掲示板考 2004.10.17
 
狼男様
本当はたくさん座布団あります
えー、本日もお笑いを一席・・・・・
もっともオチがあるか笑いが取れるかどうかはわかりません。なにせ、私の書く文章は指の向くままマウスの向くままでございます。
狼少年師匠友情出演

本日はインターネットの掲示板について考えてみました。
以前、掲示板の議論という拙文を書きました。2年以上前の作ですが読み返してみますと考えは間違ってもおらず、理屈は今も通用するようです。
もっとも最近の私は、掲示板で白熱した議論をしたいという気は薄れてきました。私が歳をとったせいでしょうか? あるいは仕事が変ったのでパソコンに向かっている時間が取れなくなったせいでしょうか?

個人でも団体でもウェブサイト(ホームページ)を開設している方のほとんどは掲示板を設けています。
まあ、どんなプロバイダでも標準で掲示板のCGIを用意してます。掲示板も提供しないようなプロバイダでは客も付かないでしょう。もちろん掲示板を用意していないプロバイダであっても無料掲示板をリンクすることもできますし、気がきいた方ならご自分でCGIをくみ上げてしまうかもしれません。
そんなわけで私のほとんどの同志もウェブサイトに掲示板をつけています。KABU先生私見戦争論北海道新聞一人の日本人様しんしん様・・・・
もちろん各政党、自虐史観のホームページでもみなもれなく付いてます。グリコのおまけのようであります。
グリコのおまけなんて今もあるのでしょうか?

ところで掲示板と一口に言っても、その形態は多種多様です。
リスト、スレッド、ツリー構造とかいった表示形式だけではありません。
政党などではいったん投稿をキープしておいて、内容を審査して適正なものだけアップしているとか聞きます。これは検閲の範疇には入りませんし、またネットによる名誉毀損など問題が多発していますから管理責任のある立場では当然といえば当然なのでしょう。
私のウェブサイトでは直接掲示板にアップするのでなく、投稿いただいたものに私がコメントをつけてアップしているのも同様と言えましょう。もちろん掲示を希望しない方の投稿にはご返事を出してもお便りには載せない。卑猥(エッチ)な書き込みや勧誘なども同様です。
womankomatta.gif 許可された者だけが掲示板へ書き込みできるようにしているところもある。特にサヨク系や劣化ウラン系の個人サイトに多い。書き込みするには個人情報を入力しないとならない。
その理由として軟弱な戦後民主主義の個人サイトでは理論派に書き込まれるとあっけなく論破されてサイトを畳む羽目になってしまうからだろう。
まさに現代の道場破りであろう。もっとも破られたほうには同情の余地もない。
そういったサイトは劣化ウランの被害者がかわいそう、平和憲法は立派です、自衛隊は悪だという程度のお考えを書いてらっしゃる。
確固たる理論と信念なくてウェブサイトや掲示板を作っちゃいかんなんて正論を吐いてもおぼっちゃんやお嬢ちゃんには通用しないだろう。 
そんなところに書き込むためにわざわざ個人情報を入れることもないので私は覗くだけにしている。論破しても勲章にもならん。それに書き込んでも速攻で消されるだろうし、

投稿するに一定要件を要求しているところもある。
副島というセンセイの掲示板ではご自身の著作を何冊以上読んだ者と制限をつけている。ご自身の思想を理解した者だけが討論できると言うわけだ。きっと自分が過去現在のあまたの思想家よりも優れていると確信しているのだろう。

あるいは単に自分の著作を売らんがためかもしれない。 
ちなみにこの御仁、アポロ計画はなかったと主張している。

もちろんそういった掲示板だから、投稿者は副島氏の教えを信じる者ばかりになるわけで見ていて面白くない。同じ宗教の集会のようでサンセー・マンセーばかりである。
しかし投稿者とのかけあいが珍妙で面白い。(これは皮肉である)教室で学生に諭しているようだ 

woman5.gif 副島氏ばかりではない。自分たちと同じ考えでないと排除してしまう掲示板も多々ある。 開設者あるいは管理している者が気に入らないと神のごとく独裁ぶりを発揮し削除したり弾圧したりする。このような掲示板は革新系、保守系、自虐史観、愛国史観に限らず普遍的に存在する。
人類普遍の原理とは類は友を呼ぶという法則であり異端の排除なのかもしれない。憲法前文を書いた者はそのような普遍的なことさえ知らなかったと思われる。
言論の自由とは自分の意見に反対する者の発言を保証するものであるはずだが・・・・

どのような思想であれ、みんな同じ考えでヨイショしている掲示板というのは腐敗臭がする。
ある掲示板では特定のウェブサイトの悪口ばかり書き込んでいる。いったいそんな掲示板の存在意義はなんだろうか?
言葉は悪いがきっとそれはマスターベーションなのであろう。現実の異性と出会い、コミュニケーションをとるのが怖いのと同様に、現実の世界を見る勇気、社会に出て行く勇気がないのではないだろうか?
掲示板でたいそうなことを書いている人物ほど実像は怪しい。掲示板で神のごとく采配を振るっているのが会社ではパシリのペーペー・チンピラなのかもしれない。
幸い私はKABU先生ふるさとさん、解法者様、ドクターばい菌マン相方再三様、モト冬木さんといった大御所にはオフラインでお会いして実像を拝見している。もちろんみなさまも私の実像をご覧になられているわけだが。お歴々に比べて私は小者である。

冒頭に述べたように、最近の私はあまり議論をしたくない気分である。
これは今の仕事と関係があると思う。毎日身を削って話をし指導していると、たまの休日に金にもならないことに無駄話をしたり議論をしたりする気にはならない。
しかし書き込まなくとも、リンクしているものばかりでなく、自虐史観、環境関係、ISO関係などなど毎日いろいろな掲示板を覗いている。確かにいろいろな意見を知ることができるし、新しい情報を得ることもできる。
時々奇妙ででたらめな投稿を叩くのも面白いというか気分転換にはなる。

hatena.gif 確かに面白いことには違いない。
しかし価値のある掲示板は少ない。
誤解なきよう、「少ない」と言っているのであって「ない」といっているのではない。
当たり前と言っては当たり前だが、人が何か新しいアイデアあるいは思想を表明するときに、他人の掲示板を利用しておおやけに発表することはあまりなさそうです。そしてもちろん自分のホームページを持っていれば自分の主張をメインコンテンツとしてアップしても、自分の掲示板に書き込むということは考えにくい。
また一般的に掲示板の文字数は制限されており、大論文を書くには不適である。分割してアップする場合、タイムラグによって他人の書き込みが間に入ったりして芳しくない。
そんなわけで、理屈からいって新しいアイデアとか画期的見解を掲示板に載せる人は少ないのではないか?
掲示板のテーマで一番多く見られるのは、時事問題についての意見交換である。外交政策とか最近の事件や犯罪など話題には事欠かないご時世である。
しかし意見交換と書いたが、お互いの主張がかみあった議論にはならず、ただ単にお互いの意見交換あるいは双方の一方的発言に終始するものが多い。

小林よしのり氏が言ったようにインターネットの掲示板は便所の落書きなのかもしれない。
もちろん、便所の落書きに価値がないわけではなく、書き込まれたものがうそだと言うわけでもない。
ただ、系統だった主張、公明正大な議論には不向きなメディアではないかと考える。


本日のまとめです。

じゃあ、掲示板に適するテーマは何か?
 待ってました、
それは捏造情報発信の手段であり、特定思想の洗脳のための手段であり、少数派の意見主張の手段であり、マスメディアのウソを告発する手段である。
だから我々は捏造情報のウソを暴き正論を伝えるために、掲示板に書き込む活動を続けなければならないようだ。


本日はこれまで!


掲示板のたどる道 
過去何年も、数多くの革新系(左派系)議員の掲示板をみてきている。
はじめ開設者である議員(あるいは事務局)は自分の意見、主張は正しく、賛同する数多くの書き込みがあると信じている。
ところが思いに反して反対意見がドンドンと書き込まれる。
はじめは高みにたって、そういった不逞のやからを諭そうとする。
しかし議論すると手ごわいどころか、開設者のほうが論破されてしまう。
そして議員(あるいは事務局)は姿を消し、投稿者の嘲笑をあびる。しかし、二度と現れることはない。

そこで新たな勢力が出現する。
市民を名乗るメンバーである。彼らはマスメディアや市民運動、ちと時代に後れた労組のスローガンを掲示板に書き連ねる。そしてそれまで開設者に反論していた正論派に対して論理ではなく感情で、数で、論理のすり替えで対応しようとする。
一時は市民派は掲示板のかなりの面積を占めることになる。
しかし、その論理は傍目にも恥ずかしく、やがては消滅する。
どこからかかぎつけたエロサイト、エッチな広告が現れ始め、またまったく無意味な書き込みが目立ち始める。
そしてやがては誰もいなくなり
そして最後には
開設者は、自己の論を論破されたという恥をさらすことなく、掲示板を閉じる。
これが典型的なサヨクの掲示板のたどる道のようである。

そのような経過をたどった掲示板はたくさんある。
しかし同志の一人が集めてアップしている。
恥は隠すことができないようだ。