*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
1936年4月 ![]() 伊丹夫婦の敷地内に離れを建てて移り住んだが、正雄は川崎の造船所まで通勤している。この時代には電車の路線網はほとんど完成していたが、通勤時間は電車の速度が遅くダイヤが間延びしていることで、21世紀より5割ほど長くかかる。それでも片道1時間はかからない。 正雄の勤める造船所は5万トンのタンカーを建造中であった。この建造中のタンカーが進水するまで勤めることにしている。 この世界ではスエズ危機は起きていないが、長期的にはコスト削減のために大型化になると見越して5万トンタンカーを建造していた。 ![]() 正雄はプロジェクトを完了させるという義務と自分自身の好奇心もあり、完成まで造船所に勤めることにした。千代は既に毎日幸子のお供をして政策研究所に通っており、妻に後れをとると少し焦っている。 同居した最初の数日は伊丹夫婦と正雄夫婦が夕食をとっていたが、幸子から家族でご飯を食べなさいと言われてからは、正雄夫婦は子供たちと家族だけで夕食を取る。毎晩正雄が帰宅後、夕食を取りながら千代から今日したことを聞かせてもらう。なお、義理の息子夫婦も家事はすべて女中さんであり、千代は何もしない。 今までは、日本の世界から来た本がある入退出が厳重に管理されている図書館の話とか、パソコンの使い方を教えてもらったとかいう話だったのであまり焦りは感じなかった。 今日は千代が読んだ論文の話だった。それは石原という元幸子の部下だった人と、以前話題になったさくらが共同で書いた数年前の論文で、日本の世界での種々の出来事、戦争、好況・不況、発明・発見などから、これからこの国がどうなっていくのかを計算して予測するものを読んでいるという。それは理論だけでなく、実際にコンピューターで計算して見通しを立てているのだという。 正雄はすぐにそれを見てみたいと思う。進水まであと2か月、速く時が過ぎて欲しいと思う。 ●
今宵は久しぶりに伊丹夫婦と正雄夫婦が酒を飲んでいる。伊丹夫婦は特段なにも言わず、正雄夫婦から話を出され応えるという感じだ。● ● ![]() | |||
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「千代から聞いたのですが、国家や世界の将来を理論的に予測することができるのですか?」
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「シミュレーションのことね。当たるも八卦当たらぬも八卦というわけじゃないのよ。例えば皇国大学の入学試験を受けるのに受験勉強した人としない人では合格する確率が違うでしょう。更に受験勉強をするとき過去問を知っているのと知らないのではまた違う」
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「お義母さんは皇国大学を受験したのですか? 女性ですからありませんよね」
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「あら、受験したことがあるわよ。あのときはさくらが受験したので、私と石原さんがお供で付いていき、ついでに、冷やかしに試験を受けたの、もう10年も前かしら」
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「まあ、結果はどうだったのでしょう?」
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「自慢ではないけど……」
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「自慢ではないというときは自慢することに決まっているんだ」
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「あなた、バカなこと言ってるんじゃない。あのとき3人の中で私がトップ、次が石原さんで最下位がさくらだった。さくらは自分の入学試験なのにとプンプンしていた、アハハハ といってもさくらだって点数は悪くなく、皇国大学で学ぶまでもないと入学を止めてしまったわ」 | ||
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「へえ……驚いた。さくらさんばかりでなくお義母さんも天才ですね。アメリカ留学時代、アメリカの大学教授になった扶桑国人は何人もいるけど、天才は石原さんだけと言われていました」
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「入学試験で点数が良いのは天才でなく秀才よ。天才とは勉強ができなくてもとんでもないことを考える人。 話は何でしたっけ……そうそう例え話でしたね。試験勉強なら過去問が手に入れば半分合格したようなもの。要するに未来は突然現れるとか現在と断絶しているわけはない。現在の結果として未来があるわけ。 外挿・内挿 | ||
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「するとシミュレーションとは過去、現在を基にそれを延長して未来を考えるのですか?」
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「シミュレーションといってもいろいろなものがあるけれど、そういうものもある」
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「それは未来の予測として信頼できるのですか?」
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「そんな大げさなものではないわ。シミュレーションといっても10年後の社会とか暮らしとかすべてを予想するわけじゃない。経済ならさまざまなデータ、人口、農産物の取れ高、工業生産、そういったものの関係式を立ててどう変化するのか見るの」
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「ああ、そういうことですか。私は生活とか文化まで予想するのかと思いました」
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「もちろん目的によっていろいろ考えられる。和服が洋服に移っていくのをシミュレートすることもできるでしょう。国際政治、国家同士の綱引きですけど、そのシミュレーションは石原さんとさくらが考えた」
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「ほう、でも実際にシミュレーションをするにはコンピューターが必要でしょう。それじゃシミュレーションできるのは我国だけではないですか?」
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「機械的な微分解析機で同じことはできます。というかそれを使うのが大部分ね。もちろん我が国はコンピューターを使うけど | ||
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「シミュレーションなり未来予測ができれば、お義父さんのお仕事はなくなるのですか?」
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「ならないと思う。2つの都市を鉄道で繋ぐか道路を整備するか、まあそういう問題があるとき、効果とか影響はシミュレートできるだろう。でもそこに住む人の思いとか景観とかを考えて、どれを選ぶかというのは人間だ。数字に換算して比較するというのは双方が全く同じ次元でなければ比較できない 中野さんに呼ばれていろいろ話をするのは算数で計算でるようなことではなく、人間の視点で見るとか定量化しにくい要素をどう考えるかということかな」 | ||
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「10年前、関東大震災があったわね。あのとき延焼面積を少なくするか、人的被害を少なくするかという課題もあったのよ」
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「まあ……そんな問題が解けるのですか? でも今お義父さんがおっしゃったように、次元の違う人の命と火事で燃える家を比べることはできないでしょう」
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「もちろん単純な比較ができるとは思わない。ただ人命は地球より重いなんてことはないと思う なにごとも収穫逓減という法則がある、ええと……少し生産を上げるには少しお金をかければ良い。でもさらに生産を上げるにはたくさんのお金がかかる。最後にはいくらお金をかけても生産は上がらない」 | ||
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「ああ、イメージはわかります」
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「地震が予想されたとき、まずは人命第一でさまざまな手を打つけど、もうこれ以上は手がないという壁はあるわけ。そのとき人命対策は止めて、それからは火災対策に手を打つと考えても罰は当たらないと思う」
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「おっしゃることわかります」
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「でもリソースを人命対策が飽和するまで投入するのでなく、その少し前で対策するのをやめて消火に手を打っても良いでしょう。消火でも収穫逓減は働くわけだし」
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「なるほど、そうすると数学的帰納法みたいなもので、最終的には命と延焼面積の判断になるのね」
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「条件を変えるとどのように変化するのかはシミュレーションででるかもしれないけど、その選択は人間よね。持てるリソースは限界があるから、それを有効活用するにはどうするかが常の課題ね」
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「まあそれほど深刻なことは多くないが、問題の多くはそういうものだ」
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● ● ![]() ![]() 今日も4人で晩酌である。正雄たちは子供の相手も大事だろうからと、週に1回くらい4人で飲むことにしたのだ。幸子は酒のみなので義娘も酒のみにしようと企んでいる。 酒を飲み肴をつつきながら伊丹夫婦は何も言わず、子供夫婦が何か質問とか提案を言ってくるのを受けてあまりアドバイス調にならないようにしている。 ![]() | |||
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「今日はパソコンを使って、半日くらいこの国の過去半世紀の貿易統計を見ていました。面白いですね」
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「どんなことが面白いですか?」
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「私の見つけたことなんて取るに足らないことでしょうけど……」
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「こらこら、そういう卑屈な考えはやめなさい。新しい発見をしたと堂々と言いなさい」
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「はい、お義母さん。いろいろな数字を眺めていたのですが、輸出・輸入の品目が変わっただけでなく、貿易収支も赤字から黒字に変わったし、製品とサービスの比率も変り、資本収支もそうです。 具体的に言えば、1910年前は輸出するのも繊維製品とか一次産品しかなく、貿易やサービス収支は常に赤字です。そして海外から資本が流入してきました。ですから所得収支も赤字で債務国です。 第一次大戦になって、戦争のおかげもあり繊維製品や簡単な機械製品が輸出できるようになりました。その結果、貿易収支が改善してきます。 ![]() 第二次大戦になると、一部ではありますが外国より進んだ技術が現れ、ライセンス料が入るとか我が国しか作れない特殊な部品などのおかげでついに総合的に黒字になりました。 興味がでてきてアメリカの国際収支の変化を見たのですが、債務国、債務返済、返済完了、債権国と移り変わっています。しかし大恐慌をまだ脱却しておらずここ10年間は不調です。 イギリスは元々が先進国であったためか債務国のフェーズは見えないのですが、債権国から更に進んで、それを取り崩し始めているようです」 | ||
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「うーん、俺が聞いてもなんのことかさっぱりだ……」
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「すごいわ、大発見ね。国家が経済発展すると国際収支が一定のパターンで変化するという説があるの。国際収支の発展段階説と言ったと思う | ||
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「ええ、じゃあ、それは分かりきったことなのですね」
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「またまた、そんなこと言っちゃいけないの。既に誰かが見つけていても、あなたが独自に発見したのはすばらしいことよ」
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「千代さん、じゃあ、それを踏まえて、我が国がこれからどういう産業構造にしていくべきか、そのときの国際収支の中身を考えてみてよ」
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「それに関わる要因を確定できればシミュレーションできますね」
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「シミュレーションはできるけど、その前提として政府がどんな政策をとる、外国の技術革新がどう影響するかという条件設定でいろいろ変わる。先ほどの千代さんの話では、イギリスはもう発展せずに過去の遺産で食いつないでいくように聞こえた。だがイギリス政府も国民も先人を振り返り産業復興に努めようとしたらまた変わるよね アメリカが大恐慌への経済施策が現実と違っていて大恐慌を抜け出していたら、我が国の輸出は伸びず、債務国から脱していないかもしれない」 | ||
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「ああ、だいぶ前におっしゃったのはそういうことでしたね。つまり政策によって進路は変わる。シミュレーションは道具であり決定は人間ですものね」
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「ともかく政策研究所というところは、国際収支だけでなく、社会インフラでも個人消費でもこうあるべきだといえる。そして実際に国家予算に意見を言えるのだからもうやりたい放題だな、アハハハ」
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「あなたは前からそう言ってたわね。研究所で講釈しているより手を動かす方が向いているって」
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「私も早くお義父さんのお仕事の勉強をしたいです。千代がどんどん進んでいくので気持ちが焦ります」
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「仕事を始めれば死ぬまで勉強なんだから、急ぐこともありません。それに正雄さんは洋司の後を継がなくちゃならない。 千代さんは、私のように研究所で学問だけを追及しても良いと考えているの。 正雄さんは洋司の後継者として、中野さんが出すさまざまな問題に応えられるようになってほしい。そのためには個々の技術とかでなく、国家のロードマップのようなものを自分が考えて、それを実現するためにどうするかを考えるべきと思うの」 | ||
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「私もそう考えている。現状から明日はこうなるという発想でなく、あるべき目標に向かって政策を考えるべきだ 我々は議員でもなく、官僚でもなく、権限はまったくないが、やれることは大きいよ」 | ||
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1936年6月● ● ![]() 正雄が指揮していた5万トンタンカーが進水した。進水式には中野と伊丹が正雄とは関係なく、エポックメーキングなる船の進水ということで来賓として参加した。 正雄はこれで退職して養父の仕事を学べるとホッとした。 ●
1936年8月● ● ![]() 先月退職した正雄であるが、まだ伊丹のお手伝いと言えることはしていない。そもそも伊丹だって毎日中野の下に出勤するわけではない。月に数回、不定期にお呼びがかかり、一日くらい調べ物をしてから出かけていくのが常だ。 正雄は伊丹から当面の仕事として、伊丹の来た世界の歴史とこの世界の歴史を復習するよう言われた。更に伊丹が言ったのは学校の教科書にあるような王朝や政権交代の歴史ではなく、技術とか文化の交流によっての変化とか、欧州の文明なるものは非常に短時間であって、イスラム社会とか中世以前の流れをよく理解しておくようにということだった。 正雄は伊丹の図書室を使って良いと言われて手当たり次第に読む。 ![]() 戦争の戦い方も世界的に広まる。核兵器があれば戦争が抑止される代わりに、小規模あるいは非対称戦に変化して来て、戦争未満の紛争は増加している。 頭が良いという言葉はいろいろ意味がある。記憶力が良いことも言うし、機転が利くことをいうこともあり、学校の点数が良いことも言う。正雄はいずれの意味でも頭が良かった。一度読んだ本はタイトルと気づいたことをメモしておけば十分だ。
伊丹はほとんど家にいて、たまに図書室に来る。そんなとき少し話をする。 | |||
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「お義父さん、本を読むのは面白いですね」
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「どんなことが面白いですか?」
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「まず、今までこのようなカテゴリーは読んだことがありませんでしたので、新しい窓を開けたようです」
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「いろいろなことを知ることは面白い。雑学はバラバラな情報だけど、その関連性を見つけ体系化するとものすごい力になる。正雄さんは書物から多くの追体験できる。もちろん追体験と実体験は違うからそこは忘れないように」
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「私はお義父さんから判断基準とか検討過程のプロセスとか、この問題はこう考えるとか、考え方を教えていただけるのかと思っていました」
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「うーん、そういう方法もあるだろう。だけど私は私と同じ人間を再生産してもしょうがないと思う。自動車なら壊れたら全く同じものを買うというのもありかもしれない。しかし人は違うんじゃないかな。ものすごく有能な人がいてその人が引退したとき、全く同じタイプの人を雇っても前と変わらない。そうじゃなくてできることできないことが前の人と違う人を雇用したほうが面白いんじゃないか。新しい人は新しい客を見つけるかもしれない、新しいビジネスを考えるかもしれないとかね」
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「そのお考えは面白いと思います。でも私が中野さんに問われたとき、すべて私が一から考えるということになりませんか?」
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「正雄さんは何者ですか? 皇国大学を出てアメリカでドクターになった。造船会社で実務を何年も務めてきた。そういう学問、見識、経験を基に、自分の仕事で難関にぶつかったときどうするのかと思えば、その難問が自分の仕事で発生したにしろ、中野さんからご下問であろうと変わりありません」
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「おっしゃる通りです」
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「まあ、半年も勉強すれば良いでしょう。それに私もすることがありません。我が家には孫守したいという人たちが多く、子守りを頼もうといったら女中たちに拒否されてしまったくらいだ。 だから私が元気なうちは一緒に行ってみよう。 それと中野さんはまだ60くらいだが、この世界の人は私のように異世界から来た人より老化が早い。だから今後数年で代替わりするだろう。中野さんの息子さんの代になれば、私が出るのはおかしいから、正雄さんが対応するようになるだろう」 | ||
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「おっしゃることはわかります。だけど高橋閣下とか吉沢さんとか高齢なのに現役で頑張っていますね」
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「高齢になっても頑張るというのは後継者がいないということだ。それはご本人が後継者を育成できなかった能力不足を意味するのだよ。 私の場合、異世界から来たこともあるし好き勝手に生きてきてもう十分という気がしていた。たまたま正雄さんを養子にしたが、正雄さんには今更教えることなどなさそうだ」 | ||
正雄は養父が茫洋として目標も示さず厳しいことも言わず、いったいぜんたいどうしたものかと悩む。 |
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注1 |
船の大きさは、タンカーを含めた貨物船は詰める荷物の重さを載貨重量トンとして表し、軍艦の場合は船の重量を排水トン、客船は船の容積に決められた係数をかけて容積トンという。
![]() なお俗に、貨物船は重量トン、軍艦は排水トンで表すというが、重量トンとは容積トンに対する語であり、軍艦の場合、本体の重さで、貨物船の場合は積める荷物の重さで表すことで、双方とも重量トンであることに変わりはない。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注3 |
いまどき内挿・外挿の時代じゃないといわれるだろう。外挿はめったに使わないが、内挿は1970年頃まで技術計算では必須だった。例えば三角関数を計算するとき、計算尺の3桁では当然不足だ。数表は桁数はあっても飛び飛びしかない。もちろん当時は関数電卓などない。 そこで内挿の出番です。例えばサイン15°28´を知りたいとき、対数表が10分飛びだったりする。そのときは15°20´と15°30´から計算して近似値を求めた。 設計するにも現場でものを作るにも、これ以外の方法がなかった。 HPは目玉がとびぬけるような値段の関数電卓を1970年頃から出していたが、我々が買えるようになったのは私が結婚した1975年頃で、家内に頭を下げて7000円もした関数電卓を買った。当時は手取り7万くらいだった。 ![]()
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注4 |
微分解析機は1950年代まで使われた。リレー式計算機は1940年、真空管計算機は1942年に出現した。1948年のThe Babyが最初の電子計算機となる。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注5 |
環境側面の決定に次元が異なることに適当に配点して比較させたのは某認証機関がアホであり、それを止めなかった某認定機関の責任である。そしてそれがISO14001の価値を減じた根源である。今ではその関係者の多くは鬼籍かもしれないが、責任は消えないぞ。私は一生それを責める。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
私はこれは古くからある言い回しかと思っていた。実は1977年の日航機ハイジャック事件で当時の福田首相が語った言葉が初出らしい。 この言葉でググると、福田元首相を批判・否定するコンテンツのパレードだ。 ![]() | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注7 |
国際収支の発展段階説というのはベイリー・スウィンフェンが1957年に唱えたのが初出のはず。この時代には存在しないわけだが、まあいいとしよう、 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注8 | ![]() ![]() フォークランド紛争でアルゼンチンとの開戦に反対する閣僚たちに向かって「この内閣に男は1人しかいないのか?」と叫んだというのは事実ではないらしいが、彼女の勇気と意志の強さは間違いない。 しかし香港を中国に渡したのは香港住民から見てひどい裏切りであろうし、世界から永遠に失策とみられるだろう。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注9 |
サスティナビリティと題する講演とか講義で、フォア・キャスティング(積上思考)とバック・キャスティング(逆算思考)なんて言葉と、バックキャストがすばらしいなんて講釈をよく聞かされた。 でもさ、バックキャストが新しい発想とか素晴らしいなんて思えない。はるか昔から、当たり前のことじゃないのか? 1970年頃、VAなんて流行したとき、機能から考えるんだ、あるべき姿を目指せなんて言われたものだ。 ![]() |