異世界審査員142.視察団その5

19.01.14

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

今日は視察団と受け入れ側の懇談会である。お互いに言いたいことや依頼事項があるだろうと毎週 半日ほど入れてあるのだ。
今日は内務省の会議室で双方とも勢ぞろいだ。ジョーンズ教授から伊丹に特許権購入とか技術指導などの問い合わせがあり、中野に伝えたところ中野も出席することになった。

ジョーンズ教授
「当初の予定にはありませんでしたが、私どもの要望で急遽 貴国の先進工場見学や技術者との懇談などをセッテングしていただき、ありがとうございました。
大変に参考になりました。拝見した中には是非とも取り入れたいこととか、特許権のことを知りたいこともあり、本日はそういったことのざっくばらんな話がしたいと思います」
中野
「視察団の皆様のご期待に応えられたようで大変うれしく思います。まずはどのようなものが珍しかったとか感想をお聞きしたいですね」
ジョーンズ教授
「工作機械も計測器も高精度であり理論や構造が革新的で驚きました。しかしやはり一番驚いたというか感動したのは働く人たちの知識・技術水準が高いということですね。それは教育制度が優れていることだと思いました」
中野
「はて知識と技術と仰ると?」
ジョーンズ教授
「製造現場で働いている人たちが対数も知っている、三角関数も知っているということです。しかも筆算はもちろんソロバンや計算尺を使った計算が自由自在だ、これはすごい」
中野
「評価いただきありがとうございます。でも皆さんにご覧いただいたところは我が国でも先進の工場ですから、どこでもそうではありません。この国の人たちは俗に読み書きソロバンと呼ぶ最低限のリテラシーは学校で習いますが、実際に使いこなす人は一部でしょう」
ウィルソン教授
「いえいえ、驚きましたわよ。真数が対数表にないとき補間して計算するのも慣れているようです。ともかく計算することを億劫がらないことに驚きました」
中野
「あまりお褒め頂くと後が怖いですな」
ジョーンズ教授
「技術的なことで細かなことも含めいろいろと入手したいのだが、こちらの専門書とか技術論文などを入手することはできますか。いや我が国の大使館に依頼すれば取り寄せることは可能でしょうけど、探すことも難しいと思いますので、こちらがリストを作ってお宅様の方で揃えていただけたらと思いまして」
中野
「市販されているものならリストのものを揃えるのは簡単です。大使館の方に入手方法をお伝えしましょう。
特許や企業機密になっているものは、わたしどもではなんともしようがありません」
ジョーンズ教授

「工作機械とか工具類、刃物類は入手できますか?」
メタルソー
注:刃物とはバイトとかメタルソーなどのこと

中野
「ほとんど市販品だと思います。でも商用電源も違いますし、我が国はメートル法で貴国はヤードポンドと親ねじも違いますから、向こうで使えるのかどうか」
ジョーンズ教授
「ええと、我々の内部で打ち合わせしておるのですが、技術者を指導のために派遣とかも依頼できるものですか?」
中野
「今回は品質保証の第三者認証の調査ということになっております。この場でというのはちと筋違いかと」
ジョーンズ教授
「そうでしたな。それじゃ、品質保証のために整備する条件としてこちらのリストの書籍や論文そして現物の入手方法についてのご教示をお願いします」
伊丹
「了解しました」
ジョーンズ教授
「以上で打ち合わせは終わりですが、我々としてはいろいろな技術を入手したいと考えております。カテゴリーとしては多岐にわたります。工作機械、刃物類、計測器、計算器具、職工レベルの教育方法、現場技術者の教育など、そういったものを包括的に技術移管をするということはできませんか」
ウィルソン教授
「実はね、中野さん、品質保証の認証制度ということで調査いたしましたが、結局は固有技術が高くないと品質保証まで至らないということを実感しました。
今、品質保証とか認証制度を導入しても、我が国の製造業の発展も経済の好転もありませんね。要するに大事なのは固有技術でしょうね。管理技術は刺身のツマ」
中野
「刺身のツマではなく実効はありますよ。でも固有技術がある程度のレベルになってから管理技術が重要になるということですかね」
ジョーンズ教授
「そうそう、それだ。ともかく我々の結論としては品質保証の第三者認証を持ち帰るよりも、貴国の優れた固有技術を導入することが重要だとなった」
中野
「じゃあ、それを今回の視察の結論として報告したらいいじゃないですか」
ジョーンズ教授
「おお、言われてみればそうだな。我々が先走って余計なことをしてはいかん」
中野
「そのときはまたいらっしゃい。ただ固有技術となると特許とか企業機密などが関わりますから、工場をご案内するのも技術移管も簡単ではないかもしれません」
ジョーンズ教授
「対価が問題ということか」
伊丹
「発言してよろしいですか。
ええとですね、工作機械などは市販されており国内では購入できます。但し輸出する場合には、我が国では輸出審査制度があり、同盟関係にない場合は輸出可否が審査されることになります。
プラスねじ
もっとも武器関係はどこの国でも外国に売らないは普通です。
それと耳にしたところでは十字ねじに関心があるとのこと、これは私どもが貴国で申請中です。その他、刃物材料などは既に貴国で特許を取得しているものもあります」
ジョーンズ教授
「なるほど、じゃあその状況について調べていかねばなりませんな。明日以降でも、我が方の作成したリストについての打ち合わせをしたいのですが、対応をお願いできますか?」
中野
「伊丹さん、対応してくれるかい?」


それから数日は、内務省の海老沢と伊丹夫婦が視察団メンバーと移管希望のリストの打ち合わせを行った。このようなことにドロシーや宇佐美まで顔を出すまではない。伊丹夫婦がいれば間に合う。

ジョーンズ教授
「やれやれ、なんとか終わったね。あとはこれらの調達を大使館に依頼すればいいわけだ。
しかし伊丹ご夫妻はなんでもご存じなのですな」
ホワイト技師
「そう言えば宇佐美さんのところの計測器類のアイデアの多くは、伊丹さんの発想とお聞きしました」
アンダーソン技師
「品質管理とか品質保証の発想も伊丹さんだそうですね」
伊丹
「いえいえ私が何をしたというわけではありません。そもそも技術というものは一つだけ突出して進歩することはありません。すべてが関係しあって進歩していくのです。
例えば計測器を考えればわかります。製品を作る上で必要ないなら、高精度の計測器を作ろうと思う人はいません」
ホワイト技師
「いやいや、誰もが今までよりも高精度の計測器を作ろうとしてますよ、長さでも重さでも電気関係でも」
伊丹
三面等価 「それは必要があるからです。必要というかいくつかの要素が関連しあっているわけで、そのひとつに計測器があるのです。
私は三面等価と呼んでいますが、測定精度と加工精度そして寸法公差が一体となりスパイラルアップしていくわけです」
ホワイト技師
「ちょっと待って、考えさせてくれ。なるほど部品の互換性や組立品の性能などの必要性から寸法公差を厳しくしたい、そのためには加工精度の高い工作機械を開発しなければならない、そしてそれを測定する方法が必要というわけか」
伊丹
「それは計測器だけでなくすべてにおいて同じです。例えば飛行機はどんどん性能は向上します。しかしそのためには幅広い技術が必要になり、ものすごくすそ野が広い。どれが欠けても山は高くならない」
ジョーンズ教授
「伊丹さんは何を言いたいのか?」
伊丹
「飛行機でも工作機械でも、ものすごく幅広い技術や技能に支えられているわけです。いつまでも我が国から買っていくならともかく、貴国で作ろうとするならその広いすそ野を高くしなければ山頂は高くなりません」
ジョーンズ教授
「すそ野といってもちょっと想像つかないな、工作機械だとどんなものがあるのかね?」
伊丹
「例えば高精度の親ねじが必要です。フレームも高剛性でなければならず、とはいえ単純に重く頑丈に作ってもしょうがない。そのためには、たわみや振動のない設計技術と鋳造技術、その他、軸受け、潤滑、切削油などたくさんありますね」
ジョーンズ教授
「なるほど・・・そういう技術がなければ工作機械は進化しないということか」
伊丹
「私たちは今の機械を作るために20年近くかけてきました」
ジョーンズ教授
「20年とは?」
伊丹
「扶桑国がサムライの国から皇帝が治める国になったとき、西洋文明を取り入れるという方針に変わりました。とはいえあまりにも大きな技術格差があり、先人は途方にくれました。
大砲 扶桑国がロシアとの戦争に負けたのが25年前、富国強兵なんて言いますが、掛け声だけでは何もできません。弾薬が不足していたなら弾薬の生産をどうするかとなりますが、一つの技術とか工場を作れば間に合うわけではない。物を作るための技術のすそ野が多岐にわたるなら、それらをひとつずつ育てていくしかありません。
そういう計画を立てて改善を図ってきたとき欧州大戦が起きました。あのとき扶桑国は直接軍隊を欧州に送りませんでしたが、弾薬の供給や大西洋の潜水艦戦には参戦しています。
その頃から少しずつ成果が表れてきました。そして固有技術が一定水準に達したときに品質保証という発想が生まれました。
それには計算する道具も必要です。品質管理には数値化と計算が必要で、計算ができないと統計処理ができません。計算尺の改良や数表の使い方教育というものがされました。
段々と整備されて来たとき関東大震災が起きました。
そして関東大地震からの復興工事の調達において品質保証の第三者認証というものが考えられた。
要するに第三者認証とか品質保証というものが初めにあるのではなく、過去からの積み重ねがある程度の高さになったときに、それを一層効率よく動かすための方法を考えたということでしょう」
ジョーンズ教授
「なるほど、ということは我々が今すべきことは、さまざまな加工法における固有技術を向上させるということになるのですな」
伊丹
「もちろん全部を開発するなんて無理です。一部は輸入するとか特許を買うのもあるでしょう。ただ総合的に技術が上がってこないと次に進めません」
ウィルソン教授
「でも産業に従事する人の能力向上も重要です。教育はどうしたのでしょうか?」
伊丹
「そりゃ技術がすそ野が広いというなら、人間の能力向上もすそ野が広い。これだけ教えれば良いなんてことはありません。
機械加工をする職工であっても、単なる読み書きソロバンだけでなく、教養というか音楽や絵画とか健康と体力作りのスポーツも必要です」
アンダーソン技師
「職工に絵とか音楽が必要とは・・・」
伊丹
「良いレンズを作るには、写真に興味のある職工の方が上達するでしょう。良い音質のラジオを作るには音楽好きな職工が向いていると思いますよ」
ウィルソン教授
「教育も包括的でないとならないということね」
幸子
「発言してよろしいですか?」
ウィルソン教授
「どうぞどうぞ」
幸子
「教育というのは健全な国民を作ることですね(注1)もちろん教育するのは家庭もあり隣人たちもありますし、学校は学校の役割があります。
それで私たちは学校では数学と論理的な考え方、そして倫理観というものを教えようとしています(第48話)」
ウィルソン教授
「倫理というと?」
幸子
「勤労を尊ぶ心や、向上心を植え付けるといいましょうか」
ホワイト技師
「えぇ!、そういうものが工業発展に必要なの?」
ウィルソン教授
「我が国だってそういった価値観はピューリタンからの伝統ですよ
ともかくそういう下地というか教育をほどこさないと、論理性とか遵法精神だけではいけないということね」
幸子
「そう考えています。だからそういうことを教育しているわけです」
ウィルソン教授
「ちょっと、ちょっと。幸子がそういう教育制度を作ったわけ? 幸子はどういう立場なの?」
幸子
「私が作ったのは制度ではなく、方針とカリキュラムというべきでしょうね。ここは政策研究所で、私の仕事は政策を研究することです。もちろん政策の決定は議会、実施は行政機関です」
ウィルソン教授
「つまり幸子はこの国を動かしているということ?」
幸子
「私は国を動かす人たちへ提言するのがお仕事」
ウィルソン教授
「幸子は私たちの相手をするようなお方ではなかったのね」
ジョーンズ教授
「伊丹さんはどんな経歴なのですかな?」
伊丹
「元は電子技術者でした。でもそれははるか昔のこと。歳をとって第一線で新しい技術に追いつけなくなり、品質保証とか改善活動をするようになりました。その後、そういった経験を基にコンサルタントになったわけです」
ホワイト技師
「何をおっしゃいますか、お聞きしましたが計測器や製造方法を考案したとか、伊丹さんのアイデアがすごいですね」
アンダーソン技師
「ドクター・フジタを指導されたとか、伊丹さんはダビンチのような万能の人ですね」
伊丹
「アハハハハ、この国では"何でもできるは何もできないと同じ"という言い回しがあります。特段優れた特技がないので、いろいろな仕事をしないと食べていけません。
個人的なことはともかく、我が国の置かれた状況と将来を案じれば、自分のできることでこの国に貢献しようしたわけです」


解散した後、ジョーンズ教授とウィルソン教授だけが残っていた。

ジョーンズ教授
「ウィルソン先生、伊丹さんを我が国に連れて帰りたい。あなたはどう思うかね?」
ウィルソン教授
「同感です。この国はいろいろと学ぶことがありますが、すべては伊丹夫妻から始まったとしか思えません。幸子は発想力とコーディネートに、旦那の方は固有技術に優れていると思います」
ジョーンズ教授
「奥さんの方は専門分野ってないんだろう、調整能力だけと思える。ワシには特段優れているとは思えないが」
ウィルソン教授
「国の政策を考える能力でしょう。」
ジョーンズ教授
「わざわざ教えてもらうようなことなのか?」
ウィルソン教授
「私たちにはできないのですから、教えてもらうしかありませんわ」
ジョーンズ教授
「どういうふうにして連れていくかだが」
ウィルソン教授
「伊丹さんがアメリカの工業を視察とか大学院に留学とかいうなら願ったりですけど、扶桑国に私たちが視察に来るくらいだし、彼の知識たるやアメリカの水準をはるかに超えているからありえません。
我が国のどこかの大学から教授として招聘するとか、政府機関の顧問とかで招聘できませんか?」
ジョーンズ教授
「政府機関だとこの国が首を縦に振らないかもしれない。無難なのは大学だろうねえ〜、工場管理とか品質管理という新しい技術を教えてもらうという理由で招聘することを考えようか」
ウィルソン教授
「どんな方法でも来年以降でしょう。大恐慌対策には間に合わないわ」
ジョーンズ教授
「今回の不況に間に合わなくても仕方ない。10年とか20年先に実が結べば良しとしなければ。この国でも20年かかったというし」

うそ800 本日の懸念
まさか伊丹夫婦を拉致するなんてことはないと思いますが・・・

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注1
学校教育法(要旨)
第二十一条 義務教育(中略)は、次に掲げる目標を達成する。
一 社会的活動、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公共の精神に基づき社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う
二 生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養う
三 国と郷土について、正しい理解を持ち、伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、外国の文化、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う
四 家族と家庭、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他について理解と技能を養う
五 生活に必要な国語を理解し、使用する基礎的な能力を養う
六 数量的な関係を理解し、処理する基礎的な能力を養う
七 自然現象について、科学的に理解し、処理する能力を養う
八 健康、安全な習慣を養い、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図る
九 音楽、美術、文芸その他の芸術について理解と技能を養う
十 職業の知識と技能、勤労の尊重、個性に応じて進路を選択する能力


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