あらま様のページ 2007.05.06

佐為さま あらまです
連休もあと一日となりました。子供の日の本日、鯉のぼりを目にすることがあっても、日の丸を目にすることが少ないようです。
carp.gif 日本には、せっかく美しい国旗があるのですから、青空高く、誇りをもって掲揚したいものです。
ところが、若い世帯に聞きますと、国旗掲揚は「ウザイ」なんだそうです。祝日に、玄関先に国旗を出すのも片付けることも面倒・・・ではなく、それ以前の問題、つまり国旗を持っていないのだそうです。しかし、最寄の文具店で売っている国旗セットなんて1000円もしないと思います。どうやら経済的な問題ではないようですよ。どうも国旗を掲揚しない理由は、「右翼でもないのに、敢えてもつ必要がない・・・」といいます。それどころか「下手に国旗を出せば右翼に間違えられてしまう・・・」なんだそうです。
ここにも、「戦後民主主義」教育の弊害を見る思いです。

ところで、中畑様のご意見を読んで、小生も始めて佐為さまのホームページを見たときは、これは「右翼」のホームページだと直感しました。それは、表紙の左上に日の丸がたなびいているからです。
星の数以上あるといわれる日本のホームページ・ブログのなかで、かがみに国旗をおいてあるのは少数派だと思います。あの日本の首相官邸のホームページ でさえも、日本の国旗が半透明に霞んでいます。
しかし、考えて見ますと、日本人が日本の国旗をあらわすことは、べつにおかしなことではないですね。
アメリカの学校の各教室には、フツーに星条旗があるようですね。
また、校舎が満足にない国の青空教室では、屋根がなくても、まず、その国の国旗と地球儀とをそろえるのだそうですよ。
ですから、国旗 = 右翼 だと直感する小生も、すっかり日本の戦後教育に毒されていたということになります。

しかし、佐為さまのホームページを読ませていただいているうちに、これは右でも左でもなく、中正、中立、中道、いや中庸とでも言いましょうか、ひじょうにバランスが取れた考え方だと思いました。

たとえば、防衛についても、戦争がいやなことは当たり前ですが、国や家族を守ろうとすることは、それ以上に人として当たり前という印象を受けます。
佐為さまの意見を読んでいますと、戦争を肯定し是認しているわけではなく、事実として受け入れている様子が良くわかります。

そして、国のために命を犠牲にしてくださった先人たちに対して敬虔な感謝の気持ちが現れているのも、佐為さまの特長であります。
中畑様も、ぜひ、客観的な観点からもう一度読み直されてはいかがでしょうか ?

ところで、日本人が日本人として誇りをもつこと、これは「あたりまえ」のことだと思います。
同様に、アメリカ人がアメリカ人として誇りを持つこと、そして、中国人が中国人として誇りを持つことは当たり前だと、佐為さまは申しておりますね。
小生なんて、貧乏人の倅(せがれ)として生まれてきましたが、こんな家でも、五分の誇りを感じております。
ましてや、頂上に皇室をいただいた日本国家に生まれて、ひじょうに強い誇りを感じております。
これは、海外に出て日本を見直すと、改めて日本の良さがわかります。
たとえば、いまでも、自分たちの民族の国家を作ろうと、何千年も戦っている民族があります。また、毎日、何十人という若者が、「建国」のための自爆テロの犠牲になっているようです。
そうした国家と比べても、日本という国家が安泰であること、しかも、万世一系といわれる皇室をいただいたいることは、まさに日本人の誇りであると思うのですね。

このように、あまりにも自然に国家が成立していることが日本では「あたりまえ」になっているので、今の人たちのなかには「国家成立の恩」を感じていない人がいるかもしれません。
しかし、前にも書きましたが、この穏やかな世の中の実現のために、多くの先人先輩方の犠牲があったのですね。

そんなことも知らないで、「平和憲法」のおかげで、日本の平和が続いている・・・と、信じている人が実に多いのですね。
しかし、佐為さまも申しておられますように、いまの日本は、平和ではないのです。
国土が占領され、国民が誘拐されたままなんですね。
小生は、いまの日本が安泰であると感じている人は、現実を直視する勇気がないと思います。
前後 60年以上も日本本土が戦渦に巻き込まれかったのは、周辺国の各国間の安全保障条約と、それに伴う軍事バランスが極東で取れているというだけのことなのですね。そして、北の将軍サマのご乱心で、いつでもそのバランスが崩れてもおかしくない状態なのです。

ところで「ペンは剣より強い」といいますが、その場合、相手がペンで書いた文字が読めてそれを理解できることが、最初の条件です。
つまり、最低でも相手が正常な人間であることが条件です。
ところが、北の将軍様をはじめ、特亜のリーダーが、はたしてその最初で最低の条件を満たしているでしょうか ?

だらだらと書いていたら長くなってしまいましたが、以上の内容は、すべて佐為さまのホームページの中に書いてあります。

最後に、「誇りを持つ」ということは、小生は、自分が今、成立している原因に感謝するということだと思います。そのためには、先人先輩が、どのようにわれわれに遺徳を残してくれたのかを勉強することから始まり、そしてどのように自分たちの後世に、それらを伝え・残すのかを、考え、努力するということではないでしょうか。
たんなる机上の空論ではないのですね。

そんなことを、富士山を見ながら考えてみました。

あらま様 毎度ありがとうございます。
一体どうしたのでしょう? 私を誉めても何にも出ませんよ。
おっしゃることはどれもまったく同意です。
国旗を揚げろというのも、官公庁のウェブサイトに国旗を揚げていないことは私も以前指摘しています。
でも、あらま様、問題は簡単です。
卒業式で国旗を敬わない教師が国旗を敬う、国旗掲揚を誇らしく思う子供を次代の国民を育てることが出来るでしょうか?
できるはずがありません。
そして、先生が日本の国旗をあげるときは起立して敬意を表することを教えれば、確実に国旗を揚げる人たちが育つでしょう。
私の商売、環境監査の最終目的は問題を起こさないことであり、それは是正処置としてシステムを改善することです。
もぐら叩きではどんな仕事でも改善は出来ません。
日の丸を揚げないことは非常に遺憾なことです。日本人が日の丸を揚げるようにするには嘆くことではなく、そういう教育を学校ですることを求めるしかありません。
そして求めてできないなら、させるように仕組み、教員、教育方法を変えていくしかないのではないでしょうか。

保守の一大生様からお便りを頂きました(07.05.12)
あらま様のページの、一番最後の文章「そんなことを、富士山を見ながら考えてみました。」、今日になって気づきました。注意力散漫で申し訳ありません。
私が富士山を直接自分で見たのは一度だけです。あの日、私は祖母とともに寝台車で神奈川へ向かおうとしていました。朝、祖母が「富士山が見えるよ」というので窓の外に目をやると、なんとその通り、目の前に富士山が…!!
あの当時まだ10歳にも満たなかった私でしたが、感動に包まれましたね。実際に富士山をこの目で見たわけです。
現在も私は富士山を神聖な所だと信じております。小倉百人一首でも山部赤人の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」が一番好きです。あの山は人が登るべきではないとすら思っています。
それなのに、最近富士山にポイポイゴミを捨てる連中がいる。私としては大変嘆かわしく思うことです。戦時中、米軍は日本国民に精神的にダメージを与えるべく、富士山に飛行機からペンキをまいて汚してやろうという計画を立てていたと聞きます。実際にそうなった場合の想像図ほどではないですが、富士山は汚されてい るのです。
そんなことを、ゴミの山を見ながら考えてみました。

あらま様の内村様へのまじめな反論読みました。今の私にあそこまで論理的な文章は書けません。もっと修行を積む必要があるとつくづく思いました。

保守の一大生様 お便りありがとうございます。
私も東北の生まれ、富士山など見たことがありませんでした。
fuji.jpg 私は二十歳頃、短い間静岡で働いていたことがあり、そこで富士山を見て、すばらしいと思いました。特に春秋のちょっと雪があるのがいいですね。
その後、東京に出てきて天気がよければ富士山が見えるのに驚きました。高度成長以前の空が汚れていない時代には富士山はかすまずにくっきりと見えたのでしょうね。
富士山は富士山が見えない地方の日本人にとっても重要な位置を占めていることに違いありません。
いつかはクラウンなんてコマーシャルの文句がありましたが、いつかは富士山というのが日本人の心なのかもしれません。


あらま様からご返事を頂きました(07.05.15)
佐為さま あらまです
保守の一大生から、小生の駄文についてのご感想をいただき、汗顔の至りであります。
さて、富士山に対する思いは、日本人なら誰でも同じ・・・だと、改めて感激しました。
今でも時々、車窓から富士山を拝む人を目にします。
小生のように、普段から富士山を仰ぐことが出来るものでも、あまりの美しさに、ハッとすることかよくあります。
その富士山を世界遺産に登録してもらおうと、大勲位を筆頭に、県民あげて運動しているのですが、なかなか取り上げてもらないようです。
最初は、自然遺産として登録してもらおうとしたのですが、遠くから見れば美しい富士山も、実際に登ってみればゴミの山。
現在ではその反省から、富士山クリーン運動が展開され、ずいぶんときれいになりましたが、相変わらず富士山のふもとに、産業廃棄物を捨てる不心得ものがあとを絶ちません。
それに、富士山のような形状の山は、世界にたくさんあるということで、自然遺産としては登録してもらえませんでした。
それでは、文化遺産として登録してもらおうと努力しているのですが、こうした山岳信仰は、世界的にも珍しいものではないということで、これもまた困難を極めています。
しかし、世界遺産に登録されていなくても、日本人の心の象徴として、不動のものとなっていることは事実であります。
このように、日本には、北から南まで、美しい自然があり、また永い歴史をもつ伝統・文化があります。
そんな日本に生まれてきてよかったと思うとともに、自国を貶めようとする日本人、あるいは正体不明の外国人から、皆様とともに守らなければならないという思いを新たにしています。



あらま様からお便りを頂きました(07.08.15)
佐為さま あらまです
「日本人の誇りを憲法に託した鈴木安蔵」という見出し。
実は、これ『日本の青空』という日本国憲法誕生の映画のパンフレットでした。
今、その映画を見てきましたが、日本国憲法はGHQによる押し付けの憲法ではなく、日本人の意思が反映されたものである・・・という内容みたいです。
小生はそれを見て、失明するかと思いました。
捏造も甚だしく、史実に基づかないフィクションでありました。
でも、子供たちがそれを見たら信じてしまうかもしれません。
これはR18に指定すべきだと思いました。
いえ、きっとこれは「九条教」「平和教」という怪しい宗教団体の教宣映画に間違いない ! !
あらま様 お目目は大丈夫ですか!?
眼科に行ってしっかりと検査をしてもらってくださいね。
日本国憲法がGHQの押し付けでなく、自発的につくったというのは真っ赤なうそでしょうね。
だって、マッカーサーが業を煮やして云々というのは広く知れ渡っていますから・・・
とはいってもうそを100回言うと本当になるという人たちのこと、これは負けそうですね。
憲法改正するかしないかということは、誰が原文を書いたのか、誰が制定したのかとはもう無縁として考えるべきでしょう。
今の憲法が現実的なのか、役に立つのかという観点で考えるしかないのではと思います。
太田光のように、憲法に殉じようというのも一つの発想ではありますが、憲法のために死ぬのであれば、天皇のために死ぬのと変わらないと思います。
国民を生かすために憲法を変えようという発想が初めにあるべきでしょう。
ともかくカウンター攻勢をせねば・・・
どうしたもんでしょうか?


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