ISO第3世代 42.更新審査7

23.01.05

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

クロージング前の審査員と会社側の打ち合わせである。

三木 挨拶もそこそこに、三木が審査において不適切な指導があったことを認めたほか、審査前に申し入れがあった規格用語を使わないことなどを徹底できなかったことを謝罪した。

注:「不適切な指導」ではなく、指導そのものがルール違反なのだから、「ルール違反の指導をしたこと、かつその指導内容が間違いであった」というべきかもしれない。
とはいえ、そうなるといったいなんのために審査を依頼したのかわからない(笑)。

また審査において佐久間から過去のいきさつなどの説明を受けたことで実態をよく理解できたこと、それについて感謝を述べた。
そして審査結論として、今回の審査において不適合はなく認証を継続するよう報告するという。

寒河江審査員 宮下審査員 朝倉審査員 三木審査リーダー 山内参与 磯原 佐久間 アメリア
寒河江 宮下 朝倉 三木リーダー 山内参与 磯原 佐久間 アメリア
審査員のメンバー 生産技術本部のメンバー

三木 「不適合はございませんが、審査の過程において次の点において改善すべきであると考えましたので、観察といたします。
もちろん是正を要求するものではありません。

以上でございます」

山内参与 「なるほど、ご提示されたことはもっともなことばかりです。拠点によって事情は異なりますので、それを考慮して対応を考えたいと思います。
了解いたしました」

審査側が初めから自分たちが引き起こした問題をすべて出し謝罪して、また審査した結果不適合はないと表明すれば、山内として突っ込むところはない。
ではクロージングに進むわけだが、ここで山内はここに双方のメンバーはいるので、これでクロージングミーティングも終了だと言う。
それで三木は所見報告書に山内の署名をもらい、双方コピーを持てばクロージングミーティングは終了である。開始から終了まで20分もかかっていない。

注:オープニングミーティング(初回会議)もクロージングミーティング(最終会議)も、大勢いなければならないということはない。
多くの場合、審査を受ける部門から出席が必要と思われているが、ISO17021:2011(現行版でも同じ)では必須ではない。むしろ「適切な場合には、審査を受ける機能またはプロセスの責任者を交えて開催しなければならない」と例外規定として書かれている。

ところで日本語で「適切」とは「その場に当てはまっていること、ふさわしいこと」であるが、原文は「appropriate」であり、英英辞典では「特定の状況や目的に見合った」とか「(犯罪に)妥当な(罰)」のように曖昧でなく具体的に見合った意味のようだ。だから特別のことがない限り出席しないのが原則と思われる。
実際問題として、距離の離れた複数サイトの場合、審査を受ける部門から出席することは実際上困難だろう。顔見せのため飛行機で来るまでもなく、関心があればZoomやSkypeで映像を見れば十分だろう。


クロージングミーティング終了後、審査員控室に戻ると三木はメンバーに今回の審査について所見報告書に記載されたこと以外 他言無用であると念を押した。朝倉と宮下は今回のいきさつを理解しているし、寒河江は自分がチョンボしたことからわざわざそれを広めることもないと了解した。

注:「無用」を辞書で調べると「不要」と「禁止」のふたつの意味がある。「他言無用」とは他人に話す必要がないではなく、他人に漏らすなという意味である。
「他言無用」以外にも「小便無用」「天地無用」などは禁止の意味だが、「心配無用」は心配しなくても大丈夫、「問答無用」は反論禁止ではなく話をしても無駄という意味。

話は変わるが、「できる/できない」は「可能/不可能」と「許可/禁止」の二通りの意味に使われ、文章からはどちらであるか分からない。そのため「できる/できない」は「可能/不可能」のみに、「許可/禁止」には「してよい/してはいけない」を使うべきという論もある。

法律では「できる」は「許可」の意味で、「できない」で止まる文章はなく、常に「できないとき」で、それは「不可能」の意味で使われており、肯定/否定の関係ではない。それが条文を書くときのルールかどうか分からないが、複数の法律を見た限りそのようだ。
そして「できる」と書いてないことは禁止であり、「できないとき」には必ず例外規定が続く。他方「できるとき」という語句は使われてなく、「できないとき」と続かないときは選択の余地なく本則通りにしなければならない。

更に蛇足だが、英語でも「can」と「may」の意味は単純に可能と許可ではなく、推量や可能性、文語・口語などにより意味もニュアンスも使い分けられる。


******

その後すぐ三木はメンバーに審査の終了と解散を宣言した。まだ午後早い時刻だが週末なので皆直帰するという。
三木は明るいうちに帰れるとホッとすると同時に、今回の審査の決着がついていないと気分は晴れない。


三木が知らされていた今回の審査の経緯は、過去にスラッシュ電機の宮城工場のISO14001審査で、スラッシュ電機全体の計画と工場の計画に齟齬があったのを見逃していた。その原因は工場が見た目を考慮して実際と異なる計画表をISO審査で提示したが、審査員がスラッシュ電機の全社計画と照合せずに違いを見逃したという。
そして今後は工場の提示したものと、本社が外部に公表している種々の計画などとの整合を点検するようにという要請があったということだ。

よくもいろいろと
注文をつけたものだ。
とはいえ、これが当
たり前か

三木
そしてもうひとつある。それは今回のスラッシュ電機の本社支社の更新審査前に要求された要件だ。ええと、ISO用語を使うな、プロセスアプローチに徹すること、規格は英語原文を基に解釈する、環境側面の決定方法は……、方針の考え方は……まあ〜いろいろと注文を付けたものだ。

とはいえ、上記に点はいずれもISO規格を眼光紙背に徹して読めば、まさにISO規格の要求そのものに違いない。言い換えると企業の多く審査員の多くが、そこまで規格を理解できず、あいまいというか思い込みで審査をしていると言うべきなのかもしれない。


ところで審査した結果、更なる問題が発覚した。
当初スラッシュ電機が苦情を言ってきた目標の齟齬の見逃しと、更新審査時に注文を付けたことは一連のものというか同根であったのだ。
前者の原因は、審査員がルールに反して工場に目標の見直しを指導(指示?)したことであり、ついでに言えば今回の審査でも審査員が目標を変えるよう指導(指示?)したことも判明した。
後者は審査のルールを審査員に徹底し、ルール通り審査をしろという要求なのだ。

いずれにしてもその原因は認証機関にあり、ISO規格やJAB標準を審査員に徹底できていないこと、そして不適正な審査を把握していないこと、そして把握していないから当然 認証機関がすべき是正ができていない。


となると、あとは三木がその問題をいかに上司に報告するかである。
今回の審査において当面の処置はしたが、原因の対策、再発防止をしたわけではない。再発防止は一審査員に過ぎない三木の担当外だ。認証機関としてしっかりした方針を出し、教育やOJTで審査の際の、倫理・判断・行動・発言に徹底させる必要がある。

それから寒河江が審査で指導したことの言い訳として、社長が「経営に寄与する審査」ということをだいぶ力説しているからと言う。
三木は「経営に寄与する審査」というものの定義を知らない。「経営に寄与する」とはどんな意味なのか? 審査員たちが皆、自分が考えた「経営に寄与する審査」をしたのでは大問題だ。
経営陣は、それがどんなものなのか明確にして、方法論を示さないと禁止されているコンサルテーションに走ってしまう審査員がでるのではないか。いや現実に過去に起きた宮城工場も、今回の東海支社での寒河江の行動も社長の方針から出たという。
これは早急に明確にし審査員に周知徹底する必要がある。


更に参ったと思うことがある。寒河江審査員は審査のルールを理解しなければならないが、それ以前に社会常識とビジネスマナー、倫理観そして責任感を持ってくれないとまずい。彼だって50代半ばだろう。しっかりしてもらいたい。

この認証機関では審査員の教育、その力量把握はどうなっているのだろう? ISO規格を満たしているとは思えない。
いやいや、認定審査では認定審査員は要員の力量についてどのような審査をしているのか? 認証機関の問題ではあるが、同時に認定機関の問題でもある……と三木は疑問を感じる。


******

三木は日曜日の夕方には、翌月曜日の審査場所まで移動することが多い。今回はスラッシュ電機の審査が重要であったことで、月曜には審査が入っておらず、朝から会社に出勤してほしいといわれていた。

月曜の朝 三木が出社すると、審査部長の鈴木取締役から始業時間になったらすぐにスラッシュ電機審査の報告をしてほしいといわれた。
会議室に行くと審査部長の鈴木取締役の他に、技術部長の朱鷺取締役、そして営業部長の潮田取締役がそろっている。三木は、彼らもこの審査を重大に考えているのだなと感心した。

鈴木取締役 「三木さん、審査の概要と問題点などを簡単に報告してほしい。それから今後のことを議論したい」

三木 「かしこまりました。所見報告書と今回の審査についてメンバーの報告や意見をまとめたものを配布します。とはいえ所見報告書は結論だけきれいにまとめたものですので、読むまでもありません」

三人の部長は休日に三木がまとめた数ページの配布資料を熟読する。
最初に読み終わった潮田取締役が声を出す。

潮田営業部長 「うーん、昨年の宮城工場の計画云々の発端は、当社の責任ということか

三木 「露骨に言えばそうですね。ただこれに限らず過去より目標が低いとか、高い目標を目指せという指導的な発言をする審査員は多かったと思います。そういう目で見れば、たまたま見つかった、あるいはたまたま問題になっただけとも言えます」

鈴木取締役 「確かになあ〜。私は1995年からこの稼業をしてきたけど、当時は未達であっても良いから高い目標を立てるように指導しろなんて先輩に言われたよ」

注:ISO14001は1997年から審査が始まったが、20世紀初めまで環境の目標は未達でも良いから高い目標を掲げるべきだとオープニングミーティングで語る審査員は多かった。

なぜそう考えたのか分からない。どんなテーマであろうと、計画とは技術的に実行可能であり、そのためのリソースを確保して進めなければならない。そうでなければ実現するはずのない絵に描いた餅であろう。足りないところは根性で…なんて言い出したら、それは計画ではない。

朱鷺取締役 「改善であるなら目標が高くて未達でも良いのではないかね。売上とか原価なら達成することが前提だが、改善のためなら達成・未達の評価は違うのではないかと思うね。
ISO審査でも目標の未達が不適合になるわけではない」

潮田営業部長 「ヴィジョンとプランは違いますよ。若者に夢を持てというのは、ちょっと高めでも良いかもしれませんが、会社は費用を投じるのですから、実現性の低い計画は許されません。また広報発表と実態が大きく異なれば、株価操作とみなされるかもしれません。そうなれば相場操縦的行為及び風説の流布で刑事罰ですよ。
本業でない、例えばメセナであろうとボランティアであろうと、広報発表した目標は達せねばならんでしょう。慈善演奏会なら中止しても問題ないわけではありません」

三木 「計画の性格はともあれ、審査員が目標を上げろというのは許されません。それはISO17021違反です。発覚すれば認証停止とかになるかもしれません。
こういうことは大きな問題になっていなくても、潜在的には多々あると思います。

今回の審査では東海支社はスラッシュの本社から納得できないことは安易に受け入れるなという通知があったためにそれに従ったそうです。
審査員は審査のルールを熟知しておく必要があります。ISO17021やJAB基準類の説明会とか、不具合事例集を作って読ませるとかしないと……」

朱鷺取締役 「審査員が会社の担当者を指導することは、あっても良いんじゃないかな。一般の企業はISO的な発想なんて無縁なところも多いから、審査員が新鮮なというか、新しい発想や情報を提供するというのも大事なことだろう」

鈴木取締役 「いやいや朱鷺さん、そういう発想は危険ですよ」

朱鷺取締役 「危険だって

鈴木取締役 「今は我々が認証ビジネスに関わった1995年頃とは、大きく様変わりしています。まずはISO審査のルール遵守は厳しく見られています。
20世紀はお土産とか接待とか普通にありました。それが新聞報道され騒ぎになったのはもう10年前でした。今も20世紀の感覚でいては問題です。

会議室机 また審査員の態度も見られています。審査員が先生で企業側は生徒だなんて認識では足を取られます。そうそう先生と呼べなんて語っていた審査員もいましたし、企業の担当者を坊やとか小僧と呼んだりしましたね。
今どきそんなボケをかましていたら、即座にお帰りください言われますよ。

そして留意しなければなりませんが、企業にはISOMS規格や環境法規制だけでなく、ISO17021だって自家薬籠としている人はたくさんいます。
企業担当者に知識がなくても審査員が語ることの裏を取るのは普通です。根拠のないことを語ったら突っ込みというか跳ね返りが来ます。
そういう時代ですから、『私が言うのだから間違いない』なんて言うものなら、間違いなく苦情が来ます」

朱鷺取締役 「私が言うのだから間違いない……どこかおかしいのかね

鈴木取締役 「今の時代、審査員は権威じゃないんです。いや権威なんて今の時代 誰も確立できません。常に自分の語ることが正しいこと、根拠に裏付けられていることを聞き手に説明し納得させなければならない。その努力をしなければ、誰も話を聞いてくれません。
かなえの軽重を問うという言葉がありますが、現代では鼎の軽重を問われても気を悪くせずに、自分の語ることが正しいことを立証しなければならないのです」

注:具体例を挙げる。2023年1月時点、いまだ新型コロナウイルス流行は収まっていない。テレビや新聞では、大学教授とか厚労省の高官とか専門家たちがいろいろなことを語っている。 コロナは怖いぞ
ネットではそういう発言をひとつひとつ精査して、間違いだ、正しいと論評する人たちであふれている。○○の研究によると語った瞬間に、引用された論文を読み論文の正否や引用の妥当性が検証されるのだ。

私は医学的なことは分からないが、統計上のことで解釈が間違っているとか、比較する方法が間違っているという指摘は読めば理解できる。
こういう時代は権威というものが成り立たないのかもしれない。しかしそれは悪いことではない。すべての議論が多くの人に見られ検証されるということは、正しいことであり、あるべきことだろう。

朱鷺取締役 「そんなものかね

三木 「それが当然でしょう。鼎の軽重を問うという諺が通用する時代は過ぎ去ったのです。現代は常に、語ること実力が問われるのが当たり前なのです。そして権威で押し切ろうとする人は実力がないのですよ」

注:権威(authority)とは、古フランス語のautorite(権威、名声、権利、許可、尊厳)から、更にさかのぼるとラテン語 人 auctoritatem(発明、助言、意見、影響力、命令)からと言われる。
11世紀頃の中英語では「人々を説得する力、信頼させ行動させる能力」という意味に使われた
「俺は王だから従え」ではなく「俺は、強いから/能力がある/年長だから従え」とか「俺は神から権利を賜った、だから従え」と語り、人々を納得させなければならないということだ。

時代がさがると学位とか爵位とかの制度が定められ、いちいち断らなくても権威というものが客観的に認められるようになったのかもしれない。
そして情報化社会となった今は学位も爵位も打ち捨てられて、証拠と根拠で自説の正当性を立証しなければならないとは、まさに本来のオーソリティの意味に戻ったようである。

朱鷺取締役 「そりゃ審査員もピンキリだろうけど、一般サラリーマンの持つISO規格とか環境法の知識とは段違いだよ」

三木 「うーん、朱鷺さん、まずはその認識を改めないといけません。今回の審査でそう思い知らされたのは、二度や三度ではありませんでした。
アメリア アテンドした中にアメリカ人の女性がいましてね、もちろん日本語はペラペラです。彼女は、ISO規格は英語で読まないとダメだと言いました。確かにJIS訳はおかしなところがあります。『determine』を日本語の『決定する』ではないとか、いろいろ言われました。

また佐久間という定年間際と思しき人がいましたが、彼はQMS審査員補で登録番号は1000番台でしたし、EMS審査員補はなんと400番台でした。補じゃ意味がないと言ってはいけません。 佐久間 その頃から20数年間会社側からISO認証に関わってきて、さまざまなトラブルを経験してきたのです。
そしてまた1級ボイラー技士、公害防止管理者のすべて、環境計量士、作業環境測定士などの資格を十指に余るほど持っていました。
彼の語ることは重みが違います。我々が教えを乞うレベルで、ウチの講習会で講師が務まります」

注:QMS審査員で1000番台とは1995年頃に審査員登録した人だ。同様にEMS審査員で400番台とは1997年に登録したはずだ。いずれも非常に早く資格を取った人だ。
ISO審査員は誰でも取れるが、それ以外の上記資格はいずれも結構難しい。私はボイラー技士以外は全部持っている。
いや正しくは環境計量士は試験に合格しただけだ。資格を取るには、試験に合格しただけでなく、合格後に講習会を受講して修了試験に合格しなければならない。だけど講習会に参加するには受講料・旅費・宿泊費込みで30万くらいかかるから、試験に合格しても講習を受けて登録する人は試験合格者の2割くらいらしい。言い換えると8割は計量士の仕事に就かず、頭の良さを示すために受験しているのだ。
いずれにしても定年退職すると、そんな資格など全く役に立たない。自慢できたのは囲碁2段くらいかな?

朱鷺取締役 「うーむ……まあ、分かりました。それで

三木 「審査員だからといって上から目線の対応などしてはいけないということです。知識も経験も対等であると認識して、相手に敬意をもってコミュニケーションをとらねばなりません。
先方が考えて考えて練り上げた環境目標を、根拠もなく○%上げたら良いなんて発言は大変失礼なことでしょう」

朱鷺取締役 「フーン、じゃあどうするんだ

三木 「むずかしいことではありません。審査員は虚心坦懐にISO17021やJAB基準にある通りに素直に審査をすると認識しなければならないのです。アドバイスなどせずに」

潮田営業部長 「どんな問題があったのですか

三木 「審査で録音はダメといっています。本当に録音していないかどうか分かりませんが……
私の審査休憩時に苦情を言われたのですが、速記録なのか録音からのワープロお越しなのか、ともかく寒河江審査員と対応者の応答が一字一句打たれたものを出されました。
そしてこの発言はおかしいとか、ISO17021に逸脱しているとか、証拠と根拠をあげてクレームをつけられました」

鈴木取締役 「具体的にはどんなことですか

三木 「一番気になったのは会社の人が説明しているのを『そういうことはいいから』と説明を止めさせて自分の意見を通そうとしたとか」

鈴木取締役 「『そういうことはいいから』ですか、ありがちですね」

三木 「トンチンカンの発言ならともかく、プリントされたものを読む限り会社側の説明のほうが前後関係から筋道が通っていて妥当と思えました」

鈴木取締役 「それはどうしたのですか?」

三木 「クロージングミーティング前の打ち合わせで、始まる前に該当したものすべてを挙げて、弊方の誤りであると表明し謝罪しました。向こうはそれで納得してくれました」

鈴木取締役 「その話を聞くと、三木さんでなければ問題が大きくなっただろうね。さすが三木さんというところだ」

朱鷺取締役 「会社側も勉強しているということか」

三木 「それこそ上から目線ですよ。そうじゃなくて、まず審査員と会社側は対等だと認識しなければならないのです。私たちは謙虚に当たらなければなりません」

朱鷺は黙ってしまった。

鈴木取締役 「ええと、三木さん、これからの対策のことに戻りたいのだが……」

三木 「ハイ、私の思うところは書いた通りです。口頭で繰り返しますと、

そんなところですね」

潮田営業部長 「そんなところと言うけれど、とんでもなく課題が多く重いね」

三木 「私は命じられたスラッシュ電機の更新審査をしました。その結果、過去の問題点、現在の問題点をクリアにしました。
これから是正するのは経営層の皆さんです。頼みますよ」

潮田営業部長 「ちょっと、ちょっと、三木さん、ぜひご協力くださいな」


うそ800 本日思うこと

ISO17021の実行というのはなかなか難しいと思う。
2003年頃、審査先での供応とかいろいろな物品の強要が指摘され、あつものに懲りてなますを吹くごとく、昼飯にコンビニ弁当を持っていくような状況になった。

上から目線
上から目線
だが本当の問題はそれではなかった。審査員のスタンス、心構えであったのだ。上から目線というスタンスは21世紀の今も変わらない。
企業で30年も40年も環境管理をしてきた人に対し、それまで排水処理施設を見たこともなく審査員になり、文字だけの知識と数年の経験で講釈を語るのは、己を専門家だと認識しているのか、それとも笑い話なのか。
企業側から金返せと言われてもしょうがない。

本日は文中に注記が多すぎて煩わしかったかもしれません。
基本的に文末注記は出典を示すものと考えており、既述したことの注釈とか解説はその個所に記述しようと考えております。
そして実は、私の言いたいことは青文字であり、物語はどうでもいいのですよ。


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秋池様からお便りを頂きました(2023.01.05)
新年あけましておめでとうございます。
本年の出社初日に力作を拝読させていただけて感謝感激です。
本年も大変期待しておりますので、よろしくお願いします。

秋池様 ご年賀ありがとうございます。
力作なんて言わないでください。しうぼくて申し訳ありません。
今年は何をしようかなと考え中です。お薦めありませんか?
趣味でも見学/見物でもいいですからアドバイスください。
毎年、歌舞伎とか大相撲とか初めて見るものにチャレンジしていました。残念ながらコロナ流行以降はそういったところに行ってません。
早くコロナ流行が収まってほしいですね。

外資社員様からお便りを頂きました(2023.01.06)
おばQさま
新年おめでとうございます、お元気で記事更新 今年も有難うございます。

>例よって生々しいというか、アルアルな状況
とても参考になりますし、思わず共感。
1)審査会社の朱鷺氏
上から目線に「私が言うから正しい」とか。
英文で規格を読まず、邦語誤訳の解釈を押し付けてくる。

2)余計なお世話:審査員が会社の担当者を指導
これって今でもありますね、最近の体験ではISO審査なのに会社規定に「セクハラやパワハラの外部通報体制があるのか」と審査範囲を拡大解釈して適用し指導しようとする。 小さな会社ならば、まずは総務の責任者、社長が対応するのが普通ですよ。
それに厚労省は、「第三者」通報窓口の設置なんて必須にしていません、プンプン

>あって欲しいけれど難しいだろうな
三木氏の顧客への誠実な対応と、認証会社への提言。
普通なら、お客には「自分は悪くない」という言い訳が出るし、会社に対しては「他人のヤラカシでこんなに大変」と愚痴が出るのが普通。
それを言わずに、前向きに改善しようとしている、立派ですねぇ。

>妙にリアルで生々しい
三木氏の行動は、自己の責任範囲を全うし、それを越えない勤め人の鑑「再発防止は一審査員に過ぎない三木の担当外だ」
話は飛ぶけれど、日本陸軍が暴走したのは、こういう下剋上を上が許し、下は当たり前と思ったからですね。
とは言え、下剋上が起こるのは経営層が、やるべき事をやっていないから。

結びの「ちょっと、ちょっと、三木さん、ぜひご協力くださいな」には笑ってしまいました。
これも日本企業の労働契約の欠陥で、役割に無い人に、報酬も無しに余計な仕事をさせる。
それをやらせるならば、権限と適切な処遇が先ですよ。

外資社員様 今年もよろしくお願いします。
いつも審査員が悪役になっていましたから、心機一転して今年は審査員がヒーローのお話を考えます。とはいえ全員がヒーローのはずはありませんから、とりあえず三木さんに主役を演じてもらいました。

昔、金を払ってでも苦労をしろなんて言われました。将来があるなら金を払ってまでは無理ですが、苦労をするのは厭いません。でも三木さんは既に契約審査員ですから、職務を100%達すれば良いと考えるのは当然です。
契約審査員とは契約社員ではなく、仕事があるときだけのアルバイトです。
さかのぼれば元々仕事の範囲が明確になっていないからおかしいのですよね。周りを見て手伝う人が立派なのか、自分の仕事は終わっても残業している人がいれば残業を手伝う人が出世するのか、その辺がまあ……なんなんでしょうかねえ〜

もし私が30年昔に戻ったとしたら、自分の仕事は完璧にするのは当然ですが人助けの残業はしたくありません。自分の20歳から30歳を振り返ると、なんで金にならない時間外をしていたのかと悔みます。その分、子供たちと遊ぶとか自己啓発に注ぎたいですね。
引退して10年経つと、現役時代の役職とか年収とかどうでも良くなります。ただ過去の自分の仕事に誇りを持つことはやはり大事です。それとわが子といっても30過ぎれば年に何度も会いません。子供と話するとか遊ぶとかできるのは20代30代しかありません。そうでなかったことを今猛烈に後悔しています。


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