2019.08.14
今までウェブサイト開設記念日には、このウェブサイトを作った経緯とか、何を書いてきたかを述べた。それで今回は視点を変えて、このウェブサイトのために私がなにをしているのか、ウェブサイトが私にどんな影響をもたらしたかを書こうと思う。
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このウェブサイトを作ってからなんと18年になる。官公庁、企業、個人のウェブサイトをひっくるめた平均寿命は3年という。個人のウェブサイトで18年も継続したものは、全体の1%もないことは間違いない。
このウェブサイトを開設した2001年頃は個人が意見を述べるには掲示板が一般的で、自分だけの場が欲しければ自分でウェブサイトを作るしかなかった。だから本屋に行けば「ホームページを作ろう」とか「やさしいhtm」なんていう本が並んでいた。だけどあっという間にhtmの知識など不要なブログの時代になり、更に言いたいことだけ書きこめば済むSNSとなりMIXIなどが流行ったが、それもすぐにツィターやフェイスブックにとって代わられた。当然、本屋の棚からhtmの本は激減し、SNSの本になり、ツイッターやフェイスブックの使い方の本に入れ替わった。
またハードウェアもパソコンからスマホの時代となり、あまり長いテキストは敬遠され、ツィター(さえずり)と呼ぶように、短い文章いやフレーズの方が喜ばれるようになった。
そんな時代の変遷にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えでテキスト主体のウェブサイトを紡いでいる私は頑固というか進歩がない。
それにパソコンをネットにつなぐにはプロバイダーと契約が必要だが、今では各都市にあった中小のプロバイダー会社は見当たらず、全国的大手10数社に集約されてきた。それもプロバイダー専業ではなく、電力会社、携帯電話会社、ネット通販、ケーブルテレビ会社の一事業であることが多い。そもそも携帯電話ならネット接続がついている。
またウェブサイトを作るにはお金持ちが自分のウェブサーバーを立ち上げるのは別として、普通はプロバイダーの提供するウェブサーバーを借りるわけだが、今は無料ウェブサーバーが当たり前となっている。私のウェブサイトの歴史が18年と言ったが、18年も続いたプロバイダーも珍しい存在だ。私の使っているDTIは元々電機会社が設立し、電力会社が買収し、その後も持ち主は毎年のように変わっている。
htmlも当時バージョンが4だったが、その後5、そして2019年は5.2となり、種々の飾りやリンクのTAGは大きく変わった。それを 知らず 学ばずにシコシコと昔ながらに記述していてリンクがおかしいと言っていたのは私です。
そのようにハードもアプリもインフラも変り続けて18年、いまだにhtmlを手打ちしている私は時代遅れもはなはだしい。
まあそれはおいといて、なぜお金をかけてウェブサイトなんて維持しているのかといえば、言いたいことがあるからであり、それが世のため人のためになるだろうと思うからで、そのためにキーボードを打ち出来上がったものを修正したり見直したりするのが楽しいからだ。
要するに現在の世の中に不満があり、それを自分の内側に向けず、外側に向かって変えようよ、良い社会にしようよと発言したいからだ。
私が発言したいこと、それは私のウェブサイトの主張である保守主義の勧めとISOの間違いを糾弾することである。
言いたいことを言う、聞く人がいればありがたいが聞く人がいなくても発言は止めない。日本国憲法は言論の自由を認めているが、同時にそれを聞かない権利も認めている。ともかく言いたいことがあっても発言しないで腹膨れるのは性に合わない。したいことは躊躇なく実行し、明るくドライに生きていかなくては人生はつまらない。
もちろんそのためにはいろいろリソースを投じている。このウェブサイトにいかほど労力を投入しているのか?
小さくはないが大きくもない。
ウェブ開設6周年記念にこのウェブサイトを維持する労力を別のことに注げばものすごいことができるのではないかと書いたことがある。
あれから12年、自分がウェブサイトをしていなければこんなことができたかもと書いたことは、実はほとんどを実現した。もちろんウェブサイトを維持しながらだ。
2007年に書いたこと | 2019年の今 |
株を勉強していれば今頃は億万長者になっていたかもしれない | まだ億万長者にはなっていない。正直、これは実現不可能だろう |
夜間の大学に通えば大学院を卒業して、MBAあるいはドクターになっていたかもしれない。 | 定年後、大学院に行き修士になった。
ドクターにはなれそうなかったので止めた。
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ジムに行っていれば水泳も上手になり筋骨隆々の体になっていたかもしれない | ジムに通って体重を6キロ減らしてメタボを卒業した。今は毎日2キロ以上泳いでいる。 |
囲碁をあきらめずに精進していれば県代表は無理としても5段にはなっていたか? | 定年後、囲碁クラブに通った。今でも2段や3段で通用するが、もう囲碁の時代じゃないとやめた。囲碁はRPGの電子ゲームと同格になった。 |
TOEICがんばっていれば990点ゲット? それはいくらなんでも無理か | 英語はTOEIC受験する意味がなく、日常会話をと英会話教室に通った。 |
いいたいことは、ウェブサイト維持のために他を犠牲にしたのではなく、やりたいこと、興味のあるいろいろなことをした上で、ウェブサイトも維持しているということだ。
もちろんウェブサイト維持にはそれなりの投資をしている。
まずプロバイダーにウェブサーバー使用代として月1000円払っている。大した金額ではない。
日々いろいろと書くためにキーボードを使うが、大量に入力するためにキーボードは年1個だめになる。マウスの寿命はそれよりはるかに長い。パソコンはOSやアプリのバージョンアップもあり、5年程度で買い替える。これはウェブサイトを持とうとなかろうと変わらない。
ウェブにアップするために文章を書いたりお絵描きしたり、毎週20時間くらいはかけている。一日3時間だ。この時間をもったいないと思うかもしれないが、実はこれをしなければその時間に何をするか迷ってしまう。
週に6日はフィットネスクラブに行き、本を年間200冊以上読んでいるし、毎週1日は家内とデートして食事をする。老人クラブもあるし、アンチサヨクデモにも参加している。要するに他を犠牲にしているつもりはまったくない。私のウェブサイトは老後の生活を支え彩るいくつものライフワークのひとつであるということだ。
ではこのウェブサイトは私になにかをもたらしているのか?
私にこのウェブサイトが与えてくれたものはたくさんある。
重要でことではないが、ブラインド入力を忘れない。完全に忘れることはないかもしれないが、自分の頭で考えるスピードで入力できないと、ものすごいフラストレーションになるだろう。そういう事態になったことは私はCPM
(注1)登場以来ない。
だけどスマホの画面をタッチして入力や操作をするのは非常にクリティカルで好きになれない。特に年寄りは指先の脂分がなくなり、インピーダンスなのか静電容量なのか指を動かしても感じないことが多く、イライラする。それに比べキーボードの安心感は良い。
ところで30歳の頃、アマチュア無線でCW(注2)をした。今でも一字一字なら打てるし取れるが、1分100文字のスピードでは書きとることはできなくなった。なにごとも常日頃使っていないと錆びてしまう。
俗に言われるがボケ防止にはあまり難しくなくあまり容易すぎず、適切なのではなかろうか?
勉強になる。
何を書くにも、やはり情報収集しなければならない。
小説もどきであっても異世界審査員で関東大震災を書くときは、観点の違う複数の人の本を10数冊読んだし、そのほかにネットを漁ったし、種々の報告書、政府の公式報告、行政の出している防災のパンフレットやハザードマップなど2〜3か月にわたって相当読んだ。
ISOについて書くときはアプローチの方向が逆だ。私はこれで飯を食っていたから、日々審査員と議論になる。だから分からないとか審査員に言われたからしょうがないではすませられない。議論になれば他の認証機関に電話で問い合わせたり、ISOTC委員にメールしたり、あるいはJABやUKASまで問い合わせをした。規格英文の解釈で悩んだら、近くにいるネイティブアメリカンやイングリッシュジェントルマンに聞くこともした。そういうことの蓄積があるから、ウェブにケーススタディや解釈を書くときは、それをネタに書くのは簡単だ。わざわざ本など読むことはなかった。
もっとも何度かこのウェブサイトに書いた私の解釈が、間違っているという審査員や企業担当者からメールを頂いたことがある。
ご安心ください!(キリッ
私はその辺のコンサルや審査員とは違います。真剣勝負のチャンチャンバラバラを潜り抜け、絶対勝つぞという執念で情報収集をし、理論構築をしてきました。私がこのウェブサイトで発言した範囲内においては間違いないことを保証します。
もちろん現実の審査でISO規格の議論において、私は論理的に負けたことはない。政治的に負けたことは多々あるけど……それは日本の審査員が未熟なことによって、組織側が被害を受けたという事実以外何物でもない。
ともかく日々そんなことをしていると、その分野についてはそうとう詳しくなる。
これもまたボケ防止に有効ではないか。
時事問題を知る
政治や政策に関してコメントを書くには政党の綱領とか、法案についての各党の意見とか、大事件についての世の中の意見や議論などを見知っていないとならない。私は新聞もテレビも観ないが、その分インターネットのニュースや新聞をしっかりと読む。
2009年の民主党マニフェストは文字通り眼光紙背に徹するごとく読んだ。もっとも奴らが実際にした政治はマニフェストと無縁だったから、真面目に読んだだけ無駄だったね、
大事なことだが、政治家などの発言は日時とメディアをしっかりと記録しておかないとならない。もちろんネットの論敵の発言もいつどこで語ったかをしっかりとメモっておく。
その代わり、自分が興味がないことはウェブにも書かないから、芸能とかスポーツとかさまざまな流行はまったく関心がなくわからない。
友人ができた・出会いがあった
ウェブサイトにアクセスした方から、会いたいとか飲みたいというメールがくることがある。特にISO認証がまだ盛んだった2010年頃までは、相談や悩みなどたくさんいただいた。人に会うことが苦手ではない私はホイホイと会った。
もちろんそのときは田舎ではなく東京で働いていたから会うことができた。お互い地方に住んでいては会うのは難しい。ほとんど毎月くらいに誰かしらと会っていた。東京に出張してくるから会いたいと言われても時間がないときは、東京駅のホームで会って挨拶と名刺交換だけしたという方も何人もいる。私は丸の内勤務だったし一応管理職だったから、いつでも会社を抜け出し東京駅に行くことができた。
それと私は日本中出張が多いお仕事だったから、地方に行って泊りだと夜お会いして酒を飲むというのはとても楽しいことだった。
だけど人間はときと共に関心あることが変わる。担当がISOから変われば規格解釈などどうでもいいことだ。だから今までお会いした方と会った回数をグラフにすればλ(ラムダ)が小さなポアソン分布のようになるようだ。もっともポアソン分布とは「一定期間に平均λ回起こる現象が、ある期間に発生する確率の分布」だから、人に会う確率そのまんまじゃないか、
もっとも今現在、引退して7年めともなると、会う回数は減ってきた。まずISO関係はもう第一線でチャンチャンバラバラしていないから最近の問題も知らないし、この認証制度の存在価値そのものに疑問もあるし、先細りしている状況だから、私もあまり真剣に考えなくなってきた。ISOを担当している人もISOのオヤクソクを知り尽くして、審査員のレベルに合わせているのが分かる。
政治活動は思うことあれば、ネットで主張するより政党や政治家そして新聞社や放送局に抗議メール、意見メールを出す方が即時的であり、またデモに参加した方が良いと思う。私のような老人は外出することが減るからなおさらだ。
わざわざそんなことしなくても良いのにとか、寝ていた方が良いと思う人もいて良い。前述したように、私は仕事は人並み以上にしていたし、大学院にも行き、日々水泳や筋トレをしてこれだけ書いている。
ところで18年も書いていると、主義主張とか考えが変わるだろうと思う方は多いだろう。
実を言って、私の主張が変ったことはないし、15年前の主張を読んで恥ずかしくなったこともない。それから予測したこと、こうなるだろう、これは長続きしないだろうと語ったことのほとんどは的中している。
お疑いなら過去のものをお読みください。私は一旦上げたら統計数字の加除修正以外は書き換えたりしない。
それはやはり書くときに結構裏を取っているからだと思う。
それにもちろん、考える。身内とか仲の良い仲間とバカ話を語っているのでなく、極端に言えば全世界から見られているわけで、いい加減なことは書けない。だから調べる、調べると最初考えていたことと違うこともある。であれば更に考える。ある意味、論文を書いているのと同じだ。
それは他人を見る場合も同じである。
ISO規格解釈で有名な方とか、アイソス誌に寄稿している方がネットに書いていることでおかしいと思うことは多々ある。どうしても理解に苦しむような場合は、ISOTC委員に問い合わせたこともある。
例えば「外部コミュニケーションとは環境パフォーマンスを広報することである。それは環境報告書を発行することで満たされる」と書いていたコンサルがいた。おかしいよね。
ISOTC委員に問い合わせたら「そんなバカな!」という返事。それを受けて私がそのコンサルに間違ってますよとメールしたら、「俺はISO規格制定時からの流れを知っている。本来はその意味なのだ」という返事が返ってきた。
規格であろうと法律であろうと、文字解釈しかありえない。今そのウェブサイトを見ようとしたらなくなっていた。反省したのかどうか?
ご本人はまだ健在で、審査員研修の講師をしているようだ。間違いを教えていなければ良いのだが……
私が過去に書いたものを読むのは楽しい。ネットを彷徨っていて、おっ俺と同じことを考えているのがいると思って、引用をたどると自分が書いたものだと知ったこともある。
いやいや自意識過剰ではない。最近は減って来たが、ISO関係は結構引用されている。引用どころか、何度も盗用もされたよ ┐(´ー`)┌
ISOのウェブサイトを作って、コンテンツが足りないと人様のウェブサイトから借用(盗用)するっていう根性が理解できないよ、
このウェブサイトは我が子のようなものだ。財産でもある。自分が死んだら日記を子供に譲るという人がいる。私は日記をつけていないが、子供たちに私のウェブサイトを読んでほしいと願っている。人生の参考にしてほしいと思うし、参考になるだろうと思う。自意識過剰か(笑
亡くなった栗本薫の「グイン・サーガ」が130巻累計で、400字詰め原稿用紙で52,000枚という。現在はワープロソフトで文字を書くのがデフォなので、400字を原稿用紙1枚と換算するそうだから2,000万字である。一冊に製本されていないとかでギネス記録にはなっていないとのことだが、現実的にこれが世界最長の小説らしい。
私のウェブサイトにアップされた文章を数えたら1,637万字だった(注3)。原稿用紙4万枚になる。最近は年80万文字、原稿用紙2,000枚のペースで書いているからあと5年でグエン・サーガを追い越せるじゃないか。
いやいや栗本薫はグエン・サーガだけではない、栗本薫の全仕事を超えることは不可能だね。
思えば遠くに来たもんだ
18年間を振り返ると、このウェブサイトを作っていたおかげで私は幸せだったと思う。
年を取ると先が短くなると感じることが多い。だけど振り返ると積み上げてきたものだって大きいことを知る。日記とかウェブサイトなどの形でないと、自分のしてきたことを実感しにくいだろう。
私を自信過剰の爺と思いますか?
私の大好きな杉良太郎は言いました。
「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」
いよ、男前!
私は億のお金も持っていないし寄付はしてもボランティアはしていません。でもネットでも行動でも日本を良くしようと頑張ってます。ですから言わせてください。
「ああ、自慢話ですよ。自慢するために情報発信し実際に動いているのです。あなたも自分が思うことを情報発信し自慢したらいいんですよ」
注1 | |
CPMとはデジタルリサーチという会社が、1976年にリリースしたパソコン用のOSである。我々がパソコンを使い始めた1970年代末はマイクロソフト社のBASICだった。しかし業務用のパソコンは1980年以降はほとんどCPMで動いていた。もっともあっという間にMS-DOSがとって代わった。
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注2 | |
CWとはコンスタントウェーブの略で、モールス通信のこと
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注3 | |
2019.08.12時点の文字数
文字数を数えた方法
エクスプローラーでhtmの拡張子のファイルサイズを把握する。全部で5256ファイルでその容量が65.5Mバイトであった。
次に20個くらいファイルを抜取り、ブラウザで表示させこれをコピーペーストでWordにテキストのみ張り付けて文字数を表示させる。このファイルサイズと全体の容量から全体の文字数を推定した。
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ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2019.08.15)
18年ですか。長い間、本当にお世話になりました。
って、過去形ですが、これはもう縁を切るという意味ではなく、審査や認証維持において昔のように注ぐ必要も意味もなくなったということです。ありがたや。ありがたや。
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ぶらっくたいがぁ様
たいがぁ様にも大変お世話になりました。これからは世のため人のためにできることをしたいです。
とはいえお世話するよりもお世話されることが多くて、人間出来ていません。家内には昼飯くらい自分で作れといつも叱られております。
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