*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
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1927年9月 政策研究所である。 今日、伊丹夫婦はアメリカの扶桑国領事館に来ている。もちろん例の通り道を使ってだ。 数日前に中野が伊丹夫婦を呼び、アメリカにいる石原が伊丹夫妻に相談したいことがあるというので会って来いと言う。 自室に戻ってからのこと ![]() | |
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「石原君が満州事変の作戦計画が見通しがついたから、我々に相談というか意見を求めるのだろうね」
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「私もそう思います」
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「彼に会う前に我々のすべきことはなにかな?」
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「まずは彼の話を聞いてからですが、とりあえず史実の満州事変の経緯の再確認、扶桑国が支援できること・できないことのこちら側の調整、我々の考えた作戦のまとめ、そんなところでしょうね」
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二人はそんな準備をしてやってきた。● ● 対面には石原だけでなくさくらがいる。さくらとは日本から異世界 扶桑国に来ていて取り残されてしまい、その後中野の養女となり、現在は異世界のアメリカに留学中である。 ![]() | |
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「おや、お久しぶり。もう3年になるかしら? お元気なの」
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「来た当初は食べるものが違って・・・なかなか馴染めませんでした」
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「あら、日本ではアメリカ流の食生活だったんだから、変わりないじゃない?」
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「アハハハ、おばさま、私たちが日本で食べてたのは現代のアメリカの食事ですよ。100年前のアメリカでは肉はぜいたく品です。お魚も新鮮とはいきませんから塩漬けとか」
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「なるほどなあ〜、じゃあ来た当初は辛かったでしょう」
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「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです |
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「でも扶桑国と比べれば男女同権でしょうし、なにをするにも自由でしょう。 車にも乗ってんでしょう |
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「おばさま〜、この国だって男尊女卑は変わりないわ。
![]() それに運転も楽じゃないの。パワーステアリングじゃないし、オートマチックトランスミッションじゃないし、エンジンは非力だし、パンクはしょっちゅうするからタイヤ交換も大変。 まあエンジン始動はやっとセルモーターになりましたけどね |
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「人種差別はない?」
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「ないとは言えませんけど、私がプリンセスってことは学内では誰でも知ってます。それに研究成果を見せつければ、皆ひれ伏すわ。臣下同然よ」
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「それならよかったわ」
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「それでさ、さくら、なんでここにいるの?」
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「実はさくらには満州事変のホッブス大佐の作戦研究のメンバーなのです。過去の研究論文を漁っていたホッブス大佐が、さくらの論文に感動して私に勧誘を命じたというのが真相です」
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「なるほど、石原・さくらコンビが戦争小説から、本物の戦争にステップアップしたわけね」
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「実は本日は私とさくらの立てた計画を評価してほしいのです」
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「そうだと思っていたわ。天才のお二人のことだから、完璧なのでしょうけど」
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「詳細はその書類なのだろう。持ち帰って検討する。 ここでは作戦目的とか設定条件を教えてくれないか。実を言って扶桑国でも様々な条件でシミュレーションをしている。だが条件をちょっといじっただけで結果は大きく違う」 ![]() |
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「扶桑国にはコンピューターがあるからいいですね。こちらには作戦をシミュレートする手段がありません」
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「君たちの作戦を持ち帰ってシミュレートして結果を後で連絡しよう。 で君たちの悩み事は何だ?」 |
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「大きな要素は扶桑国がバックアップしてくれるかということですね。 私は関東大震災のときの哨戒機を満州の上空において、中国軍の動きを把握して逐次 情報提供してもらうことを考えています」 |
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「なるほど」
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「それから無線機が欲しいの。もちろん電信でなく電話で、10キロから15キロは届くハンディタイプ。それから固定機で良いから300ないし400キロ届くもの」
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「周波数が違うね。15キロなら50メガでアンテナも6mか1.5mだな。300キロとなるとHF(短波)だけど安定した通信は確約できない。自然条件次第だ。 今ここで現物があるかどうか分からないから、帰ってから連絡する。秘密保持はどうするかね?」 |
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「検討させてください。破壊しても半導体素子が見つかれば重大問題なのはわかります。半導体が機密なら真空管を使って大きくてもいいと思うけど。 どうしてもコミュニケーションツールが欲しいのよ」 |
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「おいおい、今から真空管の無線機開発では実現できるかどうか見通しがつかないよ。まあ、考える。 石原君、その代償としてアメリカは扶桑国に何を提供するのだろう?」 |
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「実は私もホッブス大佐に問うています。明確な回答はありませんが、私はこれから実施される輸入規制や移民規制などから、扶桑国を除外することを提案しています。伊丹さんは何か案がありますか?」
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「はっきり言っておくけど、見返りが割に合わなければアメリカ支援はないな。そりゃ長い目で見ればアメリカがソ連の防波堤になってくれるという期待はあるけど、遠い将来がどうなるかあてにはならない。 ところで、アメリカが扶桑国から物資提供という要求はあるのかね?」 |
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「フィリピンから運ぶつもりです。もちろん事前にフィリピンに備蓄しておく予定です。 でも戦闘が長引いたときの補給とか負傷者の治療などの要請はあるでしょうね。 戦況が悪くなれば民間人も避難させたいでしょうし」 |
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「話が前後するけど、実施時期はいつ頃を予定している?」
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「史実の満州事変は9月下旬でした。9月では寒くなる直前ですね。11月頭には水が凍るそうです。ですから私は遅くても9月上旬開始すべきと具申しています」
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「当然来年のだよね?」
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「来年のワンチャンスしかありません。この期間を外せません」
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「アメリカの国内問題、失業、農地の劣化、市場確保の深刻さから考えると、ホッブス大佐は可能な限り早く事を起したいようです」
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「とはいえ、恐慌が本格化してまだ7カ月ですから、今年は時間的に間にあいません。あとひと月すれば霜が降り、氷が張ります。 冬は動けず5月以降でないと水ぬるみませんからねえ〜 |
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「聞き漏らしてしまったが、石原君は扶桑国の支援に何を望むのかね」
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「さくらが言った他に飛行機による輸送をお願いしたいなあ〜と。 作戦行動は鉄道線路が破壊されることを前提に、トラックによる輸送を考えています。道路とか途中の給油とかは既に手を打っています。 でも大連から860キロも離れたハルピンまでを考えると、トラックより先に1個連隊くらい飛行機で送りたい。事前にそれほどの人員を配備しておくのは差し障りがありますし、アメリカには大型輸送機がありません。そこで思い付いたのが大震災時の消防飛行機です」 |
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「なるほど、だが陸上機はすぐには用意できないな。関東大震災時の消防飛行機は解体してしまった。今実用化されているのは水上機だが、降りられるところはあるのかい?」
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「松花江なら幅数百メートルで直線2キロ以上確保できるところは何か所もあります。十分 離着水できると思います。 そうそう、冬季は河川が凍るので軍事活動ができないというのも9月中に実行する理由の一つです」 |
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「なるほど、河に降りたとして兵隊が岸まで渡る方法とか街までの移動手段はどうするね?」
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「それはアメリカ側が責任をもって対処します。例えば馬に乗るとか、馬車とか。ミシシッピの外輪船を持っていくこともできるでしょう。予め河川輸送用として持ち込んでおかしくありません」
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「パラシュート降下は考えないのか?」
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「降下の訓練が簡単にはいかないでしょう。秘密保持も難しい」
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「分かった。1個連隊というと1000人か、実施すれば史上初の空挺作戦だろう。 演習はするよね、どこでかな? フィリピンか」 |
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「満州はもちろんダメ、アメリカ本土も扶桑国から飛んでくるのが難しいこと、グアムは適当な河川がなく海しかない、そういったことから消去法でフィリピンになりますね」
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「我々が演習や実戦には観戦武官というか軍事顧問の派遣は良いのだろうね。我々としても片棒担いだからには絶対に成功させたいし、指導もしたい」
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「オイオイ、これから1年で新機種開発は時間的に無理だよ」
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「そうでしょうね。まあ、しかたありません。 哨戒機を高空に飛ばしてもらって、軍隊の状況は分かるのはいいのですが、それを叩く方法がありません。森林や草原にいる敵の戦車や兵士を航空攻撃ができればと思いまして」 |
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「考えは分かるがその用途のものが出現するのはだいぶ先の話だろう。史実でもあと20年近く経たないと登場しない」
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「わかりました、上を見ればきりがありません」
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「石原さん、先ほどの大型飛行機のことですけど、運用はどうするつもりですか? 実は私たちも同じことを検討してました。しかし飛行機を売却したくないので、パイロットや整備員込みで貸し出すのを考えているのです」 |
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「なるほど、確かに飛行機は重要機密だ。アメリカに渡って中身を調べられては大損ですね。 レンタルは思いつきませんでしたが、それがいいと思います。但し、そのときでも地上というか水上にいるときには調べられることは防げませんね」 |
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「まあエンジンをばらされるようなことはないでしょう」
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「じゃあ、ご夫妻の意見を非公式な扶桑側の考えとしてホッブス大佐に伝えてよろしいですか?」
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「実を言って、今までの話は中野さんが了解されている。 おっと、中野さんも帝太子が皇帝に就位されたので、今はその顧問だ。つまり大臣以上の発言権がある。そう理解してほしい」 |
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「まあ、それじゃ私は帝太子の養女になれば良かったかしら」
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「あら、その話あなたが断ったのよ。でも仮にそうなってればこの仕事はできないでしょう。それどころか外出もできず、自由に車を転がすこともできず。皇女なんて軟禁状態だよ」
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「ハイハイ、名もなく貧しい外国人留学生がお似合いです」
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「アハハ、そりゃ冗談が過ぎるよ。ラドクリフでさくらはお金持ちのお姫様と言われているんです」
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「誘拐とか心配だね」
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「今までは中野さんの指示で領事館がボディガードを派遣していましたが、ホッブス大佐がそれを知って、今は戦争省がボディガードを付けています。なにせ国際政治の天才少女ですからね」
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「24にもなって少女はないわね」
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「こちらでは東洋人は若く見えますからね。さくらがはたち過ぎとは思いませんよ。優秀だから飛び級したのだろうと見られてます」
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「分かった。今日はとりあえず第一回めだ。漏れとか変更とかは当然あるだろう。次回の打ち合わせは、今日の話を向こうであたって、それからシミュレーション結果が出てから連絡する。まあ、10日後だな」
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「さくら、この通路を通れば扶桑国にだから、ちょっと養父さんに会いに行く?」
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「うーん、今まで頑張ってきたのですからドクターになるまで行きません。実は私の指導教員は戦争省(陸軍省)とズブズブなの。まあこちらの大学は国家の使命(Manifest Destiny)を担う役割だから。 おっと、そういうことなので、指導教員は私が戦争省からの依頼を受けたことをお慶びあそばして、私のすることをぼかしてまとめればドクターにすると言ってますから大丈夫ですよ。あと1年ですね」 |
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「分かりました。そう伝えておきます」
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その数日後、伊丹が事務所にいると吉沢が顔を見せた。久しぶりだ。吉沢は既に定年を過ぎているはずだが、今も軍の研究所にいる。詳しいことは分からないが将官待遇だそうだ。初めて会ったときは中佐だったが、偉くなったものだ。● ● ![]() | |
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「お久しぶりです。お元気ですか?」
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「元気、元気、実を言って数日前に、ますます元気が出ることが起きましたよ。なによりも早く伊丹さんにお知らせしなければと思いまして」
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「なんでしょう?」
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「集積回路ができました」
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「ほう・・・・いつかはできると思っていましたが、予想以上に早い」
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「基本的に製造時の環境条件を作ることと、各種ガスが難題でした。 まだトランジスターや抵抗などの素子を並べて作れただけで、まともな回路を作ったわけではありません。でも個々の素子の動作は確認しましたので、これから実際の回路を作る予定です」 |
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「向こうの世界よりも30年進んでますよ |
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「まだ製造時のコンタミネーションの問題を解決しなければなりません。それができれば、なんでもできそうな気がします。 用途はまずはソロバン代わりの計算機と無線機を作ればあらゆる分野で即戦力になると思います」 |
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コリン・パウエル昇進記録 ![]()
![]() ちなみに昇進の早かった山本五十六が大将になったのは56歳、塩沢幸一が55歳。陸軍の今村均が57歳、山下泰文は58歳。東条英機は57歳で大将になったが、彼の場合は首相就任したことにより通常より早く大将へ昇進したわけで優秀さとは関係なさそう。 アメリカではチェスター・ニミッツが大将になったのが56歳。しかもニミッツは太平洋戦争が始まり急遽司令長官に任じるために大統領が少将から大将に昇進させたという例外中の例外である。 パウエルの昇進が速いのは間違いない。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 1989年の「魔女の宅急便」のキャッチコピーでした。 2014年実写版のキャッチコピーは「はじめましてキキですっ!!」 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本で最初に女性に運転免許が交付されたのは1917年(大正6年)9月27日である。この日は今「女性ドライバーの日」となっている。 この物語は今1927年だから日本にも女性運転手はたくさんいたが、一般の女性が運転して走っている状態ではなかった。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注4 |
この物語は今1927年であるが、ちょうどこの年にT型フォードに代わりA型フォードが現れた。 A型フォードからアクセル、ブレーキ、クラッチベダルというその後の標準的な配置になり、フロントガラスには合わせガラスを使用した。 セルモーターは1912年キャディラックに装備したのが初めで、1925年頃には一般化されていた。
![]() 第16回 アメリカ車:序章(4)1924〜1929年 アメリカのwiki Ford Model A (1927〜31) ![]() | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注5 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注6 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注7 |
前線の地上部隊と緊密に協同して偵察や観測および、要請があれば地上攻撃(近接航空支援)をも行うものを直接協同偵察機(直協機)という。直協機という機種の登場は1940年頃になる。
日本においては満州事変での体験からその必要性を感じて九八式直接協同偵察機を開発した。 第二次大戦においてドイツは多くの飛行機を直協機的な運用をした。それは欧州の戦場が大陸で双方の陸軍が相対しているなどの事情が太平洋の戦いと違うからだろう。 ![]() | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注8 |
集積回路のアイデアは1950年代前半だったが、ハイブリッドICもモノリシックICも1960年頃に発明された。 ![]() ![]() ![]() | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注9 |
第二次大戦中、零戦の無線電話はほとんど使い物にならなかったこと、小隊単位で無線電話が仕様可能であれば、戦力倍増と同じことになっただろう。山本七平の本に、大砲の間接照準のために前進している射撃指揮官は有線電話で連絡していたとあり、その電話線の施設が大変だった。そういったことに無線電話が使えたら電話線の破損とか通信者の発見を避けるなど大きな効果があっただろう。 単純に現在市販されている50Mから430Mくらいのトランシーバーを大量に持っていけば、第二次大戦の陸戦でも空戦でも格段の差が出るだろう。 ![]() | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
近接信管(VT信管)とは、砲弾が命中しなくても一定範囲内に達すれば爆発する信管。目標が地上なら地面に着いたとき爆発するが、空中では飛行機のそばを通り過ぎても爆発しないと効果がない。 いろいろ検討されたが、最終的にVHF電波を出して反射波を受けて15m以内となったとき爆発するものが使われた。1943年マリアナ沖海戦で使われたのが初めてである。砲撃の際の衝撃に耐えるため、金属製の真空管などが使われた。 地上攻撃でも空中で爆発させるために使われる。 ![]() |
おばQさま 軍隊は金が無いと動かないのですよね。 それは戦前でも同じですよね。 実際の歴史では「満州事変」など、関東軍の暴走を国会が掣肘する事は可能で当時の帝国議会でも問題になったのですね。 事変のおきた翌9月19日に若槻内閣の緊急閣議で南次郎陸軍大臣はこれを関東軍の自衛行為と強調したが、幣原外務大臣は関東軍の謀略との疑惑を表明。 24日の閣議では「此上事変を拡大せしめざることに極力努むるの方針」を決し、朝鮮軍司令官 林銑十郎は大命(宣戦の詔勅)を待たずに、満州への越境行動行動したことから、独断越境司令官などと呼ばれて非難されました。当時でも、国会や内閣が、軍の行動を統制出来ない事は、法的にも、世論から見ても問題であったのですね。一方の陸軍は、大正軍縮による屈辱から、何とか盛り返そうと、マスコミ操作や、野党の抱き込みなど、様々な世論誘導を行いました。 これも予算が認められないと、短期の独走はできても継続した作戦行動が不可能だからですね。 結局、陸軍の政治的動きが成功して、財閥と政友会の抱き込みが成功。 事変拡大に反対する若槻内閣は解散して、12月に犬養内閣が誕生します。 当時の日本の行動は、国際社会からも注目されており、英米や欧州諸国は、日本政府が軍の行動を制御できるかを注意深く判断しておりました。 結果としては、陸軍を止める努力をして、それは一部では成功もしていました。 その後、陸軍の財閥と政友会抱き込みで内閣は倒れますが、少なくとも政治主導で軍隊が統制されていたと思います。 これは立憲政治の国としては当然の事なのです。 最近では、某国が、駆逐艦のレーダー照射問題をおこしました。 立憲政治の国ならば、政府が軍隊を統制し、勝手な行動をした当事者を処罰するのが当たり前。 ところが、何と政府が率先して、日本を批判。 これを満州事変に例えれば、陸軍が「自衛の為に戦闘した」という言い訳を、そのまま政府も承認し、相手国を非難したのと同様なのです。 ですから、某国は、昭和始めの日本よりも更に軍隊統制が出来ていないという事を、国際社会の自ら宣言してしまいました。 某国ではマスコミも含め無邪気に騒いでいる人が多いですが、本当に深刻な問題は「国際社会の信用」を失うような行為に対して、政府がオカシイと批判出来ない事なのです。 おそらくは、某国にも常識を持つ人は少なからずいるのです。 しかし、そのような人が正論を言えば「売国奴」とか「親日反動分子」などと非難されるのです。 軍隊の勝手な行動を処分出来ない政府の国民というのは、非常に気の毒で、危険な状態なのだと思います。 |
外資社員様 毎度コメントありがとうございます。 会社員時代、仕事はすべて予算で動いていました。どの会社でも同じなのかわかりませんが、予算とはお金だけではなく、時間と工数も含めていました。 私が現場の管理者で「○○製品を何日出荷しろ」と言われて間に合わないと人を余計にかけたり、時間外をしたりすると、「予算オーバーだ」と言われました。 そのときは会社の方言なのだろうと思っていましたが、考えてみると工数即人件費、工期遅れイコール違約金となるわけで同じなのですね。 ともかく家庭でも会社でもお金がなければ何もできません。 ところでいろいろ本を読むと、満州事変は石原莞爾が企んだとか実行したというのは、間違いというか事実とは違うと思いました。彼が主任参謀といっても上位の参謀もいるわけだし指揮官もいるわけで、石原も一兵士と同じく、命令されたことを実行しただけと思えます。 ただ国民も兵士・士官もなんとかしなければという考えがあったのだと思います。その意味では石原も積極的に参画したのでしょうけど。 日本は山本七平のいう空気で動くのかもしれませんが、みなが暗黙のうちにそう考えて、誰がゴーサインを出したわけでなく、いつしか粛々と進んでいったのではないかなって気がします。 韓国も同じではないのでしょうか。国内世論が反日で沸き返っているわけで、日本の自衛隊なら”絶対に”反撃してこないからひとつ脅かしてやろうと思ってレーダー波を照射したら思いがけずに日本政府も日本国民からも反感をかって、ビジネス上悪影響を受けたと今韓国は大騒ぎです。国民はマスコミに煽られてみんな一斉にレミングのような動きをしてはいけませんね。 日本国民はどうなのかといえば、今まで竹島とか慰安婦とかを聞いてもひとごとのように聞き流していたのが悪いです。いいがかりとか捏造であれば、即反論しないとこちらの考えが向こうに理解されません。 実は私も娘や息子にいつも言われているのです。それは、気に入らないことがあってもずっと黙っていて、溜まり溜まって爆発するから扱いに困ると言われています。気に入らないというか、異見があればそのときに説明して反対すべきだというのです。まあ日本男児は三年に方頬と言われますから、あまりグダグダ言ってはいけないと思っていましたが、これもコミュ障なのでしょう。反省します。 お互いに堂々と意見を交わして、最適なものを選択する、決定者をはっきりさせるということは時代が変わろうと国が変わろうと大事なことですよね。 注:レミングの集団自殺は迷信というか嘘だというのは分かっております。 |