異世界審査員176.ミラー大佐動く

19.05.30

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1931年12月

私は戦争省補佐官ホッブス准将の副官をしているミラー大佐である。
ミラー大佐 昨年始まった満州の戦いは夏の大会戦(大兵団どうしの市街地以外の戦い)は我が方の勝利に終わり、大敗したソ連は国境より引き下がり、我が方は国境線で停止している。
今年に入ってまた敵は国境線を超えて偵察?行動をしているが、交戦はない。我が方は毎日、敵飛行場や陸軍基地の上空を偵察飛行しているが、爆撃は行っていない。
秋になり、雪が降り冬になり、今は実質的な停戦状態である。戦闘がないとはいえ、軍を下げることができないと金ばかりかかって困る。
避難した入植者は昨年の収穫はパーになったし、今年は作付けもできなかった。今は来春の作付けどころか農業を継続するかどうするか決断を迫られている。我国としては満州を放棄するわけにはいかない。避難した入植者は満州全体の2割弱に及ぶ。はっきり停戦合意しないと彼らも戻れない。
とはいえ欧州の戦争ではソ連と我が方は敵国で戦っているわけで、東の戦争だけ講和ということもありえず、欧州の戦争次第ということである。
ともかく現状では国務省マターとなり、戦争省は再度攻めて来たときの対応として、戦車、対戦車砲、防空戦闘機の配備は粛々としている。問題はそれに金がかかるということだ。

今我々がしていることは、扶桑国から貸与や購入した爆撃機と戦闘機を本国に送りエンジンや表示装置などを解析しようとしている。なんとか先進技術を我が物としたい。とはいえ電子機器を分解するのは扶桑国との協定違反になるし、以前ばらそうとして自爆装置が働き死者が出たことがあるので、ばらすことはせず動作を観察して中身を推定する程度だ。
それとは別に正攻法で扶桑国の科学技術を導入しようというプロジェクトが動き出した。特に軍事用として電波探知機、イギリスではレーダーと呼んでいるが、扶桑国はイギリスが開発中のものよりもはるかに進んでいる。これがあれば航空戦では大勝利間違いない。海戦においてもマストの上でウォッチが目を皿のようにすることなく、敵艦隊がどこにいるか分かってしまう。夜でも曇りの日でもだ。それらについて技術提供を要請している。

ミラー大佐 もちろん非公式、いわゆるスパイによる情報収集も進めている。大使館も合法的に技術参考書、講演会、論文などの収集を行い本国に送っている。ただ核心となる部品や技術は国家が情報統制をしているようで、詳細を調べようとしてもあるところからトレースできなくなる。
すべての軍事技術が扶桑国の政策研究所というところにつながっていることは間違いないが、そこから先はうかがい知れない。政策研究所の組織とか幹部の名前は公表されている。所長は聞いたことがない名前だが、その上の理事長というのが中野恒泰となっている。これは現皇帝の従兄弟でありさくらの父親だ。
ミラー大佐は葉巻に手を伸ばして火をつけずにくわえ、手を頭の後ろで組む。この姿勢が一番落ち着いて考えができる。
「中野が中心人物だな」とミラーは独り言ちた。


1932年1月

ミラーは扶桑国の工業や技術に詳しい人間を探し回った。そして最終的に4年前に扶桑国に派遣された第三者認証制度視察団が一番詳しいだろうと見当を付けた。この視察団は第三者認証制度視察団という名称だったけど、その報告書は扶桑国の科学技術調査報告書となっている。

扶桑国は19世紀後半まで刀を差したサムライが支配し諸外国と通商をしない鎖国政策だったのに、ほんの半世紀でアメリカやイギリスと同等のレベルに向上した。いや30年前、中国や革命前のロシアと戦った頃は、まさに発展途上国であった。軍艦はイギリスからの輸入品、大砲はドイツやイギリスからの輸入品、機関銃はアメリカからの輸入品、自国製のものは欧米の小銃をコピーした単発銃くらいだった。そして戦闘は、兵士の士気は高くとも戦術も武装もプアで負け戦ばかりだった。
それが15年前の欧州大戦頃からだろうか、とんでもなく発展してきた。扶桑国は直接欧州での戦闘には加わらなかった。

* 欧州大戦とは第一次世界大戦のことで、史実で第二次世界大戦が起きるまではそう呼ばれていた。第二次がなくては第一次が付くわけがない。


しかしイギリスとアメリカを結ぶ大西洋航路がドイツのUボートに脅かされたとき、扶桑国に対潜水艦戦への参加を要請した。それを受けて扶桑国が派遣してきた対潜艦隊があっというまにUボートを駆逐してしまった。各国の軍事関係者はその結果に、エッと驚いた。当時は潜水艦を見つけるには、浮上しているならともかく潜行しているときは潜望鏡を見つけるしか方法がなかったのだ。それをいとも容易く潜水艦を発見し次々と撃沈していった。
当時我々はその新兵器を想像できなかったが、今ならレーダーのたぐいだろうと分かる。
Uボート

民生品も同様だ。欧州大戦頃から自動車生産を始めた。初期はアメリカ車のコピーだったが、あっという間にデザインも設計も製造も、自動車先進国に追いつくどころか諸外国を完全に抜き去った。生産台数はともかく、技術的には世界一の自動車王国だろう。
何が違うかと言えば、ベアリングも油圧配管もエンジンもラジエーターもブレーキも電気部品も、すべてが優れている。そしてそれができるということは機械加工も鋳造も鍛造もとんでもないレベルだということだ。肉厚が3ミリの鋳鉄エンジンなんて信じられない。そういう技術を今は航空機に展開して、我が国が作れない飛行機を作っている。

当然、そういったことは情報部門が収集し軍の技術部門に伝えられた。兵器開発だけでなく、我国もそういう技術を移管したいし特に1923年に大恐慌が起きて、アメリカを復活させるのは工業の更なる発展が必要とはだれにでもわかることだった。
当時、扶桑国の技術発展は品質保証という管理技術のおかげだとされ、その調査に視察団が派遣された。しかしひと月ほど滞在し工場や大学などを調査した結果、扶桑国の科学技術の発展は管理技術ではなく、固有技術をひとつひとつ積み上げていった結果であるという結論になった。それで第三者認証制度視察団の報告書が科学技術調査報告書というタイトルになったと聞く。
その視察団メンバーは5名だったが、亡くなった方もいるし長引く大恐慌のため倒産して行方が分からなくなった方もいた。結局所在が分かったのは3名だけだ。その3人は合衆国のあちこちに散らばっており会議に集めるなんてことは無理だった。
ミラー大佐は彼らを訪ねヒアリングをする。


教授を引退してもう1年半になる。現役時代は学生とか企業の研究者などの訪問は引きも切らなかったが、今は訪ねてくる人などいない。 ジョーンズ教授 自伝を書くほど世に知られたわけでもない。研究したことはほとんど論文に書いているから、今更本を著すこともない。
家内と二人ボストン郊外の一軒家でのんびりと暮らしている。家内はときどき絵を描き、私はときどき釣りをする。日曜日は教会に行く。引退者の平々凡々なる日々だ。
ある日手紙が来た。軍の大佐が技術向上のプロジェクトを作りたい。ついては以前扶桑国に視察に行ったときのことをお聞きしたいという。そんなこともあったと思いだした。
暇を持て余している私はその手紙を見てうれしくなり、いつでもおいでと返事を返した。

私に話を聞きたいという人が現れた。軍服を着た現役大佐だった。
挨拶、最近の政治情勢、満州での扶桑国の兵器、新技術などの話から具体的インタビューになる。

ミラー大佐
「我国が扶桑国のレベルまで技術をあげるにはどうすればいいですか?」
ジョーンズ教授
ベアリング 「扶桑国の技術は何か一つが突出しているわけではない。ベアリングが素晴らしいと言っても、ベアリングをつくるには冶金、鍛造、切削、研磨、メッキすべてに渡って高度な技術が必要だ。我々が何か一つ技術移管をするとかライセンスを買うということでは実現できない」
ミラー大佐
「じゃあ、どうすれば?」
ジョーンズ教授
「もう記憶も薄れているが、向こうで工場を見学したときのこと、工員が数表を見て何桁もの掛け算・割り算をしているんだ。もちろん計算尺やソロバンも使っていた。
我々は興味を持っていろいろ質問した。工員が言うには四則演算は小学校で習い、三角関数は中学校で習うと言った。対数も学校で習ったと言ってたな」
ミラー大佐
「ほう、職工が三角関数や対数を中学校で習ったのですか……私は陸軍士官学校で習いました」
ジョーンズ教授
「言いたいことはだ、工業を発展させるには国民全体の知識レベルを上げることが必要ということだ。かの国の指導者はそれを知っていて、それをずっと前から始めていたんだ」
ミラー大佐
「あれ、計算尺と仰いましたが、計算尺が普及したのはここ10年くらいですよね。扶桑国では我国よりも普及が早かったのでしょうか?」

計算尺

ジョーンズ教授
「ミラー大佐、我国で使われている計算尺のほとんどは、扶桑国からの輸入品だということを知らないのかね?」
ミラー大佐
「えっ、そうだったのですか!」
ジョーンズ教授
「君と話をしていると、だんだんと思い出してきたよ。教育から固有技術の指導、管理技術の啓もう、そして産業育成まで数少ない人たちが計画し実践に移していたようだ。総責任者は中野とかいう皇族だったと思う。そしてその下で仕切っていたのが伊丹という技術者だった。この二人がコアだと思う」
ミラー大佐
「一人二人でなにかできるのですかね?」
ジョーンズ教授
「中野が政治的に動き、伊丹がそれぞれの専門家を作り育て、あとはその専門家がどんどんとその分野を伸ばしていった。伊丹は電気、機械、数学、そういったことの教育計画を作っていたようだ」
ミラー大佐
「教授、まさか一人の人が全分野を知り尽くしているはずがありませんよ。レオナルド・ダヴィンチじゃあるまいし」
ジョーンズ教授

「君はフジタチャートというのを知っているか?」

* この物語ではガントチャートのこと。


ミラー大佐
「もちろんです。兵站の計画や、開発管理には必須の手法です」
ジョーンズ教授
「あれは扶桑国の藤田将軍が考えたからフジタチャートと呼ばれている。もう少し大きなプロジェクト管理に使われているPERTも藤田将軍が論文を書いたのが始まりだ」
ミラー大佐
「へえ! あれって扶桑国の人が考えたのですか」
ジョーンズ教授
「その藤田将軍、20年前は藤田中尉だったが、彼を指導したのが伊丹だと聞いた。その他、国際政治の力学を数式化した石原という男を知っているか。今はアメリカにいると聞くが…」
ミラー大佐
「存じています。実を言いまして我々は彼に戦略・戦術のコンサルを頼んでいるのです」
ジョーンズ教授
「ほう、そうでしたか。彼を指導したのは…」
ミラー大佐
「その伊丹ですか?」
ジョーンズ教授
「いや、伊丹の奥さんだったという。伊丹は技術者で奥さんは研究者らしい。まだ奥さんは60歳くらいだろう」
ミラー大佐
「ほう……扶桑国の主たる研究者はみなその中野と伊丹につながるわけですか」
ジョーンズ教授
「そういえば中野の娘がとんでもない天才だと聞いた。私は会ったことはないが数年前ラドクリフの院にいたそうだ。彼女も伊丹夫婦の教え子らしい」
ミラー大佐
「中野さくらですか? 彼女なら面識があります。確かに賢い娘ですね。そうか、すべては伊丹という技術者にたどり着くのか…」
ジョーンズ教授
「なにごとも一朝一夕ではなしえない。技術も低く国民の教育レベルも低い国を、10数年かけて教育体系を見直して工業水準を上げてきた伊丹のしたことを学んだらどうだろう。
それは技術移管とか工場をまるごと買ってくるような簡単なことじゃないだろうね」


ウィルソン教授 私が次に訪ねたのはウィルソン教授である。彼女はジョーンズ教授より若くまだ現役でMITで数学を教えていた。数学といっても抽象的なことではなく、工場で製造しているときの不良率とかバラツキとかを管理する手法と聞く。いずれにしても私の頭ではよく理解できない。

ウィルソン教授
「いらっしゃい、ジョーンズ先生からあなたのことを聞いているわ。我国が扶桑国の工業水準に追いつくよう検討しているそうね」
ミラー大佐
「アメリカは満州と欧州戦線でソ連と戦っています。そこでは多様な兵器を使っているわけですが、品質問題がありまして我が軍の力をそいでいる、いや緊急時に使えないという恐ろしいことが起きています。
軍としては、我国の技術を進歩させないと現状では不良率・即応性の問題があり、長期的には諸国に比べて軍事力の低下が起きると懸念しているのです」
ウィルソン教授
「おっしゃることは分かります。何年も前に私たちが扶桑国に派遣されたのも同じ理由でした」
ミラー大佐
「その視察団は品質保証という技術調査だったそうですが、その報告書が科学技術調査報告書になったわけなどをお聞きしたいと思いまして」
ウィルソン教授
「その名の通りよ。視察に行く前、私たちは扶桑国が開発した品質保証という手法を使えば工業水準が上がり、不良の少ない性能の良い製品が作れると思っていたのね。
だけどそんな特効薬はなかったの。地道な開発研究を進めること、そしてそれを工業レベルに展開するには従事者の能力、ひとつひとつの固有技術の向上が必要なの。言い換えると携わる人のレベルが高く固有技術が高ければなんでも実現できる。
品質保証という手法は、その上で能率を良くしミスを防ぐ管理方法に過ぎない」
ミラー大佐
「固有技術とひとことでおっしゃいますが、多方面に渡りますね。どうすれば個々の固有技術を向上させることができるのですか?」
ウィルソン教授
「固有技術をすべて知っている人なんていない。それぞれの固有技術の技術者や技能者がそれぞれの立場で今までの知見を体系化しそれを進めていくしかないでしょうね。
ただ向こうの視察の時いろいろと勉強になったわ」
ミラー大佐
「ほう、どんなことでしょうか?」
ウィルソン教授
「誰でも発明発見したことは自分の名誉と考えるでしょう。それは発明レベルだけでなく、ちょっとした仕事の改善や工夫もあります。多くの場合、それを自分だけの秘密にして他人に教えないことが多い。自分しかできないことは高い賃金につながりますから。
扶桑国ではそう知識や方法を秘密にせず、仲間と共有してみんなで活用するようにしたそうです」
ミラー大佐
「似たようなことは我々の仕事でもありますよ。でも無償で他人に教えたら損するじゃありませんか」
ウィルソン教授
「考案者を顕彰することで、そうなることを防いだそうです。報奨といっても直接的に賃金を上げるのでなく、その方法に考案者の名前を付けたり、賞を与えて報いたと聞きます。そういう考えを官民広く広めていくと、いつの間にか改善や提案をすること、そしてみんなで活用することが働く人の常識となったそうです」
ミラー大佐
「ほう……ちょっと考えられませんね。それは雇用が安定というか定着率が高く転職が少ないからとか?」
ウィルソン教授
「扶桑国の職工は毎年1割、好況の時は3割くらい移動するそうです。我国と同じでしょう。
それに特許を取ったりその人の名前がついた手法や工具などが広まると、高給で引き抜かれると聞きました」
ミラー大佐
「ほう、そういうことでひとりひとりの技術者や技能者が意欲的に改善しているのでしょうか?」
ウィルソン教授
「そのようです。同時に大学や研究所では冶金や電子技術の研究開発をしていたのはもちろんです。現場の技術者や技能者に研究開発までおんぶにだっこさせるのは筋違いです。現場の人たちもできる改善や気付いたことを提案すれば、相乗的効果によっていっそう改善スピードが上がるというものです。
今気づいたのですが、改善や提案が当たり前という状況にいると、新しい工法なども抵抗なく受け入れるのかもしれません」
ミラー大佐
「なるほど……」
ウィルソン教授
「それと面白い方法だと思ったこともあるの。ええと……伊丹さんと言ったわ、その方がいろいろな研究所や大学の先生たちを定期的に集めて、全く関係のない分野の最新技術や新開発の部品などを見せて、そういうものを別の分野で活用できないか考えさせたとか。
それとは逆にある分野で困っていることや必要な技術を他分野の研究者に知らせ、協力を求めテクノロジートランスファーを図ったとか」
ミラー大佐
「なるほど、話をお聞きすればするほど伊丹氏というのが、扶桑国の技術において中心人物のようですな」
ウィルソン教授
「視察に行ったとき何度も伊丹氏と話す機会がありました。彼は高度な技術を細かく知っていないようでしたが、技術が発展する方向を見通しているというか、いろいろな技術がコラボレートして進化していくのが見えているようでした。
実は私は今、工場で使う数学を体系化しようとしています。そこで使われる数学は高度なものではなく既に過去に研究されたものばかりです。でも2つの生産ラインがあるとき、そこで作られた製品に違いがあるとかバラツキが違うとき、原因を追求し解明するということは製造現場では日常茶飯事でしょう。そういう差の検定とか管理限界の考え方などを一つの学問として技術者や監督者に広めていきたいと思っています」
ミラー大佐
「そういうことはすぐにでもできるのでしょう」
ウィルソン教授
「そうでもないのよ。バラツキを知るには正確な測定が必要です。そのためには手軽に必要な精度まで測れる測定器が必要です。
数学の理論だけ確立しても、測定技術がないとだめなのよね」


ホワイト技師
もうひとり連絡が着いたのは、ホワイトという計測器会社のエンジニアだ。

ホワイト技師
「ジョーンズ教授やウィルソン教授にお会いしたのですか。懐かしいなあ〜、もう4年経ちましたか。当時私はまだ一人前とはいえず視察団に選ばれて意気込んでましたよ」
ミラー大佐
「得るところはありましたか?」
ホワイト技師
「私は扶桑国を後進国だと思っていました。多少技術が進んでいる分野があっても、全体的には遅れているでしょうし、社会制度が遅れていて自由とか人権が制限されていると思っていました。行ってみると想像とまったく違っていて驚きました」
ミラー大佐
「どんなことに驚いたのですか?」
ホワイト技師
「工場見学していると15・6歳の少年工がなにか書類を見ているのです。文字が読めるのですよ。あれには驚きました。
我が国では移民も多いし、黒人もいる。大人でも字が読める人ばかりではありません。あの国では皆、四則演算ができるのです」
ミラー大佐
「識字能力があれば産業は発展しますか?」
ホワイト技師
識字能力 「識字能力と四則演算は、工業でも商業でも基本的要件です。文字が読めれば本を読み、様々なことを知りまた自分の専門分野の知識を高めることができます。
徒弟制度とか見よう見真似でなく、一人でも知識と思考を積み重ね高みにあがることができます。それが自己研鑽でしょうね」
ミラー大佐
「なるほど、識字能力と計算能力ですか」
ホワイト技師
「それだけではないのですね。向こうで聞いたのですが、義務教育では音楽や体育や美術なども教えるそうです」
ミラー大佐
「ほう、音楽とか美術ですか……そういうことが職工に必要ですか?」
ホワイト技師
「私も同じ疑問を持ったので質問しました。その回答に驚きました。
音楽は音響製品を作る仕事では音感やノイズなどの認知に即役立つでしょう。そうでなくても広い視野を持てること、自分の人生を豊かにすること、その結果その人が社会に役に立つとか、そういう意味で効果を期待していると聞きました。
ちょっと違いますけど、先の欧州大戦で武器や衣類を迷彩色に塗ることを考えた人は、フランスで徴兵された画家だったと聞きます。色彩にいつも気を使っている人でないとそういう発想は起きにくいと思います。
測定器 そればかりでなく、人間を尊重するというか、人のバラツキに対応しているようでした。
例えば計測器ですと、我国のノギスもマイクロメーターも、右利き用に作られています。扶桑国では左利き用のノギスがありました。扶桑国陸軍のライフル銃はなんと右ききでも左ききでも使えるように設計されています。更に驚いたことにライフルだけでなく兵器の操作に要する力は女性や子供でも扱えることが条件だそうです。
そうそう、兵器の取扱説明書は13歳までに学校で習うことだけで理解できることという決まりです(注1)確かに機械や兵器の取り扱いや注意を文字で書いても、読めなくては意味がありません。
そういうふうに誰でも使いやすくとか、皆の注意を引き付ける色合い、緊急放送は男性の声より女性の声がいいとか考えること、そういうことって、音楽とか美術とかを学ぶことって重要だと思いますよ」
ミラー大佐
「ホワイト技師が向こうであった人物で、アメリカに招聘しようとしたら誰を推薦しますか?」
ホワイト技師
「伊丹という技師を覚えています。今まで話した義務教育のカリキュラムとか、工具などの人間工学的な工夫を語っていましたね」
ミラー大佐
「人間工学って何ですか?(注2)
ホワイト技師
「使いやすい機械をつくる科学でしょうか」
ミラー大佐
「なるほど、話をまとめますと、ホワイト技師は伊丹氏を推薦すると……」


ミラーは数十ページの報告書を眺めていた。
報告書のタイトルは「伊丹洋司に関する調査報告書」とある。ミラー大佐が駐扶桑国アメリカ大使館に調査を依頼したものだ。

東北の田舎の農家に生まれ、田舎の訓練校又は専門学校を卒業し、地方の企業で電気設備の設計や運転をしていたらしい。この当時の仕事ぶりとか人となりは情報がなかったという。
この当時については現地調査はできなかったので、彼が東京に出てきてから知りあった人へのヒアリングを基にしている。

1910年に東京に出てきて、技術コンサルを始めた。最初は仕事がなく、町工場の仕事とか、コンサルとも言えないような雑多な仕事を手当たり次第に受けるなど大変だったようだ。
伊丹洋司 しかしどんな仕事でもしっかりした対策を提案したことからあっという間に売れっ子コンサルになり、軍関係の工場や大手企業と契約するようになる。軍の仕事をしていた関係から皇帝の従兄弟である中野に知り合い、それに伊丹夫人が加わり、三人は友人以上の同志として扶桑国の技術発展に活躍する。

コンサルとしての仕事だけでなく、若手技術者の教育もした。今世界中で広く使われているフジタチャートを考案した藤田将軍(当時中尉)とか、扶桑国ではトップ大学である皇国大学の教授を集めて教育もした。
その後、扶桑国政府がシンクタンクを設立すると、妻の幸子がそこの職員になる。その妻は技術的な講演や技術指導をするようになり研究所のナンバースリーまでに出世し、男尊女卑の扶桑国では異例中の異例とされている。それは伊丹氏のおかげではなく、幸子自身の才能によるものと評価されている。
幸子は、満州の戦争を予言したことで有名になった国際政治学者の石原莞爾や、国際政治を数学で表した中野の娘さくらの指導教官でもある。

伊丹氏は60歳を過ぎるとコンサルタント業を引退して、現在は皇帝直下でアドバイザー的な役割をこなしている。
専門分野は品質管理、品質保証と自称しているが、若いときはエレクトロニクス技術者だったという。 エレクトロニクスとは聞きなれない言葉であるが、伊丹氏によると家庭用や工場で使う商用電気ではなく、ラジオや無線機などの機械内部の低圧電気回路を意味するという(注3)
彼が若いときといえば30年や40年前になる。その頃は真空管もダイオードもなかったろうに?(注4)

伊丹夫婦は経済的には豊かであり、また学位はなく名誉職に就いていないが、そういった金品とか名誉で動く人間ではない。過去の行動はすべて愛国心と正義感に基づくものであり、彼を動かすにはそこを考慮する必要がある。

そんなことが書いてある。伊丹の人生の前半分の東京に出てくる前の履歴は、もう20年も前、工藤が捏造した記録である。
ミラー大佐
ミラーは頭の後ろで手を組み、椅子の背もたれに寄りかかって考える。
伊丹とその妻が扶桑国発展のキーマンだな。もちろん中野もそうだろうが、まさか帝族を招聘するわけにはいかないだろう。できるなら伊丹夫婦を連れてくることが一番だ。過去の様子から見れば、現場的な指導は夫の方で、学問的・教育的な活動は妻が専門のようだ。
それに石原とさくらも伊丹夫婦と密接につながっている。これらをまとめて活用するには……さて、どうしたものか。


うそ800 本日の意図
異世界審査員というタイトルに反して、過去数十回のお話が単なる異世界物語に流れておりました。最後は品質保証とか審査というところに持っていって終わりたいと……
実はこの回はもう二月三月前に書きまして、すぐ終わるつもりだったのですが、この前の話からつながらない気がして間に20回ほど盛り込んだというのが実情であります。

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注1
アメリカ軍では兵器の取扱説明書は、13歳までに学校で習う単語しか使っていけないそうだ。

注2
人間工学とは1911年にアメリカのウィンスロップ・タルボットによって提唱された。初期的には労務管理的な意味合いであったが、第二次世界大戦において飛行機操縦や機械操作において使いやすさ、エラー防止という観点で使われるようになった。

注3
エレクトロニクス(electronics)という語は1908年に使われたという記述もあるが、IEEEのウェブサイトでは1930年に雑誌に載ったのが始まりとある。一般的に使われたのは1940年代からという。
ref. History of electronic engineering
ref. https://ieeexplore.ieee.org/document/5219631

注4
真空管 真空管などの発明された時期は、鉱石ダイオード(1900)、二極管(1904)、三極管(1906)、五極管(1929)である。
伊丹は1910年に50歳だから、若いときとなると1880年から1890年頃、その頃はまだ電子工学は成立していない。


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