サービスの要求仕様

21.06.17

だいぶ前に習い事を例に挙げて、教えること・学ぶことで大事なのは、進捗のフィードバックと書いた。
でも考えればその前に、まず目的(objective・達成すべきこと)をはっきりさせる、いや更にその前に目的(purpose・実施する理由)をはっきりさせることであり、そしてフィードバックをかけるには変動の許容値や感度を明確にしておかなければならない。 当たり前といえば当たり前だが、現実にはそれがはっきりしていることは少ない。
本日はそんなことを書く。

もう9年も前になるが、嘱託をやめて浪人になると日々しなければならないことがなくなる。起きるのも寝るのも自由、出かけるのも出かけないのも自由。すると余生をいかに過ごすべきかと、しばし考えあぐねた。
でもまあ引退して1年も経てば日常生活もルーチン化して落ち着いて、やりたいことも具体化してくる。もちろん家事と近隣のクラブ程度では1週間24時間は埋まらないから、英会話でも習おうかと英会話スクール巡りをした。

高校を出てから退職するまでの45年間、英語なるものを勉強したことがない。会社の昇進試験でペーパー試験があり英語もあったが、英検2級合格していれば受けなくてよかったので英検試験を受けてかわした。
その後会社を変わり、定年直前に同僚とTOEIC競争をしたこともある。まあいずれも一過性でおしまい。英語は未だお手上げだ。

英会話を習うと決めても右も左もわからない。Google検索で近場の英会話スクールを探した。そしてカバとかロバとかカムバックとか5つくらい英会話教室を訪ねた。費用などの説明だけのところもあったが、お試しレッスンに参加させてもらえたところもあった。
海外旅行大好きおば様が多いところでは、旅行の際の出入国管理やホテルでの会話のロールプレイだった。内容としては私の希望に沿っていたが、みなさんカタカナ英語だったので止めた。

別の英会話教室では驚くべきことに、アメリカ人の教師が黒板を使い英語で節と句の違いを論じていた。生徒はそれを聞いて必死にノートしていた。英会話でなく英語で英文法を習っているのだ。オカシクネー?
結局、交通便利でお値段もまあまあというところに決めた。

契約する前に私が習う目的と到達レベルについて、英会話教室のオーナーと(英語で)話し合ったつもりだったが、通じなかったのか対応できないのか、期待したものとはいささか違った。まあ、それなりに楽しんで数年通った。上達したとは思えないが、楽しんだからまあよしとしよう。


スイミングスクールに入るときも、自分が期待することをコーチに話したが、通じなかったのか対応できないのか、 平泳ぎ そこでも私の希望は叶わなかった。
私は上手に泳ぐのを望んでいないし、オリンピックに出るつもりもない。私が水泳を習う目的は、まず全く泳げないので船が沈んだ時少し泳げたほうが助かる見込みがあるだろうということ、次に運動しないと老化が早いだろうこと、健康維持のために心肺機能を強化したいこと、そして切実なこととして夜眠れるようにということだった。それを話した。

どうでもいいこと: 私が船が沈んだとき云々というと、ありえないことを心配をするとはと周りの人に笑われた。だがその翌年セウォル号転覆沈没事故が起きた。めったに起きないとは必ず起きることでもある。
常在戦場、治に居て乱を忘れずである。いや単なる強迫観念かもしれない。

だから私の期待した泳ぎのレベルはホテルのプールでワイワイ遊べる程度でよい。あるいはビーチでバナナボートに乗っていて、ドライバーがふざけて
クマノミ
(というか毎度のことだが)ボートをゆすって水に落ちても真っ青になってタスケテーと叫ぶ代わりにコノヤローと砂浜まで数十メートル泳げれば完璧だ。
速く泳ぐことでもなく、かっこよく泳ぐことでもない。シュノーケルのマスクをつけてクマノミでも見られれば十分なのだ。

ところがコーチは手のかき、キックその他こまごましたことを厳しく教える。足先が揺れると失格だという(注1)そんなこと私にとってはどうでもいいことで、私の求めたこと、つまり要求仕様は全然伝わっていなかった。

私が泳げないといっても、子供のときは阿武隈川はきれいだったので、近所の子供たちと流れの緩い浅いところで遊んだ。当時平泳ぎというと首を出したまま泳いでいた。習い始めたときそれをしたら、コーチが「なもの平泳ぎじゃない、止めなさい」という。
私が子供の頃していた泳ぎは、ちゃんとしたプールでは恥ずかしいものなのかとそのとき思った。


それからだいぶ経って「シニアのための水泳トレーニング」という本を読んだ。その本の中で、平泳ぎといっても競技用の泳ぎだけでなく多様であること、年配者で手足の可動域が狭い人向けの泳ぎ方、洪水時や汚染された水で泳ぐ場合は顔を出したまま泳ぐべきことなど、コーチは生徒が水泳を習う目的や体力や泳ぐときの状況に合わせて教えることと記してある(注2)私はこれを読んでなるほどと思った。

それより前、別のフィットネスクラブで水泳を習ったとき、同じクラスに80過ぎの女性がいた。我々定年直後の面々は、1年もすれば呼吸もでき25m泳げるようになり卒業した。
しかしその女性はそこまでいかなかった。それでもコーチは手足の動きを完璧にできるようにとずっと同じことを練習させていた。

私はそれを見ていてかっこ悪くてもどうでも、自力で25mプールを泳ぎ切るような方法を教えたほうが、その女性は達成感も持てるだろうし、そのほうが良いのではないかと思った。彼女の願いは競技に出ることではなく、孫や彦たちとプールやビーチでワイワイと騒ぎたかったのではなかろうか?
結局そのおばあさんは2年間ひたすらバタ足だけしていたが、いつのまにかいなくなった。
彼女が2年間投じたお金はまったく意味がなかったことになる。いやお金より時間と努力がむなしくないか?


次の例を挙げる。
優秀な家庭教師とはどんな人か? と問われたらどう答えるだろう?
簡単だ。生徒と親御さんと話し合いして希望を把握し、それを実現できる人である。

優秀な子供をさらにレベルアップして東大や早慶に合格させる家庭教師だけが優秀なのではない。もちろん本人が優秀で東大に行きたいというなら、その実現を手助けできなければならない。
しかしアンポンタンだが、どこでもいいから大学に押し込みたいという依頼なら、それを実行できる家庭教師は優秀である。

私の知り合いに、落ちこぼれでどうしようもない中学生がいた。なんとかみんなについていけるようにしたいという親の要請を受け、目的を果たした家庭教師がいた。私は彼女を素晴らしいと思う。

そんなの当り前だ、依頼者の要求を把握せずに家庭教師ができるものかといわれそうだ。
家庭教師はみな顧客の願いを叶えるなら素晴らしい。水泳コーチと英会話の先生には少ないようだ。


製品の場合は仕様書があり、それらは専門語なり図面なりその分野の共通語で書かれていて、誤解が生じにくく完成時に問題が起きても仕様書との比較で決着付けることができる。

しかしサービスの場合はサービス特有の性質がある。サービスの特質は普通4つといわれ、@無形性、A同時性、B変動性、C消滅性である。
そして多くの場合、サービスの提供は具体的な仕様書にしないことが多い。文章で表現しにくいとか定量化できないこともあるだろう。

そんなわけで製品と違いサービスにおいては、提供後に要求仕様を言った・言わないという問題が起きやすい。あるいは客が泣き寝入りということになる。
まあ、正しく言えば製品およびサービスの契約前のレビュー不足という問題なのだろうけど。


英会話とスイミングスクールを例に挙げて、サービスの仕様についてなかなか意思伝達が難しいと書いた。
日頃提供を受けるサービスはこのほかたくさんある。

注:あとで誤解されるかもと気が付いたので追記した。
サービスとは無料で行う行為ではない。物品ではなく役務つまり労働を提供することです。弁護士、マッサージ、ISO認証機関、レストラン、ホテル、遊園地、そういうものがサービス業です。

おばQ
私はおばQを自称しているが、現実には毛が3本どころかまだ若干髪の毛がある。だから定期的に床屋に行く。 椅子に座るとどうするか聞かれるので希望をいうが、まあすぐに寝てしまうから作業完了時に想像していたのと違うことは結構多い。だが私はカッコを気にするような性格でもなく、どうせひと月後にまた床屋に行くわけで、多少希望したものと違ってもまったく気にしない。

とはいえ医者や歯医者の場合は安穏としてはいられない。
定期的に血圧の薬をもらうような場合は、医者から変わりないかと聞かれたら無問題と決まり文句を返して早いところ処方箋をもらえば済む。
注射 しかし怪我をしたとか痛みがあるときなどは、大丈夫だろうと思い込むわけにはいかない。医者に行って経過や症状を正しく細かく伝え、向こうの診たてをよく聞き、疑念があればクリアにしておきたい。
もし右目がおかしいというのを左目と勘違いされたら重大問題だ。
納得いかないときはセカンドオピニオンも考慮する。

家内は美人ではないが、いや美人でないからこそエステに通っている。たいした成果が出なくても本人が施術中、会話やマッサージの過程を楽しんでいるなら美人にならなくても無問題というか大いに結構なことだ。

家内の所属する卓球クラブではコーチを頼んで練習を受けている。卓球は愛ちゃんが活躍したからか佳純ちゃんが美人だからか、今シニアに大流行である。そしてコーチをしている人はものすごくいるようだ。公民館などの卓球クラブに、コーチの売り込みもあると聞く。
ところが結構問題もあるようだ。コーチによって教えることが違うとか、遅刻が多いとか問題があると、クラブで話し合いコーチを解約するのは結構あると聞く。

卓球 コーチに問題あればスパッと契約解除するのは、だらだらお金を払い続けるより良い判断だと思うが、それよりも契約時点で顧客要求を明示し、コーチ側がそれに対応できるかどうか確認するほうがもっと良いというか、あるべき姿だろう。
まあコーチの能力といっても国体で〇位だったことから腕前は分かる、しかし教え方がうまいとか活舌が良いか時間厳守かはわからない。

まとめれば指導者を選ぶには事前によく相手を見極めろという簡単なことではある。簡単なことではあるが、実行が結構難しい。なにしろ相手のあることだ。
どんな種類のコーチでも自信を持っていて……いや自信過剰であり……その道のプロであると自負している。そしてスポーツでも勉強でもレベルアップが目的、レベルアップすれば良いと思い込んでいるコーチは多い。
だから健康のために水泳を習うから、可動範囲が狭いなりに無理せずに泳げるように教えてください、皆に追いつけるように勉強を教えてくださいなんて言っても耳に入らない。

サービス精神とはウイキペディアによると、人を喜ばせようとする心、奉仕的態度、気持ちなんだそうだ。
だがそんな気持ちを持つ前に、お客さんの希望をしっかりと把握すること、それを実現することが己の仕事だと認識することが必要だ。
もちろん己の力より大きな仕事だと認識したなら、はっきりと客にお断りするのがサービス精神である。

そして往々にして、お客さんが口にしていることは、潜在意識が欲しがっているものと違うということだ。ISO規格にもあるが明示されていなくても真の要望の把握は重要だ。
水泳を習いたいといってもほんとの目的は、泳げるようになることでなく夜ぐっすり眠れることであったり、英会話を習うのは会話するためでなく洋画を字幕なしで観たいことなのか、卓球を習うのは卓球が上達したいのでなく自分自身へのチャレンジかもしれない。

もし事前の話し合いでコーチがそれに気づけば、スイミングでなく別の運動やダンスを推奨するかもしれない。洋画を観るのが目的なら、会話の練習よりも吹き替えなしの映画を徹底的に観るとかいろいろある。その結果、生徒を逃すかもしれないが相談料を取れば十分元は取れそうに思う。
もちろんコーチになるには、その仕事が得意であるだけでなく、相手を理解し教えることが上手でなければならない。これって会社で部下を持つ人の必須要件と同じだ。


うそ800 本日の反省

私はサービスを購入する場合には結構仕様を明示しているつもりだが、現実には不足だったようだ。相手が理解していないならコミュニケーション不足と言われてもしかたない。
そして要求仕様の伝達においては、顧客が供給者、サービス提供者が顧客(説明というサービスを受ける人)となるわけだ。

こちらの要望を聞いてくれないと文句を言うより、相手にしっかりと要望を伝え、理解したことを証文に残すくらいでないと目的を果たさない。
これからはもっとしっかり要求事項を示し、供給者がそれに応えられるか確認しなければならない。床屋に行って居眠りなんぞしていられない。

しかし考えるにつけ、ISO9001というのは供給者が顧客の期待に全力をもって応えるという状況が前提になっているように思う。
現実には供給者を変えることができないとか、売り手市場ということもある。ISO9001はそういうケースを全く想定していない。

つまりISO9001の世界は、顧客満足を実現しようとする意欲満々の供給者しかいないのだ。それじゃISO9001なんていらないのではないか?
供給者からみて顧客の地位が低くては顧客満足を実現することはありえないのか? そういうケースを考える必要がある。




注1
注2
「シニアのための水泳トレーニング」エドワード・J・シー、ベースボールマガジン社、1989、p.120



うそ800の目次に戻る