ISO第3世代 69.環境からSDGs1

23.05.04

*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但しISO規格の解釈と引用文献や法令名とその内容はすべて事実です。

ISO 3Gとは

上西が山内参与に企画書を出してから1週間ほど経った朝、上西に山内からメールが来ている。見ると、次回、環境管理課のミーティングで、ちょっと話をさせてくれという。
組織表では山内は上西の上長ではないが、実質的には直属上長だから、山内のお願いは命令だ。上西は本日午後一に課員を集めますと返信する。


柳田は気を利かせて、外部から雑音が入らないように会議室を予約した。
皆が待っていると山内がやってきた。

山内 「なんか立派な場所を取ってくれたな。そんな大ごとじゃないんだよ」

柳田ユミ 「いえ山内さんのお言葉は一語一句聞き漏らさずに拳拳服膺する覚悟です」

山内 「アハハハ、冗談もほどほどにしてくれよ。引退間近の爺さんの話など価値がない。
冗談はともかく、ええと先週みなさんから、工場の環境管理者や担当者などを対象に定例会議を持つべきという企画書をいただいた。
もちろんその他にもいろいろな提言があったね。

現状では工場の環境管理にいろいろ問題があるわけで、私個人としては全社的な情報交換とかレベルアップのための仕組みがあってよいと考えていた。それでみなさんに検討をお願いしていたわけだ。
打ち合わせ とはいえ現在当社では、一般的に環境に含まれるいろいろな機能が一つの部門ではなく分散してしまったのはご存じの通りだ。元環境部にあったいろいろな機能、CSR報告書や様々な広報担当の広報部、製品の含有化学物質や環境性能は各製品の事業本部、省エネは生産技術といくつもの部門に分かれているわけだ。それで我々が独自に環境に関する会議を開くわけにはいかん。
関係部門に了解を取ろうと、関係部門と話をしたわけだが、その結果意外なことを知った」

上西 「どんなことなのでしょう?」

山内 「まず昔のことから語ると、1991年経団連が環境憲章なるものを出し、1992年リオ会議があり、世の中環境の時代だとなったわけだ。ということで当社に環境部ができたのは1994年だそうだ。今から24年前になる(この物語は今2018年である)
発足した環境部は、毎年工場の環境責任者を集めて環境会議を開催していたそうだ。形は君たちが提案したようなもので、工場や関連会社の環境担当の課長や部長を集めたという。
当時は環境事故とか違反まで踏み込むほど本社環境部の力がなく、討議されたテーマは感覚的というか、観念的なことが主だったそうだ。だって会社から廃棄物が年に何トン出るかわからない時代だったからね。

そして1996年にISO14001規格が作られてISO認証が始まると、国内では一刻も早くISO14001を認証しようと競争となり、それを支援するのが環境部のお仕事になってしまったようだ。
ともあれ2000年には社内事業所のISO認証は終わり、環境部は環境会議も止めてしまい、工場の環境管理の支援に業務を縮小してきたと聞いた。
環境部と冠しているならやるべきことはいろいろあったろうが、当時の環境部はやる気がなかったとしか言いようがない」

注:廃棄物排出量を把握したのは20世紀末と聞いて、驚くことはない。日本の多くの企業が自社の廃棄物量を知ったのは、法律でマニフェスト票が義務化されてからのことだ。
廃棄物収集車 特別管理産業廃棄物にマニフェスト票交付が義務化されたのは1993年、すべての産業廃棄物に義務化されたのは1998年であった。もちろん条例でそれ以前に義務化していた自治体はあった。
義務化される前は、伝票上「トラック1台」とか「1日1回」というような記述で廃棄物業者が請求していたのが、法でマニフェスト票記載が決められてから排出者が「〇トン」と記載することになったのだ。とはいえ今も「ひと山」という記載もある。

柳田ユミ 「私が入社したのは2001年でしたから、そういうことは知りませんでした。
たしかに私が環境部に配属されたときは、やる気のない部署だという印象でした」

上西 「環境部の歴史はともかく、広報部との話はどうなったのですか?」

山内 「広報部からは昔のような会議をすることにはまったく同意を得られなかった。というか彼らは新しい全社的な会議を始める予定だという。
ええと要旨をいえば、もう環境の時代じゃない、時代に合わせて発展していかねばならないということだった。

SDGsなんて言葉を聞いたことあるかもしれない。元々は2015年に『持続可能な開発のためのアジェンダ』って国際会議ってのがあったそうだ。そこで取り上げられた『持続可能な開発目標』の頭文字がSDGsだ。
SDGsマーク 当然、国連が各国にそれを実現に努力せよと打ち上げたわけだ。正直ってわしも興味がなくて、そういういきさつは広報部に行って初めて知った。テレビなどで丸い多色のバッチをつけているのを見たことがあるだろう。あれがSDGsのシンボルマークだそうだ。

さて本題だが、日本政府がSDGs実現を打ち出して、それで当社の活動テーマもそれに沿っていくということだった。
大きなこととしては、来年にもサスティナビリティ部というのを新設するという。そこが環境だけでなく人権とか社会貢献とか一手に引き受けることになるらしい。また例によって、広報部とかあちこちの事業本部から人を集めるらしい。

そして環境担当役員というものが廃して、サスティナビリティ担当役員というものが作られるそうだ。そこが環境問題も対応するとのことだ。人事部長がその役目に就くと聞いた。人事部長とは大物を充てるものだ」

上西 「まさに発展、拡大ですね」

山内 「そうではあるが、そこには公害防止とか環境遵法なんて概念はないようだ」

上西 「ないようだとおっしゃるのは?」

山内 「まずこの環境管理課を取り込む話はなかった。上品な連中は、もうそんな泥臭い低レベルなことは関係ないと考えているようだ。いや21世紀では公害問題など過去のものとなったと認識しているようだ。
公害ではないが、環境監査も止めてしまえという声もあると聞く」

磯原 「それはあの監査部がしている環境監査ですか?」

山内 「そうだ、2年前からいろいろと問題があって強化してきたつもりだったが、そういう現実を知らない偉い人や若い連中は無駄、無用と考えているわけだ」

上西 「はしょってすみませんが、山内さんのお話は……そういう状況だから環境会議など話にならないということだったということですか?」

山内 「ズバリ、そういうことだ」

上西 「環境って、そんな華やかなことばかりではないのですがねえ〜
現実に今回は事故も起きましたし、2年前ですか、違反もありましたし……」

山内 「まあ、そうなんだが……というわけであの企画書にあったように、包括的に環境問題を扱う環境会議は見通しが立たない。やるならこの環境管理課が所管している公害防止と廃棄物に限定して行うかだな。
そうそう、CSR部の職掌には公害や廃棄物はなかったようだ。サスティナビリティの時代にそんな泥臭いことは取り上げることはないのだろう」

柳田ユミ 「変な話ですが、もし当社で環境事故など起きたら外部の対応はサスティナビリティ担当役員ではないのでしょうね?」

山内 「考えてもみなかったが、たぶん担当しないだろうねえ。となると事業本部となるのだろうか?」

上西 「本社部門は関係ないとは言えないでしょう。たぶんこの環境課が本社機構の責任部署で、記者会見などは今まで通り大川専務で、副として山内さんになるのではないですか」

山内 「華やかなことはサスティナビリティ担当役員で汚いことは生産技術本部長か。向こうは良いとこ取り、こちらは貧乏くじか、ワハハ
しかしちょっと待ってくれよ、元々は大川専務が環境担当役員だったから、そのスタッフであるわしが、廃棄物や事故についてご下命を受けて動いていたというのが現実だ。しかし大川専務が環境担当役員でなくなれば、わしと廃棄物や公害は関係ない。
そうなってときわしが関わるのは、大川専務がエネルギー管理統括者であり、わしが企画推進者であることだけだ」

上西 「となると環境管理課の指揮系統は職制表そのものずばりとなり、生産技術部長ということになりますね。そして担当するのは廃棄物管理と公害防止のみと……
しかし生産技術部の上は生産技術本部であり、大川専務は逃げられませんね」

山内 「となると生産技術本部の生産技術部担当になるわけで、ええと吉本君が環境関連も面倒見ることになるのかなあ〜」

磯原 「そうしますと私は同じ生産技術部ですが、省エネ担当の生産技術課に異動して、省エネ法担当ということになりますか」

柳田ユミ 「振り返えれば、環境部解体など2年前からそういう方向になりつつあったわけですね。
2年前はSDGsが唱えられた直後……会社の職制をそれに合わせるにはまだ時期尚早と様子を見ていたわけかな?」

上西 「山内さんのお話をお聞きしまして、内容は理解しましたが、どう対応するかはまったく見当がつきません。どうするか、ちょっとお時間をいただいて考えねばなりません」

増子 「環境も流行だったのね。環境がもてはやされたものも、賞味期限が過ぎたというか流行が終わったのですか」

柳田ユミ 「環境の全盛期は安室奈美恵と同じ、じゃあSDGsはとなると乃木坂、欅坂かな?」

増子 「ピコ太郎でしょう〜、国際的で、もてはやされた期間が非常に短く」

柳田ユミ 「それまで日陰者だった環境も1993年から2018年で25年間、一時でも脚光を浴びたということですか。歌手より全盛期は長いですね。もって瞑すべしと、ハハハ」

磯原 「環境部にあったいろいろな仕事が関連した一つの機能ではないのは間違いない。化学物質それも製造過程、製品含有とあるし、廃棄物と公害防止と省エネは、どう考えても同じカテゴリーではない。本来それらを行う部門は考えれば分かるはずだ。

だから25年前は新しい考えとか技術であって、それを会社が取り入れて咀嚼するための間、まとめて管理する部門を設けるのは一方法ではある。だがそういう仕事が本来するべき部門で対応できるようになれば、わざわざ別部門にするまでもなくそれぞれの部門が行うメインの業務プロセスの中に取り込むことができるはずだ。
環境部が存続することを目指すのではなく、会社としての最善のシステム、あるべき姿を目指すべきでしょう」

柳田ユミ 「確かにそうですね。環境報告書なんて本来は広報部が編集するものでしょう。でも当時は使用資源、廃棄物、エネルギーなどを把握する仕組みもなく、環境部が仕組み作りを進めながら環境報告書のデータ収集をして編集していたわけです。
もちろん今は法規制で廃棄物の削減が義務となり、必然的にそういう仕組みが構築された現在わざわざ環境部が情報収集するまでもなく、広報部が情報を得ることができるようになりました」

増子 「本来すべき部門の業務プロセスの中に取り込むっていうイメージが湧きませんが……」

磯原 「うーん、例えばグリーン調達などは21世紀になってから現れた。そのときには既に会社全体で環境対応とはどんなことか理解されていた。
それでグリーン調達は環境部が手を出ことなく、資材部はグリーン調達に関する手順を、資材調達の規則に若干の手順を追加するだけで対応したということです」

柳田ユミ 「輸送における省エネも、環境部でなくロジスティックス部が使用エネルギー把握の仕組みを構築して、エコロジスのルール化をしました。だから以前から環境報告書の輸送のページはロジスティックス部が作成していました」

磯原 「ISO14001認証も、もう少し登場時期が遅かったら環境部が認証活動に手を出すのではなく、品質保証部がIS9001と合わせた形で対応したか、場合によっては総務部が対応したかしれませんね。多くの人が勘違いしているけど、マネジメントシステムとは仕組みであり、それを作るのは総務部ですからね」

柳田ユミ 「総務部が仕組みを作るって、それって理解できませんけど」

磯原 「うーん、たとえ話になりますが、昔 水泳競技は平泳ぎしかありませんでした。クロールが世に知られたのは20世紀初めの1903年のこと。最初は平泳ぎとクロールと一緒に競技が行われたけど、クロールのほうが速い。それで平泳ぎを分離して、クロールはクロール競技ではなく自由形と称した。やがて平泳ぎをより速くとバタフライが考えられた。当然だがバタフライは平泳ぎより速いから別競技に分離された。
ちなみにバタフライを編み出したのは日本人の長沢二郎で1954年のことです。

マネジメントシステムは仕組みだ。新しい考えが表れたときそれに対応する部署は総務部になる。なぜなら総務の職掌は他部門がしないことなんだ。やがて新しい仕事の手順が確立したなら、それを執行する部署を新設して総務から分離するのが流れになる。
品質マネジメントシステムは品質活動ではない。品質マネジメントシステムは品質活動をする土台というか基礎を作ることだ。品質活動がアプリケーション(応用ソフト)なら品質マネジメントシステムはOS(基本ソフト)なんだよね。
それは環境マネジメントシステムでも同じ。だから虚心坦懐に考えると、どんなマネジメントシステムでも認証活動をするなら総務部であるべきだ」

上西 「なるほどなあ〜、それから演繹すると、環境部から諸機能をどんどん関連部門に割り振っていくのは間違いではないのだね」

磯原 「もちろん、それは仕組みも手順も確立されて、受け取る部門が対応できるという前提ですけどね。
確かに環境報告書の情報を集めるなんて時代はとうに過ぎ去り、今は経営指標となっています。負の遺産などは環境報告書どころか会社報告書に載るレベルとなりました」

山内 「なるほど、柳田さん、磯原君の話を聞くとなるほどと思う。担当する部門がどんどんとシュリンクするのが残念ということではないが……現状の遵法と汚染の予防(事故)の実態を思うと、それで大丈夫なのかという懸念は消えないね。例えばこの前の熊本工場とか……」

上西 「確かに受け手側が仕組みも力量も成熟したならラインの中で環境管理ができるから、環境部門はいりませんね。今の形態は過渡期のものです。
事業本部長と本部長室というのはラインとスタッフという仕組みですが、各ラインがあって、ラインが持つべき仕事をカテゴリーが類似だからとそれだけを別部門に集めて管理するというのは論理が通りません。
ただ今現在存在している部門のレーゾンデートルを再確認するのは絶対に必要です」

山内 「アメリカの海兵隊のことか?」

上西 「すみません、おっしゃる意味が分かりません」

山内 「アメリカ海兵隊は独立戦争のときに創建されたが、当時の目的は敵の軍艦に接舷して切り込むのが海兵隊の存在意義だった。まさに海賊船時代と変わらない戦法だな。やがてそんな戦いはなくなり、陸軍や海軍との差別化をしなければ存在意義がなくなる。
それで、第一次大戦の頃から、単独で戦闘を行える部隊、敵前上陸できることを存在価値としてそれなりに認められていた。

第二次世界大戦後は敵前上陸など発生しないと考えられ、またその存在意義を失ったかと思えたが、
F/A18
F/A18戦闘攻撃機
独立して作戦を行えるという独自性で生き残った。アメリカ海兵隊は戦闘機から爆撃機そしてヘリコプター、また戦車とか水陸両用強襲輸送車(水陸両用戦車)まで持っているんだからね。
陸軍と海軍と空軍が必要なところを、海兵隊だけで遂行できる。彼らを輸送する強襲揚陸艦は海軍らしいが。

おっと、環境管理課がアメリカ海兵隊に倣って、業務拡大とか新規事業で組織を生き残るというのはありえないだろう。事業本部ならレーザーディスクが終わりになれば、光ディスクに転換するというのもあるだろうけどね」

上西 「理解できました。目的と存在意義が逆になってしまってはおかしいですね。
環境管理課としては、環境が変わったのだからそれに対応するというか、それに対応するしかありません」

磯原 「そうではありますが、現実を上司に理解させることは絶対必要でしょう。今すぐこの機能をなくしてもよいのかということを認識させなければなりません。
遵法と汚染の予防は、ISO認証すれば良いというような甘いものではありません。担当者そして管理者の絶え間のない努力によってのみ維持されるということ。そして当社の状況は決して盤石ではないということを知らしめることは我々の義務でしょう」

山内 「そういう意味では我々が知らないで、職制や担当職務を変えられては困る話だな」

増子 「その新しい職制や職務分掌では、有資格者が足りないとか育成とかどの部門が考えてくれるのでしょうね?」

それを聞いて、山内も上西も磯原も沈黙してしまった。
柳田は大声を出した。

柳田ユミ 「そうならないようにするのは私たち、問題起きたら対策するのも私たちでしょう」



うそ800  本日の思い出

私が引退してから1年くらいは、元同僚から飲みましょうなんてお誘いがあると、いそいそと出かけ、神田とか八重洲あたりで 生ビール 飲んだ。でも退職して3年も経つと、もうそんな声はかからない。
そもそも本社は異動が多く、また50代になれば関連会社に出向とかISO審査員になるとか、そういうコースを歩む。

私がエコプロ展で、元同僚と最後にあったとき聞いた話だが、私が在籍中、私が担当していた環境監査は今後止めると聞いた。もうわざわざ環境監査をする必要がなくなったんだねと言うと、彼は笑った。その心中は分からない。
環境監査だけでなく、環境報告書はCSR報告書となり広報部へ、製品対応は製品の事業部へと、要するに環境部門がしていた仕事は、みな本来業務である部門に配分されたようだ。本来担当すべき部門が力をつけてきたから内部化されたなら、それはあるべき姿なのだろう。

最近でも同業他社で排水が規制基準を超えたとか、排ガスの記録を改竄していたなんて報道されるのを見ることがある。私の古巣が報道されていないのは幸いだ。これからもしっかりやってほしいと思う。


<<前の話 次の話>>目次





うそ800の目次に戻る
ISO 3G目次に戻る

アクセスカウンター