異世界審査員145.満州その5

19.01.28

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

優れた兵器があれば戦争に勝つとは限らない。戦いは武器だけでなく、戦術も士気も重要な要素だ。また現実には国家またはイクイバレント同士の戦いより非対称戦が多くあり、非対称戦において非正規軍側は新兵器どころか兵器と呼べるようなものがなくても、手に入るものを武器として使い、なにもないときは自分の体とか命を武器にして優勢に戦っている。
もちろんそれがまっとうな戦いかといえば、そうではないことの方が多い。いや戦い方がまっとうでないだけでなく、非正規軍側の目的もまっとうでないことが多いのではないだろうか。
それはともかく、優れた武器があれば勝つというのはお互いに同じ戦争のルールを守って戦う場合に限定されるだろう。毒ガスを使う目の前の敵に、戦時国際法違反だと言ってもせんのない話だ。
ところで「戦略が戦術に負けることはない」という言葉があるが、それは戦術がしっかりしていればの話であって、戦術がグダグダでは立派な戦略があってもしょうがない。


1928年2月 グアム島西岸のラグーンである。
サンゴ礁には大きく分けて裾礁、堡礁、環礁の三つに分けられる。環礁とは海面上昇で海に沈むなんて騙っていたツバルのような島をいい、裾礁とは島の周囲にサンゴ礁ができている島を言う。
グアム島は一部が堡礁で一部が裾礁である。堡礁とは本体の島の周りをサンゴ礁が取り囲み、島とサンゴ礁の間は深さが数メートルの浅いラグーンを形作る。周囲のサンゴ礁は島全体を囲むこともあるし、一部にだけできることもある。海岸からサンゴ礁までの距離もいろいろだが、グアムの場合は500mくらいの間隔がある。将来はここで家族つれや若いカップルが海水浴を楽しむだろう。だが1928年時点では原住民と駐留しているアメリカ兵が泳いだり魚を取る姿が見えるだけだ。

グアム島タモンビーチ

グアムのタモンビーチは堡礁である。右側にコバルトブルーと青い海の境に白い波が立っているところがサンゴ礁。左側の海岸までがラグーンで海底にサンゴが連なる浅い海で色がきれい。
ところどころ深いところもあるけど、ほとんどが2mもない。スノーケルを付けて水面に漂うとクマノミとかいろいろな魚が見えて面白い。


砂浜には伊丹と幸子が立っていた。遠く横一線に白い波が立っている。そこがサンゴ礁だ。人の目の高さでははるかかなた水平線上にあるように見えるが、実際は500mしかない。白い波が立っているところから立っている砂浜までラグーン(礁湖)と呼ばれる外海から隔てられた浅い海だ。

幸子
「私は向こうの世界では友達と何度かグアムに来ましたけど、あのときとは全く違いますね」
伊丹
「なにが違うんだ?」
幸子
「そりゃ風景よ、あちらでは海岸沿いにたくさんホテルがありましたけど、ここには草の屋根があちこちに見えるだけ。あとはジャングルですもの。
どうしてグアムで試験と訓練を行うことになったのですか?」
伊丹
「最初はフィリピンで実験と訓練を計画したようだ。だが秘密保持という観点では問題らしい。フィリピンには華僑が大勢いるから、情報が漏れると考えたんだろう」

アメリカ陸軍の夏用制服を着た数名の士官が砂浜を二人のそばまで歩いてきた。
伊丹は歩み寄る三人に声をかけた。

ミラー大佐 ロドリゲス少佐 ムーア大尉 軍曹 伊丹 幸子
ミラー大佐 ロドリゲス少佐 ムーア大尉 軍曹 伊丹 幸子

伊丹
「いやあ、すばらしいところですね。新婚旅行に来たかった」
ミラー大佐
「ゲッコー(ヤモリ)がうじゃうじゃいても気にならない女性ならいいですが。
おい、少佐、計画は予定通りか?」
ロドリゲス少佐
「扶桑国から先ほど受けた無線では定刻通りサイパンを発進したそうです」
ミラー大佐
「大尉、準備は良いか?」
ムーア大尉
「はい、まずは飛行艇が着水しましたら搭乗者全員で飛行艇の出入り口の確認をします。それから飛行艇への乗り移りの試験を行います。次に飛行機からゴムボートへの乗り移りの練習に入ります。
その後、参加者により問題点の提起と改善案の検討を行います」
ミラー大佐
「今日そこまではいかんのだろう?」
ムーア大尉
「はい、今日は出入り口の確認と座席の具合を見て問題点摘出くらいで終わりかと思います。不具合があれば扶桑国側で修正作業が発生すると思います」
ミラー大佐
「まあ、そうだろうな。まだ半年あるのだから。
ところでその飛行艇だが、オイ、少佐、あとどれくらいで来るのだ?」
ロドリゲス少佐
「ええと、時間的にはもう見えても良いのですが」

皆はサイパンのある北東の空を見上げた。まっさおな空のところどころに雲が浮かぶ視界良好であるが、飛行機らしきものは見えず、音も聞こえない。
ほどなく後方から爆音が聞こえてきた。
皆が振り向くと編隊を組んだ2機の大型機が500mくらいの高度で飛んできた。

ロドリゲス少佐
「うわー、大きな飛行機だな(注1)
ミラー大佐
「安全な着水面を表示しているのだろう?」
ロドリゲス少佐
「ハイ、ここからもブイが見えます。水深3m以上の安全なところを示すブイを置いてあります。直線距離は十分あります。それは既に向こうに通知しております」
飛行艇
編隊は皆が立っている頭上を通過した後旋回して、南側から風上の北東に向かって順々に着水する。水の抵抗が大きいからか、着水した途端に速度が落ちる。滑走路に着陸したのとは大きく違う。
スピードが落ちると飛行機は方向を変えて砂浜にゆっくりと近づく。砂浜から100mくらいのところで停止した。その付近に一直線にブイが並んでいる。
砂浜からエンジン付きの小型ボートが飛行艇に近づき、飛行艇から二人が乗り込んで砂浜に戻ってくる。

ミラー大佐
「あのへんは浅いのか?」
ロドリゲス少佐
「あそこでだいたい水深2m、ダイビングなら楽しめるでしょうけど飛行艇には浅すぎます」
ミラー大佐
「人はともかく戦車をあそこまで運んで積み込むのは難しそうだ」
ロドリゲス少佐
「今回の一機は人員輸送、一機は戦車輸送の検討です。戦車は飛行艇を桟橋につけて、自力走行で積む予定です」

いつの間にムーア大尉が1個小隊を率いてそばに整列している。
飛行艇から降りた二人が近づく。一人は兼安だった。元は政策研究所にいたが今は海軍で大佐になっている。もっとも何年も前、いっとき大佐の階級章を付けていたことがある(第56話)。もうひとりは兼安の部下らしい。
二人は皆のところに近づいてきて挨拶する。

兼安大佐
「扶桑国海軍の兼安です。M作戦支援部隊の司令をしております。本日はとりあえず飛行機のお披露目と貴国での検討と聞いています。最新型というわけではありませんが、頑丈で故障知らず、お役に立ちますよ」
ミラー大佐
「実戦のとき故障しないでほしい」
兼安大佐
「我が国の飛行機は、飛ぶか飛ばないか心配いりません。必ず飛びます」
ミラー大佐
「期待しているよ」
兼安大佐
「懸念しているのは戦車の積み込みですね」
ムーア大尉
「どんな問題があるのですか?」
兼安大佐
「戦車運搬用として今回の1機は後方に大きなドアを設けています。寸法的にはいいのですが、問題はやはり積み下ろしですね。降ろすときはゴムボートを括りつけて水中に押し出すつもりですが、載せるのは難しい。飛行艇も戦車も水の上でプカプカしてますからね」
ミラー大佐
「やってみるしかないね」
兼安大佐
「確かに、やってみなければ分かりません」

兵士の絵 すぐに乗船というか搭乗のトライである。ムーア大尉率いる小隊は三隻の小舟に分乗し、小銃、背嚢を含めて完全武装したまま乗船するようだ。
ミラー大佐それに伊丹や兼安たちは、別の1隻のボートに乗って20mほど離れて見ている。
ムーア大尉は飛行機の中の扶桑国兵士と何か声を交わした後に、ボートを飛行艇に舫い一人ずつ乗り込む。乗り込むとき中の兵士が小銃を受け取り脇に置いているようだ。背嚢は背負ったままなのか降ろしたのか、ミラー大佐や伊丹たちは見えない。
小舟が交代して次の小舟から乗り込む。それを繰り返して1個小隊が乗り込んでしばらくは音沙汰ない。
20分ほどして、こんどは一人ずつ飛行艇から小舟に移る。そして砂浜に戻る。始めてから1時間以上過ぎている。
全員砂浜の陸寄りに生えているヤシの木陰に座り込む。

ミラー大佐
「ムーア大尉、概要を報告してくれ」
ムーア大尉
「ハイ、乗り込む際に銃を持ったままでは中で動けないので、乗員に受け取ってもらい入り口そばに置いてもらうことにしました。背嚢を背負ったままでは中で移動も着席も困難です。これについてはこれからいろいろ試行してみます。背嚢を銃と同じく集めるか、隣とか前のシートに置くことも考えられますが場所を食いますね。へたすると乗れる人数が半分になります。あるいはシートの向きを変えるとか間隔を広げるとか、この方法でも乗れるのが相当減りますね」
ミラー大佐
「おいおい、そんな基本的なことを考えてなかったのか」

それから兵士を一旦戻して、幹部たちと軍曹が参加して改善策の検討になる。
伊丹夫婦とミラー大佐は実験を観ていたわけではないが、話を聞いて時々コメントする。

兼安大佐
「まず飛行機の移動ですが、最初のアメリカの案ではフィリピンからとなっていました。我が国の飛行艇の足が長いから飛ぶには飛べますが、フィリピンから満州まで3600キロ、無着陸で飛んだとして10時間はかかるでしょう」
ムーア大尉
「10時間ですか・・・座ったきりでは体が固まってしまいますね」
兼安大佐
「座っていられるのはどれくらいですかね」
ムーア大尉
「短いに越したことはありませんが、せいぜい3時間でしょう」
兼安大佐
「となると1000キロ程度、ハルピンを中心に半径1000キロの円を描けば大連か日本海しかない」
ミラー大佐
「日本海の真ん中で乗り移るのは荒波で無理だろうし、大連から飛ぶということは、そこまで兵士を運んでおくことで周囲にバレて電撃作戦にはならないな」
兼安大佐
「結局、扶桑国の本土から飛ぶということしかありません」
ムーア大尉
「そのときはどのくらいの距離になるのですか?」
兼安大佐
「扶桑国も秘密保持や海面が荒れないことなどの理由でどこでもというわけにはいかない。いろいろ検討した結果、九州の大村基地を考えている(注2)
幸子
「良いアイデアと言いたいけど、そうなれば扶桑国はアメリカの戦争にどっぷり浸かってしまいますね。それは軍事同盟です」
伊丹
「飛行機がどこから飛んだかを黙っていればいいと割り切るしかないのだろう。その場合は扶桑国は秘密厳守でないと国際的な大問題になる」
兼安大佐
「目的を使える手段で達成することを考えるとそれくらいしかなさそうです」
幸子
「流れは分かりましたけど、適切な選択じゃないように思いますね」
伊丹
「国内の確認はこれからだろうね。私は聞いていない」
兼安大佐
「まずは戦車の積み込みなどを含めての実験結果次第です」
ミラー大佐
「要検討事項というのは分かった。
話を戻すと、大村飛行場からだとハルピンまでどのくらい?」
兼安大佐
「1500キロ弱、飛行時間は4時間。どうでしょう?」
軍曹
「それでもすごい距離ですね。
4時間で問題があるかどうか、私どもに検討させてください」
ミラー大佐
「すると兵士は輸送船でその大村基地まで運び、そこで飛行艇に乗るということで良いのか」
ムーア大尉
「大村基地に数日滞在することになるでしょうから、その間 運動とか訓練する場所の確保をお願いします」
兼安大佐
「了解した。
我々の検討では戦車を飛行艇に載せるというのがどうも難しそうだ。今日は飛行艇をタグボートで桟橋に付けて、飛行艇を固定して戦車が自走して積むことを想定しているのだが」
アメリカT1戦車 1920年代のアメリカのT1戦車
全長3.9m、幅1.8m、重量7.5t。戦車としてはおもちゃのようなものだが、飛行機で運ぶことを考えるととんでもなく大きく重いお荷物だ。
伊丹
「戦車は何台輸送するのですか?」
ミラー大佐
「中華民国は飛行機も戦車も持っている。多い方がいいが、最低10台は欲しい」
兼安大佐
「飛行艇の能力から1機に1台ですから、10機必要です。戦車の代わりに兵士を乗せたら500人分です。そのほうが戦車10台より戦力になりそうですね」
ミラー大佐
「飛行艇は何機用意できるのかね?」
兼安大佐
「この飛行艇は我が国本土と南洋群島の定期航路とか軍の輸送機として使われていて100機以上保有しています。必要なら30機や40機はかき集められますが、それほど多くの飛行機をハルピンの松花江に短時間に離着水できるのか、航空管制が難しいでしょうね。夜間に実行するなら更にリスクは高まります」
ミラー大佐
「なるほどな、」
伊丹
「長期的に考えると歩兵はパラシュート降下、戦車はパラシュート投下ということになるでしょうね(注3)
ミラー大佐
「長期的にはともかく、今はできんな」
兼安大佐
「この作戦はいささか検討不十分のようですな」
ミラー大佐
「貴国から来ている石原とかいう学者が考えた作戦だぞ」
伊丹
「まあまあ、石原君は概要を考えただけで、細かいことまでは気が回りませんよ。そこは我々が考えないとなりません」
兼安大佐
「でも伊丹さん、戦車を飛行機で運ぶのはちょっと無理じゃないですかね」
伊丹
「そもそもこの作戦は電撃戦というだけで、飛行機で戦車を運ぶ必要はないですよね(注4)
ミラー大佐
「だが鉄道線路が破壊されることを前提にして、中華民国が動く前にチチハルとハルピンに兵士と戦車を送り込まないとならない。我々の持つトラックでは戦車を輸送できない。戦車が自走していては1週間もかかってしまう」
伊丹
「分からないように事前に送っておけばいいじゃないですか」
ミラー大佐
「そんなうまい方法があるのかな?」
伊丹
「戦車や野砲を機械とかに偽装して前もってハルピンやチチハルに・・」
ミラー大佐
「あんな大きなものなんて偽装できるのか」
幸子
「アメリカには開墾して家を建てると土地がもらえる法律がありましたね」
ムーア大尉
「ホームステッド法のことですね(注5)私の爺さんもそれで農地を得たのです。ええと、21歳以上で最低5年間農業を営み、12フィートかける14フィート(3.6m×4.3m)以上の家を保有していれば、160エーカー(65ha)の土地を無償で得ることができるんです。この法律はまだ生きてます」
幸子
「その法律は満州でも有効なの?」
ムーア大尉
「さあ、私は知りません。どなたかご存じですか?」
ロドリゲス少佐
「満州ではそれは要求されていない。入植時に土地がもらえるんだ」
幸子
「なるほど、それじゃこうしませんか。今後入植する人たちにはホームステッド法が適用されると・・」
ムーア大尉
「おお!、分かりましたよ。ウチの爺さんが農地をもらった時、我が家は家と言えるようなものじゃなかった。洞穴とインディアンのティピーを組み合わせたようなものだった。それでホームステッド法を満たす小屋を賃貸しする業者から借りて手続したと聞く。満州でもその小屋をつくろうってことですね」
ミラー大佐
「おいおい、そんなに簡単に法律は作れないよ」
幸子
「いえいえ、そんな必要はありませんわ。誰かがそういう可能性があると考えて移動式の小屋を満州に送り込むかもしれません」
ロドリゲス少佐
「Mrs. Itami、グッドアイデアだ。でも小屋は10も20も必要はなさそうですね」
幸子
「あら少佐、いくら小さな小屋だって完成状態では貨車に積めないから、数個に分割するでしょう」
ロドリゲス少佐
「なるほど、それに満州は広いから貸出用の小屋もたくさん必要でしょう。ましてや実際に何戸かは小屋を組み立てておかないと説得力がないでしょうし。そうすると数十個の梱包になるな」
兼安大佐
「それでは戦車の輸送はいらないのかな?」
ロドリゲス少佐
「戦車を梱包して列車で輸送できるか確認しましょう。試験はアメリカ本土でできる。問題ないなら予め要所に送り込んでおく」
ミラー大佐
「予め戦車を送っていたことが分かったらどうなる?」
ロドリゲス少佐
「後で知れても、どうってことありません。現時点でも戦車を配備して悪い理由はありません。ただ戦車を配備すれば中華民国が警戒して対応するでしょう」
ミラー大佐
「なるほど」
ムーア大尉
「じゃ、それについては少佐殿にお願いするとして、とにかく歩兵の輸送についての検討を進めましょう。4時間の飛行に兵士が耐えられるかどうかだけでなく、確認事項はたくさんあります」
軍曹
「戦車用として大きなドアを検討していたという話でしたね。兵士の乗り降りもその大きなドアにできませんか」
兼安大佐
「確かにそのほうが便利だろう。では戦車を積むと考えていた別の飛行艇でもう一度乗り降りのトライアルをしてみよう」

うそ800 本日 思ったこと
石原莞爾が満州事変を起こそうとしたとき、中華民国が満州に置いていた兵力と満州の日本軍 関東軍の兵力では、中華民国の方がはるかに多い。
満州事変が謀略で始まったにせよ、それ以前からお互いに戦闘したりテロ攻撃をしたりしていたから、全くの奇襲だとは軍の幹部としては口にできないだろう。
それでも関東軍が勝ったということは、新兵器とか作戦勝ちとか精強だったとかでなく、好運というか偶然のように思える。

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注1
そもそもこの物語でアメリカが兵員輸送を扶桑国に依頼した理由は、アメリカに大型機がなかったことにある。
1920年代から1930年代までは大きな滑走路を持つ飛行場が少なく、大型機は滑走距離に制約のない水上機とするのが多かった。また第二次大戦まで島嶼には飛行場がなく、哨戒機や輸送機など軍用機は水上機(飛行艇)となるのも必然だった。
そのようなわけでシコルスキー社やボーイング社は大型長距離飛行艇の旅客機を生産していた。大型とはいえ1930年代は40人乗りくらい、1939年運用開始されたボーイング314飛行艇でも74人乗り(又は積荷4.5t)だった。
この物語で扶桑国は関東大震災のための消防飛行機として10トン積載で航続距離5000キロの飛行艇を作っていたことにしたから(78話)実世界より20年は進んでいることになる。
なお、第二次大戦中にアメリカ軍が軍用の飛行場を島々に作ったために、それ以降水上機・飛行艇の需要がなくなり、それまでの軍用も民間用も飛行艇はみなスクラップとなった。

注2
大村に海軍の飛行場が作られたのは1922年である。その後、整備拡張が行われ、東の霞ケ浦、西の大村と言われ海軍の乗員養成の重要な飛行場になった。終戦後は海上自衛隊基地になり、民間航空路も開かれ大村空港となったが、手狭になったために民間専用に長崎空港が作られた。

注3
義烈空挺隊の碑
−義烈空挺隊の碑−
後方左は掩体壕
パラシュート降下による攻撃をエアボーンという。
第一次世界大戦でも行われたが、いずれも数名による破壊工作が行われただけである。
1940年4月にドイツ軍がデンマーク・オルボグルに降下したのが世界初のエアボーンである。日本は1942年1月にパレンバン空挺作戦を行った。
驚いたのはノルマンディー上陸のグライダーでの兵員輸送や、1945年に爆撃機で沖縄読谷飛行場に強行着陸した義烈空挺隊もエアボーンに含まれていることだ。エアボーン(空挺作戦)とは、パラシュート降下もグライダーも普通の飛行機の離着陸でも運搬手段は問わないようだ。

注4
電撃戦とは第二次大戦でドイツのグデーリアン大将が考えた第一次世界大戦までの馬車と歩行を主とする移動でなく、自動車部隊を活用した高速移動による戦法を意味することが多いが、考え方も名称もそのはるか以前から迅速な移動と攻撃を柱とする戦闘教義はあった。

注5
ホームステッド法は1862年に施行され、1976年に終了した。
小さな小屋とは言え、この寸法の家を建てるのは開拓者には大変だったので、その大きさの移動式の小屋を作りお金を取って貸し出すビジネスがあった。
下記に当時の小屋の写真がある。
America's National Parks 〜アメリカの国立公園を訪ねて〜
Homestead Act had huge economic impact on Montana's history
Kandi Stark-Reeder's Photo Album
cf.「センテニアル」ジェームズ・ミッチナー、河出書房新社、1974、p.918



外資社員様からお便りを頂きました(2018.01.29)
今回も部分ツッコミで済みません。
前から、思っていた事なので、つい賛同してしまいました。

>関東軍が勝ったということは、新兵器とか作戦勝ちとか精強だったとかでなく、好運というか偶然のように思える。
仰る通りで、私は「だまし撃ち」だから勝ったのだと思います。
満州事変の始まりは柳条湖事件です。
満州に関連しては、日本政府としても親日派軍閥長である張作霖を支援の方針だったはず。
それを陸軍は暴走して爆死させてしまいます。
息子の張学良は、心の中では「親の仇」と思ったでしょうが現実主義者ですから、日本との積極的な敵対を行いません。
なぜなら満州で勢力を維持し南下し勢力拡大には、日本の協力は必須だからです。
張学良は日本政府の意向を理解しているので、9月18−19日は、北大営を大きな抵抗をせずに明け渡しています。
日本政府は「事変不拡大」という方針で、19日の若槻内閣の臨時閣議でも陸軍ふくめ「事変不拡大」の方針を再確認。
こうした状況で、張学良は非常に冷静に対応しています。
一方で現場の陸軍は、自衛行為だといいつつ進軍し、事前準備していた大砲も持ち込んで勝利を得ています。
結局、相手の政府が「事変不拡大」と言っている事を受け入れている相手に、現場の軍隊が勝手に攻めるんですからそりゃあ、勝てなきゃオカシイですね。
そして、このような、政府決定事項である戦争について現場が勝手に進めたのに、その担当者達に、厳しい処罰を出来ない。新聞は勝利を報じて非難せず、国民は満州事変における関東軍の行動を熱狂的に支持したのが、その後のどうしようも無い戦争への入り口だったのだと思います。
前にも書きましたが、国民が支持しなけりゃ、予算が付きませんから軍隊は継続して動けません。
結局、防衛行動だというコジツケを、後追いで是認して予算をつけたのも当時の政府であり国民もバンザイして喜んでいました。

最近、どこかの国で、現場の艦長が日本の飛行機に射撃レーダの電波をあびせかけました。
その政府は「不拡大」というどころか、「日本の脅威」を煽り立てて、新聞も一緒に騒いでいます。
その国でも冷静な人は嘆いていますが、何より問題なのは、現場の軍隊が勝手をして政府が、それを処罰できなければ、現場はもっとエスカレートするのでしょう。
私達 日本人は、そうした行為が、悲惨な戦争につながった事を知っています。
軍隊の勝手が通ってしまう危険を判らずに、無邪気に喜んで人々を見ると、本当に大丈夫かなぁと思います。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
細かいことですが、騙し打ちというのはいささか言い過ぎかなって気がするのです。日本びいきというわけではありません。
関東軍の謀略(はかりごと)で始めたのは間違いないでしょう。しかし満州事変が起こる以前も組織的に行われたのか否かは分かりませんが、双方ともけっこうテロ事件的なこととか、突発的衝突もありました。だから関東軍が奇襲攻撃を行ったにしろ、中華民国側も対応できなかったというのは油断というか、即応体制ではなかったことは軍人として反省すべきだと思います。
同様に関東軍もハルピン周辺やチチハル制圧には、武器弾薬はもちろん、兵士の靴から衣類まで準備不足がたたりました。決起するならもっと前準備しておけよと言いたいです。それとも向こうも油断しているからこちらも準備不足でもことを起こした方が最善と考えたのでしょうか? どうもその辺の考えが良く分からないのです。

実は、外資社員様から根本的なことにツッコミが入るかと戦々恐々しておりました。それはこの話ではサラッと流していますが、次話で議論するつもりですから生暖かい目で見てください。


外資社員様からお便りを頂きました(2019.01.30)
>突っ込みどころ
政治問題で頭が一杯でしたが、技術面で見ると、当時の飛行艇で戦車の輸送は難しいですね。
異世界では技術が加速して、二式大艇(初飛行1941年)と同程度のものが、すでに出来ていたと仮定します。
2式大艇 二式大艇の輸送機としてのペイロードは良く判りませんが、800kg魚雷を2本積めたので1.6t、倍にしても3tくらいが限界でしょう。
なぜか日本の大型機は、英米に比べてペイロードが小さいのですね。
英国のランカスターは標準で6.4t、最大10t可能。
これならば小型戦車くらいは、何とか運べますか?
但し、問題になるのは重量の位置です。 飛行機の重心に戦車の重心が来ないと飛行できません。
それには、かなり特殊な形状の機体になるように気がします。
前側に重心があり、尻が跳ね上がった形状です。(三菱C1
残念ながら、このような形状の機体だと、飛行艇として安定して離着水するのは難しいように思えます。
ですから、よほどの巨大機でないと難しいと思いますが、当時の非力なエンジンでは機体を大きくしても出力が上がらず、機体重量の増加がペイロードの増加を越えてしまいます。
これが、非力なエンジンしか持たない、日本の爆撃機や大型機のペイロードが小さい理由だと思います。
アメリカは、化け物みたいな巨大飛行艇;H4を作っています。
これはデカすぎて、一度 離水したものの、結局 使い物にならなかったようです。
突っ込み待ちみたいだったので、つっこませて頂きました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
この物語の関東大震災のとき、地震火災の消防用に積載量10トンという飛行機を作るという前提で現代のアメリカから星型エンジンを持ってきて川西飛行機に作らせたという流れでありました。
現実にはエンジンがあってもどうしようもありません。ベアリング、パッキン類、絶縁材料などあらゆるものが1923年ではなく1960年頃になっていなければどうしようもないと思います。
しかし川西の飛行艇は今も昔もすごいですよね。アメリカも欧州も飛行艇から手を引いて、今では日本の他にはロシアとそのパクリの中国くらいしかないようです。
驚くのは航続距離で2式大艇は7000キロ近かったそうです。US-2などは現実を踏まえてか4500キロしかありません。といってもとんでもない距離ですよね。まあ、現代は空中給油が前提の時代ですから、航続距離は意味がなくなってしまったようです。
ところでツッコミ場所はそこのつもりではなかったのですが⇒第146話

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