つきあい 2006.11.25

すこし前、たしなみというタイトルで駄文を書いた。本日はそれに合わせて(倣って?)タイトルを「つきあい」とした。前回の中身がたしなみでなかったように、今回もつきあいではない・・・かもしれない。
なぜかネーミングが海上自衛隊の護衛艦の艦名のようである。
昨今、いじめ問題とかが大騒ぎである。学校内のいじめで自殺者がでて、自殺を宣言した手紙が文科省に出す者もいるそうだ。そんなわけで、日本中にいじめをなくそうという大合唱が響き渡っている。
はたしていじめをなくすことができるのか?
私はイジメが良いことだなどとは毛ほども思ってはいないが、いじめをなくすことも不可能だと思っている。
イジメというのは人間社会に普遍的なもののようで、時代が現代だけあるいは日本にだけあるものではなさそうだ。
たとえばお隣韓国では小中学生のいじめが大問題になっていると聞く。いじめによる自殺ばかりではないだろうけれど小中学生の自殺者数が日本の倍くらいというから、人口比から考えればとんでもないレベルだ。
mose.gif ともかくいじめなんていつの時代にでも、どの社会にでもあった。
聖書を紐解けば、旧約全編が、妬み、恨み、いじめ、欲得の物語である。
カインとアベルの物語だってえこひいきに端を発するいじめではないのか。ヨブなんてイジメ以外のなにものでもない。
罰とか原罪なんていっても聖書の神を信じない者から見れば、神が人間をいじめているだけのような気がする。

繰り返すが、いじめは長い人類の歴史のいたるところにあり、現代の日本という地域と時点限定であるわけではない。
私が子供の頃にだってあった。そして私はいじめる側ではなく、常にいじめられる側にいた。そんなことは何度も書いた。
私より前の世代においてもいじめは日常茶飯事であった。日本軍隊においては階級が上のものが下のものを、そして古参による新兵いじめがあった。映画「男たちの大和」ではほんの少し描かれていたが、私がオヤジから聞いた話はあんなもんじゃない。
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軍隊だけじゃない。
職人の世界だって、「無理偏に拳骨と書いて兄弟子と読む」なんて言われていたのである。
私が新入社員時代には、もう暴力は振るわれなかったが、それでも上下関係は旧態然であったのはいうまでもない。仕事のことで口答えなんて想像もできなかったし、仕事が終わったあとにどの飲み屋に立ち寄るかという選択にしても、先輩の意見に逆らうなんとことはできなかった。

もっと遡って、侍の世界にだって、いじめはあった。
江戸時代以前は身分社会であったので上位者によるいじめあるいは仕打ちは絶対的なものであり、反論も救済もなかった。
有名なのが吉良上野介であろう。もっともそれが事実だったのかは私は知らない。
坂本竜馬なんて正しくは侍ではなく郷士であり、身に付ける履物から傘まで制限があったらしい。それを破ると罰を受けた。
身分不相応という言葉は事実を基にできた言葉である。

明治維新とは江戸幕府を倒し天皇の治世としたというだけでなく、島津・長州の復権ということでもあったろうし、そういった下級武士のうっぷんというか権利拡大であったに違いない・・・四民平等なんてあとから付いて来たに過ぎない。

明治になってからだって、いじめはある。差別といった方が良いかもしれない。差別というとすぐ同和とか思い浮かぶ人が多いだろうが、東北には同和問題はない。しかし東北には身分による差別ではなく、徳川幕府についた旧藩出身者は出身地ゆえに差別されたのである。
何を隠そう・・と言うほどのことでもないが・・私は松平容保の治めた藩の出身である。先日、出張で山口に行ったとき、訪問先で新撰組の恨みで殺されるのではないかと心配ですと冗談を言った。相手はそんな昔のことではなく、監査で不適合を出された恨みで殺したかったかもしれない。
本当は戊辰戦争後に会津藩の藩士は青森の斗南に移ったので、今会津に住む人びとは民百姓や明治維新以降に他所から移り住んだ人々で、長州と戦ったわけではない。
mankomatta.gif 文化的なところならいじめはないだろう・・・そんなこともないようです。
大学ではボス教授に従わないとひどいいじめがあるそうです。
戦後民主主義をモットーとしている進歩的な某テレビ局でも、キャスター間のいじめがあるそうで、それが週刊誌の記事になっている。

話がとりとめがない。
暴力を振るうイジメであろうが言葉によるいじめであろうがシカトだろうが、一人でいじめようが集団でいじめようが、そんなものは今に限ったわけではない。
じゃあ、過去からいじめられた人はすべてが自暴自棄になり、あるいは自殺したのか? なんて聞くまでもない。みんなそれに耐え、あるいは戦ってきたのである。
私が現在働いている職場は人間関係が非常に良好である。お互いに角付き合ったり、争うということがない。
というのもいくつかわけがある。
まず第一に、みな年配者であり、社会人としての常識を持っており分別がある。といっても私のように定年間近な老人ばかりではない。おおむね40歳以上である。
第二に出世競争とは無縁であること。私の職場はフラット組織で昔のように主任・掛長・課長・部長と細分化されていない。もちろん心の中に上昇志向を秘めている人はいるだろうが、表面にコーポレートラダーを上ろうという意欲を出してはいない。
第三にみな専門分野を持つプロフェッショナルであること。他人から発言を批判されたり、なにか言われても己の専門分野においては権威であるのでふらつくこともしょげることもない。同時に各自の担当職務においては責任を全うするから他人に迷惑をかけない。もし職務を果たせなければ、己の存在価値が問われるという共通認識がある。
第四にあまり個人的に深い付き合いをしない。家庭環境、家族、趣味なんてお互いに知らない。
まあ、そんな職場である。職場での価値基準は己のタスクを達成することが必要十分条件である。
やっと、まとめに入る。
いじめとか、挫折とか、とにかく俗世間を生きていくにはさまざまなしがらみがある。
☆☆いじめは濃厚なつきあいから生まれるのか?
☆☆付き合いが希薄だから生まれるのか?
私はどちらでもないと思う。
今はジェンダーフリーが声高に叫ばれる時代である。しかし、教育基本法の改正案では男女共学の保証についてが削除された。それは男女共学にしないぞという意味ではなく、もはや当たり前になったのでわざわざ一条を設けるまでもないと考えたのであろう。
ということを横目に見て考えれば、イジメをなくせ!と叫べばイジメがなくなるわけではないような気がする。
イジメをなくすには、こどもの頃から個人としての独立を教えしつけることに尽きるのではないかというのが私の論である。
ちょっと違うかもしれないが、体罰が常態化している家庭の子供は大きくなったとき暴力的になるという調査を見たことがある。私がこどもにめったに体罰を与えなかったのは、そのような学問的なことではなく、単にこどものとき叩かれて痛い思いをしたから子供には体罰より話して聞かせようという戦術を取ったに過ぎない。もちろん話して聞かせてだめならひっぱたくという権利は留保するし行使もした。
woman6.gif 非常に素朴な考えであるが、イジメを止めるには、夫婦が仲良く、先生が闘争することなく、社会がすぐに抗議行動とか闘いだと叫ぶようなことがなければよいのではないか?
親がわが子を殺したり虐待したりする家庭からは、まっとうなこどもは育たないだろうと思う。
組合だ、反政府デモだ、法律改正運動にこどもたちを動員する先生のクラスの生徒は、決して心やさしいこどもにならないだろうと思う。
☆☆暴力を振るう人は暴力を振るう人を再生産する。
☆☆話して導く人は、話し合いができる人を育てるだろう。
☆☆話し合いといいながら、話し合いのできない人は話し合いができない子を作る。
☆☆自分の仕事に誇りを持たない人は誇りをもてる人を育てることはできない。

おお!教育基本法改正案に反対する先生は、己が先生に向かないことを知っていて、その生存をかけた闘いをしているに違いない。
第九条(教員)
第1項 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
人間には道徳本能なんてものはなく、人間が人間足るのはひとえにしつけと教育のおかげである。
まっとうなしつけも教育を受けないと、最近ではどこでも見かける路上に座り込んでいる若者の形をした動物になってしまうのである。
私たち大人は、子供たちに社会通念とか道徳、あるいは少なくとも大多数に認知されている価値観を刷り込んでいかなくてはならない。
そして人間社会であっても競争はあり、頑張らなければならないこと、そしていじめられても逆境にあっても助けるのは自分しかいないということも教えなければならないのです。
イジメをなくすといっても、それは
☆☆☆いじめているものを処罰することか?
☆☆☆いじめているものからかばうことか?
☆☆☆いじめに負けないようになれと教えることか?
☆☆☆いじめの土壌をなくすことか?
を考えなくてはなりません。


本日のまとめ

イジメをなくせ!といってもなくならないでしょう。

家庭、学校、職場を変えないと
いじめはなくなりません。





相方からお便りを頂きました(06.11.26)
そうなんです! 相方!
イジメ!って昔からあるし、ネット社会でも多くあるよね。
自分の胸に手を当てて考えてみて!!!
私は相方から、5年もイジメにあっていますが、毎日枕を涙で濡らしながらも、なんとか生きています。
気弱で優しいたぬきをイジメないで下さい・・・グスン・・・

たぬきがなんか分けわかんないことを言ってます。
まさか人をだまくらかして肥溜めなんかにいれる悪い生き物が気弱で優しいはずがありません。
きっとこれもだまそうとしてに違いない!
知らん振り、知らん振り


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