異世界審査員184.挑戦と改革その2

19.07.08

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。

異世界審査員物語とは

司馬遼太郎の小説に「坂の上の雲」なんてのがある。坂の上に見える雲を目指して登っていけば高みに至るということらしい。今の時代は坂の上に雲がないのか、現代では雲に魅力がないのか雲より高くなったのか……いや、そもそも明治という時代に、それほど雲が魅力的に見えたのかどうかは定かではない。
灯油ランプ
私が産まれたときは白熱電球だったが、我が家の物置に、昔使っていた灯油ランプがあった。
母は毎日ホヤを洗うのが辛かったと言っていた。

最近では明治とは江戸時代からの革新ではなく連続であったという説が多い。開国に伴って入ってきた……というか明治政府が推し進めた制度やファッションは広まったかもしれないが、写真や記録を見れば、庶民の暮らしや風習は変わらなかったように思う。行灯がランプに代わるのは簡単だが、お盆やお宮参りの風習はそんなに簡単には変わらない。

お疑いなら例を挙げよう。
第二次世界大戦で日本が負けて、農地改革とか男女同権とかデモクラシーというものが強制された。でもさ農地改革の結果、小作農が地主になっただけ、大地主の価値観も横暴も引き継いでごねる小地主が増えただけだ。日本人が真に地主から解放されたのは土地神話が崩れたバブル崩壊以降だ。そういう意味ではバブル崩壊も少しは意義があったのかもしれない。
敗戦後70年経っても是正されない男尊女卑とセクハラ。政党は乱立しても真のデモクラシーなど芽を出さず、偏向報道のマスコミに洗脳されたデモ暮らしのプロ市民がはびこっているだけではないのか?

報道する自由報道しない自由
デモクラシーデモ暮らし

見た目は変わっても、実際は変わらない古い価値観・昔ながらの意識の継承でしかない。

それはともかく扶桑国は今、多くの人が夢を持ちチャレンジしている。


1935年3月

宇宙産業における品質保証の第三者認証制度設立について商工省に相談に行った上野とドロシーは、担当官にダメ出しをされた。

官僚
「大震災後に制定された第三者認証制度(109話)は、当初は優良な発注先選定に効果があったと聞きます。しかしその後必要性が薄れて認証の要件から外され、やがて制度が消滅してしまいました。
どうも世の中が落ち着くと必要性がなくなってしまったようです。前任者から、あれはある一定条件下でしか効果がないと言われました」
上野社長
「確かに震災直後のように平時でない混乱している時に有効かもしれませんね。
ところで宇宙開発は今まさに勃興期です、ですから第三者認証制度は有効だと思います」
官僚
「いや、その逆です。宇宙産業はこれからなのです。大学や国立研究所が製造しようとしても、民間会社がそれを作る能力がまだありません。ですから我々は品質保証の第三者認証制度よりも、過去に作ったことのないものを作りあげる品質計画を作る能力を欲しています。
品質保証とはこうすればうまくいくというのが判明したときに、その条件を維持する手法なのですよ。更にその第三者認証制度というのは、それを第三者が評価するわけで、勃興期にはまだまだ早いのです。 今後何年も経って図面を見れば迷いなく宇宙に飛ぶ飛翔体や観測機器を製造できるようになったとき、第三者認証制度は必要になるかもしれません。しかし現状ではまだその段階まで至っていません」
ドロシー
「では……おしまいということですね」
官僚
「そうではありません」
上野社長
「はっ?」
官僚
「上野さんは大手コンサル会社の社長さん、山梨さんは大手機械メーカーの取締役で、工業界の重鎮です。みなさんのお力で我国の宇宙産業を確立してほしいと考えています」
上野社長
「それはコンサル契約ですか?」
官僚
「官庁はプロジェクトをコンサル会社に丸投げはできないのです。プロジェクト崩れの時の責任とか、プロジェクト運営の客観性とかいろいろと言われますから。それで委員会を作ります。そこに参画していただきたい。もちろん委員会で調査や検討が必要なことがあれば民間のコンサルとか研究所に委託契約をすることになります。もっとも客観性を担保するため発注する際はいろいろ条件がありますが」
上野社長
「あまり旨味はありませんね」
官僚
「そうでしょうか? 山梨さんの場合、手広くいろいろな装置や機械部品を作っていらっしゃる。宇宙機器の部品規格とか検査条件などの情報がいち早く入手ができるのはハッピーでしょうな。おっと独り言です。
上野さんにしてもそれを基に一般企業とコンサル契約を、ゲホンゲホン」
上野社長ドロシー
「「やらせてもらいます!」」

商工省の官僚の話によると、研究所や大学が書く仕様書では物を作るだけの技術を持っている会社がないという。それだけの話ではよく分からない。発注者とメーカーから事情をよく聞かねばならない。
まあ、委員会が立ち上がってからのことだ。




1935年5月

政策研究所実験棟 吉沢研究室である。
吉沢は60代後半になったが、まだ現役で政策研究所の電子部門にいる。吉沢本人は、もういい年だし後輩も育っているから、そろそろ引退しようと考えている。
吉沢教授
吉沢教授
とはいえ中野からは寿命が尽きるまで、ここに居て良いと言われている。というのは最近では一定の年齢になったら引退し、孫守とか盆栽をするという生き方が否定されている。政治家や学者に限らず、人は命ある限りその道を究め国に尽くすべきという価値観が大流行だ。これは高橋是清とか渋沢栄一のような大物が高齢にもかかわらず頑張っているからだ。吉沢から見れば傍迷惑な爺さんとしか思えないが、そんなわけで吉沢も引退するとは口にしがたい。
もっとも最近では吉沢が自分のアイデアを実現するため若手を動かしてということはめっきり減り、若手の話を聞いてやったり相談に乗ったりというのが多くなってきた。
そしてまた少し前から自分の部屋の片づけをしている。過去の実験記録とか論文の原稿などを整理して捨て始めた。捨てると言っても機密保持のため焼却炉行きの布袋に入れて口をしっかり縛り焼却依頼伝票を付けなければならない。お米の俵の半分くらいの大きさの袋に毎週1個くらいまとめている。まだまだ終わりそうない。
今日もそんなことをしていると、吉沢の後任になるだろう矢野教授が部屋に入ってくる。

矢野教授
「先生、ちょっとこれを見ていただけますか」
吉沢は手渡された10数枚の資料を眺める。英語である。

吉沢教授
「これは……これは半導体の理屈と製造方法の解説ですね。だいぶ昔、私が作った研修の資料を英訳したように思える。絵とか文脈は自分が書いた記憶がある。
これは……機密に該当するはずだ。どうしてこんなものが漏れて、しかも英訳されたのか?
矢野君、これはどこで見つけたのですか?」
矢野教授
「それがですね……先生ノーベル賞ってご存知ですよね?
あっ失礼、もちろんご存じですよね。
今年の受賞者候補という中に、先生のお名前とこの論文があったのです」
吉沢教授
「はあ?」

矢野の話では、吉沢がトランジスターや発光ダイオードなどの半導体素子のアイデアと製造方法を示したことで、ノーベル物理学賞の候補者としてあげられたらしい。
もちろんノーベル賞は知っている。今から30年くらい前に、スウェーデンの大富豪が設立した、科学や医学に大きな功績をあげた人に与える賞だという。受賞者はほとんどが欧州の人でほんの少しアメリカ人がいるだけで、今まで扶桑国はもちろんアジアやアフリカで受賞した人はいない。
トランジスタートランジスターLEDIC
まだ受賞が決まったわけではないにしても、候補になるだけでもすごいことだ。しかし問題というか疑問が多々ある。
まず我国の重要な秘密である半導体の存在と製造方法などが、どこから漏れたのか、誰が漏らしたのか?
半導体とその技術は伊丹さんの来た世界から持ち込んだもので、私が研究開発したわけではない。もちろん製造技術開発に数年研究に関わりはしたが、
それに私一人が行ったわけではなく、この世界で製造するには大勢の人が参加したプロジェクトだった。
いや、やはり問題の第一はなぜ漏れたのかということだ……


吉沢から中野へ報告したことで、その日のうちに半導体に関りのあった者が緊急招集された。
中野、伊丹、吉沢、矢野、兼安である。
まずは矢野がいきさつを説明する。

矢野教授
「私は以前からノーベル賞に関心がありました。いつかはこの国の科学者が受賞してほしいと願っております。そんなわけで毎年受賞候補者が発表されると、我国の人はいないのかと見ていました」
伊丹
「ちょっと待てよ、ノーベル財団は候補者を発表してないと思うけど?」
矢野教授
「おっしゃるとおりノーベル委員会は候補者の発表はしません。しかし世の中にはノーベル賞候補者を予想している団体があります(注1)
伊丹
「なるほど」
矢野教授
「今年の受賞者候補リストの中に我らの吉沢先生のお名前がありましたので驚き、我国の駐スウェーデン大使館にその団体にあたって資料を送ってもらうように依頼しました。幸いここは国立の研究所ですからすぐに仕事をしてくれて、入手した資料を写真電送でもらったのがこれです。
予想はノーベル物理学賞、授賞理由は半導体素子の発明と製造、エビデンスはこの論文というか解説書と半導体回路の現物でした」
中野
「受賞はめでたいと簡単に言えないことが問題だな。おっとまだ受賞したのではなく、予想されただけだが……いろいろと分からんことがあるが、まずは情報がどういう洩れ方・伝わり方をしたのかだな」
伊丹

「半導体にまつわる出来事は次のような流れかと……」

出来事
1915年科学者・技術者を集めて、半導体や計算機などの説明会をした
1916年半導体を使ったレーダー・PPIスコープや無線電話の実用化
若手研究者を集め、トランジスター開発者若林氏による研修を数回受講
1917年扶桑国に半導体素子製造設備 トランジスターなどの製造開始
半導体素子とトランシーバーなど電子機器の大量購入
以降半導体素子と機器の大量調達を継続
1918年LSI製造設備を調達
1919年6インチウェハー製造設備を調達
1923年位置把握、航路指示などのシステム開発

吉沢教授
「私がその英訳されたものの元ネタを書いたのは1917年だったと思う。中の図表は私が書いた記憶がある。欧州大戦で護衛艦用に無線電話機が大量に必要となり、それを作るためメーカーの技術者を集めてひと月ほど講義と実習を行った。
矢野君が入手したのはその時の配布資料を英訳したものだと思う」
伊丹
「それじゃ1917年以降ということになりますね。そのときその資料のコピー、配布、各人の処分など、どのようにしたのかということになる」
中野
「その……ノーベル賞候補者を発表している団体はどのようなルートでその論文を入手したのだろうか?」
吉沢教授
「もう10数年も前なので記憶も薄れていますが……参加者氏名は政策研究所の総務に記録があるかもしれません。当時も今も機密情報に関わる人からは秘密保持契約をしています。
しかし既に多くの方が亡くなっているでしょうし、遺族は遺品を適当に処理することもあるでしょうね」

注:1930年代の日本の男女の平均寿命は47歳。もちろん平均寿命とは全員が死ぬわけでなく、あくまでも亡くなった年齢の平均であるが、現代に比べれば短命でほとんどは60代で亡くなった。18年前に40代なら2・3割は亡くなっていてもおかしくない。


兼安大佐
「でも貴金属とは違いますから、価値を知らなければゴミに出すでしょう」
矢野教授
「それとも価値を知らないまま古本屋とか古物商に売って、見つけた人がその価値に気づき外国に売り込んだというか、とにかく追跡調査しなければどうにも分かりませんね」
伊丹
「あるいはテーマを絞らず我国から情報を収集しようと、外国の情報機関が無作為に論文や書籍を漁っているのかもしれないな」
吉沢教授
「それはアリがちですね。私も同じことをしていますから」
中野
「しかし現物を入手したとは、いったいどうしたのだろうね?」
矢野教授
「論文と違い、実物の入手ルートは簡単に分かりました。欧州では半導体が実用化されていました」
伊丹
「へええ! それはどこですか、何に使っています?」
矢野教授
「ドイツとフランスで用途はラジオです。といっても半導体を製造したり売っていたわけじゃありません。
このたびの欧州の戦争では我が国がアメリカに売却した飛行艇爆撃機が、ドイツ爆撃に使われました。いくら高性能といっても多数が撃墜されドイツやフランス領土に墜落しました。売却したとはいえ機密の機器には自爆装置がついています。しかし粉々には破壊できません。そもそも自爆装置の目的は正常な状態での分解防止が目的で、装置を完全に破壊することではありません。
ラジオ ともかく戦争が終わってから金属屑を売るために、飛行機や戦車の残骸を集める人が多くいたそうです。そして操縦席周りから見つかった機器を分解する人もいたわけです。
金屑拾いが皆が皆、素人じゃありません。真空管を使わない電子機器だと気付いた人もいました。
専門家が見れば、機器の用途からどんな回路か想像がつき、あとは一本道です。この部分は増幅だろう、変調だろうと見当をつけ解析されていったそうです。そしてまだ使える素子があると、それを利用してラジオを作って発表した人たちがいます。
しかし基になった機器がどこで作られたのか、どのようにして作ったのかというのは不明でした。それで遡ってアメリカ、扶桑国と調査をしていったそうです。
その論文の入手経路はわかりませんが、そういう情報からこの国に来て古本屋などを漁ったのかもしれません。あるいは関係者と目された人たちから、お金とか脅迫で入手したのかもしれません」

蛇足です: 半導体といってもディスクリートかもしれません。あるいはICといっても今現在主流のLSIばかりじゃありません。私が若い時代はハイブリッドICなんてのも立派なIC。飛行機に使われていたのがどんなものだったのか私も知りませんよ。

中野
「なるほどなあ〜、製品を売るということは、物だけでなく情報も一体ということだ」
伊丹
「しかしそれにしても欧州の誰かが発明したと言ってもよかったはず、そうすればその人がノーベル賞をもらえたかもしれない」
矢野教授
「それは無理です。というのは先ほど言いましたようにドイツやフランスでは同じものが何十個も見つかっているわけで、発明したと言っても誰も信じません」
中野
「疑問だが、そういう事実が分かったとして、それを公表してしかもノーベル賞候補だと発表するとはどういうことなんだろう?」
矢野教授
「想像です、彼らは我国に半導体の情報を公開させたいのだと思います。我国が正式に特許をとり公開すれば、吉沢先生は名誉を得るし我国は多額の特許料が入るでしょう。しかし彼らもものすごい技術が使えるので損はない。そしてそれを兵器や民生品に利用するしょう。
例えば人工衛星は、今は我国の専売特許です。でもいずれアメリカもイギリスもフランスもドイツもロシアも打ち上げるでしょう。しかし真空管の電子機器では寿命も耐震性も限度があります。まして半導体は小型、低電圧ですから対空砲の近接信管など簡単に実現するでしょう」
吉沢教授
「だがノーベル賞にならないかもしれない」
矢野教授
「ノーベル賞にならず、我国が沈黙を保っていれば、かならずどこかの企業や大学が問い合わせてきて、沈黙を続けることはできないでしょう。結局我国がしょうがないと特許を取るにしても技術を公開すれば同じです。いずれにしてもこれを企んだ人たち、多分どこかの国でしょうけど、彼らは損はしません」
中野
「なるほど誰かが餌を垂らして我々を釣り上げようとしているわけか。
ええと、対応策を協議しよう。
まずいきさつから半導体の発明発見は吉沢先生個人の者ではない。それで対応は我国として判断してもよろしいよね、吉沢先生?」
吉沢教授
「もちろんです。むしろ伊丹さんの権利であろうかと」
伊丹
「私は過去より向こうから持ってきた技術に権利を求めたことはありません」
中野
「よろしい。それじゃこれに関する決定は国家として行う。もちろんその討議には吉沢先生にも伊丹さんにも参画していただく。
次に、仮にノーベル賞が決まった暁には吉沢先生が受賞するということでよろしいか?」
伊丹
「異議ありません」
吉沢教授
「異議あり、いきさつから私が受賞する立場にありません。伊丹さんは権利を求めないと仰ったが、一番貢献された伊丹さんが受賞すべきでしょう」
伊丹
「私の経歴では発明したと言っても疑われます。学歴、経歴、学位からして吉沢さんが適任です。吉沢さんは栄誉を独り占めしてはいけないとお考えかもしれませんが、我々の代表として受賞すると考えてください」
兼安大佐
「吉沢さんはレーダーとかPPI表示などすばらしい功績を上げたじゃないですか。それで受賞したと思えばよろしいじゃないでしょう」
中野
「向こうの歴史では半導体を発明するのは、いつ誰ですか?」
伊丹
「トランジスターも多種ありますが、基本となる接合型トランジスターを発明したのはショックレーで、1951年です。彼はそのアイデアを1930年頃、20歳の頃に考えていたといいます」
兼安大佐
「我々が実用化したのはそれより速い。ショックレーは相当ショックを受けただろうな、アハハハ(注2)



1935年5月

アメリカ戦争省
ホッブス少将とグリーン大佐が話し合っている。
ホッブス准将の副官だったミラー大佐は、将官昇進を3度否決された。アメリカでは将官昇進を3度否決された大佐は退役することになる(注3)
後任に以前戦争省にいたときホッブスの副官だったグリーンが来た。ホッブスが少将に昇進したようにグリーンも今は大佐になっていた。

ホッブス少将
「聞いたか、今年のノーベル賞候補者に扶桑国の吉沢教授がノミネートされた」
グリーン大佐
「それ私も見ました。時期から考えると満州で使った扶桑国の飛行機の機器は真空管でなく半導体を使っていたのですか?」
ホッブス少将
「実はさ、苦い思い出があるのよ。貸与された無線機をばらそうとした技術者がいてさ、自爆装置が働いて死亡した(第150話)。三名もだよ」
グリーン大佐
「覚えていますよ。当時私はあなたの副官でした」
ホッブス少将
「そうだったか……ともかくあのとき満州の司令官に爆発した破片を掃き集めて研究所に送らせた。研究所で調べたところ、元は薄いベークライトの板に上に細かい、本当に小さな部品が半田付けされたものだったようだ。それが数ミリか大きくても1センチもないくらい細かに破砕されていた。何人もの学者や技術者が顕微鏡で眺めたりしたが、電子部品らしいというが詳細は分からなかった。
それは捨てることなく保存されていたのだが、数年前ベル研に入ってきたショックレーという若手研究者が興味を持ってあらためて調べた結果、半導体素子だと言い出した」
グリーン大佐
「半導体素子とはなんですか?」
ホッブス少将
「なんでもショックレーは真空管と同じ働きを、真空中でなく固体の中でできると考えたらしい。ショックレーは自分が考えていたことが、10年も前に実用化されていたので大分ショックを受けたという」
グリーン大佐
「扶桑国の科学技術がものすごく進んでいるということは分かりましたが……それは重大なことなのですか?」
ホッブス少将
「真空管はいくら小さくしても限度がある。しかし半導体は数ミリとかもっと小さくできるらしい。それを利用すれば電子装置の高性能化や小型化ができるという。想像して見ろよ、今の無線機は子犬くらいの大きさだ。それが猫どころかネズミとかあるいはゴキブリくらいになるかもしれん」
グリーン大佐
「その想像は嫌ですね」
ホッブス少将
「ともかく我が国は諜報機関を動かして、扶桑国が秘密にしている半導体の技術を入手しようと扶桑国の本屋とか官公庁やメーカーの廃棄物を調べたりして関係する資料を探してきた。研究者が死亡して個人持ちの資料などが結構無管理でゴミに出すことがあるのだね。去年論文のコピーを見つけたよ。著者はまだ生存していた」
グリーン大佐
「それをわざとノーベル委員会に流したということですか?」
ホッブス少将
「いや、ノーベル賞は論文だけでは賞を与えることはない。論文が発表され多くの研究者が検証したり引用したりして評価が定まったものに賞を与える。だから発明発見の10年後20年後に受賞するのは珍しくない。
金メダル でも外部団体がノーベル賞の候補者としてノミネートすれば、ノーベル委員会もむげにはできないだろう。少なくても真偽とか重要性の調査はするだろう。偉大な発明を見逃せばノーベル賞の権威が下がるからね。
我々が犠牲者を出して入手したものとは別に、先ほど君が述べたが我国が扶桑国から買い取った爆撃機は100機で、終戦までに30機以上がドイツやフランスで撃墜された。終戦後、フランス人やドイツ人が金儲けとか好奇心で、残骸から機器をばらして調べた結果、半導体素子だと発表した。彼らはそれを証明するためラジオを何台も作って公開している。中には自爆装置が働かず完璧な形で見つかったのもあったらしい」
グリーン大佐
「ほう……じゃあ半導体素子というのは間違いないのですね。私は重要性が分からないのですが、それはノーベル賞に値するのですか?」
ホッブス少将
「間違いなくノーベル賞ものらしい。それでワシはいっそノーベル賞を扶桑国に与えて、その詳細を明らかにしてほしいと望んでいるんだ」
グリーン大佐
「スウェーデン政府に圧力をかけたんでしょう?」
ホッブス少将
「さあ、どうかな」



お銚子 1935年6月

今晩は、久しぶりに中野が「料亭さちこ」に飲みに来た。中野が中佐時代は歩いてきたものだが、今は高級車で運転手が送り迎え、しかも前後に護衛付きだ。
伊丹夫妻が一緒に飲む。

伊丹
「中野様、何か御用があって来たのでしょう?」
中野
「そうなんですが……実は陛下からの要請で、ちょっと言いにくいというか」
伊丹
「どうせ話さなくちゃならないことならズバッと言ってくださいよ。私たちにとってうれしくない話でも、承らなくちゃならないことなら仕方ありません。まさか私たち夫婦に死ねとは言わないでしょう」
中野
「そういう話ではないのですが……思い切って言いますよ。
伊丹さんはご子息を向こうに置いてこられた。陛下は伊丹家が途絶えてしまうことに非常に気にしておられます」
伊丹
「この国は家というか家系が続くことを重要視しますからね。
でも我が家は向こうの世界で子・孫・彦と続いていくと思います。こちらの世界だって私が教えた弟子たちは私の子供ですし、私が考えた教えた手法が伝えられるなら私の血統が続くのと同じです。幸子だって論文が残り多くの研究者に引用されたら、それも子孫が続くのと同じです」
中野
「それはお考え次第ですが……我が帝族にもいろいろと制度があり、皇帝の血統が絶えたときは過去の皇帝の5代子孫までの血族から皇帝を選ぶと決めてあります。言い換えると皇帝の子孫も6代目になると帝族から一般人になります。
我が宮家は内親王である母が開祖なので帝位継承権はありませんが、世襲宮家という何代も経って血が薄くなっても宮家を名乗ることが許されています。
ここから言いにくいことなんですが、陛下は伊丹さんに我が中野宮家の家令になってもらえというのです。家令も世襲ですから当然、伊丹家で養子をとってもらい、私だけでなく、子の代、孫の代と当主を支えてもらえということです」
伊丹
「ほう……そういう制度というか考えを初めて伺いました」
中野
「我が家の家令といっても一人というわけではなく、財務とか諸事万端担当とか何名かおりまして、伊丹家には科学技術と国家プランの顧問役を受けもっていただきたいのです。あっ、つまり今伊丹さんのされている仕事を子々孫々にもしてほしいということです」
幸子
「帝族とか由緒ある家系はいろいろ大変ですね。何と答えたらよいのか……」
中野
「それで伊丹家が絶えてしまうと困るわけです。
もし伊丹さんが既に養子にとお決めになっている方がいるならそれで良し、まったく見当がないというなら家柄、学歴、経歴の良いかたを紹介したいと考えております」
幸子
「でも養子をとっても、後代が箸にも棒にも掛からないようではご迷惑になるばかりでしょう」
伊丹
「それは陛下のご命令なのでしょうか? それとも私たち夫婦に選択の自由があるのでしょうか?」
中野
「伊丹さんに決定権はあると思います。でも陛下の本意は、伊丹さんを取り込むとかこちらの風習に染まれというわけではないのです。
陛下は伊丹さんの貢献を高く評価し感謝しております。しかしながらそのいきさつを歴史に残すわけにはいかない。伊丹さんに爵位を与えても子供がなければいずれ家は断絶し、お名前も忘れられてしまうでしょう。
それで世襲宮家の譜代となれば、伊丹さんの代だけでなく、子々孫々まで養子をとっても家を続けなければならず、まあこの国の制度が残る間は家名は残るだろうという温情というか気の使い方と理解してください」


うそ800 本日の解説
いよいよ最終コーナーを回ってと……第三者認証も伊丹家も発明もひとまとめにけりをつけようかと。


<<前の話 次の話>>目次


注1
21世紀現在はほとんどの新聞や報道機関が候補者を発表している。

注2
ショックレーは1910年生まれ。この物語のこの年1936年にドクターになっている。
なお点接触トランジスターの特許において、その原理はショックレーが1930年に予測していたとして特許の発明者にショックレーの名がないと非常な不満を持っていたという。この人は人種差別もそうだが、結構癇癪持ちで我の強い人だったらしい。

注3
ノーチラスを作り「原子力潜水艦の父」と呼ばれたリッコーバー大佐は将官への審査の際、3回否決された。しかし彼を退役させるのは国家の損失と考えたケネディ大統領は、超例外の措置としてリッコーバーを提督にした。
これと同じ措置で将官になったのは他に1名だけだったと思う。
リッコーバーが優秀だったのは間違いないが、性格的にも行動にも問題児だったようで、最後は潜水艦建造についての不明瞭な取引で解任された。


異世界審査員物語にもどる
うそ800の目次にもどる