ホームページ考(その2)2004.04.12
以前、ホームページ考という拙文を書いた。そのときは親愛なる、いや尊敬する同志たちから殺されそうになったものだ。あれから2年半、もう過去のことは忘れただろう、なにせみな年寄りで忘れやすい人たちだ。 
ということで、ここに再びホームページ考というタイトルで書く。
おっと、今回は前回とまったく視点が異なります。もし北斗さんSensei様が見ているならば、最後まで読んでからクレームをつけてください。
相方ですか? あの方は最近心を入れ替えて、マニフェスト(宣誓)なんて真面目なことをしていますので、こんなダジャレを見るはずがありません。
でもね、相方、還暦目前にしてダジャレを貫くというのも勇気がいるんですよ・・・・なことはないか 
さて、
私もこのようなウェブサイトを運営しているわけで、やはり本屋などではホームページの作成や維持についての本を見かけるとつい手にとってしまいます。
以前、「ホームページアクセスアップの鉄則」という本を見かけて、これは良い!と買ってしまいました。その中のテクニックをいくつか織り込んでみたものの効果はありませんでした。あなた、甘いこといって本を売りつけるという詐欺まがいじゃありませんか 涙


ホームページの作り方








htm書房



昨日も本屋で初歩的なホームページの作り方についての本を立ち読みしておりました。
htmとはなにかというところから始まりプロバイダのサーバーにアップすることなどが続き、最後にはカウンターをつけましょうとか検索エンジンに登録しましょうという項目で終わっておりました。けなげにもホームページビルダーを使おうなんて軟弱なものではなく、メモ帳でもできますよと力説していた。ホームページを作りたいという人のための、たーっくさんある初歩的な本の一つというところでしょうか。 このジジイも、もう3年メモ帳でhtmを打っているわけですから知っていることが多い。フンフンと斜め読みしておりました。
しかしこの本を読んで、不思議な思いを持ちましたね、
何のためにホームページ(あるいはウェブサイト)を開設するのか?というもっとも大事なことを論じていないのです。
ホームページを作ろうと語る本であるなら、まず第一に「あなたは何をしたいのかを明確にせよ」と言わなければなりません。
そんなことは決まっているという前提で、ウェブサイトの作り方の本なのだという見方もあるかもしれません。
ところがそうではなさそうです。
その本の冒頭では、とにかく目的がなくともホームページを作ってみようよ!と誘っているのです。
家族の写真を載せましょうとか、趣味や経歴を載せましょうなんても書いているのです。
オイオイ、そんな・・・・絶句

これほどプラバシー漏洩が問題になっている時代に、自分の家族の写真、趣味、住所、生年月日を載せたら・・・・まるで戦争後の混乱しているイラクに観光旅行に出かけるようなもんじゃないですか?
以前、私の同僚が自分のホームページに家族の写真を載せていたので「すぐに削除しな」と言ったのですが、ご本人なんのことか分からず・・・・そのうちかわいい娘さんがストーカーに付け狙われますよ。
そして、その情報が悪用されたら政府に泣きつくのでしょうか?
何の目的もなく、ただみんながしているからやろうよということなのでしょうか?
そりゃ、私だって、たいした理論も論説もなくこのウェブサイトを紡いでおります。でもね、私にはインターネットというものがなくホームページというものが存在しなければ街頭で叫びたい熱い思いがあるのです。もちろん現実に、私が同意できる署名運動に対しては署名も寄付もするし、同意できない署名運動に対しては黙って通り過ぎるだけでなく、大きな声で「おれは反対だあ!」とご挨拶もしております。
元々、首相に靖国参拝してほしいという願いを込めてメールを送り、他の政党にも発信して、答えがないからこそ私の思いをインターネットに掲げたのが始まりであり、それがすべてのつもりです。
私のウェブサイトの目的が囲碁将棋のサイトとか、愛犬の写真を載せたサイトより高尚だとか重要だというつもりはまったくありません。

相方の似顔絵です
もっとも愛犬、愛猫ではインパクトがなく訪問者は少ないでしょう。
ここは、やはり相方(タヌキ)にご協力いただかねば・・・・

f117.jpg

もちろん、プラモデルに凝っている人がホームページをこしらえても、アニメに凝っている方がそれに関するホームページを作るのもみな尊敬に値します。

だけど、
何の目的もなくても良いからあなただけのホームページをつくろうよ!なんてことは理解できません。
いぜん、「個人ホームページなどやめておけ」というタイトルの本を読んだことがあります。読み終わったら捨ててしまったので、表題がちょっと異なるかもしれません。
その本ではかなりシニカルに個人でホームページを作るなんて自己満足なんだから、本当にやる気がなけりゃ止めてしまえといった趣旨だったような記憶があります。
そこまで言ったら、じゃああんたのウェブサイトを見せてもらおうか、となるところですが、残念ながらご本人のURLは書いてありませんでした。
目的と手段といいますか、人間、まずしたいこと、したい気持ちがあるからこそなにかをするのではないでしょうか?
もっとも日本人は何事にも淫する方が多いようで、「ウィンドウ95」とか「ウィンドウXP」が発売になるというと夜を徹して発売を待つとか・・・・ご苦労なことです。
そういった方はパソコンを動かすことが面白いのでしょうねえ?パソコン自体が目的なのでしょうか?
私のとってのパソコンとは要するに道具です。私は8ビット時代からパソコンを使ってました。BASICで生産日程のプログラムを組んだり、NCプログラムを書き出すプログラムを作ったり、そりゃ徹夜も続けるほど凝った時代もありました。その後CPMになり、CPM86の時代に移り、MS-DOSの時代になりました。私ものめり込むほうでしたがパソコンをいじることが目的ではなく、それを使うことで効率化、ありていに言えば楽になるためにしていたつもりです。
Window3.1になったとき、一つのアプリを終了せずに別のアプリを使える、更にはコピーペーストがソフト間でできるということに感激しましたね  
話がそれすぎです。
ホームページを作りたいという気持ち、ホームページで自分を世界に発信したいという意欲がなければホームページなんて作るべきじゃありません。
ホームページあるいはインターネットそのものは手段のはずです。それを目的と思うのは勘違いでしょう。



「ホームページを作るなら・・・」という発想が逆なのです。
熱き思いを持ったものだけがホームページを作るべきなのです。
何のホームページを作ろうか?と考えている人はホームページを作るべきではないのです。





ホームページ考(その3) 2004.04.23
私が子供の頃、剣豪の物語が大好きだった。当時はテレビなんてなかったが紙芝居にはそんなものが多かった。大型ロボットとか変身物なんてのは私が大人になってからのこと bushi.gif
私が紙芝居を見ていたというわけでもない。私が小学校の頃、紙芝居屋は毎日自転車できていたが、私にとっては見ることはなかなかできなかった。紙芝居を見るには怪しげなお菓子を買わなくてはならず、それを買うこずかいがなかったからだ。紙芝居屋はお菓子を買わない子供たちを追い払った。
テレビがなくちゃラジオがあるだろうなんていっちゃいけません。私が子供の頃、ラジオを持っている家は10軒に1軒もなかったのです。
さてそんな剣豪物語に出てくるのは、宮本武蔵、佐々木小次郎、上泉信綱、柳生十兵衛、曲垣平九郎などなど、皆さんご存じないかな?
ところで剣豪といってもその歩む道はひとつではなかった。ある人は大名をめざし、ある人は人に仕えることを選び、ある人は後進を教えることを選び、またひとり孤高を目指した人もいる。まあ、それは小説、伝聞の世界だ。真実かどうかは私は知らない。
私が10年前まで囲碁にのめりこんでいたことは有名(?)な話、田舎町でも強い人はたくさんいた。 そういった人たちはみな五段、もちろん県代表なんてのはもっと上なのだ・・・・
その当時は囲碁の免状とは一般には五段までしかもらえなかった。六段以上は特別な大会の勝者のみもらえた。今では六段まで昇段試験でもらえる。
囲碁の強い人といってもその生き方はさまざまであった。
ある人は私たち低段者をあしらうことに楽しみを持っていたし、ある人は県代表を目指し日々努力を・・・
ある人は普段は碁なんてしないで大会にだけ顔を出していた。ある人はその特技を生かしてカルチャーセンターで碁を教えて収入を得ていた。まあどの道を選んでも是非はいえない。
剣豪の人生と似ているかなあ〜なんて想像してしまいます。 

ところでその選んだ道によって、また苦労といいましょうか煩わしいことがいろいろあるわけです。
man2.gif 一人楽しんでいる分にはなにも心配はなさそうですが・・・
ところが一人にでも教えていればその方との人間関係もありますし、その方が上達しないと教える側にとって悩みとなるでしょう。もしその方が別の人に教わったほうが上達が早いと考えて移ってしまうかもしれません。そうなれば教えていた人にとっては金銭的なことではなくとも、面白くないでしょうし、あるいは自信をなくしてしまうかもしれません。
まして教室を運営していたりしますと、これはれっきとしたちいさな社会ですから人間関係とか内部のリーダーシップ問題、はたまた生徒間の争いごとなどなどすべて背負うことになります。 イヤータイヘンナコトデス。私にはできません。
オッ、私のようなへぼには教室開催がそもそも無理かな? 

さて、インターネットの世界も同じようです。個人がウェブサイトを作りアップしているだけでもさまざまな人間関係が発生し、利害関係を伴います。利害といってもお金だけでなく発言権、名誉、グループ内の序列など価値観はさまざまです。
もちろん、まったく一人だけで好き勝手に運営するという方法もあります。この場合サイトのコンテンツを充実させようとするとすべてが個人の労力とスキルに依存します。誰も助けてはくれません。お客さんが来て面白いと思ってくれるかくだらないと感じるかはすべて個人の力です。

実は私は毎日更新しているサイトを知っている。「ひとりの日本人として」といいforestさんという方が運営しています。 そしてウェブサイトを更新するだけでなくメルマガもだしている。それがものすごい労力を要することを私は知っている。

私自身がもかなりの頻度で更新しているからこそその苦労がわかる。

forestさんの努力の結果は・・・・ものすごいアクセスとなって返ってきている。一度お聞きしたことがあるが、毎日のアクセスが700とか1000だという。私のサイトのご訪問者は一日あたり200ないし350というところだ。
こういったカテゴリーのウェブサイトのアクセスというのは組織票(?)がなければせいぜいが100とか200である。私のサイトは多いほうだと思っているが上には上があるのだ。そうするためにはものすごい努力が要る。何もせずに放っておいては結果は出ない。
もちろんアクセス数がすべてではないし、アクセス数が多いからコンテンツが優れているとはいえない。
誤解なきよう、forestさんのコンテンツが優れていないというわけではない。
私もほとんど毎日訪問している。
一方、掲示板なんてものを作るとこれはひとりでに議論が進み、管理者/開設者は昼寝していても訪問者が来てくれ、アクセス数はどんどん増えていく・・・・こともある。
でも、問題も多々あります。掲示板に書き込まれた内容の管理責任は開設者にあります。万一(実際には十に一くらいなのだが)誹謗中傷、あるいは板の中でも議論が過熱したりすると開設者はこれをコントロールする責任があります。
掲示板などでなくとも、熱狂的支持者が現れたりするとこれまた問題となることもあります。管理人のつもりになって仕切ったりします。これも管理人としては痛し痒しかもしれません。
政治的な主張のためにウェブサイトを作ったのに、それを運営するために組織内の政治を行わなければならないとは人間社会の必然なのでしょうか?
5社協定や大手が嫌いだと独立した三船も石原も、自らの組織維持のためには小さな大企業にならざるを得ない。
往年のチャンピオンボクサーが引退できないのも取り巻きを食わせるため、盛りをすぎた歌手が老醜をさらしても歌うのは彼を支えてくれた人を支えるため。渡世の義理は大変です。
私は掲示板もなく基本的に私の言いたい放題(独り言)を語っているだけ、お便りをいただければありがたくアップし、コメントを追加しております。私に間違いがあればあるときはこっそりと、あるときはお詫びをつけて修正しております。
剣豪の話から、囲碁の話、ネットの話となりましたが、その伝で言えば私は宮本武蔵なのでしょうか?
強いという意味ではありません。

腕前によって仕官の道を探した柳生でもなく、道場を開いた千葉周作でもないようです。
まだ人間枯れておらず、六無斎までは悟りきっておりません。
ひとそれぞれですが、しがらみがないほうが私には気楽です。

先日も書いたが、ホームページを開設するなら開設者が意見をもって主張すること、論旨を分かりやすく書くこと、内容が多くの方に共感を得ること、などなどが重要である。サービスの品質そのままである。


しかし、会社で働いて、なんで自宅までもこんなに労力を費やしているのでしょうか?

誤解を恐れずに言えば、
嘲笑を恐れずにというのが正しいのでしょうか?
愛する日本が少しでも良くなってほしい
という一念なのですが・・・

エッ、ちっともホームページと関係ないって?
こまったな、大ありと思ったのですが・・・・・




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