アイソス誌休刊

23.02.16

2月11日(金)朝 起きてパソコンを立ち上げてメールボックスを見ると、Y様からメールが来ていた。開けてびっくり玉手箱、なんとアイソス誌が休刊だとある!
「驚き桃の木山椒の木」、寅さんなら更に「ブリキにたぬきに蓄音機」と続いた。
まず思ったのは、ISOビジネスはいよいよ終わりかなあ〜ということ。
ともかく朝からそんなビッグニュースを聞いて驚いた。

ところで休刊とは、「具合が悪いので休ませていただきます」ではなく、もう発行しませんということである。なぜ廃刊とか終刊と言わず休刊というかは諸説あり、復活する可能性もあるとか、雑誌コードを保持したいとかいろいろ言われる。
まあ本当のところは、敗戦を終戦というような婉曲話法だろう。

ともかく「アイソス」という名になる前の「システム規格」時代からの愛読者である私は、記念コインと同様にこれから希少価値が出るだろう最終号を確保しなければと頭に浮かび、メールを読み終えると素早くアマゾンに注文した。翌日の土曜日午後に届いた。
さすがアマゾン、税金もしっかり払えよ!

手に入るとすぐにパラパラと眺めた。
最終号でありながら内容は薄い! 非常にガッカリだ。1980円返せと言いたい。まあ内容がないことが休刊になった理由そのものだろう。

書名 ★★著者★★ 出版社 ISBN 発行日 価格
アイソス 最終号 システム規格社 2023.02.10 1,980円

アイソス誌全般について論じる前に、最終号について少し語る。
まず表紙に「マネジメントシステムの未来」とある。実を言って特集が「マネジメントシステムの未来」とあったので購入することを決めたのだ。
なぜかと言えば、このタイトルを見て「マジかよ?」と思ったのだ。正確に言えば、バカじゃない! ということだ。いや上品に新しいアイデアというか思想でもあるのかなと思ったと言おう。

当然、手元に届いてすぐに32ページからの「マネジメントシステムの未来」特集を読んだ。
私が「マジかよ?」と疑問に思ったことは裏付けられた。
何を言っているのかって?
要するにこの雑誌の編集者も寄稿された人たちも「マネジメントシステム」を理解していないのだ。彼らは「マネジメントシステム」を「マネジメントシステム認証」と認識している。もっと正確に言えば「マネジメントシステム イコール 認証ビジネス」更に言えば「金儲け」と理解している。そこのところからずれているのだから、まっとうな議論になるわけがない。バカバカしいというか、当たり前というか、

彼らはプロダクトアウト思考で、顧客の要求、顧客の問題点、審査の問題点など気にもしないようだ。

注:「顧客」とはISO9000:2015 3.2.4で「製品・サービスを、受け取る又はその可能性のある個人又は組織」と定義されている。
「認証というサービス」の顧客とは、認証を受ける企業だろうし、認証という情報を参考にする消費者や企業だろう。間違っても認定機関や認証機関ではない。

プロダクトアウトからマーケットインなんて言われたのは、半世紀も前のことだ。「良いものを作ったから買え」という発想では売れるはずがない。お客様が欲しいものを作らずして、いかなるビジネスも成り立つはずがない。
顧客満足を認証制度には求めてはいけないのだろうか? ひょっとしてISO9001を認証している人たちは、顧客満足を忘れてしまったのだろうか?

要するに「第三者認証ビジネス」に関わっている人たちは、自分たちのことだけ考えていて、認証という制度を世のため人のためにいかに貢献すべきかを考えていない。自分たちが提供する認証サービスを、はなから崇高なものであり、自分たちは素晴らしいことをしていると考えている。
民衆企業や消費者は従わせればよく、説明する必要はないという、由らしむべし知らしむべからずなのか?


特集だけではない。どんな記事があるのかと目次を見たが、アイソス誌が終末を迎えたのは明白だ。
それは認証を受けている企業とそれに関わっている人を無視していたからだ。

Fujisan.co.jpのアイソス誌のレビューを見れば、それが私の個人的見解でないということがわかるだろう。
紫文字は引用部分である。

20世紀、ISO認証の黎明期から20世紀末までは、アイソス誌も企業の人向けの記事も多かった。だから私のように一般企業にいてISO認証と関わる人たちが購読していたと思う。
ところが21世紀になると内容は変質してきた。ISO認証に関わる人たち向けでなく、ISO認証制度の人たち向けになったのだ。
そんなことないとおっしゃるかもしれない。
アイソス誌は2023年3月号が通算304号だそうだ。すごい歴史を持っている。
そして過去に100号記念、200号記念、300号記念と特集を組んでいる。それを見てみよう。

100号記念号は2006年3月号であった。
そこで「ISOの過去・現在・未来」というタイトルでISO認証に関わっている100人の寄稿が載っている。100名はどんな立場だったのか?

200号記念号は2014年7月号であった。
超ISO企業研究会メンバーによる座談会というのが特集だった。
日本の企業でISOに関わっていた人は「超ISO」なんてことは無縁・無用であり、審査員が繰り出すくだらない個人的主観の要求事項をいかに捌くかが最重要事項であった。この座談会なるものが、そういう人たちに役立つと思うか?

300号記念は2022年11月号、3ヵ月前のことだ。
ここでは規格の系譜、制度の系譜と二つについて関係した人たちが語っている。
ではその登場人物はどんな人たちなのか?

200号記念特集の参加者の人数は不明なので、100号記念号と300号記念号の寄稿者の数を数えたグラフである。

アイソス誌特集記事の登場人物

記事の特性から実際にISO認証に関わっている比率より、学者/TC委員とか認定/認証機関が多いというのは分かる。
しかし金を払って認証を受けている人が異常に少ないじゃないか? 100号記念で21%、300号記念では15%である。
そしてその割合はまさにアイソス誌の目線そのものだと感じる。つまりアイソス誌は認定/認証機関と学者やTC委員のためのものなのだ。


いや認証機関のためなのかどうかも定かではない。
2005年、当時日本のEMS審査員登録機関であったCEARが発行する季刊誌「CEAR」にT審査員が「環境実施計画は環境目的を実現するためのもの、環境目標を実現するためのもののふたつが必要」と規格解説を書いた。
CEAR誌に寄稿するくらいだから、T氏はエライ人なのだろう。偉くても正しいとか頭が良いというわけではない。
こんなでたらめを許しておけるか。いや、私の場合は神学論争ではない。自分の仕事でとんでもない不適合が出される恐れがある。

私は口だけ男ではない。私はすぐさま面識のあるISO-TC委員とUKASに問い合わせた。もちろん彼らからは規格を満たすなら一つで規格適合であるという回答であった。
それからJABとCEARに、その解説は誤りであるから間違いを正せとISO-TC委員やUKASのメールを添えて要求した。
更に縁があって指導を受けていた某外資系認証機関の取締役に電話して、CEARに抗議してほしいと頼んだ。その方は既に問題を把握していた。
その後、その取締役から複数の外資系認証機関がCEARに抗議したこと、JABがCEARに指導したことを教えてもらった。

少し後にCEARから、ああだこうだと言い訳の回答メールが来た。そして次号のCEAR誌に「あの記事は寄稿した審査員の個人的見解であり、CEARの見解ではない」とコメントを載せた。T氏は次号でも計画が二つ必要な理由をグジャグジャと書いていたが、間違いだとは言わなかった。間違いを認めると死んじゃう病気なのだろう。

そういう騒ぎをシステム規格社は当然ご存じだっただろう。規格の解釈まして適合か不適合かとなる重大な問題である。そういう意見の相違を調べISO関係者に知らしめることは、ジャーナリズムとしてあるべき姿ではないのだろうか?
アイソス誌は、某新聞のように報道する自由だけでなく、報道しない自由も活用しているのだろうか?


昔、もう15年も前だがグローバルテクノ発行のアイソムズ誌というのがあった。私の知り合いは「中野のコミュニティ誌」と呼んでいた。ひどい言いようだ。
だがそれには理由がある。アイソムズ誌は100%審査員を対象にしたお話しか載っていない。まあグローバルテクノが審査員研修機関であるから、そこが発行する雑誌が審査員とその希望者のためのものであるのは当然かもしれない。だから中野のコミュニティ誌と呼ばれたのだ。
 注:グローバルテクノは中野にある。

だがアイソス誌はそういう前提で発行されているわけではない。「広告掲載案内」によると「主要購読者層は、企業における品質、環境、労働 安全衛生、情報セキュリティ等の管理担当者、SDGs/ESG等のサステナビリティ経営に関する担当者、認証・ 検査機関、コンサルタントなどで、法人読者が7割を占めています。」とある(休刊と広報してからシステム規格社のウェブサイトは消えている。キャッシュより引用した)
しかし実際は認証する側の視点で、その意見を主としていたのだから、本当は「読者対象は認証制度の方々」であり、企業でISOに関わっている人ではなかった。だから一般企業の人が、Fujisan.co.jpのレビューにあるようにアイソス誌に失望したのは当然だ。


企業でISOに関わっていた者として、アイソス誌にぜひ記事にしてほしい、特集してほしいと思ったことは多々ある。そしてその期待に応えてくれないから、私はアイソス誌に失望したのである。

難しいことじゃない。購読者が困っていること知りたいことを地道に調べ、記事にすれば良かったにすぎない。
企業で働く人たちはどんなことを求めているのだろう?

読売新聞や朝日新聞が、ISO審査員が審査で訪問した企業で、饗応を受けたとか、お土産を強請ったと報道したのは2003年だった。
実はお土産を強要されたとか、飯がまずい旨いものを食わせろと言われたなんてことは、20世紀にはどこでもみられたことで、新聞が報道しなくてもISO担当者なら誰でも知っていた。その対応をどうしようと企業担当者は嘆いていた。

アイソス誌は大新聞が報道する前に、なぜ企業担当者の困りごとを取り上げなかったのか? いや、新聞報道されてからもアイソス誌はそれを記事にしていない。まさに報道しない自由か?
アイソス誌は認証機関や審査員のためのものだと言われてもやむを得ない。


2005年頃から、ISOの信頼性問題が大きく報道された。
認定機関や認証機関は、嘘をつかれた、虚偽の説明を受けたと語った。
アイソス誌が企業の人の思いを知っていたなら、某教授が「節穴審査員」とか「虚偽の説明」と語ったとき
節穴審査員
節穴審査員の目
「証拠を見せてください」くらい発言してもよかっただろう。
いや企業の人たちを思いやらなくても、ジャーナリストなら裏を取るべきだろう。誤報は罪だ。

そしてシステム規格社としてISO認証の信頼性というものがどんな指標であらわされるのか、その指標はどう変化しているのか、某教授が語るように信頼性が低下しているのかを調査し報道するのが、ジャーナリストの存在意義ではないのか?
企業で20年間 ISO認証に関わってきたものとして、私はそう考える。

企業が虚偽の説明をしたとか、信頼性がないとかいうのを認定機関も認証機関も語っているとき、アイソス誌がそれをそのまま垂れ流していれば、自分たちはそんなことをしていないと考えている人がアイソス誌を立ち去るのは当たり前だ。

いや本当に企業が嘘をついていたのかもしれない。そうだとしてもアイソス誌が実態調査をして、その結果を示すことは、大学の先生の根拠のないたわごとを載せるより価値があり、企業の人たちに売れたに違いない。

注:しかし企業が嘘をついていると語った人は数多いるが、ISO17021では「ISO審査は抜取だから100%の適合は保証しない(ISO14001:2015 4.4.2注記)」と書いてあることに言及した人はひとりもいない。不思議なことである。


倫理の問題だけではない。過去から企業のISO担当者は、規格要求にない審査員固有の要求事項に悩まされてきた。
審査員は自分がこう考えるとは言わず、「これはUKASの要求です(キリッ)」なんて権威を引き合いに出して要求した。
だが今の時代はeメールがある。UKASに問い合わせれば、すぐさま「なこと言ってねーよ(もちろん英語で)」なんていう返事が返ってきた。審査員もハッタリをきかしたいなら、もっと注意深くなければいかんよ。


環境側面はスコアリング法でなければ客観性がないと語る審査員も認証機関も掃いて捨てるほどいた。もしアイソス誌にやる気があれば、その真偽を追求することもできたはずだ。
「環境側面の決定方法」なんて特集を組んだら、すぐに1万部くらいは売れただろう。

正直言って今だって、環境側面/著しい環境側面の決定方法を理解している審査員は1割もいないだろう。知っているのはスコアリング法だけというのが9割だろう。よく審査員が勤まっているというのがISO認証七不思議のひとつである。
私が根拠のない乱暴な言葉を吐いていると言って欲しくない。八重洲ブックセンターでもオアゾの丸善でも行って、環境側面と題した本を見てほしい。8割はスコアリング法しかない、2割はスコアリング法がメインで形だけ「それ以外の方法もある」と書いている程度だ。


21世紀になると「有益な環境側面」なる幽霊が登場した。寺田さんはあちこちの講演会でそんなものはないと語っていたが、他人が有益な環境側面を語るのを止めはしなかった。他人の商売を邪魔しちゃいけないと思ったのだろうか?

「有益な環境側面なんて言ってない」と語る認証機関があるかもしれない。確かに外資系とかまっとうな認証機関は語っていない。だが有益な環境側面があるとウェブサイトに表示している認証機関が、10年前は半数が、現在でも少数存在している。
有益な環境側面についてもその真偽を解明するべきだった。特集を組む価値もあったろう。だがアイソス誌は、そんなことはしなかった。
幸いなことに……それにはこのうそ800の功績もあるかもしれない……有益な環境側面を騙る認証機関は減ってきている。喜ばしいことだ。
 Cf. 有益な環境側面(2021)


お断り: お断りしておくが、私は有益な環境側面があると語ることを禁じるとか処罰せよという気はさらさらない。
ここで論じている有益な側面とは、一般的な側面という言葉を意味しているのではない。例えば、「消費税の増税における、有益な側面と有害の側面」とか「ゆとり教育にだって有益な側面はあった」というような表現に目くじらを立てているわけではない。
このウェブでは、ISO14001について語っているのであって、私は規格で定義する「環境側面」において、有益な側面はないことを主張していることを明確にしておく。
そして、更に「有益な側面がある」と主張しても、私はそれをもって非難はしない。大学の講義の中で「環境において有益な側面を考えたほうが、企業にとっては有益であろう」と語ることは自由である。その場合、側面という言葉の定義も定かでないので、おかしいと問題提起する根拠はない。
しかし、ISO審査の場において、「有益な側面がないので不適合である」とか「特定された環境側面が有益か有害か区別されていないので、改善が必要です」などという報告書を見ると、頭に血が上る。かようなものは断固として許すことができない。
それはISO17021に反しているし、審査契約にも反しているからだ。まさか審査契約書を見たことがないことはないだろう。そこには「ISO○○規格・JISQ○○規格に基づいて」と書いてあるが、「審査員の主観と認証機関の独断で……」などとは書いてないのだ。

アイソス誌に長い間連載していたコンサルがいた。(2023.02.18追記)
その方は「外部コミュニケーションは環境報告書を出すことである」と書いていた。
いくらなんでもそれはおかしいだろう。企業の環境担当者が外部コミュニケーションと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、近隣住民であり、市の環境担当者である。日々苦情を受け、あるいは苦情が来ないように務めている身としては、それこそが外部コミュニケーションの原点であり、最重要である。
どうして環境報告書を出せばそんな問題が解消すると思うのか、頭を勝ち割ってみたいものだ。

私はアイソス誌で見かけたISOTC委員のメールアドレスを調べてメールをだした。「外部コミュニケーションとは環境報告書を出すことですか?」もちろんそのコンサルの書いたものも添付した。
ご返事をいただいた。
「規格を読んでどうしてそう解釈できるの(怒)」
私はそのコンサルにメールでそれを伝えたら、なんと!「そのISOTC委員が間違っています」というご返事をいただいた。2014年か2015年のことだった。
アイソス誌に掲載されているのだから、それを信じる人も多いだろう。それを信じた審査員が環境報告書を出してないから外部コミュニケーションが不十分ですとアホを言い出すかもしれない。
まあ、それはアイソス誌に責任はないが、とにかく世の中には怪しげな解釈が蔓延している。そういうのをただす、あるいは究明する、そういうことこそ企業で働く人が期待することだ。

スーパーISOも、高尚な品質経営も関係ない、ISOで利益を出そう…、企業で働く人はそんなことに関心はない。アイソス誌を買っているのは、今の仕事のトラブル解消の手掛かりにならないかと思っているからだ。トラブルとは、審査員がISO規格にないおかしな要求をする、コンフィデンシャルのコピーが欲しいという、そんなことである。
私は図々しい方だから、おかしいと思えば反論するし、分からなければアイソス誌とかマスコミで見かけた方にメールを送ることに躊躇しない、しかし普通の人はそんなことをせず悩むのではないか。

もう10年位前だが、ISO担当者に任命されたが審査でトラブルが多く、悩み疲れて自殺した人がいた。私は自殺を選んだことは同意できないが、その状況と心境はよく分かる。
全国報道されたISO自殺は2件くらいだと思うが、ISOを担当して、ウツになった、会社に行けなくなった、会社を辞めた、そういう人は身近なところにも数人いる。ISO規格とか認証はそんな高尚とか司法試験ほど難しいわけではない。難しくしているのは誰なんだ?(追記おわり)


企業でISOに関わる人たちは例示したような、さまざまなおかしなことに翻弄された。購読者の大半を占める企業で働く人たちが関心を持つ、いや必要に迫られている問題に取り組めばものすごい反響があったに違いない。

だがアイソス誌が認証を受ける企業が感じている問題、悩み事を取り上げたことはない。また審査における問題を受査側視点の記事など見たことがない。
いつも…最終号でも載っているのはISOMS規格と無縁の某教授の空論である。そもそも彼はマネジメントシステムを理解しているのかどうか怪しいものだ。外資系認証機関の大物たちは、その先生をISOMS規格をわからん人物としか見ていない。
まあ、過去10年以上そのパターンでやってきたのだから、それは覚悟の上なのだろう。


批判ばかりでは私も偏向と言われてしまう。私から見てアイソス誌の史上最大のヒットを取り上げる。
それは2010年1月号の特集「第4回 ISO9001認証機関格付け調査発表」である。そこではISO審査でたびたび問題になることについて、認証機関の見解を問うている。
中でも重要なのは次の三つの質問である。

まさに踏み絵である。ISO規格を理解していなければ、足が震えて踏み出せないはずだ。だが、どの認証機関も躊躇なく地雷原に足を踏み入れ被弾している。もっとも自分が地雷を踏んだことにさえ気が付いていないようだ。

各認証機関の回答は、問に一対一で対応しない文章であるが、私はそれを一覧にまとめた。

認証機関の回答

注:私がもっともだと考えたものにプラス1点、おかしいと思うものにマイナス1点、どうとも言えないものはゼロ点として、合計点数で順位を付けた。 ISO14001:2004にてらし、規格にない要求をしている認証機関はすべてマイナスとした。

これを見るとなくなった認証機関の多いこと。諸行無常である。

私の判定が間違っていたとしても、同じ質問でも認証機関によって正反対の回答が多々あるのだから、認証機関の半分は間違っていることに変わりはない。

しかし不思議に思わないか
認証機関によって正誤が反対なものが多数あるということは、どちらかは間違っているのは事実だ。ISOMS規格を理解していないで審査を行い、認証を与えるとはとんでもないことだ。
節穴審査員どころではない。

しかし単にアンケートをしただけで終わるのでなく、どちらが正しいのか白黒つけてほしい。そんなこと少しも難しくない、ISOTC委員に問い合わせればいいじゃないか。
あるいはアイソス誌主催で認証機関を集めて討論会したら、私はお金を払っても聴講する。いや大勢がチケットを求めてダフ屋まででるのではないだろうか。

いやいや、どの認証機関が正しいか?
予想屋もノミ屋もでるかもしれない。
新たなギャンブルとして流行するか?
認証機関は己のレーゾンデートルを賭けて頑張るに違いない。それはJRCA主催の審査員講演会などよりはるかに面白いだろう。
JRCAでなくJRAと呼ばれるかもしれない(笑)
日本中央競馬会

そういうことを積み重ねれば、日本全国津々浦々で行われているくだらない審査も、そしてそれに翻弄されている企業も、一挙に解決したはずだ。
大いにやればよかった これに限らず、審査でトラブルになることを企業にアンケートし、その問題を認証機関にアンケートしたり討論会をジャンジャンやってくれれば、審査を受けている企業は非常にありがたい。アイソス誌を買う人はものすごく増えたに違いない。

いや、企業が楽になるというだけではない、それこそが認証制度の継続的改善だ。結果として日本経済発展に寄与しただろう。


なぜアイソス誌はそうしなかったのだろう
もしかして某教授とか認証機関/JACBとかから、苦情があったのだろうか?
国家権力に立ち向った「ペンタゴン・ペーパーズ」の覚悟はなかったのか? ペンは剣よりも強しとは、ペンを持つ人が強いのではなく、ペンを持つ人は勇気を持たねばならないということである。

企業は、審査員独自とか認証機関独自の、上乗せとか横出しの要求事項など要らないのだ。
アイソス誌がISO規格解釈を間違えている認証機関に喝を入れてくれる存在だったなら、一般企業の人がアイソス誌から離れることはなかっただろう。
当然Fujisan.co.jpのレビューにあったような、ISO認証審査員のための雑誌だ、認証する側の目線だ、認証を受ける企業にとって役に立たない、業界の先生方の夢物語ばかりだという批判はなかったろう

冒頭で最終号の特徴が「マネジメントシステムの未来」とあって驚いたと書いた。
マネジメントシステムとはISO規格とも認証制度と無関係だ。すべての組織は必然的にマネジメントシステムを持ち、当然ながらマネジメントシステムはISO規格が作られる前から存在し、機能してきたのである。

注:この論に苦情を言いたいだろうが、その前にISO9000やISO14001でマネジメントシステムの定義を読み直してほしい。

そんなことを理解せずに、ISO規格で表されたマネジメントシステムこそ、真の、唯一の、あるいはあるべきマネジメントシステムなんて思うのは全くの勘違いである。
ISO審査で「このマネジメントシステムはいつから動いていますか?」という審査員の質問を聞いて相手の正気を疑った。弊社のマネジメントシステムは創業以来ウン十年動いてます。
まして第三者認証は素晴らしい制度だと思うなら勘違いですよ。
「マネジメントシステムの未来」を語るなら、ISOMS規格の定義をもとに語ろう。


いずれにしても、形あるものはいつかは壊れる。終わりのない人生もなく、終わらない物語もない。果てのない物語「ネバーエンディングストーリー」だって、上映開始から94分後にはエンドロールが映し出される。
雑誌にも寿命がある。かって存在したISO雑誌、アイソムズ誌もISOマネジメント誌もみな休刊した。アイソス誌もいつかは終刊するのは定めである。
ISO雑誌の中では最長であったことを喜ぶべきだろう。

注:「ネバーエンディングストーリー」で小さな女王を演じたタミー・ストロナッハ(当時)が今50歳と知った。ああ、時は無情なり


ここまで書いてきて、はっと思った。
ここに書いたことはアイソス誌2022年11月号、つまりアイソス誌通算300号発行記念号について私は既に書いているじゃないか!
3月前はまだアイソス誌は更生できると激励を書いていた。今回は休刊というので惜別の辞である。
いや待てよ!アイソス誌が三月後に休刊予定であったなら、なぜあのときにそれを表明しなかったのか?


うそ800 本日の送辞

アイソス誌の休刊は、ひとつの時代が終わったということだ。それはアイソス誌が第三者認証制度に、求心力があったとか影響力があったということではない。ISO認証ビジネスの終焉の前触れだということだ。

前回の終わりの言葉がアラン・ドロンだったから、本日の送辞もアラン・ドロンにちなんで「さらば友よ」で終わろう。

タバコ
えっ、アイソス誌は私の友だったのかって?
友にもいろいろあり、悪友もある。

タバコはどんな意味があるんだって?
映画を見てなきゃ分らんね。





うそ800の目次に戻る

アクセスカウンター