異世界審査員182.クーデターその2

19.07.01

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

226事件にーにーろくじけんとは1936年(昭和11年)の2月26日、陸軍の下級士官(大尉・中尉・少尉)が1,400名の兵士を連れて、首相官邸や警視庁などを襲い、首相や大蔵大臣など要人多数とその護衛を殺傷したテロ事件である。

中学の歴史教科書を見たら、わずか220文字しかない。その最後は「この事件の後、軍部の発言権が強まった」とある。これだけ読むと軍部が勢力拡大を図って行ったと読めるが、実際はそうではない。軍部の勢力拡大を図ったわけではなく、そもそも陸軍は一枚岩ではなく、呉越同舟であり同床異夢であり敵の敵は味方であり、関わった人それぞれに思惑があり複雑怪奇であった。そして結果として軍部の発言権が強まったというより、軍の名誉も信頼性も傷ついたというのが正解ではなかろうか。
兵士 226事件は独立したものではなく、これより2年前に海軍若手士官が起こした515事件があり、その後も下級士官が高級士官を殺害する一連のテロ事件が続き、そのつらなりの最後に226事件がある。そこには関係する個人や団体の思惑、利害関係が複雑に絡み合っている。
まず海軍と陸軍の主導権争い、それはイコール予算争いでもある。海軍内部・陸軍内部の派閥争い・出世競争。天皇親政を望む人・法治国家を望む人の争い。昇進できない士官の不満、下級士官の安月給による困窮(注1)農村の困窮を救えない政治に対する怒り、その他さまざまな問題がからみあっていた。
226事件の裁判は因果関係を究明するよりも、むしろそれらのドロドロを覆い隠そうとしたと思えるほど拙速に行われた。515事件やその後のテロ事件の裁判を公平に公開でおこなったことを反省したかのようだ。まさに中国で新幹線事故のとき、中に生存者がいるのに穴を掘って埋めたというようなことに近い。

いくつかの書物を読むと、226事件に関わった下級士官(一般に青年将校と記されるが、階級は低かったが年配者もいた)たちは考えが幼いと思う。無知というよりも、世間ずれしていないのか、善人であるが多面的に考えられない。まさに水戸黄門のドラマに出てくる百姓や町民のようだ。先輩や上司の話を無条件に信じ、軍人は自分たちの武力を使って革新しても良いと考える、純粋というか常識知らずというか。
決起前に某将軍に「政治活動をしたければ軍人を辞めてやれ」と言われても、その理屈が理解できない。まして武器だけでなく、多数の部下を自分の欲求実現に使うとは言語道断だ。
反乱士官に動員された兵士は、悲劇としか言いようがない。事件後、「上官の命に服従せし行為が犯罪行為なりとせば、上官の命令に服従することは不忠の臣となり全く軍紀の根本精神を覆すものなり」という意見が多数あったのは当然だ。入営して数か月の新兵まで暴走した士官と一蓮托生とは異常であり悲劇である。

そして参謀本部も将官たちも、反乱軍をどう扱うか判断つかずオロオロするだけ。呆れるよりほかない。それどころかこの機会に派閥の勢力拡大を図ろうと、反乱軍を支持したり手の平を返したりという狡さ愚かさ! 山下泰文が立派な人だと思っていた私はバカでした。
石原莞爾が初めから「彼らは反乱軍である。断固殲滅」と断じたのは正論だ。天才とは頭が良いだけでなく、まっとうに考えそれを言える人だろう。とはいえ、この人も満州事変の時とは考えが真逆なのはどうして?
決断できない将官、派閥抗争しか考えない将官、こんな陸軍が戦争をしては、勝つ以前に戦うことが困難だったのは間違いない(注2)

しかし226事件で決起した者だけでなく、支援した者もバカというかまともではない。野中大尉たちが出動するとき武器・弾薬の持ち出しと出門を黙認した夜間の連隊最高責任者であった山口一太郎は、1960年の安保騒動を見て「この人々が226のとき我々にあったならなぁ、あの機関銃をこの民衆に与えたなら革命は一夜にしてなったろう」と語ったという(注3)これを読むと山口一太郎はまったくバカとしか言いようがない。戦前においては統帥(とうすい)を理解せず、戦後においては民主主義を理解せず。こんなアホが陸軍士官だったのだから226事件を起して当然だ。
60年安保デモ隊が日本国民の総意であるわけがない。安保騒動の前後の国政選挙では自民党が大勝利を収めているのだ。SEALDsの奥田が国会で意見を述べたにしろ、彼は日本の若者を代表しない。国会前で騒ぐサヨクはノイジーマイナリティであり、国民の大多数を占めるサイレントマジョリティーではない。マジョリティが正義とは限らないが、マイナリティがマジョリティーを装うのは詐欺だ。
決起した士官たちの思想的指導者であった北一輝と西田税は事件に関わっていないのに死刑になったのに対し、山口一太郎は思想的には実行者 野中の同志であり、決行に当たっては軍規を破って協力したのだから野中と同罪なのに、終身禁固刑(実際は5年後に出所)ですんだ。そして戦後まで生き延び反省しない山口大尉はバカであり卑怯者だ。

私の考えをはっきり言う。
困窮している農民を救うというのは崇高な思いだろう。だがそれが実現するかどうかは全体を見て考えないとならない。一部財閥とか富裕層を憎んでもしかたがない。当時の日本のGDPを総人口で割ればいかほどになるかと考えればわかる。GDPが少ないならそれを平均に分けても豊かにはならない。
現代日本でも富裕の差があると扇動する政党や人々がいる。そういう人ほど豊かな暮らしをしているというツッコミはおいといて……現在の日本のGDPは約400兆円、日本の平均家庭収入は712万だそうだ。これを富裕層が取ろうと平均になろうと、総額は変わらない。
226事件を起こした士官たちは、困窮した百姓を救おうとするならクーデターを起こすよりも、政治家にもっと産業を発展させろ、富国強兵を進めろというべきだったと私は考える。そしてそれは今も同じく、ロードシャワーなんて叫んでないで、海外生産を国内に持ってこい、仕事を増やせと叫ぶべきだ。

おっと、この物語は過去の日本の歴史のイベントを模していますが、そのまんまじゃありませんのでご承知おきください。


1934年11月10日

政策研究所で中野、岩屋、幸子そして石原莞爾がいる。中野が岩屋に命じて、アメリカから石原を例のドアを通じて呼び出したのだ。
石原教授
石原教授
石原も今は45歳、アメリカに渡って11年が経っていた。今はアイビーリーグで終身在職権を持つ国際政治学の大家である。功なり名をとげた。書籍と講演そしてコンサルタントで稼ぎ、大金持ちというのは公然の秘密である。しかし伊丹の世界からの資料を基に投資をして荒稼ぎしているというのは本当の秘密である。
そもそも始まりはノモンハン事件の予言で名を売り、その後 満州事変そして第二次世界大戦の予言、その後の世界列強の力学などを予言・予想したのがことごとく事実となったからだ。石原は日本の歴史を参考にはしたが、もちろんこちらの世界の歴史は異なり、この世界がどうなるかをシミュレーションと思索で予言したのはやはり才能だろう。今はアメリカ陸軍省とでなく、国務省とコンサルタント契約をしている。

 注:アメリカの国務省とは日本の外務省にあたる。

石原教授
「こんなに面白い話があったなら、なぜ今まで私を呼んでくれなかったのですか」
中野
「いやいや、石原教授のお手を煩わせなくても我々で十分対応できると考えていた。このたび最終的に計画の是非を確認したかったのだ」
石原教授
「あとひと月となってはできることが限られています。もっと早くから参画していたかったですね」
岩屋
「まあまあ、我々の立案したものの講評をお願いしたい」
石原教授
「それじゃ早速………考えはわかりますが、もっと万全を期しまた徹底的に行うべきです。
そして大事なことですが、反乱軍の位置づけをはっきりさせておかねばなりません。もちろん自分の頭の中だけでなく、新聞やラジオで国民と軍隊に周知徹底が必要です」
岩屋
「反乱軍か?……まだ一部の者しかこの決起計画があることを知らせていないが、多くはその意気や良しという反応で、反乱軍とは呼んでいないんだ」
石原教授
「法治国家において、軍人であろうとなかろうと武器を持ってテロをするのはクーデターであり反乱軍です。それははっきりしておかねばなりません。
そして参加したものは厳罰、軍人なら銃殺です。もし甘い処分にすれば国際社会から、我が国が未開国、法治国家の反対である人治国家だとみなされ、以降相手にされないでしょう。
その意気や良しなどと語っている人は、一段落した後に予備役にしなければなりませんね」
中野
「するとどのような対応が良いのだろう」
石原教授
「まず具体的活動を始めないで拘束した場合、軍や社会が状況を良く知らずに彼らを称えるおそれがあります。崇高な行為なのに可哀そうというわけです。この場合、似たような事件が又起きる恐れがあります」
幸子
「私の世界での515事件のようになるのね」
石原教授
「そう、515事件は実際に殺人も犯しています。しかし社会が実行者は一途に純粋な人たちで可哀そうだとみなしたために、処罰が甘かった。それを当然と受け取り悪乗りした連中が226事件を起こした。それは間違いです。断固、軍や社会に法治国家とはこういうものだと教えなければなりません。泣いて馬謖を斬るのが当たり前です。
そして制圧するなら徹底的に、相手に降伏とか自決とか反撃とかの選択を許すようではいけない」
岩屋
「それは徹底的に撃滅、殲滅するということか?」
石原教授
「そうです。もちろん降伏したならそれなりに対処します。しかし人殺しをしようとする連中の言い分を聞いたり交渉することは間違いです。軍の仲間同士だからそういう発想になるかもしれませんが、民間人なら武器をもって相対しているとき、交渉する発想は起きないでしょう。
どちらにしても首魁は生きて確保し裁判ではっきり裁きたい」
中野
「なるほど……、では石原参謀の作戦を伺おう」



1934年12月5日

朝から寒く、昼過ぎから雪が降りだした。夕方には数センチ積もり、バスやトラックは恐る恐る走っている。まだこの時期に雪が積もるとは思っておらず、多くの車はタイヤチェーンを付けず、あちこちでスリップして交通事故が起きている。幸いみながおっかなびっくりでスピードを落としているので大きな事故、死傷者はでていない。



12月6日

早朝というか未明というか、5時頃に第3連隊から1,000名近くの兵士が武器・弾薬をもって出ていく。
本来なら命令を受けていない者が出門しようとすれば……まして武装した集団である……門衛が止めて大騒ぎになるはずだ。しかし夕方 連隊長が帰宅すると、中隊長が交代で夜間の連隊責任者になる。この夜の責任者は山口一太郎大尉であった。彼はクーデターグループであり、上官からも目をつけられていた。そんなアブナイ奴を夜間の責任者にするなと言いたい。
そして山口大尉が倉庫から武器弾薬の運び出しも武装した集団の出門も見逃しを命じたのである。

既にこの時代で歩兵の移動はトラックを使うようになっており、行進は式典くらいしか行わない。しかし今日は音を立てないため、そして雪が数センチと言えど積もっており予想外のトラブルを恐れて歩くことにした。
どうせ攻撃目標である、陸軍省、警視庁、首相官邸などすべて兵舎から歩いて30分の距離にある。
途中目的地ごとに分かれていく。
反乱軍(決起部隊)が第3連隊の門を出ると同時に各所に隠ぺいしていた戦車が現れて、主要交差点を閉鎖した。また海軍陸戦隊が芝浦ふ頭から上陸、トラックで警備線に配置される。



野中大尉は約500名を率いて歩いていた。斥候というか先行して前方を確認していた兵士が駆け戻ってきた。

野中大尉
「何だ?」
兵士
「前方の交差点に戦車が置かれ、武装した兵士が1個小隊(50名)くらいいます。しかも鹿砦(ろくさい)を設置しています」

注:鹿砦(ろくさい)とは、先のとがった竹や枝のある木などを鹿の角の形に立て並べた垣根で邪馬台国から現代にいたるまで使われている。

野中大尉
「なんだと! 我々の行動が読まれていたのか!」

すぐに道の前に戦車が見えてきた。
戦車まで100mほどになると、野中は全体止まれと命じ、休憩させた。 97中戦車 もっとも一面雪が10センチ近く積もっており座るわけにもいかない。それにまだ歩き出して10分しか経っていない。
野中大尉は戦車まで歩いていく。脇に立っている中尉の階級章を付けているのが指揮官らしい。敬礼して話しかける。

野中大尉
「私は第3連隊の野中大尉です。無害通行の許可を願います。」
小池中尉
「近衛師団戦車中隊小池中尉です。貴官たちは反乱軍とみなされています。投降されることを要請します。ここを強行突破しようとした場合は攻撃命令を受けています」
野中大尉
「なんだってえ! 我々が反乱軍だって!」
小池中尉
「申し訳ありませんが、原隊に帰還して士官は投降するようお願いします」

野中より若い指揮官は悪意も憎しみもないようだ。ただ命令に従っているだけだ。
野中は様子をうかがう。道幅いっぱいに築いた鹿砦の後ろに戦車があり、その後ろに土嚢を積んでいる。約1個小隊の兵士がその後ろで銃剣を付けた自動小銃をもっている。構えてはいない。自動小銃には弾倉が装着されている。弾倉には実弾が入っているのだろう。まあ、それはこちらも同じだが。

野中大尉
「ありがとう、私の一存では判断できない。同志と打ち合わせて決断する」
小池中尉
「よろしくお願いします」

野中大尉は戻ると通信兵と声をかけた。
扶桑陸軍は近代化を図っており、今では小隊単位に無線機を配備している。斥候も実戦では無線機を携帯している。

野中大尉
「野中だ。誰か聞こえるか? 第3連隊から1キロもいかずに停止命令を受けた。戦車や武装兵がいて前進しようとしたら戦闘になる」
電話の向こう
「こちら栗原中尉です。参りました、私の方も同じです。警視庁まで1キロの地点で前進を阻まれました」

斥候が話しかけてくる。

兵士
「中隊長殿、我々が通り過ぎてきた後方300mほどの交差点に鹿砦が作られてます。向こうにも戦車と兵士が配備されてます」
野中大尉
「なんだと!」

後方を振り向くと戦車が見えた。
これは一体なんだ、我々の作戦がまるごと漏れていたのか? それにしてもすごい手際の良さだ。あの交差点を通ったとき周囲に兵士も戦車も見えなかったのだが。

さてどうするか? こちらの武器は自動小銃と軽機関銃それに重機関銃だ(注4)戦車を重機関銃で撃ったところでしょうがない。あと迫撃砲がある。迫撃砲でも水平射撃はできなくはないと言われているが、まず当たらないだろう。それに迫撃砲が戦車に有効とは思えない。
撃ち合いになれば、向こうは土嚢を築いてありこちらは遮蔽物はなく、結果は見えている。前も後も抑えられた今、原隊復帰もままならぬとなれば、降伏するか戦って死ぬか。
しばし野中大尉がどうしようかと悩んでいると、決起隊の別グループの安藤大尉から無線が入った。
安藤は、下士官と兵は自発的に決起したわけでないので投降させる、士官はそれぞれの才覚で活路を開くという。もちろん野中大尉への命令ではなく、彼の部隊の処置をそうするということだ。

1・2分考えて野中大尉は先任下士官である後藤曹長を呼ぶ。

野中大尉
「もはやこれまでだ。曹長お世話になった。俺たち士官は自らの意志で決起したが、君たち下士官や兵は命令されただけだ。投降すれば処罰は軽いだろう。
俺たちは姿を消すから、10分くらいしたら投降してほしい。代表者が白旗をあげてその旨伝え、武器弾薬をおいて投降すること。細かいことは戦時における降伏と同じだ。
俺たちは当初の目的を果たすためなんとかしたい」

意外というか驚いたことに、後藤曹長は中野大尉の話に一言も反論しなかった。まして野中大尉殿に付いていきますなど口にもしない。野中大尉は人望がなかったのだなと心中嘆いた。
野中大尉と後藤曹長は敬礼をして別れた。
それから野中大尉は自分の部隊の士官 清原少尉、鈴木少尉の二名に意思確認を行って、一緒に行動することにした。三人は脇道に入り家の庭先をひたすら走った。



気が付くと日本赤十字看護大学のそばの公園とも言えない小さな広場の植栽の脇に座り込んでいた。今まで逃走して分かったことは、海軍陸戦隊が出張って来て、有栖宮記念公園の南側に東西方向にすき間のない警戒線が敷かれていることだ。これを超えて南側に逃げるのは不可能と思える。となると北側だが、南側に警戒線を敷いて北側に手を打たないとは思えない。警戒線を超えるか、それともどこかに潜伏するかだが……
野中大尉がそんなことを考えていると、清原少尉がアレエという顔をして首を伸ばす。

野中大尉
「清原君、どうしたのかね?」
清原
「あの邸宅は伊丹という人の家のはず」
野中大尉
「伊丹? なに者ですか、その人は」
清原
「面識はありませんが国の政策にいろいろと関与しているという話です。大蔵大臣の高橋とか内大臣の牧野と親しいそうです」
野中大尉
「へえ! 高橋と牧野と言えば、二人とも今回の目標じゃないか。
もう逃げられないなら二人の代わりにその伊丹をやろう」
清原
「多分 門はあちらです」

三人は駆けだした。目標を失って茫然としていたところに、新たな目標を見つけてそれにすがる思いしかない。

門を開けて駆け込むと憲兵が二人玄関から飛び出してきた。

憲兵
憲兵1
「待て待て、ここは私邸だ。無用の者は立ち入ってはいかん」

清原は黙って拳銃を抜いてまず前にいた憲兵に向けて三発撃ち、その憲兵が後に倒れるのを見て、もう二人目の憲兵に向けた。
その憲兵は拳銃を抜こうとしている。その憲兵の胸に目がけて1発撃ったところで、玄関から新手が現れて自動小銃を連射する。清原は胴体数か所から血を噴出して後ろに倒れた。すぐその後に自動小銃を持った女が現れて射撃する。清原の後ろにいた鈴木少尉も肩と胸に当たって崩れ落ちた(注5)
野中は拳銃を捨てて両手をあげた。あたりには生臭い血の臭いが充満している。
自動小銃を持って現れたのは相川とゆき、ふたりは皇帝のお庭番、岩屋機関のメンバーである。

相川が野中に自動小銃を向けて、ゆきが倒れている二人を蹴飛ばして息絶えているのを確認する。
ゆきに野中に自動小銃を向けさせて、相川は野中の服を左右とポケットをパンパンと叩き、硬いものがないことを確認して手足を細紐で縛った。

そのときもう一人の警備の憲兵が走ってきた。彼は屋敷の周囲を巡回中だった。

憲兵
憲兵3
「オイ、しっかりしろ!」
憲兵
憲兵2
「大丈夫だ、俺は何ともない。そっちは?」
憲兵
憲兵1
「生きてはいますが、胸のあたり一面が痛いです」
相川
「えええ、生きていたの!」
憲兵
憲兵1
「ご主人の伊丹さんから最新型の防弾衣を頂きまして着用していました。おかげで生きています。とはいえ防弾衣は弾を止めても、強い衝撃を受けるのは同じです。あばら骨が二三本折れたようです」
憲兵
憲兵3
「あばら骨が二三本折れただけなら良しとしなければ、半月も静かにしていれば治るさ」
野中大尉
「俺たちが必死で頑張った結果が、護衛の一人のあばら骨を折っただけか……
清原少尉も鈴木少尉も無駄死だ(注6)
ゆき
「岩屋機関長に報告しました。憲兵隊が捕縛者と遺体の引き取りに来るそうです。それからここの後始末もしてくれるそうです」

伊丹と幸子が恐る恐るという風情で姿を現した。
二つの死体を見てぎょっとし、憲兵が地面に寝ているのを見てそばに駆けつける。

伊丹
「大丈夫ですか?」
憲兵
憲兵1
「大したことはありません。お借りした防弾衣はすごいですね。あばら骨を折っただけです」
伊丹
「昔、自動小銃を買ったとき土産にもらったものだが、役に立ってよかった(注7)
ゆきさんたちは無事か?、看護兵の要請はしたのかい?」
ゆき
「はい、ご夫妻が無事で何よりです」



12月15日

中野、岩屋、伊丹夫婦、石原が雑談をしている。

中野
「石原教授からのご提案とおり対応しました。おかげでこちら側に死者はなく警備兵に数名の重軽症者が出ただけで済んだ。やはりやるときは徹底してやらないとダメだな。小出しに手を打つのはかえって悪い。
皇帝から石原君へのお礼を伝えて欲しいとのことだ。本来なら顕彰しなければならないが……石原君は秘密の通路から来たので公にできないのが残念だ」
石原教授
「お言葉だけで十分です。
しかし結局彼らは何が目的だったのですか?」
中野
「これから裁判で思想とか背景とか十分調べるだろう。今は何とも言えない」
岩屋
「どんな社会でも不満は生まれる。ただそれがまっとうな不満なのか、勘違いなのかということでしょうね。
しかしあんなバカな士官が100人もいたんだから驚きだ。軍人の本分は戦うことであり、政治活動じゃない。そういう教育が足らないな」
中野
「だが高級軍人になっても、陸軍大臣とか大将になりたいとか、私利私欲に染まっているから問題だよ。乃木閣下のような人はもういないのか。
ところで高橋大臣から石原君など今回の対策メンバーと飲みたいと声がかかっている。実は皇帝もどうかと言っているのだが。もちろん年明けだろうけど、伊丹さんどうですかね」
幸子
「今回の事件で、我が門前で流血事態が起きました。忌事が起きてすぐは高貴なお方は近づくべきではありません」
中野
「言われてみれば……ちょっと考えます」



12月25日
年の瀬も押し詰まった頃、工藤少尉は野中大尉の近くにいて暴走を止めることができなかったという理由で、少尉免官となった(注8)予備役でもない、完全な馘首(くび)である。責任が皆無とは言えないが、ちょっとひどいのではないだろうか。
工藤「元」少尉は岩屋に会って泣き言をいう。

岩屋
「外部の立場で考えてみろ。まずスパイ活動をしていたことを表彰すれば、決起者の仲間から恨まれるだろうし、暗殺される恐れもある。
次にこのまま連隊に勤務しても、決起者の近くにいたわけで、これから一生危険人物としてはれ物に触るような扱いをされる。それもいたたまれないだろう。
というわけで君も軍を辞めて再出発した方が良いと考えた結果だ。
君だけでなく、この事件に駆り出された下士官や兵士に罪はないが、これからはずっと白い眼で見られるだろう(注9)
工藤少尉
「そう言われるとそうですね。でも失業ですよ。それに士官学校を出たことがキャリアになりません」
岩屋
「泣くな、どうせ軍人に成りたかったわけでもなかろう。柔道を生かしたいなら俺のところに来い。荒っぽい仕事をやってもらう。
ジョミニやマハンの研究をしたいなら伊丹さんに政策研究所で雇ってもらえ。もっとも政策研究所のほうは柔道はヘボでよいが頭は良くなければならん」


うそ800 本日知ったこと
226事件は都内ばかりではない。当時の内大臣 牧野伸顕は湯河原温泉に滞在しているところを襲われた。そのとき孫の和子(当時21歳 後に麻生太郎の母)の機転で命拾いする。
麻生太郎は経済オンチ
今回226事件に関わる本を読んで、牧野が大久保利通の実子で麻生太郎の高祖父に当たることを知って驚いた。
それに麻生さんの妹(寛仁親王妃殿下)が皇族に嫁ぎ、姪も皇族(彬子女王・瑶子女王)、まさにロイヤルファミリー
そんな麻生さんに「年金を払ったか?」とか「年金はいくらもらっているか」と聞くのは失礼すぐる
私に聞いてくれれば、ちゃんと答えてやったのに、


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注1
旧軍の士官の俸給は上に厚く下に薄かった。士官学校を出たほとんどは少佐止まりで、定年になるとき中佐に昇進して退職した。一方士官学校で上位1割にいた人は少尉・中尉時代に陸軍大学校に進み、大尉・少佐を駆け足で通り過ぎ4割が将官になる。それに対して士官学校卒業のみでは6%(1%という説もあり)しか将官になれなかったという。
そして旧陸軍と自衛隊の給与グラフを重ねると、中佐以上はほぼ同じカーブだが、少佐以下はものすごく安いのが分かる。少佐止まりでは薄給で頭打ちというのが分かる。
現代の自衛隊でも防衛大学だけ出た幹部は三佐(少佐)止まりで退職直前に二佐となるというのは変わらないが、階級による賃金格差が小さい。

旧陸軍・自衛隊士官俸給グラフ

・1933年(昭和12年)日本軍陸軍将校階級別の給料一覧
・2018年 自衛官の俸給表の詳細

注2
参考図書
「叛徒 2・26事件と北の青年将校たち」平沢是曠、北海道新聞社、1992
「二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動」高橋正衛、中央公論、1994
「英雄の魂」阿部牧夫、祥伝社、2001
「図説 2.26事件」平塚柾緒、河出書房、2003

注3
「二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動」高橋正衛、中央公論、1994、p.42/p.202

注4
ブローニング重機関銃 重機関銃と軽機関銃の違いは、口径や重量の大小ではない。重く移動困難だが連続射撃ができるのが重機関銃で、手運び出来て30発程度の連射ができるものを軽機関銃という。
第二次大戦以降は両者の差が小さくなり、ひとつで両方の目的に使えるようになった。

注5
昔の日本陸軍のピストルの銃弾のエネルギーは現代よりもはるかに小さい。 ブローニング だから急所に当たれば死ぬだろうけど、そうでなければ怪我の程度はちいさかった。
19世紀末開発の26式拳銃は98J(ジュール)、1930年の94式拳銃も南部14年式も270Jである。現在の警官が持つニューナンブは200Jくらいだが、自衛隊の9ミリ拳銃は500Jほどある。アメリカの警察はさまざまだが概ね500J以上。ちなみに100Jとは10キロの重さを1m落としたときのエネルギー
なおおもちゃのエアガンは1J以下、狩猟用空気銃は10〜20ジュールくらい。

注6
史実では清原少尉と鈴木少尉は生き残り、無期禁固刑となった。死刑と無期禁固の差はどこでついたのか?

注7
伊丹が自動小銃を買いに中東に行ったのはもう20年も前のことだ。現代のボディアーマーはケブラー繊維などを使っており経時劣化するので、有効期間が3年程度だそうだ。まあ、お話だから勘弁してください。

注8
226事件の前、佐藤勝郎士官候補生は辻政信に頼まれて一味の状況を報告していたが、最終的には反乱軍の支持者として軍から追放になった。ひどいと言えばひどいが、それがスパイの宿命かな?
「叛徒 2・26事件と北の青年将校たち」平沢是曠、北海道新聞社、1992、pp105〜114
注9
現実に226事件に関わった兵士たちは形式上無罪だったが、原隊復帰後には死んで帰れと言われて最前線に送られるなど、ひどい扱いを受けた。郷里に帰ってからも周りから犯罪者とみられたという。
同じ第3連隊にいても上官の当たりはずれで、その後の人生大違い、ひどい話だ。まあ、人生なんてそんなものだけどね……



外資社員様からお便りを頂きました(2019.07.01)
おばQさま
226事件について、よくぞ明快に書いてくれました。
当時でも青年将校への減刑嘆願が山ほど来て、今でも青年将校を賛美する人もおりますが、どう考えても世間知らずの暴発としか思えません。 ましてや、それが最も禁じられていた兵力の私的利用なのですからねぇ。
それがなぜ起きたかは、色々な理由があると思いますが、主因の一つはお書きのように官僚の勢力&予算争いですよね。 皇統派(自称)と統制派(他称)の争い。 皇統派による怪文書が飛び、あげくに相澤事件で永田鉄山の斬殺。
そして、二つ目の理由は将校達の経済的不安と屈辱感とおもいます。前回 お書きになったように、大戦争が終われば不景気がやってくるし、当然に膨らんだ軍事費は削減する必要があります。 歴史では「宇垣軍縮」が起きて、大量のリストラが行われた。 兵の削減は徴兵率の低減になり国民には歓迎ですが、師団連隊の解散は、ポスト削減であり将校の大量リストラになります。注1にもありますが、当時の士官の給与は上に厚く下に薄い。当時の軍隊俗語に「やっとこ大尉に、やりくり中尉 嫁も貰えずカワイソー」という侮蔑があったそうです。 大尉になってやっと嫁が貰えるくらいの収入とは...
明治時代の将校は優良な嫁入り先だったのが、大正軍縮以降は社会的弱者。 特に大正軍縮で大量の佐官、尉官がリストラ。これらの人を拾ったのは富国生命などの保険会社。 当時は徴兵保険というのがあり、その勧誘員として採用。 当時の士官学校は、地方の秀才達の憧れでもあり、郷里の期待を担って将校になったのに軍縮でリストラ。年金が貰えるまで保険の外交員をする先輩達の姿を見て、これは社会がオカシイ、その元凶は元老や財閥だと、簡単に刷り込まれてしまいました。
なぜそんなに簡単に取り込まれたかと言えば、当時の士官教育や採用・評価基準が偏っていたからなのでしょうね。 社会常識や教養は自身で学ぶものとして殆ど教えず、幼年学校のように偏ったエリート教育と、士官学校時代の成績をずっと引きずる評価制度。
渡辺錠太郎のように、小学校中退で兵になってから、大将になった例外もおりますが、このような立派な人が226事件で殺される事自体が、青年将校の価値基準の異常さを示しています。
そして三つ目の原因は、こうした青年将校の行動や下剋上的状況を看過した組織マネジメントの問題とおもいます。 これもお書きになっておりますが、決断できない将官、派閥抗争しか考えない将官。 加えれば無責任でしょうね。 これだけ大きな統制上の大問題をおこしても、根本的な組織改革が出来なかった。だからその後の大戦争で、国民の命が兵士として無為に失われる事に対して、全く責任を感じない将軍達が生まれたのだと思います。
226周辺の事項について、注3のように知らなかった事もあって、大変 勉強になりました。
有難うございます。

外資社員様、毎度ありがとうございます。
正直言いまして、外資社員様からお便りをいただくたびに、今回はどんなお叱りかと冷や汗冷や汗が出ます。
226事件はどう考えてもクーデターです。しかし不思議なことですが、首謀者(首魁と呼んでいたそうです)たちが陸軍の将軍たちと話し合いをしているというのが信じられません。彼らはクーデターではなく若手が陸軍の将軍たちに直訴したという認識だったのでしょうか?
どうも真剣に維新をしようって意気を感じません。
外資社員様がおっしゃるように、「社会常識や教養は自身で学ぶものとして殆ど教えず、幼年学校のように偏ったエリート教育と、士官学校時代の成績をずっと引きずる評価制度」 まさにこれです。弱肉強食の世間の生存競争を生き抜いていくしたたかさがなさそうです。
それと合成の誤謬というのか、部分で良い方法は必ずしも全体では良くないことって多々あるわけです。それをわかってないのかなあって思います。
まあ、そういう試行錯誤、失敗の重なりが現在であるわけで、さてどうしようかと悩みます。
息抜きに夢物語を書くのをお許しください。

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