パリ協定から6年、2020年には菅首相が「温室効果ガスを2050年に実質ゼロにする」と語り
ところで「温室効果ガスを2050年に実質ゼロにする」とはどんな意味なのだろうか?
これから勉強をしていきたい。そしてその過程で気づいたこと疑問に思ったことを書いていきたいと思います。
地球温暖化考その1に続いてその2としても良かったのですが、そのタイトルでは内容が分からないのとタイトルが長すぎるようで、今回はカーボンニュートラルとしました。
カーボンニュートラルとはなんだろうか?
そもそもの起こりは1992年英国の「インデペンデント紙」が記事で初めて使った言葉だそうだ
日本ではまだカーボンニュートラルを定義した法律はない(2021.03.21現在)。今現在は、外国政府、種々団体あるいは企業が、カーボンニュートラルを定義しているが、内容は同一ではない。
世界的にも統一された見解はないようだ。少なくても条約などでカーボンニュートラルを定義したものは見ていない。
環境省の資料(注3)では次のように定義している。
「市民、企業、NPO/NGO、自治体、政府等の社会の構成員が、自らの温室効果ガスの排出量を認識し、主体的にこれを削減する努力を行うとともに、削減が困難な部分の排出量について、他の場所で実現した温室効果ガスの排出削減・吸収量等を購入すること又は他の場所で排出削減・吸収を実現するプロジェクトや活動を実施すること等により、その排出量の全部又は一部を埋め合わせることをいいます。」
読めば定義なのか解説なのかわからないが、定義と名乗っているのはこれだけのようだ。
定義は確立していないがカーボンニュートラルが使われとき、意味が二通りある。
要するに企業や家庭で出す二酸化炭素を減らせ、減らせなかった分はどこからか買ってきて埋め合わせしろということです。どこからか買ってくるには、どこかが二酸化炭素を減らさなければならない。
もちろん当たり前ですが、生物としての二酸化炭素排出はここで勘定に入れません。勘定に入れるのは基本的に、生物の生命維持以外の二酸化炭素排出です。爺さんが昨年亡くなったから、爺さんが呼吸していた分を売ることはできません。そんなことをしたら爺さんに祟られます。
ところで菅首相が語った「温室効果ガスを2050年に実質ゼロにする」とはカーボンニュートラルとは違う。カーボンニュートラルより厳しい考え方である。
菅首相が語ったのは「温室効果ガス」であって「カーボン(炭素)」ではない。まず二酸化炭素はもちろん、ハイドロフルオロカーボンやパーフルオロカーボンはカーボンが付くから分かるように当然炭素原子を含んでいるし、メタンも炭素原子が中心に水素が付いたものだ。
この世には二酸化炭素以外に温室効果ガスはたくさんある。
炭素が付かない温室効果ガスに水蒸気があり、実はこれが一番強力な温室効果ガスと言われている
とはいえ、誰も海や大地に「水蒸気を出すな」なんて言いません。言っても無駄だからでしょうか?
そのほか6フッ化硫黄とか3フッ化窒素などがあります。6フッ化硫黄なんて聞いたことがないかもしれません。私も知りませんでした。現役時代同僚が網膜剥離になり手術後、網膜が付くようにこの6フッ化硫黄ガスを注入して押し付ける処置をしたそうです。
おっと、菅首相は二酸化炭素でなく温室効果ガスと言ってるから、カーボンニュートラルとは違います、ここ間違えないように。
もっとも今までカーボンニュートラルと語っている外国や企業や大学がどういう定義でカーボンニュートラルと言っていたのかは、それぞれの組織による定義をみなければわからない
ところで排出削減でなく、排出ゼロだからどうするのだろう?
菅首相の演説では細かいことまで言及していないが、資源エネルギー庁のウェブサイトに解説がある
下図はその概念図である。
注:上図ではエネルギー以外の温室効果ガス(冷蔵庫やエアコン用のフロン、発泡用ガスなど)を除いている。それが1.8億トンで日本が排出している温室効果ガスは合計12.4億トンとされている。
植林でCO2を減らすってのは論理的におかしいと思うが、詳細説明がないから何とも言えない。
ともかく電力やその他の用途の温室効果ガス発生する一次エネルギーをすべてゼロにすることだ。
はっきり言って、そりゃ無理だとしか思えない。菅首相は心底できると思っているのだろうか?
具体例で考えてみよう。
代替えエネルギーのひとつに農作物を作りそれからメタノールを作るというのがある。
今から1万年前、人間は農耕革命と呼ばれる大革命を実行した。いや大層なことでなく農業を始めた。畑で農産物を作るとは、太陽エネルギーを人間が摂取できる形に変えることだ。人間が体内に取り入れるエネルギーと風呂を沸かすエネルギーに大きな違いはない。片方は人体が利用でき、他方は利用できないだけだ。
いずれにしても人間が畑に投入するエネルギーより、畑から取れるエネルギーが大きくなければ農業をする意味がない。
昭和30年ころまでは田植えも稲刈りも種まきも取り入れもみな人手で行われた。耕運機もなく脱穀機もなく、すべて人間の手作業だった。当時は労働が大変だった。農夫症という言葉があるが、農業従事者が年を取ると、腰が曲がりまさに地面をなめるような姿になったものだ。だが当時は人間がインプットするエネルギーより、田畑から得られるエネルギーは大きかったことは間違いない。
その後、耕運機や脱穀機を使うようになった。更に進歩して田植えも機械、刈り取りも機械、運搬は軽トラ、乾燥も機械となった。そして人間が田畑に投入するエネルギーより、作物から得られるエネルギーがはるかに大きくなった。
じゃあ田畑に投入するエネルギーより、得られるエネルギーははるかに大きくなったのか?
残念ながらそうではない。機械化・自動化が進むほどに、田畑に投入するエネルギーに比べて作物から得られるエネルギーは小さくなってきた。
えっ!どういうこと?
人間の労力は減ったけど、耕運機、脱穀機、トラックなどの燃料のエネルギー、そしてそれらの機械を作り維持するエネルギーははるかに大きく、農業におけるエネルギー収支は大赤字になった。
昔は
式1…(農夫のエネルギー)+(牛馬のエネルギー)<(作物のエネルギー)
だったが、現代は
式2…(農夫のエネルギー)<<(作物のエネルギー)
となったのは喜ばしいが、同時に
式3…(農夫のエネルギー)+(農業機械のエネルギー)>>(作物のエネルギー)
となった。
機械化によって農夫は楽になったが、農夫が使う機械まで含めれば効率が悪化した。
農作業、つまり耕す、施肥、植え付け、雑草取り、収穫といった作業にかかるエネルギーと、農産物として得られたエネルギーの比はどれくらいだろう。
さあ、どのくらいと思われますか?
10倍? 20倍? 100倍? まさか数倍ってことはないだろうね?
トウモロコシ生産で人力のみでは4.8倍、牛などを使うと5倍、機械化農業になるとなんと……3倍を切る。畑に投入する労働力、畜力、ガソリンなど投入したエネルギー合計のたった3倍しか大地は見返りを与えてくれないのだ。
更に式3の左辺に農業機械から廃棄までのエネルギーを考慮すれば……
いかに農業とは厳しいものか実感するだろう
いやいや、式1や式2でインプットよりアウトプットが大きいのは太陽エネルギーをいただいているからだ。太陽エネルギーを含めると、
式4:(農夫のエネルギー)+(牛馬のエネルギー)+(太陽エネルギー)>>(作物のエネルギー)
太陽エネルギーまで含めた投入エネルギーに比較すれば、農産物への変換する効率はとんでもなく小さいだろう。
だって考えるまでもなく、投入するエネルギーよりアウトプットが大きいなんてエネルギー保存の法則に反する。イコールでないのは変換効率が1以下だからだ。
農業に関する総合的なエネルギー収支がないかと探した。食料になるエネルギーは地表に届く太陽エネルギーの10-5とある。とんでもなく効率が悪いものだ
まあバイオマスからメタノールを取る場合、太陽エネルギーの変換効率を考慮することはないが、得られるエネルギーは投入するエネルギーの何倍になるのだろう?
ひょっとして……以下略
それからもっと基本的な疑問がある。
農業が持続可能であるとは証明されていない。理論的に証明されていなくても実証されているなんて言っちゃいけない。農業が持続可能だと実証された例を私は知らない。
化石エネルギーは有限でありいつかは枯渇するという意見に私は同意する。同様に植物からエネルギーを得るにしてもいつかは枯渇するという見解を私はしている。
まず1万年前に農耕革命が起きたが、その発祥の地では今農業がおこなわれていない。メソポタミア、ハラッパやモヘンジョダロは塩害で耕作できなくなり放棄された
欧州では三圃式農業が取り入れられて農地の劣化を回復し永続できるようになったのが10〜11世紀。現時点まだ1000年続いた歴史しかない。
現代の農業は作物となって出ていく分子/原子に見合うものを、肥料として補充している。言い方を変えるとエントロピ増加分を系外に捨てているのだ。
まっ、それを言えば地球温暖化も同じで、系外にエントロピを捨てることができなくなったからだ。
そう考えているのは私だけではない。永続できる農業は稲作だけだという言葉もある。稲作は畑作と違い、水によって上流から栄養分が補充され、不要な老廃物は下流に流してしまう。
故に農業は1万年も続いているという理屈は成り立たない。前述したように現在の農業は石油エネルギーを投じて人間の食料を得ている。
それは石炭を燃やして明るさを得るより電気に変えたほうが使いやすいと同じく、石油は食べられないから食べられるエネルギーに変換しているわけだ。
だからエネルギー収支が悪くても、石油エネルギーを人間が利用できるエネルギーに変換するなら意味がある。
石油エネルギーをバイオマスエネルギーに変換するだけなら意味はない。わざわざ使いにくい一次エネルギーを得るために、使い勝手の良い石油を無駄にすることはない。
じゃあ人の手の入らない自然林や草原の存在できる期間は有限かというと、それは違う。
人間が狩猟生活していた時代も今の自然林も、植物は種が存続できるだけの実しかつけなかったし、捕食者も生存のため以上に食べることはなかった。モズのはやにえとか冬眠に備える以外、食料を備蓄しない(できない)からそれは当然だ。
生態系全体が損益分岐点で維持され、そのときの物質循環はバランスがとれていた。生態系がクローズして自己完結していた。そうでなければ永続するわけがない。
現代では遥か遠方の産物や肥料を集めて消費し、排泄物は原産地に戻らない。生態系はオープンなのだ。持続可能であるはずがない。
更に現在の農業はブロイラーと同じで、栄養を与え育て採集するという微妙なつり合いによっている。実際には力づくで制御しているだけで、つり合いではないかもしれない。
稲がたわわに実るとか、大きなリンゴ、虫食いのないトマトなんてのはありようそのものが異常である。
私が結婚した時、家内の実家はりんごを作っていた。義父が亡くなってからリンゴ作りを止め、義母ができる範囲の稲作と養蚕に集約した。数年後りんご畑を見に行くと、リンゴの実が付いてはいたが、その大きさはテニスボールどころかゴルフボールくらいだった。そしてもちろん虫食いも傷もたくさん付いていた。それが自然なのだろう。
農業のエネルギー収支を思うと、バイオマスからエネルギーをなんて発想は幻想としか思えない。
本日の直感
もうここまでで、私はカーボンニュートラルなんて永久機関と同じくあり得ないと思う。
じゃあ、解はないのか?
正直 私ごときにわかるはずはない。
しかし選択肢はいくつかあるように思える。
ひとつ、人間の欲望のまま突き進む。それは別に間違ってはいない。
はるかな昔、シアノバクテリアが光合成を発明して酸素を作り出した。そのために嫌気性生物は虐殺された。好気性の我々が二酸化硫黄とか硫化水素の中に放り込まれたら同じことになる。だが生き残った我々は死滅した生き物を気にもしない。
人間が地球温暖化を進めて自分たちが死滅しても、他の生物の多くは生き残るでしょう。そして生き残った生き物は滅亡した人間なんて覚えてもいないでしょう。
ひとつ、人間の個体数を自然界が養えるほどに少なくすること。実を言って、私は地球温暖化そのものがガイアによるフィードバックじゃないかと思う。気候変動によって一番影響を受けるのは食物連鎖の最上位にいる人間で、結果人口が2億くらいになれば紀元ゼロ年に戻り、もう一度やり直しができる。
もしそうなら環境保護者のなすことは、地球温暖化に反対せず、人類の大量死を恐れないことだ。
ひとつ、人間が技術を放棄すること。原子力も電気も医療も文字もすべてだ。そうすれば、地球温暖化も、資源枯渇も、環境汚染も、みな解決する
だがキリンヤガが示すように、人間は決してそこに留まらないだろう。
注1 | 注2 |
地球温暖化狂騒曲、渡辺 正、丸善出版、2018、p.152 |
注3 | ||
注4 | 注5 |
いろいろな表現があるようだ。 ・アメリカ バイデン大統領戦時の公約「Green House Gas」 ・EU 長期戦略2020年「カーボンニュートラル」 ・英国 長期戦略「Green House Gas」といっている。 |
注6 |
注7 |
「土とは何だろう」久馬一剛、京都大学学術出版会、2005、 | |
注8 |
光合成と地球環境、渡辺 正、生研公開講演、1997、p.13 | |
注9 |
気候文明史、田家 康、日本経済新聞社、2010、p.100 | |
注10 |
地球温暖化の定義は 「地球温暖化とは、人の活動に伴って発生する温室効果ガスが大気中の温室効果ガスの濃度を増加させることにより、地球全体として、地表、大気及び海水の温度が追加的に上昇する現象をいう(温対法 第2条)」 もし地球の気温上昇が人間活動と関係ないことが判明すれば「地球温暖化は存在しないこと」になる。つまり気温が上がり続けても地球温暖化でないなら、問題解決だ。ならば我々が心配することはない。良かったですね。 |
おばQさま いつも快刀乱麻のお話、楽しみにしております。 記事を拝見して、なるほどカーボンユートラルの定義は、不明瞭で、私自身も明確に理解していなかったことに気づきました。
農業が持続可能か不明というのは、私も同感です。 特に米国で行われてきたような大規模で価格競争力のあるものは、石油等のエネルギーの消費、化学肥料や、灌漑用水なども必須なのでこれらに必要なエネルギーまで考えると疑問です。 エネルギー収支を考えると、食料を作った事による熱量では、全く足りません。 となると、藁や葉などの農業廃材を利用して、バイオエネルギーでも作ってみないと無理ですが、使ったエネルギーをカバー出来る話もあまり聞きません。 となると、作物を売った対価のお金で、2)の排出枠を買う事になります。 この場合に疑問なのは、農業もビジネスだから、まずは金銭面の利益は必須。 カーボンユートラルを言う場合には、農業の利益で排出枠を買わないと駄目という事なのでしょうね。 でもそういうに収支を明示した作物;米、小麦、大豆、果物とか、見たことがありません。 WEB検索で、持続可能な農業で出てくる記事は、地産地消とか、循環型農業とか、有機農業とか書いてあるだけで、ビジネスの利益で排出枠を買っているという例は見たことがありません。 (私の調査不足の可能性はありますが) 前回のコメントで紹介した、カーボンオフセット認証の2020年取得例を見るとスポーツ公益法人、銀行、商社、ホテル、食品加工とか、エネルギーをあまり使わずに利益が上げられる企業ばかり。 https://www.jcos.co/%E5%8F%96%E7%B5%84%E4%B8%80%E8%A6%A7/ 数社製造系がありますが、これは特定の工程の中で削減(省エネ?)して、部分認証のように見えます。 ある意味当然ですが、結局 エネルギーを殆ど使わずに利益を出せるビジネスでないと出来なさそうです。 我々が目標管理をする場合には、一番 影響がある所からやるのが普通。 となると、電力事業とか、重工業とか、そして農業とか、そういう分野がどう取り組むのでしょうか? (原発は是非は脇に置いてもカーボンオフセットは可能でしょうね、でも福島のような原発賠償まで入れると不明。 本来ならば、そういう収支まで考えて再稼働も議論すべきと思えます) 政府も目標として掲げる以上、重要分野から対策や指導するべきなのですが、どうもそういうものが見えません。 少なくとも、日本の現状を見る限りはイメージ先行、実現が容易な分野でやっているだけのように思えます。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 環境省のウェブサイトをながめても、具体的施策が見えません。総論賛成、各論反対なんでしょうか? 自然エネルギーが4割を占めるドイツでも、風力や太陽光は補助金頼みです。悪く言えば電気で風車を回しているようなものです。 現時点で真にCO2削減というなら原子力だけかと思いますが、稼働がゼロではマイナス極まりない。 私には分からないようなテクニックでCO2をもみ消すのでしょうか? 丸の内打ち水とかクールビズとか無邪気に喜んでいたのが懐かしい。おっと、それらを推進した当時の環境大臣小池百合子でしたね。あの人もええかっこしいで口先女、救いがありません。 裸の王様みたいなもので、誰かが「できっこない!」と叫ぶまで愚者の行進は止まらないようです。 |
過去にためたCO2を開放するので、にニュートラルにはならないと思います。 使った以上の緑を増やしていかないと、やっぱりマイナスでしかない。 原生林が失われつつあるブラジルの緑なんか、CO2を放出し続け、あとに続く緑はない。 言葉遊びでしかない。 政府、国会も言葉だけで理論(方法論)はない。 他人事で政治をしているから、自分の言葉に酔っているだけでしょう。もっと頭を使ってほしいです。 |
WAO様、毎度ありがとうございます。 普通の人は無理だよねと思うはずですよね! でも菅首相をはじめ、環境省も経産省も経団連も、多くの企業のえらいさんも、みんな温暖化ガス排出をゼロにすることに賛成しているんですよ。 馬鹿ですかね? まあそういう年寄りどもは2050年前に死に絶えるからあとは若い人に頼むといえば済むんでしょうか? お手上げです。 |