異世界審査員96.石原は小説を書くその2

18.07.02

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1922年10月
石原は書き上げた小説を政策研究所の仲間のレビューを受けて、何度かブラッシュアップした後、中野部長に出版を伺い出る。そこで石原は中野に自分の意図を語る。

石原莞爾
「私の考えは東アジアの戦乱を防ぎ、我が国の安全保障を図ることです。現在、東アジアの火種というと、ソ連とその共産主義の拡大、中国の内戦、朝鮮の迷走、アメリカとイギリスの植民地活動とたくさんあります。
扶桑国は中国や朝鮮と関わりになりたくない、私たちはそういう方針で朝鮮にも満州にも手を出さないできました。その考えで欧州大戦の分け前も、大陸には求めませんでした。

しかし関らないだけでは東アジアの安定は得られません。そのためにはアメリカが満州を完全に掌握して、ソ連や中国の東進の防波堤にしたい。ソ連も中国も歴史的に膨張主義ですから、我が国との間に強国を置いてそこからの侵出を止めてくれれば我が国は安心です。地勢的に満州が安定していれば朝鮮が混乱しても、ソ連や中国は軍事介入しないでしょう。朝鮮が揉めようが内戦程度なら扶桑国に影響しないでしょう。アメリカも我が国が軍事的にある程度の強国で安定な国家であれば、我が国に手を出さないと思います。そういう形で東アジアの安定化を図りたい。
我々も非白人の民族自決実現より、東アジアの安定を第一にすべきです。そういう意図でこの本を書きました。

そのために日本で出版するのはもちろんですが、これを翻訳してアメリカで出版したいのです。アメリカは満州を我が物と認識しているでしょうけど、現実にはそうじゃありません。モンゴルの国境と接していて、いつモンゴル軍、中身はソ連軍ですが、それに侵略されるか分からないということを認識させたい。それによってアメリカ世論を反ソ、反共に誘導したい。つまりソ連に対する警戒心を持たせ、その結果、東アジアにおける共産主義の防波堤になってほしい。
国内向けの意味付けとして、我々が満州に関わると危険ばかりで利益などないから、手を出さない方がいいという認識を持たせたいのです。
それともうひとつ、ご存じと思いますが、我が国にもけっこう共産主義シンパがいます。後藤閣下なども危険人物です。そういった人たちに共産主義の危うさを伝え、かつ国民に反共の意識付けをさせたい」

東アジア地勢図

中野部長
「後藤閣下か・・・フフフ、まあ注意はしている。確かにソ連の現実というか、共産主義の真実を知れば共産主義に嫌悪感を持つだろうね。
ところで、アメリカを防波堤にしたいというのは同意だが、わざわざこの本を出さずともソ連がちょっかいを出すのは時間の問題。我々が動くこともないように思うが」
石原莞爾
「実を言いまして向こうの世界の石原莞爾が満州をとるためにどのような作戦をとったのか研究しました。土地は広いですが、急所は限られています。ソ連が近代兵力で満州に攻め入れば、数日で主要な都市を確保してしまうでしょう。
ウラジオストクなどを連合国のシベリア出兵軍が維持していますが、もうソ連国内も落ち着いてきましたらから、まもなく奪還しようとするでしょうね。一旦ソ連軍が満州を確保すれば、連合国がウラジオストクや満州を再奪還するのは不可能でしょう。
そうなる前にアメリカがソ連に対応する軍を配備しておくようにしたいのです」
中野部長
「でもこの小説はソ連に軍事行動をけしかけているようだが」
石原莞爾
「ボートを転覆させようと舷側にしがみついている人がいるなら、ボートを大きく揺らして振り落とすのも一つの手でしょう。ソ連が仕掛けてくる前に、アメリカに予防戦争を行わせるというのもアリと思います」
中野部長
「分かった、わかった。ところで小説ひとつでそんなに効果があるものか? 特にアメリカが動くのか?」
石原莞爾
「数字では言えませんが、なにもしないよりは効果はあるでしょう。そしてうまく動いてくれなくても、我々には何の損もありません。そのときはまた他の方法を考えましょう」
中野部長
「今のご時世、将来の暮らしを描いたり、これから起きる戦争を予想した小説は多々ある。樋口麗陽の「日米戦争未来記」とか、ちょっと古いが押川春浪や海野十三なんてのもいたな。
ああいう、言ってみれば荒唐無稽なお話とこれはどう違うのかね?」
石原莞爾
「現実に則っており、関係各国の思惑や背景、その他登場する組織も兵器も実在もしくは開発中のものです。ですからこの本に書かれた事態やその結果は信頼性が非常に高い。なにせコンピューターでシミュレーションした結果ですから。
もちろん小説としても完成度が高いと思います。つまり売れると考えています。売れれば読む人が多く、影響される人も多いでしょう」
中野部長
「石原君のいう効果は疑問だが、我々の見解を分かりやすく世に示す行動も、政策研究所の仕事の一つだろう。わかりました。この本の出版には最大限支援しよう。もちろんこの小説を研究所の見解とすることはできないが。
国内の出版計画には伊丹さんにも協力してもらいなさい。アメリカでの出版にはアメリカ駐在大使館にも協力してもらおう。ところでタイトルがまだ空白だが?」
石原莞爾
「向こうの世界の本を読みまして、それにあやかり「ノモンハン1930」か「ノモンハンの夏」にしようかと思うのですが、どちらが良いでしょうか?」
中野部長
「アメリカでも扶桑国でも、政治家も一般人も満州は知っていてもノモンハンなど知らないよ。だから国内なら「満州1930」アメリカなら「Manchuria 1930」のほうが分かりやすいだろう」

幸子は国内出版については、21世紀の出版業界の友人に相談し、20世紀初頭ではまずないような紙質も良く文字も大きくし、多数の写真や挿絵入りの綺麗な本にした。その他、出版の宣伝などについてもいろいろアドバイスを受けた。価格だが、幸子は自分がいままでへそくっていたお金を石原に支援しようと考え、通常よりきれいな製本のものを他と同等の価格で売り出すことにした。まずは国内向けはこれでよしと、

アメリカでの出版の企画はアメリカ駐在大使館が、専門の出版エージェントに依頼した。SFと考えればSF専門誌という発想もあるが、有名なSF小説雑誌、「アメージング・ストーリーズ」は1926年創刊、「アスタウンディング・ストーリーズ」は1930年で、1922年にはまだそういった舞台がない。内容からいって、エンタテインメントではなく、経済誌とか政治関係の出版社から発行しようとなった。
翻訳は幸子たちが頑張り、満州の写真は熊田中尉たちに撮ってもらい、兵器の写真は軍関係部門に要請してかき集めた。国内版よりも挿絵も豊富である。
そして扶桑国大使館はエージェントを使って、一流の出版社から扶桑国の研究者が書いたという触れ込みで宣伝した。
なお、出版するとき中野は石原が政策研究所の教授と名乗ることを許した。怪しげな素人が書いたのではないということを示したい。
広報発表します
中野中佐
資料

出版に当たり、中野は記者会見を行った。そこで石原は政策研究所の優秀な研究員であること、石原の書いた「満州1930」は小説であり現実ではないがしっかりと現実を踏まえていること、
政策研究所は一切関りのないこと、ではあるが内容は非常にためになることなどを明確にした。

意外というか意外でないというか、扶桑国内で出版されると売れに売れた。買った人はいろいろだ。軍人はここ20年間戦争がなく、欧州大戦以降の戦争とはどういうものか知りたい、新兵器をどう使うのか勉強しようとした。満州に魅力を感じる政治家、実業家、農民の三男四男は、満州の知識を得ようとした。青年や学生は、満州に行って一旗揚げようと思うのもいて、石原の本は彼らのバイブルとなった。政治学を学ぶ学生は外交交渉の仕組みとか戦争がどのように始まるのか知ろうとした。

石原の成功を見た世の作家たちは、架空戦記を書けばなんでも売れるだろうと考えて、満州、シベリア、南洋、東南アジア、その他さまざまな場所での異文化と軍事力の衝突と戦いの架空戦記を書いて出版した。
満州 1930



石原莞爾

しかしそれらは皆こけた。なぜならまず状況設定に無理があったり、ストーリーがありえないのはすぐクズとされた。それから登場する兵器や日常生活の様子が荒唐無稽でもクズ、人間をいかに描くかという観点が抜けているのもクズとみなされ書店から消えた。
石原はそれなりに作家の才能があったのだ。もちろん現状認識は軍事や外交の分析がお仕事であり、自身が満州を歩いたおかげだ。そして種々条件下の国際政治力学はシミュレーションは向こうの世界から来たコンピューターのおかげ。そして官能小説顔負けのラブロマンスの描写はさくらの協力の賜物である。

アメリカで出版したときも、相当宣伝した。この時代、扶桑国の書籍がアメリカで発行されるなど稀有なことだ。キャッチフレーズは「ニューフロンティアは戦場になった」であった。
本来ならこういった陰鬱な本は売れなかったかもしれない。しかしときは「狂騒の20年代」である。ここで1920年代というものをおさらいする。アメリカにとって1920年代とはなんだったのか?
ほんの少し前まで、ものすごい戦死者、戦災死者、被害を出した欧州大戦(第二次大戦が起きてから第一次大戦と呼ばれた)が終わり、日常が正常化(ノーマルシー:Normalcy)しつつある時期、いくつもの重大な発明発見、驚異的な製造業の成長と消費者需要と願望・欲求の加速、生活様式の重大な変化が特徴だ。それは質素で飾りのないT型フォードの失速と、より豪華な車への変化で象徴される(注1)
それはアメリカに留まらず、欧州でも「黄金の20年代」(Golden Twenties)とも「狂乱の20年代」(années folles)とも呼ばれた。闇の世界から光の当たる場所に出たような時代だ。
とはいえアメリカ国民、皆が皆平等に所得増加と文化生活を享受したわけではない。奴隷ではなくなったとはいえアフリカ系アメリカ人(黒人)や欧州からの移民は社会の下積みであり、ましてや1922年にはまだブーム(1920年代の高度成長のこと)は起きていない。ブームは1921年に就任したハーディング大統領が種々政策を打ち出して、1923年以降に始まり以降急激に伸び1929年に崩壊した。
人々は共産主義を毛嫌いしたが、それを脅威とは感じていない。ナチも同様で1923年ナチ党はドイツ国会に議席を得たが、国外はもちろんドイツ国内でもそれが脅威だとは思いもしない。ナチ党が勢力を得るのは1930年頃から不況による社会不安が増大してからである。ヒットラーが政権を取るのは1933年である。もちろん石原が本を出した1923年初頭には、ナチスドイツが欧州どころか世界の脅威になるとは思われていない。

オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」のラジオ放送がアメリカを恐怖に陥れたのは1938年であり、それは人々が大恐慌を経て自分たちの生活がアンステイブルであることに恐怖を抱き、ナチスドイツの脅威を現実のものと感じるようになったからだ。
しかし1920年代は社会や国家の敵と思われるものがなく、心理的に脅威と感じるものはない。ならば石原の「Manchuria 1930」が売れなかったかといえば、売れた。その理由のひとつには多くのアメリカ人が満州に移住した親戚や知り合いがいること、そして彼らの暮らしを心配していたこと、入植者の生活が具体的にいきいきと描写されていたこと、そして入植者や満州警備の兵士は実際にソ連の脅威を感じていたことがある。だから売れに売れた。

ところで、アメリカでは過去1622年から始まり1917年に終結した、300年にも及ぶ「インディアン戦争」と呼ばれるネイティブアメリカンとの戦いがあり、この戦争が終結したのは、このときからわずか5年前だ。
ネイティブアメリカン 多くの人は原住民の悪意ある攻撃を受けていたと信じている。だがそれは現実とは違う。元々ネイティブアメリカンの住んでいたところに入植者が侵入したのであって、入植者は加害者であり被害者ではない。西部開拓史とはインディアン虐殺史である。
「インディアンが約束を破ったことは一度もなかったし、白人が約束を守ったことも一度もない」とはバッファロー・ビルの言葉である(注2)バッファロー・ビルはもちろん白人である。

他方、満州へ入植したアメリカ人はソ連人の所有地を侵したわけではない。もし満州に住んでいた満州族とかモンゴル人から攻撃されたなら、アメリカ人入植者とインディアンは同じ関係になるわけだが、そうではない。第2次百年戦争(注3)のように、アメリカに侵出したイギリス人が、やはりアメリカに侵出したフランス人から攻撃されたようなものだ。
Manchuria
1930




Kanji Ishihara
そしてインディアンがトマホーク(小型の斧)と白人から入手した銃で攻撃してきたのと違い、ソ連人は完全に組織化され強力な武装をした近代陸軍だった。石原の小説の時点では戦闘は起きていなかったが、ささいな過誤でも一触即発の状況であるのは間違いない(注4)
戦争状態でないこと以外は、入植地の様子も砦の様子も石原が描写した通りであった。石原の小説を読んだ人は、小説に書かれたことは絵空事ではなく、明日にでも起きるかと感じた。

満州に移住しようかと考えている人が読めば、満州での戦争が起こる危険を感じた、満州に入植した人達が読めば、日々自分たちが不安に感じていたことを再確認したわけだ。満州入植関係者の間に情報の受容と発信のフィードバックループができ、危機感はループするごとに高まった。
もちろん満州に駐留していたアメリカ軍は、石原に言われるまでもなく元から危機を感じていた。自分たちはインディアン相手にしていた時と同様な武器しか持っていない。つまりピストルとカービン銃そして古臭い機関銃だ。しかし相手はインディアンではなく、ドイツと4年も戦った歴戦のロシア赤軍である。むしろ石原の小説が楽観的過ぎると感じた。例えば満州駐留軍の砦が、石原の小説のように1日も持ちこたえるとは思ってもいない。1時間も砲撃されたら、砦は完璧に砲弾で破壊され何も残らないだろう。
また入植者は日常的にソ連兵の姿を見ている。まだ攻撃を受けたことはないが、本来満州の領土であるはずの所で、赤い旗を翻した歩兵や騎兵を見ることは珍しくない。故意にか、それとも道を迷ったのかは知らないが、武装した何百人もの兵士がソ連との国境を越えて、我が家から見えるところを行進していくのは不気味極まりなかった。

ソビエト大使館は扶桑国外務省に対して、石原の小説をソ連に対して敵愾心を異常に煽り国際関係が不適切になるとして発行禁止を求めた。
だが扶桑国外務省は、扶桑国憲法に基づき扶桑国国民は言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有しており、国家が規制できないと即答した(注5)


1923年1月
年が開けると、アメリカのいくつかのメディアがベストセラー作家石原にインタビューに来た。
まず彼らは石原に会って、彼がまっとうな研究者であることに驚いた。もちろん書籍の奥付には政策研究所の教授となっていたが、普通は誰でも大げさにいうものだ。だから話半分だろうと高を括っていた。
しかし来てみれば、まず政策研究所というのはアメリカなら大統領の政策参謀のような機関だ。教授といっても大学の教員ではなく、政府の公式機関の職階であった。つまり石原は大統領補佐官のような位置づけだ。
そして経歴は陸軍士官学校を3番で卒業した秀才で、若手将校のとき政策研究所にスカウトされた。満州について長年研究しており、昨年は数か月間現地を訪れアメリカ人入植地や満州駐留軍の砦を訪問している。
満州を担当する前は、委任統治領となった南洋諸島開発プランを作り、現地で総督たちを教育してきた。その前は我が国(アメリカ)でもまだ黎明期にあるオペレーションズリサーチを独自に研究していたという。
そういった情報はアメリカ政府にもホワイトハウスにも伝えられた。その結果、石原の小説は架空のものではあるが、研究の成果であってその前提、経過、結末は信頼できると思われた。

そしてアメリカの大学から講演してほしい、当大学院に留学しませんか、研究員として来て欲しいというオファーが来るようになった。
石原は苦笑いして中野部長に報告する。中野はそれを聞いて意外なことを言う。

中野部長
「石原君、以前から考えていたことですが、石原君は私の誘いを受けて陸軍大学校に行かなかったことを後悔していたのではないでしょうか。今からでも遅くはありません。これを機会に一度アメリカの大学院で国際政治学でも研究してきたらどうでしょう。もちろん公費留学生として送り出します。奥様や家族同伴でもよい。
そして帰国してもここに戻ることはない。皇国大学の教授は無理かもしれないが、それなりの椅子は用意しておく。もちろん君が望むならここに戻っても良いし、あるいは向こうに住み着いても良い」
石原莞爾
「そういうことは考えたことがありませんでした。でも確かに今まではひたすら実践で学んできましたが、この仕事を続けるにしても大学で学びなおすことも必要ですね。少し考えさせてください。
しかし・・・」
中野部長
「なんでしょうか?」
石原莞爾
「今年留学となりますと、関東大震災はあと半年・・・」
中野部長
「大震災が来ようと、天下国家が崩壊するわけじゃない。君は自分自身のために挑戦する権利がある。関東大震災の担当はちゃんといるのだからね」

うそ800 本日のまとめ
かって中野中佐時代、有能と思われるメンバーを手当たり次第に集めたわけです。でもあれから8年のときが流れ、もうそろそろみなさんそれぞれの道を歩んでも良い頃かと
それに一部の人たちが国の方向を考えて策略を巡らして動かしていくというのは、発展途上国ならともかく腐敗の元ですし、仕組みを永続させることは困難でしょう。そういうことをしなくても、国民すべてが考えて良い方向に向かっていく国を創るのがそもそも中野の目的だったはず。
実はもう少しでオシマイにする予定なので、登場人物の身の振り方を考えております。例え物語であっても皆さんが幸せになるようにしなければ。

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注1
T型フォードは1908年に生産開始され、抜群のコストパフォーマンスで1500万台を売ったが、人々は安くて同じものよりも、高くても豪華で差別化したものを求めるようになり1927年に生産終了し、豪華でモダンな後継車に切り替えた。

注2
カウボーイ カウボーイの現実とか西部開拓のリアル、インディアン戦争は映画からでは分からない。
バッファロー・ビル(1846〜1917)とは西部開拓時代の実在のガンマンである。後年は東部でウェスタンショーを興行する。
「有色人種500年の悲劇 アメリカ合衆国」
「センテニアル」ジェイムズ・A.ミッチェナー、河出書房新社、1976

注3
第二次百年戦争とは、17世紀末から19世紀にかけて欧州の複数の国家の国境争い、王位継承問題を基に、世界各国で戦いを繰り広げた一連のものをいう。
北アメリカにおいてはイギリス軍とフランス軍がカナダからアメリカ東部にかけて戦い最終的にはイギリスが勝利を収めた。これをフレンチ・インディアン戦争という。
インディアンにとっては外国の連中に自分たちの土地で戦争をされただけ、迷惑な話だ。

注4
史実のノモンハン事件も突然ノモンハンで戦争が起きたのではなく、それ以前から満州国へのソ連の侵入による小競り合いが継続的に発生していた。偶発とは思いがけずに起きることだが、ハインリッヒの法則があるように現実に1件発生した裏には大事に至らない同様の事象が300件くらいは起きているのだ。
ノモンハンでの小競り合いを治めたとしても、別のところで紛争が起きたことは間違いないだろう。ということはあの戦争は避けようがなかったということか?
 (1)「ノモンハン事件の真相と戦果」小田洋次郎 他、有明書院、2002
 (2)「ノモンハン1939」スチュアート・ゴールドマン、みすず書房、2013

注5
大日本帝国憲法第29条「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」
口語訳すると「日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有する。」
「印行」とはなにかと調べましたら「印刷して発行すること」だそうです。
明治憲法は悪だとかおっしゃる方が多いですが、全然おかしくはありませんよ。21世紀の北朝鮮の憲法や中国の憲法よりもはるかに優れている。ひょっとすると日本国憲法よりも優れているかもしれません。
「法律の範囲内」という文言は現行の日本国憲法21条にはないという意見に対しては、過去よりポルノ規制は憲法に文言のない法律で規制されていますから同じこと、運用の問題でしょう。
おっと、明治憲法は運用が悪かったとおっしゃるあなた、お待ちなせえ〜、韓国の人治主義や情緒法よりははるかにまともに運用されておりました。そんなことを知らずにふぁびょってはいけませんよ。



外資社員様からお便りを頂きました(2018.07.02)
おばQさま
架空戦記に色々突っ込もうと思っていたのですが、まさかの「小説オチ」。
お見事です、作中人物の架空小説には突っ込めませんので、一本取られました。

当時(大正末期)の扶桑国(日本)を振り返ると、史実以上にデモクラシーで工業発展による個人主義が進んでいるように思えます。
当時から日本は、都市住民は英米に習っていましたので、米国と同様な個人主義は都市住民の特徴だと思います。 米国のモンロー主義も、結局は個人主義の行き着いた結果だと思います。
その後 二次大戦の準備段階(Phoney War)から戦争勃発も含めて、国家として必要な戦略は「総力戦」への備えなのです。 米国のル−ズベルトは自由主義を謳うアメリカをどうやって総力戦に持ってゆくか悩んでおりましたし、日本でも同様で、陸軍の中では、総力戦に備える点では皇道派も統制派も同意見で、その途中段階が異なっていただけでした。
裏返せば、それだけ日本の都市住民も、個人主義だったのですね。
一方で、ドイツは国家社会主義で、ソ連は共産主義で、社会体制として総力戦体制にまっしぐらなのです。
結局、個人主義の普及から総力戦の準備が出来なかったフランスは、簡単にドイツに占領されました。

扶桑国の行く末は、とても楽しみになのです。後知恵ありなので、半島や満州に出ず、太平洋の島々の開発をして、内政重視は、戦争や紛争による国家経済の消耗を回避できそうです。
その一方で、国内では何をやるべきかと言えば、一つは農業の改革。
東北の農民の苦難は冷害による不作の連続、これは「農林一号」、北海道での稲作には「栄光」「富国」など品種改良種の普及、そして機械の導入など、大規模化。 農業の大規模化には、個人の地権との干渉がありますが、これは何とかするしかありません。 大規模化による余剰人員は、工業化による労働人口としての吸収、それだけでも足りませんから、田中角栄の「日本列島改造論」の大幅な前倒し、高速道路と鉄道網、電力の確保、加えて無線などの通信網など、インフラ整備の大規模な公共投資によるしかありません。
金があれば何でも出来ますが、予算と人に限りがあるので、大規模な変革は不可能で、これらをバランスを取りながら、少しづつ進めるのが現実的な気がします。
軍については、技術のパイロットプラントになる事が重要で、兵役による車の運転、電気工事、通信など技能教育などをして、これにより工業化や技術発展の底上げをするのが適切な気がします。
その一方では、史実では「大恐慌」がやってきます。 戦前日本も色々考えていたようなのですが、大恐慌の暴風と、農業の歴史的不作、首都圏大地震というトリプル・パンチが、日本の体力を大きく損ないました。
いま小説の中で実施している防災による被害軽減は、地味なようで、実は非常に重要なのだと思いました。
小説を拝見して、そんな事を思いました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
第一次大戦から1930年までの難関をどう乗り越えるかとなると、基本的に実施事項は外資社員様のおっしゃるとおりなんですが、震災をどう乗り越えるか、太平洋の開発で雇用創出と国民所得が得られるか、飢饉回避、あたりを解決できるかどうかできるものでしょうかね?
あれだけ資源も金もあったアメリカが「怒りの葡萄」になってしまう時代ですから。それに国内をうまく調整できるのか、そして国内をまとめ危機から救ったとしても、外国と調整が付くものでしょうか?
私は(不勉強ゆえに)言及していませんが日本人移民の排斥運動がまさに1920年代のわけで、そういう事情もあれば一国だけが大恐慌と無縁でいることが許されないと思います。
それと歴史というか国家というのは甲子園みたいなもので、大震災を乗り越えなければ次はないわけで、プロ野球みたいにこの試合は捨てて次に頑張るなんてことはできません。うそと出まかせを書くのも結構大変です。
とりあえず次は南洋の発展と資源開発、雇用創出、国民の目を満州から南洋にということでいくつもりです。

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