千葉スリバチの達人

23.02.06

お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたい方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。


スリバチとはすり鉢のこと。スリバチの達人といっても、とろろをおろすのが早いとか、ゴマスリが上手ということではない。この本でいうスリバチとは窪地のこと。すり鉢はアリジゴクのように円錐形で周囲が高くなっていることからの連想だ。 スリバチ

とはいえ地形で完璧なすり鉢というと富士山吾妻小富士蔵王のお釜、近場では伊豆半島の大室山だろうか。
超大物では阿蘇山もあるが、阿蘇山は平べったく周囲にフチがあるだけなので、スリバチというよりもお盆あるいは欧州中世の城塞都市に見える。

上記はいずれも火山の火口だが、それ以外にもすりばちはある。
露天掘りの跡ではシベリアのダイヤモンド鉱山、日本でも石灰石採掘跡地などがある。


この本では全周囲まれている完璧な窪みでなくて、三方向が高い土地に囲まれているならすり鉢としている。そしてこの本でとりあげているスリバチの高低差は20mくらいしかない。あまり大きくない。
なにせ千葉県の最高峰といっても408mしかないし、県土の半分を占める下総台地のほとんどは海抜30mしかない。だから、くぼ地の上下の差が20mくらいなのはしかたがない。階段状に家を建てればお雛様なら三段飾りにしかならず五段飾りは無理です。

三段雛飾り

要するに地面がくぼんでいるところをスリバチと呼び、そういう地形に興味を持ち訪ね歩く人をスリバチの達人と呼んでいる。なお初心者でも達人を名乗って良いらしい。
この本はそういう趣味をお持ちの方が読むとか、片手にもって散策するための本です。
つまらない趣味と言ってはいけない。実は私も愛好家なのです。


ところで私は東北は郡山の出身である。地図では郡山盆地とあるけど、私には盆地に見えない。阿武隈川が作り出した細長い谷底平野に思える。
会津盆地とか福島盆地は目で見ても地図で見ても、周囲360度山に囲まれているから盆地と思えるけど、郡山は若干趣が異なる。英語で言うと会津はbasinで郡山はvalleyではなかろうか? Basinとは本来は「盥(たらい)」の意味である。Valleyとは日本語の「谷」ではなく、丘や山に挟まれた平地をいう。

日本大百科全書によると、「広義の郡山盆地には北方の本宮盆地および南方の須賀川盆地を含めることもある」と書かれている。それじゃ南北30キロにもなるが、実際はつながってはいない、それぞれの平地は丘陵で隔てられていて、どう考えてもつながっていない三つの平地をひとつの盆地と呼ぶなど正気の沙汰ではない。そこまで言うなら仙台平野まで合わせて阿武隈平野と呼んだらどうだ(笑)。

注:どうでもいいことだが、日本では「盆地」と呼び、英語では「たらい」と呼ぶ。お盆にはふちが低いものもあり、地形の盆地のイメージとは違う。盆地でなく英語流に「たらい」と呼んだほうがよさげだ。
お盆

お盆にはふちの低いものも、ふちのないものもある。
実際には立派なふちのあるお盆はめったに見かけない。

アメリカの半導体産業やソフトウェア産業が集まった地域はシリコンバレーと呼ばれる。シリコンバレーと聞くと「谷間」と思うかもしれないが、実はサンノゼ周辺の幅10キロ南北50キロくらいの「細長い平野」である。幅10キロというと狭くはないが両側の山は見える。
同様にデスバレーというのは谷ではなく山地に挟まれた平らで広い砂漠である。
谷でなく山に挟まれた地域、そんなイメージがバレーである。郡山盆地と呼ばれるところは幅7キロ南北15キロでシリコンバレーの3分の1のサイズだがイメージは同じで、basin(盆地)ではなくvalley(バレー)と呼ぶべきだろう。

なお日本語の谷はvalleyではなく、ravine(絶壁に挟まれた谷)とかgorge(絶壁に挟まれ細い川が流れている谷)という。どうしてもvalleyを使うならnarrow valleyと言わないと日本語の谷のイメージにならない。
どうでもいいと言わないで スリバチ愛好家なら、こだわるところですヨ


なぜ郡山のことを延々と話すのかと言われそうだ。理由がある。
実を言ってそういう地形だから、郡山にはスリバチと呼べるような地形はまずない。

ところが関東地方は富士山などの火山灰が積もった関東ローム層があり、縄文海進とその後の海退によって浸食され、更にその後の大河による堆積により関東平野が形作られた。そしてたくさんの小河川によって浸食された関東ローム層はいたるところ小さな谷(谷戸やと)が存在し、その形状によってはスリバチがたくさん作られたというわけ。

谷戸という言葉は関東に来て初めて聞いた。千葉ばかりでなく東京から横浜、横須賀に至るまで、丘陵が侵食された小さな谷というか細長い低地が至る所にある。関東でスリバチ愛好家がたくさんいてスリバチ学会を作っているというのは必然だ。

ついでに言えば下総台地は小さな土地だから大河はなく、小さな河川ばかりだから下総台地を尾根のように侵食するまでになっておらず、川の周囲を削っただけで、スリバチといえる地形が多数あるということだ。
地形の浸食過程ではまだ峰が形成されておらず幼年期といえる。上面がまだ残っているからミニグランドキャニオンとも言える。とはいえ今は台地の上も下も開発されて住宅地になってしまったから、家並でグランドキャニオンの風景が隠されてしまった。


前述したが私の住んでいる下総台地は高いところでも海抜30m程度、また東京の山手台地でも35m程度しかない。だからスリバチの深さも大きさもたいしたものではない。その代わり形状が多様で多数存在するという面白みがある。
もっとも大局的に見ればスリバチというよりもリアス海岸のように見える。リアス海岸が陸に上がれば単なる尾根と思うかもしれないが、基盤が真っ平らな沖積平野だから水面のように見えて、まさしくリアス海岸なのだ。


実は「千葉スリバチの達人」以前に「東京スリバチ地形入門」が2016年に、「東京スリバチの達人」が2020年に出版されている。
だが間違っても「郡山スリバチの達人」という本は書かれないだろう。だってBどころかAでさえなく、つるっぺただから。

「東京スリバチ地形入門」という本が出たとき、私は出版社にぜひとも千葉版も出してほしいとメールを送った。そのとき出版社の人は予定がないと返事をよこしたが、親切にも千葉県の地図に地形の陰影をつけたものを作って私に送ってくれた。
でも地図だけじゃしょうがない。歩くとどんなものが見えるか・あるのかの説明がないとね、

書名著者出版社ISBN初版価格
千葉 スリバチの達人千葉 スリバチ学会昭文社97843981477692022.07.011650円

あれから数年経った2022年の7月、この本が発行された直後に書店で平積みになっているのを見つけた。私はスリバチ学会に加入していないが、隠れスリバチ愛好家だから買おうか買うまいか悩んだ。働いている時なら躊躇なく買っただろうけど、引退した今は大枚をはたいて買うには二の足を踏む。図書館で購入したら読もうと、タイトルをメモして立ち去った。

もちろん発行直後に図書館にはない。ときどき図書館の蔵書検索で買ったかどうか見ていたが、2022年暮れに検索したら蔵書していました
早速貸し出しの予約をしまして、数人待ちでしたが1月末に手にすることができた。


私が千葉に引っ越してきたのは2002年、住まいは習志野市からスタートし、市川市、千葉市、船橋市は2か所と転々と移り住んだ。しかし現役時代、朝は早よから夜は真夜中、週末も出勤でなければ家でゴロゴロという生活でしたので、近隣を歩き回ることなどしませんでした。


しかし2012年引退後は毎日が日曜日、また老人大学に行って住んでいるところの歴史、それも古代とか地史というのを習いました。そうすると住んでいるところに興味を持ち愛着がわきます。

見上げれば天に続く見下ろせばめまいがする家までは階段
見下ろせばめまいがする見上げれば天に続くどこに行くにも階段

私の場合、移動するには自分の足しかありませんから、まずは自宅の周囲500mくらいの道路、路地、農道に至るまで歩きました。
するとものすごくアップダウンがあるのですね。高低の差はせいぜいが10mくらいしかないのですが、上っては下がり、降りては登る、年寄りにはつらい地形です。

とはいえ、横須賀の坂道に比べたらつらいとは言えない。横須賀街道から階段で登る住宅地はすごいとしか言いようがない。年寄りは大変でしょう。
そういえば百恵も歌っていましたね、駆け登ったのは階段じゃなく坂道だけど。

いやまだ私は元気ですよ。階段の両サイドに建売が並んでいるところを登っていたら、窓から私を見た老人が顔を出して「ごみを捨ててくれ」と頼まれたことがあります。 ゴミ出し 確かにゴミ袋を出すにも、数十段もある階段を上り下りするのは70代 80代には大変なことです。
そんなところに住まなくちゃいいのにねとも言えません。不動産の広告を見ると、台地の上と下より、傾斜地は安いのです。そりゃそうだよね、不便だもの。
住民だけでなく郵便配達も、宅配便も、石油販売の人も大変です。もし階段で転んだら……
疑問ですが、急病人が出たら救急車は上か下の道路に止めて、おぶって運ぶのでしょうか? 火事の時はどうするのかと心配してしまいます。ちなみに大雨のときに、階段が段々の滝になるのを見ました。とても昇り降りはできません。


そんなふうに住まいの周囲を歩いていて、いったいこの地形はどうなっているのか、どのようにして作られたのかというのが不思議でした。

そしてまた貝塚というのがたくさんあります。貝塚というと縄文時代に貝を捕ってその貝殻を捨てたところと言われる。
貝塚と呼ばれるものは、今の海岸から6キロとか8キロとか離れている。20世紀以前から埋め立てられてきたといっても、せいぜい2キロとか3キロです。縄文海進や土地の隆起とかあったのでしょうけど、海岸線がこれほど遠くなってしまったのもすごい。
となるとスリバチはそういうことから作られたに違いありません。

私は、邪馬台国とか古事記に興味があり、引退後 講演会とか勉強会に入っていろいろお話を聞きました。驚くことに貝塚は全国に2700箇所見つかっているそうですが、その内770ヶ所が千葉県だそうです。なお貝塚の数は論文などによって多種ありますが、全国と千葉県の比率はいずれも千葉県が3割を占めます。
貝塚といっても食べるために取っただけではなかったようです。一説によると、縄文時代に房総半島では貝から腕輪を製造して全国に出荷していたそうです。房総の住民が食した貝殻だけでは、これほど貝塚ができるはずがないそうです。
矢じりの黒曜石が伊豆諸島の神津島から全国各地に供給されたと同じく、貝殻から作った貝輪かいわは房総半島から全国に供給されたという。
でもその時代は物々交換だったのだろうけど、対価はなんだったのだろう

注:黒曜石分析から解明された新・海上の道−列島最古の旧石器文化を探るC


老人大学に行った後は、市の郷土歴史館とか図書館の地域の歴史などの図書を眺めて勉強しました。近隣の市のそういった施設をいくつか訪ねて地域の研究の記録など眺めるのは面白いです。

船橋市の飛ノ台史跡公園博物館というところに行って、縄文土器の利用法というのを知りました。縄文土器というと下が尖っていて置くのに困るような形ですね。あれはいったいどのように使ったのかというのが謎だったそうです。それが飛ノ台で発掘されたかまど跡から分かったということです。
実は簡単なことで、高さ1mとか2mくらいの崖に横から穴を掘り、上から穴を掘る。上から掘った穴に縄文土器を差し込み、横の穴にマキを入れて煮炊きしたそうです。
そう使うと考えた人はいたのかもしれませんが、実際に遺跡が見つかったのは船橋市の飛ノ台だったのです。
まあそんなことも知りました。

私は暇なときは時速7キロくらいでとにかく歩く。自宅の周りを歩きつくしたら、その外側を歩く。それも歩きつくしたら既に歩いたところまではバスとか電車で移動し、そこからひたすら歩く。そんなことをしております。
新型コロナウイルス流行した2020年は緊急事態となり、無用な外歩き、ウォーキングを止めろとパトカーや消防車が巡回してました。私はわざわざスピーカーで「その男性の方、緊急のことでなければ外歩きを止めて自宅にお帰りください」なんて言われました。ハズカシー
そんなわけで身動きできませんでしたが、ほとぼりが冷めてからは週に一度くらい歩いています。そんなことを過去に書きました。
 ・散歩で気づいたハザード(1)
 ・新京成線踏破

もちろん事前勉強なんてしてませんから、行った後であそこにはこんな名所旧跡があったのかと気づくと、また行くなんてアホのようなことをしております。車でブイ💨と行くわけでなく、テクテクと歩いていくわけで結構運動になります。


さてそんなことをしております私ですから、「スリバチ千葉版」が出て、うれしいことこの上ない。図書館から借りてきたものの、この本は行く前に読むだけでなく、実際に現地を歩くとき持参しなければなりませんね。
実はまだこの本に載っているところの半分も歩いていません。

そうなると借りただけではだめで、新品はもったいないから古本を買うしかなさそうです。まだ古本が出ていないから、1年もして古本が出たら買いましょう。

注:図書館の本をコピーするのは合法か非合法かとなると、自分が利用するために1部だけコピーするなら合法なそうです。
 参考:書籍をコピーすることは著作権上問題になりますか?
でも著者の権利を守るため、いやその労力を尊重して、コピーするのでなく古本を買いましょう。


この本の良いところ
地図に地形を陰で表示している。なにせ海抜の差が数メートルのところを論じて(?)いるわけで、等高線では表せない。影があるから立体を感じる。この本を書いた人は表現に工夫しただろう。

現在の地図と古地図が対照できるようになっている。現在の地図では脈絡なく住宅が密集していて土地利用の違いが見えないが、
本
現在の地図と昔の
地図が対照できる
昔の地図では高いところは畑、低いところは田んぼと、その差は一目瞭然だ。
そして昔の川あるいは農道と今の道路あるいは家の並びがそのままというのが分かる。注意深く見れば、家の向きは等高線に沿っている。家を南向きに立てるより、地形に合わせたほうが土地の有効利用になるから当然か。

例えば、今昔マップでこの辺りをクリックして、明治初期と現在を比較すると、まったく地形通りに家が並んでいるのが見える。私にとっては感動ものだ。


数メートルの差など大したことはないと思われるかもしれない。しかし高さの差5mとか10mというのは、とてつもなく大きく感じる。平屋のむね(やねの頂点)の高さがだいたい4m、2階建ては6.7m、木造3階建ては9.4mほど。今の木造戸建てはほとんど2階建てだ。高低差10mはとてつもなく大きい。階段なら40数段になる。

自転車 5mの差であっても平屋の棟より高い。その高さまで自転車で登ると思うと大変さが分かるだろう。勢い付けなくては、登り切れない人も多いだろう。
まして高さ10mでは、普通の人は電動アシスト自転車でなければ自転車を降りて押していくだろう。
ちなみに神楽坂の高低差は12.4m、竹下通りは3.6mである。竹下通りなら自転車に乗ったままなんとか登り切れるだろうが、神楽坂は難しそうだ。

追記:書いた後で坂の高低差だけでは伝わらないと気付いた。
神楽坂の長さは約400m、竹下通りは180m、神楽坂はきつくて長い。自転車で登るのはあきらめよう。

私の生い立ちは、貝塚もない、古墳もない、古事記にも出てこない、歴史の教科書に出てくるのは坂上田村麻呂に滅ぼされたことくらい。そんなところに生まれ育ちました。
他方千葉には、貝塚は歩いて行ける所にいくつもあり、前方後円墳の遺跡もある。大和朝廷の権威が及んでいた文明の地だったのです。

古事記ではヤマトタケルが東征したとき、地元の人たちが川を渡れるように小舟を並べて舟橋を作ったことから、それが地名になったのが船橋市。
舟橋とは、川に小舟を並べて錨で留めて、その上に板を敷いて道路にした橋のこと。

明治の御代に演習をしたとき、明治天皇が篠原少将の指揮を誉め「篠原に習え」と語ったことにちなみ習志野となったそうだ。名前の由来にはこれ以外に諸説あります。
ところで習志野は習志野市ではありません。元々は船橋市の北西部のことでしたが、時と共に広い範囲を習志野と呼ぶようになったそうです。習志野市は船橋市から名前を簒奪したのである。いけないなあ〜。
とはいえ船橋は、はるか昔 古事記の時代から1500年も由来あるところだから、船橋市民はたった100年の習志野など気にもしないかもしれない。

ともかく、そういう歴史のあるところで生まれ育った人は、土地に対する愛着も強いでしょうし、誇りも強いんじゃないかな。

実は私の母方の祖母は、稲毛の漁師の出、私のDNAの25%は千葉県人なのです。伝え聞くには、母方の祖父が若いとき東京に働きに出て、 チーバ君、千葉県のマスコット 田舎に帰るとき嫁さんを連れて戻ってきたという話です。母親の子供時代に千葉の祖母の実家に行ったことがあると聞かされました。昔は福島から千葉に行くだけでもおおごとだったのでしょう、何度も行ったことはなかったようです。私は母方の実家はわかりますが、訪問したことはなく親戚付き合いはありません。
散策していると、私の先祖はここで魚を捕っていたのか、貝塚を築いていたのかとか想像してしまいます。


この本を一言でいえば、
スリバチに関心のある人にはバイブル、関心のない人には無価値。
でも子供に読ませたらのめり込みますよ、はっきり言ってゲームより面白い。すぐに本を持って外に飛び出すでしょう。なにせ住まいの周りのスリバチがたくさん載ってますからね。この本に載ってなくても、下総台地ならば探せばいくらでも見つかります。
お金がかからずこんな面白い趣味ってありませんわよ、奥様💗

千葉のスリバチは下総台地全域に無数に存在し、極めることは不可能だ。言い換えると一生楽しめそうです。

もしこの駄文を読んで興味を持たれたら、まずお宅のまわりをGoogle Mapで「地形表示」にして、凸凹のところを探して行ってみることです。
! 5mの段差はこれくらいか、10mとはすごいと実感するでしょう。
人間、好奇心と感動をなくしちゃいけません。


うそ800 本日の推薦

いやあ〜、これはとても素晴らしい本です。
私にとってはね、





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