異世界審査員181.クーデターその1

19.06.27

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

1934年5月

私は工藤陸軍少尉である。オヤジは小さな書店を営んでいて、爺さんは既に隠居しているが商店の番頭から経営コンサルタント会社の社長になった人だ。明治以降、我が家で軍人になった人は一人もいない。 工藤少尉 職業軍人どころか徴兵された者もいない。
徴兵制といっても兵隊検査で甲種合格にならないと兵隊になることはめったにない。うちは代々、中肉中背で特段体格が良いわけでもなく常に第二乙種というやつだった(注1)
そんな一族だったのでオヤジがお前くらいは軍隊に行けという。それなら兵隊でなく士官になろうと考え、幸い士官学校に入り少尉に任官し、今は東京の歩兵第3連隊に勤務している。
欧州を中心とした第二次世界大戦は数年続いたが昨年6月に終結した。我国も連合国の一員として参戦したが、欧州に派遣された空軍や潜水艦戦を行った海軍に若干の戦死者がでたが陸軍は従軍しなかった。
戦争中、我国は戦争景気に沸き、先の戦争の時と同じく成金が雨後のタケノコのように現れた。ただロシアとの戦争や先の欧州大戦の後に起きた戦後不況を忘れなかったようで、過剰な投資はしなかったし、濡れ手に粟とお金が入っても紀伊国屋文左衛門のように豪遊・散在する人も減り、一般人も戦争が終わると不景気になると知ったので、戦争が終わると生産が減り就職難になったが、不況といえるほどの状況にはなっていない。私は士官学校から世間と離れていたが、小さいころからのオヤジや爺さんからの教えで、人々の様子や噂話から景気や社会情勢を肌で感じることができる。
懸念と言えば今年、東北の夏は冷夏だろうと気象庁が発表したが、それが心配なくらいだ。我国は豊葦原瑞穂国の国というくらい基本は米、コメが取れなければ食えなくなるし社会不安になる。

ところで最近、私が所属する第3連隊の中でおかしなことが起きている。
ひとつはアメリカが中国大陸の満州を領有化するという報道を聞いて、我国も負けずに中国に進出して領土を手に入れろと叫んでいる士官たちがいる。
また東北の冷害で娘を売るようになるから、財閥や成金を成敗しろという人もいる。
さらに大きな戦争が終わって軍縮になると職業軍人である士官や下士官が大量に解雇される、軍人の俸給が大幅に下げられるから生活が苦しくなる、兵器の更新や調達が大幅に減って我国の国防が弱体化し問題だという人もいる。
私から見ると景気も満州についてもちょっと見解が違いすぎる。ましてや冷害のため東北で娘を売るようになるとは、まだ夏どころか梅雨にもなっていない。こういった意見を語る人は、軍の勢力を伸ばそうという意図なのか、それとも純粋にそう考えているのだろうか?
困ったことは、私の周りでもそういった思想の上官や同僚が多くて、私にも勉強会に出ろとか仲間に入れとか北一輝の本を読めとか声がかかっていることだ。

工藤元社長 数日前には上官の中隊長である野中大尉から、強硬に彼が主宰する勉強会に参加しろと詰められた。それは陸軍の方針なのかと問うと、そうではないが君の将来のためになるという。イヤハヤ困った。
ということで非番の今日、爺さん、つまり元伊丹と一緒に働いていた工藤のところに相談に来た。

工藤
「話は分かった。その大尉はかなり危ない気がするな。大きな声では言えないがクーデターをもくろんでいるのではないか」
工藤少尉
「クーデター!」
工藤
「大きな声を出すな。うーん、その大尉に関わってはならんな。とはいえそう簡単に行くわけもないか…」

工藤は立ち上がって電話をする。相手が出て、しばらく話をして電話を切る。

工藤
「ちょっと飯を食いに行こう。美味いところを知っているんだ」

工藤は孫を連れて山手線を数駅乗り、伊丹の屋敷に上がる。
女中が出てきた。お久しぶり、何年ぶりかしらなんてやりとりをして座敷ではなく椅子とテーブルの食堂に入る。
メニューがあるわけではなく、工藤が適当に昼飯を頼む。

工藤少尉
「じいちゃん、ここは食堂ですか料亭ですか?」
工藤
「料亭っちゃ料亭だが、ただの料亭じゃない。ときの皇帝陛下も来るっていう特別なところだ」
工藤少尉
「へえ〜、それってほんとう?」

かつ丼 出てきたのは特別な懐石料理ではなく、かつ丼だった。
二人で昼飯を食べていると岩屋が現れた。工藤が岩屋に会うのは引退して以来だからもう3・4年になるだろうか。工藤は引退したが、岩屋も伊丹も現役だ。実を言って工藤も岩間は同じ年で今年まだ65歳だ。ただ20世紀初頭の当時の65歳はかなりくたびれて、21世紀初頭から来た74歳の伊丹と同じ年配に見える。

岩屋
「ご相談事だそうですね、承りましょう」
工藤
「こちらは岩屋憲兵将軍だ」
岩屋
「憲兵将軍なんてのはありませんよ。それに私が憲兵を止めてもう何年にもなります。
工藤さんのお孫さんは陸軍将校ですか、私は今 軍に所属していませんが、昔の伝手もありますから、なにかお力になれるかもしれません。悩み事をお聞きしましょう」
工藤
「岩屋さんは力のある方だ。隠し事なく話してアドバイスをもらうのがいい」
工藤少尉
「……まあ、そういうわけで、日常困っているのです。どうしたものでしょうか」
岩屋
「まず軍に限らずどんな組織にも派閥はあります。うまくそういう人脈を掴み出世するというのも一つの生き方ではあります。ただ反面、派閥争いに負けると出世できないことにもなる。もっと恐ろしいのは派閥が悪事を働くと、所属しているものは手が後ろに回ることにもなる。その野中大尉の勉強会がなにを目指しているかということが重大ですね」
工藤
「野中大尉というと、以前新聞に載った…」
岩屋
「そう、実を言って野中大尉は危険人物とみなされている。付き合うのは芳しくはないね。とはいえあなたも大人だ。自分の人生は自分で決定しなければなりません」
工藤少尉
「申し上げたように毎日、野中大尉や彼の仲間とは日々の業務において関りがあり、常に仲間になれという強制的な勧誘を受けていて……」
岩屋
「君は得意なことはあるのかね?」
工藤少尉
「柔道なら連隊でベストフォーです。学問ですと士官学校でジョミニに傾倒してまして、できたらマハンを研究したいと思っていました。陸軍大学校に行きたいのですが、士官学校時代の成績が悪く推薦してもらえそうありません」
岩屋
「ジョミニにマハンか、流行だね。陸軍大学校に推薦がもらえないか……言いにくいが陸軍大学校に行けるのは士官学校の上位1割だけだ。野中大尉もだが陸軍大学校に推薦してもらえない若手士官が集まっているのが勉強会だ。現状に不満なのだろうね」
工藤少尉
「ああ、そうか、私が陸軍大学校に行けないから誘われているのですね。とはいいましても陸軍大学校に行かない人の方がはるかに多いわけですが」
工藤
「お前、私の考えは違うとはっきり断れ」
工藤少尉
「いや、それではリンチにあうかもしれませんし」
岩屋
「ともかく旗幟鮮明にしないと正式に野中大尉のメンバーにならなくても、その取り巻きと認識されて、一旦事起きたとき連座することになるかもしれない」

結局、上手い解決策は見つからず、とりあえず工藤少尉は現状維持で岩屋に情報提供することになった。野中大尉からみれば工藤少尉はスパイだろうし、岩屋からは万が一の時は知らぬ存ぜぬと切り捨てられる恐れがある。困ったことに変わりはない。



1934年7月

春先から予想されていた東北冷害は事実となり、今年の東北地方の作況指数の見込みは5割となった(注2)新聞は大飢饉だ、農業恐慌だと大騒ぎして、明日にも東北地方は大飢饉になり娘を身売りするような話を書いている。

政策研究所の一室で中野と伊丹夫婦が話している。

中野
「この騒ぎはどうにかならんか? 事実を報道するのは良いが、ありもしない娘を花街に売ったなどと書く捏造新聞やラジオを規制しろという声も出ている」
伊丹
「まず、作況指数が落ちるのは事実で米不足になるでしょう。しかしタイやベトナムそれにアメリカなどからの緊急輸入で間に合うと思います。外貨は腐るほどありますから飢饉にはなりません。
捏造報道は21世紀になってもなくなりませんね。報道の自由は真実に限るでしょう。捏造や偏向報道は、詐欺どころか国家転覆の罪を問うべきです」
幸子
「こういうことは実体ではなく風説とか雰囲気でどうとでもなるものです。社会不安をあおっているのは、根拠がないものばかりでしょう。
満州を手に入れろと言う輩は、夢の大地と考えているのでしょうね。でもそもそも満州を手に入れてもインフラ投資とか新たな防衛費とか、利益になるのか持ち出しが大きいのか分かりません。そもそも満州で農業を進め我国の人口以上の農産物を作っても、輸出競争するとなると、余計な貿易摩擦を起こすだけです。
東北冷害で農村が困窮するといっても、いっときのことで政府の対策でどうにでもなること、軍縮と軍人の解雇となると軍人の利権問題としか思えません。経済を大局的に見てもらわないと」
中野
「そうおっしゃるなら、うまい方法がありますか?」
幸子
「今新聞が不安感をばらまいているわけで、その反対をしたらどうでしょう。つまり新聞で我が国は景気がいいのだ、新製品もどんどんと出てきて暮らしも向上しているぞというメッセージを伝えてはどうでしょう」
中野
「新聞社にそういう記事を書けというのですか?」
幸子
「それもありでしょうけど、政府が紙面やラジオの時間を買い取って、自ら情報発信をするのもあります。1回限りでなく、連続ものにして我国の未来が明るいという情報を伝えたいですね」
中野
「分かった。大手10紙くらい毎日かなりの面積を買い取ろう。そこにさまざまな情報を載せるんだ」
幸子
「任せていただけますか」



1934年8月

幸子の仕掛けが動き出した。
大手新聞10紙の1ページの四半分くらいを連日買い取ったのだ。そこに政府広報とか農業や経済の最新情報とか、権威者による国際政治、気象、その他の連載など多様なものを掲載した。
新聞の社説が異常気象で飢饉になると書いている裏側で、皇国大学農学部の教授が今年のコメの作況状況の解説と対策を述べている。国産米が採れなくても、東南アジアやアメリカから輸入することで扶桑国としては充足すること。

社説が飢饉で困窮するとあれば、その裏面で政策研究所の教授が、農村の経済的困窮に対しては公共事業の実施やこれを機会として小さな田んぼの大型化・矩形化を進め圃場整備(注3)を行うとか、その資金をどうするとか、反論を許さないようにしっかりと解説する。
当然、各新聞社には新聞記事にある飢饉や農家の困窮と、政府広報にある凶作対策や種々事業のどちらが本当なのかという問い合わせが殺到する。
結果、新聞社は関係省庁や大学などに取材した結果、記事に誤りがあったと訂正しお詫びを出すことになる。そして幾度もそのようなことが続くと、売らんがための裏付けのない記事は書かなくなる。

同様に満州に進出しろというような威勢のいい意見についても、政府のカラムに新しい領土を得ても、進出のための投資が国民一人当たりとんでもない額になり投資対効果が見込めない、そのお金を国内に投資した方がより確実に産業発展と国民の利益につながること。海外雄飛をするなら南洋群島や台湾が待っていることなどと正論を返される。
またまた新聞社やラジオ局には質問が殺到して、また訂正とお詫びをすることになる。

軍縮による軍の予算減、将兵の解雇については、中野自ら書いた。
軍備は最新の兵器と訓練された将兵が必要であるべきこと、古い装備や練度の低い軍備は戦力にならないこと、余剰の将兵は解雇ではなく軍隊以外の公務に異動を図る事、軍事予算は単純に減らすのではなく、時代に合わせて航空戦力や宇宙軍創設に向けていることなどなど、

経済については幸子が書いた。
新聞 戦後不況などある程度の景気変動は自然現象でやむを得ないこと、先の欧州大戦後の戦後不況は扶桑国が最速で脱したこと、アメリカその他は今も欧州大戦後の戦後不況かにあること、欧州は今後復興景気になるが、我国はそのあおりで輸出減になるのはやむを得ないこと。
しかし全体的に見れば30年前に比較して国民の所得倍増していること。衣食住のすべてにおいて向上が図られていることをこんこんと説く。30年前の生活と今の暮らしをイラストで持って分かりやすく書く。30年前はランプもない水道もない家庭も多かったのだ。しかし多くの人はすぐに過去を忘れ、今の暮らしが当たり前と思い込んでしまう。
そして我国の次の目標は、三種の神器つまりラジオ・自転車・電気アイロンをどの家庭でも保有して文化的な生活ができるようにしたいこと。

そんな広報活動を3か月ほどすると、熱情的な満州攻略論は勢いを失くした。東北飢饉についても悲観論ばかりでなく、新聞も少しは勉強し冷害対策案を提案したり、冷害に強いコメの品種改良や救荒食物の活用法などの論が載せられるようになった。



1934年10月

政策研究所で中野、岩屋、伊丹夫婦が話している。

中野
「幸子さんのアイデアはなかなか効果がでたようですね」
幸子
「効果はあるようですが、新聞の論調からは、陸軍のクーデターを目指す人たちは、今だ考えを変えていないようです」
岩屋
「伊丹ご夫妻の世界の226事件の「蹶起決意書(注3)というのを見ましたが、国民を苦しめている腐敗堕落した国家権力を奪還し、軍部の力で天皇親政の政治を行うとありますね。
そちらの世界の政治家や財閥がどうだったのかわかりません。
しかしこの世界では、苦しんでいる国民がいるのかと世間を見回しても見当たりません。そりゃ天候不順で作物が取れない農民は多いでしょう。でも食うに困らず、娘を売るなんてこともない、しかも仕事を斡旋してもらい圃場整備などを行えば来年以降は仕事も楽になるとなれば……」
幸子
「国民が豊かになっても軍人の俸給が上がっても、不満を持つ人はなくなりませんよ。そのとき俺が陸軍大学校に行けないのは面白くないとは言わず、国民が苦しんでいるのを助けると屁理屈をいうのは過去からの常套手段でしょう」
岩屋
「でも軍人も貧乏じゃないのですよ、士官学校を出れば大学を出たサラリーマンと同じです。生活が豊かになれば、保守的になり争いを避けるようになるのが一般的なのだが……」
伊丹
「陸軍はここ30年近く戦争をしていないから、軍人が戦争の恐ろしさを忘れてしまったのではないですか。それで自分たちの存在意義を認識してほしいのではないでしょうか」
中野
「確かに空軍は満州でも欧州でも実戦に参加したし、海軍も対潜水艦戦に参加して犠牲も出している。陸軍はロシアとの戦争から30年戦ったことがない」
岩屋
「ロシア革命のときと第二次大戦末期にシベリア出兵はしていますが」
幸子
「でも戦死者はごく少数でした。9割9分が無事帰還すれば、記憶に残るのは高揚したことだけでしょうね」
中野
「ともかくクーデターを起こすなら断固対応する」
岩屋
「覚えておられるかどうか、工藤さんという方がいましたね。実はあの方のお孫さんが陸軍少尉として歩兵第3連隊におります。彼の上官が野中大尉、クーデターを計画してる反乱軍の首魁です」
中野
「その工藤さんのお孫さんはどうなんだ?」
岩屋
「先日、上官から仲間に入れと強要されていると泣きついてきました。今は深入りしないようにということと、情報提供を依頼しています」
中野
「本人が困っているなら異動させせてやれ。身内びいきというよりも、せっかくの若者をダメにすることはない」
岩屋
「まだその時期ではないと思います。ともかく間違いのないようにします」
中野
「決行はいつ頃だ? 人数は?」
岩屋
「ひと月ないしふた月かと思います。いわゆるこのグループに加わっている青年将校は100名くらいですが、実際に決起するのは20ないし30名というところでしょう。
部下を持つ隊付将校が半分、彼らが部下の半数を動かしたとして1000ないし2000名というところでしょうか」
中野
「歩兵が主か?」
岩屋
「戦車や騎兵それに砲兵に声をかけた様子はありません。都心ではあまり大きなものは使いにくいでしょうし。武器は小銃だけでしょうね。もちろん小隊保有の機関銃や迫撃砲などはあります。自動小銃だけでも、軍事施設でなく内閣閣僚や主要財閥など柔らかい目標(soft target)を襲うなら十分です」
中野
「近衛師団にはメンバーはいないのだな?」
岩屋
「近衛師団でそのグループに所属している者は発覚次第 地方や南方へ異動させています」
中野
「制圧には戦車や機関銃などを出動させるのか?」
岩屋
「そこまでは考えてません」
中野
「個人装備の武器使用だけか?」
岩屋
「そうでしょうねえ〜、実を言って我国の陸軍は実戦をしたことがないですから、自動小銃の弾倉を撃ち尽くすこともないのではないですか」
中野
「閣僚や財閥当主の警護は?」
岩屋
「お任せを」



1934年10月

米の収穫も終わり、国全体の作況は70%、東北地方は56%だった。壊滅的と言えるほどのありさまだが、天保の飢饉(1833)のときの作況指数は全国で52%、東北で35%というから、それよりはまだましだ。
ちなみに忘れたかもしれないが、平成になってからも何度も凶作はあった。1993年のときは全国で74%、東北が56%だった。このとき細川内閣は国是ともいえるコメの禁輸方針を急遽変更し、タイ、中国、アメリカからコメを輸入して凌いだ。もっとも口が肥えた日本人は、長粒米はおいしくないと贅沢を言った。米が食えなければ肉を食えなどと言えたのは、バブル崩壊前のまさに飽食の時代である。
ともかく1934年昭和の農業恐慌は悲劇を生まずに収まった。食料の確保だけでなく農村の生活保障と経済支援をおこなったことで子女の身売りなどは起きず、また圃場整備も行い仕事の確保もした。すべては先を読んで実行した成果である。
中野は農家の安定が図られれば、クーデターの発生は抑えられるのではという期待がある、



1934年11月

中野
「決起は12月8日か、予想していたよりもだいぶ遅いな」
岩屋
「決起すべきか否か、だいぶもめたようです。国民が困窮していませんから凶作で苦しむ農民を救うと語っても浮いてしまいます」
中野
「実施事項を確認する。
まず対象範囲だが、有楽町駅、秋葉原駅、飯田橋駅、渋谷駅、有栖川宮記念公園、芝公園を結んだ5角形内のすべての交差点、といっても主要なところだから約500カ所くらいか、そこを抑える、良いな?
反乱軍の出発地点、襲撃予定地、合わせて34カ所への対応
飛行機によるビラ撒き
新聞社、放送局の制圧、
重要人物所在地の防衛
………あのさ、この5角形の中に伊丹さん宅があるが、手を打っているのか?」
岩屋
「元々あそこには憲兵の護衛が数名ついてますし、伊丹さんそのものが反乱軍に目を付けられているとは思いませんが」
中野
「そうだろうけど……以前から奥様が研究所の講師をされていて目障りと考えている将校は多いかなと思って」
岩屋
「正直言いまして今は帝族、有力政治家、軍人、財閥関係者などを対象にしており、それだけで200地点を超えます。更に伊丹さんクラスまでとなりますと、対象が……」
中野
「俺の考えでは、大臣や高級軍人よりも伊丹夫妻がこの国にとって重要だ」
岩屋
「それじゃ私の機関から一名二名出しましょう。それくらいしかできません」
中野
「それから一見中立と見えている高級軍人で反乱軍に参加する者はいないだろうが、賛同の意を示すもの、激励などをした者はすべて拘束すること」
岩屋
「了解しました」
中野
「千葉や栃木など鎮圧部隊の連隊の移動の秘密は守れているか?」
岩屋
「それは1年前から連隊長以下信頼できる者を異動させ固めておりますから大丈夫かと、
ただ移動時に見られてどうなるかが懸念です。まあ夜明け前、ましてや雪の降る寒中ですから」
中野
「まあそれはしょうがない、それに数時間のことだ。
横須賀から海軍陸戦隊2千人を連絡艇で急送するはずだ」
岩屋
「竹芝と日の出から上陸し、有楽町と渋谷の間を塞ぎます。3m間隔で文字通りすき間なく抑えます」
中野
「各隊の連絡は?」
岩屋
「各部隊の所在の確認と連絡は、大地震のときの無線機と位置表示のしくみを取り入れて、中央からの指揮命令が徹底するようにしております」
中野
「大地震か……あれから何年になる?」
岩屋
「11年です。あの仕組みを構築した吉沢教授も引退しましたが、今では研究所の新人がシステムや各機器の組み立てをしてました。技術の進歩はすごいですね」
中野
「技術は進んで飢饉も対策できても、人間の意識は進歩しないよ」
岩屋
「あと20日ですか」
中野
トラック 「雪が降り積もるかもしれないな。自動車にはタイヤチエーン、兵士は防寒対策が必要だ。
屋外に天幕などを設けるときは」
岩屋
「既に手配しております」
中野
「あっと……ちょっと思い出したんだが、」


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注1
徴兵検査で身体強健で徴兵されるのが甲種、乙種はそれほど強健ではないが兵役に適するもので、甲種が足りない時に抽選で徴兵されるものが第一乙種、抽選に洩れ徴兵されないものが第二乙種となる。丙種は身体に欠陥があるもの、丁種は障碍者、戊種は病気の者であった。
割合は大体、甲3割、乙3割、丙3割、丁以下1割だった。
平時では兵員定数が少なく、甲種でも抽選のことが多かった。戦時においては甲種は全員、乙種でも徴兵されるものが多くなっていく。

注2
注3
圃場整備とは田んぼの作業効率アップ、生産性アップ、災害に強靭化のために、区画整地、田んぼの大面積化、用排水路の整備、土層改良、農道の整備などを行うこと。昭和30年(1950)代末頃から推進され、平成の時代(2010)にほぼ完成した。
私の周りでは1980年代に行われたが、当事者には重大な利害関係があり、悲喜こもごもを見てきた。

注4

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