異世界審査員147.満州その7

19.02.07

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1928年5月某日
南太平洋ウェーク島から北東約1,000キロ、伊1型潜水艦がセイルのみ水上に上げて航海していた。1920年代ともなると潜水艦は構造も兵装も役割も確立していた。伊1型潜水艦は水中排水量2800トンと21世紀の海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦より一回り小型である。

伊1型潜水艦そうりゅう型潜水艦
建造年1923年2005年から
基準排水量1970トン2900トン
水中排水量2791トン4200トン
全長97.5m84m
9.22m9.1m
速力 水上/水中18.8ノット/8.1ノット13ノット/20ノット
潜航深度75m500m以上といわれる
乗員75名65名
魚雷発射管53p×6門53p×6門
砲煩兵器12.7p高角砲2門
機関銃1挺
なし
搭載機水上偵察機 1機なし

80年の差があるから武器や性能は大きく違うものの、そのサイズや人員はさほど変わらない。長期間 航海するので似たようものになるのだろう。

ここは公海で扶桑国統治領からはかなり離れている。しかし扶桑国海軍潜水艦隊の平時の役割は哨戒、要するに見回りである。太平洋航路の監視と防衛に当たっているのだ。
潜水艦 とはいえ、普段はなにごともない。扶桑国とアメリカを結ぶ船はほとんどがハワイで補給と休憩をするのでこの海域を通る。扶桑国と外国の客船・貨物船は毎日往復2便くらいあるわけだが、潜水艦から見える範囲では日に1隻会うか会わないかという程度である。もちろん向こうが潜水艦を見つけることはまずない。
遭難とか海賊などの救助信号を受けたり、本国からの連絡があれば救助に駆け付けるわけだが、そんなことは過去一度もない。

水平線から煙が登っている。定期の客船や貨物船は単独で航海する。煙突の数だけ煙が上がるわけではなく、1隻の船に何本か煙突があっても少し上空になると煙は一つになる。水平線の向こうに煙が何本も上がっているということは、何隻か船団を組んでいるということだ。
潜水艦はそのままの状態で近づくのを待つ。中型の輸送船が3隻見えてきた。一見何の変哲もないが、1隻でなく船団を組むなんてのは珍しい。甲板の上には木製の大きな箱が数十個も積んであるのが見える。
潜望鏡深度まで潜って行き違う。そして無線を発信する。
「こちらまんぼう2号、ウェーク島の北北東1,350キロ、アメリカの中型の輸送船3隻とすれ違う。甲板上に兵隊多数。また大きな木箱が甲板上に積んである。詳細不明」

無線は横須賀の海軍で受信し、すぐに皇帝顧問の中野に伝えられた。
中野は伊丹夫婦と兼安大佐を呼ぶ。伊丹夫婦を呼ぶのは夫婦でワンセットという意味ではない。幸子は政策研究所のプロジェクトリーダーであり、伊丹は中野の個人的ブレインなのだ。

中野
「南太平洋の哨戒潜水艦から、アメリカの輸送船3隻を発見したという無線が入った。まっすぐ扶桑国を目指しているようだ。大勢の兵士が甲板にいたという」
兼安大佐
「満州侵攻作戦のための兵士を輸送しているのでしょう」
中野
「満州でことを起こす2月前に我が国に事前通知をすることになっているのだが」
幸子
「空挺作戦に参加する兵士を事前に送って我が国で訓練・演習を行うのではないですか」
中野
「そして実行のふた月前に我が国に知らせるということか。満州に送る兵士は訓練や演習の必要がないから作戦実行直前に輸送するのかな?
空挺作戦の訓練にはいかほど日数がかかるのだろう?」
兼安大佐
「訓練といっても飛行機への乗り込み、乗り降りが主となると思います。実際の戦闘の訓練は我が国ではさせません。となるとせいぜい10日もあればと思います」
中野
「ということは10日後には陸上兵力の輸送船が来ることになる。ウェーク島から我が国まで、いや遼東半島まで何日かかる?」
伊丹
「10日から2週間くらいでしょうか」
中野
「となると2か月前に事前通知というのとはどうなるのかな?
空挺作戦の訓練にひと月以上かかると考えているのか・・・」
兼安大佐
「あるいは事前通知を無視して2週間後に作戦開始というのもありかと
今日は5月20日、2週間後は満州は盛夏(注1)でしょう、作戦実施には最適かもしれません。
今から事前通知して2か月後となれば早くて7月下旬、日本の史実の満州事変よりふた月早い。とはいえチチハルなどまで平定すると寒い季節までかかりますね(注2)
中野
「アメリカは事前通知の約束を無視するのかな?」
伊丹
「いや、そうでないかもしれません。アメリカは日本の史実を知らないでしょう。しかし立案は石原君です。彼は日本の史実を調べて、いかに関東軍の歩みが遅かったかを知っています。兼安大佐が言われた7月下旬の作戦開始でも、自動車と空挺部隊を活用すれば寒くなる前に作戦完了できると読んだのではないでしょうか。
それとあまりにも早く作戦を行えば冬になる前に中華民国が軍隊を動かして反撃することも可能です。概ね平定して冬になり、お互いに作戦行動できなくなった方が良いと見ているのかもしれません」
中野
「なるほど、となると空挺団の訓練にふた月かける気かな?」
幸子
「以前グアムで行ったのは、乗り込み乗り降りの際の問題点摘出です。実際の条件で訓練するのはこれからです。二月みたとしても妥当ではないでしょうか」
中野
「なるほど、ではこれから我々は何をするのか?」
伊丹
「基本は向こうからの連絡を待つしかないでしょう。
しかしハワイから西の太平洋は我々の海です。変なことが起きないように潜水艦と哨戒機による警戒を厳しくすること。アメリカもありますが、中国やソ連の監視船が出てくるとまずいでしょう。
それから受け入れ態勢ですが、輸送船は佐世保に向かうはずです。ですからそこから大村基地への輸送の手配、衣食住の手配」
兼安大佐
「飛行艇は既に作戦用として22機に後部ドアの追加加工は完了してます。現在は数か所に分散配備していますが、大村基地に集めるのは数日で十分です」
中野
「飛行艇から河岸への上陸はどうするのか?」
兼安大佐
「内緒と言いたいですが、中野さんにはそうもいきませんね。飛行艇内にインフレータブルボートを載せておき、着水前に膨らませ乗り込み、着水と同時に後部ドアを開けて押し出す予定です」
幸子
「インフレータブルボート? ああ、ゴムボートのことね」
中野
「楽しみにしているよ」
兼安大佐
「ご期待に応えられるかどうか、アハハハ」



数日後、アメリカ大使館から正式に作戦開始予定と空挺団の輸送船の到着の知らせがあった。作戦は2月後という。一応約束通りだ。
更に10日後、3隻の輸送船は佐世保港に入った。佐世保は1889年から日本海軍の軍港であり、秘密保持は確実だ。
船から降りた兵士はすぐに臨時列車を仕立てて大村の竹松駅まで送り、そこから大村基地に設置した宿舎にトラックで運ぶ。大村基地は陸上飛行場であるが1920年代は単なる原っぱであり、そこに数十機の複葉機が並んでいるだけだ。赤トンボと呼ばれる有名な93式練習機が現れるのは1933年で、このときはまだない。

ミラー大佐、ロドリゲス少佐、ムーア大尉と兼安大佐と伊丹が会う。

ミラー大佐
「やあ、久しぶり。とうとうやって来たよ。扶桑国の飛行艇に期待している」
兼安大佐
「ご安心ください。我々も準備完了です。飛行艇から河岸への上陸はこれからの練習ですね」
ミラー大佐
「そちらで手配されていると聞いている」
兼安大佐
「はい、口で言っても伝わりません。まずは今日・明日は休養、明後日から訓練開始としましょう。
ちょっとどうしようかと考えているのですが、訓練に二月はかかりませんよね。することがなければどうするのでしょう?」
ミラー大佐
「そんなに簡単に行くものかね。二月では足りないかと心配している」
兼安大佐
「乗り込み、上陸の訓練は良いのですが、実際に飛行して着水してという訓練はあまりできないのです」
ミラー大佐
「飛行機が足りないとか予算の関係とか?」
兼安大佐
「いやそうではなく、基地内なら機密保持は大丈夫ですが、飛行機が飛びあがればどこからでも見えます。我が国は狭いので、どの基地でも中国・ドイツ・フランス・ソ連のスパイが監視しています。飛行艇が20機もそろって離着陸すれば何かあると気が付きますよ」
ミラー大佐
「なるほど、しかし実際に飛行する訓練もしなければならんな。場所がなければグアムとか」
兼安大佐
「グアムまで行かずとも、沖縄などの離島のラグーンでなら上陸訓練もできますが、熱帯のサンゴ礁と寒冷地の河川では大きな違いがありますからね。まあそれは今後検討しましょう」

翌日、兵士たちが宿舎や表でごろごろしていると爆音が聞こえてくる。皆が表に出て空を見上げると、大きな飛行艇が何機も飛んでくる。飛行艇は基地から1キロほどの沖合に着水すると海岸から2キロほどにある小さな島に向かい、そこに係留するようだ。
次から次と大型飛行艇がやって来る。
アメリカ人たちは呆れてただ空を見上げている。

ミラー大佐
「おいおい、すごいもんだね。何機来たか数えたか?」
ロドリゲス少佐
「22機だったようです」
ミラー大佐
「50人乗りなら20機だから予備機もあるのだろう」

翌日、兵士を木造の仮の講堂に集めて飛行艇輸送の説明をする。もちろん一度にはできず、3分割して行う。兼安は元から英語は得意だ。

兼安大佐
「乗り込みは飛行艇をこちら岸までもってきて桟橋から乗り込む。背嚢は座先の脇の固定して着席、飛行時間は約3時間だ。ここから目的地までは、アメリカならニューヨークからインディアナポリスまでと同じ距離を飛ぶのだ。ものすごい長距離だから長時間の着席は我慢してほしい。実際の作戦ではもっと長距離だ。目的地によって違うが5時間から6時間くらい飛ぶことになる。
移動の間の環境はできる限り快適にしたい。機内は与圧されているし、室温は20℃くらいにする。移動中に食事は一度。トイレはふたつ、交代で利用してほしい。
目的地では河川に着水し、機内でゴムボートに乗り込む。1隻に25名乗り込む。機内では2隻同時に膨らますことはできないから、1隻膨らませて25名が乗り込みそれを水面に押し出す。そしたら二隻目のゴムボートを膨らませ残りの25名が乗り込み水面に押し出す。
ゴムボートにはエンジンが付いているから、スクリューで河岸に向かう。
目的地がチチハル市の場合、嫩江(のんこう)で川幅400mから600mだ。ハルピン市の場合は松花江(しょうかこう)で川幅400から900mくらい。川の中央に降りたとして川幅の半分ボートで渡る。どちらも上陸するまで大した距離はない。
飛行艇は君たちのゴムボートを下ろせばすぐに離陸する。というのは狭い河川だから多数の飛行艇がいるスペースがないからだ。
飛行機から2隻のゴムボートを降ろすのに5分程度と考えている。それにしても1個所で10機となると50分にもなる。素早くしないと降りた順序で各個撃破される恐れがある」
ロドリゲス少佐
「飛行機が降りる場所は中華民国軍の駐屯地から7キロないし10キロ離れている。飛行機が来るのをみれば中華民国軍が駆けつけるのは当然予測される。
我が軍は事前に場所を確保して、輸送用トラックと若干の戦車を送り込んでおく。先発隊は上陸地点の川岸にそれらを運ぶことになっている。
中華民国軍は兵員輸送用のトラックや馬車を持っておらず騎兵隊もない。基本、移動は歩行だ。7キロを駆け足で来るにしても1時間はかかるだろう。我が方が機動力を生かして先制することがカギだ。
これから1カ月と少々、着水してから素早くゴムボートに乗り込み河岸に上陸できるように訓練する」

兵士の士気は結構高い。まだ海水浴には早いが、海に落ちても歯をガチガチさせるほど寒くはない。
実際にやってみると小銃の置き方、後部ドア近くのシートは邪魔なので取り外して床に座るべきかとか検討するところもある。

10日間ほど水上に置かれた飛行機への乗り降りを練習すると、各機対抗で乗り込み、ゴムボート脱出の競技会をする。初めは和気あいあいの遊びもどきだったが、日にちが経つにつれ真剣になり、所要時間は1日目に比べ10日目ではなんと半分になった。

兼安大佐
「それじゃ、明日は実際に飛行してみますか、」
ミラー大佐
「どこまで、この上を飛ぶのか?」
兼安大佐
「長時間乗ることへの慣れも必要でしょう。霞ケ浦という湖まで行きます。ここは我が国のもう一つの飛行機乗りの養成基地です」

大村基地から霞ケ浦まで約1000キロ、飛行時間3時間と少々。シートに座って3時間はかなりきつい。窓もあるが窓のそばに座っている者しか外は見えない。みなシートに座り、身動きもできるわけでなく、かなりつらそうだ。

突然放送がある。

「こちらは操縦席。あと30分で着水する。着陸準備を始めよ」

後部座席にいた者がシートベルトを外してゴムボートに飛びつき、空気ポンプをつないで空気を送り込む。他数名は後部のシートを折り畳み、ゴムボートを外に出す際じゃまにならないようにする。既に20名はゴムボートに乗り込み、体をボートとカナビラでつなぐ。シートベルト代わりである。

「あと10分で着水する。準備は良いか」

小隊長が電話で準備完了した旨、操縦席に連絡する。

まもなく着水するとスピーカーが言って、1分もしないうちにドシンと衝撃があり、滝のようなものすごい水の音が続く。
1分ほどすると後部ドアを開けろと放送がある。

左右の兵士が後部ドアを開けると、飛行艇はゆっくりと水面を進んでいる。
ゴムボートに乗っていない兵士がシートベルトを外してゴムボートの固定を外して全力で後方に押し出す。実際にはゴムボートはレールの上に乗っていて、押されると後方に滑り出して水面に浮かぶ。飛行艇は水上を滑走しているのでゴムボートはどんどんと離れていく。すぐにゴムボートのエンジンがかかり急速に離れていく。
その頃は二隻目のゴムボートが空気で膨らましが始まっている。残りの兵士がそれに飛び乗り、数名がゴムボートを押し出し、飛行艇から離れる前に飛び乗る。一人が乗り損ねて水に落ちるがゴムボートから10本くらいの手が伸びて引っ張り上げる。
エンジンの音がし始め、先行するゴムボートを追いかける。
2隻のゴムボートが発進すると、飛行機はエンジンの回転を上げて滑走を始める。

低空を旋回する飛行艇の窓からミラー大佐と兼安大佐が眺めている。

兼安大佐
「初めてですが、評価はどうですかね?」
ミラー大佐
「初めてにしては思ったよりいい。最初の飛行機が着水してから最後の飛行機のゴムボートが出るまで40分、初回でこれだけできるとは期待以上だ。本番では20分くらいに縮むかね」
兼安大佐
「それは無理です。今回は2機ずつ着水している。実際はこの湖ほど広くなく、1機ずつ順々にしか着水することができません。単純計算で倍になります」
ミラー大佐
「では川の上流と下流に離れて同時に何機かずつ着水すればいいのではないか」
兼安大佐
「お望みならそうしますが、そうなりますと相当範囲に散らばります。作戦行動に支障が出ませんか?」
ロドリゲス少佐
「大佐殿、滑走距離から見ると2キロは離れますね。歩いて終結するとなると30分、どうですかねえ〜
仮にゴムボートで一定地点まで漕ぎ進んで上陸するとなると、敵から狙われやすくなる。もっともその方が歩かないからいいのかどうか」
ミラー大佐
「このような訓練はこれから何度もさせてもらえるのだな」
兼安大佐
「もちろんです。但しこれほどの距離を飛ぶのは時間がいささか無駄ですから、大村湾で行いたいですね。
でも長時間飛行機の中で座っていることに慣れる訓練も必要ですね」
ミラー大佐
「これからも兼安大佐の指導の下にいろいろしてみたいね」
兼安大佐
「さて川岸への上陸ですがうまくいきますか。岸近く飛びますからよく眺めてください」
ミラー大佐
「次回はワシもゴムボートに乗る。上空からの視察は小隊長や中隊長に交代で見てもらおう」
兼安大佐
「今日は上陸後また乗り込んでもらい、ここでもう一度上陸訓練をします。それから大村に帰ります。向こうでも上陸はゴムボートでやってもらいましょう」

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注1
満州といっても広いが、ソ連/ロシアとの境の満州里市で30℃以上になるのは、6月中旬から8月上旬である。8月下旬は寒く9月下旬には0℃前後になる。

 中国における年間の平均的な気候

注2
満州事変は1931年9月18日に始まったが、各地の中華民国軍を制圧するには11月下旬までかかり、既に季節は真冬で、雪は積もり河川は凍結していた。


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