沖縄とオキナワ 2007.11.02
これは私のネットの友人あらま様のアイデアを基に書いたものである。
もちろん、あらま様のアイデアを借用はしたが、引用した事例と論理について文責はすべて私にある。
私が社会人になった60年代半ば、今の沖縄県は第二次大戦に負けたためにアメリカ統治下にあり、実質的にアメリカ領であった。通貨はドル、車は右側通行、住民に参政権はなく、アメリカ軍政下にあり、沖縄の住民の権利は制限され、アメリカ人の乱暴狼藉は激しかったのだろうと思う。「思う」というのは私が生まれてからこのかた沖縄に行ったことがないのでわからないというのが本当のところだ。
沖縄が返還されるまで日本人が沖縄に行くにはパスポートが必要な外国であった。貧しかった60年代の日本の若者にとって、沖縄は北海道よりも遠い文字通りの異国であった。

社会党を中心にした当時の左派勢力は「オキナワを返せ」というスローガンを掲げて叫んでいた。今でも「オキナ〜ワを返せ〜♪ オキナワを返せ」という歌を思い出す。
国歌斉唱を妨害する政党の過去は、労働組合員にオキナワを返せという歌を歌うのを強制したのである。 
不思議なこともあるものである

入社間もない私は何もわからないパシリであったので、沖縄返還を叫ぶ集会があるたびに駆り出された。正直言ってそのころの私は、戦前派の家庭で育ったけれど確たる主義思想はなく、組合の指導者が言えばそんなものかと思う程度であった。しかし、集会の頭数をそろえるのにしょっちゅう参加しなければならないのには辟易した・・
そのとき気が付いたことは「沖縄」と漢字で書かずに「オキナワ」とカタカナ表記であったことだ。今でもそれに違和感を感じたことを覚えている。当時の組合運動というのは漢字とか漢語を覚えることかと思わせるように、難しい漢字、熟語が並んでいたので、オキナワとカタカナ表記であることに違和感というか、目を引くものを感じた。
カタカナで書いたのは人の目を引くためであったろうか?
それとも硫黄島をイオージマなんて書くように、アメリカ治世にある地域は日本語でなくカタカナで書いたほうが適切であると考えたためなのか定かではない。
ところで私のオヤジは硫黄島を「いおうとう」と呼んでいた。私は組合では「イオージマ」というので驚いた。アメリカの強襲揚陸艦も「イオージマ」という。
ものの本によると「いおうとう」が正しいらしいが、太平洋戦争当時日本海軍が「イオージマ」と呼んでいたのでアメリカ人は激戦地の記念として命名したそうだ。当時の組合もアメリカの呼び方に合わせてイオージマとしたのかもしれない。
ともかく「沖縄を返せ」ではなく「オキナワを返せ」というスローガンであった。
左翼にではなくサヨクに知らしめるには、名前をカタカナ表記にしたのだろうか?
しかし不思議なこともあるものだ、オキナワを返せと叫んでいた政党や人々は、沖縄返還後、沖縄復興を叫んだことはなかった。少なくとも私は沖縄復興のための集会に参加を求められたことはない。
そして21世紀初頭の現在、沖縄は県民所得では最下位に甘んじている。オキナワを返せと叫んでいた人々は、沖縄の人たちの生活や環境や権利を向上することを目指したのではなく、自分たちの存在をアッピールし勢力拡大のために騒いだに過ぎないように思うのは私だけだろうか?
極論すれば、彼らは改善を目指すのではなく、騒ぐことが目的なのかもしれない。

ところで、左翼というのは私の子供の頃は共産主義あるいは共産主義者、もしくは社会党左派を意味した。アカという言葉もあったがこれは真性の左翼だけでなくその同調者、支援者を含めて使われたような記憶がある。
「あの子はアカだから付き合わないほうがいいよ」なんて使い方をしたのだ。実際に可愛い子を餌にして若い男性をサヨクに引き入れることが多かった。きれいなバラにはとげがあるのだ。
今でも女優とかタレントを餌にしたサヨクの宣伝は多い。吉永さゆりなんかはその典型的な例だ。もっとも芸能界そのものが左翼思想に汚染されているといっても過言ではないだろう。
私も20代半ばになると、嫌気がさしてそういった活動から遠ざかった。可愛い女の子に魅かれて人生を棒に振ってもたまらない。それ以前に、既に家庭を持っていたので仕事をそっちのけにそんなアホなことをしてはオマンマの食い上げである。
その後、私は組合活動や政治運動に関わらない人生を歩んできたので、40歳になるまでその方面に関しては二十歳頃の知識で止まっていた。 小林よしのりの戦争論を読んで、初めて「サヨク」という表現を見た。そして「サヨク」とは「左翼」を取り巻く心情的左派を意味するということを知った。
「左翼」と「サヨク」は異なるのである。

また話は変わる。
反核兵器運動の聖地といえば広島市である。しかし広島も反核運動の場合は、ヒロシマと表記されることが多いことにお気づきでしょうか?
 もちろん、長崎もナガサキです。
ナガサキ、ヒロシマと表記して、長崎、広島と書かないのはなぜなのだろうか?
世界に主張するために漢字でなくカタカナで書くのだなんてことはない  外国人に漢字が読めないと同様にカタカナも読めるはずがない。
左翼運動のシンボルをカタカナで書くということはいかなる意味があり、効果があるのだろうか?
少なくともその場の雰囲気とか思い付きでカタカナ表記したはずはない。

ところで類似のものはカタカナ表記されているのだろうか?
原発反対運動はどうなのだろうか? 泊、柏崎、珠洲、美浜・・・すべて漢字表記である。
あれほど激しかった成田空港反対でもナリタとは書かれなかった。正確には成田より三里塚というほうが多いかもしれないがサンリヅカというのも見たことがない。
岩国基地反対、百里基地反対・・・すべて漢字表記である。
なぜカタカナ表記されないのだろうか?


本日の疑問点

サヨクと左翼、ヒロシマと広島、オキナワと沖縄・・・
カタカナ表記するのはなぜなんでしょうかねえ〜




あらま様からお便りを頂きました(07.11.04)
佐為さま あらまです。
サヨクとは、がん細胞みたいなモノです。治療しようとすると‘正常細胞’まで攻撃してしまいます。
せめて、ターゲットを区別するための‘マーカー’みたいなものが必要ですネ。
そのためにも、かつて佐為さまが提唱されたような「市民ラベル」の貼り付けを真剣に考えなければなりませんね。
あらま様 いつもありがとうございます。
あらま様からいただいたアイデア、若干というか大幅に生煮えで次回はもっと考えてパート2をアップすることを誓います。
がん細胞ですか、がん細胞というのは若いときから発生しているそうですが、人体に力があるとそういったものを抑えているそうです。そして力がなくなるとワッとはびこってがんとなると聞きます。
ということは日本はもう末期で体力がないのでしょうか?
それとも、病気にしようと一生懸命の人々、マスコミが大活躍なのでしょうか?
なんかそんな気がします。

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