異世界審査員160.ノモンハン事件その1

19.03.25

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1930年 3月
兵庫県神戸市
川西航空機の工場

飛行艇から爆弾を投下するよう突貫工事で改造をしている。機体と翼やフロートをパイプやワイヤーで結束している構造から翼に懸架するのは難しく、胴体内に搭載するしかない。 飛行艇 それから飛行艇下面に爆弾投下口を設けるのは簡単ではない。
それで以前、空挺作戦でゴムボートを川に押し出すために使った胴体後部の荷物用ドアを空中で開けて、床面のレールの台車に載せレールの末端で爆弾を押し出すことにした。爆弾を台車に載せるのと押し出すのは機械だが、その操作は酸素マスクをした爆撃手の体を安全のため機体にひもで結び付け、手でスイッチを操作する。原始的だが手っ取り早いのはこれしかない。ただこの方法では大型爆弾を投下することができず、小型爆弾に限定されるのはやむを得ない。

史実では1930年頃、つまり昭和5年頃にはイギリスやドイツから入手した爆弾を基に30キロ爆弾から500キロ爆弾まで実用化されていた(注1)この世界でもそういった発展は同様だろうが、遠距離を飛べる爆撃機がなく、輸送機型の飛行艇を転用しているため小型の爆弾を多数積むしかないのはしょうがない。
もっとも爆弾の破壊範囲は弾薬量に比例するわけではない。むしろ1個の大きな爆弾は同じ重量の小型爆弾より破壊範囲は狭い。強固な防壁を破壊するには一か所に大きなエネルギーをぶつける必要があるが、軟性の目標なら破壊力が弱くても広い範囲に分散させた方が破壊面積は広くなる。

大きな爆弾
小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾
小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾
小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾
小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾
小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾小さな爆弾

* 同じ爆薬量なら小さな爆弾の方が広い面積を破壊できる。
但し、強固な建物などを破壊するには大型爆弾が必要。

投下した爆弾がどこに落ちるかは定かではない。1万メートルから投下すると、着地まで50秒ほど時間がかかる。途中の風速が10mとして500mも流される。先行する爆弾の流れを見て調整するしか手はない。特定の目標をどうしても破壊したいというなら、絨毯爆撃して目標の周囲を破壊し尽くすしか手はない。ゆくゆくは爆弾自身が目標を目指すスマート爆弾になるのだろうが、それは30年かそれ以上先のことだ。

要撃してくる戦闘機対策である。
元々護身用に胴体後端に12.7ミリ単装機関銃を設置していたが、それはそのままとした。
第一次世界大戦の戦闘機 この飛行機を作った1922年頃は戦闘機の速度は時速200キロ台だったので、300キロも出るこの飛行機を攻撃できるはずがなかった。1930年頃は戦闘機の速度も500キロ近くなってきた。とはいえ飛んでいる飛行機に横方向からの攻撃はありえないだろうし、1万を飛んでいる飛行機を上方から攻撃するのも考えられない(注2)可能性があるのは後方斜め下からしかない。後端に1丁だけでは心もとないという気もするが、どちらにしても高度1万を飛んでいるのだから、ここまで上がってくる戦闘機もそうないだろう。それに原始的であるがAWACS(偵察型飛行艇)が周囲数百キロを監視するのだ。心配するのを止めた。
3月末には十数機の改造が完了し、例の長崎県の大村基地に持ち込まれた。



1930年3月
長崎県大村湾
長距離飛行 爆撃訓練

川西航空機から改造飛行艇が持ち込まれる前から、アメリカの爆撃機操縦士や爆撃手など100名ほどの第一陣が訓練を受けている。元々大型機で激しい動きができるわけではないこと。そして自分の飛行経路を考えるなんてことは無用なこと。つまり案内役の扶桑国のAWACSが索敵、航路、爆撃をすべて処理する。各飛行艇の操縦士は、縦10インチ横15インチくらいの表示板に表示される通りに操縦するだけだ。離陸と着陸だけ自己責任でする作業となる。
そうそう、敵戦闘機の位置もすべて誘導するAWACAが把握して、見つけた場合はこちらが避けて会敵しないコースを取るという。
改造された飛行艇がないときは、そういったものの理解と操作の訓練を行う。

爆弾

爆弾

爆弾

爆弾

爆弾

爆弾

爆弾


3月末、改造飛行艇が到着すると早速飛行訓練になる。
とはいえ訓練といってもそんなに高度な作業とか熟練を要することもなく、大村湾を飛び立った後、どこにいるのか見ることもできないAWACSの指示に従い1時間内外太平洋上を飛び、指示に従い後のドアを開けて模擬爆弾を落とす練習を数回して終わりだ。
もちろん目標海域にはいくつものブイで囲まれた四角形がありそれを狙って落とす。とはいえ1辺200mでも1万メートルから見れば100m離れた2mの四角形、それに落下するのに1分かかるから時速300キロとしても5キロも手前から落とす。とても当たるとは思えない。

搭乗員が交代でそんな訓練を2週間もしていると改造機は50機ほど揃った。
あまり早く爆撃機を大連に持ち込むとソ連のスパイに見つかる恐れがある。それで最初の爆撃行は大村基地で爆装し直接満州まで1900キロの飛行をする。陸上で侵入軍と戦端が開かれた後に離陸しても十分間に合うとのこと。
ゼロ戦の航続距離は2200キロだった。1000キロ飛んで戦闘を行い、帰還したという。しかしそれが物理的に可能であっても、そんな飛行計画では操縦士は疲弊するだろう。
飛行艇の場合、操縦士は交代だし航法はすべて誘導する偵察機にお任せ、ラクチンで安全だ。


1930年4月
アメリカ ワシントン州ヤマキ演習場
ヤマキ演習場とは1,311km2というから、一番広い岩手県の約1割、一番小さな香川県の7割である。狭いなんて言ってはいけない。日本の演習場は矢臼別(やうすべつ)が168km2、東富士演習場が88km2だから、その広さはすごい。ちなみに我が家は80平米しかない。
史実ではヤマキ演習場は1942年土地を借り、1951年から本格的に整備されてきたらしい。まあ、これは物語だから1930年からあったことにしよう。

地平線まで続く荒れ地を、対戦車砲を荷台に積んだトラックが、100台いやそれ以上走っている。
無線で指示を受けたトラックはそれぞれの適宜の位置に停車すると、4隅にアウトリガーを出す(注3)そしてほんの僅か車体を持ち上げ砲撃時揺れないようにする(注4)
フォード自動車と陸軍が検討した結果、普通のトラックの荷台に対戦車砲を載せて撃つと射撃時の反動で車体が傾き、命中精度が大きく落ちることが分かった。特に二発目以降は揺れが止まらないと撃てないので連射は無理という。それでアウトリガーを追加して、停止、アウトリガー固定、砲撃3〜4発、アウトリガー解除、移動までを3分ですることを目標にした。

その照準だが、いまだかって聞いたことがない方法だ。各トラックには縦横10インチかける15インチくらいの表示板が付けられている。
方位 289°28′08″
仰角 00°29′53″
弾種 榴弾

そこに磁石と水準器を基準にして方位と仰角が何度何分何秒と表示される。砲手はそれを見て、対戦車砲のウォームギヤを回して合わせる。そして撃てという表示板の命令を受けてトリガーを引く。各トラックは定められたところに停車するわけでなく、適当に走って適当な場所に止まるのだが、指定される数値はすべてその場所から敵戦車の登場予想位置を示すという。
上空を扶桑国の偵察機が飛んでいる。その偵察機が目標を見つけ、それぞれの対戦車砲に割り当て、その射撃管制をしているという。間接射撃といえばそれまでだが、一体その数値はどんな仕組みで算出したのか? 砲手の俺は学がないからわからない。もっとも技術者も士官も理解できないらしい。

実を言って川西に飛行艇を開発させた関東大震災当時は、航空機と地上戦双方に1種類の哨戒機で間に合うと考えていた。しかし航空機を見つけるためのAWACSは高空を飛べば相当範囲を監視できるが、戦車や歩兵を捜索するには赤外線装置や光学機器を使っても狭い範囲しか見えず別のものが必要となった。それで機体は同じ飛行艇を使うが別機種となった。もちろん1万メートルの高空を飛ぶのは同じで、敵戦闘機や高射砲からは安全である。
なお、陸上機でなく飛行艇を使うのは、秘密保持のため扶桑国から飛ぶ必要があり、長距離・長時間を飛べる陸上機がなかったからだ。それにこの時代、長距離旅客機も飛行艇の時代である。
射撃管制の仕組みを簡単に言えば、目標は偵察機がレーダー・赤外線・光学などによって発見し、対戦車砲の位置はそれぞれの発振器から得て、目標と対戦車砲の位置関係を把握する。そして距離や遮蔽物や地面の起伏などから目標を適切な対戦車砲に割り当て、その位置関係と弾道計算から照準、仰角を指示する。理屈は簡単だが位置関係を把握する仕組み、数百門の弾道計算がとんでもないことになる…手計算なら。そこは未来からきたコンピューターで一瞬である。万が一対戦車砲がソ連に鹵獲されたりアメリカに分解されても受信機/発振器/表示器があるだけで技術漏洩の恐れはない。もちろん液晶表示器だけでも価値は莫大だがコンピューターの秘密が守れればよい。

とりあえず射撃訓練開始だ。俺は表示板の数字に合わせて命令を受けてトリガーを引く。1キロ離れた的の中心から弾の径だけ右にずれて当たった。初段命中だよ。不思議なこともあるものだ?
鉄帽 実を言って、たくさんある的の中で自分がどれを狙ったのかさえ自覚していないんだ。
左右のトラックは別の的を撃ったわけだが、それらもジャストミートしている。
隣のトラックの砲手と顔を見合わせて笑ってしまった。
距離1000メートルなら角度で1分違えば30センチずれる計算だ。6分(0.1度)違えば当たらない。弾丸の直径だけずれたということは……角度で10秒、信じられん注5)。

号令が出てトラックはまた走り出し、100mほど走ると号令を受けて停車し、またアウトリガーを出す。そして砲撃、命中、また移動だ。
射撃訓練というよりも、移動とアウトリガーの操作訓練のようだ。



1930年4月
フィリピン クラーク空軍基地注6
ここではアメリカの新鋭機P35型戦闘機250機が訓練している。アグレッサーは扶桑国の97戦100機である。もっともアグレッサーとデフェンサーは毎日交代する。

使用国扶桑国アメリカ
製造国扶桑国陸軍アメリカ
外観 97戦 P35
型名97戦P35
初飛行1936(1928)1935(1927)
運用時重量1790kg2770kg
武装7.7mm×212.7mm×2
7.7mm×2
エンジン馬力610PS1050PS
速度470km/h627km
航続距離470km/h1530km
降着装置固定式引き込み式
敵味方350機が入り交ざって大空中戦をするのは壮観である。まだバトルオブブリテンも起きていないし、それに次ぐ大空中戦であったノモンハン事件もこれからのことだ。だからこれほどの数の空中戦は誰も見たことがないはずだ。
ちなみに欧州大戦(第一次大戦)のとき、飛行機はいかほどあったのかというと、たいしたことはない注7)。
編隊戦闘といっても数十機対数十機だった。
そして第二次世界大戦後は一機当たりのお値段が高騰し、20世紀後半以降はお金持ちの国と言えど何千機も調達することはできず、数十機単位の航空戦は起きなくなった注8)。

各戦闘機には改造がされている。操縦席前面に自分の位置、僚機、敵機の表示がされる。表示範囲を広くしたり狭くしたり数段階に切り替えできる。これを見るだけでなく、飛行しているときに偵察機が敵機発見すると、その位置と方向・速度・高度などが表示されるのだ。
そして有利な位置につけるよう誘導される。また一撃離脱戦法を取ることを指示されており、乱戦、格闘戦に入らないよう命令されている。
偵察機は、やがて早期警戒管制機(AWACS)と呼ばれるようになる。

訓練は偵察機がデフェンサー戦闘機隊を誘導し、アグレッサー戦闘機隊は目視による索敵という形で行う。偵察機は、どう考えても有利な形に持っていけない状況なら敵を避けてしまうし、有利なポジションを占めることができる場合は、そこから一撃離脱で攻撃するのでほとんど一方的な戦いになる。まあ、アグレッサーとデフェンサーは日によって代わるので恨みっこなしではある。
この方式の戦闘訓練ではP35と97戦どちらも偵察機の誘導を受けた場合は勝つ。じゃあ両方とも偵察機の誘導を受けたらどうなのかといえば、戦闘を避けておしまいになるのだろうか?
この戦闘管制によれば、腕が悪くても機体の性能が悪くても、よほど運が悪くなければ敵を撃墜できなくてもやられることはない。
もはや飛行機乗りは号令で前進し射撃する歩兵並みの頭と腕があれば間に合うようになってしまった。空中戦は騎士同士の高貴な一騎打ちから、徴兵で駆り出された兵士の仕事になってしまったようだ。一生懸命勉強して狭き門を通り、航空学生となりやっと一人前になったと喜んでいたら、もう意味がなくなってしまうのか? そんなことを思うパイロットも多い。

デッキチェア それにしても……AWACSの目の届く範囲は200キロや300キロあるようだ。戦闘機隊は既に上空を飛行している偵察機がアグレッサーを発見するまで、飛行場でデッキチェアに寝転んでいていいのだ。
AWACSは戦闘地域から遠く離れた安全地帯を飛んでいて、護衛戦闘機もなしだ。

両国の整備兵は相手国の飛行機の整備や故障などを脇で眺めている。扶桑国の97戦は技術が高いとか性能が良いとは思えないが、とにかく故障しない。毎日全機がちゃんと飛行する。対するP35は故障が多いとは言わないが、250機のうち、毎日10機はなんらかの事情で飛べない。整備員同士、手足を使って会話をするのだが、部品そのものの不良の有無が違うらしい。バルブや電球やベアリングやワイヤーや、とにかくひとつひとつの部品の故障率が違うようだ。



1930年4月末

ヤマキ演習場で訓練を終えた対戦車砲部隊は輸送船で大連に移動した。大連はヤマキ演習場より南だが、ノモンハンはヤマキ演習場よりだいぶ北だ。まだ雪も残っているらしい。
クラーク基地で訓練を終えた戦闘機部隊は、フィリピンから台湾、九州を経由して大連の空軍基地に移動した。扶桑国の97戦部隊は参戦するかは未定なれどアメリカの戦闘機隊と同行している。



1930年5月5日
政策研究所

中野、伊丹夫婦、岩屋、高橋、小笠原がいる。さくらはアメリカに行ったきりで、アメリカとの交渉窓口をしている。
皆、人工衛星写真や諜報機関からの報告書を眺めている。ここ10日間くらいソ連軍の移動が激しい。
ノモンハン国境からソ連側50キロ地点にある基地には、戦車約500台、兵員1万、トラックなどが集結している。シベリア鉄道で兵員を輸送している写真もある。日付を見ると昨日である。
国境から100キロ地点の飛行場にはI-15、I-16、爆撃機など合わせて120機が集結している。そこから北70キロにある飛行場にはI-15とI-16合わせて100機だ。他にも空軍基地はいくつかある。
そんな写真を参加者が回してみている。

岩屋
「小笠原閣下、どうですか、素人目にはまもなく出撃という感じですが」
小笠原中将
「日々、準備が進んでいるようです。数日前の写真に比べてトラックの荷台に荷物を積んでいますね。ただ兵員輸送の列車が着くのは三日後くらいでしょう。それからでしょうね。歩兵がいなくちゃ戦争できません」
中野部長
「国境といっても検問とか駐在部隊があるわけじゃないから、向こうが戦車やトラックで進んで来ても、誰も気が付かないということか?」
岩屋
「そうでしょうなあ。扶桑国と違い見晴らす限りの大平原、誰もいないわけです。越境されても、入植者の農地まで来なければ気が付かないでしょう」
伊丹
「2週間前から我国が派遣している偵察機が、高度1万で国境から20キロ内側を2時間に1回の割で巡回飛行しています。もちろん夜間も。ですから侵入して2時間以内には発見します。更に国境から200キロの範囲は飛行している飛行機は見つけることができます」
中野部長
「だいぶ前に吉沢さんに聞いたが、低空を飛ぶ飛行機は見つけることが難しいというじゃないか」
岩屋
「以前はそうでした。しかし半年ほど前、アンテナを追加して周波数の違う電波探知機で哨戒機から見下ろす位置にある飛行機も見つけることができるようになりました」
中野部長
「なるほど、それでまだ侵入している飛行機はないのか?」
岩屋
「今のところはありません。向こうも侵入する前には陣地や戦車などの状況を上空から確認するでしょうから、作戦開始数日前から偵察機の動きも激しくなると思います。まだその気配はありません」
小笠原中将
「こちらの哨戒機と出会うということはないのですか?」
岩屋
「こちらはレーダーで200キロくらいの範囲は見つけますから、飛行機が飛んでいたらそれ以上近づかす監視することになっています」
小笠原中将
「ほう、こちらは向こうを見つけて向こうはこちらに気が付かないとは、たいしたもんだ」
伊丹
「入植者の避難を始めた方がいいですね。ソ連軍がどこまで侵入するのかですが、100キロとか150キロも入り込まれると、入植地ですから避難者がものすごい数になりますね。数十キロ侵入したときに反撃し追い返さないと」
中野部長
「そのような国境近くまでアメリカ人は入植しているのか?」
岩屋
「東支鉄道沿いに入植していますから、ノモンハン近くにはいません。
こちらに入植地が記入された衛星写真がありますからご覧ください」
中野部長
「人工衛星は上空を通過する頻度が少ないから、国境の向こうの動向をリアルタイムでは見つけることはできない。偵察機は国境の向こうは見えないから、その分遅くなる。越境を見つけてから入植地に到達するまでどれくらいの時間なのだろう?」
岩屋
「抵抗を受けなければ10時間というところでしょう」
中野部長
「チチハルまで侵入するとして避難者はどれくらいだ?」
岩屋
「ざっくり言って5・6万かと。現実には避難は間に合わないでしょうね。占領地民というか難民というか、ひどい目にあいそうです(注9)
中野部長
「先ほど伊丹さんが言ったように国境から数十キロであれば避難者はいかほどか?」
岩屋
「ほぼゼロです」
中野部長
「入植者のところまでたどり着く前に防衛行動をするには越境から3時間以内に行かなければならないとなると……越境してからすぐに大連から戦闘機が飛んで行っても間に合わないんじゃないか」
小笠原中将
「そもそも大連からノモンハンとなると直線で900キロ、航続距離いっぱいいっぱいでしょうな」
中野部長
「すぐ石原とさくらを呼ぼう、」



1930年5月7日(扶桑国時間 5月6日)

アメリカ戦争省
ホッブス准将とミラー大佐、こちらは石原とさくらである。

さくら
「戦局が進みました。ソ連の侵攻はあと数日と思われます」
ミラー大佐
「自信たっぷりだがどんな根拠があるのかね」
ホッブス准将
「ミラー君、そういう言い方は止めたまえ。さくらが言えば間違いない。さくらが天才だってことを忘れるなよ。
さくら、君の意見を仰ぎたい」
さくら
「戦闘機隊をチチハルまで移動してください。今上空からの偵察では、ソ連の作戦機400機以上が国境から100キロ以内に配備されています。緒戦は国境のこちら側で起こしたい。ソ連の越境を明白にして、国際社会に訴えたいのです」
ホッブス准将
「分かった。P35は250機しかない。扶桑国の戦闘機100機の支援を受けられるという前提だな?」
さくら
「それはできません。緒戦はアメリカ軍だけで戦ってください。貴国も戦う前から外国に支援を要請するのはまずいのではないですか」
ホッブス准将
「戦いに恥も外聞もあるものか。兵力を小出しにするのは最低の戦術だ」
さくら
「とはいいましても戦術以上に戦略上の問題もあります。ソ連軍が満州に攻め入ったとたん、アメリカと扶桑連合軍が要撃したといっては話が合いません」
ホッブス准将
「向こうが400以上、こちらが250じゃランチェスターの法則から言って大負けだ(注10)
さくら
「敵は緒戦に400機全部は出してきませんよ。せいぜい150とかでしょう」
ホッブス准将
「ほう! どうして?」
さくら
「乾坤一擲で全勢力を緒戦に出すとは思えません。それに戦闘空域が狭いから400機も飛ばしたら身動きが取れないでしょう。対して防衛側は上空を援護するためには常時数十機飛んでいなければなりませんから250機といっても一度に出すのではなく交代で飛ぶことになります。
それにAWACSの指示がありますから、負けはしません」
ホッブス准将
「確かにフィリピンでの演習では、AWACSがいれば負けはなしと聞いた。
次はどうする?」
さくら
「対戦車砲部隊をノモンハン付近、国境から50キロラインに列線を作らせます。このラインから後退しつつ敵戦車を撃滅します」
ミラー大佐
「撃ちながら逃げるだけか?」
さくら
「そんなに時間はかけません。最初の交戦後、すぐに国際社会へソ連が侵入してきたことの広報と反撃する宣言、そして空爆を開始します」
ホッブス准将
「入植者は?」
さくら
「50キロラインから入植地までの30キロの間に地上軍を撃破できれば、入植者の避難は不要と考えます」
ホッブス准将
「国境から80キロまで入植者はいないか。そこで抑えきれないとなると?」
さくら
「それからの避難は間に合わないかもしれません。そうしないように仕事するのが准将です」
ホッブス准将
「さくらも同志だよな」
さくら
「もちろんです。でもそれは私の案を受け入れてくれた場合です」
ホッブス准将
「ワシが受け入れない可能性はあるのかね?」
さくら
「私の予想ですが、あります。准将はどうかわかりませんが、政治家は入植者に被害が出た方が、国内世論も盛り上がり、外国の心証も良く、後々の戦いで有利になると腹積もりするのではないかと懸念しているのです」
ホッブス准将
「まさか、人の生き死にだぞ」
さくら
「そう思いたいですが、先の欧州大戦でもアメリカが参戦したのはドイツ潜水艦がルシタニア号を沈めてからでしょう。128名の犠牲者がでたからこそアメリカ参戦に反対する人たちを抑えることができたんじゃないですか(注11)
意図的とは言いませんが大統領にとってチャンスだったと思います。今回は避難させないことが……」
ホッブス准将
「さくら、ストップ。言いたいことは分かった。お前も初めてあった頃に比べて大物になったなあ〜。だがそんなこと他人の前では言うなよ。
ミラー君、国境から80キロ侵入されたとき、関係する入植地はいかほどになる?」
ミラー大佐
「今の話を聞いてちらと入植地の地図を見ましたが、約500戸の農家がその範囲にあります。家族、雇い人を含めれば数千人でしょうか。チチハルまで避難させるには……すぐにしなければなりませんね」
ホッブス准将
「ほかには?」
さくら
「こちら側には大砲が少ないですから、爆撃機を繰り返し出すしかありません。侵入された以降は堂々と偵察機を越境させますから、向こうの配置はつかめるでしょう。毎日1回爆弾をプレゼントしましょう」
ホッブス准将
「爆撃だけでは終わらない気がする。最終的には陸戦で勝たないと」
さくら
「戦場まで作戦行動範囲にある空軍基地を壊滅させれば、敵は航空支援を受けられません。今の時代、航空支援を受けられない地上部隊は何ほどのこともありません。ましてや市街戦ではなく大平原ですから。
ところで、我々の作戦目的をはっきりさせなければなりません。守るだけなら達成できます」
ホッブス准将
「負けないというだけでは勝ちではない」
さくら
「10年前のシベリア出兵を覚えてらっしゃるでしょう。攻め込んで、行けども行けども原野ですから、こちらの兵站が切れるだけです。
話が大きくなりますが、これがトリガーになって欧州で二度目の戦争に入るような気がします」
ホッブス准将
「というと?」
さくら
「ソ連は戦いが短期間で終結しなければ西側の国境を気にせざるを得ません。それで戦端を開いてすぐにこちらから強い反撃を受けたなら、すぐにドイツと話を付けて独ソ不可侵条約を結ぶでしょう。それはソ連の西側を安心させますが、同時にドイツは東側を安心します」
ホッブス准将
「ドクター石原、今回は発言はなしか? 教え子を信頼しているのか?」
石原莞爾
「今は、さくらが私の上司です」
ホッブス准将
「優秀な上司を持つと部下は楽だな。俺の部下はどうかね?」


うそ800 本日の疑問
歴史にIFはありませんが、ノモンハン事件のとき、日本が全勢力で防戦したらどうだったのか?
あるいは中国の利権で英米と険悪にならずに協力体制があればと思いましたが、その場合はソ連がちょっかいを出してきませんよね。歴史はなるべくしてなったのでしょうから。

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注1
「日本海軍の爆弾」兵頭二十八、光人社、2010

注2
注3
アウトリガーとはクレーンなど工事車両で車体を固定するために左右に出すつっぱりのこと

注4
現代の装輪戦闘車である陸上自衛隊の16式機動戦闘車は行進射撃もできるし、その走行中の大砲射撃もぶれない。更に射程14キロもある。100年の違いは大きい。

注5
第二次大戦欧州で初期の戦車戦の距離は600〜1000mくらいだったらしい。一方アフリカ戦線は遮蔽物がなく2・3キロで目標が見えたら射撃したというし、欧州でも市街戦や森林では500m以下の撃ちあいが多かった。
この物語では、戦車砲の射程が4キロとしてそれ以上の距離から対戦車砲を撃つことを目的にしているが、遮蔽物のある場合は近距離の撃ちあいになり装甲のない方が負けてしまう。

注6
フィリピンのクラーク空軍基地は1903年創設である。第二次大戦では日本が占領し最初の特攻隊が発進した基地でもある。1991年近くのピナツゥボ火山が爆発し基地は火山灰で壊滅し、アメリカはフィリピンに返還した。2012年新たに米軍が基地を再建した。
注7
第一次大戦の各国の第一線航空機保有数

国名開戦時終戦時(1個100機)
ドイツ1302730 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機
100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機
イギリス631758 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機
100機 100機
フランス1383257 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機
100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機 100機
100機 100機

注8
航空戦ランキングが書かれている書物を見たことはないが、20世紀後半の最大の航空戦は第三次中東戦争(1967)ではないか。このときはイスラエル・エジプト双方が300機くらいの戦闘機で戦った。
ベトナム戦争や湾岸戦争でも多数の作戦機が参加しているが、爆撃機が主で空中戦とはいえない。そしてまたイラク戦争(第二次湾岸戦争;2003)では、電子作戦機が機関銃でもミサイルでもなく、電子攻撃によってイラクの戦闘機を撃墜(?)したなど、従来と様相が異なる。
21世紀は高騰した戦闘機を多数保有することが難しく、先進国や大国と言えど保有する機数は下表である。

2014年時点 戦闘機/戦闘爆撃機合計保有数
国名戦闘機/戦闘爆撃機(1個100機)
アメリカ2106 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
戦闘機
空軍/海軍/海兵隊
ロシア1234 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
空軍/海軍
中国721 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
イスラエル378 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
台湾359 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
日本346 戦闘機 戦闘機 戦闘機 戦闘機
韓国299 戦闘機 戦闘機 戦闘機
フランス259 戦闘機 戦闘機 戦闘機
イギリス133 戦闘機 戦闘機 空軍/海軍
ドイツ109 戦闘機

注9
第二次大戦後、満州に侵攻したソ連軍兵士が行った強姦、殺人、暴行など悪逆非道は有名である。しかしソ連は満州の日本人に対してだけでなく、欧州戦線でもポーランドやドイツに対して言葉で言えないような悪行をした。日本ではシベリア抑留のひどさは知れ渡っているが、欧州でも「メッサーシュミットの星」等でも描かれているように、捕虜や占領地の人々を動物扱いして多数の死者を出している。
これはソ連が戦争に勝った方は負けた国民を奴隷にするという旧約聖書とかギリシア時代の認識だろうし、国際法無視ということもあるだろう。この行為は日本に対してだけでないことに留意が必要。中国も敗戦国や占領国に対する処置はチベットなどご覧の通り、秦の始皇帝時代と変わらない。
ヤンキーゴーホーム、チャイナウェルカムなんて叫んでいる人、良く考えて!
翁長さん、死んでもその責任は消えないよ!

注10
ランチェスターの法則は1914年に発表された。

注11
第一次大戦(当時は欧州大戦と呼んだ)が1914年に始まってから、長い間アメリカは中立を保っていた。1915年にドイツ潜水艦がイギリス客船ルシタニア号を撃沈し、アメリカ人乗客128名が死亡した。このときドイツは無制限潜水艦戦を中止したために、アメリカは中立を維持したが、1917年に再び無制限潜水艦戦を宣言したこと、及びツィマーマン電報事件といってメキシコとの軍事同盟、日本への仲介依頼などを目論んだことが明らかになり、アメリカが参戦することになる。


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