閑中愚考

22.02.13

青天の霹靂というほどではないが、先々週末に体調を壊し先週1週間ずっと寝込んだ。喉痛く、体中の関節が痛んだが、体温は平熱だったからコロナではなかったのだろう。年寄りとは言いたくないが満72歳、今年73になる。若くはない。

少し前に日本人男性の健康寿命が72歳とはおかしいだろうと書いた。
日本では不健康とは「要介護2以上」と定義されている。つまり『健康』とは要介護1以下のこと、ということは「歩行が不安定で、食事や排せつなどの生活動作に部分的な介助が必要な状態」でも『健康』なのだ。

だがちょっと周りを見回してみれば、72歳の人の半数が食事や排せつなどで部分的な介助が必要だろうか?
私自身を含め、フィットネスクラブの仲間、今も付き合いのある元同僚、老人クラブの仲間たちを見れば、 老人 72歳で歩行が不安定で食事や排せつの介助が必要な人はいない。ならば健康寿命は72歳どころか、もっと高齢だと思うのは当然だ……
とはいえ、健康でない人がフィットネスクラブに来るわけがなく、寝たきりにならずとも出歩くのがおっくうになれば花見や昼食会に誘っても出てこないようになる。つまり人と会う、遊ぶ、出かけるという人は、既に健康なのだ。
フィットネスクラブは健康になるためではなく健康だから行くという冗談があるが、それは真実なのだろう。

となると今年73歳になる私が、健康から不健康に切り替わっても、何らおかしくないということになる。これは……恐ろしいことだ。
そう言えば、72歳になってからろくなことがない。去年は年明けから飛蚊症、肉離れ、ギックリ腰、もう水泳どころでなかった。
いや、一般論として年を取れば老化してくるというだけで、フリップフロップとか損益分岐点のようにある一点で性質が大きく変化するわけではないのだろう。また余計なことを語ってフラグを立ててしまったというわけでもあるまい。


寝込んでしまった 寝込んでいると悶々といろいろ考えが浮かぶが、そんな中で無駄とか余裕とか節約とかが頭に浮かび、それら妄想をつなぐというかまとめたというか、そんなことを書く

21世紀の今、世界では地球温暖化教が世界三大宗教より上位のようで、これに逆らうと温暖化地獄に落ちると山本良一教祖は語っている(注1)
本当にそうかはわからない。わからないから宗教である。じゃあ無視してもよいのかとなると、鳥居が書いてあると小便できないのと同じで、祟りが怖い。
とはいえ触らぬ神に祟りなしなら納得できるが、温暖化教は避けることを許さず、従わぬものは剣を取って戦えというイスラム以上に非妥協的、排他的、好戦的な宗教なので難儀である。

日本政府も温暖化教に洗脳されもう地獄一直線だ。温暖化教を信じないと温暖化地獄に落ちて、洗脳されると地獄一直線というのも変な話だが、温暖化教の聖書(IPCC報告書)の終末は地獄一択で、救いがないらしい。
じゃあ信じても地獄 信じなくても地獄なら、信じない自由があってもよさそうだが、なぜか世界中で信じないものや温暖化に疑念を持つものを魔女狩りしているのも気に入らない。

ぐれた女の子 そして神の声を聴いたらしい女の子が語るのをありがたく拝聴するってのが流行のようだが、私は死んでもそんなの嫌だね。

他を害しない限り個人は自由であるはずだ。私はあなたのために生きているのではなく、自分自身のために生きている。
ジャンヌダルクは「掛替えの無い人生、それが人間の持つ全てだ。それを信じて、私は生きていき、私は死んでいく」と語ったが、現代のジャンヌダルクはご自身の生き方を正当化するが、他人の生き方を認めない。それじゃ単なるジャイアニズムだよ、


そしてそれは遠い異国のことではない。身近な問題であり、価値観であり、日々の暮らしに直結するから困る。
省エネだあ! ポリ袋廃止! 車に乗るな、なんだか私権制限ばかりで憲法違反のように思える。
おっと憲法が認める私権は「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ(憲法12条)」とある。この憲法の条文もおかしいよね。公共の福祉のために私権はあるのか? 個人の生命、財産と自由のためにこそ私権は尊重されるのではないのか?

そういえば、このウェブサイトには憲法コーナーもありました。とはいえ、もう何年も書いていません。かわいそうです……

今日はトチ狂っているのではないかとおっしゃるか? まだ頭が回復していないのです。
体系的に考えるほど調子が出てませんので、思いつくままに行きます。


バイク 省エネの時代だから不要不急のドライブは止めましょう、そんなことを聞きます。
俺はドライブが生きがいだ。俺は走らないと死んじまうオートバイ小僧なんだ。そういう人がいてもおかしくないし、そういう人の存在を許容できる世の中でないとおかしいと思う。


蛍光灯をLEDにしろという声を聴く。LEDの光が嫌いだなんて人がいると、覚せい剤を止められない意志の弱い人と思うようだ。蛍光灯を使っている人は覚せい剤レベルなんだろうけど、 蛍光灯電球 白熱電球なんて見ると、もうヘロインかコカインを見つけたようなもんだ。
そして犯罪を止めさせよう、薬物依存症から救おうと、LED教に改宗させようと折伏するんだよね。
余計なお世話だ。
彼らはLED警察あるいは蛍光灯取締官と呼ばれる(ウソ)。


某大手企業の環境部門にいた私は、ISO審査員、他社の同業者、環境学科の大学生・院生などとお会いすることが多かったが、そういう人たちにもいろいろなパターンがある。
環境命かんきょういのちというタイプは4分の1くらいかな。彼らの頭の中には、それは美しいお花畑があり、生物と環境が調和した美しい生態系が存在しているようだった。そして奴らはさまざまな環境活動を実践していた。
植林やゴミ拾い、希少生物保護活動への参加。家庭でも電力量計付きのテーブルタップを使って個々の家電の消費電力を測定し、いかに削減するかを研究する。自宅から出る家庭ごみの内容分析と削減計画の推進、いやはや頭が下がる、その熱意には

何事も分析……つまり細かく分けて調べることは大事だ。とはいえインプットとアウトプットを把握してプロセスを推定することで間に合うこともある。家庭の電気使用量が大物家電数個で過半を占めるなら、それ以外はその他大勢ですませてもおかしくない。ABC管理だよ、兄貴!
わざわざ植林を手伝いにゴビ砂漠や東南アジアのマングローブに行くまでもなく、エアコンをかけない縁側で昼寝した方がエコですよ。

グレタのように環境保護を主張するためにソーラーヨットで大西洋横断するより、自宅でごろ寝していたほうが環境保護に役立つとは思わないか?
私の知り合いが中国西部まで行って植林に参加したが、それより何もしなかった私の方が環境保護に貢献したと確信する。

もちろん環境に関するお仕事とか学問をしていても、それが好きだ、命を懸ける、世界を救うなんて思っていない人も半分はいる。私もそうだ。
別に環境を破壊したいとか、子孫のことなどどうでもいいということではない。冷静に費用対効果を天ピンにかけているといってもいい。まともな人なら自分ができることとその影響はわかっちゃいますよ。いやそういう人をまともという。

理想とか原風景と思っているものが、本当に理想なのか、原風景なのか裏取りもしないとわからない。今ある風景や仕組みは、必然性があって存在しているということを忘れてはいけない。それに理想を追求して人間が生きていけなくなるなら、主客転倒だ。
もともと本来の生態系でない樹木を植えてもしょうがない。砂漠を緑化することで、気候とか水のバランスがどう変わるのか? いやいや、考えるまでもなくそれは砂漠という環境の破壊だ。

それほど大規模でなくても、ここ30年ほど里山保全が大流行だ。
里山って昔からあったのか?里山保全するといかなるメリットがあるのか?
常に人が維持管理しないとならないなら、それは本来の自然ではないよね?
里山っていつの時代から存在していたのかご存じでしょうか? 数千年? 数百年? ご冗談を! 数十年ですよ。江戸時代には里山という言葉がなかったそうです。

羽衣伝説があるから、神代の時代から日本の海岸は白砂青松だったのか?
日本に白砂青松に呼ばれる海岸林が作られたのは17世紀(江戸時代中期)以降だという。それまでは木があれば切って燃やし、切り開いて田畑にするのが当然だった。なぜそういう価値観が変わったのか? 必要に迫られたからだろうね。見た目が良いという理由ではなさそうだ。
過去はともかく20世紀に白砂青松が消えたのはダムのせいだ(注2)というかもしれない。それもあるだろう。だがダムがないと電気が作れない。それはどうする?
白砂青松が誕生したのも消えたのも理由があってのこと。すべて原因があって結果があるのだ。

雨のときは演奏するな
雨の日と夜は演奏できません
電気自動車が素晴らしいと語る人は電力事情を知らないのか、知っているけどお金のためなのか?
電気自動車を走らせるには法律を作らなければならない。それは「電気自動車を売る会社はその動力となる発電所も作ること」
当然だよね。もとからの電力会社が車用の電気まで作るには発電所が足りない。

反原発運動する人に反対しないけど、ならば代替えエネルギーを示すとか、エネルギーを使わない暮らしをしろと言いたい。
坂本龍一が太陽光パネルの前で楽器演奏して、電気はきれいなエネルギーなんてホラ吹いているのを見ると、お尻を蹴飛ばしたい。


2020年秋、買い物の際にお店でもらえるレジ袋が有償になった。あれから1年半、変わったのは何でしょう?
2021年秋に複数のマスコミなどが、レジ袋有償化でプラごみが減ったのかどうかという調査をした。それによると
「プラごみが減ったかどうかは直接把握できない。レジ袋不要客が25%から75%に増えたことは間違いない。しかし家庭ゴミを出すためにポリ袋を購入する人が増加して、真にポリ袋の使用量が減ったかどうか分からない」
という結論だった。

レジ袋を作る量が減ったかどうか、政府統計に出てこないのか?
レジ袋という統計はないようで、レジ袋生産数の推移はわからないようだ。

某行政のウェブサイトを見たら、
レジ袋を1枚作るには石油20mL消費し。年間300億枚消費していたから
  300億×20mL=60万kL
の石油が使われているとある。なお今でも当時多くの自治体が出した広報には、レジ袋を作るための原油量が書いてあって今でもネットに見つかる。その数字が自治体によって5割くらい違うという不思議?
日本の年間輸入量は昔2億5000万kLと言われたが、2000年以降ドンドン減って、2010年以降2億kLを切るようになった。
となるとレジ袋が重量に占める割合は、
  60万÷2億=0.003……0.3%
輸入原油の0.3%がレジ袋になっていることになる。小さくないと言えば小さくないが、家庭で使う電気代に占めるスマホの充電費と似たようなものと思えばどうだろう?
気にするほどではないと言い切れる。

ちょっと待てよ、我が家では元々レジ袋をいろいろ活用していた……ゴミの袋、フィットネスクラブで汗をかいたウェアを入れて持ち帰る、非常用備品を小分けして保管とか……タダでもらえなくなってから100円ショップでポリ袋を買ってきて使っている。 ゴミ出し サイズによるが100円で40枚とか50枚買えるものを、お店で3円とか5円とるのはどうなんだ!
環境省とお店が結託して利ザヤを稼いでいるのか?
客観的に見れば、儲けた(費用削減)のは流通業界ということなんだろうか?
だが現場で客の気分を害したことも多いだろうし、一番の黒幕は環境省だな。
昔、ゴミ出しはレジ袋というのが定番だった。それが自治体指定のポリ袋でないと回収しないとなった。それで各家庭ではわざわざ自治体名が印刷されたゴミ袋を購入してゴミに出し、レジ袋を捨てるにもわざわざゴミ袋に入れて出すという、非論理的なことをした。
今まさにそれが繰り返されているといっても過言ではない。これは自治体の陰謀なのか?

私も有償化になった当初は、エコバッグを持ち歩くようにした。だが現実にはエコバッグも使わずに買い物はショルダーバッグにそのまま放り込むことが多い。だって元々レジ袋をもらっていなかったのだからレジ袋無償時代と変わらない。
だが買い物して気になったのはレジ袋有償化以降、買い物した小物にテープを貼らない店が多くなった。今までレジ袋をもらわない客には、万引きと識別するために 清算したのを示すために 品物にセロテープ貼っていたが、レジ袋不要が増えたから貼らなくなったのだろうか?
人相が悪い老人としては、万引きと間違えられるのではと心配している。

ちなみに我が家は何キロも続く農地の中ほどにあり、風が吹く日には、私が住む5階よりも高くレジ袋が吹き飛ばされていくのが見える。
腹減ったレジ袋でも食べるか レジ袋有償化以降その数が減ったかといえば、変わらない。レジ袋が有償でも捨てる人は捨てるだろうし、無償でもゴミ袋に利用する人なら捨てないだろう。海の中でもクラゲと間違えて食べられるレジ袋の数と、有償・無償は関係ないように思う。
となると儲けたのは…(以下略)


ものを大事に使うことと環境保護は、無関係というか次元が違うのではなかろうか? また環境保護は暮らしから余裕をなくすことでもないと思う。
ガソリンがもったいないからドライブするなというのは、環境保護と無縁だろう。室内にいても熱射病患者が出る時代に、室温は28℃以下に設定しろと叫ぶのは環境保護ではなく単なる狂信者だ。エアコン奉行もレジ袋奉行もゴミの日に出したい。
電気自動車? なもの替えるなら、今持っているガソリン車を大事に使え!


お金を大事に使うのは良いことなのか? 良いことだろう。
お金を大事にしまっておくのは良いことなのか? 悪いことだろう。

日本経済は過去30年間下りっぱなしである。貯蓄率はどうなんか?
2020年、全国民への10万円の給付金は12兆8803億円だった。同年家庭貯蓄率は9%上昇し、世帯当たり貯蓄額は36万円増加した。
コロナ対策の給付金はその多くが貯蓄に回されたといわれる。
それはコロナによる緊縮家計によるのだろうが、家計の消費支出が18.4兆円減り、家計の貯蓄が30.7兆円増加したという。差額は12.4兆円となる。なんか給付金総額にピタリのようだ。

参考
1.日本経済研究所 家計貯蓄率はなぜ上昇しているのか
2.総務省統計局 2020年速報

お金に色はついていないから、給付金が貯蓄されたのか、家庭の中でどのようなお金が使われたのか分からない。また一部家庭が給付金を生活費に使い、それが別の一部家庭に流れてそこが貯蓄に回したという可能性もある。
だがアンケート回答の多くで貯蓄が2番目3番目にあることを思うと、そうとも言えない。大多数は貯蓄が一番だったのではないか?
メガネ マスコミなどによる給付金の使途調査は真実を映していないようだ(注3)
ちなみに私自身はガタのきたパソコン椅子の更新と老眼が進んだので二重焦点メガネを作ったので合わせて4万、6割は貯蓄だ。せっかくの臨時収入だから温泉にでも行きたかったが、コロナが片付かないと無理だ。


二宮金次郎のごとく、貯蓄に励むのは個人としては良い。だが国全体が貯蓄に励むのでは、企業や個人のバランスシートがピカピカ(借金がなく帳簿が黒字)になっても国は成長しない。金貨に囲まれても豊かではない。
それなら国が借金して……つまり国債で公共事業……となるわけだが、潔癖アホなオジサンやオバサンが財政健全化〜♪ なんていう。バカとしか言いようがない。

金勘定は楽しいなあ 国民皆がお金を稼ぎ、それをしっかりと貯めることだけしていたら、黄金の中で貧乏暮らしする人たちばかりになって、豊かな社会とは思えない。
資産を持つのが豊かさではなく、消費生活を楽しむのが豊かさなのではないか?

元禄とか化政文化なんて言われるが、町人がお金を持ち町人文化を発展させた基はお金だ。わびさびが素晴らしいとか奥ゆかしさなんて感じることもない。旨いものを食いたい、良い服着たい、面白いことしたい、それの何が罪なのか?
形而上の話は置いといて、人間は欲望に従い科学技術や芸術を発展させてきたことは間違いない。じゃあその価値観を否定することもない。
武士は食わねどなんて意地を張ることはない。楽しく酒池肉林しましょうよ。

ネット小説などを読むとまともな経済感覚を持つ人たちが多くて安心する。
ネット小説とバカにしてはいけない。世の中の経済評論家、例えば森永卓郎などよりはっきり言ってレベルが上だ。
ストーリーは例えば現代日本人が異世界に転生する。そこで現代の科学知識や、歴史の知識(チートという)を使って、発明や商売で大儲けをする。しかしお金を貯めて上がりではない。そのお金を社会に還元し人々を豊かにするまでが物語なのだ。
三橋貴明が読んだらうれしくて涙を流すだろう。もっともそういった著者たちは三橋貴明を読んで勉強しているに違いない。間違っても森永卓郎ではない。二人のイニシャルはTMで同じだが、値打ちは大違いだ。


原始人 原始社会が唯一の持続可能社会だといわれる。「現代文明が限界がある+持続可能社会を実現しなければならない」という命題に対して、原始社会に戻ろうという解はありえない。
少なくても大勢の支持は得られないだろう。

原始社会の人たちは疫病を喜んで受け入れたのか? 飢餓を良しとしたのか? 重労働、短い寿命、理不尽な支配体制をよしとしたのか?

2012年から毎年国連が発表している「世界幸福度ランキング」という調査がある。評価方法は複雑だが、他人から見て幸せかではなく、自分が幸せかという主観的指標である。
主観的指標を比べたり順位付けできるのかとなると大きな疑問だが、そんなこと無視して幸せだと思っている人が多いほうから順位をつけている。

2013年ブータンは発展途上国で世界8位と唯一ベストテン入りし「世界で一番幸せな国」と言われた。多くの人が、「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と答えたという。
しかし2019年で95位となって以降、それ以降ランキング100位に顔を出していない。
ちなみに日本は2021年56位である。

そのことをいかに解釈するのかと説明したウェブサイトをいくつかみた。
主観的幸福を判断するのは自分であっても、その判断は常に己の状況と己以外の状況の比較になる。もし比較対象が己を取り巻く似たような境遇の人ばかりであるなら、「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と判断するだろう。
しかし「雨風をしのぐだけでなく暖冷房のある家、栄養のバランスが取れて美味しく美しい食べ物、家族はみな健康で着ているものは美麗で清潔で、車も家電品も情報機器もあり、教育も受けられる」という存在を知れば、相対的に自分は貧しいと認識する。だから主観的幸せは急降下した。
それは間違いないだろう。なにせ客観的幸せは全く変わっていないのだから。

幸せも豊かさも絶対値もあり相対値もある。更に上しか見ない人もいるし、下しか見ない人もいる。今まで幸せだった人が、他人の状態を知れば不満だらけになる。
豊かさランキングを付けるのは容易だが、幸福度ランキングなるものはありえないかもしれない。

持続可能社会とは「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たす開発」であるなら、原始社会は「持続可能」ではあるが、「将来世代のニーズも現代世代のニーズも」満たすことができないから、「持続可能社会ではない」ことになってしまう。


節約、省エネ、効率化、そんな言葉が正当化されるのはおかしいんじゃないか?
無駄大いに結構、無駄こそ命、
無駄という言葉は否定的だから、今後、余裕と呼ぶことにしませんか?
無駄、余裕が幸せにつながるのかと問われるか? それは次回考えましょう。
次回はいつかって? 次に寝込んだ時かな。


うそ800 本日の調しら

文明とは無駄のことなり、無駄をさげすむ心の悲しさよ…ハモンドオルガンの響き

新海誠でない「君の名は(注4)なんてドラマを知っているのは70代後半より上だろう。70代前半の私には記憶がない。しかし私の母や姉は、ラジオのある家の外で寒さに震えながら放送を聞かせてもらったという。

つじつまが合わないし、あっちこっちと話が飛んでワケワカラン
お前の頭の中は脳みそでなく稲わらが入っているのか?なんて言われそう。
まだ風邪が治っていないので論理回路が正常じゃないんです。いやいつものことですが、




注1
「温暖化地獄」、山本良一、ダイヤモンド社、2007

注2
化学反応などで一定にある状態を平衡状態というが、これには反応が止まってしまった静的な平衡状態と正逆の反応速度が等しくて見かけ上反応が停止してように見える動的平衡がある。
松の木
海岸の砂浜は静的に安定しているわけではない。上流から流されてくる小石や砂利と波に削られていく砂浜が釣り合っているから景色が変わらない。
上流にダムが作られると、ダムより上の砂や小石が来ないから砂浜が痩せる。現在の風景はこの状態である。
もちろんそのおかげで川が浅くなることが減り流域の氾濫も減少している。
すべては総合的に影響しあい風景ははつり合いの結果である。一つの指標を変えるにはいくつもの変数を調整しなければならない。もちろん期待するものが得られないことも多い。

注3
給付金の使途アンケートはネットにたくさんある。
ニッセイ基礎研究所 2020.07.09 1.生活費、2.貯蓄、3.国内旅行
しゅふJOB 2021.10.05 1.生活費、2.学費、3.貯蓄
リスクモンスター 2020.08.31〜09.02 1.食品/衣料、2.趣味、3.家電品
第一生命経済研究所 2020.05.15〜05.16 1.生活必需品、2.貯蓄、3.趣味
毎日新聞 2021.04.26 給付金は貯蓄に回った。←正解である
地域ブランドNEWS 2020.06.01 1.生活費、2.貯蓄、3.感染予防の費用
東証マネ部 2020.12.17 1.生活費、2.貯蓄、3.投資
朝日新聞 2020.06.21 1.生活費、2.貯蓄、3.学費
@Press 2020.09.29 1.食品/衣料、2.趣味、3.生活費、4.家電品

注4
「君の名は」とは1952年から1954年にNHKラジオで放送された不倫ドラマなのか純愛ドラマなのか。ものすごくヒットして放送時間には銭湯の女湯が空になったという。
私は当時4歳くらいだから全く記憶はない。私より5つ上の姉は番組冒頭の「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というセリフをいつも語っていて、小さな私も覚えてしまった。





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