書名 | 著者 | 出版社 | ISBN | 初版 | 価格 |
★スマホ脳★ | アンデシュ・ハンセン | 新潮新書 | 9784106108822 | 2020.11.18 |
少し前「スマホ脳
「最近うつ病が増え、また集中力のない子供が増えて問題になっている。それらはスマホが原因だ。もっと紙の本を読み、またキーボードでなく手書きする習慣をつけなければいけない。
なぜかというと人間という種が発生してから20万年になるが、その9割以上は狩猟生活をしてきており我々は狩猟生活に適応するよう進化してきたので、スマホをいじるようにできてないからだ」
という趣旨だ。
似たような趣旨の本に「寄生虫なき病
この「スマホ脳」は精神面について、注意力や体の反応が狩猟に対応しているのでスマホというかインターネット時代には対応していないと述べている。そして対応していないにもかかわらず、四六時中IT機器を使うようになったからストレスを受けて……という本だ。
書いてあることはもっともらしいが、統計データや実験結果などが載っているわけではなく、文章だけだ。引用文献もない。だからそうかなあ〜という気はするが、信用する根拠がない。
おっと著者はスウェーデンの精神科医だそうだが、誰が言おうと証拠・根拠がなければ信用に値しない。
ではなぜお話を「スマホ脳」から書き始めたかであるが、スマホ脳の第1章の1ページ目と2ページ目が次のようであった。
実際はもっともっと点々が続く。開き2ページにただ点々が1万個あるだけだ。文字が一つもない。
上記の点の数は1080個だが、本に印刷してあるのは1万個だから、この約10倍になる。
3ページ目をめくるとやっと文章が現れ、私たちの祖先が現れたのは20万年前であり、一世代を20年とすると、我々が人間になってからのご先祖様は1万世代になるという。そしてここにある点ひとつが一世代を表している。
我々はこの点の数ほどの世代交代を重ねてきたが、車や電気、水道のある世代は点8個分つまり8世代160年、コンピューターや携帯電話のある世代は点3個分3世代60年、スマホ、フェイスブック、インターネットのある世代は点1個1世代20年しか経っていないとある。
つまり1万点から数点を除いたほぼ1万世代が狩猟採集生活をしてきたのだから、現在のインターネット社会に適応していないのも当然だという。
ところで、世代(generation)とは普通30年と解されている。赤ちゃんが生まれ大きくなり結婚して子供を持つまでの一サイクルの期間を一世代というが、現代ではほぼ30年だ。
しかし私が子供の頃、たった半世紀前は結婚適齢期とは男25〜30歳、女20〜25歳でした。それを過ぎると変わり者とか行き遅れなんてひどいこと言われたものです。
ちなみに昭和16年に結婚した私の両親は親父31歳、母28歳で当時としては晩婚でした。それは戦争中という非常事態だったからです。
童謡「赤とんぼ」には「十五でねえや〜は嫁に行き♪」とありますが、この歌が作られたのはちょうど100年前の1921年でした。
織田信長の正妻と結婚したのは15歳で濃姫は14歳、その前の側室 吉野とは信長14歳、吉野10歳という説もある。11歳では子供を産めないのでは? まあ当時は政略で縁を結ぶため子供でも結婚というのはありましたけど。
徳川吉宗が結婚したのは22歳、嫁さんは15歳。
昔は一般人も早婚でふつうは20歳前、20〜28は中年増、29過ぎたら大年増と呼ばれた。今の日本では大年増しかいない。とにかく昔は結婚が早かったのです。
日本人の平均寿命は江戸時代中期以降は20歳を超えているが、戦国時代以前は20歳未満、
平安時代以前は15歳未満だった。
平均寿命が短いとは、皆が15歳で死んだり、老人になるのが早かったわけではない。昔だって70歳あるいはそれ以上長生きした人はたくさんいる。乳幼児とか子供のときに死ぬ子供が多かったということです。
江戸時代は手厚く保育された大名の子でさえ乳幼児死亡率は23%、明治になっても乳幼児死亡率は15%だった。
ちなみに2017年の乳児死亡率は0.19%である。
誕生日前に多くの子供が死亡していたから平均寿命が短いのは当然だ。
ということで今の人類が出現してからの一世代を、20年とすることは間違いではない。
私はこの点々ばかりのページを見て大いに感動というか衝撃を受けた。だって自分とネアンデルタール人は、たった1万世代しか離れていないのだ。
1万というとゼロが4つと思うととんでもなく大きな数だが、開き2ページを埋める点々の数を見ると、そんなに多くの数じゃない。
たった2ページに打たれた点々の数の親子関係でネアンデルタール人と自分がつながっているってものすごくすごいと感動しないか?
それが本日のテーマだ。
さて人間の歴史を簡単にみると
ネアンデルタール人の姿形は昔からいろいろな想像図が描かれてきたが、現在では今風の服装をして街角に立っていれば、誰もネアンデルタール人とは気づかない程度の違いしかないといわれている。最近のネアンデルタール人の想像図は現代人と変わらない
現生人類の簡単な年表
最近ではアフリカ脱出時期や脱出回数に諸説あり、また我々はネアンデルタール人と交雑した子孫とか、人種が分かれたのは77万年前だとかさまざまな論や説があふれている。またアフリカから人類が旅立ったのは集団として数回のみと言われていたが、今はゾロゾロダラダラと移動していたという説もある。……実際は家族が獲物を追いかけているうちに、いつのまにか遠くに移動していたということだろう。
まあ新たな発見があるたびに書き換えられる学問だから、大体の流れを把握しておけば生きていくに十分だ。20万年も20年一世代というのも目安とみてもらえばよい。
ここからが本題だ
20万年前、頭脳や体つきは現生人類と同じとしても、裸で狩猟と採集だけしていたご先祖が、いかにしてパソコンがなければ死んじゃう私や息子のように進化(退化)してきたのだろう。
現代から行ってみよう。
私が1949年に生まれてからの70年間はものすごい変化があった。暖房ひとつとっても木炭のコタツから電気こたつになり、石油ストーブになり石油ファンヒーターになり、エアコンになった。いろいろな要素での違いをまとめてみよう。
三代でずいぶん変わった。いや一人の人が子供の時から大人になるまでに大きくそれこそドラスティックに変わってきた。
上記には女系は書いてないが、私の母は人力車に乗ったことがあるという。昔、人力車に乗るのはお金持ちとか芸者で、一般人はなにかあっておめかししたときくらいだったそうだ。
我が家では先祖をたどっても祖父の代までしかわからない。というのは日本の戸籍が整ったのは1898年なので、どの家庭でも市役所に行けばそこまでは除籍謄本(鬼籍謄本)をとれる。しかしそれより先になると信頼できる記録はない。
旧家だと家系図があるかもしれないし、古くから住んでいる人なら菩提寺にいけば過去帳があるかもしれない。
田舎で私の一族の本家と呼ばれている家には敏達天皇からの家系図があるが、それがまったくの偽物なのは言うまでもない。本家といっても我が家とどういうつながりなのかも判然としない。明治維新の前、分家した子孫じゃねえか? 程度の話だ。
本家でさえ代々水飲み百姓で、江戸時代末期に新潟のほうから流れてきたという言い伝えしかない家系である。そんな家柄で敏達天皇もないよね!
一方私の母の祖父は、江戸時代末期に伊達藩の侍だった。明治初期に
伊達政宗は福島県の戦国大名である田村氏から正室を貰っていたので、そのときに田村領から仙台に付いていった侍もいたのだろう。
あるいはその後、田村藩にお家騒動があり、そのとき伊達政宗がこれを納めた結果、伊達藩の属領化した。そういう関係かもしれない。
そして300年近くときが経っても、仙台の分家と元田村領の本家の付き合いはあったのではないかと思う。
今でも郡山市には母方の本家(郡山にずっと住んでいた一家でなくも仙台から帰ってきた一家)があり、そこには仙台からきた証拠(刀とか書き物)もある。もちろん親戚を頼って福島県に戻っても、水飲み百姓になるしかなかった。
ともかく母方は江戸時代半ばまで信頼性高く先祖がたどれる。といっても、それが何だといえば何の意味もない。
注:大名 田村氏の領地は、現在では田村市、三春町、郡山市、須賀川市などに分かれている。それだけ勢力があったのだろう。
おっと田村氏は初代の征夷大将軍とされる坂上田村麻呂の子孫を称していたが、それはまったくの嘘らしく、藤原かなにか中央から地方に下った子孫が田村を僭称したらしい。
もちろん一般人は明治維新以前は家系をたどれないといっても、祖先がいなかったわけではない。すべての人は江戸時代どころか、弥生時代、縄文時代、さらにはアフリカのミトコンドリア・イブまでつながっているのだ。
天皇家は126代とか菅原通済は道真の36代目とか称している。前述のように我が家は3代しかたどれないが、明治になって突然発生したわけではない。
誰かが言ったが、天皇家と我々庶民の違いは家系図がないことだけだ。
文字上は祖父の時代と大して変わらないが、その内容は相当違うだろう。例えば家にガラス窓はないだろうし、畳もなかったと思う。布団も風呂もなかったのは間違いない。
ところでどんな姿形をしていたかに興味がある。
1万年前のイギリス人は肌は褐色、髪の毛は濃茶、瞳は青だったという。アフリカを出た人間は肌は黒く、瞳は濃茶だったはずだから、だんだんと紫外線が弱い気候に合わせて変化してきたのだろうけどまだいわゆる白人まで進化(別に白人が進化しているというわけではないが、生物の場合変化を進化という)していなかったのだろう。
となると私のご先祖に限らず当時の縄文人も似たような風貌だったのではないだろうか?目が青いとは思えないが、アフリカ、中東、中央アジアそして日本列島とだんだん日差しが弱くなってきたから、肌は我々までは薄くないけど黒人と我々の間くらいではないのかな?
縄文人の姿形として多数の絵とか復元図を見るが、ほとんどは今の日本人の目の色、肌の色のまま、体をゴツクしたり、ひげを加えた程度だ。
イギリスの1万年前の人をみると、現代のイギリス人とは相当違う。たった1万年でこれだけ違うのだから、人間の進化というのはものすごい速さだ。だから本当の縄文人は、よくある復元図よりもっと今とは違っていたように思う
500代前の人にぜひ会ってみたい。もちろん言葉なんて通じないだろうけど、
注:現代では人種は存在しないという説が優勢だ。人種差別の反動だろうか。人種があろうがなかろうが、現実に肌の色や眼の色は多様であり、そしてそれが(進化の観点からは)短期間で変わったことに私は驚くというか感動してしまう。
ちなみに調理の方法5つあるという
注:上記に、「茹でる」と「和える」を加えて7つとする場合もある。
「茹でる」は土器発明後で煮ると同じく1万年前から、「和える」は鎌倉時代に禅宗と始まると言われる。
進歩というのは全方位で起きたわけで、暮らしのレベルアップも大変だなあ〜
この時代になると、もうまったく我々とは別の生き物なんだろうなあ〜
まず肌の色、目の色、髪の毛の色がどうだったのか?
我が家のこれから
我が家の家系は私の息子で終了だ。息子は40となった今も独身、たぶん未婚で終わるだろう。嫁に行った娘も小梨でもう孫が生まれるあてはない。
とはいえ嘆くこともない。人間は社会的動物だから、過去に生きた人たちはすべて私のご先祖で、未来に生きている人たちはみな私の子孫と考えてよい。
大河小説を超える何千年もの長きを描いた小説も多々あるが、そこではたて糸になる人たちが直系のケースあるし、全く無関係の人たちのケースもある。
ジェームズ・ミッチナーの「人間の歴史
とはいえある人の10代目の子孫といっても、その遺伝子は1024分の1に過ぎない。そしてそのとき10代前の先祖の遺伝子を受け継いだ人は、1000人以上いるだろう。それは3σの誤差で切り捨てられるレベルであり、血がつながっているとはいえないだろう。
アイザックアシモフの「銀河帝国の興亡
これが現実ではなかろうか。
三国志で○○は先の帝国の○○王の子孫なんていうつながりを持ち出すのは権威付けなんだろうけど、科学的(それとも統計的か?)に意味がない。
戦国時代や江戸時代に大名が貴族にお金を払って家系図を作らせたのは有名な話。
そんなこと気にせずに、それぞれが自分が置かれた立場で最善を尽くせば人間の歴史になにかを加えることができるだろう。そして人間の集合体は悠久の川の流れのように歴史を紡いでいくのだろう。すばらしいことじゃないか。
本日の豆知識
では今までに生まれた人間は何人いたかと質問したい。
今70億人(2011)いるらしい。1万世代というと……過去現在までに存在した人間は何人だ?
実は人間として生まれた人は1200億人くらいで、そのうち70億人が生きている。これは過去から存在した人間の6%が今生きているということになる。
おかしいぞなんていってはいけない。ここ1世紀の人口爆発がいかにすごいかということだ。アフリカを脱出した人たちは数千人といわれる。キリストの時代の世界人口は2億といわれる。私が子供の時、世界人口は30億と習った。わずか60年で人口倍増だ。
温暖化よりも環境汚染よりも怖いのは人口爆発だ。
注1 |
「スマホ脳」、アンデッシュ・ハンセン、新潮新書、2020 ![]() | 注2 |
「寄生虫なき病」、モイセズ・ベラスケス・マノフ、文芸春秋、2014 ![]() |
注3 |
人体600万年史(上)(下)、ダニエル・リーバーマン、早川書房、2015 ![]() | |
注4 | 注5 |
最近はこの絵がネアンデルタール人の実像だとするものが多い。しかしいわゆるコーカソイド(白人)が成り立ったのは数千年前といわれており、20万年前のネアンデルタール人が金髪碧眼という可能性はまずないんじゃないか? ![]() |
注6 | ||
注7 | ||
注8 |
エジプト文明を作った人たちは黒人だったそうだ。同時代のモーゼやソロモン王も黒人だったという。古代ローマでは白人も黒人も混在していて人種差別はなかったらしい。皇帝セプティミウス・セウェルスは黒人だった。 イエス・キリストも黒人だったという説もある。 ![]()
人種による能力の差はない。短距離ランナーは西アフリカ人、中長距離ランナーはケニア人に限られる。 | 注9 |
「人間の歴史」3部作、ジェームズ・ミッチナー、河出書房、1967 ![]() |
注10 |
「銀河帝国の興亡」アイザック・アシモフ著 その後別の出版社からも発行され、タイトルは「ファウンデーションシリーズ」「銀河帝国の興亡史」などつけられる。 ![]() |