あれは何だったのだろうか? 2004.03.31
えー、毎度ばかばかしいお笑いを一席、
病気・・・大げさなものでなくて風邪程度でもひきますと体の節々は痛いし喉も痛い、鼻は詰まる、まったくうれしくない状態となります。
それが一週間もしまして回復すると、あの時喉が痛かったのは嘘のよう、節々が痛かったのはいったいどうしたのか?と不思議に思ってしまいます。すぎてしまうと あれは何だったのだろうか? と思ってしまいます。
そんな経験はありませんか?

本日はそういった「あれは何だったのだろうか?」についての考察であります。
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  • 2000年問題
    今から数年前、2000年問題がありました。正確に言えば2000年問題が騒がれました。
    通は2K問題なんていってましたね。
    パソコンに限らず以前のコンピューターは情報処理をするのにメモリーの余裕がなく年月の表示に2桁しか使わなかったために、2000年になるとさまざまな不具合が起きるぞという口裂け女のような恐ろしい話が日本中どころか世界中に流布したのであります。
    旧ソ連ではお金がないからこの問題の対策費用がなく、ミサイルの暴発が起きるんじゃないか?なんて予想する人までいた始末です。
    結果?何もなかったようですね。
    少なくとも大騒ぎに見合った問題はなかったようです。

    あれは何だったのでしょうか?

  • 有事法制
    有事法制は戦争を招く!なんて叫んでいた人々がいました。おっと無名の人々だけでなく有名な政治家、評論家、小説家、弁護士その他たくさんの人が有事法制は戦争への道、と大声で阻止を叫んでいたものです。
    ところで有事法制がないときは、平和だったのでしょうか?
    毎年何百回とソ連の軍用機による領空侵犯がありました。北朝鮮によるテロ、拉致も有事法制前の事件です。いったいこのような無法をないがしろにしていたのはどこの誰なんでしょうか?
    平和主義者から大反対を受けていた有事法制ですが、成立後まだ戦争を招いてはいないようです。

    有事法制反対を叫んだ運動は、いったい何だったのでしょうか?

  • 環境ホルモン
    何が環境ホルモンか?という定義さえ不明な物質(?)なのですが、環境ホルモンで問題だといわれたのは微量であれば悪影響が出て、ある程度の量を超えると悪影響がなくなるという理屈が特徴でした。
    有史以来、人間はいろいろな薬物を使ってきました。そしてパラケルススというおじさんの「すべての物質は毒あって、毒か薬かは使い方しだい」という論理が確立してきたのであります。
    微量であれば毒であり、多量になると無害になるのであれば、濃度の高いところに住めばいいなんてことを言いたくなるのでありますが・・・・ 
    結局、そのような微量のほうが毒性が強いという理屈は否定されてしまいました。
    環境ホルモンを唱えた人々はざんげして修道院にでも閉じこもったのでしょうか?・・・なことはなさそうです。懲りずに新しい学説を探して「危険だ!危険だ!」と叫ぶのが生きがいのようです。

    しかし、環境ホルモンって・・・・何だったのでしょうか? 教えてゴアさん。

  • トイレットペーパー
    tpaper.gif 石油ショックのときはトイレットペーパーが店頭から消えました。主婦はトイレットペーパーがなくなる!と悲鳴を上げたのです。
    イラク戦争のときもトイレットペーパーがなくなると騒がれたそうです。
    いったい実際に物資が欠乏したときにトイレットペーパーだけ大量に持っていてもどうなるのでしょうか?・・・とにかく大変な騒ぎでした。

    あれは何だったのでしょうか?

  • 拉致は捏造だ!
    北朝鮮が多数の日本人を誘拐したのではと疑われていたとき、平和主義者とか反戦論者と自称他称する人々は、拉致は捏造だ!、北朝鮮が誘拐したというのは反動勢力の宣伝だ!と語っていました。
    いえ、市民レベルではなくれっきとした国会議員が「拉致はない」とテレビの前で話していました。「5人10人拉致したという問題じゃない、戦争責任が・・・・」なんて語っていた女性議員もいましたね。
    社民党議員のホームページには拉致はうそだ!と大書していました。
    ところが、北朝鮮の菌将軍が「拉致をした。今後はしない」と語ったので大騒ぎ!しかしその後、その人たちが間違いを詫びたとは聞いておりません。

    あれは何だったのでしょうか?

    そして誘拐したと白状しながらいまだに残る人々を返さないという北朝鮮というテロ国家は何なのでしょうか?

  • 日本国憲法
    太平洋戦争に負けた日本に占領軍が押し付けた、ハチャメチャ憲法のことです。
    今後、憲法改正が進むでしょう。そしてあと20年もしたら、一般の日本人は「あれは何だったのだろう?」と疑問を感じるのではないでしょうか?
     ひとつには、日本国憲法という悪法そのものに、
     もうひとつは、ダメ憲法を平和憲法だと持ち上げた人々のことを、

    あれはなんだったのだろうか? と早く言えるようになりたいものです。

  • 自衛隊は戦争に行くな!
    自衛隊がはじめてPKOとして海外派遣されたとき、民主主義を標榜する政党や平和主義者、市民団体の人々が叫びました。
    日本が戦争に進むのをとめよう!自衛隊は戦争に行くな!

    あれは何だったのでしょうか?

    叫んだ人々は熱病に罹っていたのでしょうか?しかし、そうしますと治癒するには相当時間がかかる熱病ですよね、あれから10年、まだ彼らは叫んでいます。

    自衛隊のイラク派兵反対!
    あれはじゃありません、これはなんなのでしょうか?
    お願いです。
    絶対に自衛隊派遣に反対するなら、国会議事堂や首相官邸前で叫んでください。
    粛々と職務を遂行する自衛隊員がかわいそうではありませんか?

  • NTTの株
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    昭和61年(1986年)に売り出されたときは120万円!、その後株価は上がるばかり・・・・・・
    我々下々は株を手に入れた人を見て、クヤシーって思っておりました。やがて87年ピーク時の318万円前後から、あとはズルズルと下がるばかり、現在は50万円前後で推移しています。
    高値で株を買った方はさぞ残念でしょう。私は買わなくて良かった!

    あのフィーバーは、いったい何だったのでしょうか?


  • マドンナ旋風
    マドンナとはまた古い  まあ昔そういう風が吹いた時があったのです。
    まさにそのとき日本社会党はわが世の春だったのでしょう。でもそれはそれは春の風ではなく、季節外れの風邪だったのかもしれません。
    まあ、その風が一時のものであったことは歴史が証明しています。

    あれは何だったのでしょうか?

    マア、ドンナ旋風が吹こうと赤い風だけは願い下げです。 




本日のまとめ


あれは何だったのだろうか?
振り返るとそんなふうに思えることが多々あります。しかし、それらの多くはちょっと考えるとおかしいと思えることばかりです。常識で考えて理解できないことは、学者が考えても理屈に合うはずがありません。
私たちは、だまされないように、うわさに惑わされないようにしたいものです。
そのためにはおかしな報道を聴いていると免疫が付いてだまされにくくなるのかもしれません。
あるいはまともな報道をとっているとまともな考えが身に付くのかもしれません。

ということは、偏向新聞をとってもまともな新聞をとっても変わりないということでしょうか?

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