パーソナルスタンダード

19.04.04
現役引退して早6年が経とうというのに、いまだにISO審査の問題を嘆きそれを良くするにはどうしたら良いのかなんてことを日々考えている。それをシャレとか不真面目と自覚してやるならまだしも、私は真面目に考えるので困る。真面目にバカをするのは真のバカだ。つまり私はバカだ。

審査あるいは監査には項番順もありプロセスアプローチもあると言われているのはご存じの通り。そして項番順はプリミティブでプロセスアプローチがプロの仕事であると言われる。
審査は項番順ではいけない、プロセスアプローチでやれとJABが通知を出したのは2007年、はるか昔のことであった。
ともかく項番順審査はレベルが低く、プロセスアプローチでなければ審査員としてお足を頂けないということである。
ではレベルの低い項番順審査を、プロセスアプローチにすればISO認証の問題はなくなり認証ビジネスや隆興したのか? なんて考えていて、はっと気が付いた。
本日はそれを書く。

現役時代、私が応対した審査や見学した審査は何回くらいあっただろう。私はコンサルじゃなくて某企業グループ本社の環境担当者(ISO担当者じゃないよ)だったので、 ISO審査 審査に立ち会っても審査員にどうこう言われたことはない。
認証を依頼した組織の上位者(親会社or本社)が業者(認証機関)風情に文句を言われてはたまらない(笑)。
しかし立会は困るとかいう認証機関はレベルが低く、レベルの高い認証機関は本社の立会などご自由にと言っていたように思う。もちろん事前に、本社/親会社が立会いますとお断り(嫌味?)を言ってはいた。拒否されたためしはない。もし拒否するとして理由は何とするのだろう? 弊認証機関はレベルが低いからご遠慮願いますと断るのか?(笑
それで傘下の工場や関連会社で審査があると見物に行ったり、心配だから立ち会ってよとか言われたりして結構な数見ている。

そんなわけで審査を見物したのは毎年10回ではきかないと思う。そんなふうに自分が対応したり見物した審査を振り返ると、審査員は項番順審査をしていたように思っていた。プロセスアプローチをしないんじゃしょうがないと思っていたのだ。
しかし、よっく考えるとそうではなかったのだよ!
彼らはそもそも項番順審査さえできなかったということに気が付いたのだ。

確認しておく。項番順審査とは文字通り規格の項番ごとに項番にshallがあるものが、なされているか、存在しているかを確認することである。
私は環境側面が大好きなので、いや重要なので、それを例にして解説する。

項番順であるから、規格に書いてある「shall」、日本語訳は二転三転したが1996年版では「すること」2004年版と2015年版では「ねばならない」とあることについて、質問や書類の確認あるいは現場を確認していくことになる。

つまり次のようになる。

規格文言質問の例
環境側面を決定するとき、組織は、次の事項を考慮に入れなければならない。
a)変更、これには、計画した又は新規の開発、並びに新規の又は変更された活動、製品及びサービス組織の活動・製品・サービスに新規開発や変更があったときは環境側面を見直してますか?
具体例を見せてください。
注:正しくはすべてをヒアリングするか審査側が抜き取る権利を留保のこと(以下同文)
b)非通常の状況及び合理的に予見できる緊急事態通常ではないことが起きたとき、あるいは起きそうだと予想できる緊急事態のときを考慮していますか?
組織は、設定した基準を用いて、著しい環境影響を与える又は与える可能性のある側面(すなわち著しい環境側面)を決定しなければならない。御社は著しい環境側面とする基準を決めてますか?
その基準で著しい環境側面を決めてますか?
組織は、必要に応じて、組織の種々の階層及び機能において、著しい環境側面を伝達しなければならない。御社は(注1)適切な組織の階層や部門に著しい環境側面について情報を共有しているか?(注2)
組織は、次に関する文書化した情報を維持しなければならない。 −環境側面及びそれに伴う環境影響 −著しい環境側面を決定するために用いた基準 −著しい環境側面 御社は文書化していますか? 最新化していますか?
環境側面とその影響
著しい環境側面の決定基準
決定した著しい環境側面を記述したもの





注1:ISO規格のJIS訳では「as appropriate」を「必要に応じて」と訳しているが、原文は「必要」じゃなくて「適切に」だろう。
必要に応じてなら「If necessary」じゃないのか。
注2:communicateの意味は情報を交換することで元々双方向であり、双方向コミュニケーションというのはおかしい。私と同じことを言っている人はいる。
英語でTwo-way CommunicationというのはOne-way communicationの対義語として使っている。Communication単独で一方向の情報伝達という使い方はなさそうだ。

まあ、いろいろあるわけだが、項番順審査とは簡単極まる……だって、そうだよね。
書いてある通りに読んで最後の「ねばならない」を「してますか」と読むだけでできるお仕事が難しいとは思わない。WORDなら一発変換でチェックリストができる。

とおもっていたこともありました。
前述のように、以前はそう思っていたのであって、今は思っていないのです。
では実際の審査は項番順で行われていたのかと過去私が体験した審査を振り返ると、その95%は項番順審査でなかったことに気が付いたのです。

実際に私が1997年に体験した審査での環境側面についての質問は次のようなものでした。

質問心のツッコミ
著しい環境側面を決める方法は客観的ではありません1996年版に客観的なんて語句はないなあ〜
環境側面に点数をつけるべきです1996年版に…(以下略)
著しい環境側面は上位から何件とか何点以上とかすべきですするとなんだ、著しい環境側面を10個にすると決めたら、毒物が11個あるときは1個は管理しなくていいわけだ(アホくさ)
電気、重油、廃棄物は入っていなければダメです1996年版に…






審査員たちもいつまでも同じ質問では芸がないと、年々パワーアップしてきた。
2000年頃になると5割増しの跳満……

質問心のツッコミ
通勤を環境側面に入れないとダメです。
これはUKASが言っていますから、我々にはどうしようもない必須事項です(キリッ
UKASがほんとに言っているのだろうか?
ピコーン、そうだ、UKASに問い合わせよう!
実際に問合せして返事をもらいました。
UKAS「なこと言ってねえよ💢」
紙ごみ電気はダメです紙ごみ電気は環境側面です
著しいかどうかは組織次第でしょう






2002年頃になるとバカバカしさが5割増しどころか倍満になってきた。

質問心のツッコミ
有害な環境側面だけでは足りません。有益な環境側面も考えないと不適合です。規格にそんなこと書いてない。
いやいや、環境側面の定義からいってあらゆる環境影響を包含しているはずだし、有益有害は環境影響についての形容詞じゃないか。
本業の環境側面を考えないと不適合です。当然だよ。だから本業での環境負荷低減の開発とか流通とかを改善しているんだろう!
それを審査員が気が付かず見えないだけじゃないのか(ヤレヤレ





規格文言を眼光紙背に徹して眺めても、規格で「求めていないもの」が「ないこと」を問題にしてくる。そういったものがないと口を酸っぱくして不適合です、すぐに是正しないと認証は更新できませんと偉そうに(事実)恩着せがましく(本当)に上から目線で語るのであった。
ちょっと待てよ、ISO14001には「客観的」なる言葉は一度たりともなかった。1996年版にも2004年版にも、2015年版にも。じゃあ、複数の審査員が「点数でやらないと客観性がない」と語っていたのはなんだったのだ?

そう言っていた審査員は項番順審査ではなかったのだ。だって項番にないことを言うのだから項番順でないことは語義的に間違いない。
ではプロセスアプローチかと言えば、そうだとも思えない(笑

私がチャンチャンバラバラしてきた、星の数ほどというと大げさだが100人を超える審査員、中には認証機関のエライサンもいたが、彼らはISO規格を読んでいなかったのだろうか? 事象だけ見ればそうとしか言いようがない。
だって、規格に客観的という言葉がないなら、「客観的でないからダメ」というのは審査が不適合だろう。
何を根拠にと言われても私は困らない。ISO17021やIAFやJABの基準類を上げられる。
「有益な側面がない」のがダメだというのは、ISO17021に不適合ですよね 💜
ISO14001規格に不適合じゃないよ
規格とおりに馬鹿正直に、ありますか、してますか、と審査することさえできなかった審査員は審査員ではなかったのだ。
「審査員は「審査を行う人(ISO17021 3.6)」だから規格解釈を間違えても審査員だ!」なんて力んではいけません。認証機関は審査員の力量を実証したものでなければ審査させてはいけないのだ(ISO17021 7.1.1)。

なぜ審査できない人に審査員をさせていたのか? なんて問うことは無意味である。
おかしいだろう! だって私がチャンチャンバラバラした相手には認証機関の経営者もいた。おかしな審査があって、認証機関に苦情を言ってもまっとうな是正処置もできなかった。
審査員の力量を担保するのは認証機関の責任であるならば、もう基礎が腐っていたなら救いようがないではないか。
そんな認証機関は認定を受けられるはずがないよね。それを認定していたのはどこのだれだ?

話を戻す。
auditとは「監査基準が満たされている程度を判定するため(以下略)(ISO9000:3.13.1)」である。
監査基準とはISO規格ですよね?
だって審査開始時に審査員は「この審査はISO**規格**年版で行います」というのが義務になっているぞ。
そしてISO審査とは審査対象となるISOMS規格との差異がないかを調べることですよね?

品質監査の開祖 L. Marvin Johnsonは「Rightness means nothing ,only difference.」つまり「(監査とは)正しいかではなく、違いである」と語ったそうだ。
おっと、LMJとは誰だなんて人は、ISOとか監査の世界の住人じゃない、そいつは偽物だ。
それはともかく、審査とは目の前の事象が正しいとかあるべき姿とか正義とかを考えるのではない。単に審査員が与えられた審査基準に適合しているか否かを調べて報告することである。

項番順審査さえできない審査員はISO規格に基づく審査ではなく、あなたの頭の中にあるUSO規格で審査しているのですね。
ところで不適合とはISO規格を満たしていないこと、ですから不適合とするためには証拠と根拠の二つが必要である。

誰が言った? とか、根拠を示せ! 何て言われても私は困らない。出典を示そう。
cf. ISO17021:2011 9.1.9.6.3
不適合の所見は、審査基準の特定の要求事項に対して記録し、不適合の明確な記述を含め、不適合の根拠となった客観的証拠を詳細に明示しなければならない。

この要求事項に反する所見報告書あるいはCAR(是正要求書)は過去25年 腐るほど見てきたが、この要求事項を満たす所見報告書は1割くらいしか見たことがない。
ひょっとして、審査員はISO17021を読んでないのか?
おっと、JQAの審査報告書は過去よりこの二つを必ず書いていたと申し添えておく。

「有益な環境側面がないことを不適合」とするには、有益な環境側面がないなら二番目の要件は満たしているけど、一番目の要件を満たしていないから不適合ではない。ISO14001規格のどこにそのshallはありますか?
「環境側面は点数だ」というなら規格のどこに書いてあるのか示してください。

これは非常に大きな問題だ。
私が過去に体験した審査の95%は、グローバルスタンダード(国際規格)に基づく審査ではなく、審査員個人のパーソナルスタンダードに基づく審査が大多数だったということだ。
それは審査のレベルが低いことでなく、ISO規格を理解していないという、まったくもって基本的な見当違い、お門違い、間違いなのである。
WWW(注3)にたくさんあるISO認証機関や審査員研修機関のウェブサイトに、今でも有益な環境側面(注4)とか環境側面を決めるには点数でなんて、項番順審査もできないおバカさんたちのたわ言なのである。
そしてそういうバカたちが、日本のISO認証をダメにしてしまったのだ。

注3:WWWはWorld Wide Webの略である。2ちゃんで笑いを意味するwwwではない。
注4:どこにあるのかと問う方のために私は調査している

ここで賢明なるお方は気付いたはずだ。
審査基準が審査員個人の見解に基づくパーソナルスタンダードなら、 ヤレヤレ 審査員甲と審査員乙のスタンダード(規格or審査基準)が異なることもあるのではないか?
それは当然の発想であり、現実に多発した。
同じ認証機関でも、審査員 甲・乙によって違うのは日常茶飯事とまでは言わないが、しばしば見かけることである。
企業があるルールを定め運用しているところに審査員甲が来社し、その方法はダメである。甲の方法にしなさいということは現実にある。

* もちろんそんなことを言うのは越権行為どころか、ISO17021で禁止されている。
見つかれば苦情とか審査員忌避、認証機関内部では懲戒になるはずだが、この世界で25年生きてきた私も、そんな処分が行われたということは寡聞にして知らない。


それはともかく
審査員が指導(?)したことは、環境側面の決定方法もあったし、法律の解釈もあり(審査員の指導が間違っていることがほとんどだった)、社内文書の文章表現についての是正要求もあった。
「この文章は分かりにくいですね。7.5.3に「読みやすさが保たれることを含む」とありますね。この要求に不適合です(キリッ)」
「読みやすさが保たれる」というのをよく読めば「最初読みやすかったものが保管状況により読みにくくなる」わけで、インクの薄れとか紙の変色などが想像され文章表現をとりあげているのでないことが分かる。本来ならISO規格の翻訳をもっと直接的に「鮮明さが保たれること」とした方がよかったのではないか。まあ、翻訳担当者は1996年版や2004年版の形容詞のない「文書が読みやすく」よりはよくなったと思っているのかもしれない。
それに、そもそもこの要求は「文書類」ではなく「文書管理」にあることから意味を取り違えることはないはずがないのだ。
ともかく「この文章は分かりにくいから不適合です(キリッ)」と私の前で語った審査員は20人はいた。

legible * 審査員の多くは英語が不得意のようで、legibleの意味を「分かりにくいこと」だと理解している。そうだろうか?
私は英語に限らず知らないことは即座に調べる習慣だ。マウスを数回クリックするだけでlegibleの意味を知ることができる。知識は一生の財産だよ。


ともかく、会社は審査員の顔色をうかがって審査員甲の言う通りにすることがほとんどだった。なぜって不適合にされたら認証を得られないのだから、手間暇かけても是正(?)しなければならない。まあ、それはいっときのこと、それくらいは我慢しなければ……
しかしいつの日か審査員甲の代わりに審査員乙が来て、審査員甲の指導した結果を見て語る。「この方法はだめです。不適合です。ここはこうしなさい」
企業は不適合になりたくないから審査員乙の方式に変えざるを得ない。
もちろん、それで負のスパイラルは終わらない。再び審査員甲に代わると、「俺が教えてやったのに、なんでアホなことをしているのだ」と言われ、また甲方式に変えるのだ。
まさに乙である。

* ネット用語で「乙」というのは「乙だねえ〜(味わいがある)」という意味ではなく、「お疲れさま」を意味する。それもまっとうなお仕事をして「お疲れになったでしょう」というねぎらいでなく、理不尽なこと、無茶なことをやらされ「ひどい目にあったねえ〜」という同情の意が強い。


そんなことは都市伝説だとおっしゃる認証機関関係者もいるだろう。残念だが灯台下暗し、管理責任がある人ほど知らないようだ。
私が現役の時、某認証機関の取締役にそんなことを話したら、「うそだろう」とおっしゃる。それでその認証機関が審査した某工場の審査員甲と乙の審査報告書を二つ示して事実だと教えた。そのリアクションは……なかった。実話です。

もっと面白い(面白くない)お話を聞いたことがある。
コンサル丙が指導してISO9001を認証した企業があった。それは2008年頃だった。2度目の規格改定で、設計部門がなくても除外の判断が厳しくなったときであった。その会社を指導したコンサル丙は名物審査員として業界で有名であった。
その後、審査に来た審査員丁はそろそろ猶予期間も過ぎたので開発設計を追加してくださいと企業にお願いするのだが、企業は「当社は丙先生の指導の下にシステムを構築したので問題ない。対応しません」とつれない返事。なんとそのやりとりがそれ以降も続いていると2017年頃聞いた実話です。
ちなみに丙コンサルは審査員丁の師匠筋で、審査員丁はあまり企業に強く言えないのだとか。更に言えば審査員丁は昔あった、うそうそフォーラム(仮名)で有名なお方である。


実は少し前、古い仕事仲間からメールがあった。彼は私より若いが、定年は過ぎた。しかし今もISOと関わっている。小遣い稼ぎというのだろう。いやいや、社会貢献に違いない。
彼に「いや〜参ったよ、いまだに有益な環境側面という審査員がいるんだ」とメールで愚痴られたのだ。
それをどう対応したのか聞きもしなかった。いやしくも、お足をいただいている人間ならば、それに見合った仕事はするだろう。審査員からISO要求事項にない横車を押されても、審査員の言う通りにしましたなんてことは決してなかろう。
多分、いやきっと、間違いなく、審査員を教え諭して反省させたに違いない。
これを書いたのは、そのメールを読んだからだ。


うそ800 本日のまとめ
審査員の力量問題は、項番順審査から脱却しなければなどというレベルではなく、審査基準である規格を理解してない人がいることだ。 困ったもんだ
審査基準を理解していないでまっとうな審査ができるわけがない。
そして今も有益な側面ガーと大声で叫んでいる人たちがいるということに絶望する。ISO14001に限らず、環境側面に限らず、そういう重大問題は今後も解決しないだろう。ISO第三者認証制度が崩壊するまで、



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