無防備宣言都市 2005.12.10

最近「無防備宣言都市」というのがはやっているらしい。この宣言をすると、戦争に巻き込まれず、自由と平和が保たれるらしい。
ものすごい効果だ!魔法のようだ。
man7.gif ところが「そんなことはない!」と多くの理論家が語っている。
同志KABU先生も斜め袈裟に切って捨てている。
しかし多くの人々の絶え間ない反論にもかかわらず、あるいは切られたのにも気付かないのか、この無防備宣言都市という発想はゾンビのようにしぶとく広まっている。
無学な人にいくら「無防備宣言都市なんてありえないんだよ!」と説明しても、理解することができないらしい。

そこで私の出番である。
お断りしておく、私は法学なんて知らない・・・知っているのは方角くらいである。
しかし、無学ではあるが半世紀以上生きてきた私は、どう考えても無防備宣言都市なんてのがありえないと確信する。
考えるのではない、感じるのである。

では、無学な者による無学な人のための「無防備宣言都市」はありえないというオハナシのはじまりである。
子供の頃は誰でも憎たらしい小僧であったはず。「火遊びするとおねしょする」とか、「悪いことをすると閻魔様に舌を抜かれるよ」とよく大人から言われたものである。
火遊びとは、文字通りその辺の草原に火をつけたり隠れて焚き火をすることであって、それ以外の火遊びではない。
しかし、悪童がそんなことを言われてハイハイとおとなしくしているわけはない。
「バカゆーんじゃねー」「なことねーや」と憎まれ口を叩くのがふつうの子供である。
特に私は子供の頃から理屈っぽいと言われていた。
小学校の頃の話である。授業中、騒いでいると先生が「静かにしろ」という。まあ当たり前のことである。しかしそんなことを言われて「ハイわかりました」おとなしくするわけがない。
 「静かにしないとどうなるの?」と問い返す。
静かにしろ!
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 「ひっぱたくぞ」
 「先生に負けないぞ」
 「じゃあおまわりさんにいうぞ」と言う。
space.gifおお!ジョウトウジャネーカ。
 「おまわりさんなんかに負けないぞ」
 「それじゃ自衛隊を呼んでくるぞ」と言う。
 「自衛隊になんか負けないぞ」と反論する。
その次には先生のビンタが飛んできて静かになってしまったのだが・・・
当時の先生は戦争帰りというのが普通だから、ビンタなんて当たり前である。

しかし、そのとき私は考えた。
学校で子供が悪いことをすると、先生がひっぱたく。それで静かになる。
泥棒がいればおまわりさんが捕まえる。それで町は安心だ。
しかし、おまわりさんが捕まえることができない強い泥棒だったらどうするのか?たとえば泥棒が機関銃を持っていたらどうなるのか?
そのときは自衛隊が出てくるのだろう。しかし、自衛隊が出てきてもやっつけることができなければどうするのか?
deino.gif 当時は警察が手におえなければ自衛隊が出てくるものと思っていた。有事に関する法律がないから動けるはずがないなどとは思いもよらなかった。
なぜなら当時見ていた映画では、恐竜、怪獣、ゴジラ、ラドン、モスラその他なんでも現れると、自衛隊が出動し、戦車や戦闘機がミサイルも大砲もジャンジャンと発射した。そういった映画では出動に当たっての法規制などの説明がなかった。

でも、自衛隊が出てきても制圧できないならばどうなるのか?
これはオルバースのパラドックスである。

子供なりに考えて、それは新しい権力であって、現在存在する国家、政府、警察というものを覆すだろうという結論に達した。
はじめは非合法であってもそれは文字通りの己の力によって、正当化される。弱肉強食のルールでは当然の帰結である。
この子供が考えた理屈を否定できる人はいるでしょうか?

現実には、警察の力が及ばないような武装勢力は現れない、なんておっしゃる人がいるかもしれない。
ところがそのようなことは世界いたるところ、日常茶飯事で起きているのである。
 ソ連を作ったのは共産主義者の武力でした。
 中国を作ったのは人民解放軍でした。
 北朝鮮の金日成はどうでしょうか?
 アフガンにはタリバンなんてのがありました。
 アルカイダがいつ国家権力となるのかワカリマセン。
要するに、私が50年前に思ったことは、現実の世界では珍しくもなんともないことなんです。
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『権力は銃口から生まれる』と毛沢東は語った。

ところで、「無防備宣言都市」となるとなぜ攻撃されないのだろうか?
その理由を多くの平和主義者は説明している。
無防備地区を攻撃することは許されない。もし攻撃すればそれは戦争犯罪となる。
国際刑事裁判所(ICC)規程第八条第二項b(v)は「手段のいかんを問わず、無防備で、かつ、軍事目標となっていない都市、村落、居住地または建物に対する攻撃または爆撃」を戦争犯罪としている。

要するに自然の原理ではなく、架空のお約束の上で成り立つということだ。
hatena.gif 誰が戦争犯罪であると断定し、断罪してくれるのであろうか?
過去のすべての戦争において、戦争犯罪ということが正しくとらえられ処置されたことがあるとお思いの方・・・手を上げていただきたい。
過去、そのようなことはなかった。一度もない。
勝てば官軍であり、負ければ敗戦というだけでなく犯罪者であると断定された事実しかない。
東京大空襲を思い出してください。いったいあのような無差別爆撃がいかなる理由で犯罪でなく、山下将軍が犯罪者であるのか?
このようなことを考えずに「靖国にA級戦犯が祭られているから」などと語ってはいけません。己のアホサを暴露するだけですよ。
ところで、イラクの自爆テロと特攻隊を同一視する日本人もいる。いったいどの特攻隊員が意図的に、軍事目標以外を攻撃し、非武装市民を殺害したのか教えて欲しい。
平和主義者は語る。
有事法制は憲法に違反している。憲法9条に照らして容認されない(憲法98条第1項)。
また「締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」(憲法98条第2項)のであるから、国家の最高法規である憲法の第9条と、日本政府が締結した第一追加議定書59条に従うのが当然である。
無防備国家宣言をしている憲法の理念に即して第一追加議定書59条の国内法化を進めるべきである。
論点は「憲法に違反しているかいないか」なのだろうか?
「日本の安全が確保され維持されるか否か」なのではないのだろうか?
そのために何をするかが重要であって、憲法に違反していなければよし、憲法に違反しているのなら憲法を変えればいいのではないか?
マッカーサー憲法が無防備国家宣言をしたことが間違いならば、一刻も早く取り消すべきであろう。

平和ボケ極まれりというこんな文章を見つけた。
あなたの強い願いがあるから、きっと核や戦争はなくせる。あなたの暖かい愛があるから、きっと差別や虐待はなくせる。
「平和と人権」、かけがえのないものを、あなたと共に守り抜きたい。そしてさらにその輪が全地域に広がることを念じ、「非核・共生・非暴力都市宣言 かたの」をここに宣言します。人間への信頼と勇気を与えてくれる宣言です。
この宣言は、きっと中国政府や北朝鮮の菌将軍に信頼と勇気を与えてくれることでしょう。そして日本の将来は地獄となるでしょう。
「無防備地域(非防守地域)は国際武力紛争の際に、紛争当事国が手段の如何を問わず、攻撃を禁止されている地域である。
無防備地域は自治体の宣言で実現でき、しかも同地域への攻撃は戦争犯罪として禁止されている。平和時の自治体の平和への努力が、戦時になってもそのまま活用でき、自治体当局はその住民を戦禍から守ることができる」
いったい誰が禁止するのですか?
湾岸戦争のとき、イラクがイスラエルにスカッド攻撃したとき、いったい誰が阻止したのでしょう?
「戦争犯罪として禁止されている」とはどういう意味なのでしょうか?
 暴力によって阻止することでしょうか?
 止めてくださいと神様にお祈りすることでしょうか?
自治体当局が住民を戦禍から守ることができると信じているなら、己が無知だと白状していることではないのでしょうか?

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「無防備宣言都市」が有効と信じてらっしゃるお人、ぜひ宣言してほしいものがあります。それは「無警備都市宣言」です。
最近は物騒ことばかりです。犯罪が多くて困ります。いたいけな子供の命、老人や女性など弱者が狙われています。
か弱い女の子が何人も殺されています。
通学途上で殺され、学校で殺され、学習塾で殺され、家庭でさえ安全ではないのです。

無警備都市とは、自分たちの地域を警備することを放棄し、同時に犯罪に協力しないことを宣言し、治安の良いまちになることを願い、市民の生命、財産を守ることを目的にしたものです。

もし、「非警備都市宣言」が有効なら、「無防備宣言都市」も有効かもしれません。
もし、「非警備都市宣言」で犯罪が減らないなら、「無防備宣言都市」も役に立たないかもしれません。

「国家防衛と治安維持は違う」と言われるかもしれません。ではどのように違うかを教えていただきたいと思います。
小学生だった佐為少年の考えたことは、おとなに、いや老年となった佐為翁が考えても間違っていないような気がします。


本日の結論

私の知る限り、戦争をなくす方法をまだ誰も見つけていない。
しかし戦争を防ぐ方法は
『武装放棄すれば攻めてこない』と信じることではなく
『攻めてきたら反撃するという意思を示す』ことであるようです。



無防備都市宣言は「民間防衛」にでてくる「にせ平和主義者たち」のようだ。
スイス「民間防衛」P235より
潜在的は敵を仮定−−その宣伝文句に基づいて判断することは、たとえその宣伝文の中に、聖書の文句が引用されていようとも、できないことだ。われわれは、にせ平和主義者たちが、武装するのをやめないでいることを確認している。われわれの信念は誠実なものである。われわれは、だれ一人殺そうとするつもりはないが、ただ正当防衛を確保しなければならぬ。
われわれが武器を使用せざるをえないようなことがないように!われわれは、これ以上に真摯な願いを持たない。





あらま様からお便りを頂きました(05.12.11)
佐為さま あらまです
「攻めてきたら反撃するという意思を示す」ためには、当然、実際の準備をしなければならないですね。
fusein.jpg さて、イラク戦争のとき、私の子供が、「ピンポイント攻撃ができるのなら、フセインだけ殺せばいいのに」と言いました。
おぉ、わが子ながら、鋭い。しかし、前にも書きましたが影武者がいて、誰が本物かわからない。
そこで、わたしは先ず最初に「人間の楯」を攻撃したほうがよいと言いました。
子供は驚いたようでした。丸腰で、平和を訴える勇気ある人を、先ず最初に攻撃するとは・・・。
わたしは懇切に説明しました。
戦争とは殺し合いです。生きるか死ぬか。戦いの最中には、法律も条約もありません。勿論、情けもありません。
ちょっとした心の迷いが、命取りになります。
作戦を遂行するためには、非情にならなければなりません。
そこで、チラチラちと目障りなものは、最初に無くしておかなくてはなりません。
このひとは「中立」だから、殺してはいけない・・・なんて考えていたら、こちらがやられてしまいます。
人間の楯になる人は、戦場にいることを承知でいるのですから、いつ死んでもよい覚悟ができている筈です。
自分の命を「放棄」しているのですから、安心して殺せます。(人間の楯になる人に対して「犠牲」と言う言葉は、勿体なくて使えません。)
兵士は、同胞や自分の命を守るために戦います。
一般市民は戦禍に巻き込みたくありません。
ですから、人間の楯は、敵と同様に、邪魔なのです。
確実に味方と認識できなければ、それは敵として、即座に攻撃しなければ、こちらがやられてしまいます。
「それでは、戦争なら何をしてもよいのか・・・」と、わが子は、突っ込んできます。「原爆を落としてもよいのか・・・。」
「その通り」と、私は答えます。
しかし、戦争にならないように、最大限の努力をしなければならない。平和を念ずることも必要だ。戦争の悲惨さを訴え、二度と戦争がないように声を大にして訴えなければならないと思うのです。
しかし、一旦、戦争になったら、同胞や家族、自分を守るために戦わなくてはなりません。
その為の準備はしておくべきです。
「強盗が家に入ってきても、戦えないお父さんでは嫌だろう ?」
「その通り ! ! 」と、子供たちは納得しました。
あらま様 毎度ありがとうございます。
あらま様の言い回しはかなり過激で誤解を招くかもしれません。といいながら私も誤解を恐れずに発言しております。
平和国家にいて平和を叫ぶのは簡単です。
冷戦時代、核廃絶をニューヨークで叫んだ人はたくさんいましたが、モスクワで叫んだ人はひとりもいません。
横須賀で原子力空母反対を叫ぶ人はいても、中国で原子力潜水艦反対を叫ぶ人はいません。
人間の盾を志願していって、病院に配置された人々は大喜びで、発電所に配置された人々はイヤダーと言ったと当時のインターネットにありました。
私は英語が苦手ですが、そのくらいの文章は読めました。
戦争の悲惨さを訴えるなら、罪もない拉致被害者を救出しよう、中国のチベット侵攻を止めさせようとするのが、喫緊の課題ではないでしょうか?ところがそういう人々は中国様の仕業は見えないのですよね。
この二枚舌、ダブルスタンダードを追求しないと日本に正義は確立されないでしょう。
大国主命様からお便りを頂きました(05.12.11)
どうも、管理人さん。大国主命であります。
ここしばらく「無防備宣言都市」を掲げる戯けにメールを送り続けていました。やっぱり拒否されていますね。
stpsayo.gif その証拠に添付ファイル状態で帰ってきます。
中には弁護士が混じっているようですが、多分左派共産系でしょう。
いや、中核派でしょうね。今までの逆ならばれないだろうとやっているんでしょう。
管理人さんのおっしゃるとおり、攻めてくれば反撃し、完膚なきまでにたたきのめにして追い出すのが筋でしょう。
どうも、人権擁護条例やこの「無防備宣言都市」、「反戦運動」や環境保護団体なるもの、フェミニズムはすべて、同じ根っこであるのではないのか?と考えます。(味塩さんの受け売りですが・・・。)
つまり、林道義氏の言葉を借りれば「形を変えた共産主義」であるということです。本当の日本人なら、こんな戯けはしないはずです。
最近流行の帰化人(南北朝鮮系、中国系)が日本国籍を取得してやっているような気がします。その証拠に、帰化人の捨民党の辻清や眠朱党の何人(白氏)かは人権擁護法案や外国人参政権を要求しているじゃあありませんか。
とにかく結論です。「日本人なら日本を守れ!出来ないなら、この画像の閻魔様が地獄で裁きをしてくれよう!(北斗の拳の画像)」
おお!大国主命様 毎度ありがとうございます。
「形を変えた共産主義」という言い回しは良く聞きます。
しかし、私はそれは間違っているのではないかと考えています。
イエ、話は最後まで聞いてください。
彼らは駄々っ子に過ぎず、あるときは共産主義、あるときはジェンダーフリー、あるときは・・・・と要するに反社会的な人々に過ぎないのではないでしょうか?
本当の共産主義、社会主義者から見たら迷惑千番なのではないでしょうか?
真に市民足らんとするならば、国民の権利義務を理解して行動するはずです。
まともな人なら憲法を守るためなら法を破るなんて超論理を語るはずがありません。



あらま様からお便りを頂きました(06.02.05)
佐為さま あらまです
日本に、徴兵制度がないということは、世界を見渡しても歴史的に見ても、極めて特異な現象だと思わざるを得ません。
例えば、全世界が徴兵制度を放棄している中で、日本も徴兵をしていないということであればまだわかりますが・・・。
私は窓の外から海を眺めながらつくづく思うのですが、日本人が日本をあまり意識しない理由のひとつに、日本の地形にも関係していると思います。
つまり、海水で隔てたことには関心が薄いのですね。
竹島や北方領土なども、他国に国土が占拠されているのに、多くの国民が無関心なのは、自国の問題という意識ではないからだと思います。
これが、島ではなく、「本土」の問題であれば、自分の問題として意識すねかもしれません。
しかし、半島からミサイルが横切っても、無関心を装いきっているのは、やはりヘンですね。空気を隔てたことにも関心がないのでしょうか。
こうした無関心の積み重ねが、他国からの干渉を受けるスキを見せているのだと思います。
最近は、「愛国心」という言葉が、軍国主義を連想させるとして、引いてしまっていますが、こうした類の教育や認識は必要だと思います。
ranger.gif 徴兵制というのは今現在、経済的に割に合わないという理由で採用されないようです。
志願制の方が優秀なそして士気の高い兵士を得ることができ、かつ長期にわたり運用できるためらしいです。
確かに今の日本は平和ボケまくりですから、冷や水を浴びせる効果はあるかもしれませんが、まあそこまでせんでも・・
簡単なことだと思うのですよ。
正しい歴史を教えること、国家というものを教えること、人としての道を教えること、ちゃんとした教育を10年も続ければこの日本はまともになります。
そのちょっとしたことが大変なのであらま様もわたしも難儀しているのですが・・・



尚ピー様からお便りを頂きました(06.04.29)
懸念
嘆かわしいことか、最近、「無防備宣言」なるものが「お馬鹿さん」たちの間でブームのようです、、
さんざん、日本国から日本国民としての恩恵を受けておきながら、 侵略国さん、いらっしゃい、ですか、、、
呆れて、開いた口が塞がりません、、
   頭の中が無防備、ということでしょうか、

尚ピー様 毎度ありがとうございます。
「無防備宣言都市」について面白い解説をしている方がいました。
man2.gif つまり、
 私たちは降参します。だから攻撃しないでください。
 そしたら国際法で武力攻撃しないで無血開城となります。
 次に元の味方から攻撃されます。
だそうです。
つまり・・・・侵略者の味方ということに間違いなさそうです。


山梨様からお便りを頂きました(06.06.15)
佐為様 久しぶりに佐為様のホームページを拝見させていただきました。
その中で、「無防備都市宣言」or「非武装都市宣言」についての記述を読ませていただきました。
多くの市町村で、「平和都市宣言」が駅前ロータリーや国道の市町村の境界線辺りに税金を費やして結構な看板?モニュメントを見かけます。
「無防備都市宣言」or「非武装都市宣言」は、例として先の大戦時の本間中将揮下の日本軍によるフィリピン攻略戦の折、当時フィリピン軍軍事顧問・高等弁務官兼務、後の連合国軍総司令官マッカーサー将軍によって、マニラ市の「非武装都市宣言」がなされたもの(もう一つは沖縄戦の神島のケース)が挙げられます。
このため日本軍はマニラ市には無血入城し、10万の米軍・フィリピン軍がたてこもるコレヒドール要塞攻撃に向いました。
因みに、コレヒドール戦の終結後の“バターン死の行進”―戦後マニラ戦犯法廷でこの捕虜虐待の罪によって、本間中将は銃殺刑に処せられました。敵前逃亡とは言わないまでも戦線離脱し、オーストラリアに逃れた屈辱的な体験に対するマッカーサーの(プライドを取戻すための)復讐ですね。
国際法の規定によって、戦時に攻撃を抑止するため、紛争当事国の政府、自治体首長あるいは軍事司令官によって宣言することができるとするものです。
しかし、今行われている「無防備都市宣言」or「平和都市宣言」の対象は、有事法制(戦争法)、自衛隊及び在日米軍に向けてのアピールで、実際の戦争や戦時の占領などを想定してのものではないと思います。
この“オープンシティ”の宣言にもかかわらず、抵抗部隊があろうものなら、まさに大戦末期のフィリピン戦の日本海軍マニラ海軍陸戦隊が日本陸軍の「非武装都市宣言」を無視?した結果、多くのフィリピン人一般市民を巻き込んだ凄惨な市街戦に繋がりました。
このように、宣言を忠実に履行できない場合は、かえって攻撃軍は徹底的な攻撃、殲滅戦を行うものです。軍隊の通過、軍需品の備蓄、あるいは軍事基地の存在などがある場合には、宣言は紛争当事者として認められない…ということになります。
だから、(まず戦時、戦闘中の宣言でもないし、)横田基地のある福生市他を含む東京都、横須賀米海軍基地のある横須賀市、ノースピーア他多くの米軍施設のある横浜市、厚木基地のある大和市・藤沢市、神奈川県(沖縄県に次いで135箇所もの米軍施設がある)では(戦時でも)宣言は無効です。
後、「非核宣言都市」の条例を掲げている市町村もありますが、米軍は核の抑止効果を減殺するような発表をしないため、たとえ横須賀基地や厚木基地・相模原米軍施設内に核を貯蔵していても…非核三原則の建前通り、「ないことになっているのでない」と日本政府の言うがままにしておきます。ないわけがないので、上記の基地が核攻撃されてもなすすべもありません。冷徹なものです。
東西対立の時代には、誤って大陸間弾道弾が発射され、ソ連及び東側陣営に核爆発の被害があったら、西側諸国の中の都市をお返しに蒸発させる…これは想像力がたくましいというよりも事実、談合していたと思います。
以上、長くなりましたが、この「無防備都市宣言」運動?は、ロシア、中国、北朝鮮などの国々との実際の戦争を想定したものではなく、有事法制(戦争法)を阻止するため、自衛隊及び在日米軍の軍事行動を牽制し、協力しないというためのものでしょう。

山梨様 ご指導ありがとうございます。
おっしゃるとおり
今行われている「無防備都市宣言」or「平和都市宣言」の対象は、有事法制(戦争法)、自衛隊及び在日米軍に向けてのアピールで、実際の戦争や戦時の占領などを想定してのものではないと思います。
なのは確かなようです。
そういった人々の認識は、今現在の世界は平和に満ち溢れており、日本が攻撃される恐れなど微塵もないにちがいありません。
彼らが、北朝鮮のミサイルを理解しているのか、ニュースも見ていないのかは存じませんが
へんなたとえですが、洗面器に水を入れて動かしますと、水が運動をはじめて今度はもっている手が振り回されます。
まったくの善意あるいは無知(この二つは同義であるという気もしますが)によって行われた行為が、日本と日本人にとって致命的なダメージを与えるのではないか?と懸念しております。
もっとも彼らのトップは中国や北朝鮮の指示を受けていて、善意(無知)の日本人をあやつっているのかもしれません。
はたしてどうなりますことやら・・・


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