システムの構築というウソ(3)

20.07.23

最初、「マネジメントシステムの構築のウソ」というタイトルで書こうと思った。過去に書いたことがあるだろうかとウェブの控データを検索したら、既に2回似たようなタイトルで書いている(注1)ならば、今までのとは違うことを書かねばならないこと、そしてタイトルを合わせて(その3)とすべきだろうと思った。
ところで何回も書く甲斐があるのかという突っ込みを予想する。日本でISO認証が始まって既に四半世紀が過ぎた。しかし今でも「マネジメントシステムの構築」と語る人がいるのだから、それはおかしいぞと 突っ込む 教えてやらなければならないだろう。なにせ私は他人の間違いを見つけると、指摘してやらないとジンマシンが出るのだ。
ということで、2020年版の「システムの構築のウソ」スタートだ。


「マネジメントシステムの構築」なんて騙る人が多い。「語る」と「かた」るの違いに気づいてほしい。「マネジメントシステムの構築」と言いながら「マネジメントシステムの構築」を語っている人はまずいない。だからISOの世界で「マネジメントシステムの構築」を語る人はすべてが嘘つき、騙っているだけだ。

昔、春闘とか秋闘(注2)という行事があった。ハハハハ、まったく儀式というかセレモニーとしか言いようがない意味のない行事であった。
若い人は知らないだろう。1970年頃は毎年春になると虫がうごめくごとく、日本中の組合の連中が動き出し、「今年の賃上げは!」なんて叫びだした。そして日本中でハチマキした組合員たちが「満額獲得!」と騒いだのが春闘だ。
くそ!やんなっちゃうわやめてくれあほくさ
労働組合も革新政党も信用ならね〜
当時若かった我々は、そんなことしかしないばかばかしい労働組合と話をするための交渉団体を作らなければならないと真剣に考えた。
組合は組合員の声を吸い上げず、社会党の言うがままに左往左往さおうさおう(彼らは決して右には動かなかった。左ばかりだ)するばかり。ばかばかしいとしか言いようがない。

総評なんて知らないよと言うかもしれない。1989年だったと思うが彼らは連合と看板を変えた(注3)そして今連中が支持しているのは社会党の代わりに民主党になり民進党になり、今は立憲民主党である。名前はどうあれ、ばかばかしいのは今も昔も変わらない。
おっと、連中は春になると春闘だといい、組合員を洗脳しようとして「オルグ」という活動をした。「オルグ」とは「organizer」の略で「組織者・組織を作る人」の意味。元々は労働組合がないところに組合を作る人の意味だったのだろうけど、我々が社会人になったときはどの会社にも労働組合があった。
当時オルグと呼ばれたのは組合役員が昼休みに組合員を集めて、今年の要求は○○円だ。断固とるぞ!逃げるなよ!親父が死んでもデモに来い!サボリなど許さない!と怒鳴る集会でしかなかった。

賃上げ要求金額は誰が考えても無茶な金額で、アホかとしか言いようがない。お互いに誠実に賃上げを協議するなら、例えば1万円ほしかったら11,000円を要求し、相手側が9,000円と回答して交渉後、お互いが歩み寄って1万円というのは、誰がみてもまあそんなものかと思うような流れである。
しかし当時はそんな常識的なことはしなかった。大鍋戦術というそうだが、妥結額は1万円くらいかなと思っていても、賃上げ3万円!、歯止め2万円とか要求するわけ。歯止めというのはそれを満たさなければストライキするという意味。
そんな要求、誰だってアリエネーと思いますよ。それがオルグでは絶対死守、回答出ない場合は無期限スト!なんて騙るわけよ、まさに大ぼら、嘘というよりできの悪いジョークなのだろうか?

まあ、1回だけなら「役者やのう(注4)と言えるが、そんなことを毎年・毎年繰り返すのだから、組合員も会社もしらけますよ。3万要求しようと4万円要求しようと、そんなのスローガンにすぎません。誰でも初めから妥結は1万円くらいとわかっているのです。それなら初めから不当な要求や無駄なデモをすることはありません。我々下々が、組合幹部総入れ替え、総評なんて廃止!と思うのは必然。怠業するより仕事をしたいし、そのほうが金になる。ストやればデモの後はパチンコなんて言ってられません。賃金はしっかりひかれます。もちろんその間は残業もできません。春闘で遅れた仕事は自己責任で挽回しなければならないのです。

まあ、半世紀も昔の話だ。今も後継団体である連合はあり、後継政党である立憲民主党もあるが、だんだんと組合員も組合離れを起こし、大鍋戦術も時代遅れになった。いやそれどころか春闘だといってもついてこない組合員が多いだろうし、デモに参加する人はまずいないだろう。
我々の時代はメーデーというと連休の中間なのにわざわざデモ行進に参加しないとならなかった。時代が下がると幹部だけになったり、最近では日をずらして連休の中央にしないらしい。
革新政党とは世の中を革新しようというわけではなく、政権与党を批判することで支持を得て国会議員の職を得て歳費をもらうのが目的の団体である。まさに社会の寄生虫だ。
私がいかにして革新政党嫌い、組合大嫌いになったのか、おわかりいただけただろうか。

おっと、この文は組合批判ではない。オルグといいながらorganization(組織化)をせずに形式に囚われて意味のないことをしていたと言いたかっただけ。
そして総評や組合だけでなく、「マネジメントシステムの構築」と言いながら「マネジメントシステムの構築」を語っていないISOの関係者も同じだと言いたいわけ。

システム構築とは何ぞや
システム構築とは文字通り解釈すると、システムを作ることだ。ご存じないはずはないが、システムとは、組織、機能、手順である。
少し大きな仕事をするには人でも機械でも、一つの部品、一人の人ではできない。複数の部品や人を集めなければならず、それが有効に仕事するには、役割分担をしないと効率的に進まない。大まかにいくつかのグループに分けて(組織)、それぞれの役割を決め(機能)、更にその役割の進め方(手順)を決める。これが一人ではできない大きな仕事を進めるセオリーであり、それを組織化、あるいはシステム構築というのだ。

項目意味
組織
organization
特定の目的を持つ、所属や役割を与えられた複数の人の集まり
機能
function
人(s)または物に与えられた特有の活動
手順
procedure
なにごとかをするときの確立された(承認された)方法

注:システムの三要素は元々アメリカ軍において定義されたものだから、
日本語の辞書でなく英語の辞書で確認すべき。

話は戻るが1960年代は組合活動をしている優秀な奴に、会社が目をつけて会社幹部に登用することが多かった。なぜわざわざ会社に敵対している組合幹部を経営層に呼び込むのかといえば、うるさい奴をおとなしくさせるという意味もあったろうし、目立たない群衆より、自己主張して積極的な奴のほうが将来役に立つと考えたことだろう。
もちろん組合は野党であり、批判だけしていれば役目は済む。そういうのが経営層になったら困ると思うでしょう。でも経営側であれば無能なら即首を切れるし、それに対して組合も文句を言わない。会社も考えてるのよ。
嘘だと思うなら、20年前にあなたの会社の組合委員長や書記長をしていた人の、その後を調べてごらんなさい。社長ってのはないかもしれないが、取締役とか工場長、あるいは部長・課長など管理職になっているのがたくさんいるはず。組合をしたから冷や飯食いというのはありえない。


1970年代半ば以降になると、オイルショックもドルショックもあり、60年代のように毎年賃金が1割以上上がるなんて時代が終わり、組合がバカなことを言っても組合員が付いてこなくなった。
信じられないだろうが1970年代から革新政党全体の支持率は下がる一方だ(注5)革新支持が最高だったのは1970年以前で、それ以降は時ともに革新支持が減ってきているのが歴史である。1993年日本新党が、2008年に民主党が政権をとったときでさえ、すべての革新政党支持は自民支持より少ない。単にいっとき無党派層が民主に流れただけ。

そんなことで労働組合は内外への勢力を失い、組合幹部は企業幹部への登竜門ではなくなった。労働組合が勢力、権力を失ったのを喜んだのは、会社側ではなく我々組合員であったことは記憶すべきだ。
その代わりでもないが日本中で小集団活動が盛んになり、今度は小集団活動のリーダーになって改善活動、提案活動を積極的にする人間が、会社幹部に登用されるようになった。残念ながらこのルートで幹部になった人は課長レベル止まりだったようだ。組合出身者ほど人を動かす能力がなかったのか、組合のような抵抗・反対でなく、会社の協力活動だったからか……どうも後者のようだ。
小集団活動のリーダーも、システム構築という観点ではオルガナイザーだった。会社内であっても、小集団グループを作り(組織)、グループの役割を決め(機能)、計画と成果を定め(手順)実行させたからだ。

小集団活動はバブル頃に、多くの企業で休止した。理由としていろいろあるだろうが、マンネリ化、勤務内なの外なのか怪しいこと、ISO認証が表れて生い立ちが異なることから思想的にコンフリクトが生じたことなどがある。
1990年代半ば以降は、新しく登場したISO担当者が幹部登用の……といいたいところだが、残念ながらISO担当者は行動力や発言力がある人より、チョンボをしたり、ウツになった人などが担当する仕事のようで(以下略)

くだらない話を2,000字も書いてしまったが、言いたいことは「マネジメントシステムを作る」とは「マネジメントシステムを作ること」だ。ISO認証することでもなく、ISO認証のために文書を捏造することでもない。 もう一度言う。システムとは組織、機能、手順である。システムを作るとは烏合の衆を組織にして、その機能、手順を決めることだ。それを組織化せずに人を動かすのは恐怖なり熱狂による群衆操作に過ぎない。政治行動とか宗教活動ならともかく、複雑な業務遂行をするには、それは分業化協業化ができず、非効率どころか有効ではなく多くの人を集めた意味がない(注6)


そもそも、組織化されてない複数の人を組織化するとはどういうことか?
飛行機事故 よく映画にあるシチュエーションだが、旅客機がジャングルに墜落したとか、客船が無人島に漂着して、乗員乗客がいかにして生き残るかなんてのがある。そういった場合、法律で機長や船長が指揮官になると決まっているそうだ。それに多くの場合、乗務員もいる。となると船や飛行機が遭難するケースは組織化する必要がない。というか初めから組織が存在している。もし船長が亡くなったらと心配することはない。指揮継承順もしっかりと決まっている。
軍隊においても心配することはない。指揮官が戦死しても、しっかりと指揮継承順は定まっている。単にひとつの部隊についてではなく、部隊が別な軍人同士であっても、陸海軍が集まった場合も、誰が指揮官になるか決まっている。

昔「漂流教室」という漫画があった(注7)あれは同級生ではあるけれど、組織化されていない人々を組織化するのがいかに困難かを描いていると思う。
「ポセイドン・アドベンチャー」でもリーダー(スコット牧師)は絶対者ではなく、皆が最善を求めて意見百出。なかなか思うように進まない。
じゃあ指揮継承権を明確にし、皆がそれに従うことにすればハッピーかといえば、全権は全責任である。権力を持つことで指揮者は苦悩するから、みな権力(責任)を持ちたくないだろう。

ではまったく組織化されてない無関係な人々の場合はどうだろう。
例えば大災害でがけ崩れが起きて道路が寸断され、たまたまそこに取り残された車に乗っていた無関係な人たちならどうだろう? あるいはショッピングセンターなどで、火災や地震が発生し、お店の人も警備員も救助や避難指示をしない状況ならどうだろう?
地すべり 私の娘は東日本大震災のとき、来店していたお客様を無事駐車場に避難させ地震が収まるまで落ち着かせたというが、娘は店で働いていたからそれは職務であり当然だ。
そんなとき、買い物客でありながら、来場者の救助や脱出を指揮したならすごい。
我々一般の日本人は多くの場合、団結しないように思う。家族とか同じ車に乗っていた人同士が集まって行動はしても、まったく無関係な人々が団結して対応するとは思えない。

実はパニック映画の中でサバイバルというジャンルがあるが、この文を書くのに「サバイバル映画おすすめ50選」にある映画解説を全部読んでしまったよ。さまざまなシチュエーションがあるが、面識のない人たちが協力するというのは、外国の映画でも難しいようだ。

そういった場合において、そこにいる人々を組織化し、持ち合わせた食料や医薬品を分配や脱出の指揮をとったなら、「マネジメントシステムの構築」をしたといっても許す。
えっ、文書を作っていないとか決裁がどうとかいう声が聞こえたようだが、なことはお門違いだよ、きみ。

「マネジメントシステムの構築」とは、無関係な個人を組織化し、ある目的のために行動させそれを達するために動かす仕組み作りだ。文書も記録も内部牽制も必須要件ではない。
ISO9000やISO14001では方針を始めとしてたくさんの文書を要求している……それはISO規格を書いた人が必要だと考えただけでしょう。システムの必須要件ではない。というより、そもそもシステムは文書がない時代からあるのだ。

ちなみに ISO9001では以前から次のように述べていた。
文書化の程度は組織によって異なる。
 a)組織の規模及び活動の種類
 b)プロセス及びそれらの相互関係の複雑さ
 c)要員の力量
なんでもかんでも文書にしろとは書いてない。
ISO14001でも「文書化された手順がないと逸脱するなら作成せよ」とある。
「文書を作れ」と語ったのは、楽に審査をしたかった審査員であり、審査員にイチャモンを付けられたくなかったコンサルである。

何度も言うが、文書や記録を作成することは、認証のための作業であって、マネジメントシステムの構築ではない。
ISO認証のための活動は、本来の意味のシステム構築ではない。そもそもISO認証を決めたとは、その前提として認証範囲に命令(決定)できる人(あるいは複数)が存在しているのだから、既に組織化されているわけで、システムは既に存在している。


さて、いろいろとまったく組織化とはなにかとか、組織化されていない複数の人を動かすケースを考えてきた。
会社においてISO認証しようという場合、会社そのものは既に組織化・システム化されている。ならばISO認証のためにシステム構築なんてありえない話だ。
いやISO認証のためにいろいろと仕事をされているのはわかります。しかしそれは間違っても言い換えても、システム構築ではない。単なる文書化、あるいは文書化の過程でシステムの不備を埋めているに過ぎない。
いずれにしても無から構築をしているわけではない。


うそ800 本日の話を3行にまとめると……
すべての組織はマネジメントシステムを具備している。
だから、ISO認証のためにマネジメントシステムの構築が必要なわけはない。
マネジメントシステムの構築と語る人はみな嘘つきである。
 簡単な三段論法じゃないか



注1
注2
ベースアップの春闘は全国一斉だったが、ボーナスの交渉である秋闘は、する会社としない会社があった。

注3
細かく言えば総評と同盟が統一し、共産系が分裂したのだ。正確な歴史を知りたくば勉強してほしい。

注4
1970年代の連載漫画「嗚呼!花の応援団」の名セリフ。思っていることと違うことを言ったとき「演技がうまい」⇒「嘘つくな」という意味で使われた。

注5
注6
アラビアのロレンスと呼ばれたトーマス・エドワード・ロエンスはイギリスの帝国主義の先兵としてアラビアで暗躍した人で、 騎兵 現在のイスラエル・パレスティナの混乱のもとを作った。
それはともかく、彼は「知恵の七柱」という著書で、自分のことを「一人の師団を、1万個指揮した最初の指揮官だ」と書いている。
通常の軍事組織では下から小隊・中隊・大隊・連隊・旅団・師団(注1)と構造化され、師団長は数人の旅団長に命令すればよいのだが、構造化されていない軍隊(?)では、1万人をひとりひとり指揮しなければならないという意味である。はっきり言ってそんな体制では戦うことができないだろう。その理由として"管理の限界"という制約があるからだ。
ドラッカーは「管理の限界はない」と語ったが(注2)、私はドラッカーが間違いだと思う。だっていかなる職種だって一人の人が1000人の部下を動かせるはずがない。それは旧約聖書時代からの経験である(注3)。

注1:部隊の構成や人数は、国により時代により異なる。

注2:「マネジメント 課題、責任、実践」、ダイヤモンド社、1973

注3:旧約聖書では、10人隊長、100人隊長、100人隊長という呼称が多々出てくる。

注7
楳図かずおの1972年の漫画。地震により小学校が別世界に移転してしまう。教師たちは災害で亡くなり、小学生たちが協力して生きようとする。
飢餓、病気、正体不明の生物の襲撃などでどんどんと仲間が死んでいく。とまあ荒唐無稽というかとんでもないストーリーですが、現在の多くのパニックドラマの基になったんじゃないかなと思います。15少年漂流記よりはるかにすごいと思います。



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