「わかった・・・・ええと次は?」

うそ800 本日のまとめ
災害に強くすることは都市化しないことでしょう。いや文明化しないことでしょう。
もう15年も前ですがビョルン・ロンボルグという方が「環境危機をあおってはいけない」という本を書きました。その中で、「地球温暖化論者は温暖化によって災害の被害が増えていると語っているが、実際は財産が増えているから被害も増えているのだ」という文がありました。
原始人 全くその通りと思います。私が子供の頃、家電品はなく衣類も少なく家具も少なく、おもちゃも本も少なかった。我が家で財産と言えるのはオヤジの通勤の自転車くらいでした。災害にあっても持っているもの以上の被害はありません。
極端な例えを言えば、家を建てず畑も持たない原始人なら台風が来ようと地震があろうと失うものは己の命だけ、生き残れば被害はゼロです。
家財道具や衣類があるから被害が出るのです。物(財産)を持てば、それを守るのが大変です。個人的には物はなるべく持たないようにしようと思います。
おっと、買う金もありませんけどね、

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注1
下記を参考にして、爆弾の威力は火薬量の2/3乗に比例するとして算出した。
(1)「気を付けろ爆弾だ」
(2)知恵袋のQ&A

注2
内閣府公表の「避難者に係る対策の参考資料」によると、避難者一人当たりの面積は2.15〜3.98平米必要とある。
それを基に計算すれば、この数倍になる。

注3
銀座は徳川家康が来る前から陸地だったという説(下記1)もあるが、河口近くの水面に顔を出した程度の中州だったという説(下記2、3)もある。
銀座の隣は八重洲であるが、「洲」が付くように元は河口近くで土砂が溜まった中州だったと想定される。八重洲はヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」からと言われているが、「子」が「洲」になったのは意味のないことではないだろう。
(1)「銀座まちづくりコラム」
(2)「大人のたしなみとして絶対に知っておきたい「埋立て地」の秘密」
(3)江戸東京探訪シリーズ 江戸幕府以前の江戸

注4
「江東区のあゆみ」、江東区政策経営部広聴課編、2016

注5
日本の国名はすべて京都から近い方が上または前が付き、遠い方が下または後ろが付く。例えば備前・備中・備後、越前・越後、上野(こうずけ)・下野(しもつけ)など。
但し陸前はあるけど陸後ではなく陸奥(むつ)となる。実は東北地方は奈良時代から江戸時代まで陸奥の国しかなかった。当時は大和朝廷の支配が及ばなかったから、ひとまとめで間に合ったのだろう。明治になって陸奥だけでは大きすぎて分割することになり、手前は陸前、中間を陸中としたけど、一番遠い方はそれまでの名前を残して陸奥となったそうです。
参考、https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1236168622

注6
floodmapで海面を4m上昇くらいにセットすると江東区東半分から江戸川区全域、そして市川市は水没する。古事記から家康が埋立てるまでは江東区から千葉県市川市までは利根川下流のほとんど干潟だったのだろう。
東京(江戸)から船で行徳まで行き、そこから歩いて法華経寺や成田山を参拝したという時代小説や時代劇を見るが、全くその通り。なお行徳は、今は市川の地域名であるが、昔は船橋から市川南部一帯の呼称であった。


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