異世界審査員144.満州その4

19.01.24

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

このお話はエンターテインメントの異世界や架空戦記小説のつもりではありません。ISO第三者認証制度はリアル世界ではあまり効果がないですが、架空の世界で先入観なく第三者認証制度を構築して、まともに運用すれば効果があるのだろうかという思考実験です。
とはいえリアル世界と技術レベルが同じ世界では過去に書いたお話と変わらないと思い、リアル世界より技術が遅れた100年前の設定にしました。
なぜわざわざ技術が遅れた状態から描いたのかとなれば、互換性の意味、品質保証の意味というのを理解するには、そういう段階からカットアンドトライを経なければ分からないと私自身が分からないと思った。

しかし、じゃあ異世界で第三者認証制度を考えるぞといってもすぐに思考実験を始めることはできない。というのは100年前の明治末期を考えていただけば技術レベルが低いし、 旋盤 機械と言えるようなものは軍隊と工場にしかありません。
またマスプロではない。マスプロでないからバラツキという概念も互換性という要求もない、公差の考えも未発達、計測器も未発達。そういう状況では均一な品質であるべしという発想がない。
ですから第三者認証制度が生まれるためには、工業を発展させ品質に対する要求が発生するレベルまでに向上させなければならない。ということで100年前の技術レベルから、リアル世界の出来事に合わせて、兵器や民生品の製造技術の向上、管理技術の指導教育を行ってきたわけです。いえ、私ではなく伊丹たちがですけど、

そもそもこの世界ではISO9001がマネジメントシステム規格だなんていう嘘がまかり通っているわけです。向こうの世界ではそうじゃない、品質保証の規格だということをアッピールしたいのです。
それと私はISO14001であろうとエネルギーでもセキュリティも、みんな品質保証であると考えています。品質保証とは誰かに対して約束したことを守ることです。経営者に対して最善のエネルギー管理を約束しても、一般社会の不特定多数の人に対してセキュリティを約束しても、品質保証であることに違いありません。
ですからエネルギー管理でもセキュリティでも、ISO9001を適用すればいいじゃないかという考えをしています。なぜ品質保証規格でなくマネジメントシステム規格なのか、ISO9001で間に合うのにたくさんのMS規格を粗製濫造したのかといえば、認証機関、認定機関、IAFが金儲けをしようとしたからだと思います。ISOのスタンダードライターが仕事がなくなるのを恐れたためと書いたものをアイソス誌かなにかで見ましたが、私と同じことを考える人はいるものです。

でやっとのこと一応一般的な測定器も揃い、機械つまり自動車や電気製品が軍隊や工場だけでなく、一般家庭にも普及してきました。そして官公庁限定ではありますが第三者認証制度もできました。
ここまでくればまっとうな第三者認証制度の運用をしたらどうかって思考実験ができるでしょう。とはいえまだ先は長いです。


1927年12月 宮内省皇帝執務室である。
部屋にいるのは皇帝、中野、高橋蔵相そして伊丹夫婦である。

皇帝中野高橋是清伊丹幸子
皇帝中野高橋蔵相伊丹幸子
中野
「本日は、満州でアメリカが画策していることの状況確認と、我が国の対応について話し合いたいと考えます」
皇帝
「出席者は皆知らぬ仲ではない。ざっくばらんな話をしてほしい。
まずアメさんは何をしたいのか、我々に何を求めているのか、見返りに何を提供するのか?」
伊丹
「簡単に言えば、アメリカは満州を欲しい。理由はいくつもあります。清の時代にアメリカが入植して満州開拓をすることの了解がありました。しかし清が倒れて後継を自称している中華民国はそれを破棄すると言い出した(注1)特に満州を実質的に支配している軍閥の張作霖とその息子 張学良が、満州へのアメリカ入植に反発していろいろ活動しています。
アメリカも今まで鉄道始めいろいろ投資してますし、入植者がいますから撤退などできません。
そして今年1月に大恐慌が起き、更に中西部の乾燥地農業が農地の劣化により崩壊し、失業者や土地を離れた農民が西部や東部の都会に出てきて大問題になっています。政府は彼らに仕事を与えなければならない。
ですから中国の過去の約束ご破算への対応と国内問題を解決するために、満州を確保するのが戦争目的です。もちろん満州全土といっても、実際は主要都市とそれらを結ぶ鉄道線路の確保です。最終的には傀儡政権を立てると思われます。想像ですが清の皇帝を担ぐのでしょう」
幸子
「その軍事行動においてアメリカが扶桑国に求めているのは、満州での軍事作戦の際の輸送手段の提供です。現時点満州にはアメリカ軍は形ばかりしかいません。多分千か二千だと思います。異世界の満州事変では日本軍は少ないとはいえ1個師団、約1万2千の兵を動かしました。アメリカは2万か3万の軍隊を動かすことになるでしょう。作戦実施は1年後で兵隊はアメリカから持ってくるわけですが、それに中国が気付けばアメリカに先んじて軍隊を動かすでしょう。外国がアメリカの行動にイチャモンを付ける恐れもあります。
そこで事前にフィリピンに軍隊を移動しておいて、決行時密かに大連に上陸して鉄道、自動車、そして飛行機で主要都市への移動を考えています。このとき飛行機輸送を扶桑国に依頼したいというのです。
もちろん扶桑国はこの作戦にいちゃもんをつけずに傍観してほしいということ。まあ、我が国がそこまでやれば共犯、いや軍事同盟ですよね」
高橋是清
「質問がある。飛行機で輸送する必要があるのか? つまり自動車や汽車だけでは不足なのか?」

注:この時点では、まだ大量の兵力を空輸した作戦は行われていない。


幸子
「私の世界の石原莞爾たちが決起したとき、移動は汽車がメインでした。中国側による鉄道線路の破壊工作などもありましたし、なによりも大連からハルピンまで870キロ、チチハルまで1000キロと東京から旭川とか稚内くらい離れています。
向こうの世界の満州事変ではチチハルまでたどり着いたのは開戦から2か月後、中国軍の抵抗で多くの犠牲を出しましたし、何よりも寒さで行軍が困難でした」

満州地図

母方の伯父一家は満州開拓に行って敗戦後引き上げてきた。従兄弟たちは私より10も20も年上で、向こうに住んでいた記憶があり、お正月などで集まるとよく話を聞かされた。だからチチハルとかハルピンなんて地名はよく聞いた。
従兄弟の一人は、1970年半ば残留孤児の調査に加わって、何度か向こうに行った。そのときも向こうの話を聞かされた。「とんでもなくひどい生活をしているんだ。俺たちは帰ってこられて良かったよ」と何度も言っていた。
そんな従兄弟たちも既に鬼籍に入ってしまった。

高橋是清
「作戦初期に遠隔の都市まで同時に制圧しなければならないということか」
幸子
「そうです。アメリカの作戦では石原が動かした1個師団ではなく3個師団くらいを6時間以内に各所に展開することにしています」
皇帝
「石原莞爾と違って、国家としての作戦で、かつ外国の支援を得るなら、成功間違いなしだな」
中野
「だからこそ我が国に飛行機での兵員輸送を依頼してきたのです」
皇帝
「ほかに我が国への要求は?」
幸子
「軍事行動も補給や港湾の提供などの要求もありません。もっとも戦闘が行われれば負傷者の治療、物資の補給などが必要となるかもしれません」
高橋是清
「満州を抑えればそこで止まるのだろうか? それともモンゴルとかソ連領まで進むのだろうか?」
伊丹
「10年程前にシベリア出兵がありましたね。扶桑国を始め数か国が参戦しましたが、結局ソ連は奥が深くて兵站も続かず、出兵した各国はうやむやのうちに撤退して現在はウラジオストクを中心とする一帯を抑えて亡命ロシア人を受けいれているだけです。
もう一度対共産主義戦争をやろうとしても、アメリカだけでは無理でしょう。今回ことを起こしても、元の清国領土の範囲を確保して止まると思います」

注:この物語では完全に撤兵せず、ウラジオストク周辺は派遣国の占領下にある設定である。

中野
「それで彼らは我々に何を提供するのだろう?」
伊丹
「もちろん飛行機輸送の費用、燃料費などは実費を請求します。
しかし一国の軍事行動への支援の代償はそれではすみません。それについては具体的な提示はありません。
ただ我が国が航空機の輸送を提供しなくても、この作戦を鉄道と自動車でできないわけではありません。航空支援がなければ、彼らにとって作戦の自由度が下がるだけです。電撃的な作戦ができませんから、彼我の損害は大きくなるでしょう」
皇帝
「彼我? 自分の被害が少ないに越したことはないが、中国側の被害が大きくても問題ないだろう?」
伊丹
「戦争は速やかに実施し短期間に終結するのが敵味方の死傷者を少なくします。戦いが長引き双方の死傷者が多くなれば、その後の講和も統治も困難が増すでしょう」
皇帝
「なるほど、ともかく我が国が得るものがないなら手伝う意味はなさそうだな」
高橋是清
「黄海の港とか何らかの利権を要求するのはどうなのだろう?」
幸子
「過去より我が国は中国や朝鮮に利権を求めない方針です。私たちの世界のように、中国大陸に関わって泥沼にはまり手痛い目にあうよりは、危うきに近寄らない方が良いと考えます」
高橋是清
「土地でなくても、アメリカ人入植地における商業の権益とかないのかね」
幸子
「我が国の商品や商人が溢れれば、恨みつらみが我が国に向く恐れがあります」
高橋是清
「それなら南太平洋で我が南洋群島の真ん中にある、アメリカ領グアム島を割譲とか?」
伊丹
「グアムは無理だと思います。というのは太平洋の真ん中にあってアメリカにとって重要な中継地・補給地ですから。
それに我々にはグアム近くにサイパンがあり、必要でもありません」
中野
「アメリカ領はハワイ、ミッドウェー、ウェーク、グアムか。船でも飛行機でも太平洋横断にうまい具合になっているな。ということは絶対に手放さないということか」
高橋是清
「我が国にメリットのあるものと言えばなんだろう?」
幸子
「いま世界中が不況です。どこも不況から脱出しようともがいています。イギリス、フランスなど植民地を持つ国はブロック経済でしのごうとしています。
アメリカも既に輸入規制を始めました。これからどんどんと厳しくなるでしょう。ですから我が国をアメリカ市場から排除しないという条件くらいでしょう」
高橋是清
「領土と違い、いっときの利益供与では割に合わないのではないか」
幸子
「確かに、でも私の世界の歴史はご存じでしょう。黄禍論が唱えられ、中国人や日本人の排斥が起こるでしょう。それを緩和するだけでも相当違います」
伊丹
「だが当時の日本とは違い、この世界では我が国はそんなに困窮していない。それにアメリカへの出稼ぎ者も少ない(注2)アメリカ市場から排除されても困らないんじゃないか?」
中野
「中国からアメリカに移住して、アメリカ人が満州に入植するというのもおかしな話だ」
幸子
「アメリカ人が支配者、中国人が被支配者というのは同じですよ」
皇帝
「アメリカが無事満州を占領し、自国領土にしても傀儡政権を立てたとしてもだ、その次は扶桑国を侵略するという流れはないのか?」
伊丹
「あるでしょうね。我が国の面積は満州の3割しかありませんが、気候は穏やか農業に向いているとなれば、我々はアメリカインディアンの次に掃討されることを覚悟しておかないとなりません」
高橋是清
「我々がアメリカインディアン役回りになるのか、参ったね」
皇帝
「高橋さんはアメリカで奴隷の経験者だから仮定の話ではないですね(注3)
伊丹さんはそうならないようにするアイデアがあるのか」
伊丹
「まずこの作戦だけでなく将来にわたって我が国をどうしていくか考える必要があります」
皇帝
「将来にわたってとは?」
伊丹
「戦争はこれからも永遠に起きます。そしてそのたびに滅ぶ国もあり、滅ばなくても国家の順位が変わり、覇権国は入れ替わります。
ですからアメリカが満州に侵攻するとき我が国がどうするかということだけでなく、長期的に我が国をどうすべきかを考えないとなりません」
高橋是清
「それはそうだが・・・・そのようなことが想定できるのか」
伊丹
「想定するのではなく、積極的に計画し実行すべきでしょう。
進化論を唱えたダーウィンは「最も強い者が生き残るのではなく、対応できる者が生き残る」と語ったそうです。我々は世の中の変化を先読みして、常に最善の対応を考えなければなりません」
皇帝
「意図することは分かるが、将来の予測が可能なのか。そして予測できても対応策が存在するのか」
伊丹
「扶桑国が侵略されたり滅ぼされないためには、我々が他の国にない高い技術を持つこと、そして侵略されない武力を持つことしかないと思います。
しかしながら武力を持っても複数の国家の連合軍には勝てません。それは欧州大戦でドイツとオーストリアが連合国に叩かれたのでお分かりでしょう。
ですから立ち回りをうまくしなければなりません。覇権国にならずに、弱国とみなされない程度の地位を維持することが必要です」
高橋是清
「覇権国になってはまずいのか?」
伊丹
「向こうの世界の20世紀後半には、アメリカは世界の警察官を自称していました。しかし一時はともかく恒久的にそんな役割ができるわけありません。2013年にオバマ大統領が警察官を止めると宣言したのです(注4)
高橋是清
「警察官ということは列強が複数でなく、一強だったということか」
伊丹
「そうです。しかしそこに根本的な矛盾というか無理があります。国家は防衛なり治安なり行政サービスのために税を取ります。当然、防衛も治安も税を取った範囲内にしか行いません。
もし世界中の警察官になるなら世界中から税を取らないとならない。でもどこかの国が世界の秩序を維持するからといって税を取れるわけがない。前の覇権国であったイギリスも結局その地位をアメリカに譲るしかありませんでした」
皇帝
「なるほど、それで」
伊丹
「自国の税だけで維持する軍隊で世界の秩序を維持できるわけがない。国家財政が破綻するのは必然です。そして世界の秩序を維持できなくなれば覇権国ではありません。」
皇帝
「それで覇権国は交代するわけか」
中野
「覇権国といえど全能でもなく丸儲けではないということか」
伊丹
「ですから我が扶桑国は覇権国を狙わず、二番手三番手を維持するのです。但し弱小国ではだめです。甘く見られず、しかし矢面には立たないように」
皇帝
「それは難しい注文だな。そんな風に国際政治を続けられるものかね?」
伊丹
「もう10年以上前(第40話)中野さんにお話したことがありました。我々は時代という激流を川下りしているのです。舟を降りたり引き返したりできません。ただひたすら転覆させないように岩にぶつけないように舟を操るしかないのです」
中野
「伊丹さんのイメージする国家のあるべき姿とはどんなものだろう?」
伊丹
「状況は常に変わります。常に正しい選択は存在せず、状況に応じてとしか言いようがありません。ですからこの国のあるべき姿というものは状況を把握して最善策をとれることとしかいいようがありません。
幸子はどう思うね?」
幸子
「同じです。常に正しい選択を実現するといっても皇帝や宰相だけではありません。議員もマスコミも国益を考えた発言・行動ができなければなりません。国民全体が理性的で勇気を持つ必要があります。そのためには子供たちに最高の教育を与えること、夢を持たせること、それが私たちにできることかと思います」
皇帝
「そうすれば状況に応じて最善の道を選べるということになるのか?」
幸子
「現実世界に確実なものはありません。ただそうでないよりも可能性は高まるでしょう。神ならぬ身、それ以上を望めるはずはありません」
皇帝
「なんか悲壮な話だな」
高橋是清
「すまん、その伊丹ご夫妻のスタンスに立てば、この満州侵攻の際の我が国の対応をどうすべきと考えているのだろう?」
伊丹
「私は現在のイギリスとの同盟と同様にアメリカと同盟を結んで、軍事的な現状維持と自由貿易の維持を内外に知らしめるべきと思います」
皇帝
「そういう措置がアメリカの扶桑国侵攻の防止につながるのかね?」
伊丹
「白人がインディアンとの契約を常に破棄して侵略したことは事実ですが、そうなったには訳があります。インディアンの種族同士が統一されていたわけでなく、また白人と共通の価値観とか契約観念があったわけではありません。
この国が明治憲法を作ったというのは単なる外国の真似でなく、欧米の国と交渉できる仕組みを作ったということです。
インディアンもそういう体制であったなら、一方的なインディアン戦争はなかったはずです。我々は先進国であり、欧米の国と同じ価値観、契約観念があるということを認識させることが必要です。
それからアメリカがソ連と満州国境でにらみ合ってくれれば、我が国を侵略する余裕はない。継続的ににらみ合いが続けば、我が国はアメリカという防波堤でソ連からの侵略も防止できて安泰です」
皇帝
「なるほどねえ〜」
高橋是清
「将来的も戦争はなくらないのだな?」
伊丹
「なくなりません。しかしアジアやアフリカを植民地にする戦争でなく、欧米の国同士の戦争であれば、彼らが決めた国際法という約束の上でのこと。我々もその約束の上での戦争ができるなら従うしかないでしょう」
高橋是清
「欧米の国と対等の戦争なら仕方ないというわけか」
幸子
「とりとめのない話になりますが・・・
戦争とは永遠になくなりません。となるとこの国も永久に一定頻度で戦争することになります。そしてその結果、常に勝つわけはなく、負けることもあります。
ものすごくドライというか非情かもしれませんが、それが現実でしょう」
皇帝
「それはどういうことか?」
幸子
「国家であり続けるには、そういう状況を継続するしかないということ。そして滅びずに歴史を紡いでいくには、為政者も国民も愛国心、国益という意識を忘れてはならないことです」
中野
「そういうものかね」
幸子
「適者生存とは種のレベルであって、個体のレベルでは弱肉強食です。それと生物と人間社会は完全に一対一ではありません。しかし戦争において戦うことを拒否した国家は、強い国に食われるだけ、戦えない国家は滅ぶしかありません。
生物なら一部の個体が死んでも種が残るということはあり、それを戦略とすることはありえますが、国家間の戦いで国家が亡んだらすべておわりです」
皇帝
「戦える国家であるには、教育すればよいのか?」
幸子
「教育だけではだめですね。頭で理解するのではなく、肌でこの世は諸行無常であることを理解しなければならない。
おかしなことに聞こえるかもしれませんが、社会を正常に維持するには、ある程度の不安定性が必要だと思います。 生命表 人生において失敗や成功がある社会、更に言えばある程度の破産や犯罪が発生している方が良い。いや、誰もが病気も怪我もせずに寿命まで生きながらえる社会であれば、それは異常です。
私たちがいた日本では生まれた子供はほとんどが成人し、8割が70歳まで生存します(注5)そしてほとんどが高校・大学まで進み、個人破産や勤め先が倒産することもなく、犯罪に関わることはめったにない」
高橋是清
「理想の社会だな」
幸子
「そうでしょうか? そういう社会では幸せとか生き甲斐を感じられなくなるでしょう。
あえて言いますが、破産する人がいて、失業する人がいて、病気で死ぬ人がいて、無事に人生を送ることが困難な社会の方が生きる価値を理解し、正しく生きようとする気持ちがおき、そして幸せを実感するでしょう」
高橋是清
「それは優生思想ではないのか?」
幸子
「違うと思います。最低限の生活の保障とか、出発点における平等の保障は必要です。でもそこから先は社会的生存競争があってしかるべきでしょう。
最低限の保障があれば、職業でも移住でも生活習慣でも、カットアンドトライがより高い比率で行われ、それは生物で言えば突然変異と同じですから、社会が改革し進化する可能性が大きい。
安定した社会はチャレンジャーが少なく発展は期待できません。発展しないことは即対応力がない、継続性がないということです」
皇帝
「徳川時代は安定した社会で発展はしなかったが継続したと理解しているが」
幸子
「それは価値観の違う社会と交渉が少なかったからです。明治になって外国との交渉が多くなると同時に、四民平等とか住居職業の自由を認めました。それによって社会の自由度を増してこの国の変革を容易にしたと理解しています」
高橋是清
「いやはや、死亡率や失業率が価値観に与える影響など考えたことがなかった。言われてみればその通りとしか思えんな」
中野
「伊丹夫人は社会がある程度不安定で、国家としても社会としても変動があったほうが良いということか」
幸子
「あった方が良いのではなく、必要だということです。と言って全く不安定でも発展に支障があるでしょう。ですから少し不安定な社会が好ましい。ライト兄弟がなぜ初めての飛行を成功させたかというと、不安定を前提にして飛行機を作ったからという説があります」
皇帝
「確かにな、政界でも軍部でも派閥抗争があって定期的に権力が入れ替わるのが必要かもしれん」
幸子
「国には常にフロンティアが必要です。安定した社会で生きていけない人、犯罪を犯した人の逃げ場、そのために無法地帯が必要かもしれません。
そして領土すべてが開拓され尽くせば、その社会は老衰で終わるのでしょう」
高橋是清
「アメリカがマニフェスト・デスティニーと称して、フロンティアを求め続けるのはそのためか?」
幸子
「意図してかどうか分かりませんが、その効用は受けているでしょうね」
中野
「非難されるのを覚悟で言うが、関東大震災のような外乱が国家や社会を乱すのは、一定確率なら必要ということになる」
皇帝
「ああいった悲劇的、カタストロフィでなく、我々が革新的なビジョンを示し国民に夢を持たせることが為政者の義務なんだろう」
伊丹
「国際収支発展段階説なんてありました。あれは国家が時間と共に進化して老化するということなのだろうか。不安定で揺らいでいれば老化しないのか?」
高橋是清
「国際収支発展段階説というのはなんだね?」
伊丹
「私の世界で1950年頃に唱えられた考えです。国が経済発展することにより貿易や海外投資の様相が変化していくことから国家のライフサイクル、つまり誕生から老化までを説明するものです」
皇帝
「国家も歳をとるのか?」
伊丹
「過去より永続した国家はありません。とはいえ国家が崩壊するのは制度疲労ばかりではありません。戦争に負けた、天災で国土が居住できなくなったなどもあります。ですから経済が老化して国家が終焉するとは言えませんね。
この国際収支発展段階説は一方向に遷移するという考えですが、化学反応と同じく周囲の状況によって平衡状態が左右に動くだけで、老化しないのかもしれません」
幸子
「まあ科学技術の進歩や資源の発見などによって、その国のあるべき姿というか国家モデルが変わりますからね。最初の国家モデルでは終末に近づいても、エネルギー資源が見つかったりすると、別の国家モデルの流れにシフトすることもあるでしょう」
皇帝
「この国を思うと、徳川幕府を倒して60年が経ち、成長期に入ったということになるのかな?」
幸子
「そう思います。新たな仕掛けをしないと勢いが止まるでしょう」
皇帝
「それと満州のこととなにかあるのか?」
幸子
「あるのかないのか分かりません。ただ世界恐慌で我が国がブロック経済に逃げ込めば当面の糊口を凌ぐことはできても、国家としては停滞してしまうでしょう。そこでどうするか」
高橋是清
「アメリカと組んで満州開発という選択肢もあるというのかね」
幸子
「私の世界の歴史からは満州はトラブルの元と思えます。今考えるべきは手中にある南洋群島の使い方になにかありそうな気がします」
中野
「そう言えば、ブルネイの石油は来年見つかることになっていましたね」
幸子
「いえ、再来年に見つける予定です」

うそ800 本日の思うこと
私は古希となったが、70まで生きるのは古来から稀(まれ)だから古希なのであって、現代のように8割以上が古希になれば古希じゃない。常にあるなら古常(こじょう)、ざらにあるなら古租(こざら)と呼び名を変えなければならない。
私の父母の若いとき、つまり大正半ば1920年頃は、戦争でなくても日本脳炎とか赤痢などで同級生の一人や二人は子供のときで亡くなった。私の子供時代1960年頃でも私の長屋で赤痢、食中毒、原因不明の病気、遊んでいて怪我をしたなどで死んだ子供は数年に一人はいた。だから無事成人したということは結構すごいことだった。成人式は価値があったのだ。
死亡率が高い世界が良いとは言わないが、生まれた子供はほとんどが成人する世界では、命の価値、生きがいというものを認識しにくいだろう。

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注1
中華民国は辛亥革命によって1912年に清を倒して成立した。しかし全土を中華民国が支配・統治したわけではなく、軍閥が分割して統治している状況が続いた。
 cf.「大地(パール・バック)」
1929年にソ連が侵攻し1931年に中国共産党が「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立するなど混乱が続き、その後も統一政府が存在したわけではない。
だからこそ日本やソ連など周辺国家の干渉により、満州事変とかノモンハン事件などが起きた。

注2
史実でも日本からアメリカへの移民は実際は多くなかった。1890年からの10年間で2万5千、1900年からの10年で13万である。これは欧州からの移民に比べて1.5%でしかない。なぜ黄禍論が発生したのか調べていない。
cf.米国の移民

注3
高橋是清は若いときアメリカ留学するのだが、ホームステイ先に騙されて奴隷契約をしてしまう。その後、領事に助けられて帰国した。

注4
注5
平成25年簡易生命表の概況
cf.寿命中位数等生命表上の生存状況



外資社員様からお便りを頂きました(2019.01.24)
おばQさま
いつもながらの部分つっこみで済みません。

>高橋是清
アメリカで奴隷の経験をしたから、あの国の酷い面も含めて現実を見られたのですね。
こういう体験は重要だと思います。
私も、奴隷経験はありませんが、アメリカの国際標準化でボコボコになりました。
会議に出て、ルールが不明、英語もへたくそで通じない。
一方で日本側からは、アレヤレ、コレヤレと言って来て板挟み。
ただ、あの国の偉い所は、酷い奴もいるが、同じくらい素晴らしい人間もいます。
異国の若者に、会議ルールはRobert Rules of Orderだと教えてくれて、下手な英語を一生懸命聞いてくれる議長や聴衆もおりました。

>今年1月に大恐慌が起き、更に中西部の乾燥地農業が農地の劣化により崩壊し、失業者や土地を離れた農民が西部や東部の都会に出てきて大問題
まさに前にお書きになった「怒りの葡萄」の世界ですね。 日本人がなぜか好きなRoute 66は、農民たちの移動の道でした。
結局 それが太平洋を越えて満州につながるとは!

>もう一度対共産主義戦争をやろうとしても、アメリカだけでは無理でしょう
歴史では日本が国民党と戦って双方消耗、共産中国が勝ち残りました。
異世界では日本は大陸政治に立ち入らなければ、共産中国は軍閥の争いの中に消え去るのか、
それともソ連の後ろ盾で代理戦争、歴史での朝鮮戦争のようなものが満州と半島を含んだ広範囲でおきるようにも思えます。
大国の争いに挟まれた状況は、独ソの争いにおける東欧を例にとれます。
その条件で考えると、米ソが裏で手を結んで日本を狙う可能性もありのように思えます。
歴史上でも、チェコは欧州有数の工業国で、ポーランドはキュリー夫妻に代表される科学先進国
それでも、両国の密約の元に、併合や占領の憂き目を見ました。
扶桑国の道は安保の先取りなのか、それとも独立自尊の道なのか?!
とても気になります。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
物語のストーリーは品質保証を語る背景なのであまり真剣に考えておりません(すみません)が、第一次大戦後の不況は第二次大戦がなければ解消しなかったというのが定説のようです。ですから、なにをどうしようと戦争が起きなければ不況脱出はならず、どことどこが戦争をすれば日本にとって一番良かったのかということしかありません。
しかし第二次大戦が終わったらといって永続する平和があるわけでなく、現実にも植民地の独立戦争、民族自決の内戦、第三世界と北半球の国々との戦争、そして今 宗教戦争に民族浄化に経済難民のテロと問題は終わりません。
真面目に考えているのですが、平和憲法とか武装がどうこうという発想そのものが現実にあうわけがなく、そのときそのとき最善最適な選択をして国家と国民が生き残るということに価値をおかなければならないと思います。
ですから「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という前文を「世界情勢は常に流動的であり、我が国は状況に応じて最善の選択をとって永続を図ることを国民に誓う」とでも改正してほしいなと。
注:憲法は国民への約束ですから、世界にアッピールする前に国民のためであるはずです。
論理的に戦争はなくならないし、すべての国家は戦争を避けられない。だから我が国は、外国に理解できる大義を掲げて戦い、負けることも勝つこともあると割り切るしかないと思います。
太平洋戦争で一番悪いことは、負けてしまって覇気をなくしたこと、国家のあるべき姿というのを忘れてしまった事だと思います。
アメリカもロシアも中国も、勝ったり負けたりしているわけですが、俺たちは次に勝つというファイトは持ってますからね。韓国も北朝鮮も過去一度も勝ったことがないわりには、自分たちが負けたことがないという認識を持っているほど誇り高い(?)ようです。
日本もずうずうしいくらいに誇り高く、唯我独尊で良いのだと思います。
世界中が唯我独尊ならば、戦争が起きる前に、お互いに同じレベルで交渉し妥協するのではないですか。アイスランドとイギリスがタラ戦争という真面目な戦争をしたくらいですから、日本も韓国と竹島奪還戦争をしておかしくない。尖閣に駐留しておかしくない。それができないから足元を見られるのです。
ということで、急流のいかだ下りが永遠にうまくいくはずがない。それを前提に、転覆しても岩にぶつかってもへこたれずにまた漕ぎ出す意志を持つのが国家の条件かなと思います。
現実の日本はなかなかそう行かないので困ります。

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