ISO第3世代 6.ISO規格を学ぶ

22.07.25

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。


ISO 3Gとは

磯原はISO認証には詳しくない。彼が入社したのは2001年、そのとき既に勤め先の工場はISO9001もISO14001も認証していた。
磯原です
磯原です
そして入社後は電気設備とエネルギー管理一筋の磯原がISO審査と関わるのはあまりなく、ISO9001では設備のメンテナンスとその従事者の力量、設備付属計測器の校正、ISO14001では省エネ活動程度であった。

現場巡回でも特高の受電設備とか変圧器などは、審査員は俗にいうスルー、見ても見えないようで素通りしたし、せいぜい見られるのは省エネ活動だけである。
書面審査でも関係する法令には、電気保安四法と呼ばれる電気事業法、電気工事士法、省エネ法などがあるし、電気関係でないが安衛法、消防法、建築基準法などが関わる。

注:特高とは昔日本にあった特別高等警察(今の公安)ではなく、20,000ボルト以上の電圧で受電する特別高圧のことで、大きな工場やビルが該当する。特高で電気を引くところは、当然使用する電力量も大きく年間の電気代が数億円以上になる。
特高までいかない中小工場や小規模ビルは、6,000Vで受電している。

だがISO審査で、それらの法律は口の端にも上らない。審査員の頭に浮かぶのは省エネ法だけといってもいい。しかも省エネ法の細かいところまでは見ない。電気設備だって設置場所の状況とか照明などは安衛法も関わるのだが…そういうことを質問されたこともない。
自家発もあるのだが、その騒音や排ガスに関する質問をされたこともなかった。まして申請や届け出の書類を見たいといわれたこともない。
ということで磯原は今までISO認証をまともに考えたことがなかった。

注:「自家発」とは「自家発電」の略で、電気の消費者が発電設備を用いて自ら発電を行うこと。工場の屋根に太陽光パネルを載せているのもそうだし、契約している電力量を超えると電気料が高いので、ピーク時間帯だけをディーゼルの自家発で補う工場は多い。
東日本大震災直後は企業に厳しい電力規制が敷かれ、あわてて自家発を設置したところは多い。とはいえ今はどこも設備を撤去したのではなかろうか?

そんな磯原だから、山内参与から工場と認証機関に審査に注文を付けるレターを書けと言われたが、サッサと進むはずはない。
できればISO認証を担当している人に基礎から教えてもらい、段々と高みに進みたいが、悲しいことにISO14001の担当はなんと自分自身である。本社に来るまでISO規格にも審査にも縁がなかったので、大いに不安である。とはいえ、他人にできることなら自分にだってできるだろうと、自分に言い聞かせる。

磯原は歩いて10分もかからない丸の内オアゾの丸善に行って、ISO規格の本を数冊買う。ISO14001対訳本が4,100円、ISO17021の規格票が4,000円とは驚きである。規格票は1ページ60円くらいにつく。べらぼうだ! ともかくそれらをひたすら読んだ。ついでにJAB(日本適合性認定協会)のウェブからJAB基準類をプリントして簡易製本して、毎日総武線の車内で読んでいる。
ISO規格は、法律のように下位文書とか引用規定が多くないので読むのは簡単だ。普通の法律だと、施行令、省規則、関連法規などを引用しており、それらを参照するために机上に引用文書の山ができる。


数日かけて読んで分かったことはいくつかある。つまりISOMS規格は要求事項であり、「しなければならない(shall)」とあるフレーズは必須であること、そして文字解釈が基本であること。
また関係代名詞や関係副詞で修飾する文言が重なるものはあるが、文は長くはなく、挿入句/節を示すカッコが10個も重なるものもない。まあ法律を読み慣れていれば初級クラスだ。磯原は電気事業法とか省エネ法関係で、役所への届とか申請などたびたびしているので、法律は苦にならなかった。

ISO規格の文は、関係代名詞/関係副詞/接続詞でつながっていて長いように思うかもしれない。そういう人は日本の法律を読むと、ISO規格の文は短く単純だと感じるだろう。
まず一文の長さが違う。法律では一つの文が200から300文字くらいは普通だ。今、廃棄物処理法をランダムに1文の文字数を数えたら、500文字というのがあった。一つの文が原稿用紙収まらない。探せばもっと長い文もあるだろう。
ちなみにこのコンテンツで最長の文はほぼ100文字前後、多くは50〜60文字である。

だがISO規格の文章は曖昧さがないかとなると大いに疑問符が付く。ただそれが和訳のせいなのか、元々なのかは分からない。
その点、日本の法律はじっくりと読めば理解できる。日本の官僚の作文能力が高いことは間違いない。もっとも法律の多くは簡明だが、基本法となるとわけわからんものもある。

転勤前に勤務していた工場ではISO審査結果という書面が審査後に回覧されていたが、拡大解釈どころか審査員オリジナルのユニークな要求事項もあったし、それ以前に何度読んでも訳がわからない日本語として支離滅裂なものもあった。
審査が終わると磯原はいつも工場のISO担当者が、審査員の顔を立てなおかつ工場を悪くしないための是正処置を創作するのに四苦八苦しているのを脇で見ていた。
とはいえISO9001が2006年末に、ISO14001が2009年初めに減少に移ってからは、いちゃもんのような不適合はなくなったよと笑っていた。

もっとも今、磯原が命じられたのは、その傾向に逆行するような、工場をISO規格通り厳格に審査してほしいという要請である。
金を払って審査してもらうのだから、甘々の審査が好ましいわけではない。規格以外の要求は願い下げだが、規格通りの厳しい審査を望みたい。


ISO17021を読んでいて引っかかるところがあった。

ISO17021-1:2015(JIAQ17021:2015)
4.4責任
4.4.1 認証の要求事項への適合の責任を持つのは、認証機関ではなく、依頼組織である。
4.4.2 認証機関は、認証の決定の根拠となる、十分な客観的証拠を評価する責任を持つ。認証機関は、審査の結果に基づいて、適合の十分な証拠がある場合には認証の授与を決定し、又は、十分な証拠がない場合には認証を授与しない決定をする。

注:このお話は2016年であるから、このとき有効なISO17021は2015年版である。

磯原は何度読んでも納得できなかったので、生産技術部の文書担当の人に聞きに行く。本社は専門家がそろっているから便利ではある。もちろん自分もこれから省エネの専門家、更にISO認証の専門家にならないと、座る椅子がなくなることになる。

小山内さん 社内規格の登録やJIS/ISO規格の解釈などをしているのは、小山内おさないさんという50代後半の小柄で静かな方だった。

磯原 「福島工場から転勤してきた磯原と申します。向こうでは電気の主任技術者を担当していました。こちらでは省エネ、今は現実的に電気が9割ですので電気の省エネ推進です。
その他にこちらに来てからISO認証の指導を命じられました」

小山内さん 「わしは省エネは知らんが、ISOはもう25年も関わってきたよ」

磯原 「ええ!それは良かった。私は直接ISOを担当したこともなく、審査で対応したこともあまりないんです」

小山内さん 「ISO9001が登場した頃は、なぜか文書管理とか記録の管理、設計プロセスなどが重点的に調べられた記憶がある。当時工場で文書管理担当だった私が審査ではメインの応対者だった。そのせいかどうか、ISO認証して良くなったのは文書管理だけなんて言われたもんだ」

磯原 「本日お聞きしたいことはISO規格というか審査の規格JISQ17021にわからないことがあるのです。まず4.4項を読んでください。私が理解できなかったことを教えてほしいのです。
 ・
 ・
 ・
4.4.1で語っているのは、審査で適合を証明するのは組織、つまり工場側ということですね?」

小山内さん 「そうじゃないよ。工場は規格適合にしなさいということだ。それに悪魔の証明という言葉があるが、ないことを証明することはできない」

磯原 「すみません、全然わかりません」

小山内さん 「審査は裁判と同じようだが違うところもあるだ。例えば裁判は検事と弁護側と裁判官の三すくみになっているが、審査は検事と裁判官が兼務というか、正確に言えば裁判官はいない」
刑事裁判ISO審査

磯原 「裁判官がいない? 私は工場で何度かISO審査に陪席していましたが、適合・不適合を審査員が決定していましたよ。審査員は裁判官ではないのですか?」

小山内さん 「そう見えただけで、実際は違う。いや実際はどうか分からんが制度的には違う。所見報告書にも書いてあるはずだが『この審査結果を判定委員会とか認証機関の経営層に報告する』あるいは『認証継続を推薦する』だったかもしれないが、そういう文言があるはずだ」

磯原 「はあ? それはどういう意味でしょうか?」

小山内さん 「審査結果の適合/不適合の最終決定は、審査員でなく認証機関がするということだ。判断するのが個人なのか会議体なのかはいろいろだろう」

磯原 「ああ、そういうことですか。それではですね……」

小山内さん 「そう急ぐな。まだわしの話は始まってもいないのだから……わしが審査は裁判官がいないといったところで君が質問したから横道にそれた。
本論に戻ると、まず裁判官は被告と原告あるいは被告人と検事の誰を裁くのかね?」

磯原 「刑事裁判なら被告人、民事裁判なら被告でしょうか?」

注:「被告」とは私人間しじんかんの争いで民事裁判に訴えられた人のことで、「被告人」とは犯罪をしたとして刑事裁判で起訴された人を指す。なお民事訴訟ではどちらが原告になるかを、双方が話し合いで決めることもある。
間違っても民事の被告を被告人と呼んではいけません。

小山内さん 「全く違う。裁判とは訴えた人を裁く。ああ、ここで裁くとは、罪を科すということではなく、訴えた人の主張が正しいか否かを判定することだ。
裁判官は、民事なら原告、刑事なら検事の主張が正しいか否かを決める」

磯原 「おっしゃることが分かりません」

小山内さん 「訴えた原告や検事は、自分の主張が正しいと考えて訴えているわけだ。裁判官は原告や検事が提示した証拠がその主張を裏付けるか否かを判定する。もしその証拠が有効でなければ主張したほうが負けだ。被告の勝訴となり、被告人なら無罪になる。それを推定無罪と呼ぶ」

磯原 「はあ〜?」

小山内さん 「だって考えてみてよ。原告や検事は、法や約束に反していると訴えているわけだ。当然その根拠も証拠もあるはずだ。なければ裁判にならないからね」

磯原 「ISO審査ではどういうことになりますか?
審査員を検事とすると、被告である認証を受けている組織に、規格通りでないところがあると主張するわけですね。もっとも裁判と違うのは、必ずしも不適合があるわけではないということか?
もし不適合があれば、その証拠・根拠を必要とすることになる……」

小山内さん 「審査員は審査員研修でたぶん習うはずだ。不適合にするには証拠、根拠を明確にしなければならない。これはISO審査に限らず物事の争いで白黒つけるときの必須要件だ。
ISO17021にだってあるはずだ……ほら、ここに
『不適合の所見は、特定の要求事項に対して記録しなければならない。また、不適合の根拠となった客観的証拠を詳細に特定する、不適合の明確な記述を含めなければならない。』(注1)
白黒つけるというけれど、まず白なら良い・黒ならダメという決まりがなければならない。それを罪刑法定主義という。ISO審査では規格のshallだね。
現代はインターネットを始めとして新しい発明とか技術がどんどん現れて、従来の法律では網羅していないものもある。そういうのは新法を作らないと対処しようがない。誰もが悪いことと思っても、現時点 法律がなければ犯罪ではない。そして法律は制定前に行われた犯罪を裁くことはできない(注2)
必要なのは根拠だ。法律でもISO規格でも「良い・悪い」の基準を決めておかないと争いになっても決めようがない」

打ち首獄門じゃあ 注:時代劇は町奉行や同心の捕物帳が多い。テレビドラマの町奉行の御白州の判決は奉行の胸先三寸のようだが、現実には犯罪に見合った刑罰は定められており、かつ死刑判決などは奉行が出せるものではなかった。奉行が裁定できるのは微罪に限られており、遠島や死罪の決定は老中や将軍の決裁が必要で、ドラマの終わり5分前に、奉行が片肌脱いで「打ち首獄門に処す」なんていうのは嘘八百である。奉行が最終審でないということは、いわば二審三審があるともいえる(注3)

磯原 「あ〜、なるほど、」

小山内さん 「それから当然 証拠が必要だ。犯人と立証するには、法で犯罪と定める行為をしたことを裏付ける証拠、つまり凶器とか指紋とか目撃者の証言などが必要だ」

磯原 「そうなると……ISO審査で不適合にするには『ISO規格のどの項目では○○をするとあるが、それを実行した証拠の提示がなかった』とするわけですね」

注:この記述はむずかしい。『していない』とか『証拠がない』と記述するのは、逆に悪魔の証明になってしまう。だが審査では証拠を見ていないことは事実なのだから、素直に『証拠の提示がなかった』と書くしかない。

小山内さん 「簡単に言えばそうだ。審査報告書あるいは所見報告というのかな、そこに不適合の証拠・根拠が記されてなければ審査報告書が不適合となる」

磯原 「審査報告書が不適合って……そんなことはISO14001やISO9001には書いてありません」

小山内さん 「何を言っているんだ、ISO17021があるじゃないか。その表題はなんて書いてある?」

磯原『適合性評価、マネジメントシステムの審査及び認証を行う機関に対する要求事項』とあります。でもこの規格に基づいて審査をすると定めてありますか?」

小山内さん 「君は見たことがないかもしれないが、認証機関にISO審査を依頼するときの契約書には、ISO17021に基づいてISOMS規格の適合審査をすると書いてあるはずだ。もしくはそれを認定機関が書き直した認定機関が定めた文書が引用されている」

コーヒーコーヒー

磯原 「なるほど、審査は裁判ではないけど制度的には裁判に倣っているわけですね」

小山内さん 「君は耳が付いているのか? 裁判とは違うよ。裁判は三すくみだが、君は審査では裁判官と検事が一緒だって言っただろう」

磯原 「ああ、そうでした」

小山内さん 「次に進むが、裁判で有罪にするには証拠と根拠がなければならない。ここまでは良いね」

磯原 「理解しました」

小山内さん 「すると証拠と根拠は訴えるほう、つまり原告とか検事が用意することになる。当たり前だ、そうでなければ訴えるバカはいない。逆に自分が訴えられたとき、自分の犯行の根拠とか証拠を用意する被告人はいない」

磯原 「でも違法でない根拠とか証拠を用意することはできますよ」

小山内さん 「考えてみたまえ、なにものかが存在することは証明できても、存在しないことは証明できない。悪魔の証明だ」

磯原 「あっ分かりました。訴えられたほうは相手の主張を否定するのですね。当然訴えるほうは反論を跳ね返せるしっかりした根拠と証拠を用意しなければならない」

小山内さん 「その通りだ。それは論理的にそうなるのだが、わざわざISO17021に書いてあっただろう。ええと……
『不適合の所見は、審査基準の特定の要求事項に対して記録し、不適合の明確な記述を含め、不適合の根拠となった客観的証拠を詳細に明示しなければならない』
この文章には主語がないが、その上のレベルの文章の主語は「審査チーム」だから、当前その下位にある実施事項を行う主体は審査チームと解される。
よって、不適合を提示する責任は審査員にある。なお特定とはidentifyの訳だから、曖昧ではなく客観的に識別できるという意味だ。誰もが何物か、どういう状況かが分かるようにね。だれもがこれだと分かるようにしなければ『特定されていない』ことになる」

磯原 「不適合を提示するのも大変ですね。」

絞首刑の縄 小山内さん 「そりゃそうだろう、相手を有罪にしようとするならその覚悟が必要だ。古代ギリシアでは告訴するときは、自分の首に縄をかけて行ったという。もし相手が有罪なら向こうが吊るされ、無罪なら自分が吊るされるわけだ。
言うだろう、殺していいのは殺される覚悟のある奴だけだってね」

磯原 「レイモンド・チャンドラーですね、もっとも元々のセリフは『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』らしいです(注4)

小山内さん 「オイオイ、君は脱線しやすい男だな。
でもって、君の知りたかった審査で適合を証明するのは組織つまり工場側なのかの疑問への回答は、そうではなく審査員だ。まあわしの25年の経験では、自分が有罪判決を受ける覚悟がある審査員などに出会ったことはないがね」

磯原 「そうすると、前半の『認証の要求事項への適合の責任を持つのは、認証機関ではなく、依頼組織である』とはどういう意味でしょうか?」

小山内さん 「そりゃ当たり前だろう。組織が要求に対応するようにするのは組織の仕事だ。そして審査員に、どうぞご覧くださいっていうわけだよ。
でも見せるだけでいい。わざわざこの要求事項にはこの証拠が対応しますなんて説明することはない。そもそもそれは悪魔の証明なわけだ。
そして審査員は、その組織が適合になるように指導する責任はないということだ」

磯原 「分かりました。組織側が適合を証明しようとしても、それは理屈から言ってできないのですね。
でも現実は、不適合を出されると、それが不適合でないことを説明するのに四苦八苦ですよ」

小山内さん 「そこが裁判と大違いのところだな。裁判なら、中立の裁判官がいるから、検事側の論理がおかしければ、その時点で無罪となる。無罪といっても被告人が犯人ではないということではない。犯人だとするには証拠不十分ということだ。
もちろんISO審査でも、被告側というか企業側としては、審査員が提示した不適合の根拠あるいは証拠を否定すればよいわけだ。もちろん客観的にね。
根拠・証拠の正当性の議論が紛糾するのはそもそもおかしい。それは証拠が客観的でないからだろう。
もっともそうなったなら、審査側は所見報告書に同意しなければよい。そこも裁判と違う。つまり所見報告書作成には双方の合意がいるのだ。
審査員は依頼者と審査結果について合意を得るとある(注5)そこは裁判と大違いだ。まさか検事なり被告人なりが、判決に納得できないときは判決が無効になるなんてことはないからね」

証拠根拠をそろえて有罪と主張する立場で反論を受けたとき、冷静に判断できるとは限らないし、そもそも自分が考えた論理を否定する側から考える発想が起きないのではないだろうか。 ハテナ
ということは、審査において裁判官役が存在しないで客観的かつ公平な結論が出るはずがないと思うのは私だけか?
正直言ってここ10年間、審査でのトラブルも減少し、また不適合も激減したと聞いている。だが所見報告において不適合が論理的に記述されるようになったとは聞いたことがない。そのへんの実態を知りたい。

磯原 「えっ、そんなことできるのですか?」

小山内さん 「だって工場側が不適合に納得できないならサインはできないだろう。
それに規格で定めるとおりに不適合を説明できない審査員なら、審査開始後であっても企業側は受け入れることはできないから、お引き取り願うのが最善だろう」

磯原 「それは現実離れしたご意見ですが……」

小山内さん 「ISO審査は官による検定や許認可ではない。純粋なビジネスだ。まして審査基準は明確で、どの認証機関も同じ審査基準であるはずだ。
不適合の証拠・根拠を明確にしていない所見報告書なら、品質不良で受け入れを拒否しなければならない。おかしな不適合を受け入れることは、背任かどうかは微妙だが、怠慢であることは間違いなく懲戒されてもおかしくない」

磯原 「小山内さん、お聞きしたかったことはもう完全に理解しました。別件でお聞きしたことがあります。答えはないかもしれませんが、ご意見をください」

小山内さん 「なんだろう?」

磯原 「当社ではISO9001もISO14001も工場単位で認証しています」

小山内さん 「そうなっているね。まあ元々が顧客から認証を求められたという歴史から、そうなるのは不思議ではない。だって求められていないのに、わざわざ大金をかけて認証受けるのは無駄そのものだ」

磯原 「それでISO審査で工場が見せる資料が、全社的な品質計画とか環境計画と違うこと、そしてISO用の資料が外部に流れることがおきています」

小山内さん 「本社報告は全社の計画に合わせて、ISO審査はISO用というわけか」

磯原 「まあ、そうですね。そうなるのは理由があります。
省エネを例に挙げると、まず全社の計画は、本社が各工場の現状調査を行い取りまとめて、社内全事業所と省エネ法でいう企業グループとして省エネを進めることにした関連会社に割り振ります。もちろん本社が無茶を言うわけではありません。むしろ法の基準を達成できない工場や関連会社の分を、省エネ投資した工場で負担するように調整しているわけです」

小山内さん 「その先はわかった。ISO審査では自分のところがよく見えるように作った資料を見せているということだろう」

磯原 「それもありますが、その逆もあります。例えば今年省エネ投資をした工場は、その年は大きく省エネがなされます。でもその後数年は投資できませんから、その間は削減が非常に少なくなります。それで今年の削減を実際の3分の1くらいに減らして、来年・再来年に繰り越すわけです。
実は私自身も工場で省エネの担当で、似たようなことはしていました」

小山内さん 「よくある話だ」

磯原 「たまたまそういう数字が外に漏れて報道されて、本社の公表しているものとの齟齬が問題になりました」

小山内さん 「それもよくある話だ」

磯原 「それで今、山内参与から指示されたのは、工場に二重帳簿を止めさせること、認証機関に対して、本社の計画が展開されていることを工場の審査でチェックすることを要請せよということなのです」

小山内さん 「そりゃ良いことだね」

磯原 「しかし工場単体でISO認証しているということは、本社と認証機関は契約関係がありません。それで認証機関に工場を審査するときの方法に口を挟めるか疑問があります。
私は、本社は工場の上位組織だから、本社の命は工場から見て法規制と同様に無条件に従う必要があることと、その理屈で認証機関に本社が望む点検を要請できると考えてます。
それでよろしいでしょうか?」

小山内さん 「そんなことどうでもいいのではないか。当社は品質を良くし、省エネを推進するってことは当たり前のことだ。ISO認証が工場単位であることも悪いことじゃない。もし何なら本社と工場と認証機関でISO審査プラスアルファの契約をしてもよいだろうし、イヤイヤそんなことしないで現状のままで認証機関にしっかりした審査をしないと工場に認証機関を変えるよと通知したら良い。
もし本社が依頼したことを拒否して後々認証を与えた工場で問題が起きたら、認証機関も不名誉なことで名前も出るだろうし、それ以降認証機関が替えられることを想定するだろう」

磯原 「ええ! 圧力をかけることはまずいのでは? 独禁法などに抵触しませんか?」

小山内さん 「何を驚く、例えば今は各工場がそれぞれ独自に部品や材料の調達先や廃棄物処理の委託先を決めて取引している。もし本社が工場の取引先に倒産のおそれとか、品質問題を起こしたとか、法違反しているなどの情報をつかんだときは、全社に取引を中止し調達先を切り替えろと指示することは当たり前だ。実際そういうことはときどきある。
認証機関だって業者の一つに過ぎない。だから品質が悪いから別の業者に切り替えろという命令を出すのは、本社として当然の行為だ」

磯原 「なるほど、そう言えばそうですよね」


うそ800 本日の願い

悪い業者は転注てんちゅうしよう、いえ天誅てんちゅうではありませんよ。
本当は天誅を下したい、あの…ピー(以下放送禁止)

注:転注とは取引業者を変えること、天誅とは天に代わって悪を懲らしめること。

どうでもいいことですが、小山内さんという方は1990年代初め、私が品質保証に異動して全く知らない仕事で四苦八苦していたのを見て、文書管理を基礎から教えてくれた師匠であります。お世話になりました。
私より七つ八つ年上で、今は某リゾートのマンションで優雅に暮らしているとの噂です。


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注1
ISO17021-1:2015
9.4.5.3 不適合の所見は、特定の要求事項に対して記録しなければならない。また、不適合の根拠となった客観的証拠を詳細に特定する、不適合の明確な記述を含めなければならない。不適合については証拠が正確で、その不適合が理解できるものであることを確実にするために、依頼者と協議しなければならない。ただし、審査員は、不適合の原因又はその解決法を提案することは控えなければならない。


注2
憲法39条「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。」
この決まりは普遍的なものであり、事後法の禁止とか遡及法の禁止と呼ばれる。
もっとも韓国においては、事後法は多数ある。主に国民感情を基に制定されたものが多い。
日本においても被告人に有利なものは遡及法が存在する。尊属殺人は従来は死刑または無期であったが、1995年刑法改正で通常の殺人となった。これはその時点で起訴されている被告人すべてに適用された。

注3
江戸時代の裁判の参考資料
・「江戸の訴訟」、高橋敏、岩波新書、1996/11/20
・「江戸村方騒動顛末記」、高橋敏、ちくま新書、2001/10
Wikipedia死罪
日本における死刑囚
江戸時代における裁判制度の実際の姿とは− お裁きの真実を追究

注4
レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説「長いお別れ」に出てくる私立探偵フィリップ・マーロウの「Take my tip-don't shoot it at people, unless you get to be a better shot. Remember?」がオリジンらしい。それがいろいろな映画やアニメに広まったそうだ。
直訳すると「お前が撃たれるのをよしとしなけりゃ人を撃つな」ですかね?
ピストル 最近流行りのダブルカラム18連発のオートマチックと、フィリップ・マーロウ時代の6連発のリボルバーとは一発の重みが違う。チャンドラーは別の本で「3発も撃ったら戦争だ」というセリフを書いていた。ギャングとか警官は発砲しても1発2発が普通だったのだろう。
現在の映画ではダブルカラムのオートマチックで何十発も撃ち合う。相手を倒すことではなく、発砲そのものが目的化したのではないか?
「ダーティハリー」でイーストウッドが「6発撃ったか5発か。数えるのを忘れちまった」というセリフは、6連発だからこそ粋でかっこいい。18連発だったらダサイ。
ちなみにダブルカラム流行は1980年以降、1971年のダーティハリーは歴史になってしまった。

注5
ISO17021-1:2015
9.4.5.4 審査チームリーダーは、審査証拠又は審査所見に関して、審査チームと依頼者との間のいかなる意見の相違も解決を試み、未解決の問題点は記録しなければならない。





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