靖国参拝と朝日社説 2005.10.22
私はめったに新聞など読まない。
誤解なきよう。私はインターネットで新聞記事や社説を読んでいる。
しかし、やはり紙に書かれた文字を読むのと、モニターのテキストデータを読むのはおもむきというか、ニュアンスがだいぶ違う。
紙というメディアを使う時代は既に2千年続いていると思う。粘土、羊皮紙、竹、木などを使った時代から紙の時代になって情報の伝達だけでなく、考えるということにおいてものすごい役割というか効果があったことは間違いない。コメントを書き込んだり、折り曲げたり、必要なところだけちぎってポケットに入れて後で読み返すなど、紙というメディアはなかなかのものなのである。
そしてもちろん読むのにパソコンなどという道具を必要としない。
現在、モニターでテキストを読むという習慣が広まりつつあるが、やはり紙に比べてその効率、有効性は非常に劣っていると思う。
さて飛行機ではただで新聞がもらえる。久しぶりに紙の新聞を読むと、考えることが深まり広がるような・・・・気がする。
もっとも、私の頭では気がするだけで、本当は何も変わらないかもしれない。 

10月20日の飛行機の中で朝日新聞の社説を読んだ。
もちろん手に取ったのが産経や読売ではなく朝日であった・・・というのは偶然に過ぎない。
しかし、たまたま飛行機で手に取ったのが朝日新聞で、かつまたその日の社説がこれほど突っ込みがいがある社説であったとは、何という幸運であろうか!
社説の部分をちぎり、いろいろと頭に浮かんだことをメモしたのである。
自宅に戻った今、改めて見直すと更にまた突っ込みどころ、論理の・・いや非論理的なところが目に付く。
以下、文章ごとに考えていきたい。
KABU先生の指導により、朝日の社説の文章よりも私のコメントの文字数が多くなるように努力したい。

 「党首討論 外交不在がよく見えた」(2005年10月20日社説)

以前、KABU先生は朝日新聞社説は論評に値しないと断じ、もはや叩くことも意味がないと語った。朝日新聞はいまやもう論ずるに値しないのかもしれない。
朝日新聞は同人誌ならぬ同人紙であるのかもしれない。



本日の復習

「あおによし」は奈良の都にかかる枕詞である。
「いってよし」は朝日新聞にかかる枕詞なのか?


朝日の社説が1085字であるに対し、私のコメントが3000字を超えており、また引用文との整合もあり、異議はなかろう。






あらま様からお便りを頂きました(05.10.23)
佐為さま あらまです
それより社民党の国会議員様が韓国なんかで反日運動をしているようです。
いったいこんな人物を国会議員に選んだのはどんなやつらだ!

それは、自民党です。
東京の某比例区で、自民党の登録名簿人が足らず、社民党に一議席「チップ」としてあげてしまった。
確かそんな報道を、A新聞もしてましたね。
ところで私は、A新聞社が凝り性もなく捏造を続けているので、A新聞を極力、目にしないようにしています。
たまに目にすると、老眼が進む気がしてならないのです。
先日も展示会でA新聞の切抜きをじっくり見てしまいましたが、失明するかと思ったので、すぐ佐為さまのHPを開いて目の浄化をしたばかりです。
嗚呼、それなのに佐為さまが、よりによってA新聞の記事を載せているではないか・・・。
私は、どこを見たらよいのでしょうか。
そんな気持ちで佐為さまの名文を読ませていただいているうちに、もしかしたら、佐為さまこそA新聞の真の読者かもしれないと思ったのです。
例えは、佐為さまが機内でたまたま手にした新聞がA新聞とは。なんと言う縁だろうか。
わたしなら、全身にジンマシンが広がるでしょう。
また佐為さまは、これ以上もないぐらいに丁寧に指導されている。購読している読者でも、そこまではしないでしょう。
もし仮に、A新聞社が佐為さまの指導に従って、心を入れ替えて報道すれば、すばらしい新聞になるでしょう。
そうなれは、いよいよ読者が増え、増益するでしょう。
ですから、A新聞社は佐為さまに図書券を一万枚贈呈しても、何もおかしくはないと思います。

あらま様、毎度ありがとうございます。
確かに今回の選挙の社民党へのプレゼントは痛かったですね。
いえ、自民党が痛かったのではありません。国民、有権者が痛い目を見たのです。
まあ、それはともかく
私が朝日新聞の読者であることは事実です。・・・お金は払っておりませんが
そしてお金を出している購読者より・・欠点を見つけようと・・じっくり読んでいることは間違いなさそうです。
なにしろ法律を読むときは、相当真剣に読まないとなりません。それと同じくらい集中して読んでいます。
でも、図書券ねえ〜 いただけるものならいただきたいと・・・



タイガージョー様からお便りを頂きました(05.10.23)
拝啓 佐為様
今回は朝日新聞の論説に対して誠にわかりやすい評価をありがとうございます。朝日新聞や社民党にとってはいったいどのような首相が理想なのでしょうか?朝日新聞の普段の言動から不肖このタイガージョーが考察致します。
@非武装中立
非武装と中立とは本来別です。一つずつ考えましょう。
まず非武装勢力ですが、この時代に非武装勢力など・・・考えてみます。・・・いろいろ調べる・・・はっ天皇だ!確かに天皇ならば飛鳥時代や奈良時代あたりまでしか軍事力を握っていません。鎌倉以降はほぼ完全な非武装勢力となっています。承久の乱でさえ他の武士団に味方になってもらっているのです。室町時代以降はそのとき強かった武士団に養われていたわけであり、干渉をはねのける力さえなく中立をかろうじて守ろうとしていました。
A敵が攻めてきたら降伏
これも天皇のことです。いくら天皇でも人の子。生きて行かなくてはいけません。中立を守りたくても江戸幕府、薩摩長州など時の権力と最終的には妥協せざるを得ません。
B(郵政民営化で)公務員を減らすな
天皇もそうでした。大化の改新以降は公地公民を唱え、明治時代には教育勅語より、なんじ臣民と歌っておりました。すなわち働ける国民は男女の別なく全て公務員、一時期は義務教育年齢になったらそれだけで臣民=準公務員とは大盤振る舞いの最たる物です。
C独裁反対
ああ・・。これも天皇のことです。藤原氏に権力を握られて以来、鎌倉幕府→室町幕府→戦国時代→江戸幕府→薩摩長州→大正昭和時代→マッカーサー時代。建武の新政の時をのぞいて天皇に権力が戻っていません。戦前でさえ軍部は戦争拡大、内閣は不拡大、陸軍と海軍はケンカとバラバラです。絶対独裁政権下では天皇の方針に反対した者は政治犯として収容所行きです。東条英機や山本五十六がこれでいいでしょうか?と聞かずとも独裁政権ならば天皇からこうしろと命令があってそれで終わりです。しかし日本では王政復古の詔も出しただけに終わってしまいました。
D日の丸君が代強制反対
これも天皇のことですか・・・。『古今和歌集』のなかの長寿を祝う歌、「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」。この歌が決定する前にもいろいろな歌が候補にあがっては消えていきました。(未確認ですが明治天皇が作詞した歌は没になったらしい)
最終的にはフェントン(イギリス公使館の軍楽長)に作曲させる羽目になるのです。しかも天皇自身はこの決定にほとんど関与させてもらえませんでした。
↑文部科学省のホームページより(この資料は,第145回通常国会における,「国旗及び国歌に関する法律案」の審議にかかる,衆議院本会議,衆議院内閣委員会,衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会,参議院本会議,参議院国旗及び国歌に関する特別委員会の議事録を,文部省初等中等教育局において抄録したものである。)
名目上とは言っても最高権力者が自国の国旗、国歌さえ作れないとは、党旗を強引に導入したヒトラー以下ではないですか。国旗についても内心の自由は認められており、長い歴史の中で処分問題に発展したのは戦時中とここ数年だけです。
Eアジア諸国に配慮する
これも天皇のことだ・・・。天皇は今年御結婚されたマレーシア国王のためにお言葉をかけられ、マレーシア国王も最高の礼でこれに応えられました。(添付ファイル参照)北朝鮮に自国民を拉致されたときでも、天皇は一言半句たりとも北朝鮮を罵る言葉を申されませんでした。ならず者国家と品のない言葉を吐くどこかの大統領とは大変な違いです。
F弱者に配慮する
またこれも天皇のことだ。
共同通信より
天皇、皇后両陛下は(2005年8月)21日、神戸市のホテルで開かれた世界心身医学会議の開会式に出席された。
天皇陛下は、阪神大震災で多くの人が、いまだに心身の後遺症に苦しんでいることにも触れ「会議が実り多い成果を挙げ、世界の医学の進歩と人々の幸せに貢献することを願います」などと述べた。←引用ここまで
昔と違って金のない天皇家では実際に福祉に金をかけることはできないが、ノイローゼや、鬱病の人のために自らお言葉を書けるとはまさに暖かいお心。私は寡聞にして社民党党首が心身を病む人に声をかけられたという話は聞いたことがありません。
G靖国に参拝しない
なんと!また天皇か・・。現天皇は幼少の頃から日記を付けておられました。この時は戦時中で多くの国民が傷付いていました。現皇后によると現天皇はそのことで相当悩んでおられたそうです。戦争で傷付いた国民について60年もの思いがあっても靖国神社に参拝しない現天皇であります。私の記憶が確かなら、エリザベス女王はイギリスの戦没者墓地に参拝しています。
H憲法を変えない
やっぱり天皇のことだった・・・。天皇は憲法どころか律令制度を変えるのに1000年以上かかった者です。とうに政治をしなくなっても摂政、関白というポストを残し、廃止したのは江戸末期の大政奉還の頃です。システムを変えるのにこれほど時間がかかった組織を私は他に知りません。時代の変化する速さの違いはあっても60年と1000年ではまるで重みが違います。

ああ・・・。やはり朝日新聞や、社民党が望む理想の首相は天皇のことだったのだ・・。君臨すれど統治せずの原則を捨てても日本を治めたいとは色々な意味で見上げた心意気であります。社民党が小泉首相の一人勝ちを危惧したのも、彼があまりに権力を握りすぎると内閣総理大臣から太政大臣に任命せざるを得なくなり、福原に遷都する羽目になった平清盛の再出現を警戒しているのかもしれません。福原に遷都されると都市機能が麻痺するのは間違いないでしょう。さらに現在福原は性風俗の町となっており、新婚ホヤホヤの清子内親王殿下は毎日気が気ではありません。無論社民党が愛する天皇陛下も大きなダメージを受けてしまうでしょう。
朝日新聞の方の心情はお察ししますが、現天皇をこれ以上世知辛い世間にさらすのはかわいそうです。なんとか朝日新聞には「天皇と朝日新聞とはここが相容れない」と言う所を探して、首相指名を断らなくては・・・。天皇と朝日新聞の違い・・・考え中・・・。おお!一つだけありました。天皇は朝日新聞と違い、国民に愛されて、支持されている存在だったのです。「朝日新聞つきあって国民にあらぬ誤解を与えては混乱の元である」と言ってお断りしましょう。

佐為様、このように朝日新聞は現在でも珍しい勤皇派の新聞であります。いくら時代錯誤の新聞でもその涙ぐましい努力を評価してあげてください。



つぎは朝日新聞の社説、および読者の声にかなう理想の国について不肖タイガージョーが考察致します。
@徴兵制のない国
読者の声、2005年9月26日 大阪版病院職員 佐々木マツエ様(広島市安佐北区 51歳) 、2005年9月21日 名古屋版主婦 鈴木 怜子様(愛知県豊川市 27歳)などより自民圧勝後には、徴兵制度が敷かれ、息子が兵隊に採られることが心配だと言うことでした。
私は類似の投稿が、幾つか朝日新聞に採用されているのを見ました。従ってまず徴兵制のない国というのが条件でしょう。すなわち、韓国、中国はこの時点でアウトです。「母は息子を戦場に送る事が許されない」と言うならば徴兵制を敷いている韓国、中国こそ糾弾すべきです。北朝鮮や韓国は日本の侵略に備えてやむを得ず徴兵制を敷いているのだと私の中学時代の恩師は言っていましたが、韓国には米軍が駐屯しています。徴兵制を捨てても日本軍は攻めきれないでしょう。この時点で韓国、中国、およびヨーロッパの多くの国は除外されます。アメリカ軍は志願制です。
A報道、出版の自由のある国(ただし教科書をつくる会はのぞく)
多くの発展途上国では最高指導者がノーと言ったら報道はできません。そのことは現韓国大統領が「首相が教科書を改正せよと一言言えばすむ問題なのに、なぜ首相は教科書を改正しようと言わないのか?」と発言したことでも分かります。
多くの共産圏では今でも報道の自由、政権批判の自由はありません。従ってこれも除外。
B貧富の差が少ない国
これはアフリカ、南米などが除外されます。アメリカも貧富の差が大きくて苦労されているそうです。
C宗教の自由があるが、政教分離が完全に行われている国
バチカン市国、イスラム諸国の一部が除外されます。
D核兵器のない国
常任理事国の他インド、パキスタンが除外されます。
Eアメリカ軍が駐屯していない国
コスタリカ、韓国、フィリピンなどが除外されます。
F領土問題のない国
インド、チベット、台湾、旧ソビエト連邦などが除外されます。
G国民の人権が保障されている国
日本ほど人権が保護されている国は少ないのですが・・・。アメリカ人に日照権の説明をすると不可解な顔をします。

@〜Fに該当する国を除外していくと・・・。おおほとんど国が残っておりません。かくなる上は朝日新聞自ら国を建設するしかないのでしょうか?となると最適の地はどこでしょう?
@〜Gを一気に解決する作戦としてはただ一つ、朝日新聞総出で竹島に移り住み、ここは韓国の領土であると主張することです。朝日新聞の社内に軍隊があるはずもなく、賃金格差も知れた物でしょう。報道の問題については自らが報道機関であり、楽々クリア。靖国には遠すぎて通えず、近くの鳥取県には人権保護法があります。アメリカ軍もきません。竹島が住民投票の結果で韓国領になれば、日本政府もごり押しできず、領土問題もなくなります。平日は新聞を発行し、休日には対馬海流の流れる海で魚を捕って自然の暮らしを楽しんでください。一応領土的には韓国領になりますから、北朝鮮に対しては同じ民族ということで、今までよりももっと友好的な記事が書けます。北朝鮮が、朝鮮半島を統一した暁にはきっと選民階層として優遇されるでしょう。

佐為様、理想の国は探せばある物でございます。不肖私は一刻も早く朝日新聞が竹島、もしくはそれに準ずる無人島に移り住むように応援しておきます。おお、佐為様はまだこの日本に必要な方でありますから、海外へ移住することなど考えず、いつまでもホームページを運営して頂きたく存じ上げます。

敬具 タイガージョー拝

タイガージョー様
完璧です!
もはやコメントつけようもありません。
問題は朝日新聞に納得させることでしょう。それはらくだが針の穴を通るより・・・・



嫌中韓!様からお便りを頂きました(05.10.24)
拝見しました
「朝日新聞」の外交不在?笑うより仕方が有りません。
元々外交なんてのは仲良くすることじゃ無い事位「好きな」北朝鮮の外交姿勢を見ればよ〜く分かると思うのですが、
中国も韓国も日本に仲良くしましょう、なんて初めから云って無いのですが「朝日新聞」は何に答えなければいけないのかを、云わずに「靖国神社」に参拝するのが「悪」と云うのですからね。
「付け火」をしたのは「朝日新聞」、もう韓国の教科書と一緒ですね、確信犯。
各国の情報公開、アメリカ大統領の「ヤルタ会談失敗論」、日本国内の中国韓国に対する嫌悪感が両国が必死に成るほど、強くなる、若い青年が真実の歴史に興味を持つ人が増えた。
この10年間でもネット社会の到来を機に「朝日新聞」の思想が若者のお遊びの対象に成りつつ有る様な気もしています。
「素粒子」「天声人語」共、歴史音痴、時代錯誤、中韓擁護、反日姿勢が混ざり、支離滅裂、結論有りき、途中遊泳、夢遊状態の様な作文が増えて来ました。
A級も国会議事録で破滅、天皇ご参拝も三木元首相の私人発言、中国の反対もブランクが有る、後は中国国民の民意と変化して、足を踏んだの踏まれたのと感情の問題に迄「下落」、次期総理が参拝継続で「朝日新聞」下落と成ってしまう予感。
嫌中韓!様、まさしく同意!
そのためには朝日新聞にはもっともっと反日をがんばっていただきましょう。
中国の海底ガス開発も日本人の目を覚ますためには良いことですよね、
ああ!偉大なり、朝日新聞



流星様からお便りを頂きました(05.11.08)
佐為様 流星です。10月23日付けタイガージョー氏は朝日新聞の姿勢に関してなかなか面白い解説をされています。
朝日の主張がわかりやすく表現されていました。ただ朝日如きを非難するために天皇を持ち出すことには日本人としての誇りを傷つけられた思いです。天皇制が世界にまれな優れた政治形態であることは、以前このHPで指摘したとおりです。
タイガージョー氏はそういう天皇制の良さを知っておられる。だからといっていちいち朝日の主張と比較するようなことはしてほしくない。天皇はわが国の長であると同時に日本国の国教たる神道の長でもある。そういう立場のお方をまじめな議論にせよ、おふざけにせよ、揶揄の対象として利用してほしくないのです。
物事には言ってはいけないこと、やってはいけないこと、があります。何を言っても自由だ、何をやっても勝手だ、は共同社会では許されないのです。何時だったかわが国の留学生が中国の学生祭で裸踊りをやって大騒ぎになったことがありました。戦後の日本人、特に若い人の中には自由と勝手を取り違え善悪の区別がつかなくなっているようです。残念に思います。

流星様 毎度ありがとうございます。
天皇に対する思いというのは人それぞれでございましょう。
私は天皇に対してガチガチの家庭に育ったわけではありません。しかし社会人になった頃(60年代半ば)「テンチャン」という表現がかなり若者の間で使われているのに対してものすごく抵抗を感じました。
しかし、当時の若者が天皇をテンチャンと呼んでいても、尊敬と愛情は今の若者よりあったと思います。
天皇は神聖にして犯すべからずではなく、天皇は空気のように日本にありてあるもの、と思います。
一定の線を越えなければ、ひとそれぞれの思いがあり、表現があり、呼び方があっても良いのではないでしょうか。



流星様からお便りを頂きました(05.11.18)
佐為様
天皇と天皇制のこと
私は市井の一凡人にすぎませんから偉そうな口は利けませんがせっかくの機会をいただいたのですから、この問題について私の考えを述べてみたいと思います。
主義とか思想に関して私はこれまで誰からも教わったことも強要されたこともありません。
私がアメリカに生まれていれば星条旗に最大限の敬意を持ったことでしょう。中国に生まれておれば五紅星旗に忠誠を誓ったかも知れません。どういうわけか日本人として生を受けたため日本を愛し日本人であることに誇りを持った、ということになりましょう。
そして私は日本人であることを本当によかったと思っています。それは我国が万世一系という世界でもまれな政治形態を有しているからに他なりません。世界最大の強国アメリカの歴史はせいぜい二百五十年、中国は王朝がたびたび変わり歴史は古くても国家としてはズタズタと言ってもよいでしょう。アジアもヨーロッパも侵略の繰り返しで民族が入れ替わり混合しています。それに比べ天皇制は神代から連綿として続く国家統治の制度であり、それを守り続けたのが我々日本人の祖先なのです。天皇制は単に天皇家が武力で作り上げた政治形態ではなく、日本人が二千年をかけて作り上げた精神的産物であり文化だと言うことが出来ると思うのです。
確かに人の考え方はそれぞれであり讃えるもけなすも各人の自由です。
しかし、言ってよいこととよくないことの間には一線が置かれるべきです。その一線はたとえて言うと天皇と総理大臣の差といってもよい。この両者は権力の上では大差ないかも知れないが成り立ちに厳然とした違いがあるわけです。天皇制は我国の長い歴史とその間に生きてきたすべての日本人の精神の凝集であり天皇や天皇制を揶揄の対象にすることは日本と日本人を馬鹿にすることに他なりません。
天皇とか天皇制というときその意味は日の丸や君が代、或いは日本人ないし日本の国そのものと同義なのです。日本人であることに誇りを持つものは国旗や国歌を茶化したり馬鹿にしたりはしないものです。こういう感情は本来何処の国家や民族にも通じるものだと思います。カトリック信者は決してローマ法王を馬鹿にはしない、回教徒はマホメッドを冗談の対象にしない、自国の祖先を敬い民族を誇りに思う。これは信仰であると同時に最低限の礼儀なのです。自国を馬鹿にする民族は滅びるしかありません。日本人全て、とは言わない、せめて日本人であることに誇りを持つ人たちには最低限の礼儀は守ってもらいたいのです。
現代の多くの日本人がそういう礼儀をわきまえないとすれば、それは私が常々指摘するように敵国製の安っぽい亡国憲法に多くの日本人が洗脳されたからだといいたい。そんなことは民主主義とはなんら関係がない。
また、現憲法によってあたかも皇室と国民は近づかなければならない、という考え方が一般的になった。ヨーロッパの王室は開かれている。我国もまねをせよ、という。
とんでもないことである。歴史も成り立ちも異なる我国の皇室は他国の王室とは異質のものである。さらに言えば、皇室と国民もまた異質のものである。天皇家は二千数百年の伝統を受け継ぐ家系であるとともにそれを守り子孫に伝える責任があります。何も国民と同じレベルまで近づく必要はないのです。
とにかく天皇ないし天皇家は国歌や国旗ないし日本国と同義語であり、揶揄したり尊敬したりすることは個人の自由であるというような対象ではないと思うのです。たとえば靖国参拝に反対するものがいても人にはそれぞれの考え方があるから一方的に非難することは出来ない。
しかしその者が持っていた日の丸の旗を引き裂き、投げ捨て、踏みにじったとしたらどうか、これはもう人それぞれとは言えない。そういう人間は日本国籍を持っていたとしても真の日本人ではない。
と、まあそういうことではないかと思うのですがいわんとするところをご理解いただけたでしょうか。

流星様、お便りありがとうございます。
論点が二つあります。
タイガージョー様が提示した事実に重大な間違いがあるか否かが第一
天皇について茶化したりすることはいけないことかというのが第二
第一の点について、多少大げさなところはあっても事実あるいは世の中で信じられていることと大差ないと私は考えます。戦国時代、貴族どころか皇室が暮らしに汲々していたことは事実、明治憲法も明治天皇ご自身が作文したのではないことは事実。現時点、政治的な発言は一切禁じられているのも事実。
第二の点について、真に侮蔑の意思あるいは意味付けがなければ私は許されると考えます。
自虐史観もサヨクも愛国者も、小さな見解の相違で分裂し、主義が大きく異なる敵対勢力よりも、思想的に近いもの同志が熾烈な戦いをするのは人間の定めのようです。
私が若い頃、左翼はいくつもの派閥に分かれてテロ、殺し合いをしました。彼らが右翼を殺した数より、左翼同士が殺しあった数のほうがはるかに多い。
今、小林よしのりと西尾幹二はこれまた熾烈な言論戦をしている。彼らの違いより、社民党や共産党との違いははるかに大きいのに。
天皇を愛して話のネタにする人が許せないなら、天皇制廃止を唱える団体、天皇を茶番裁判で取り上げる人々をどうとらえるのか?
私はもっと広い心を持って、本当に妥協できないこと、あってはならないことを見極めるべきであろうと考えます。



流星様からお便りを頂きました(05.11.19)
佐為様
 ご意見有難うございます。流星です。
日本人としての誇りを持っているならその日本に対して言ってよいこと悪いこと、やってよいこと悪いことを認識してほしい、といっているのです。間違っていなければ茶化してもいいではないか、と言われればそれまでですが、一般的には良識が自制するかどうかだと思います。
長い歴史において皇室が経済的に困窮していた時代が何度もあった、というより平安時代以降の大半は権力者の庇護の下にあった、といえるかも知れません。さらに皇室にはそのとき以降武力らしい武力もありません。にもかかわらず我国の長として継続したことの意義を考える必要があると思います。そして天皇は明治憲法だけでなく有史以来自ら国を治める法を作成したりしていないのです。天皇は何もそんなことを直接する必要もないのです。私がここで言っていることは 日本という国に誇りを持つ限りは日本と同じ意味を持つものに対してはそれなりの敬意を持ってほしい、といっているのです。
天皇制に反対する連中は日本という国家に対する認識も日本の歴史に対する理解度もまったく異なる者たちです。そういう連中を私は本当の愛国者だとは思いません。ただ、戦後日教組のように現憲法によって教育を実施し、その教育により勉強をした人々は戦後の日本という国家しか頭になく次第に欧米的或いは共産的思想に染まりつつあります。そういう人たちには出来るだけ正しい歴史観を持ってほしい、と考えています。
何もかも戦前に戻れというわけではありませんが、我国の伝統を守りながら新しい日本を作るような人々が増えてほしい、と願っています。
流れるままにしておくと、日本人は歴史や伝統を忘れ西欧或いは中国に感化され続ける危険性すらあります。今の我国ではナポレオンやワシントンは教えても乃木将軍や東郷元帥の偉業を教えたりしないのです。そのような教育が続く限り、そして天皇制を茶化す事が小事だと見過ごす限り、やはり正しい歴史も国家観も生まれないのではないかと憂うのです。

日本を愛するとはどういうことか 2005.11.19
流星様のご意見をいただきまして私の思うところを述べさせていただきます。
流星様のご意見に対して真正面からの弁明あるいは反論ではありませんが、私の所信を表明させていただきます。
いきさつがわかりにくいばあいは、タイガージョー様の投稿からお読み願います。

「日本を愛すること」あるいは「日本人であること」とはどういうことでしょうか?
共産主義者であることは日本を愛してはいないことなのか? 天皇制廃止論者は日本人ではないのか? 首相の靖国参拝に反対する人は日本人ではないのか? 天皇をちゃかする人は日本人の心をもたないのか? 憲法改正に反対する人は日本人ではないのか?

私はそんなことは日本人であるかないかとは無関係であると考えています。
共産主義者も日本を愛し、天皇制廃止論者も日本を愛し、首相の靖国参拝を批判しても日本人であり、天皇をちゃかしても日本人であり、憲法改正反対を信奉しても日本人であるはずです。
私は、日本人であること、あるいは日本を愛することとは、日本という共同体の利益を最優先するということであると考えております。主義主張はなんであってもそういう価値観で考えること、あるいは行動することが日本を愛することであり、日本人ということではないでしょうか。
70年代中ごろでしたか?フランス共産党の委員長が「我々はクレムリンで決定されたことにのみ従う」と語ってすぐに「クレムリンではなくパリの間違いである」と訂正しましたが、クレムリンが本音であったように思います。もちろんその直後、彼は失脚しました。
どのような主義思想であれ、自国を愛しそれを尊重しない者は愛国者でないことは自明です。

たとえば首相の靖国参拝を取り上げて考えましょう。
私は首相に靖国参拝して欲しい、いや首相だけでなくすべての国会議員は、国家に対する責任を持っているのだから一般国民と違うという理由で靖国参拝するべきであると考えています。
しかし、同時に首相は靖国参拝すべきではない、と主張する人がいても当然であると思いますし、そういう主張をさえぎったり、議論の相手をしないというつもりはさらさらありません。
しかし、靖国参拝反対の理由が「中国の許可を得たのか(岡田元民主党党首)」とか「中国との摩擦を起こすな(加藤紘一)」という理由であれば、私は彼らが日本人の心を持っていないと判断します。ましてやペキンに行って「首相の靖国参拝はいかん(公明党、民主党、自民党など多数)」と語るなど言語道断です。
国内でいかなる議論をしようと、国外に対しては日本の国益を考えて行動しないと日本人である以前に、一人前の大人とはいえません。
同じく、国会で与党・政府と喧喧諤諤の論をするのは民主主義の姿でありますが、同時に中国の盗人猛々しいガス盗掘に対して日本人として日本の政党として抗議するのも、民主主義のもとで存在を許された政党のとるべき姿でしょう。
もっともそういった政治家、政党はそういう行為によって、己が日本人ではなく中国人の奴隷であることを白状しているわけですが・・
申し上げたように私の考える日本人の基準は、日本人として考えているのか、中国人の立場で考えているのかの違いです。

私は自分自身がこうあるべきであると考えるところはもちろんあります。そして、それを実現するためにここにウェブサイトをつくり、その他いろいろな活動をしています。しかし、私とまったく同じ考えでないと同志とはみなさないとか、相容れないとか、敵であるという考えはありません。

民主主義は多数決と同義ではありません。誰でも『言いたいことを主張できる』ということがその本質であると思います。ですから、民主主義において自分の考えを実現する方法は、自分の考えと異なる人を説得することです。決して自分の考えと異なる人を批判したり切り捨てることではありません。そして、説得できない場合、自分の考えと近いグループと手を組む、あるいは最小悪と妥協するということが民主主義のルールであり、それはまた現世の処世術でもあります。
宗教とは教義を疑うことなく信じ決して妥協しないという本質的純粋であり、政治とは打算で考え妥協が手段であり時により敵と味方が変る本質的不純に違いありません。しかし不純といっても悪という意味ではありません。純粋を信じて戦争をするのと、不純であって折り合いをつけ平穏に生きていくののどちらがいいのかなどともいうつもりもありません。純粋と不純とはそういう意味でしかありません。
己の宗教が一番と信じれば戦争が起き、妥協を図れば争いは避けられます。
日本の現在の社民党や共産党はそういった純粋路線をとっているのは間違いなく、同時にそれは普遍的ではないということでもあります。彼らは政治団体ではなく、宗教団体という路線を選択したのです。その選択の是非を私は論評できませんが、彼らの純粋な行動では絶対に政権をとることはできないし、一般国民に政治的主張と認識されることはないでしょう。そして彼らを支持する人々の行為は、政治運動ではなく、宗教運動です。
己の考えを貫き通すということは立派なことですが、その考え方あるいは行動がそれを現実することにつながるかというとはなはだ疑問です。自分が正しいと思い込み、自分の考え以外は排斥するという生き方では自分の理想を実現することができないだけでなく、自分の理想の方向に近づくこともできないのです。
世の中に純粋なものはたくさんあります。それは美しいかしれませんが、同時に孤高であり、普遍的なものではありません。インターネットには沢山のホームページがあり、いろいろなアイデアあるいは主張がアップされています。ユニークであっても普遍的でないものは賛同が得られにくいことは間違いありません。そんなホームページを見て、ついていけないなあと感じることはありませんか?
サヨクであろうと右であろうと、自分の意見と異なるものを受け入れることができないところは寂れるばかりです。言い換えるとそれが純化というのでしょうか?
私たちはだれでも自分の考えが一番正しいと信じ、それを実現したい。でも自分の考えと異なっても多少許容差をもっていろいろな人たちと付き合っていけないとなりません。





あらま様からお便りを頂きました(05.11.19)
天皇について
佐為さま あらまです
皇位継承問題、黒田夫妻の結婚と、天皇、皇室に関する話題が高まりました。
さて、わたしは、皇室を敬愛しています。その理由はわかりませんし、理由を質す必要もないと思います。
ですから、黒田さんの結婚は嬉しく思いましたし、愛子さまが天皇になられるのかどうか・・・気になります。
ところで、天皇を敬愛することが日本人の条件、あるいは日本人としての愛国心を持っているかのバロメーターとして捉える事に対しては、私は違和感を持ちます。何か天皇を踏み絵のように利用しているような感じで、不快です。
戦後、天皇や皇族に対して、敬語を使えとか、似顔絵や漫画の対照にしてはならないとか言う法律は、確かなかったと思います。
しかし、暗黙の了解で、常識として天皇や皇族にたいしては敬語を使い、漫画やコントのネタにはなっていません。したがって、天皇を引き合いに出すことについては、私も違和感をもちます。
(かつて、柳家金語楼師匠が天皇ネタを披露して国民からヒンシュクをかいました。最近ではNHKがヘリを飛ばして、宮内庁から締め出されました。常識というものがあるようですね。)
日本に生まれたから日本人。その親から生まれたので、その親を愛す。愛国心も日本人としての誇りも、すべて理屈で説明するには無理があるのではないかと思います。

Yosh様からお便りを頂きました(05.11.20)
「日本を愛するとはどういうことか 2005.11.19 」を読んでいます。
とうた様の仰せのことを本当に理解している人は多くはないとおもいます。
この論説は多くの人々に読んで貰いたいものです。どうか周知を図る方法を企てていただきたいのですが、目立つ処に掲示してください。

ななし様からお便りを頂きました(05.11.20)
管理人様
論理明快で管理人様がおっしゃるとおりのようです。
しかし、その断定する言い方は管理人様の言う同じ考えでないものは切るという行き方のようです。
もっとやわらかな表現はないのでしょうか。

賛否双方いろいろありますがご意見を賜りましてありがとうございます。
みなさん本当に真剣にお考えになっていると思う。もちろん私も言葉の遊びで書いているわけではなく、まじめに考えているつもりです。
いただいたコメントについて積極的な回答は差し控えたい。
ただその代わり、次にひとつの質問を提示したい。

長年の日本国憲法(正しくはマッカーサー憲法)論議の中で絶対に改正できないのは、国民主権と平和主義だといわれてきた。
それが真理であるかはたぶんに怪しいのだが、それはさておき、質問です。
『民主的な手段で憲法第一条が改正され天皇が廃止されたら、あなたはどうするのでしょうか?』

民主主義者であるか否かの踏み絵ではありません。単なる思考実験です。
まさか、『法を破っても護憲を貫く』なんて某民主党議員が語ったようなことは言わないでしょう。



みなさまからお便りを頂きました
あらま様(2005.11.20)
法治国家ですから、法に従います。ソクラテスが毒杯を仰いだように、悪法に従いま す。
法的に天皇が否定されても、敬愛の念は薄れることはありません。

流星様(2005.11.20)
佐為様
ご意見有難うございます。 流星です。
これまで私は共産主義者は日本人でないとか靖国参拝反対者は日本人ではない 或いは彼らは日本という国を愛していない、なんてことを言ったことはありません。
私は日本が天皇の下に団結し強い日本をつくってほしい、とは常々考えています。
従い一人でも多くの人が同じ意見を持ってほしい、と思っています。
だからといって私の主義に反対するものを力で排除しようと思ったことも相手が無礼なことを言ったりしない限り普通の応対をします。ただ利益のためには何をやってもよいとは考えていません。若し利益優先になると戦前のように侵略も正当化されるでしょうし、相手が痛手を受けても稼ごう、という行為が優先されてしまいます。
私は40年近く民間で仕事をしてきましたが、民間の仕事はその殆んどが相手をだますことに尽きます。もちろん全部が全部そうだとは言いません。世のため人のために仕事をする人たちもたくさん知っています。しかし多くの場合は相手の立場は二の次になってしまいます。利益優先とはそういうことです。
佐為様の言われる国家利益優先がそのようなものではないと思いますが、利益ということを優先すれば結局は取り合いとなり力がすべてということと同じになります。
私は利益よりも権利を重要視しています。日本の権利が侵害された場合は実力で奪還すべきであると思います。たとえば竹島です。なぜなら歴史的に見ても竹島は日本の領土であり韓国が領土を主張したのは李承晩ラインで一方的な海域を決めてからのことだからです。
靖国参拝や教科書問題に中国が反対すれば強く抵抗します。
なぜなら これらは日本の問題であって他国が云々する問題ではないからです。
自国の主権は大事にしなければなりません。
佐為様は私のクレームに対して小事であると断定されました。しかしこの問題は大事小事とは何の関係もありません。マナーに関する問題なのです。古いことはさておき、天皇は明治憲法では元首、現憲法では国民の象徴と規定されています。
だとすれば主義の如何を問わず国民としてそれなりの接し方があるはずです。
共産主義者であれ民主主義を信奉するものであれ、礼儀は尽くしてほしいのです。
誰であれ国家の長を侮ったり揶揄したりすれば私はその相手を軽蔑するか文句を言うでしょう。
なぜならそれは我々日本人を揶揄するのと同じことだからです。要するに言ってよいことと悪いこと、というのはそういうことです。
主義が異なる意見がこのHPで採用されていることは承知していますしそれだからこそお互いに議論が弾むわけです。だがマナーに反する者、無礼なものの意見も何の抵抗もなしに取り上げられるか、というとどうでしょうか。
天皇制を認める人ならなおさら国家の長には礼を尽くしてほしいのです。時と場合を選ばずに。それが良識ある大人のけじめと言うことではないでしょうか。
もうひとつ付け加えればやはり歴史とか伝統というものは日本人なら尊重すべきだと思います。
なぜなら現在は過去の延長であり、過去を否定することは現在の日本を否定することにほかならないからです。そういう意見が増えれば、たとえば共産主義が勢力を盛り返し日本人の過半を占めれば新しい国ができるでしょう。しかしそれはもはや日本ではないと私は思うのです。多分そうなれば国名も変わるでしょう。
正倉院御物は権力者の私有物だと破壊されるかも知れません。私はそういう変化を見たくないので歴史や伝統を大事にし、そして一人でも多くの人にそういう意見がある事を知って欲しいと考えているのです。
流星様、ご意見ありがとうございます。
すべての人は法を遵守する範囲において発言する権利があると思います。言論の自由とはおのれに反対する者の発言する自由なのです。
お互いそれを忘れずにしたいと思います。

ひで様からお便りを頂きました(05.11.21)
民主的な方法での天皇制廃止について
『民主的な手段で憲法第一条が改正され天皇が廃止されたら、あなたはどうするのでしょうか?』
かなり興味のある思考実験です。私自身の感覚を書きますが、他の人の意見も是非知りたいです。
自分は「自分には解らない物があり、解らない物については変えない」主義なので、天皇制廃止の国民投票には反対票を出す立場です。
しかし、この状況下では、残念ながら、何もしないでしょうね。天皇が万世一系とも信じていないし(継体天皇以後1500年くらいは正しいかもしれませんが)、「天皇の持つ最大の特徴であった権威」を感じていません。そして、今の若い世代も感じていないと思います(30代以下で考えています。)。
歴史的に朝廷が困窮していたときでも、門跡制度など何か特殊な力(呪術的な)があるとして、権威を持っていた時代がありましたが、今は、それが失われています。
明治期の尊王思想や、天皇崇拝は、朱子学の流れを汲んだ正統論からきており、社会運動となったことから天皇の権威が回復されました。また、国民国家形成期で植民地争奪時代の意識なら、国家統合の象徴としての天皇制は否定できなかったでしょう。しかし、権威は社会での取扱方で決まるものですし(民主的な方法で天皇制廃止なら決定が正当化されます。)、天皇制が国を守っているとも感じられません。
私の感覚では、天皇制を積極的に支持する理由が無いし、廃止する理由も無いというところです。
ちなみに私の主義では、男系相続から、第1子相続に変えることは反対です。

ひで様、ご意見ありがとうございます。
正直、私もひで様と同じですね。大多数の日本人もそういう感じではないのでしょうか?

タイガージョー様からお便りを頂きました(05.11.21)
拝啓佐為様
いつも貴サイトをおもしろく読ませて頂いています。本日はヤフーニュースで取り上げられていた無防備宣言についてのお話でも・・・大阪府高槻市のほかにも・・と思っていたら私が以前貴サイトに投稿したお話のせいで大変なことになっているようです。
佐為様には大変なご迷惑をおかけして誠にすみません。私はこれ以上貴サイトが論争の場になるのは忍びないのであまり事を大きくは致しません。しかし以下のことは流星様および他の方に申し上げておきます。
@私は歴代天皇陛下(現天皇陛下を含めて)を敬慕しています
欧米の映画にはよくキリストや神をネタにジョ−クを言ったりしていますが、欧米人がキリストを侮蔑しているわけではありません。子供が親のことを茶化して言うのは親を軽蔑しているからではありません。むしろ好意敬慕からの行為の一つではないでしょうか。最も敬慕する物と軽蔑する物をわざと比較したのは朝日新聞への最大限の皮肉です。あと記載の中で天皇、陛下と用いる言葉が変わっているのは私のチェックミスです。その件につきましてはお許しください。
A天皇陛下と総理大臣はどう違うか誤解を恐れずに申し上げますと、この両者は桁が違います。
「この両者は権力の上では大差ないかも知れないが」(流星様より)などとはとんでもない。日本の総理大臣が持っているのは政治権力と中途半端な軍事権だけです。私見ですが日本人にとっての天皇陛下はキリストの教徒におけるキリストより上と思います。ローマ法王などとっくに超えています。
B天皇陛下は武力がないか?
結論から言えば以前はありました。天武天皇自ら指揮された壬申の乱、聖徳太子も参加された蘇我氏−物部氏戦争、大化の改新、護良親王などです。とくに奈良時代の防人は天皇家の直轄軍と言っても良いでしょう。しかし天皇が軍事政権であったとしても天皇陛下は尊いと思います。(理由は後述)
C天皇家は単なる神道の長ではない
陛下は神道の長ですが、私は天皇陛下が他の宗教に寛容であった点に敬意を払います。推古天皇や聖徳太子が仏教の導入に熱心であり、天皇主導の遣隋使や遣唐使があり、明治天皇の和魂洋才がありました。ローマ法王が「中国の文化はウチより進んでいるから今日から儒教も勉強しよう」と言うでしょうか?天皇陛下は、自分の宗教があるのに国家のために他の宗教を受け入れる度量あるお方。掛け値なしに尊敬します。
D日本にとって天皇陛下とは?
古代においては建国をプロデュースし、古くは政治軍事の要、その後は精神、宗教の象徴であります。日本にとって軍事が必要な時期にはそれを使って国を建て、その他の物が必要なときにはできうる限りそうしています。それが必要なとき軍事政権ができることは何ら問題ありません。大切なのは日本のために宗教だけでなく全ての面で腐心しておられる天皇家、いつも日本と日本人のことを懸念されている天皇家が日本にはあると言うことです。例えるならば日本の太陽であります。
太陽は万人に降り注ぐ物。決して反対派の者のみに影をつくりません。日本人が生きていけるように世の中のシステム、文化を創ります。他者に壊されても壊されてもその営みをやめません。仮に太陽を不要という者があっても辛抱強くその誤りが正されるのを待ち、日射病で太陽が毒という者が洞窟に入っても決して責めることは致しません。無論、太陽が日照りを起こすようにたまには天皇家も失敗することがあります。(長屋王の乱、建武の新政、太平洋戦争)。しかし日照りがあるからと言って太陽をなくしてしまえという話にならないように、天皇家をなくしてしまえという話は暴論であります。誤解を恐れずに言えば私は天皇陛下が女性であっても、万世一系であってもなくても、ローマ法王と比べて歴史が浅くても、その歴史に幾つか不名誉な点があっても敬慕し続けます。それは天皇家の本質ではないからです。(天皇陛下が男性になったのは律令制度が確立してから)。大切なのは天皇家が安泰で、政界が安泰で、民衆が安泰で、日本が安泰であってこそ本当の平和であり、天皇家はそのために腐心されていると言うことです。ただし実現のためには多くの苦労が必要な事は言うまでもありませんが(悩)。
佐為様、これほどの方が、一愚民に過ぎないタイガージョーの拙文など問題にもしません。今も日本の安泰を祈っておられるはずです。
            タイガージョー拝

メールの後先が逆になりましたが、佐為様は婆娑羅大名というのをご存じかと思います。
【婆娑羅大名(バサラダイミョウ)】
室町時代に流行した、伝統権威を無視し、傍若無人な振る舞いをする大名のこと。婆娑羅とは、華美で人目を引く服装などをいう。代表的な婆娑羅大名として、佐々木道誉や高師直などがいる。
この中の佐々木道誉は建武の新政で直接の不利益を被ったものであり、後醍醐天皇への不満が頂点に達していました。
佐々木道誉の言葉でこのようなものがあります。
「天皇という物は本当に必要なのか?もし不必要なものならなくしてしまえばよい。必要な物ならば木や土で人形を作りそれを座らせておけばよい。どちらにせよ何もできないのだから。」(大意)
 彼の立場を考慮すれば当然の発言です。彼の上司が足利尊氏でした。この時代にはこのような反天皇派の大名が多くいて、このような気風だったのでした。これこそ本当の侮蔑です。
 しかし大切なのはこれだけの危機に追いつめられながら天皇家が生き残って、今まで続いていると言うことです。決して現憲法が云々の問題ではありません。この時代のことを思えば天皇家にとって現憲法など問題ではありません。天皇家はもっと大きい物です。昨日のメールと併せて御批判頂ければ幸いでございます。 

タイガージョー様、ご投稿ありがとうございます。
私は流星様の問題提起にはいろいろな観点があると思っております。
天皇をどうとらえるのか?という観点、天皇は茶化してはいけないという価値観、発言をする自由、おのれと極端に異なる論を無視し自論に近い主義を反論の対象とする現実、などなど
私個人の見解を申し上げますれば、タイガージョー様はご自身のお考えを発言すればよいと断じます。おのれの発言が法に反していない限り弁明の必要はありません。
なぜなら、おのれの発言を弁明・釈明することとは、相手におのれを理解して欲しいという意思の現われであって、理解していただく理由がなければそのような行為をする必然性がないからです。
それはこのウェブサイトを開設し、ここでの議論について第三者に対して責任が生じる私の立場と異なるところです。
それと「この両者は権力の上では大差ないかも知れないが」(流星様より)に異議申し立てます。
権力とは何か?と考えればこの文章はおかしいのではないでしょうか。「天皇は権威があり、総理大臣には権力がある」のではないかと私は考えます。

流星様からお便りを頂きました(05.11.23)
佐為様
流流星です。 自分の国を愛するということ、自分の国に対して忠誠心を持つこと、自分の国に誇りを持つ、ということについて佐為様はじめ多くの方の意見もほぼ出尽くしたようですね。
さて、一連の議論を取り敢えず中締めするため提出された宿題、すなわち少々意地の悪い(失礼)且つ難解なご質問に議論の参加者の一人として解答をしなければなりません。
その前に私は自分の主義について再確認しておきたいと思います。すなわち、私にとって日本という国は万世一系の天皇制を信奉する国、日の丸と君が代を国旗・国歌とする国であり、憲法も軍隊も日本二千有余年の国体を護持するための手段であると考えるものです。
ご質問は、民主的な手段で憲法第一条が改正され天皇が廃止されたら、どうするか?ということでしたね。
天皇制が廃止される可能性を私は否定しません。
1.亡国憲法の精神が浸透してきており国歌や国旗に何の忠誠心を持たない世代が国民の過半を占める時代が案外早く来るカも知れない。そのとき、天皇は要らない、国後は要らない、竹島は要らない面倒なことに首を突っ込みたくない、好きなことをして楽に暮らせばよい、という状態になると民主的?に体制が変わるかも知れない。
2.いま私がもっとも危惧することは女性天皇の容認である。若し皇室典範が改定され女性天皇が出現し、それ以降第一子が天皇を継ぐことになると、最初の50年ぐらいは問題ないがそのあとは皇祖に対する尊敬の念が次第に薄れ、天皇制が効果的に機能しなくなる恐れが多分にある。
近未来に天皇制が廃止されたら、天皇の民であることを自認する臣流星としては戦わざるをえません。日本の体制と歴史、伝統が覆るのです。これはもう日本ではない。
中国王朝が中華民国となりさらに中共となったように、帝政ロシアがソ連となりロシア共和国となったように。
佐為様はそれでも日本は日本と主張されるでしょうが私はこの国はまったく性質の異なった国になると思います。そのとき真に日本人だと誇りを持つことができるか大いに疑問です。
さて、この国で天皇制が簡単に廃止されるかということになるとそうともいえない。地方にはまだ多くの天皇の民を自認する民衆がたくさんいます。天皇制が崩れると場合によっては内乱になるかも知れない。その時私は何を置いても戦うつもりです。それでも負けたらどうするのか。そのときは日本という国は消滅ということですから私はこの国に未練はない。
多分歴史と伝統を重んじるどこかの国に移住するかも知れないし、同志と国土を二分して天皇制存続のため戦うかも知れません。
私の考えは別にして、間違いなく言える事は天皇制が廃止されると国内の政状が非常に不安定になるだろう、外交にも大きな影響が出るだろう、ということです。

流星様、ご指導ありがとうございます。
個人的意見はともかく、私は国民の意思で天皇廃止ならそれはそれで是とします。
今現在、靖国参拝を支持する国民が多数を占めると主張する私が、天皇廃止が多数となったとき反対するのでは、私がいつも揶揄している護憲主義者と同じ穴のムジナとなってしまいます。
女性天皇も賛否両論ですが、どうなんでしょうか?
これまた流星様からご抗議が来るのを確信して申し上げますが、イギリスでは栄光の時代は常に女王でした。
それと天皇制という言葉は不適切かもしれません。皇室制度と呼ぶべきでしょう。日本が天皇を頂点とする国家体制でないことは間違いありません。
天皇が廃止されたら国内の政状が非常に不安定になるかどうかわかりません。
ただその逆は正しいようです。フランス革命も、ロシア革命も、イラクが王政を廃止したときも、国内の政状が非常に不安定なときであったのは事実です。



大国主命様からお便りを頂きました(05.11.23)
どうも、管理人さん。大国主命であります。
これはしたり!管理人さんともあろうお方が・・・。
このような恐れ多いことをおっしゃるとは・・・。
小生、「天皇制」なる名称自体非常に不快感を覚えます。むしろ「お上」「帝」「天子様」「天孫」と改称していただけないでしょうか?
たとえ、30の洟垂れ小僧ではありますが、もし帝を引き摺り下ろす不逞の輩がでれば、ただちに錦の御旗を立て、あたらに皇居を定め、王政復古の大号令を発布、大日本帝国復興を図ります。
皇室典範改悪するものにはいずれ天の怒りをうけるでしょう。
いわんや共産主義者や中朝韓露は言うに及ばずであります。

大国主命様、いつもありがとうございます。
私は大国主命様から見ると、不倶戴天の敵!らしいですね。
平和!平和と叫ぶ人がいます。自衛隊がなくなれば平和になると叫ぶ人がいます。
しかし平和と叫べば平和になるわけはありません。平和をどうして作るのか?どうして維持するのか?と思うのが正常ではないでしょうか?
【帝を引き摺り下ろす不逞の輩がでれば、ただちに錦の御旗を立て】ではなく、そのようなことが起きないように、国民に日本の歴史を教え由緒というものを知らしめるのではないでしょうか?
それこそ私がしていることと思います。
しかしながら、そうであっても国民の意思として皇室制度の廃止となれば、私は諾とするつもりです。



ひで様からお便りを頂きました(05.11.27)
天皇制の歴史
本文:佐為様、タイガージョー様、大国主命様、
「佐為様」、「ひで」、と、「タイガージョー様」、「大国主命様」で意見が別れました。
「私は何もしない派」ですが、天皇家に権威を感じることができれば、「天皇家護持のために戦う派」になるでしょう。
先に書かれた内容では、私を説得することは不可能です。私の天皇家に関する歴史的知識をまとめて書きますので、説得に有効な考え方・思想がありましたら、教えていただきたくお願いします。
  1. 大和朝廷成立期〜律令時代より前
    豪族の連合国家の長として、天皇家が擁立される。天皇家の皇子と時の最も勢力のある豪族の娘が結婚し、子を為し、相続することを慣習とした。
    しかし、相続方式は確定したものでは無かった。
    公開資料には無いものの、この時期から、怨霊信仰があり、天皇家は国家の祭祀を執り行う存在であったことから最大の呪力を持つ存在として恐れられていたと考えられる。
  2. 律令制〜藤原氏支配の前
    唐の政治体制を模倣し、中央集権型国家としたため、表向きの権力は天皇家にあったが、事実上の権力は、天皇家・外戚・時の最大勢力の豪族のどれかに集中、または分配された状況であった。そして、直系の男系相続を法制化したが、他の部分では、実質的に、上記1.の慣習を持続した。
  3. 藤原氏支配時代
    外戚である藤原氏に権力が集中。政府の経済力は激減、実質的に軍隊・警察が無くなったことから、国内の治安崩壊、武士の発生、封建制の下地を作る。
  4. 院政時代
    外戚より権威の高い存在として、天皇の父・上皇による政治を開発。
    権威はあるが、暴力装置を持たないことにより、力を持った平家により、外戚の子による相続での権威奪取が計られた。
  5. 鎌倉時代
    源頼朝により、朝廷の権威を利用されながら、統治の正当性を順次奪われる。この時点で、統治のための権威は、上皇→源氏→北条氏に移行した。
    相続は、藤原氏系の娘と天皇家直系男子による男系相続となった。
  6. 南北朝時代
    天皇家への権威・権力の回復運動であった建武の新政の失敗から、三種の神器を使用しない北朝の天皇が発生。三種の神器などの権威を持った南朝と、足利氏を中心とした武士の擁立した北朝が並立した。後花園天皇の思想に、直接統治を行わない天皇のあるべき姿が現れている。以後、この思想により天皇家の教育が行われたと考えられる。
  7. 足利幕府時代
    義満の政略による、三種の神器奪取・北朝による相続となったが統治のための権威は、足利氏に移行。
  8. 戦国時代
    足利氏の統治のための権威が崩壊したが、朝廷にも事態収拾の力が無く、群雄割拠となる。
  9. 江戸時代
    国内を統一した徳川氏が統治のための権威を掌握。ただし、皇族の娘を将軍の本妻とすることで、朝廷の権威を取り込んでいた。
    後半には、統治の原理としていた朱子学から、尊皇思想が発生する。この思想では、天皇家に統治のための権威を認め、江戸幕府の権力は、天皇家の権威に裏づけられる必要性があるとされた。
  10. 明治時代〜戦前
    欧米の植民地獲得競争から日本を守るため、尊皇思想から、中央集権制への移行が計られ、天皇家の権威の回復が計られた。法制度上は、天皇大権であったが、実質は、天皇は認証機関(権威の付託機関)として存在し、天皇の意思でもって国家が運営されることは無かった。
  11. 戦後〜現在
    憲法上、国家の象徴と規定され、その地位は、国民の総意に基づくものとされる。外交上は、元首とされるが、法制度上の権力は無くなった。
    大和朝廷成立期から考えれば、現天皇に残されたのは、国家の祭祀王としての性格(現在では、権威はほとんど感じられていない)と、約2000年におよぶ歴史的な王族としての権威。明治以降の国民の敬愛の念である。
昭和天皇の御歌や、マッカーサーの手記などから、世界の王族の基準から考えれば信じられないほど、天皇家の方々は、国家・国民のことを慮っており、国家と密着した思想を持つと推測できる。

ひで様、ご指導ありがとうございます。
天皇家の歴史と、過去から由緒と天皇ご自身あるいは天皇家のお心がどのようなものであるかはわかりました。
しかしそれと民主主義とはどうかかわるのでしょうか?
皇室とは存在意義があると思うならば(私は意義があると思っているのですが)それを広く伝えるべきです。(私は伝えようとしているつもりです)
民主的な手段で継続しようとしているとご理解ください。
しかし、大多数の国民の意思により民主的手段で廃止することになったなら、それもやむをえないと受けとめます。
だからそうならないように努めているということなのですが・・・



流星様からお便りを頂きました(05.11.30)
佐為様
流星です。 民主主義を是とするも共産主義を信奉するも個人の自由ですから、現代の日本人が天皇制をどう考えようとももちろん強制など出来ません。
なお呼び方について、天皇制という言葉が妥当性を書くとは思わない。これは個人的な好みの問題だと思うので天皇制という言葉を使いたくない人は皇室制度という言葉を使えばよいと思う。ただ我が国では明治以前は朝廷という言葉が使われていた事、明治以降は天皇あるいは天皇制と言う言葉が一般に使用されていたことで私は天皇あるいは天皇制と言う言葉を使っています。別に抵抗を感じた事はない。
さて佐為様はどういう状況であれ国民の多数の意見に従う、と言われる。これは非常に説得性のあるご意見です。しかし一つの疑問が生じます。すなわち多数が賛成する意見が間違っていても従うのか、という問題です。イラクも北朝鮮も 中国も自国中心に事を決します。国民は必ずしも賛成でない、と言うかも知れませんが反日デモなどを見ると大多数が 賛意を表しているとみて間違いありません。
共産的独裁国家は政権主体が右と言えば国民は右、左と言えば左に傾きます。韓国も同様です。日本はどうか、と言うと現在はマスコミが強大な影響力を持っていることが分かります。期近な例では先の選挙での自民党の圧勝がある。テレビも新聞も改革と言う言葉に踊らされ、改革の中身を検証する事 無く改革が正義、と言うような報道を繰り返した。
選挙前には郵政民営化反対派が半数近くあったがいつの間にか民主党すら 実は民営化には賛成、と修正せざるを得なくなりああいう予想外の結果になった。このように我が国ではマスコミが世論を誘導できるのである。世論が女性天皇容認論に傾いた理由を私はだいぶ以前にここで述べた事があります。
もっと分かりやすい例を挙げましょう。農作物が高く売れるから、工場誘致が町の利益につながるから、あるいは海産資源を取れるだけ取る、それに対して自然破壊や資源枯渇を唱える少数派の意見が無視されてしまう、という問題がバブル以前我が国のあちこちであった。これは要するに日本人が大切にしてきた自然保護や資源再生の仕組みがそこに住む現代住民の利益のために損なわれるということがであり、多くの者が利益に走った結果日本中で起こった。700兆を越す借金は我々の子孫の肩にのしかかってきた。
多数の国民の意見に従う、と言う事はたとえて言うと特殊相対性理論のようなものかと思うのです。
これに対し一般相対性理論はこの理論をすべての現象に当てはめよう、と言うことです。
そういう観点で見ると、少数意見もすくわれる事になります。どういうことかというと、そこに歴史や伝統、将来への継続と言う一面を加味しなければならない、ということではないでしょうか。民主主義の下でも共産体制の下でも先祖が残してくれた制度でよい物は守る事、それを子孫に伝える事、制度も資源も自然景観も同様です。多くの国民が知床半島を見たいと思う、建築業者は儲かるから道路を作る、しかしその結果知床の自然が破壊されて結局ある時代にそれを利用した者たちのエゴというためだけの利益になってしまう。こういう場合は少数意見が尊重されなくてはならない。
天皇制のような日本そのものと言える根本思想は小泉首相が簡単に民意に従う、と言ってよい問題ではないはずです。私は現代のみの問題に関しては多数の意見に従う事はかまわないが、そうでない問題に関しては、世論に惑わされず専門家が時間を掛けて、マスコミに負けず、堂々と検討するべきであると思います。
天皇制が廃止されたら国内情勢は安定する、と言うご意見には賛成できません。フランスといい、ロシアと言い日本とは歴史も国情も全く異なります。清盛の時代、信長・秀吉の時代、明治維新などの混乱期においても天皇制は内乱を超越して維持された事を考えると他国の例が参考にならない事が分かると思うのです。

流星様 日本人よの佐為でございます。
まず、天皇制という言葉でございますが、これは天皇をお慕いする人々が使い始めた言葉ではありません。戦前は天皇陛下、皇室という存在が当たり前であって、わざわざ体制を意味する天皇制などという言葉はなかったとのこと。天皇制とは左翼(サヨクではありません)の造語であり、左翼が使い始めたと聞きます。私はその意味で皇室制度のほうが良いのではないかと申し上げたのです。
国民の多数の意見に従うそれこそが民主主義ではないのですか?それを否定することは民主主義ではないということです。70年頃の赤軍派、オウム、テロリストとおのれを同列にしてはいけません。私たちは民主主義者なのです。
じゃあ、長いものには巻かれろなのか? 国民がサヨクの洗脳にだまされたら終わりなのか?
私は前回も申し上げたはずです。そうならないように!今ここで、メール攻撃、掲示板での論戦、選挙のときの投票行動をしているつもりです。
それが民主主義のお約束なのです。それを破っちゃおしまいなのです。
「天皇制が廃止されたら国内情勢は安定する」と私は語った記憶はありません。再度ご確認ください。
私は流星様に追従する気はありませんが、誤解されたままでもいやです。

ひで様からお便りを頂きました(05.11.30)
立場の違いについて
佐為様 どうやら、目的は同じですが、依拠する立場が異なるようです。
もし、私の想定が誤っているなら、指摘してください。
私も皇室制度は、権威を維持する形で保存しておくべきと思うのですが、同時に現状では、皆を説得可能な維持の理由が見つからないと思っています。
「戦う派の方々」の意見を見ていますと、共通の認識を持って議論しているとは思いがたいので、あえて、一般的知識を提示しました。
もし、他の考えを前提として「戦う」ということであれば、それを知りたく思います。
そして、立場の違いですが、大国主命様も、私も、骨の髄からの民主主義というわけではありません。私の場合、政治的決定過程として民主主義を採用している日本に生まれたから、民主主義を前提として行動していますが、同時に「どうしても我慢ならない状況」になった場合は、「功利主義」を前提として「民主主義」や「法律」を無視した行動をとる自由を自分に(他人にも)認めています。
民主的決定絶対では、民主的手続きを踏みつつ独裁権を握ったヒトラーを否定できません。


立場の違い2
先のメールで、生じる疑問は、「民主主義を無視する自由」を認めるとはどういうことか?
だと思います。
当然、この自由を行使したものは、国家反逆罪的扱いです。民主主義を是とする国家では、これらの人々を放置してはいけません。したがって、政府の保護を後ろ盾にしない個人の自然権としての自由と考えてください。
「政府から追求され、重罪人となり、死罪となることも仕方無しとして、行動する自由」・・・その覚悟を持った者だけが行使する資格を持つ自由という意味です。
したがって、反日の方々や、過激派の方々が、「この自由を行使する」というのであれば、人権などを盾にして減刑を願うなどもってのほかと考えています。

ひで様、いつもご指導ありがとうございます。
私は私の考えはひで様と同じであろうと認識しております。
私の考えは流星様への回答として書いておりますので繰り返しません。
私たちは多数の奴隷でもないし、独善であってもいけません。
私たちはおのれの意見を大にして、意見の異なる人、ノンポリに対しておのれが正しいと確信していることを伝えなければならない。と

なぞ様からお便りを頂きました(05.11.30)
民主主義とはなんでしょうか?
自分と意見が違う人を少数派だと否定しつつ自分が少数派であれば闘うとは矛盾ですよね

それは本当の民主主義ではないというだけではないのでしょうか?
ご都合主義なのでしょう。



流星様からお便りを頂きました(05.12.02)
佐為様 流星です。
天皇制という言葉は左翼云々ではなく例えば王制とか立憲君主制などの言葉に対応して使われているように思います。たとえ左翼が最初に使ったとしても天皇論を述べる時に戦前から皆が使っている言葉です。私は天皇制が天皇および天皇家を蔑視する呼称だとは思わないのでそれを使用する事に抵抗がないと言ったまでです。
国民の多数の意見に従う事が民主主義だとしても、それが全てではないと言う事を言っているのです。マスコミの力が増大し一時は一億総白痴化と言われた時代があります。
国民の多数が馬鹿になったかどうか分かりませんが、いずれにしても一つの時代の考えで歴史を変えたり環境を変えたりする事に異論を唱えているわけです。
瞬間的な時代にすむ現代人が過去を無視したり未来を考えずせつな的に日本と言う歴史ある国家の進路を歪めて欲しくないのです。
佐為様が多数決に固執されるのはもちろん佐為様の自由ですから私に止める権利はありません。ただ社会が道を踏み外さないように佐為様が運動されているように私は民主主義が間違った方向に進む場合はアメリカに与えられえたニッポン的民主主義を修正すべきであると考えて動いています。この場をお借りしてあるいは他の方法で。

流星様、ご意見ありがとうございます。
ポピュリズム(大衆迎合主義)というのでしょうか?もっともポピュリズムの本来の意味は大衆迎合が本来の意味ではないそうですが・・・
誰でも己が考える理想社会を実現する活動をすべきですし、その権利ないしは自由があると思います。
ただそれが無制限ではないと私は思うだけです。
信念は議論になりません。
それにはご同意いただけると思います。
以上



萬太郎様からお便りを頂きました(05.12.03)
左為様、萬太郎です。
ごぶさたしています。m(_ _)m
「天皇制」についていろいろ論じられているようですね。
萬太郎は、小学校の卒業文集に「尊敬する人は昭和天皇」と書いて、両親から褒められた記憶があります。
といっても、ナゼ昭和天皇なのかは自分でも分かりません。同級生の多くは「両親」と書いていましたが、萬太郎は生身の人間を尊敬することに抵抗がありました。かといって、尊敬できるような偉大な人も知らないアンポンタンだったもので、結局、雲の上の存在のように感じていた「天皇」を尊敬する人にしたのかもしれません。
さて、萬太郎にとっての「天皇」です。いろいろみなさんの考えを読ませていただきましたが、現時点では「親」のような存在と思っています(これから考えが変わるかもしれません。たぶん、代わらないと思いますが・・・)。
幼少、学生の頃は「親」が萬太郎の面倒をみてくれました。今も萬太郎の両親は健在ですが、両親から経済的な助けを必要とはしていません。社会に出て、家庭を持ち、自分の意思で人生を考えるようになった今、萬太郎にとって両親はいてもいなくても、生きていくことについては差し障りがありません。
両親は小学校をなんとか卒業した程度です。十分な学問を身につけたわけでもありません。二人の人生は、子どもたちを食べさせ、学校に通わせ、家庭をもたせるだけの人生でした。でも、萬太郎にとって愛する「お父さん」であり、「お母さん」です。世の中になんらの貢献もしていません。唯一の貢献といえば、真面目に税金を払ってきたことぐらいです。
尊敬できるような人物ではありません。でも、萬太郎にとっては愛する両親です。そんな両親と天皇陛下を同じような存在というのは、とても不敬かもしれません。でも、萬太郎にとっては同じような存在に感じられるのです。日本国民の親なのです。
「天皇」という存在が日本から無くなっても、日本国は未来に向かって動いていきます。でも、少なくとも萬太郎は、天皇陛下がおられる日本で人生を送りたいと思っています。
左為さまはじめ、多くのみなさまが「天皇」について論じておられますが、萬太郎は難しいことは分かりません。でも萬太郎は、「天皇陛下」には、いつも国民の平安を考えていただくだけでありがたいと思っています。
それ以外の何も望みません。
遠く離れた地の親が、我が子の健康と幸福を祈っている。萬太郎にとっての「天皇陛下」は、そんな存在のように思っています。
(なんか、この文章を書いていたら涙が出てきました。(^_^;) 千代に八千代に、天皇陛下万歳。両親万歳)

萬太郎様、お便りありがとうございます。
私も尊敬する人などと愚論を語ったことがあります。
尊敬するといってもその意味は多々あると思います。
正直言いまして、私は天皇を敬っても尊敬しているのか?といえばわかりません。
自分にかかわる恩という観点からは親が第一ではないのでしょうか? それは尊敬ではなく感謝であるということもできるでしょう。いずれにしてもその違いについては私は分かりません。
ひとつ気になることですが、
萬太郎様が書かれたときは昭和の御世であったなら「今上天皇」とお書になられたのでしょうか?

萬太郎様からご返事を頂きました(05.12.05)
萬太郎です。
ありがとうございました。
小学校の卒業文集には「天皇陛下」と書いてありました。
今はもちろん、尊敬する対象ではありません。
今は・・・。昇華された歴史上の人物数人ですね。 (^_^;)
これからもよろしくお願いします。

了解いたしました。



相方様からお便りを頂きました(05.12.04)
相方!
相方の相方??再三@S.Sです。
相方のところでも皇位継承に関する話題が盛んですね。しかし「皇室典範に関する有識者会議」の存在っておかしいと思いませんか?皇室典範に関する問題以前に、少数の偏見に満ちたメンバーによる僅か一年程度の答申で決められるのでしょうか。
まずは吉川座長ですが、皇室側の方の御感想を「どうってことない」と無視しました。また座長代理の園部逸夫氏(元最高裁判所判事)は、「定住外国人に地方参政権を付与しても、憲法に違反することはない」との最高裁判例の張本人ですよ。
さらに委員には、ジェンダーフリー論者・建国記念日に反対する者・人権擁護法案信者・中国信望者等々・・・
この方々のどこが有識者なのか、どうやってこの委員会のメンバーが決まったのか小泉首相に聞いてみたいですね。日本の伝統や歴史を否定し、当事者の意見意向を無視して決めること自体がおかしいですね。もっと多方面から多くの意見を聞き、真摯に日本の歴史や皇室に対する理解を得てから法律改正すべきでしょう。
「私たちは歴史観や国家観で案を作ったのではない」などと宣う連中は信用できません。
世界に誇るべき皇室が少数の無識者(有識者ではない)によって、勝手気ままに閉ざされてしまう危険を孕んでいますよ。
我が日本国は建国以来、皇室という存在が一つの精神的な支柱となって存亡の危機を脱してきました。あの大戦後でさえ、米国も認めざるを得なかった存在を私たちの時代で台無しにしたくないですね。
何かの参考になると思うのですが、今月12日に竹田恒泰氏による『語られなかった皇族たちの物語』(若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」)という本が小学館より出版されます。
詳しくはhttp://www.takenoma.com/kouzokushinjitsu.htmlを参照
私も読んでみたいと思っております。最後に私個人的な意見ですが、緊急避難的な女性天皇容認派ですが、女系天皇には反対です。
 相方 拝

相方、いつもご指導ありがとうございます。
私には任せておけぬと、とうとう相方の登場となりました。
そうですね、おっしゃるとおりでしょう。
いずれにしても、サヨクやジャンダーフリーの勢力争いに天皇を巻き込まないでほしいというのがわたしの願いです。
あらま様からお便りを頂きました(05.12.04)
佐為さま あらまです
「天皇制」についての私感です。
わたしは「天皇制」が嫌いです。いぇ、天皇陛下を嫌いと言っているのではありません。「天皇制」という言葉が嫌なのです。
まず、「天皇制」という言葉について調べてみました。すると「天皇制」とは「学術用語」みたいですね。
これは天皇批判のための造語で、天皇を批判するためには天皇を制度として、まず捉えなければならなかったようですね。
「天皇制」という用語の誕生で、天皇を批判や学問の対象にしたわけです。
ですから、新聞社などではそれを嫌って「皇室制」と書いたそうです。
そして、「天皇制」を論ずると、どうしても「立憲君主制」とか「象徴天皇制」など、天皇を無機的で、機能とか機関的な面で捉えやすくなり、天皇の本質的な部分が二の次になってしまうようです。
つまり、偏りがちになってしまうのですね。
本来は、本質についても併せて研究してもらいたいのですが、高遠で高徳な天皇の精神面になると、研究者は意図的に触れないようです。
また「神道」というのが、私には分からないですね。神道には、宗教に必要な「経典」がないからかもしれません。
以前、皇室に流れる一貫した精神についての大著を一読しましたが、愚昧で単純な私には、理解できませんでした。なにか、無理をしてまでも天皇を論じようとする印象しか残りませんでした。結局、日本人では天皇を客観的に考察できないのでしょうか。
それよりも、「感情移入」の少ない若い世代のほうが、正確に把握しているのかもしれません。
とにかく、わたしにとって「天皇」とは、崇高であり、片想いであり、「家族」に対するのと同様に、敢えて論ずる対象ではないようです。
ただ、あまりにも天皇陛下のお仕事は「激務」だといわれていますので、もし皇室典範が改正されるのなら、そうしたところも改正されるべきだと思います。
いずれにしても、国民が意図的にならなくても、皇室は今後も、ずっと続くでしょうし、日本人から敬愛され続けるでしょう。
制度と言うものは、いずれは崩されてしまうものです。したがって、天皇制は崩れることがあるかもしれません。
「天皇制」が攻撃の対象なら、むしろ崩れてしまったほうがいいとおもいます。
しかし、天皇制が崩れても、制度とは違ったかたちで天皇は存続すると確信します。
その確信には根拠はありませんが。

あらま様、お便りありがとうございます。
あらま様のお考えは、私の考えていることと同じといってよろしいでしょうか?
天皇とはこうあるべきだ!敬わないとならない!という発想そのものが天皇陛下にとって迷惑かもしれません。
風のように、空気のように、私たち日本人がなんの疑問もなく、感じることさえないもの、天皇とはそんなものではないかと私は考えております。
あらま様が書かれたように、皇族は激務と聞いております。
私でさえ、毎週飛行機で飛び回っておりますと「疲れた」と感じることは多々あります。
皇族が○○大会だ、国際会議だ、受賞式だと分刻みのスケジュールでは疲れるのは当たり前。雅子様に同情いたします。 もっとのんびりとしていただきたいと思います。



那須山のアオバズク様からお便りを頂きました(09.08.13)
お参りしてきました。
冷夏なのか暑いのかよくわからない季節ですがいかがお過ごしでしょうか。
本日、靖国神社へ行ってまいりました。15日にしようかと考えていたのですが、色々用事があり今日にしました。矢張り15日となると「右や左の旦那様」が殺到するのでしょうか。私が行くときは「物静かな」ときだけなのでわかりませんが。
たまに、かなり「ご高齢かな」と思われる方も見られます。ご子息か、ご主人か、ご兄弟か、祀られているのでしょうか。昔聞いた歌「九段の母」を思い出します。
『上野駅から九段まで
 勝手しらないじれったさよ
 杖を頼りに一日がかり
 倅 来たぞや 会いに来た』
遠方からだと、大変な道のりだったろうと・・・。
私の亡き父は若いときは横須賀海軍工廠で工員として働いており、出勤途中に敵艦上機の機銃掃射を受けて仲間と共にヒューム管へ潜り込み、九死に一生を得た話とか、航空母艦「信濃」の夜を日に継ぐ突貫工事で10人以上犠牲なった話とかしてくれたことがありました。前線に行った兵士以上に「銃後」で戦った人たちも多いのに、未だに「靖国神社解体」とか「戦争責任はとるべき」とか戯けている連中はなんとしたことか。そこまでして「日本国民」の顔に泥を塗りたいのでしょうか。理解できません。
愚痴になってしまい失礼しました。でもこのかけがえのない「祖国」が本当に無くなってしまうのでは、と時々思い知らされることが多いです。杞憂で終わればよいのですがね。

那須山のアオバズク様 毎度ありがとうございます。
私は本日靖国に参拝してきました。
このかけがえのない「祖国」が本当に無くなってしまうのでは
まことに同感です。
鳩山などという売国奴が日本を本当に中国に売ってしまうのではないかと心配でたまりません。
マスゴミももう腐りきっているようです。日本の皆さんはこの腐敗臭が分からないのでしょうか?
まあクーベルタンではありませんが、たとえ勝利しなくても精いっぱい努力だけはしなければと思います。
人生は1回限り、七生報国なんてできません。一回だからこそ精いっぱい頑張りましょう。

外資社員様からお便りを頂きました(09.08.13)
靖国参拝に関する別の見方
こんにちは 八月十五日が近付くと閣僚参拝問題がニュースネタになるのですが、その賛否とは違う見かたを、ご披露します。
私は趣味で伝統芸能をしているので、社寺や宗教関係者が知り合いに多く、例によって神社関係者と飲んだ時の話しです。
神社関係者から見れば、ニュース報道も有難迷惑で、神社の立場で言えば八月十五日は別に特別な日ではありません。敗戦の日に参拝するのは、それぞれの意思や信条ですから、格段の是非もなく、歓迎なのだと思います、 とは言え、神社にとって重要なのは、祭礼です。 恐らく靖国神社ならば七月中旬の「みたま祭り」の方が重要なのです。 これはニュースに映る神職の服装に出ており、首相が来ようが、狩衣か浄衣、これは一般礼装の背広程度です。一般人のモーニングに相当する衣冠でもなく、ましてやフロックコートに相当する束帯でもありません。
これは当然の事で、敗戦の日は世俗の出来ごとで、世俗と神事を分離するのは、宗教の世界で当たり前だからです。ニュースで、靖国参拝は政治問題と絡められることが多いのですが、神事面からみれば八月十五日は特別な日ではないと思います。
繰り返しますが、八月十五日に参るのは個人の信条ですからそれに基づけば良いし、そこで反対するのも同様なのです。
佐為さまはご存じの通り、私は少しヒネております。とは言え、こういう見かたの違いは、御寛恕頂けると書いてみました。

外資社員様 毎度ご指導ありがとうございます。
実を言いまして、私は本当の意味の教養というものがありません。オヤジがこうだったからという程度の知識で生きておりました。私の頭の中では、オヤジが8/15に親父の弟の参拝をしたということで、お盆と靖国が結びついているのです。
おっしゃる通り、みたま祭りが重要な行事であるということは、東京に来て英霊にこたえる会のメンバーと知り合って教えてもらいました。
ところで、本日(8/14)靖国参拝してきましたが、もう閑散としています。明日の慰霊祭のテントなどを準備していましたが、参拝者は本当に少ない。右も左も靖国は8月15日だけなんですね、チョット悲しい。
右も左も年がら年中参拝し、また街宣活動をすればもっと日本人の関心を引くでしょうね。ぜひともそうしてほしいです。



外資社員様からお便りを頂きました(09.08.14)
靖国参拝によせて その2
佐為さま
御謙遜を仰いますな、教養の無いひとは「自分は無い」などと絶対に言いませんし、何よりもこのコンテンツがご自身の教養のあらわれと思います。
私自身、いつも大変 勉強になっております。
また、私の意図することをお取り頂き有難うございます。
そうなのです、八月十五日に参拝するのは個人の自由ですが、政治的にこの時だけピックアップされるのは、少し悲しいのですね
実は、私は千代田区の中学に通っていたので地元だったのです。
今は知りませんが、その昔は「千代田祭り」なるのものがあり、区内の学校の吹奏楽部が集まり、神田お玉池から、マーチを演奏しつつ靖国通りを靖国神社まで行進しました。私は吹奏楽部にいたので、それを体験しております。その時には、最後の力を振り絞って九段坂を演奏しながら登りますし、ここのギャラリーが一番多かったように思います。レパートリーが少ないので途中は外国のマーチも演奏しましたが、最後は君が代行進曲で九段坂を上り、大村益次郎の銅像前で解散し、その後は参拝して帰ったのを覚えています。
昔は、左寄りの教育が多かったのかもしれませんが、そのような行事があったこと、学校で靖国神社にお参りしたのは、珍しい経験なのかもしれません。

なんとなんと、外資社員様は地元の方でしたか!
それでは靖国についてはなんでもご存じのはず
ちょっと話は違いますが、太平洋戦争の終戦日は誰でも知っているでしょうが、日清戦争や日露戦争の終戦日を知っている人って少ないと思います。おっと開戦日も同様でしょう。
実を言いまして私も知りません。知っているのは海軍記念日となった日本海海戦の5月27日だけです。
太平洋戦争の敗戦の日にわざわざ靖国に行くこともないのでしょう。私の場合は、外資社員様と違い田舎に住んでおりましたので、靖国参拝をしたのはわずか7年前のことでした。一度行くと近くにあると分かりましたので、桜、終戦記念日、気が向いた時にお参りしております。
A級戦犯だからだめといいますが、そう信じている人でもA級戦犯以外の数百万の戦死者に感謝してもよいのではないでしょうか? そんなことを思います。

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