「キャリアで語る経営組織」

23.05.25

お断り
このコーナーは「推薦する本」というタイトルであるが、推薦する本にこだわらず、推薦しない本についても駄文を書いている。そして書いているのは本のあらすじとか読書感想文ではなく、私がその本を読んだことによって、何を考えたかとか何をしたとかいうことである。読んだ本はそのきっかけにすぎない。だからとりあげた本の内容について知りたい方には不向きだ。
よってここで取り上げた本そのものについてのコメントはご遠慮する。
ぜひ私が感じたこと、私が考えたことについてコメントいただきたい。


うそ800に小説もどきを書いていると、自分の記憶と知識だけでは足りないのは当然だ。全くのファンタジーなら創作おもいつきでもよいだろうが、一応、法律、ISO規格、JAB基準、イクイバレント……は、最新版を調べ文言は正しく引用しないと、それこそファンタジーでたらめになってしまう。架空の大気汚染防止法を基に公害対策を論じても意味はない。

このところ書いているISO第3世代物語では、また会社組織とか決定ルートとかに及ぶ(かもしれない)ので、会社法も読んでいる。
企業の組織となると、50年前に産能短大で組織論を習ったが、いまそれが通用するとは思えないし、ほとんどは忘却の彼方である。現代の組織論とはどんなものだろうと思った。


というわけで、市図書館の蔵書検索で「組織論」をキーワードにして探すと、200件ヒットした。数は多いが「労働組合の組織論」とか「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」あるいは野村克也著「捕手の目−組織論の死角」といったものもあり、そういったものを除き企業の組織論を論じている本は73件であった。

いやそれでも多い。2000年以前は、最近とは言えないだろうと、発行が2000年以降でフィルターをかけると59件、それでも多い。
それでフィルターを通った59件について、ネットの書評を眺めて面白そうなものを絞り込み、7冊借りてきた。
先日読んだ肩こりをなくす本は皆120ページくらいで、絵も多くあり活字も大きく文字数は少ないが、組織論となると絵が少ないし活字も小さく、更にページ数も最低200ページ以上、多ければ400ページ以上ある。7冊読むのは容易ではない。冗談抜きに1週間シンデレラの時刻を過ぎても読書に努めた。
一体俺は何をしているのか 人生不可解なり 😩


それだけ絞り込んでも企業の組織論ばかりではなかった。組織論を学問的に真っ向から論じているものもあるが、企業の組織・体制の実態を調査したまとめ、機能別組織から事業部制に組織を変えた企業のbefore/afterの研究等々、いろいろある。ともかくひたすら読んだ。
特段メモもせず読んだので、興味のある記事がどの本にあったのかなどは覚えていないのだが、ためになったことは間違いない。これから書くうそ800のお話の中で、小話的に使えるかもしれない。
中でも特にこの「キャリアで語る経営組織」という本が印象に残ったので、それから考えたことを書く。

キャリアで語る経営組織
事前に詳細な内容まで調べなかったから、「キャリアで語る経営組織」は新旧2冊を借りてきてしまった。まず2010年に発行された第1版の評判がよく、内容を最新化して2020年に改訂第2版を発行したものである。
借りてきた本を発行年順に読んだので初めの頃に第1版を読み、別の本を数冊読んだ後に、第2版を読んだ。そして中身が最新化されたものであることに気づいた。アホな話である。とはいえ、2冊読んだ甲斐はあった。

書名 著者 出版社 ISBN 初版 価格
キャリアで語る経営組織 稲葉祐之他 有斐閣 9784641123939 10/05/10 2,980円
キャリアで語る経営組織(第2版) 稲葉祐之他 有斐閣 9784641222014 22/12/22 2,420円

普通、組織論の本と言えば、いかに効率よく人を動かすかとか、コミュニケーションが絶対に途切れないように(軍隊や情報システムの場合の必須要件)情報ネットワークに冗長性を持たせる仕組みとか、利用可能なハードやソフトをいかに活用するかの手法を述べるものだ。

この本はそういった組織論とは毛色が違う。この本は学生が社会に出て、企業の組織で働いたり、あるいは起業したなら自らの組織を作らなければならない。そのとき組織とは何のために存在するのか、組織はどうあるべきか、組織とどのように付き合うのか、そんなことを「わたし」というダミーを主人公にして、学生、新入社員、ベテラン社員、管理者、経営者、引退というライフサイクルのポイントにおける組織との関わりを描いている。
組織はどうあるべきかを考えるのではなく、人と組織との関わりを考える組織論である。


正直言って組織の中で40年働いてきた私にとっては、当たり前のことと思えるものばかりだ。だが学生の立場でアルバイト程度しかしたことのない人にとっては、非常に新鮮というか知らなかった世界を知ることができるのではなかろうか。
私も18歳で社会人になったとき、このような本を読めれば良かったと思う。
だがとても役に立つかといえば、そこは大いに不十分である。本日は真に社会に出る若者が知るべきことは、知っていれば役に立つことは何かを考える。

なお、私が工業高校にいたときは、工場管理という科目があり、生産計画とか工数計算を習ったが、組織に関することを習った記憶はない。
産能短大で習った組織論は、科学的管理法時代の機能別組織/職能別組織とか機能別組織/事業部制に関することがほとんどだった。講義ではルイス・A・アレンの「管理と組織(注1)をベースに習った記憶がある。いずれもいかに人を効率よく使うかという趣旨であった。


まずこの本に書いてある物語の背景は、合法で良識的なことばかりである。主人公である「わたし」は組織内でどう動くべきかと悩んだり、転職しようかと考えたりする。しかし上司が理不尽なこと、例えば違法なことを要求したり、あるいは組織の方針が公序良俗に反するケーススタディなどは書いてない。
世間を騒がせているブラック企業とか、コンプライアンス無視あるいはウツ多発企業など登場しない。
それは組織論と違うって? いや、この本は、組織との関わり付き合いを書いているのだから、十二分に関わるはずだ。

考え中
若い人が、いや若くなくても、会社をどう動かそうとか、転職しようとか考える回数より、ブラックとは言わないまでも、会社の方針が人として納得できるのか、上司の公私混同を許せるのかと考える回数のほうが多いことは、私の経験からいって大いにあり得る。

だから若い人が企業に入って出くわす、様々な組織に関わるトラブル対応に役に立つかといえば、役に立たないだろう。
私の勤めたところはブラック企業ではないと思いたいが、この本に書いてあるような限りなくホワイトというか、法や道徳に関する疑問はゼロではなかった。というか、完璧にホワイトな企業など存在するのだろうか?
私は経験がないが、休暇を買い取る会社が今も存在するらしい(注2)


個別論に入る前に一般論を考えてみよう。
会社に入ってどうしようかと悩むことはいろいろある。


何を言いたいかというと、現実の会社に存在する個人と組織の問題は、この本に書いてあるようなこととは大違いということだ。

この本の第1版を読んだ人から、女性の活躍が少ない、起業するお話がない、島耕作のようで昭和時代だ……といった苦情があって、第2版はそういう観点でも最新化していると1ページの「第2版によせて」に書いてある。

起業とか男女機会均等とか、調味料をサッサとかけて第2版になっても、料理は見違えるほどにならなかったようだ。
もっと現実を見据えて役に立つ話を書かねばならないのだ。


以下、この本を読んで考えたこと、思ったことを書いていく。

先に、アルバイトしたくらいの大学生にとっては知らなかった世界を知ることができるだろうと書いたが、私の認識としてはこの本の内容では不十分も不十分だ。
そもそもなぜ働くのかということが書いてない。自己実現を目指す目的論とかお金を得るための義務論という観点ではなく、なぜ命令に従わなければならないのかが書いてない。

義務論でいうなら、
企業の場合、労働契約で仕事の対価として賃金を受けることになっており、その仕事は誰かから命令されるわけで、その命令に従わなければ契約違反となり、組織から不利益な処分を受け最悪の場合放逐される。だから命令を聞かなければならない。

しかし無償のボランティアならどうだろう。当たり前だが、ボランティア活動だって、組織に属すれば命令されたことをしなければ排除される。組織とはそういうものだ。
家庭で風呂掃除をしても賃金をもらえないが、仕事をさぼれば家族から白い目で見られる。ネルソン提督ではなくても義務は果たさねばならない。
だから命令されたら実行するのは報酬とリンクしているわけではない。組織に参加するということは、組織のルールを尊重する、従うという約束をしているからだ。


ではなぜ組織に入るには、組織のルールを守る約束をしなければならないのか?
組織は目的を持つ。その目的実現のためにいろいろな施策を行うわけだ。そのとき目的実現のためには、各自が考えてそれぞれが選んだアプローチをして良いわけではない。
組織は目的だけでなくその達成のために組織の行動計画を立て、それを所属員に割り振って実行させる。思い思いの方法で活動すれば良いというなら、それは組織ではない。
辞書を引けば、組織の定義は「一定の共通目標を達成するために、成員間の役割や機能が分化・統合されている集団」である。組織に属する者は一つの目標に向かって与えられた活動をすることになる。

政党を考えれば、達成すべき目的だけでなく、施策も共有していなければならないのは自明である。言い換えると最終的な目的地は、どの政党でも同じはずだ。国家の究極の目的は、国民の安全・安心の確保、豊かな暮らしでしかない。革新政党は現状を改革してこれを実現しようとし、保守政党は現状を改良してこれを実現しようとする違いしかない。
「国民の安全・衛生の確保、豊かな暮らし」に反対する政党は存在できないはずだ。まあ現実には、外国の安全と外国を豊かにすることを目指す、悪の手先政党もあるわけだが……


再確認する。組織の所属者は組織の命令を受けたらそれを実行する。決して自分の考えを実行するのではない。
このとき命令の形は二通りある。ひとつは必要な都度「今回はこれをしろ」「今日はこれをしろ」と命令されることもあるし、もうひとつは規則において「○○担当は○○をすること」とか「○○部は○○すること」と実行すべき命令が定められていることもある。

また命令といっても一挙手一投足まで決めてある場合もあるし、一般方向(軍隊用語で「目指す方向」の意味)のみ示し詳細は実行者に任せる場合もある。

裁量とはその人の考えで処理できる範囲であり、裁量できる範囲は職階(組織の階層における地位)によって異なる。例えば課長は1件10万円までの出費を決済でき、部長は1件100万円まで決済できるとか、年間取引額○○円までの業者選定ができるとかということである。
だから命令を受ける者の裁量によって、上から与えられる命令も形態が異なる。


軍隊の指示には三種類ある。

上位の階層では目的を与えて、どのように実行するかは指揮官の裁量である。
下層になるにつれて具体的な実施方法を示して実行させる。最下層で「右向け右」と具体的指示なら、号令を受けた者の裁量はほとんどゼロになる。

なんでそんな分かりきったことを書くのかとおっしゃるか?
そういう分かりきったことをこの本では書いてないから、足りないぞと書いている。
分かりきっていると思えるものでも実際には分かりきっていないことは多い。

例えば仕事の指示は誰から受けるのか?
そしてまた仕事完了時の報告は命令者にしなければならない。
では誰から命令を受けるのかとなると、これは現実問題として非常にあいまいなものだ。

職制は組織によっていろいろだ。実際問題として、アルバイトとか新入社員であれば、職制表に載っているような人から命令されることはまずない。

例えば下表のようケースを想定する。
工場店舗軍隊
部長店長師団長
課長副店長連隊長
係長チーフ大隊長
班長主任中隊長
平社員平社員小隊長
アルバイトアルバイト分隊長

注1:上表は縦方向の上下関係のみを示すもので、横列は権限が同等であることを示すものではない。
権限から考えれば、工場の部長は軍隊ならせいぜい大隊長、班長は分隊長と同等だろう。アルバイトにあたるものは軍隊では存在しない。

注2:自衛隊において最上位は師団の上に方面隊があり、師団だけでなく旅団のこともある、連隊と大隊の間に群がある。

多くの組織において、役職は指揮命令系統であるだけでなく、人事処遇の意味もあり部を持たない部長もいるし、課長の下に副課長、課長代理、課長補佐などなど上下関係もわからない、また指揮系統にあるのかどうかも不明な存在も多い。

指揮系統というのは命令者と受令者(命令を受ける人)を並べたものである。通常副官・副課長という者は指揮系統にない。基本的に指揮系統にある者が上位者から受令し、下位者に発令する。上位者が死亡または不在の場合において、指揮権継承者が指揮権を継承して戦闘・事業を継続する。指揮権継承者であっても指揮権を継承しない限り命令権はない。

話を戻すと、新入社員やアルバイトなら、職制表に載っているような人から命令を受けることはまずない。多くは古参社員とか1年2年先に入った先輩から、指導を兼ねて指示を受けて仕事をすることが大半だろう。
ではその人から命令を受けたら、それを実行しなければならない根拠は何だろう?
命令権とは労働契約を基に、使用者が労働者に対して業務上の指示をする権利とある。理屈から言えば、使用者(雇用者・経営者)である。
もちろん何千人もいる会社で経営者/取締役が全社員を指揮することは不可能だ。それで現実の会社には、組織規則とか権限規則いう名称の規則が存在するはずだ。指揮命令権は本来取締役とか執行役にあるが、現実には企業は組織化され、命令権はそれぞれの階層の管理者に会社規則によって移譲されている。じゃあ最終的に先輩に命令権があるのかといえば、そうではない。通常は課長である。
悪い言い方かもしれないが、課長以下は機械設備と同じである。だって自由意思がないから。

つまり新入社員・アルバイトを含めて平社員は、課長の命令を受けて仕事をし、完了時に課長に報告する。それが組織である。
もちろん成果は課長が独り占めする。問題が起きれば課長の首が飛ぶ。理屈はあっている。責任と権限は表裏一体である。

一般的に、特定の従業員への命令権者は唯一人である。もちろん企業によっては複数の場合もある。そういう場合は常にコンフリクトが発生するという問題を含む。

注:職能別組織においては、命令権が一元化されないという問題はその発祥時から持つ問題である。


いずれにしても働く者は自分の命令権者は誰かを知らないと仕事はできない。先輩の指示を受けて仕事をするのであれば、明文化された命令権者から書面をもって先輩の指示に従うことという命令を受けなければ仕事をしてはならないことになる。
そして命令者が定められたなら、その人以外、先輩の上司にあたる課長であろうと部長であろうと、定められた人以外の命令を受けてはならない。おかしいと思うかもしれないがおかしくない。
命令権者は定められた人のみである。

鉄カブト 最後の日本兵、小野田寛郎少尉が投降するのを求められて、投降するには命令した人から命令解除の命を受けなければならないと言う。
30年前に「潜伏して情報収集せよ」と命令をした方は既に亡くなっていたので、その部下だった人が代理として命令の解除を通知したのである(注3)

具体的な問題の例を挙げる。
先輩の指示によって仕事をするよう命じられている場合、先輩の上司から命令を受けたときどう対処するか?
あなたは私の命令権者でないからできませんというのが組織論的には正解だ。
だが日本の企業ではそう切り捨てるのは下とされるから、先輩にどうしますかねと相談し、先輩が上司の言う通りせよというならそれを実行し、先輩がやらんでいいというなら聞捨てることになる。当然、それによる結果責任は先輩が負う。まあ、そうはいかず先輩が責任逃れをするのも想定内だろう。

模範解答は、先輩に言われたことも上司に言われたこともすることだろうが、それができれば苦労はない。普通は命令権者から指示されたことを達するだけでも非常な努力を要するのだ。

現実は常にそういうコンフリクトが生じる。いや日常そういう状態で仕事をしているのがほとんどではないだろうか。
一生懸命仕事をしていると、通りかかった工場長からゴミが散らかっているから掃除をしろと言われることは常に発生する。それは製造現場の仕事でなく工場管理課の職責で……なんて口答えすると、「なことは分かっている💢、お前が工場管理課に伝えるんだ」と叱責され工場長の閻魔帳に名前が書き込まれるのがおちだ。

そこまで無関係な話でなく、課長が「Aを売ってこい」と言っているのに、部長が「売らなくて良い」と言えば、"To sell, or not to do, that is the question"とハムレットが自殺する羽目になる。冗談抜きにウツになる人がいても不思議ではない。

注:知らない人がいるかもしれないから説明しておく。
ライン作業をしているとき、ラインから離れるには直属上長の命令あるいは許可が必要である。(正しくは許可は命令として与えられる。ライン作業者に裁量はない)工場の外にゴミや枯葉がたくさんあると気が付いても、ラインを離れて担当部署に清掃を頼むことはできない。

「戦友」という軍歌の歌詞に
「ああ戦いの最中に 隣におったこの友の にわかにハタと倒れしを 我はおもはず駆けよって 軍律きびしい中なれど これが見すてて置かりょうか 『しっかりせよ』と抱き起し 仮包帯も弾の中」
とあり軍法違反として歌うのを禁止された。戦闘中、隣で戦っていた戦友が敵弾に当たって倒れても助けることは禁止なのである。戦闘を継続するのが本務である。戦場だけでなく会社の業務も同じである。
まあ上司は会社のルールに反することも言いたい放題の絶対者なのだろう。
ともかく社会人になるとは、こういった矛盾や板挟みを、右・左ときれいに捌いていくことなのだよ。

半世紀前、産能短大で組織論を習ったとき、テキストに命令が複数の上位者から受けた場合の対応が書いてあった。
回答は、複数の上位者(上司とは限らない)の命令の矛盾をついて、矛盾した上位者(s)に責任転嫁(転嫁でなく当然なのだが)すべしとあった。
確かに最適解だが、それを通すのも難しそうだ。上役とは耳のない生き物だから。
回答が適切か否かはともかく、こういう現実に発生するケーススタディを論じなければ役に立たない

今思ったのだが、島耕作のマンガも不倫と社内政治を描くのではなく、企業内の理不尽を示し、それをいかに(もちろん合法で実行可能であることが必須条件である)島耕作が切り抜けるかを描けば少しは価値があったのではないか。

おっと、サラリーマン金太郎のように、問題が起きると暴力と運で乗り越えるのは、これまた反社会的というか現実社会では通用するわけがない。このマンガも参考にしてはいけない。
あんなマンガを参考にする人はいないか 😄


いくつか事例を示したが、現実の職場での問題を示せずして、この本の語る組織論はきれいごとであり、現実の泥臭いオフィスでは役に立たないだろう。
そんなことを思った。

また組織の性格は文書化された構造だけでは決まらない。企業風土が大きい。それに全く言及していないように思える。

組織論には、上から見た組織づくりもあり、下から見た組織との関わりを考える組織論もあるだろう。この本を書いた先生方は、従来の組織論では社会に出る大学生が学ぶには方向違いだと考えて、実際に使えるものを考えたのだろう。
それは良い。

だが作ったものは上品すぎて、現実的ではない。もっと現実的で、実際に起こる問題の対策、解決策として使えるものでなければ意味がない。
実戦的でなくても、そのレディネスとしての意味があるかとなると、それもどうだろうかねえ〜

現実の会社は、法律は守る、規則は守る、マナーを守る、相手の感情に思いやる、そんなところではない。
感情的な上司にはどう対応するか、気まぐれ・変更の多い上司にはどう対応するか、法違反をいとわない上司には……、そういう現実に存在するケーススタディの方が良かったのではなかろうか?
それとも現実の職場で起きている問題を知らなかったのだろうか? 法違反は当然犯罪だからそれへの対応を考えることはないとしたのか?

鳥瞰的に考えた組織論でなく、虫観的な組織論はフロンティアである。それは良いのだが、人間関係を含めた組織論を説明したら良かったのではないか。



うそ800 本日の提案

この本の末尾は、「わたし」が社長になり会長になる。まことにご同慶の至りであるが、そんな地位まで上がる人は一流大学を好成績で卒業し、順調に出世しなければなれない。東証プライムは1835社(2023.04.30時点)だ。
4年制大学卒業者数は約57万人(2023)だ。就職する人が77%(同)だから44万人。
社長になってトラブル(不祥事)がなければ4年在任するとして、東証プライムの社長になれる確率は 1835÷440000÷4=0.1%つまり1000人に一人である。

仮にこの本が1万部売れたとして、読者の中で東証プライムの社長になれる人は10人である。
これから考えられることは、10人のために社長〜会長になった時の心構えを書くのに416ページの中の85ページ費やす代わりに、その分を平社員、下級管理職が相手しなければならない、さまざまなトラブルのケーススタディを書いたほうが読者のためになることは間違いない。
へでもない島耕作的内容を学術的な香りでごまかすのでなく、真に社会に出る人が読んで使えることを書いたほうが良さげである。




注1
「管理と組織」ルイス・A・アレン、ダイヤモンド社、1960

注2
有給休暇の買取はすべてが違法ではない。
法定日数を超える休暇を与えている場合や、退職時に残っている休暇、時効消滅する休暇などは買取が合法である。

注3
「小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争」小野田寛郎、日本図書センター、1999




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