うそ800始末13.審査員の力量

20.03.23
うそ800始末とは

前回はISO認証の信頼性といっても、いろいろなことが考えられること、世間が考えている信頼性は本来の認証の信頼性とは違うことを述べた。
本日は審査の信頼性について考えたい。ここで審査の信頼性とは「審査において要求事項の適否を正しく判断したか、点検漏れがないか、過剰な要求はなかったか」と定義する。
世間の評判というものでは夢幻のようなものでとらえどころがないが、審査の信頼性は審査を定めたISO17021-1と比較すればミスジャッジしたか否かは十分検証可能である。何しろ審査報告書というしっかりした証拠があるから、それを検証すれば判定の正否ははっきりするし、判断できる事項が記載してない代物ならそれをもって審査がISO17021に不適合であるといえよう。

私の経験では審査の信頼性は非常に低い。ではなぜそう言えるか具体例を羅列していく。
おっと、これはすべて私が審査員と対応した経験であり、伝聞や創作ではない。フェイクは一切ない。


なんか今回の文を振り返ると審査員の能力不足ばかりになってしまったようだ。
もちろん現実にはコミュニケーション能力の問題もあり、倫理上・礼儀上の問題…といっても暴力とかタカリは21世紀では見なくなったが…言葉使い、上から目線は一向に減らない。
間違えた調査をし見当違いのデータをいくら集めても良い分析はできない。第一線の審査員がこのようなことではその成果物である認証が信頼できるものだろうか(反語である)


うそ800 本日の心変わり(日替わりではありません)
最初は認証の信頼性というテーマで、審査/審査員について書こうとしたのですが、全体について述べる前に審査の問題を書き連ねたところで終わってしまいました。
それに読み直して信頼性その2ではおかしいなと思い審査員の力量と改めました。




コマゴマ様からお便りを頂きました(2020.03.24)
いつもお世話になっております。
本当に冗談としか思えないような審査員が存在しますからね。彼らとそれを野放しに審査機関こそISOの衰退を招く、それこそISOにとって有害な環境影響を及ぼす側面なのかもしれません。
表現がおかしければ申し訳ない。
しかし、本当にビックリする審査員がいるという事実をもう少し認証機関は重く受け止めて欲しいですね。
コマゴマ様、毎度ありがとうございます。
コマゴマ様も大変でね、ご苦労様です。
私は引退するまで20年は会社側の立場で審査の現場に立ち会っていました。その間、審査員もいろいろと変遷がありました。
1990年代初めは暴力的というか手も口も乱暴な審査員が多かったです。お土産や接待の要求もありました。
1990年代後半となると暴力的な行為はなくなりましたが、規格不理解? 誤理解?の審査員が多くなったように思います。
21世紀初めにタカリが社会問題になり、お土産や接待だけでなく昼飯も辞退するようになりました。まあそれはいいことですね。
しかし減らないのは規格不理解の審査員でした。私が引退しても古巣とか仲間から聞くと今も規格誤理解の審査員はなくならないようです。
そんなわけで私は今もこんなウェブサイトで「審査員よまっとうになれ」とクラーク博士のようなことを語っているわけです。
普通の営業マンが他社さんを訪問してセールストークするとき、製品仕様を虚偽の説明をしたら詐欺罪ですけど、審査員が解釈を間違えても詐欺罪にはならないのでしょうか?
実話ですが1990年代半ば、審査員研修で「審査員が現場で作業改善を指導した結果、企業に被害を与え問題になったから決して指導をしちゃいかん」と教えられました。
指導でなくても誤った解釈をしたならば同罪とおもうのですが、どうなんでしょうね?
もし規格の誤解釈があって企業に被害を与えたら詐欺となれば大きな改善になると思います。
我々下々は「規格通りの審査をならせたまえ」とお祈りするしかないのでしょうか?


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