「森林飽和」

2019.04.22
お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたいという方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。


書名著者出版社ISBN初版価格
森林飽和太田猛夫NHK出版97841409119382012/07/301100円

タイガーウッズは2019年4月14日、アメリカ・ジョージア州オーガスタのマスターズ・トーナメントで優勝した。既に過去の人と見られていたタイガーウッズの復活を、 ゴルフ 同じ中高年の一人として大いに喜びたい。
といっても彼と私は大違いだ。まず私の歳は彼の倍だ。それにウッズの財産は865億円といわれているから、年齢と違い彼の財産は私の1万倍だ。
要するにウッズと私は過去の人だと思われていたということだけが同じか…しかし彼は過去の人ではないことを実証したが、私は過去の人であることは明白だ。
つまるところ、彼を私は大違いということになる。ガックリ

まあ、それはともかく…
ゴルフ発祥は諸説あるがイギリスというのが多数説だ。とりあえず少数説である韓国発祥は、無視することにして話を進める。
歴史にゴルフという語が登場するのは、貴族が武道の鍛錬を怠りゴルフに溺れるのが多いため、1457年にイギリス国王がゴルフ禁止を布告したのが初出だそうだ。ゴルフという遊びあるいはスポーツが古(いにしえ)より人を 魅了し狂わせてきたのは間違いない。
ゴルフが爆発的に広まったのは19世紀にイングランド(イギリスの南地方)にゴルフ場が多数作られてからという。そして今は世界中に広まっている。

ここからは同僚から聞いた話だ。
イギリスでゴルフが広まったのは、産業革命で製鉄のために森林を切り開いたからという。
産業革命を三行でいえば、18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで起こった蒸気機関による人畜からの動力源の革新、それを使った工場制機械工業の成立、蒸気機関による交通革命、その結果としての社会的大変動である。

ゴルフ 産業革命は、生産財にしても消費財にしても構造物にせよ、材料が木から鉄に変わりつつある時代だ。そして鉄をつくるには加熱するにも還元剤としても木材が使われた。木材の代替えに鉄を使うのに、木材の消費も大幅に増えた時代である。製鉄に石炭が使えるようになったのは、石炭の中の硫黄の対策ができてからになる。
そのためにイギリスの森林はどんどん切られ、日本と気候風土が違うイギリスは、木が切られた後、自然に森林が再生することはなく草原が広がる一方だった。
そして木が切られ再び森林とならない草原で、ゴルフが始まりそして広がったという。

ロビンフッドの物語は13世紀頃から語られていたそうだが、「森を守る人」というイメージは19世紀に成立したという。まあ、「森を守る人が現れるのは守るべき森がなくなったとき」というのは、パラドックスではなく人の世の正常である。
何かでイギリス人が書いた「イギリスでは草原をゴルフ場にするが、日本は森林を切り開いてゴルフ場にする、あゝもったいない」というのを読んだことがある。
ともかく製鉄はイギリスの森林をすべて使いつくし、欧州に伝染しドイツの森林を食べ尽くさんとする前にアメリカに移り、そしてコークスの使用によって森林浸食が止まったというのは事実だ(注1)

そんなお話を聞いて、バカな人もいるものだと私は思っていた。
そして北朝鮮が食糧増産だと森も山もどんどん田畑に開墾していったせいで森林がなくなり、保水力のない土壌が流され残ったのは禿山ばかりというのを聞いて、アハハハと笑っていたのは私ですと白状する。
だって日本はそんなバカなことをしなかったと思っていたから。

注記: 「禿山」とは人為的とか火災によって草木が失われた山/土地ではなく、「土壌が失われ草木が生えない山/土地」という定義もあるそうだが、ここでは一般的に使われている「草木が生えていない山/土地」を禿山と呼ぶ。

しかしそうではありませんでした。
古来より日本人も木を切り山を開いて田畑にし、その結果、禿山をどんどんと作っていたのです。
そんなことを環境を仕事にするようになった50過ぎになって知りました。環境といっても私の仕事は、企業で廃棄物処理とか危険物管理とか公害対策とかであり、環境保護とか森林保護をしていたわけではありません。しかし自分の仕事の周辺というか関わることを勉強するというのは当たり前ですよね。

白砂青松
さて富岳三十六景など浮世絵に現れる日本の風景はすべて禿山。写真が取られるようになった幕末から明治初期の写真に写る風景は禿山とか草山ばかり。うっそうとした森などは人里離れた本当の山に行かないとなかったらしい。
このような禿山を日本人は150年かけて緑の山にしてきたわけです。

ところでここ30年くらい里山ブームである。私が最後に働いていた職場はもちろん環境部門だったが、そこでは植林とか里山保全などに意識高い()人たちが多く、毎年何回か下刈りとか植林に行っていた。
私も誘われたが「私は田舎では下刈りなどに毎年義務で参加しておりまして、都会に来てやっと解放されました。もうしたくありません」と言って一度も参加したことはありません(キリッ

実を言えば……田舎で下刈りとか山道のメンテナンスをしていたのは本当です。
我が一族の土地は伯父が相続したが、伯父一家は東京に出て行って年に1度も田舎に帰ってこない。田畑は3年も経つと元の雑木林になります。それで私のオヤジが山が荒れては他に迷惑だと道路とか境界などを毎年二三度手入れしていました。オヤジが体が利かなくなってから私が引き継いだわけですが、オヤジが死んで間もなく伯父の息子(私の従兄弟)がその土地を工業団地に売ってその仕事はなくなりました(ハッピー)。
もっともその土地を売ったお金は従兄弟の懐に(以下略)

ともかく里山保全なんて聞くと、そういう田舎の現実を知らない人の偽善の臭いを感じてしまうのは私だけでしょうか?

ところで日本の風景というと、里山だけでなく白砂青松というイメージですかね?
私も日本人ですから、松島、天橋立、安芸の宮島を始め、五浦海岸、九十九里浜、三保の松原などに行きました。そして芭蕉のようにきれいだと感じたわけですが…
確かに見た目きれいですが、生産性…いやお金じゃありません…森林としての生産性は高くないように思います。

白砂青松とは日本古来というか本来の姿ではないと書いた本もある(注2)
松はやせた土地にしか生えないという。というか逆である。肥えた土地には種々の木々が生え、良い場所を取ろうと激しい生存競争の場となる。そこの生存競争に負けた松は、肥えた土地にいることができず、他の木々が避ける痩せこけた土地にしか生えることができなかったのだという。 マングローブ林
ちなみにマングローブが最近魚の住みかと生物多様性などでもてはやされているが、これも某学者が語るには、普通の土地での生存競争に負けて塩水の土地で生きていかざるを得なかったにすぎないという。
そんなことを聞くと、夢も希望も無くなってしまう。

おっと、話がそれる一方である。
白砂青松とは自然にはあまりないというか、人間活動によってできた風景だ。大地があり、長い年月で土が作られ、その土に植物が生え、長い年月によって腐植土が作られ、草地から灌木、喬木となり森林が作られる(注3)
もちろん気候と土質と他の生物(主には人間)の干渉によって最終的な極相は異なれど、ともかくそういう流れになる。

森林に覆われた大地は雨が降っても土の流出は少なく栄養分も固定される。よってそこから流れ出る水も土砂などをあまり含まない。そして下流への土砂の流出は抑えられ清流が維持されることが多い。その結果、海岸には大きな砂浜ができることは少ないという。
ちなみに海岸の砂はほとんどが上流からの土砂が風化した砂粒で、海底から打ち上げられるものは僅かであるそうだ。
南海の島々の真っ白な砂浜というのはサンゴ礁の砕けたものだが、そういう砂浜は全体から見ればごくわずかだという。もちろん日本ではサンゴ礁の海岸などは、沖縄とか大昔のサンゴ礁である山口県の日本海側など、ほんの一部しかない。

ちょっと待ってくれ、じゃあ、白砂青松の砂浜は一体どうして存在するのか?
決して神が「乾いた地が現れよ(創世記1・9)」と命じたからではない。
上流で岩石が崩壊し、長い時間をかけて流路を旅して来て細かくなったものが海岸に堆積したものなんだそうです。そしてその土とも言えないような痩せた土地に生存競争の敗者がたどり着き、ねじくれて生えたのが白砂青松なのです。
いやあ〜長かったですね。

ということは白砂青松の砂浜ができるためには、人間による森林伐採があって、そこから岩石/土砂が流れ、長い年月で砂粒まで砕けて堆積し松しか生えない生態系ができたということです。
天女の羽衣のお話は大昔にできたのでしょうけど、そのはるか前から人間が森林伐採をして自然破壊をしないと天女が羽衣をかける松がなかったというわけですから、これは大変です。
なにが大変なのかはわかりませんけど……

さて海岸で砂浜が痩せている、海水浴場が商売あがったり、農地や住宅地が海に侵食されるという問題がだいぶ前から言われている。それはダムを作ったからだとか、防砂ダムのせいだ、下水道の大規模化による河川水の減少だとか諸説叫ばれてきた。
この本「森林飽和」は、そうではない、森林が増加して流下する土砂が減ったからだという。ダムが作られたこととか、流路を整備したとかさまざまなこともあろうが、最大の理由は森林が増え、森林飽和したことが根本的な原因だと唱えている。
私は環境担当であったといえ廃棄物処理とか危険物管理などの担当であるから、この本が真実なのか否かは判断付かない。ただ他の説よりははるかに信用できると考える。
もはや信仰とか宗教となったと思われる里山信仰が、たった30年の歴史しかない妄想であるということを思うと、白砂青松もたった2000年の異常な姿のように思える。

里山

わかんねー
里山という言葉が出たついでに、ひとこと言わねばならぬと思う。
多くの意識高い()人たちは、古来から日本人は山を大切にして柴刈りとか山菜とり木の若芽を取り、大切に育んできたのが里山だという。ほんとうか?
私は里山という言葉を聞いた記憶がない。都会に来て働いた会社ではじめて里山とか里山保全という言葉を聞いた。
私が子供の頃、遊んだり大人の手伝いをした林というか山というイメージと語られる里山のイメージは大きく異なる。もっとも、私がオヤジから引き継いだ山は里山じゃなくて農地の跡地だったけどね、

そもそも私のオヤジ、つまり明治末生まれの人が里山という言葉を使ったことがない。オヤジが産まれ暮らした集落は川沿いに田んぼがあり、本家はそこを耕し、分家はそこより山際の少しの田んぼと畑を耕し、末裔のオヤジの家は開墾と呼ばれる雑木林の中のほんのわずかな平地に畑を作り水があれば6畳くらいの田んぼをいくつか持っているというのがテンプレであった。
開墾を取り囲む雑木林は、見知らぬ流れの炭焼きが一定範囲の上物うわものを買い、炭焼き釜を作りそこで数か月炭焼きをして買った山を禿山にすると去っていくところである。
昔ではない。1980年代のことである。炭焼き釜までは軽トラが入れる道を作るので、私の娘は幼い頃、そんな人のところで炭焼きの手伝い(お邪魔)をして遊んでいた。
木 そこには野ウサギ、野鼠、リス、などがいた。狐とかタヌキはいない。ただそんなところでタキギ拾いとか山菜取りをした記憶はない。田畑、開墾以外は気軽に入れるようなものではなく、危険なイメージがあった。
私の周りには意識高い人たちが思い描く里山はなかったようだ。
意識高い人が思い描く里山とは、地植えの盆栽なのだろう。しかし考えてみればわかる。家庭の庭のように手をかけては投資対効果があるわけがない。意識高い人の思う里山は山ではなく、庭園なのだ。

ところで沖縄に観光旅行に行ったとき、強い雨に降られたことがある。側溝が飲み込めない水が道路にあふれ10センチも20センチも冠水していた。冠水で走れないバスの中でそれを眺めて良い体験だと思った。
驚いたのは、農地たぶんサトウキビかパイナップル畑だろうけど、そこから流れ出た泥水だ。それを見て海に入るとサンゴ礁がと心配する意識高い人もいるだろうけど、私は農地の土がもったいないとしか思えなかった。沖縄の農民は雨に流れる農地を惜しまないのか?

黄砂が飛んできて韓国も日本もタイヘンダーというのは毎年のことだ。しかし見方を変えると中国の貴重な土が風で失われるのは、中国農業を破綻させると中国の為政者は考えないのか? 中国の農民は考えないのか?
ちなみに黄砂の量は年間数億トン、日本まで飛んでくるだけで数百万トンと推定されている(注4)毎年その分だけ中国の農地が減っていると思うと、貧乏性の私は居ても立っても居られない。
中国の為政者は軍拡なんかより、土を大切にした方が未来の子供たちのためになる。それとも農地の劣化を諦めて、外の国々を攻め取って自分たちのものにするという選択をしたのだろうか?

しかしとまた妄想は続く。
江戸時代とか戦国時代の書物に出てくる木曽川とか利根川の姿は、荒れ川というか気まぐれに流れを変え蛇行していく。治水は領主の重大な仕事だった。
当然、そこの生態系も嵐が来るたび行き当たり場当たりに変わる。
それが自然であり、その結果、種の栄枯盛衰はランダムに起こったという現実をみると、ラブロックのガイア仮説など妄想でしかない。自然界が行き当たり場当たりなら、人間も行き当たり場当たりのことをしても、どってことはないように思う。

鳥取砂丘で昔は緑化しよう、農地にしようとした。今は緑化を止めよう、砂丘を保存しようとしている。食料不足の時は農地が正義であり、観光が盛んになれば砂丘が正義である。人間ってそんなものだ。
要するに森林飽和しようと砂漠化しようと、神の御心の範囲内ではないのだろうか。いや神は気にもしないだろう。
自然保護とか生物多様性などを語ることは、被創造物であることを忘れた神への挑戦であり、神罰が下るだろう。
あっ、私は神を信じてないけど…

思うのだが……
神のご意思は、カオス…永遠に無規則に続く混乱…エントロピの増大ではないだろうか。
文化とか文明といっても所詮大海のうねりのようなもの。進化だ進歩だと語ってみてもほんのいっとき規則性が見えただけ。神 言い換えると自然の本質は、エントロピ増大だ。もちろん行き着く先は熱的死

えっ、森林飽和はどうなったのかだって?
これは「森林飽和」を読んで私の頭に浮かんだ妄想を書いているのです。「森林飽和」の書評とか感想文は人により違います。あなたの書評はあなたが考えるべきでしょう。
読むのに2時間半、妄想に1日、暇つぶしには最適です。

濡れ落ち葉 本日の妄想
タイガーウッズに倣って、私もまだまだいけると証明せねばならない。
昨日、壊れた部屋の照明を交換した程度では……


参考図書
注1
「鋼の時代」中沢 護人、岩波新書、1964

注2
「草地と日本人」須賀 丈他、築地出版、2012

注3
「土とはなんだろうか?」久馬一剛、京都大学学術出版会、2005

注4


わずー様からお便りを頂きました(2019.06.17)
お元気そうでなによりです!
時々”独り言”をのぞかせてもらっております。
佐為さん、いやオバQさん、とても面白く楽しませていただいております。ありがとうございます。
私は以前(今もですが)擬木の会社に勤めておりまして”偽物”と”似せたもの”の違いが性悪説と性善説くらいかけ離れているのではないか、と言う説を唱え続けております。進士五十八という偉い先生が”擬木は子どもの感性をダメにする”と仰って、その反論を準備してきたのですが、もうそのお話はどうでも良い世の中になってしまいました。ところで”里山信仰”に対し厳しい姿勢で臨まれているのを拝見し”わが意を得たり”という気分になり嬉しくなったので励ましメールを送らせてもらいました。カエサルが喝破したように見たいものしか見ない人間に見方を強要して洗脳する情報過多の世の中、ちょっと立ち戻って客観的な状況把握から自分の頭で判断しようとされる姿勢に共感します。(勝手な判断ですが)
どうぞお体を大切に、これからも怪しい原理主義者を鈴之助のごとく打ちのめしてやってくださいませ。

わずー様 お便りありがとうございます。
擬木で覚えておりました。前回いつお便りをいただいたのかとみましたら、なんと2007年2月24日、実に今から12年前でございます!
私は虚仮の一年と言いますか、年寄りのボケ防止、腹膨れるのを予防するためにいまだに進歩なく言いたいことを書いております。
進士五十八先生とはお名前しか存じ上げませんが、とってもえらいってのはよく分かってます。
わずー様は直接教えを受けたのでしょうか? そうならとんでもない幸せ者ですね。
私は教条的な里山信仰ハンターイというわけじゃありません。以前書きましたが私も田舎出身で年に二度くらい集落の下刈りとか山道の整備に駆り出され汗だく、埃だくになっていました。
都会に出てきて、同僚が植林だとか間引きとかのボランティア()に周りを誘っていくのを見て、ちょっとそういうお遊びにはついていけないなと思っておりました。
それはともかく職場は環境部門だったので意識高い人ばかりで、里山保全とか話題になっていました。
不思議なのですが、私が子供のとき里山なんて言葉使いませんでした。それに薪を拾ったりしませんねえ〜。薪が必要なら雑木林の範囲を決めてバッサリ伐採してました。数年すればまた薪になる程度に育ちますから。世間で言われるようなこまめに手を入れる里山がほんとうにあったかどうか私は知りません。

頂いたメールアドレスにお送りしましたが、エラーで帰ってきました。
私のメールアドレスで弾かれたのかもしれません。


わずー様からお便りを頂きました(2019.06.19)
返信ありがとうございました
佐為さま
もう12年も前のことを記憶されてるとは、ボケるどころか博覧強記!自分自身何を書き送らせてもらったのか全く覚えておらず恐縮しております。
ちなみに進士大先生は偉すぎて近づきたくもないような方です。シンポジウムで国交省のお役人にも上からモノを申されているのが印象的でした。
ついでに”偽物VSにせたもの”考について少し。”偽物”は他人を騙して自己の利益を求める利己主義からくるもの、”にせたもの”は他人への思いやりを形にした利他主義的な思想が根底にあるもの、という考え方です。”擬木”は”木”の偽物だから感性をダメにするという思想をばら撒いた影響力の大きな大先生に蟷螂の斧で立ち向かおうとしていて創ったお話です。そこでは大先生のような方は「”た”ぬき」と呼ばれ味噌糞一緒の食事をされる方々と見なされています。そういえば12年ごろ前に「たぬき」さんがよく投稿されていたような。。。
メールがはじかれたとのこと、お手数おかけして申し訳ありません。スパムはいろいろ入ってくるのですがはじく基準は見当がつきません。
そんなことより長くぶれずに続けておられていること、ふらふらしている私にはまぶしく恥ずかしさを覚えるほどです。一念発起せずんばなるまい。
どうぞお元気で!

わずー様、毎度ありがとうございます。
12年前なんて覚えているわけがありません。朝に何を食べたのか、いや朝飯を食べたのかどうかさえ忘れるようになってしまいました。
種明かしをすれば、更新簿のページにある検索窓にキーワードを入れて、サイト内検索をポチとするとあっという間でございます。
しかし12年は干支が一回り、長い時間です。その長い時間、バカなことを語っていた私は虚仮の一念でしょうか。たぬきは今も元気ですが、ネットの活動より実際の活動に努めているようです。私もネットよりもリアルのデモとかビラ配りなどをしております。なかなか民主党とその後継はしたたかで滅びそうありません。まさにゴキブリです。
しかし蟷螂の斧では奴らの大声に負けそうです。
あと15年、自分の足で歩けるうちは日本のために頑張りましょう。似非環境保護と戦うのと、革新を名乗りながら単なる中国の手先がはびこるのを止めたいです。


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