*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
1935年6月 イギリス ロンドン郊外 ここはケント公爵邸、つまりさくら夫婦の住まいだ。 昨年末にさくらは可愛い女の双子を産んだ。髪の毛も瞳も明るい茶、両親の血を受け継いでいるのは明白だ。戦争からの復興しているところであり、更に明るいニュースにイギリス国民が湧いた。 今日は、スウェーデン大使館から訪問者があった。そして今、応接室でバート夫妻と大使館からの訪問者が会っている。 | |||||||||||||||||
「ノーベル委員会の事務局のカールソンと申します。ケント公の奥様は扶桑国から嫁がれましたので、教えていただければと……いや、悪い話ではありません。 扶桑国の吉沢博士がノーベル賞候補者と発表されたことをお聞きかもしれません。ご存知かもしれませんが、ノーベル委員会は候補者の発表はしていません。あれは我々と関係ない団体や学会が予想したもので、競馬の予想屋と同じです。我々はああいった予想に左右されることはありません。 しかし候補者発表が我々に無関係とは言え、我々が見逃している学者を外部の団体が高く評価したとなれば、調査をするのは当然です。偉大な発明発見を見逃したとなればノーベル賞の権威に関わります。 そのために吉沢博士についていろいろと調査をしており、その一環として奥様が吉沢博士をご存じならお話をお聞かせいただきたく伺いました」 | |||||||||||||||||
「さくらのマターなら私は席を外そうか」
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「バート、お願い、一緒にいて欲しいわ。 カールソン様、このお話は非公式ですよね。私もオフハンドですので、記憶違いとか忘れたこともあると思うので、それは許容していただきたいわ」 | |||||||||||||||||
「おっしゃる通りです」
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「わかりました。吉沢博士というのが私の付き合いのあった方なら存じ上げております。カールソン様のご質問に答えるのですか、それとも私が思いつくままに話せばよろしいのかしら」
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「まずは公爵夫人が感じた吉沢博士の思い出を聞かせていただけますか?」
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「先の欧州大戦、今は第一次世界大戦といいますね、私の高校時代です。ご記憶でしょうけどインフルエンザが大流行しました。扶桑国も例外ではありません。 私の父、中野の宮は皇帝陛下の顧問でした。そして困ったことがあると伊丹さんに相談するのが常でした。伊丹さんは我国では有名な技術コンサルタントです。彼は技術だけでなく政治や社会問題にも詳しく、父は頼りにしていました。 インフルエンザ防疫体制についても伊丹さんに相談しました。伊丹さんは医者ではありませんが、いろいろなプロジェクトに関わっていたので頼りになると思ったのでしょう。 そのとき私がお供していったのが伊丹さんとの初めての出会いです」 | |||||||||||||||||
「ほう、伊丹さんとさくらはそのときからの知り合いか」
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「伊丹さんとは何者ですか?」
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「第二次世界大戦のとき扶桑国から我国に技術支援に来た技術者です。戦術の指導もしてくれたし、V2を撃墜するロケット弾の開発もした」
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「私は服を選ぶのも髪を洗うのも化粧するのも、自分の手でなくメイドにされるのが嫌で、伊丹さんを知ってから毎日のように伊丹さんのお宅で過ごすようになりました。 他人に頼まず自分がコーヒーを沸かして飲みカップを洗うというのが、とても素敵に思えました」 | |||||||||||||||||
「おやおや」
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「伊丹さんのお宅にはいつも政治家や技術者や研究者たちが集まって、お酒を飲んで政治とか新兵器とか自動車の改良などの議論をしていました。政府転覆なんてアブナイ話はしませんよ。
それどころか、ときには当時帝太子だった今の皇帝陛下とか、大臣クラスも飲みに来てました。 うまい酒とうまい料理が只とか伊丹夫妻が高名というだけでなく、お二人のお話が面白くためになるのと、困りごとがあると問題解決のアドバイスをしてくれたからですね。 私はお酌をしたり、お話を聞いたり脇から口をはさんだりしていました。けっこうみなさんに可愛がられたのよ。 でも伊丹さんの奥様の幸子さんには嫌われて……というか、四六時中私が伊丹さんのお宅にいたので煩わしかったのでしょう」 | |||||||||||||||||
「そのありさまが目に浮かぶよ」
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「吉沢さんとそこで会いました。第一次大戦のとき彼は海軍の研究所で、潜水艦を見つけるレーダーとかソナーを研究していると聞きました」
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「へえ!扶桑国は前の戦争の時からレーダーを実用化していたのか。我国ではほんの数年前だ」
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「当時、吉沢さんは幸子さんの部下だったはずです」
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「ほう、伊丹さんの奥様が吉沢博士の上司とは、その奥様もすごい方ですね」
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「戦争が終わってすぐ1923年に我国で関東大震災と呼ばれる大地震がありました。大学の研究者は2年も前に大地震が起きると警告していました。それで政府も地震が起きたとき被害を少なくするために様々な施策を打ってきました。 吉沢さんは、大地震発生時のコミュニケーションシステムを構築しました」 | |||||||||||||||||
「コミュニケーションシステムとはどんなものでしょう?」
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「消火や救助を効果的に行うため、警察、消防、軍隊、行政そして観測飛行機などからの情報を集中管理することです。そのためには通信機だけでなくいろいろなインフラを考えました。 例えば火事を見つけても、あたり一面が地震で破壊されてランドマークがなければその場所を特定することができません。その仕組みを構築するとか」 | |||||||||||||||||
「ほうそれは興味があるな、どうしたのだろう?」
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「吉沢さんは地震の被害を受けないと予想される数十キロ離れた数か所に無線局を設けて、二つの電波を受信して位相差かなにかで所在地を特定する方法を考えました また場所を示すには陰極線管の表示器に地図を表し、それを見ている人の所在地と目的地を示すようにしました。ごめんなさい、理屈は分かりません」 | |||||||||||||||||
「GEEシステムみたいだね」 | |||||||||||||||||
「それに半導体を使っていたのでしょうか?」
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「私は存じません。でも真空管を使えばすごい | |||||||||||||||||
「そういった機器は地震の時役に立ったの?」
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「飛行機からの画像を送受信する機器は、初期の地震で壊れてしまいました。でも無線電話は使えました。また位置情報システムも動きました。誤差は10メートルもなかったでしょう」
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「失礼ながら公爵夫人はそれを実際にご覧になられたでしょうか? 新聞で読んだとかではないのですか?」
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「伝聞じゃありません。地震の予想日前から私はボランティアで、皇居の防災指揮所に詰めていました。最初の揺れで電子機器が倒れ、吉沢さん始め多くの技術者が負傷しました。幸い私は無傷だったので、揺れが収まってからバラバラになった電子機器を、みようみまねで直したりセットアップして動くようにしたのです」
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「ほう、公爵夫人自らそのようなことをされていたのですか…」
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火事で逃げ遅れた人がいると連絡があれば、飛行隊に周囲の爆撃を命じて火を消させたあとに救出に戦車を突貫させたり、やりたい放題、お転婆姫ですね、アハハハ でもあのときは10代の小娘が逃げだしたい気持ちを堪えて涙を流しながら頑張ったのよ」 さくらは目尻の涙をぬぐった。 | |||||||||||||||||
「まさに戦場ですな。公爵夫人の勇気を思い知りました。失礼をお許しください」
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バートは扶桑国から来た戦闘機隊の歓迎式典で、整列した飛行機乗りに向かって、さくらが「皆さんと私は戦友である」と語ったのを思い出した。さくらはノブレスオブリージュの実践どころかジャンヌダルクの体現じゃないか。 素晴らしい嫁さんだが、それゆえさくらに見合う男にならないと捨てられかねないと思う。 | |||||||||||||||||
「地震後、吉沢様は海軍の技術部門に行ったり研究所に戻ったりしてました。彼も偉くなると電子機器ばかりでなく、開発全体の責任者になったようです。私は大震災の翌年にアメリカに留学したので、それから吉沢さんにお会いしたのは数えるほどです」
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「公爵夫人のお話を伺うと、伊丹さんと奥さんもすごい学者のようですね」
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「フフフ、周りから 「伊丹夫婦は鬼より強い、企画は奥方、面倒は旦那」と言われていました。プランニングは奥様に任せれば安心で、トラブルが起きたら伊丹さんに任せれば良いという意味。実際にそうでした。V1ロケットのときもそうでしょう。 ご夫妻はふたりとも優秀なのは間違いありません。でも研究者ではありません。彼らは技術者です。技術者は研究者よりレベルが低いとはいいませんがノーベル賞とは方向が違います。 バート、バトルオブブリテンで大活躍したブラケット博士を覚えてるでしょう。彼はゆくゆくノーベル賞を取るわ。でもそれはオペレーションズリサーチでなく、彼の専攻である物理学のはずよ」 | |||||||||||||||||
「カールソンさん、さくらは予言者でしてね。いえ占いではなく、過去と現在から論理的に未来を予測するんだ。 さくらが言うならブラケットは間違いなくノーベル賞を取る。パトリック・ブラケットを覚えておいてくれ」 | |||||||||||||||||
「公爵夫人、ブラケット氏がノーベル賞をとるのはいつになりますか?」
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「イエスは神を試みてはいけないとおっしゃったけど、私は神じゃないから予知能力が試されるのね。よろしい、ズバリ1948年よ」
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「ほう! 12年後ですか、吉沢博士の件とは別に、この予想を委員会に伝えておきましょう。 的中した暁にはケント公爵ご夫妻を授賞式晩さん会へご招待しましょう」 | |||||||||||||||||
「さくらの予想は決定事項だから、ホワイトタイを用意しておかなくちゃ」
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1935年6月● ● ● 伊丹邸 上野とドロシーが伊丹と話し合っている。 話を円滑にするための酒を飲むのか、酒の肴に話をするのか、その辺はよく分からない。ともかく話も盛んだし、酒も進んでいるようだ。 | |||||||||||||||||
「どうして第三者認証が上手くいかないのか、うまくいくためにはどうすればいいのか、それが知りたいです」
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「そんな難しいことが分かれば苦労はないよ。私は20年もそれを考えてきた。 少なくても私が経験してきた第三者認証で長続きしたものはなかったね。もちろん二者間の監査では長続きしているのは多い」 | |||||||||||||||||
「その違いは?」
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「そりゃ簡単さ。審査結果に責任を持つか持たないかの違いだよ」
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「じゃあ第三者認証制度でも認証した企業に瑕疵があったとき、責任を負えば成り立つのでしょうか?」
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「もちろん。借金の保証人のように、本人の代わりに責任をとってくれるなら、誰だって信用する。だが、胴元が損をしてはビジネスじゃない。 保険会社がなぜ儲かっているかわかるでしょう」 | |||||||||||||||||
「払う保険金より掛け金が多いからでしょう」
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「正解だ。認証においてそんなことをすれば依頼する人がいない。なぜなら多額の審査費用を払うなら、なにもせずにそのお金を損害賠償に備えておいた方が、手間暇が省けるじゃないか」
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「それじゃ第三者認証という仕組みの否定です。売り手も買い手も、他の方法よりも安く品質の確保を行えるから存在意義があるわけで……」
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「とはいえ審査を受ける方はご利益がはっきりしない形のないものに審査費用を払い、あとで不具合が起きてもなんの責任も負わない。見返りがないんだよね。 考えてみてよ、どんな商売でもお金と反対方向に何かが動く。製品とか役務とか責任とか。第三者認証では何が動くのか?」 | |||||||||||||||||
「このビジネスモデルは存在できないのでしょうか? であればもう考えることもない」
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「思うんだけど、第三者認証というものが形だけでなく、実質があれば違うんじゃないかな」
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「実質とは何ですか?」
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「今までの審査だって皆、真面目に審査していたと思いますが」
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「大震災よりも前、砲兵工廠で品質保証を要求をすると品質が上がった。 そのとき砲兵工廠の品質保証要求はなぜ品質が上がるのかという議論をしたことがあった。メンバーは、当時の藤田少佐とか黒田准尉だったと思う(第86話)。 そのときの結論は……」 | |||||||||||||||||
「結論は出ていたのですか?」
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「そのとき考えたことで、正解かどうかは分からない。 ともかく第三者認証での品質保証要求事項はつぎのようになる」
「これでは実効性が出ない、それは要求事項が不足というか欠落しているのだ。 砲兵工廠の品質保証要求事項は次のようだった」
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「ええと、違いは何かというと、品質保証要求事項が一般論か製品対応かが違うわけですか?」
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「考えてごらん、例えば計測器の校正間隔をどうするかということがある。大震災後の第三者認証の品質保証規格は「製造者が定めた間隔」だったと思う。だって誰が買うか分からない製品を作るとき、計測器の校正間隔を客に聞くわけにはいかない。だからメーカーは自分が考えたインターバルにしたわけだ」
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「砲兵工廠はどうだったのですか?」
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「製造を依頼する品目によって決めたんだ。例えば背嚢(リュック)を製造するメーカーはノギスとかマイクロメーターは使わない。使うのは竹の物差しだ。裁縫用の物差しをどうするのか、まさか半年ということはないよね。壊れたときで良いとか……」
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「品質保証要求事項が発注先ごとに異なる……オーダーメイドになりますね」
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「だって工廠は買い手だ。メーカーが考えた管理方式や基準に納得できるわけがない。自分が欲しいものを作ってくれないと困る。ともかく実際に役に立つ規格はそれしかない。実を言って一般的な品質保証規格を作ろうとすると、曖昧というかお任せという部分が生じてしまうのはやむを得ない。 だから次のように個々の契約に当たっては、売り手書い手が協議して決めなければならない」
「私が関わった第三者認証用の品質保証規格には「品質システム要求事項は、技術的な(すなわち製品に関する)規定要求事項にとって代わるものではなくこれを補うものであることを強調しておく 言い逃れと受け取られるかもしれないが、正直な人ならそう書かずにいられないということだ」 | |||||||||||||||||
「すると宇宙産業の品質保証規格は、部品に求められる品質要素によって要求事項を決めなければならなくなる」 注:「品質要素」とは品質を構成している性質、性能を分解し、個々のそれぞれについて論じるような技術を品質展開といい、展開された個々の性質、性能をいう。 | |||||||||||||||||
「当たり前じゃないか。君に合わせて仕立てた背広は私に合うはずがない。すべてはユニークなのだ」 注:日本ではユニークとは、面白いとか変わり者というニュアンスがあるが、本来は唯一無二という意味。ナンバーワンよりオンリーワンなんて歌もあったが、そんなこと言う以前に、すべての人(だけでなく生き物)は個体差があるからユニークだ。だけど皆がユニークなのだからオンリーワンには価値がない。 | |||||||||||||||||
「そういう品質保証規格を作れば採用されますかね?」
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「品質保証要求事項はユニークで当然だろうけど、規格というのはstandardだから、最大公約数的なものでなければならない。ユニークでかつ普遍的なものがありえるのか、それはどうでしょうか? | |||||||||||||||||
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1935年6月● ● ● 千代田区内幸町にある帝国ホテルの一室である。 伊丹夫妻と30前後の夫婦が食事をしている。 実は今日はお見合いだ。中野が推薦してくれた夫婦養子候補と、お食事をしてお話しましょうというイベントである。 夫の方は皇国大学を出た後、官僚になったがお役所仕事は向かないと3年で退官し、アメリカの大学に留学する。留学前に幼馴染の許嫁と結婚し夫婦で渡航する。工学部でドクターをとって帰国し、大手重工業に入社、現在川崎の造船所の技術部長を拝命している。この世界では留学して博士なると、若くても部長なのかと伊丹は驚く。
伊丹はその釣書(?)を眺めて、俺とは大違いのエリートだなと独り言ちた。 幸子は奥さんがアメリカ滞在中、向こうの大学に通っていたのをみて、私より恵まれていると妬む。 挨拶して食事して、コーヒーを飲みながらお互いに質疑応答になる。 | |||||||||||||||||
「あのう、望月さんはどうして私の養子になろうとしたのですか? よく小糠三合あったら婿に行くなというじゃありませんか。多くは自分の家というか血筋を捨てないと思っていました」
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「伊丹さんは、はじめから重大な点をついてきますね。いきさつは単純です。皇国大学に合格した私は郷里では期待の星でした。田舎では皇国大学合格なんてめったにいません。それでゆくゆくは田舎に戻り県庁勤務になり、末は県知事というのが本家の意向でした。小さいときから千代と許嫁でしたが、本家から婚約を解消して名家から嫁をもらえとひどいことを言われました。 偶々先輩がアメリカに留学してお前もやる気があるなら手を貸すという話を受けて、官庁を辞めこっそり千代と結婚して二人でアメリカに渡りました」 | |||||||||||||||||
「まあ、単純どころか小説のようなお話ね」
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「ほんとうですね、自分のことでなければ信じられません」
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「大学院を出たとき向こうで就職する考えもなくはなかったのですが、ご存じでしょうけどアメリカは長く続く不況で職を探すのも難しく、治安も良くありません。とりあえず帰国してどうしようかと考えていたら、故郷の大先輩である高橋閣下が話を聞いて、造船会社を紹介していただきました。それからは実家や本家に知らせず暮らしていました。 最近になって私たちの居所が本家に知れて、田舎に戻ってこい、千代を離縁して大地主の娘と結婚しろというお達しがきました。家族内の紛争は警察が関与しませんから自衛するしかありません。 高橋閣下が本家を絞めてやるとおっしゃいましたが、もう関わり合いになりたくないと申しましたところ、伊丹さんが夫婦養子をとりたいというお話を閣下が紹介してくれて……といういきさつです」 | |||||||||||||||||
「なるほど、若いのにご苦労されましたな。 私どもの方の事情を申し上げますと、私たちはもう歳だし静かに消え去ろうと考えておりました。ところが中野様から、養子をとって家を守れと強力に勧められたというわけでして、動機が不純でお宅様に申し訳ないです」 | |||||||||||||||||
「正直、お相手が伊丹さんと伺ってうれしかったのです。伊丹さんのお名前は扶桑国内はもちろん、アメリカの大学でも何度か聞いたことがあります。テーラーシステムを更に進めたとか、フジタチャートの元を考えたと知られています」
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「そんなことを言われると、お尻のあたりがむずむずします。もう仕事は半分引退したような状態で、中野様のご相談を受けるとか知り合いを通してコンサルを依頼されたものだけです。家内は今も現役で政策研究所の教授をしております」
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「我が家は、男は外で働く女性が家の中を仕切るという役割分担はないの。家の中のことは女中さんがしてくれる。それに家庭電気製品はおおいに取り入れているので、炊事、洗濯、お掃除など大体のことは機械がしてくれる。ですから養子になっても外で働きたいならそれもいいし、家庭で子供を看たいというならそれでもいい。もちろん子供はまっすぐに育てて欲しいけど」
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「我が家には3歳の娘と誕生前の息子がおります。幼稚園に入れば幸子さんのお供から初めてお手伝いをしたいと考えています」
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「ご専攻はなにかしら? ああ、図書館司書の資格を取って向こうでは大学の図書館で働いていたのね」
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「それがお宅様で役に立つのかどうかは知りません」
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「正雄さんはお仕事をどうするつもりですか?」
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「先ほど申しましたように、民間企業にいては拉致される恐れもありまして、伊丹さんのところで働けば、そのような狼藉は避けられると期待しております。ですからお話がまとまれば退職します。紹介していただいた高橋閣下にはそのように申しております。 それで伊丹さんと同居させてほしいのです。まさか憲兵が護衛している邸宅に侵入するほどの悪事は働かないと期待します」 | |||||||||||||||||
「なるほど、大変ですね。いえ、仕事のことじゃなくてお宅の本家が……」
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別れてから伊丹と幸子は望月夫婦のことをどうしようかと考える。 伊丹は単に自分と同じ伊丹ジュニアを作ってもしょうがないと思う。望月氏は若いし能力があるのだから新しいことにチャレンジしてほしい。その方が自分自身のためだろうし世のためでもあろう。 幸子は千代をかわいいと思った。自分には娘がいなかったし、息子の嫁とは通算10回も会ったことがない。さくらを育てようかと思ったが、幸子の手など借りずともお姫様になってしまった。これからの人生、娘も孫もできれば楽しいだろう。 |
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注1 |
これはISO9001:1994年版の序文にあるフレーズである。ISO9001は何度も改定されたが、このエクスキューズは必ず記載されていた。
ところでISO審査員は、審査しているISO規格だけでは不十分であると認識して、審査していたのだろうか? そこに興味がある。 | |
注2 |
「standard」の語源は多々説あるが、戦場において終結場所に杭や槍を地面に突き立て、そこに旗を固定し目立つようにしたことから、stand+hardで、それがstandardになったという説が有力です。 15世紀頃までstandardは単に直立した棒を意味したが、16世紀から「規則、原則、判断基準」という意味に使われるようになり、19世紀になって「合意された標準」という意味になったと言われる。 cf.ONLINE ETYMOLOGY DICTIONARY |