ゴミは減らすべきか?

22.03.10

本日は昨年書いた「ゴミの話」に続くものではあるが、続きというより視点を変えたものである。前回は現状把握と推移の解説だったが、今回はその説明という感じだ。
いつも前振りが長すぎると自分自身反省している。それで本日は前振りなしだ。


■ごみ処理代は安い
工場で環境とか施設管理の費用をみれば、電気代(多くの業種ではほぼエネルギー費用に等しい)が一番多い。半導体工場だと電気代が年間100億円以上というのは珍しくない。そこらへんにある普通のアッセンブリー工場でも100億の生産高で電気代数億はいくだろう(注1)金額はともかく、その占める割合ははんぱではない。

では廃棄物処理費用はいかほどかというと、業種により出る廃棄物も量も違うけど、電気代よりはるかに安く、電気代の1割もいかない(注2)
もちろん施設管理の費用は、エネルギーと廃棄物だけではない。業種によるが、排水処理、酸・アルカリ・メッキの廃液処理、排ガス処理や粉塵のフィルターなど多様だが、一番大きいのが電気代、少ないものが廃棄物というのは一般的だ。

だから私は廃棄物については、費用削減より法の遵守が最優先だと考えていた。1,000万の廃棄物処理費用を1割減らそうとしてババを引くより、高くても安心できた方がはるかに良い。

注:ババを引くといっても多様だ。安いですと売り込みに来た廃棄物業者が実は許可を取っているのは一部の種類だけだったとか、昔あったのは県の許可はあっても特例市の許可を持っていなかったり(これはその後法改正で県の許可があれば良くなった)、有価で引き取りますと言って手のひら返してダメだったので廃棄物ならなんて詐欺的なことを語ったり、まあ油断ならないことは多い。もちろん不法投棄に絡んだりしたら最悪だ。


家庭で廃棄物処理に関わる費用はどうだろう?
電気代は過去に語ったが、2017年の日本平均で年間106,000円である。もちろんオール電化とか家族が多ければより多くなる。
それに比べて家庭から出る廃棄物、つまり燃えるゴミ、燃えないゴミ、リサイクルするものなどの処理費用は市民税に含まれていて、別途払うのは粗大ごみだけになる。
もっとも粗大ごみとは定常的に発生するものではなく、その金額も小さい。
我が家で粗大ごみを出したのは、数年前に家族が減って使わなくなった食卓椅子を捨てたのが直近で、消費税が10%になる前で2脚で350円だったと思う。要するに大した金額ではない。

注:リサイクルすれば廃棄物でないわけではない。なにものかを引き渡すときに渡すほうがお金を払う物が廃棄物で、引き取るほうがお金を払うものが有価物である。リサイクルしようがしまいがこの関係は変わらない。
有価物の取引は特別な場合を除き許可はいらないが、廃棄物を引取るには廃棄物処理業の許可を受けた者でないとできない。

家庭から出るごみ、法律でいう一般廃棄物の処理費用はいかほどになるのか? 市の一般会計で処理されるわけだが、もちろん原資は我々の市民税である。

私が住んでいる市の予算をみると、一般廃棄物処理費用は市の一般会計の3%ジャストだ。
生活保護は8%、教育関連が12%と並ぶのを見ると、廃棄物処理費用は少ないと思うだろう。いくら教育が重要といってもその4分の一、生活保護の半分以下しか予算がついていないのだ。

ゴミ出し 予算額を人口で割ると、一人当たり年11,000円くらいになる。我が家は二人だから22,000円、月割りで1,833円、日割りで60円。
この金額をみるとごみ処理費用は安すぎると思うのではないだろうか?
45リットルのポリ袋ゴミをいくつ出そうが処理費用は月1,833円だ。

電気のとき5%減らしてもひと月にたった727円しか減らないと書いた。しかしごみ処理費用はそれよりはるかに少ない。仮に我が家から出る廃棄物を5%減らしたとして、それがダイレクトに市民税に響いたとして月わずか92円しか下がらない。
それを知って、ごみを減らそうという気になるか?
そしてゴミを5%減らすのは、電気を5%減らすより困難だということを以下で説明する。

不思議なことがある。
日本で一番家庭から出るごみが少ない名護市では、廃棄物処理費用は市民一人当たり28,000円かかっている。
それは住民一人当たりのごみ処理費用で見ると、私の住んでいる市のなんと2.5倍、重量当たり処理料では10倍だ。

一人当たりごみ排出量と一人当たりごみ処理費用
自治体ごみ排出量 g/人・日 ごみ処理費用 円/人・年
日本平均918g
名護市368g28,000円
私の住んでいる市1,450g11,000円

自治体のさまざまな予算は人口に直線で比例するのでなく対数に近い。人口が倍になってもかかる予算は数割増しになるだけだ。名護市は人口が6万と極端に少ないから、廃棄物処理の一人当たり費用が人口の大きな市より大きめになるのはわかる。その他地理的な条件も違うが、あまりも金額が異なる。
言い換えると廃棄物処理費用があまりにもかさむから住民に廃棄物を出すなという政策を取っているのかもしれない。

ということは規模の大きな市は家庭ごみ排出量最小の名護市を目指すこともなさそうだ(注3)そしてまた名護市が大きな都市の住民一人当たりのごみ処理費用を目指すのも無理なのだ。
これはもう良し悪しではなく、それぞれが置かれた立場で最善を尽くすとしか言いようがない。

もちろん一般廃棄物(家庭から出る廃棄物と企業からでる紙ごみなど)の処理場のひっ迫や、収集運搬や焼却などの問題もあるだろう。だが現在はそういうものは費用にリンクしている。埋め立てする最終処分場がありませんとなれば、それはコストに跳ね返り予算アップになるはずだ。そういった問題があるにもかかわらず、お金がかからないということはありえない。
それを含めて市予算の3%ということは重大問題ではないとみなせる。少なくても市予算の8%の生活保護の半分以下の重みしかない。
他方、名護市では廃棄物の量が少ないのに廃棄物処理の費用は市の支出の4%を占めており、市にとってより重大なことであると理解する。


■一般家庭から出るごみは減ってきている
環境省が毎年一般廃棄物の排出量などを調べて公表している。最新のものは2021.03.30に公報した「一般廃棄物の排出及び処理状況等(令和元年度)について(注4)である。
それによると一般ごみ排出量は過去より減少を続けている。

一般ごみの排出量推移
一般ごみ排出量推移
一般廃棄物処理事業実態調査の結果(令和元年度)より引用

このグラフで一般ごみが令和元年に4,274万トンとなっているが、事業系が1,302万トンで生活系ごみが2,971万トンである。この報告書では"1人1日当たりのごみ排出量は918グラム"としているが、これは事業系ごみも含めており、生活系のみであれば662グラムとなる。
なぜそのような数字を"1人1日当たりのごみ排出量"と表記したのかわからない。事業系には飲食店なども入るが、自治体が処理していることから分けないのかもしれない。
それとも外で食べようと企業のごみであろうと、産業廃棄物以外を全人口で割ったというだけなのかもしれない。ちょっと意図がわからない。


■家庭ごみはどこまで減らせるか?
一般廃棄物は年々減少してきたのはわかった。そしてこれからも一般廃棄物も減らすべきだということは方向としては理解する。ではどこまで減らせばよいのだろう?

家庭から出るごみをゼロにするには、3Dプリンターの逆の物質分解装置ができて不用品は原子に戻すとか、原始社会に戻るとかしなければありえないだろう。一般廃棄物をゼロにすることはできないなら、どこかで飽和というか平衡するはずだ。
それは何グラムなのか? 現実には今は種々条件で平衡しているから現在の排出量となっているわけで、年々状況が変わっているから減少しているわけだ。
では取り巻く環境をどのように変化させれば、平衡条件は排出量が少ないほうに動くのか?

沖縄県はどの自治体も全国平均をはるかに下回っている。沖縄県を参考にすれば改善策は見えるのだろうか?

石垣市の広報(注3)を見ると、まず気づくのは各家庭での焼却及びコンポスト化を推奨している。残念ながらこの方法を全国の自治体で実行することはできない。

そもそもごみを減らすとは、家庭で発生するごみを減らすことであり、家庭から自治体に引き渡すごみを減らすことではないはずだ。ダイオキシンの例もあるように、個々の家庭に処理させるより自治体の施設で行ったほうが公害防止になる。そのとき家庭から出るごみ発生量が大きく見えても問題ではない。
要するに実質であり、もし数字が独り歩きすることが問題なら、それぞれの数字を説明することである。


■どんなごみが出ているの?
前回我が家のごみの実態を調べた結果である。

我が家が出すゴミの内訳
種類月発生重量年発生重量備考
包装用プラスチック29.4kg352.8kg
紙屑8.4kg100.8kg
新聞紙5.7kg68.4kgリサイクル
食物残渣4.2kg50.4kg
ペットボトル1.2kg14.4kgリサイクル
燃えないゴミ微量
排出物合計48.9kg586.8kg
廃棄物合計42.0kg504.0kg排出物からリサイクルを引いたもの

我が家の場合は一人一日900gだ。これは日本平均そして千葉県平均と奇しくも同じである。我が家が出している一人一日900gを更に減らすとしたら、どうしたらいいのだろう? それを考えたい。
値段がつかなくてもリサイクルしているならゴミからのぞくのだろうか


■どのように減らすのか?
では我が家から出るごみの種類ごとに減らすことを考えてみる。

さて、この中で我が家の裁量で減らせるものがあるだろうか?
書籍もコミックも文庫も買う量は毎年減っている。いずれも以前から新品は買っていないが、最近は古本を買う代わりに図書館から借りることが多い。また自分が買ったものを友人に回し、友人から古本をもらってくることも多くなった。
ということで書籍や雑誌の削減はこれ以上はなかなか難しい。

PPCは……人間はモニターだけではやはりチェックなどはやりにくい。ウェブサイトの表示がおかしいときモニターでhtmlやcssを見てもエラーを見つけるのは困難だ。やはりいったんプリントアウトして赤鉛筆をもってチェックしなければならない。
というか、能率や作業の品質を落としてまで紙を削減することもなかろう。紙代にすれば年百円程度のことだ。

メモも付箋紙も同じだ。人間は仕事の能率を上げるために工夫してきたわけで、メモをするなとかチラシの裏を使えというものでもなかろう。もっとも最近では裏が印刷してない白いチラシは少ない。

食物残渣……炊事・料理から発生する屑はどうか?
キウイ 結論から言えばもう減らしようがないと思う。例えば野菜も魚も肉もカットされたものを買ってきているわけで、家庭では肉の脂身をとったり野菜の虫食いを取ったりする程度だ。
まさかアボカドの皮をむくなとは言うまい。外国人はキウイの皮をむかないと聞くけど、トライしたがおいしくない。味より触感が最悪だ。

我が家ではシンクにおちた野菜くずを拾わずに流してしまうために、デスポーザーを使っているが、ジャガイモのむいた皮までデスポーザーで処理することはしていない。理由は小さい時からそうするものと教育されたからとしか言いようがない。
市条例の要綱にデスポーザーの取扱を定めているが、特段利用を制限するようなことは決めていない。しかし積極的に利用すべきなのか否かは判然としない。
知り合いの話では日常使用しているとけっこう故障するし修理代も数万かかるという。だからあまり使わないほうがお金の節約になるという。
どうせ食物残渣を燃えるゴミに出すなら、大きなものは拾ってゴミに出したほうが良いだろう。それにデスポーザーを最大に利用しても年間20キロも減らない。
というか、市がデスポーザーが良いのか、ゴミに出すのが良いのか指針を示してもらえればおしまいだ。


以上から発生するごみを大きく減らすことは期待できない。買い物の際包装をすべて断って、更に衣類など形を整えるために使っている包装材をレジのところで取り除いてもらうかだ。但し、そうすれば返品できなくなる。包装を簡易化しようというのは制度的に行わなければ、消費者が損することになりそうだ。
新聞の購読を止めれば一挙に年68キロ減になる。新聞社つぶれなくちゃいいけど…
これくらいやれば我が家の一人一日当たり発生量は680gとなる。
名護市に比べて未だ倍である。これが限界ではなかろうか?


■分別はごみを減らさない。
当たり前だが廃棄物を分別しても、発生量を減らすことはできない。できることは種類を分けると、リサイクルあるいは金目の物を取り出しやすくなるということだけだ。
まあ市の定めた分類で分別すれば改善も何も必要ないだろう。

環境配慮とかエコ生活なんていう本やウェブサイトを見ると、ゴミについては必ず分別を挙げている。
しかし分別というのは特段工夫とか検討を要することではない。なんとなれば自治体が分別基準を定めており、市民はそれに従うだけだ。そんな作業がエコだってのはおかしいだろう。
それに前述したように分別はごみを減らすことではない。市で処理するときしやすくすることでしかない。
分別をしなくて良いのではない。分別するのは当たり前だが、それが廃棄物を減らすことではないということだ。
環境を良くしようとするなら、分別ではなくごみを減らさなければならない。


■現状は最善を求めた結果
私が子供時代にはレジ袋はなかった。サザエさんの古い漫画を見ればわかるが、買い物には買い物かごを持って行った。私が結婚して家内と買い物に行こうとして、買い物かごをもっていこうと言ったら、家内が呆れた顔をした。買い物などしたことがなかった私は、買い物かごの時代はとうに過ぎ、レジ袋時代になったことを知らなかったのだ。

また販売される姿形も、私が子供時代と結婚した頃では大きく変わっていた。
1960年頃の子供時代、当時は魚や野菜などパックではない。みな裸というと変だが、何にも包まれずに店先に並べてある。客が買うと店の人は新聞紙でくるんでよこした。水の垂れる豆腐も、血の垂れる魚もそれでおしまい。客が適当に持って帰れということだ。
饅頭など新聞紙ではちょっとというものは、タケノコの皮で包んだりしておしまい。タケノコの皮で包んで紙袋に入れるのではなく、そのままだ。
今の人は、タケノコの皮に品物を包むとは想像できないだろう。

いまどきそんな包装(?)で渡したらお客さん怒りますよ。そんな販売方法が良いとは思わない。
実際に買い物して帰る途中、魚の汁が垂れて服に着いたとか、卵を買って帰る途中割れてしまったなんて経験は何度かある。

今は肉や魚はトレイに載せてラップで包んでいる。更にレジを通ったのちに、客は汁が垂れてもよいように薄いポリ袋にそれを入れてからレジ袋に収める。

卵パックは卵が割れることを防いでくれる。当たり前と思うかもしれないが、当たり前のことではなかった。
私が子供の頃、卵は貴重品でめったに食べなかった。当時も今も卵の価格は変わらないそうだから、1個15円か20円だっただろうが、消費者物価から考えると今の5倍以上の値段だったはずだ。
長屋に住む歳が私と同じくらいの女の子が爺さんが病気とかで卵を1個買ってきたとき、買い物かごの中で他の品物に押されて割れてしまった。
道で泣いている女の子を見て近所の人が皿を持ってきて割れた卵をそこに乗せてくれたのを見たことがある。

包装形態は、かっこいいからとか理由もなく今があるわけではない。効用が必要十分であり、費用対効果が見合うからこそ今の形態があるのだ。

トマト 醤油を量り売りするのは面倒だし時によって多い少ないもあるから、ガラス瓶になり、重いからペットボトルなった。
卵を新聞紙でくるんで売るのは商品保護に不十分だから、卵パックになった。
トマトをばら売りしたら、良いものを選ぼうとしていじられて痛むから、パックになった。
結果としてお店にもメリット、客にもメリットがあり、費用的に釣り合うから平衡状態にある。包装形態が変わらないとはそういうことだ。


うそ800 本日の回答

「ゴミは減らすべきか?」という問に「NO」と返す
そもそも一般消費者にゴミを減らせというのは筋違いも甚だしい。過剰包装、処理方法がわからない材料、リサイクルできない材料、そんな商品が売られているのに、消費者がそれをどうするか考えるとは筋違いだ。
「ゴミにならない」「ゴミがでない」商品や流通や販売方法を考えねばならない。

ゴミにならない品物なんてアリエナイと言ってはいけない。
例えば車メーカーなら廃車回収まで一貫したビジネスにする、環境負荷を下げ、しかも儲けるにはそういうことを考えなければならない。
梱包材が不要な仕様あるいは流通システムを考える、豪華とか不要な梱包をしないのをスタンダードにしてその認識を教える。
業界も行政もそういうことに注力すべきで、エコバッグを持てなんて細かなことはどうでもいい。
自治体ですべきことをせず、家庭で焼却とかコンポスト化させるなんて主客転倒だ。公共サービスとは何かを考え直すべきだ。それは小さくて力のない自治体は存在できないということかもしれない。




注1
注2
なにごとも概要を把握しておくことは役に立つ。
産業廃棄物処理業の市場規模は5兆円といわれる。
電力業界の業界規模が21兆円
製造業の業界規模は、電気・電機77兆円、自動車57兆円、機械部品8兆円、通信3兆円、化学3兆円その他合計160兆円程度だろう。
日本のGDPは600兆円
以上を考え合わせると、マクロ的に見て電気代は生産高の3%、廃棄物処理代は電気代の25%となる。現実には廃棄物の2/3は、土木・建設業・農林業そして公共サービス(電気・ガス・公共事業)から出ている。
だから製造業の廃棄物処理費用は、均せば7%くらいになるはずだ。
細かくはともかくフェルミ推定は大きな間違いを防ぐ。

注3
名護市に限らず沖縄県では家庭での焼却やコンポスト化を推奨しているようだ。仮に私の都市で可燃ごみの半分を家庭で焼却処理すると仮定すると一般ごみは半減する。もちろん立地条件が違うから実行はできないが。
どうもごみ処理についての考え方が異なるようで、単純に比較することはできないように思える。
平成25年の名護市 767g/人・日
石垣市 一般廃棄物処理の現況 資料2(平成29年11月6日)によると名護市は312g
・ウェブサイトを見ると家庭でのごみ焼却を推奨しているようにも思える。

注4


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