ISO第3世代 44.反省会2

23.01.16

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

アメリアからメールが来た。内容は来週〇曜日の〇時に次回打ち合わせをすること、そして先日出された意見をアメリアが図表にまとめたものが添付されている。磯原はわざわざメールを送るまでなく、立ち上がってみんなに声をかけても、コピーしたのを配っても済むのにと思う。
まあ臨席にいてもメールで通知するのが本社の作法なら、郷に入っては郷に従えだ、文句を言うこともない。本社は常時2割から3割の人が出張しているから、自然と報連相はメールがデファクトになり、関係者全員がいる時でもメールで連絡することになるのかもしれない。

アメリアのまとめた図表を眺める。皆が好き勝手に発言したことをグループにまとめ、それらを順につないだだけだ。しかし人によって語ることがインプットだったりアウトプットだったりプロセスだったりするが、このように関連付けるとビジブルで分かりやすい。
とはいえ、問題解決のためになにをすべきかは、これからの対策検討そして改善案の選択がある。

磯原は思想的なことはさておき、仕事でも暮らしでも完璧に保守主義である。保守とは何もしないことでもなく事なかれ主義でもない。現状をより良くしていくという考え方にはいろいろある。想定するあるべき姿は同じでも、理想を一挙に目指そうとするのが革新で、保守は現状から一歩ずつ歩んでいこうとする違いである。

怠け者怠け者
階段
ジャーンプ
怠け者保守革新
キリギリス
アリ
バッタ
何もしない
一歩ずつ歩む
一挙に理想を求める

電気設備の保守をしていると、考えも保守になるのかもしれない。いや社会で働いて現実を知れば、皆 保守主義になるのではなかろうか? 実際の仕事をしていれば、よほどのフリーハンド、つまり人事とか予算の権限がなければドラスティックな改革などできない。先立つものは予算である。ちなみに予算とはお金、人、時間のことである。結果 大人はみな保守である。
制約条件を無視し理想を求めるのは、天才でも勇気があるのでもなく、単なるバカである。何もしないのは省略


いろいろな意見が出たが、類似あるいは同じカテゴリーのものをグループ化し、その関連をつないでみれば分かりやすい。山内さんはドクターになって入社してから研究一筋で研究所長までなった人だから、頭もよいのだろうが仕事の進め方をよく知っていると思う。もしこの図を描かなかったら思考の生産性は大きく違うだろう。

最終目的地は遵法と汚染の予防と、ISO14001の意図と同じなのは自明である。しかしそれを実現するにはISO14001と同じ方法でなくても、実現可能であることも自明だ。驚くことはない。それはISO14001の初版の序文に書いてある。個人的な力量に依存する仕組みもあり得るし、見直しと監査のみのものありだ(序文)。ISO14001は包括的なマネジメントシステムの一例を示したに過ぎない。
もっともISO14001が殊勝だったのは当初だけで、2015年版になると傲慢不遜な表現になっている。ISO9001はひたすら劣化の歴史だったが、ISO14001も同じ道をたどるようだ。

さて企業には人と同じく個性があり、またそれぞれの制約条件はみな違う。だからISO14001を尊重することなく、自分の身の丈に合った仕組みを採用することは必然であり妥当なことだ。
今我々が考えるべきはそこだろう。その結果、ISO14001の要求事項をすべて満たす可能性は高いが、すべてを満たさない方法である可能性もある。
まあ、そこに気を取られる必要はない。
そんなことを考えて磯原はダイヤグラムというかフローチャートというべきか、アメリアの作った図表を眺める。

図表

まずしなければならないことは、遵法すなわち違反を見つける仕組み、そして汚染の予防すなわち事故の可能性を見つける仕組みが必要だ。言い換えるとそれがすべてである。
もちろんその仕組みはある、あるのだが完璧でないのだ。
いかに補強すべきかということになる。
それはマネジメントシステムの見直しである。
会社のマネジメントシステムは結果として職制つまり会社組織に展開される。

注:正確に言えばマネジメントシステム イコール 職制ではない。そもそもアメリカ軍のシステムの定義は、組織、機能、手順である。職制は組織と機能を満たすかもしれないが、手順までは満たしていない。

そしていかなる仕事も、そのプロセスは常に監視され、必要があれば是正されなければならない。監視というと聞こえが悪いが、モニターの訳語であり、モニターとは「状況の変化を観察すること」である。もちろん管理とはそれだけではなくコレクティブ・アクションも含む。常に基準と現実を比較して、許容される範囲を外れないように是正をしていかなければならない。まさに自動制御のネガティブフィードバック機構である。

ISO14001の文書管理もコミュニケーションその他も項番すべては、このフィードバック機構のパーツに過ぎない。ならばすべての企業・組織は同じフィードバック機構が使えるかとなれば、そうではない。それぞれの組織を構成する人も違うし、扱うハードもデータも異なる。だから、力量も管理項目も付帯設備も規制も異なる。その結果、必要十分とする仕組みが違うのは自明だ。


それから磯原は思い出した。磯原は本社に転勤になってISOMS規格に興味を持ち、過去からのいろいろな資料を読み漁った。なにせ稲毛から東京まで40分、混雑の中 立ったままとは言え、毎日1時間半も本が読めるのだから勉強時間には事欠かない。

電車です電車です電車です電車です電車です

ISO9001の初版では、規格を組織に適用するには、テーラリングが必要であると書いてあった。テーラリングとは文字通り洋服を仕立てることである。太ったり痩せたりすれば吊るしのままの洋服は体に合わないから、体に合わせて調整しなければならない。

もっともISO規格を基にテーラリングすべきなのか、その組織に見合ったものを仕立てるべきなのか、どちらのアプローチが良いのかは分からない。ISO9001を作った人は、ISO9001が基本であるという自負があったのか? まあ当時多種多様な品質保証規格があったから、更に新しい品質保証基準を作られると困るから国際標準としてISO9001を作ったわけで、ISO9001をテーラリングして使えというのは必然だったのだろう。
もちろん前述したように、ISOMS規格など気にせずに、現実を基に考えることも方法のひとつである。

注:そもそもスタンダードというのは互換性が必要だから求められる「特性」である。ワンオフならば互換性など無縁だ。
ISO9001は商取引に使われている品質保証要求事項が、企業により国によりさまざまであるから貿易に支障がある、ならば品質保証要求事項を共通にすれば自由貿易が拡大し貧富の格差も減るだろうということであった。

だが、ISO14001はそのような二者間の取引に役立つとも思えない。また環境管理といっても環境負荷の大きさも種類も違い共通の基準などそもそも可能だったのだろうか?
そこから演繹するならそもそも環境マネジメントシステムの国際規格の存在意義は何だろう?

磯原はまた思う。今、遵法と汚染の予防を完全にするために、スラッシュ電機の環境マネジメントシステムの見直しを考えている。しかしそういう発想もおかしいのではないか?
まずスラッシュ電機は過去数十年に渡り存在し事業を営んでいる。だからマネジメントシステムは存在し、それを完ぺきとは言わないが、十分有効に機能していることは間違いない。であればマネジメントシステムを新たに構築するとか作り直すということはありえない。


また大事なことだが、マネジメントシステムとは唯一無二である。環境マネジメントシステムなる言葉はあるが、ISO14001の定義でも環境マネジメントシステムはシステムであるとは言っていない。正確に言えば組織のマネジメントシステムの環境に関わる部分をそう呼ぶという定義である。環境マネジメントシステムはマネジメントシステムの一部であって、サブシステムでもないのだ。ここは重要なところだ。

マネジメントシステムとは企業経営すべての運用を決めたものであり、環境とか品質という分け方はできない。だって文書管理ひとつをとっても、それは環境とか品質に分割できるものではない。便宜上、品質マネジメントシステムは文書管理を呼び出し、環境マネジメントシステムでも同じ文書管理を呼び出しているわけだ。
だから唯一無二で分割不可能なマネジメントシステムがあり、その環境に関わる部分を環境マネジメントシステムと呼ぶが、それはシステムではないのだ。
当然、現状のマネジメントシステムを見直すには、環境だけを考えてはいけない。品質も経理も種々法規制も切り離して考えることはできないのだから。

卑近な例を挙げれば、環境の文書管理方法で問題があり直そうとするなら、環境だけでなく全体の文書管理をどうするかということを考えないとならない。
この文章を読んでなるほどと思わない方は、文書管理をしたことのない人だ。

結局、環境マネジメントシステムを考えることは、企業のマネジメントシステムを考えることであり、今、しようとしていることは、環境管理において不十分なことを補完・補強するためにマネジメントシステムをいかに修正するかということになる。
もちろんそのとき、環境以外のことも考慮しなければならない。単に一つのカテゴリーにおいて改善しようとして、他の業務にネガティブな影響を与えてはならないのは当然だ。環境遵法を徹底しようとして他の業務の工程を増やすとかコストアップさせてはならない。

今回の更新審査で、廃棄物処理委託契約書の不備が発見された対策としては、契約書全般についてチェック方法を考えるべきだろうし、ビル管理会社へ必要な手順を示していなかったことは業務委託契約全般に言えることだろう。会社の業務全般に、包括的で漏れがなくかつコストミニマムの方法を考えなければならない。

磯原は考える。目的は遵法と汚染の予防である。
現時点、スラッシュ電機のマネジメントシステムは、完ぺきではないが9割は正常に機能している。そして現実に発生している問題もいろいろある。これらの問題の処置対策そして再発防止のためにはなにをすべきか、それをどのようにマネジメントシステムに織り込むのか?
それが次回ミーティングまでの山内の宿題である。



ミーティングの前日、山内がアイデア提案を指示した対策やなすべきことについて、佐久間とアメリアから提案を記したメールがきた。
磯原はメールを開いて、他のメンバーの提言というかアイデアを眺める。
佐久間はISO認証の価値を見直そうというのを前面に出している。気持ちは分かるがそれは結果というかひとつの方策だろう。
アメリアは良いマネジメントシステムを作らなければならないということ、そのために取るべき施策をいろいろと提案している。まあ、それは間違ってはいない。だが現状が悪いのかといえば、磯原は大騒ぎするほど悪いとは思わない。
自分の提案が皆からどう受け取られたのかそれが楽しみだ。



今日は、山下麾下のメンバーによる環境管理についての検討会の二回めである。前回は更新審査の反省会という意味合いであったが、山内が3人の提言というかアイデアを眺めて、更新審査の続きではなく、我が社の環境管理体制の見直しであるべきと名称を変えたのである。
といっても単に内部の意見交換会に過ぎないが、案内メールのタイトルは変わっていた。

山内参与 「先週の打ち合わせ後の各位の提言を拝見した。皆も読んだだろうが、人によりいろいろな視点もあり、見解も異なり、提言に至っては同じものがないほどバラエティーに富んでいた。
わしの指示も自由に考えてほしいということだったし、内容について評価するつもりはない。
とにかくメインは遵法と事故防止策であり、端的に言えば更新審査のための調査などから見つかったような不具合を検出できる体制にしなければならないことが明確になったと思う。
ISO認証の返上する・しないは主たる論点ではなく対策でなく、結論から演繹されるひとつに過ぎないということかな。

わしはこのところISO14001規格を何度も読み返したが、一番価値のあるのは序文だと思った。序文は規格に力があるとは語っていない。規格をうまく使ってくれということだ。そして認証が目的と語ってもいない。
打ち合わせ とはいえ2015年版の序文はええかっこしいであまり好かん。うぬぼれているとも言える。1996年版の序文の方が正直で好感が持てる。
ともかく我々が企業の仕組みを作るうえで、ISOMS規格に拘束される言われはない。我々が必要とする機能を持たせることが必要充分である。ISO規格要求事項が上位にあるわけでは全くない。ま、そんなことを思った。
もちろんISO14001の意図である遵法と汚染の予防は間違いではないが、そこに至る道はいくつもあるだろう。『分け登るふもとの道は 多けれど 同じ高嶺たかねの 月を見るかな』ということだろう」

注:一休宗純の「骸骨」にある歌で、どんな宗教でも至る所は同じという意味。もちろん真理かどうかは分からない。
同じ「骸骨」に「行く末に 宿をそことも 定めねば 踏み迷うべき 道もなきかな」という歌がある。泊まる宿を決めておかなければ道に迷うこともないという意味。
仕事に目標は欠かせないが、わざわざ人生に目標を決めて、それを達成した・しないと気に病むことはない。そう割り切れないのが人生だけど。

山内参与 「さて、演説しても始まらない。
アメリアが作ってくれた、まとめのダイヤグラムは良くできている。なにごとも言葉だけでは分からない。ビジブルにしてもらうと理解が早い。
とはいえこの図の結論をどう実現するか、理想を追うのか現実的な方法とするか、段階的に進めるのかは検討の余地がある……というか会社が対応できることとできないこともある。
そんなことをこの場で考えていこう。
ええと、アメリア記録頼むよ」

アメリア 「お任せください」

山内参与 「まず主体性を持った環境活動にしようというのが皆の共通見解のようだ」

佐久間 「おっしゃることが分かりませんが」

山内参与 「ISO審査で本社・支社が見せているものには、ISO規格そのままというものがいろいろあるんだ。
目的目標は、言葉も規格そのまんまだし、その考え方進め方も規格にある通りだ。もちろんテーマや数値は我が社が公報しているものではあるが、枠組みも表現もISO規格を踏襲している。そしてそれは我が社の規則で定めている枠組みとも社内での名称とも違うのだ。そういうことは多々ある。監査部の業務監査をわざわざ環境監査と読み替えたり、執行役会議での報告をマネジメントレビューと呼んでいたりする」

佐久間 「ああ、そういうことですか。それは審査員に説明するためにしているわけでしょう。今回はあるがままという方法で進めましたが、過去よりしていることはそのまま見せたわけで、既にISO規格に染まっているというか、審査員に理解しやすいようにしていたわけです」

山内参与 「そう考えると磯原君の前任者は罪が深いなあ〜」

佐久間 「それはやむを得ないことでもあります。期限を切られてISO認証をしろと言われると、あるべき姿なんて言ってられません。とりあえず適当につなぎ合わせて審査員が理解できるようにするしかありません」

山内参与 「そしていったん認証してしまえばそれが定着してしまうのか」

佐久間 「まあ、そうですね。それはしょうがないでしょう」

山内参与 「とはいえ、それは認証しても手間がかかるだけで、会社の仕組みが良くなるわけでもなく、効率が上がるどころか下がるだけだ」

アメリア 「すみません、山内さんが言いたいことはどういうことでしょうか?」

山内参与 「ああ、すまん。皆からの提案というかアイデアを拝見した。皆もお互いの意見を見ているだろう。今日はこれからの活動方向について意見交換と認識を一致させようと思う。とはいえ皆の書いてくれたものを見ると、軽重の差はあっても取り上げられたテーマに違いはないと思う。
ま、フリーディスカッションでいこうや」

佐久間 「それじゃ例によって、早いのが取りえの私から行きましょう。
アメリアと磯原君の提言を拝見したけれど、体系化されている磯原君のまとめが一番素晴らしいと思った。俺の作文は思いついたことを羅列しただけだからね」

アメリア 「私もあるべき姿と現状の問題点を比較して、それをいかに埋めていくかを具体的施策につないでいる磯原さんの提案が素晴らしいと思いました。
いずれにしても目標に齟齬にも施策にも見解の相違はありませんから、磯原さんのまとめたものをベースにして議論していきませんか」

山内参与 「わしも異議はない。
それとISO14001では環境マネジメントシステムという範疇をとらえて議論を進めている。磯原君は、環境マネジメントシステムなんてものはない、会社のマネジメントシステムがあるだけだという。これもまた真理だ。
我々が会社の仕組み、内部監査であろうと、文書管理だろうと、現状の不具合を直そうとすると環境というくくりでは対応できない。会社のマネジメントシステムをいじるということになる。だからいかなる施策であろうと、環境限定なんてことはできないしありえない」

佐久間 「発言してよろしいですか? ISOMS規格では○○マネジメントシステムという呼称を使いますが、なぜなんでしょうかね? そういうものが存在すると考えているのか? それとも会社のマネジメントシステムのサブシステムと理解しているのか?」

アメリア 「私もそれが非常に大きな疑問です。ただ定義をみると環境マネジメントシステムは、環境管理のシステムであるとも、会社のマネジメントシステムを構成するサブシステムとも言っていません。会社のマネジメントシステムのpartだとしています」

佐久間 「Partならシステムでないということかな?」

アメリア 「どうなんでしょうねえ〜、英文でも意味不明です。ただはっきりしているのは会社のマネジメントシステムに含まれるけれど、それがシステム……つまり相互に関連する又は相互に作用する要素の集まり(ISO9000:2015 3.5.1)とは言ってないですね」

山内参与 「うーん、わしは前からそこに引っかかっているのだが……システムの定義としてそれはちょっとおかしい気がする……わしが思うに、システムとは単なる関連とか相互作用ではなく、秩序だった関係ではないのだろうか?」

佐久間 「私はそれとは違うのですが、廃棄物と省エネが相互作用とか関連しているとは思えませんね」

山内参与 「確かに……そもそも今年3月に我が社の環境部が解体されたというのは、環境と名がついても一体のものではないから、それぞれがもっと密接に関わっている部署にグループ分けを変えたといういきさつだしな」

磯原 「今のお話は形而上のことではなく実際の活動において密接にかかわるわけですよ。
環境マネジメントシステムでも文書管理がありますし、品質マネジメントシステムでも文書管理がある。内部監査もコミュニケーションその他もみな同じです。
そういう現実を見れば、環境だけ改善するとか、環境管理で不具合があるから環境マネジメントシステムの範疇で是正処置をとるなんてことはありえないとなります」

佐久間 「まさしくそう思う。となると目標設定にしても環境目標とか品質目標というのはありえない。会社にはすべてを考慮したすべてに関わる目標しかないのは言葉の綾ではなく、事実であるんだよね」

山内参与 「素直に考えると当たり前のことだが……今までのISO審査でそういう発想というか発言はなかったのだろうか?」

佐久間 「そう言われると弱いところです。私もあるがままを見せて審査を受けてきたつもりですが、実際には環境マネジメントシステム規格の言葉や項番という呪縛からは逃れられなかったということでしょうね」

山内参与 「環境マネジメントシステムの呪縛か?」

佐久間 「本当に会社のマネジメントシステムを理解していれば、環境マネジメントシステムという発想にはならなかったはずですね。ということはISO規格を作ったISOTC委員たちも、実際の会社を知らなかったのではないですかね?」

山内参与 「確かになあ〜、わしも官公庁向け製品などで品質保証協定などを結ぶときに要求事項対応で参画したことはたびたびあった。そういうときに会社のマネジメントシステムをどうこうということはなかったね。顧客は自分が買う品物をこう管理せよと要求はするが、会社のシステム全般になど口を挟まない。
ISO規格が会社の仕組みに口を出すということは、ISO規格通りにすればうまくいくという自負があるのだろうか?」

注;「官公庁向け」というと、普通は口にすることが憚れる、つまり防衛関係のことだ。

佐久間 「まあISO9001の始まりは品質システムでした。後を追って出てきたISO14001がマネジメントシステムを自称したから、負けずと品質マネジメントシステムに改名したのです」

注:ISO9001:1987のタイトルは「Quality system」であり、ISO9001:2000では「Quality management system」となった。

山内参与 「頭に形容詞のつかないシステムの方が格上に見えるがね」

佐久間 「正確に言えばISO9001は「品質システム-設計・開発・製造・据付け及び付帯サービスにおける品質保証モデル」でして、前に形容詞がない代わりに後ろに形容詞句があったのですよ」

山内参与 「ハハハ、なるほどそれで環境に負けずと名前を変えたのか」

佐久間 「せめて名前負けしないようにでしょう、アハハ」

山内参与 「オイオイ、『名前負け』の正しい意味は名前が立派すぎて実が名に伴わないために、かえって見劣りすることだよ」

佐久間 「これはしたり」

アメリア 「あのう〜、お二人の掛け合いはおもしろいのですが、少しも進みませんね。
せめてISO認証の継続とか返上とか……」

山内参与 「いや、もうインプットとプロセスについては同意が得られたと考えているよ。
それにISO認証をどうするかなんて、施策でもない。実施事項の一つに過ぎない。
では施策について考えていこうか。
真に指標は遵法と汚染の予防を目指した環境マネジメントシステムを世に提案しよう」


うそ800 本日のお詫び

一体全体、この回は何を語っているのか?
そう思われたかもしれません。私なりに考えたのですが、ISO認証の価値を考えたとしましょう。費用以上の価値があれば認証を継続、そうでなければ返上ということになるでしょう。では、かかっている顕在費用、潜在費用の把握、認証効果の把握ということに進むのでしょうか?
私は、費用対効果次第というより、本来の意図つまり遵法と汚染の予防をいかにして実現すべきかということがすべてではないのだろうかと思うのです。

ISO14001の序文ではISO規格を実現すれば素晴らしいですよと語っているけれど、それ以外の方法がダメというわけでもなく、すべての要求事項を満たさなければだめという根拠もなく、すべての要求事項を満たせばOKということは絶対にないことは間違いない。
ならば企業は独自に自社に最適な環境マネジメントシステムを作らねばならないということになるでしょう。それがISO規格要求とどう違いのかなどどうでもよいことで、ダーウィンではありませんが、最善の仕組みなんて存在しなければ、その企業にとって今最適な仕組みが最善であるとしか言いようがありません。
おっと、そういう認識をこの山内組のメンバーが共有するための流れを書いておきたいということです。


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外資社員様からお便りを頂きました(23.01.16)
おばQさま 今回も勉強になりました、有難うございます。
何度かお書きになった「**マネジメントシステム」という用語定義。
恥ずかしながら、私は正しく理解できていませんでした。
なるほど、会社は会社の存在目的の為にマネジメントシステムがあるから、それ以外のものはサブシステムであるし、サブシステムが独立した目的や存在意義を持つのはオカシイという御指摘だったのですね。とても勉強になりました。

企業のマネジメントシステムの観点で「環境マネジメント」について私なりに見直してみると、「環境マネジメント(サブシステム)」がなぜ必要かを定義。
  1. 順法面: 不法行為を起こせば信用を落とす、社会的にも指弾されるし、賠償請求もあり
  2. 利益面:企業として重要で、これで見直せば
    a)電力削減は固定費や販管費削減につながる
    b)材料取りを良くする、廃棄物削減は材料費の低減になる。
    一方で、環境に配慮した対策、グリーン調達でコストアップの場合には、総合的な判断が必要。
    つまり環境マネジメント単独で、良い事だからと採用してはいけないはずなのです。
  3. 社会貢献
    これが一番難しい問題で、その施策をとって良いかは、環境マネジメント単独で決定すべきでなく、会社のマネジメントとして、利益の一部をそのように使って良いかを本来は判断すべき。
    但し、「環境予算」等であらかじめマネジメントで認められた中での使用は個別判断可能。
結局、マネジメントの中で環境関連の予算を取るという許可があって、その中で何をやるかを決めるべきで、環境第一のような考え事態が、オカシイという当然の事なのですよね。

<遵法と汚染の予防をいかにして実現すべきか>
実は、サプライチェインまで広げると難しい問題だと思っています。
海外で環境汚染の法的要求が低い国に工場移転をするのは問題ないのか?
経営判断としてはありですし、法的にも在地法で考えれば問題無し。
これを環境マネジメント単独で、駄目といえるかは不可だと私は思います。

なぜならば経営マネジメントが判断すべき問題だから。
環境基準が低い国から、重金属や規制物質を使う部品を安く買う事も同様。
単純にコストだけの判断で良いか、環境基準も含めて考えるかはマネジメントの問題。
でも実際には、そこまで考えて対応している会社は少ないですね。
本来はCSRなどで定めて「サプライチェインも含めて環境に配慮」とか書いている会社も多いですが、実際には、在地法との差異まで考えて部品の選択をしている会社って少ない気がします。
もちろん国内の規制物質の使用については対応する会社は多いですが。
(例として電解コンデンサや蓄電池など)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
正直言いまして、私はデタラメを書いているつもりはありませんが、論文を書いているわけでもありません。だからあちこち穴があるだろうと思っております。
要するにあまり真剣に読まれると困ります。

一つ申し上げておきますが、会社の仕組みをマネジメントシステムと呼ぶとして、環境マネジメントシステムはそのサブシステムなのかといえば、そうではないというのが私の考えです。
根拠はいくつもありますが、規格の定義で環境マネジメントシステムは会社のマネジメントシステムの環境に関わる部分であるとなっていることで、システムではないと読めます。
システムとは「相互に関連する又は相互に作用する要素の集まり」と定義されています。環境マネジメントシステムにはエネルギー管理も廃棄物管理も化学物質管理もあります。しかしそれらは相互に関連もしませんし作用もしません。現実に多くの会社ではそれらの管理部門はバラバラですし、それらをまとめて組織が作られているわけでもありません。また文書管理とか内部監査その他の機能はマネジメントシステムの構成要素ですが、環境マネジメントシステムの要素ではありません。
「環境マネジメントシステム」はマネジメントシステムの一部ではあるけれど、システムではない、当然サブシステムでもありません。まずここをご理解ください。

遵法と汚染の予防については、正直あまり難しく考えていません。
法を守れないあるいは事故を起こす会社は存在を許されないということだけです。社会貢献を一生懸命しても事故を起こせばおしまいです。
ほとんどの企業が遵法というと法を守るだけではなく、努力義務、あるいは世の中でよいと思われていること、植林とかリサイクル推進とか、学校に行って講演するとかしています。
私は大いに懐疑的です。そんなことをする金とか時間があるなら、違反をしないように事故を起こさないようにすることはたくさんあると思います。 まあ力も何もない老人が考えているだけです。


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