ものの見方考え方その3 2004.10.09
oldman1.gif このタイトルで書くのはもう何回にもなる。(その1その2
文章というのは何かについて考えるのだから、すべての文章に見合うタイトルであるのだろう。
ということで今日も同じタイトルで駄文を連ねる。

数日前、読売テレビで辛坊治郎(しんぼうじろう)氏が新聞の社説を見比べて、「日米安保条約についての見解は新聞社のリトマス試験紙だね。論理や政策ではなく反米なら反安保、親米なら安保支持だ」と語っていた。
私も同感である。
日本の左派系新聞(それには朝日とか毎日が入る)は論理で考えるのではなく、アメリカに関することはすべて悪で、アメリカに反対することはすべて善と考えているようだ。
私は出勤時間が早いのでいつもは朝テレビを見ることができない。出張ですとホテルでテレビを観ることができる。
個人で買い物をする時、趣味とか説明はつかないけどどうしてもあれがほしいということが多々あるだろう。ヴィトンの財布が何万もしても欲しい!と思いつめれば買う方がいる。
実は最近、結婚した娘がヴィトンの財布が欲しいとだんなにねだって買わせてしまったとのこと。
婿殿に同情を禁じえない。 
しかし、企業での買い物はそんな感情とか思い込みでは決定できない。
woman7.gif 工作機械を買う時にブランドがいいとか、セールスがハンサムだからなんて理由では会社が倒産してしまうかもしれない。品質、信頼性、アフターサービス、お値段、耐久性、中古としての相場など多々吟味して決めるのが当然である。
廃棄物処理業者を選ぶのに、社名がカッコいいとか、社長が同郷だからといって委託するわけにはいかないのである。
事業においては趣味とかつきあいを基に経営上の決断などできないのである。
同様に国家レベルの方針、政策においては同文同種あるいは昔迷惑をかけたなんて発想で日本の舵取りをされちゃ困るのである。

アメリカとの安全保障条約がいいか悪いかなんてことを論じることがまず発想からして間違っている。
日本の地勢、日本の取り巻く状況、周囲の国々の安定性、国民性、国民感情などを情報収集して日本はどういった政策を取るべきかと考えて、その結果、中立を図るのか、武装をどこまでするのか、外交政策をどうするのか、安全保障条約を結ぶのか、それはどこの国かということであって、条約を結ぶ結ばないという政策は結果なのである。

そこにあるのは論理と打算であって、感情と思い込みではない。
新聞が社会の公器と自称するならそのレベルでことを論じて欲しい。このちっぽけな個人サイトが論じていることよりもレベルが低いことを社説に書いている自称パワーペーパーはよく反省してもらいたいところだ。
もっとも反省することもできないからいまがあるのだろうけれど
makoto.gif 天誅(てんちゅう)という言葉がある。司馬遼太郎の幕末の小説では勤皇、佐幕とも相手方を切る時に「天誅」と叫んでいる。
本当とも思えないが?
でも天に代わって討つなんて、自分の考えが正しい、神だと信じ込んで行動しているのである。
日本のリーディングペーパーを自称している新聞社は明治維新のテロリストと同じく自分を神だと考えているのだろうか?

もちろん、だからこそ天声人語というのだろう 
それに比べ、他紙は遠慮深く「編集手帳」とか「産経抄」などと称してる。
市民運動の人々も基本的人権だとか、自然法だとか、人類普遍の原理とか騙っているけど、自己中心的ですね
今の言葉では ジコチュー といいます。
私は「基本的人権だ!」などと大声で自信をもって叫ぶことができるほど基本的人権という言葉を理解しておりません。
ところで基本的人権なんて言葉は、昔からいえ明治の御世からあったわけではないそうです。
単に連合国が日本に飲ませたポツダム宣言の中の fundamental human rights の翻訳にすぎないそうです。
同様に私おばQは半世紀を生きてきましたが、人類普遍の原理というのを未だ見たことがありません。
パレスティナやイラク、インド、インドネシア、南米の、あるいはロシアなどなどのテロ事件が多々報道されているのをみますと、無差別テロが人類普遍の原理なのでしょうか?
私は学がないと十分自覚しております。
しかし、それゆえにむずかしい理屈ではなく、肌身の感覚で現世には絶対的な善も悪もあるはずがないと信じております。そして、この現実社会において最大多数の最大幸福、最少もめごとを目指したいと考えております。
もちろん、各人が心の中で永遠の命を求め、この世に神が善を成されることを祈ることに抵抗するつもりはありません。
ただ、現実の施策と神の教えは矛盾はしないだろうけれども、まったく同じ基準で比較できるものではないと思います。

まして論理的に考えず、アメリカは悪、反アメリカは善と割り切るほどこの世は簡単じゃございません。
私はアメリカも中国も悪でも善でもないと考えております。
日本の利益になるには彼らといかに付き合うべきかということが重要なのでございましょう。
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イラクが大量破壊兵器を持っていなかったとしても、フセインが膨脹主義であり世界に危険であったことは事実。
ブッシュが悪いと言い切れる問題ではないようです。
こう考えればいいのです。
現実世界は大規模暴力団が複数あり、お互いが小競り合いをしている現実であって、我々は我が家の安全をどうすべきか考えなければならないということにすぎません。
憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」なんてことは絵空事、ありえないおとぎ話なのです。
暴力団A組が暴力団B組を急襲したからといって暴力団Bが正義になるわけではありません。
義理も恩もない全滅した暴力団B組の肩を持ってA組に逆らうのもお利口ではなさそうです。
暴力団A組がアメリカで暴力団B組がイラクだなんて思った方は、そりゃ考えすぎというものです。
おっと、現実世界の諸国家は軍事力という暴力を持っていますが、国際法という慣習と見栄と外聞と大儀によって制御されており暴力団同様の思考で動いているわけではありません。
ただ、平和ボケの頭の中のお花畑とは大幅に異なる価値観で動いているようでございます。 



本日はこれまで!