白い闇 2005.09.23
駅のホームに立って線路をながめると二本のレールは遥かかなたで一点に集まる。

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なんてことは実はありません。
もちろん、田舎なら二本のレールは遠くで一点に集まるのであるが、都会では一点に集まらないのである。
エッツ! じゃあ都会では二本の線路は離れていくのかとか、ねじれているのかなんて突っ込まないでください。
都会では二本のレールの間隔が狭くなりひとつになる前に、あるところで線路が消えてしまうのである。
まさにバニッシングポイントである。 
シャレをわかってください。
バニッシングポイントとは透視図で視点が一点に集まる消失点のこと。
でも一点に集まらなくとも消えてしまえば消失点だもんね〜
大分前のことですが、田舎から都会に引っ越してきた当初、家内と二人でお台場に見物に行きました。お台場の海沿いの公園で私は羽田空港に降りてくる飛行機を眺めておりました。田舎者には飛行機は珍しいのです。
大きく見える飛行機が目の前を滑走路に向かって旋回していく。それも次から次と数分間隔で通り過ぎるのである。おばQは飽きることなくそれを眺めておりました。産まれてから50年間に飛行機を見た回数よりもその日一日で見た飛行機の方が多かったようでした。
そこで、ふしぎなことに気が付いたのです。飛来してくる飛行機は空のある一点にフット出現するのです。はじめは小さく見えてだんだん大きく見えてくるのではなく、ある大きさの飛行機が空の一箇所に突然現れるのです。それがそのときはふしぎでふしぎで仕方ありませんでした。
田舎でも飛行機を見たことがなかったわけではありません。しかし見え方が違います。
田舎では、空のかなた遠くに芥子粒のような黒い点が見え、やがて何分も経過するとそれはだんだんと大きくなって機体の色がわかるようになります。そして点から形あるものになり、胴体と翼が分かるようになり、そしてそれは再び小さくなり、色を失っていき芥子粒になり消えていきます。
そういえば似たようなことが私の毎日の通勤でもありました。私が毎日乗っていたバス停は県道沿いにあり、その県道は直線が数キロ続いていました。その間、坂もなく、県道は遠くまで見通すことができました。もちろん田舎では道を車が多くは走っていませんので見通しは良かったのです。
バス停で待っておりますと、遠くに小さな点が見えて、やがて色が分かるようになり、次にバスの形になり、数分後目の前に現れます。毎日2キロくらい遠くからバスが近づいて来るのをじっと待っていたのです。
私はウソを書きたくありません。改めてMapfanで調べましたところ、その道路は直線部分が3.7キロあります。バス停は中ほどにありましたので、2キロというのは大げさではありません。
3.7キロの直線というと羽田や関空の滑走路より長い。もっとも北海道に行くと道路の直線の長さが10キロというところもあるそうです。
冒頭に書きましたように駅のホームから線路のかなたを見ますと、線路はあるところで白い闇に溶けてしまい、透視図の消去点は存在しないのです。そして電車は突然ある大きさでその白い闇から表れるのです。

田舎
traininaka.gif

田舎では空気が澄んでいますから、遠くで二本のレールは一点に収束し、電車は芥子粒のようなものがだんだん大きくなってくるのです。
都会
traintokai.gif

都会では線路はかすんで遠くまで見えません。
電車はあるところに突然出現します。

ここまでまじめに読んできた方が、なんだ都会は空気が汚れているので空はかすんでいるので、遠くは見えないのだよとおっしゃるかもしれません。
そういってしまえばそれまでのこと、でも私は田舎と都会の線路や飛行機の見え方の違いから闇というのは一通りではないと思ったのです。
暗闇という言葉があるのだから、闇は暗いものに限らないはずです。黒くない闇、白い闇もあるのだと思います。
白い闇とはどんなものかといいますと、まさしく人間に見えないものという意識させない闇ではないでしょうか?
はっきり黒とわかるものなら、誰でも疑いますし、容易にだまされません。
しかし、黒い闇ではなく、不審なこと、怪しいことを気付かせないような白い闇もあると思います。
表面的にうまい話、甘い言葉はまさしく、白い闇ではないでしょうか?

平和憲法は国を守るなんていうのは、典型的な白い闇!
暗闇なら誰もが目を凝らししっかりと見据えるのですが、白い闇であるために気付かずだまされてしまうのです。
そして、「それは闇だ!」と叫ぶ人は逆に「おかしなヤツだ」と受け止られるのではないでしょうか?

白い闇は護憲主義だけではありません。
未成年の犯罪者の過保護にも見られます。
それどころか成人の犯罪者についてもおかしな主張があるのです。
具体例をあげましょう。
2005年9月16日に大阪拘置所で執行された死刑に対し、アムネスティ・インターナショナル日本は17日、抗議声明文を小泉純一郎首相と南野知恵子法相に送った。
「死刑は、反省や更正の可能性を完全に断ち切る非人道的な刑罰」とした上で、「1日も早く死刑廃止に向けた具体的措置を講じるよう求める」と訴えた。

死刑を執行された北川死刑囚は、1983年8月、千葉市内のバス停でスーパーの女性店員(当時18歳)を「自宅に送る」と言って車に乗せ、乱暴したうえ絞殺。現金などを奪い、遺体を千葉県四街道市内の水田に捨てた。
また84年に起こした別の婦女暴行致傷事件で服役し、仮釈放された約3か月半後の89年2月、高知市内のバス停で女性銀行員(同24歳)を道案内を頼んで車に誘い、乱暴したうえで絞殺、現金などを奪ったという。
このような死刑囚の人権を声高に叫ぶ論理は、まさしく白い闇であり、真の正義を隠してしまうのではないだろうか?
アムネスティは被害者の人権をどのように考えているのだろうか?


私たちの周りには私たちに見せまいとする白い闇が取り巻いているのではないか?
暗闇は光で追い払うことができるが、
残念ながら、白い闇を追い払う光はない。






マッカッカー元帥様からお便りを頂きました(05.09.23)
白い闇 此度も新作を拝見しましたぞ。「暗闇」とあるから「闇」は実は暗くは無いのでは。
なるほど。恥ずかしながら疑問にすら感じておりませんでした。むむむ。
死刑廃止論者は、かつての鯨愛好団体と同じでしょう。
死刑ハンターイ、捕鯨ハンターイ、同じ論調です。
一部の鯨は人が食べなくなったので大繁殖、漁業に大きな影響が出ているそうです。鯨のために泣いている漁業関係者の人権は?あるいは鯨にむざむざ食われてしまうその他大勢のお魚さんたちの魚権(?)は?
死刑囚に殺された罪も無い女性達の人権は?
反対論者には「死刑」「鯨」といった目の前のことしか見えないのでしょう。
目先の親切でしか物事を考えられない、イイヒト症候群ですな。
「小さな親切、大きなお世話」とはよく言ったものです。

おお!閣下、お元気ですか?
捕鯨もありました、ジジイ失念いたしておりました。
ボケたせいだなどとおっしゃてはいけません。
閣下のおっしゃった「イイヒト症候群」、言い回しがよろしいですね。大賛成です。
では私たちは「悪人」になりましょう。
恨まれること、嫌われることを実行すると良くなるはず。

これは、俗に「○○の法則」といいます。
○○には半島とか朝日が入ります。



スヌーピー様からお便りを頂きました(05.09.28)
パイナップル物語から、人口減少まで、よくぞこのような名作(本当にですぞ!)ばかり続々と誕生させられますね。・・・読む度に感想を書こうと思いながら・・・・ま、書く気でパソコンを開くとまた、新しい話題があって・・・・の繰り返しでした・・・・(言い訳です・・) 
その中でも「白い闇」は傑作ですね。今年のスヌ〜ピ〜賞(どんな賞や?!)独占です!
まさに白い闇に包まれていますね。私は60歳デビューの予定でしたが来年に変更します。
去年から生徒さんの助けもあって長年の謎が次々と解き明かされ・・(少々おおげさですがね・・)音楽の世界も白い闇だらけなんです、そこらじゅう!。

スピーカーからの音が聞けなくなって、(このスピーカーサウンドも、実は白い闇の一種ですよ、本当に)生の声、生の音、生の音楽、を都合のよいように変化させて提供している恐ろしい音群です。街に出てエスカレーターに乗ると・・・・分かり切った注意をするアナウンスの声、親切過ぎる駅のアナウンス・・エトセトラ、エトセトラ・・・静かにしてくれーーーー!本当に頭がヘンになりそう・・・・ここで、この白い闇の正体は実はこのスピーカーサウンドではないか?と思ったのです。

長くなるので今回は思いついたとこまで書いて失礼しますが、もし、このスピーカーサウンドがなくなれば黒い闇で困るという理想の世の中になるように感じます。音楽家の偏った意見でした。

スヌーピー様、毎度突っ込みありがとうございます。
デビューが伸びたのですか? CDアルバムを出されたましたらぜひお知らせください。
義理・・・いえ、よろこんで1枚寄付させて・・・アッ間違いました、ぜひ犬のCDを聞いてみたいと思っておりますので買わせていただきます。
騒音、情報でもなんでも、バックグラウンドノイズのレベルをあげて特定のものを隠そうとするのはある意味、常套手段です。
アラビアンナイトでしたっけ、お妃に夜這いをかけた男を王様が捕まえて頭の毛を切って翌朝探そうとしたら召使全員の頭の毛が切られていたというおとぎ話もありましたし、アメリカの民話で木の下敷きになっていた小人を救った少年が宝のありかを教えてもらいその木に縄を巻いて翌日宝を掘りにきたら、森中の木すべてに縄がまいてあったというオハナシもありました。
我々は白い闇にだまされないようにするのが生きていく知恵なんでしょう。
おお!大変格調高い教訓となってしまいました。・・・アリエナイです。



あらま様からお便りを頂きました(06.02.16)
佐為さま あらまです
先日、フランスで大ヒットした『茶色の朝』(フランク パブロフ 著 藤本一勇 訳) という本をテーマにした勉強会に誘われました。
その感想であります。
結局、その勉強会では、今の日本が右傾化であって、それがファシズムになり、やがて戦争を巻き起こすということでした。
どうも私が最近、右傾になったので、それを心配してくれたようです。
せっかくでしたので、お話だけうかがってきましたが、人事も尽くさないで天命だけを待つような話の内容は、相変わらずでした。
そこで、彼らの話を聞きながら、かつての佐為さまの名作『白い闇』を思い出しました。
気がつかないうちに、ゆっくりと変化していくことの恐ろしさ。しかし、異変は突如と現れる。
そういえば、小生にも思い当たるところがあります。
最近、段差がなくても、突然つまづく私に、家内は大笑い。「よーし、お前がつまづいたら、もっと笑ってやるから」と、口には出せぬ寂しさよ・・・。
大国主命さまにならって、筋トレに励もうかと思います。

あらま様 毎度ありがとうございます。
あらま様が右傾化? それでは私は極右なのでしょうか?
するっえと、我が相方などは一回りして極左ということになってしまいます。
右や左のだんな様・・・・イエ、右も左も比較、相対的なもの、気にせずに行きましょう。

ところで、筋トレなどしないほうが長生きするのではないかと私は何もしません。
スポーツはもちろん、山菜取りも、旅行も、散歩も・・・
だって毎日満員電車で吊り輪、懸垂、駅では短距離走、エアポートではバスに乗るために長距離走、監査に行けば階段のぼり降り、このように十分健康を保っております。
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