ISO審査登録という虚像 2005.01.15
実はこれはずっと前に書いたのですが、この業界から総攻撃を受けないかと心配でアップするのをためらっていたのです。
話の中にISO14001とISO9001が混在して出てくるが、私自身が混乱して書いているのでは決してない。お読みになるのに気にすることはない。


知り合いのISO審査員A氏(環境・品質)が言った。
「審査に行って、ISO用の手順書と実際に仕事で使っている手順書が違うのを見つけたのさ。そしてそれを不適合にしようとしたら言われたよ。『わが社は確固たる社内規則があり、それに基づいて事業をして適正な利潤を出している。ISOの審査ではISO用の文書を見て、それが規格に合っていることを確認してくれればいい。』ってね、」
その方は多少自嘲気味でありました。
そう面と向かって言われたなら辛いものがあったでしょう。
ところでこの審査員は「ISO用の手順書と本当の仕事の手順書が違う。」と言ったとき、どういった反応を期待していたのだろうか?
まさか被監査側が平身低頭するとは思ってはいなかったでしょうけど・・・
はたして、審査用の文書と実際に使われている文書が異なっていることを見つけたとして、それを不適合とすることができるのだろうか?
ISO審査において審査用の文書と記録で、整合が取れていてクローズしていれば適合と判定すべきではないのか? いや、適合とするしかないのではないか?
もちろん、ほころびがあれば不適合だが、
ISO14001にしてもISO9000にしても規格要求事項と会社の仕組みと運用を比較して、合っているか合っていないかを見るに過ぎない。
実は、仕組みがISO規格に適合しているかいないかということと、品質保証システムや環境管理システムが良いか悪いかということと同義ではない。たとえば、某社ではISO規格より自社の仕組みが進んでいるという理由で審査登録を止めてしまった。
極論すれば、審査登録のための仕組みと本当の仕組みが異なっても悪であると言えないのではないか?
誤解なきよう、異なっていたほうがいいという意味ではまったくない。
そんな二重帳簿が効果的か否かはその会社の判断であって、他人がどうこう言う筋合いではない。品質や環境のISO規格要求事項への適合性審査に過ぎない審査において、会社のマネジメントシステムが有効かなんて語ることは恐れ多いのではないだろうか?ということを言いたいに過ぎない。


最近は品質マネジメントシステムと環境マネジメントシステムを統合しようというのが流行している。
実は<品質マネジメントシステム>とか<環境マネジメントシステム>というものが存在しているという考え自体が間違っているのだ。
いかなる組織(企業でも官公庁でも)でもそこに存在しているシステムはひとつしかない。品質マネジメントシステムとか環境マネジメントシステムと呼ばれているふたつのシステムが存在しているわけではなく、会社の仕組みを品質と環境という異なった切り口で見たに過ぎない。
事業所において消防法や公害防止組織法あるいは労働安全衛生法、はたまた薬事法とかに基づくいろいろな組織体制を作る場合でも、実質的には会社職制にそれらの役目(公害防止統括者、総括安全衛生管理者、責任技術者など)を割り当てている。そしてそれらの法規制においても会社の職制に割り当てることを求めている。
うそだ! なんておっしゃる方がいたら不勉強ですよ
統合マネジメントシステムを構築しようなんて発想は元々の認識が誤っている。
それとも単に品質と環境の文書体系を統合することを
統合マネジメントシステムと呼ぶのでしょうか? 
そういう意味で、品質マネジメントシステムと言わずに、品質保証システムとか品質システムというのが正しいのかもしれない。ISO9001が1994年版から2000年版になったときに、品質システムから品質マネジメントシステムという名称に変えたが、それは誤りではなかったのだろうか?
真にまったく別個のマネジメントシステムが共存している組織があるなら、その組織は有機的な動きができず、市場競争に打ち勝つことはできないに違いない。きっと太平洋戦争の陸軍と海軍のようなものだろう。


第三者審査登録制度では、審査員あるいは審査登録機関はアドバイスやコンサルタントをしてはいけないことになっている。
何事も根拠なく語ってはいけない。上記は日本適合性認定協会の規則で定められている。もし興味があれば取り寄せてください。但し、ただではなく数千円かかります。
審査とコンサルは分業となっており、コンサルティングはコンサルタントが行う。これはお互いの業界の縄張りとか利益云々のためではない。監査という性質からコンフリクトが生じないように決められているのだ。
サーチエンジンに「ISOコンサルタント」と入れて検索してみてください。
そんな言葉が並んでいるホームページがざくざくとひっかかる。このご時世でもISOコンサルタントは商売繁盛のようでご同慶の至りであります。
しかし、書かれている文言をよく見て欲しい。
「ISO認証取得を支援する」、「効率的に認証させます」、「安く早く認証を取ることを保証する」という言葉はあふれかえっているが、「会社を良くします」とか「利益をだします」あるいは「遵法を確実にします」というフレーズが見当たらないのである!
正確に言えば少しはある 
いったい<ISO認証>のコンサルとはなんなのだろう? 会社の利益を拡大させるとか、品質を良くするとか、遵法を確実にするのではなくては、この世に存在する意義はないではないか?
いや、本当はISO認証などしなくても、会社の利益を増やし、品質を良くし、遵法を確実にすればよいのではないか。
「コンプライアンスを確認してあげます」と言うと弁護士法にひっかかるおそれがあるかもしれない。「コンプライアンスを確実にする仕組みを作ります」といえばいいだろう。
ところが現実のISOコンサルタントとは会社を良くするための存在ではなく、ISO認証のためのものらしい。会社を良くするのは経営コンサルタントの仕事だよというのなら、ISOコンサルタントとは一体なんなのだろうか?


知り合いの審査員B氏(環境)が言った。
「審査員のリフレッシュ研修に行ったらさ、講師が娘と同じくらいの若い女性でね、どうにもその人の話を聞く気にならなかったんだよね。別に女性だからとか若いからというわけではないんだけどさ、この人は公害問題というものを知っているのかとか、廃棄物処分業者の実態を見たことがあるのかとか、会社勤めというものを知っているのかとかいろいろ頭に浮かんできてね・・・」
この方は勤めていた工場で長年環境担当をされており、公害防止に努めておられた。私の同業者で大先輩であり、尊敬している。そういった方はわざわざ研修を受けるまでもない、いや講師になるべき人だと思う。
研修機関の講師は審査能力を教える経験や能力を持っているのだろうか・・・もちろん若い女性であっても経験と能力を有している方もいるだろうし、男性で年長でも経験と能力を持っていない方もいるだろう。(私の経験から)
審査員研修機関は本当に審査員としての能力を付与しているのだろうか?


年配のベテラン審査員が書いた本の中にあった文章です。
「ISOの審査登録というシステムは過渡期のものであって、恒久的には各会社が自立してシステムを運用し、第三者認証というものに依存しなくなるべきだ。ISOの審査員で本当に能力のある人は経営コンサルタントとして会社を良くするためのアドバイスをすればいい。」・・・「そうでない審査員は不要である」とまでは書いてなかった。
まさしく私もそう思います。そもそも第三者認証とはなんなのか?
ISO9001ではあまり見かけませんが、ISO14001では自己宣言ということをはじめた自治体、企業が現れています。これは単にお金を節約するということではないと思います。
あるいは自己宣言さえせずに、当社は品質がいい、遵法が確実だと認識できればそれでもいいのではないでしょうか?
15年前日本はISO9000に乗り遅れてしまったが、今世界的にISO9000審査登録という価値が再認識(?)されており、それにこだわることはないと考える。
第三者審査登録制度が、組織のパフォーマンスを上げることができないのはともかく、組織の遵法を保証してくれない、パフォーマンスを対外的に裏書してくれないならば、そこにお金を払う意味がないじゃないかというのは論理的帰結でしょう。
もちろん、システム規格はシステムを改善するものであって、品質そのものや環境パフォーマンスを改善するものではない。
しかし、企業と利害関係者にとっては、品質をあげること、環境パフォーマンスを向上させることが目的であり、その効果がなくては価値はない。

私の本心からの疑問ですが、
  • 規格適合の審査というのは理屈からも現実にも可能でしょう。
    でもマネジメントシステムの有効性の審査が可能なのでしょうか?
  • 経営に寄与する審査とはどういうものなのでしょう。
    品質向上もせず、遵法確認もせず、パフォーマンスの向上もせずに<経営に寄与する>っていったいなんでしょうか?
  • 経営コンサルタントというのは役割も存在意義もわかります。
    ISOコンサルタントというものの存在意義はなんでしょうか?
    安く早いISO認証とは会社にとって有害ではないのでしょうか?
  • ISO審査登録というスキームは虚像ではないのでしょうか?


お断りするが、私はISOマネジメントシステム規格の価値を一毫たりとも疑ってはいない。
システム規格の価値は認めても、審査登録というスキームの価値を理解できないのだ。
第三者審査登録制度に関わっている方々、ご教示願います。




わが師、Yosh様よりお便りを頂きました。(2005.01.16)
とうた様の論説のISOに関するものを読んでもどうしてISOが必要なのか理解できません。
こちらの方では耳にしないのです。
私は田舎に住んでいますので、都会のことはわかりませんが、州内の大企業のマイクロソフト社、ボーイング社やウエハウザー社などでもそのようなものはみかけません。
とうた様の昔の記事を読めば理解できるのでしょうが、簡単にとうた様に尋ねるほうが早いとおもいましたので、忙しいのであればいつでもかまいません。
Yosh様、いつもご指導ありがとうございます。
疑問に思われることはまったくそのとおりでございます。
いったいISOとはなんぞや?と問われますと、説明は困難なのです。
イエ、むずかしいとかいうことではありません。裸の王様といえばよいのでしょうか?
たとえば、錦鯉がいたとしましょう。田中角栄の豪邸の池には何百万もする錦鯉がたくさん泳いでいたそうです。私のような無粋な男にとって、錦鯉もへったくれもありません。鯉こくにして食べたら皆同じと思うだけです。
でもその錦鯉がすごい!価値があると思われる方もいるでしょう。そういう意味で裸の王様なのです。
1987年にISO9001というものが制定され、その規格に基づいて第三者認証という制度が始まりました。これは品質ではなく、製造工程を見てお墨付きを与えるというシステムなのです。
日本は当時品質は世界一だなんていっておりまして、そういった制度を取り入れようとしませんでした。
ところがヨーロッパの統合があり、内部事情もあったのでしょうがISO9000の規格に合っていることを第三者に確認してもらわないと欧州に輸出できないという事態になったのです。
日本はあわててそれに対応しました。私も90年代初めに輸出するためにそのような仕事に関わったのがそもそものきっかけです。
その後、日本の公共事業などの受発注が不透明だということの批判に対応するために、ISOの認証をしているという条件がつくようになりました。
ところが、ISOの認証をしても品質は上がらなかったのです。これは日本だけでなくイギリスやその他でも同じようです。
Yosh様が名前を挙げたような企業は誰も品質を疑わないのでわざわざお金を払ってそんなことをする必要がないということでしょう。


私は青い鳥!様よりお便りを頂きました。(06.10.28)
ISO 14001認証維持の意味
初めてお便りを書かせていただきます。
私は、現在、製造会社で環境事務局を担当しておりますが、最近環境ISOのサーベイランスを受けることに疑問をもっています。環境ISO認証取得に向けてスタートした時は、いろいろな発見・メリットがありました。順法や資格取得など会社内の担当者しか分からない部分がある程度公表されたり、お客様からの監査が書類審査のみで工場認定を受けることができたりと、認証機関に支払うお金は安いものでした。
ところが、ISOを認証取得している大企業の不祥事が発覚したからか、お役所の環境に対する力が強くなったからか、ISOを認証取得していても優遇はありません。当社の場合、親会社からのいろいろな指導(親会社の目的・目標を実現するための活動報告など)、さらに監査もあり認証機関の免状は飾り物に過ぎません。
もっと大変なのは、お客様の環境品質監査です。この監査に合格しなければ工場認定は受けられず、受注生産の当社は倒産してしまいます。この、お客様の監査の場合、ISOに添った品質及び環境の内部監査では合格しません。お客様の考え方に添った環境・品質のシステムが必要になります。お客様の監査は、年1回程度ではありません。2〜3ヶ月毎月あったりします。
環境のサーベイランスで重大な不適合が発見され認証が取り消されても会社としては、全く困りません。認証機関がこのまま存続したいなら、せめて官公庁に提出しなければならないいろいろなデータ・書類のサポートでもしてほしい。認証機関は第三者機関かもしれないが、第三者機関の監査の意味が当社では全くありません。
私は青い鳥!様 お便りありがとうございます。
正直言いまして、私は青い鳥!様からのお便りに回答できません。
ISO認証とは何か?というと、ISO規格を借りたビジネスモデルであって、先物取引とか空売りのようなものだというのは、このうそ800の第1回から申し上げていることです。
ISO認証とは、はっきり言えば『裸の王様』に過ぎないのです。
王様の服が見えないのは自分の心が穢れているからだと思っていたように、ISOとはすばらしいものだと思っていたにすぎません。
だから、誰かが『ISO認証には価値がない』と叫び、みながそれに続けばIAFをはじめとする第三者認証というスキームは崩壊するでしょう。
しかしながら、ISO規格なんてできる前に、顧客が供給者に品質保証を要求しそれを検証するというのは、商取引において当然のことです。だって買い手が買うものを調べるのは当然の権利で、それを拒否されたら買うのを拒否するまでです。
ISO規格が1987年に制定され、それを使った第三者認証制度が始まったので、顧客がいちいち調べに行くのは大変だから、審査機関が代わりに調べて認証したのを信用しようかという風潮が一時的にあったというだけのことでしょう。
結局、他人が調べたのは信用できないから手間でも自分が調べないとだめだと気付いたということでしょうね

ただし、勘違いしないで欲しいのですが、第三者認証制度に価値がなくても、私はISO規格・・ISO9001もISO14001も人間の英知を集めた非常に価値のあるものだと考えております。
ISO規格を出汁にしたビジネスが滅ぶなら、それはけっこうなことと思うだけです。


たけし様よりお便りを頂きました。(07.08.24)
ISO審査登録という虚像を読んで
ISO審査
ISOコンサルティング
はどういう意味があるか。
自己宣言とはどうちがうか。

ここで、ISO(9000、14000など)は、国際標準であるということである。
いわゆる社内標準や団体規格、国家標準ではない。
したがって、ISOの本来の意味は、国際的な整合にある。
会社を良くするための規格ではない、本質は。
結果的には国際標準に合致したマネジメントシステムということで会社はそういう意味で良くなるのだが。
そういう意味では、自己宣言というのは、国際標準からはずれがちであろうし、コンサルティングは、国際標準の意味を教える、解釈を教えるのが本筋である。自己解釈では、国際的な解釈とづれてしまう。
そういう意味があるんだろうと私は感じているのです。
たけし様 お便りありがとうございます。
『自己宣言が国際標準からはずれがちであろうし』とありますが、はたして『はずれがち』になるものでしょうか?
自己宣言とっても好き勝手にすることはできません。自己宣言に関する国際規格がありJISにもなっています。工業標準化委員会から検索してください。無料で見ることができます。
「はずれるようなら」そもそも自己宣言などできないし、自己宣言の規格に違反しています。
言い換えると「はずれないなら」第三者認証でも自己宣言でも実質的に同じであろうと思います。
コンサルテングの意味?
自己解釈というのがいかなるものなのか?私は存じ上げませんが、ISO規格は書かれている文言以上のものではないし、それ以下のものでもないと考えております。
はたして世のコンサルタントが真に規格を理解しているのかとなりますと、はなはだ疑問であります。
もちろん、すばらしいコンサルタントも存じ上げておりますが、大多数はそうではないことは、ISO認証の負のスパイラルが公然と言われていること、多くの本やウェブにあるコンサルタントの解説が噴飯ものであることで明白です


yonesan様よりお便りを頂きました。(07.09.21)
ISO認定制度と社内MS
ISO認定は、企業が作成したMS(マネジメントシステム)が規格の要求事項を満たしているか(適合性)について審査し、認定機関が認めて初めて資格が頂けると認識しています。
但し、改めて規格に基づき社内の仕組みを作った場合、実際の業務とあっていなかったり二重の仕組みが出来てしまったりということがありえます。
要するに、ISOのMSと本来機能しているMSの二重構造化です。
ISO規格は、過去の優良企業のMSを基に作成されていると聞いています。ですから、従来機能しているMSをISO規格を基に改善していけばいいと考えますがいかがでしょう?そのためのツール(指標)と言う判断でいいでしょうか?
そこで私は、ISOで作った仕組みと社内での仕組みを有効に統合していくことがこれからのMSに活かす道だと考えていますが。
その考えについて、是非ご意見を賜りたく存知ます。
乱文にて不明確な点も多いと思いますが、何卒宜しく御願い申し上げます。
yonesan様 お便りありがとうございます。
まずつまらないことですが、認定と認証と審査登録は意味が違います。
認定とは何者かにたいして実施することを認めるとか、許可することを言います。UL認定、JIS認定などです。ISO審査のスキームにおいては、認定機関が審査登録機関に認定機関の基準を満たしたことを認め認定マークを称することを認めることです。
認証とは何者かの力量、能力が一定基準を満たしたことを証明することを言います。
現在のISO9000などは認証といわれていますが、認証でもなく審査登録というのが正しい。認証とはその認証された組織が能力を満たさない場合、認証した組織の責任が問われます。それで俗称はともかく、審査機関はその責任を負わないために審査し適合したので登録しますというのが実態です。
2007年現時点、認証という呼称に戻そうという動きもあることを申し添えておきます。
で、最初の論点、ISOの審査登録は企業のMSが規格の要求事項に適合していることを審査で確認したという意味で、それ以外のなにものでもありません。
ちょっとひっかかりますが、MSは作成するものではなく、従来から存在していたものであって、外部の人にそれを見せて立派なものだよと説明することに過ぎないと理解しております。
二重の仕組みというのは、従来からの会社の仕組み(MS)とは別に、外部に見せるよそ行きの仕組みを作ってしまったということでしょうね。
だから、yonesan様の「改めて規格に基づき社内の仕組みを作った場合」という表現に違和感を感じます。単に「従来からの仕組みでなくよそ行きの着物で説明した場合」というのが正しいのではないでしょうか?
ISO規格は、過去の優良企業のMSを基に作成されているというのは初耳です。そうなんですか?
従来機能しているMSをISO規格を基に改善していけばいいということに異議はありません。しかし私はよりアグレッシブに従来からのMSがISO規格に適合していると説明すれば事足りるというのがすべてと思っております。
よって、ISOで作った仕組みと社内での仕組みを有効に統合していくことがこれからのMSに活かす道とは考えておりません。 従来からの社内の仕組みがISO規格以上であると説明することが事務局のタスクであり、喜びであろうと思います。
これは本心からなのですが・・・


yonesan様よりお便りを頂きました。(07.09.28)
佐為様 続けて、質問させてください。
的確なご回答、嬉しく思っています。
ISOの認定登録についてよく分かりました。簡単に認証という言葉をつかったことを今更ながら恥ずかしく感じています。

MSについては、佐為様のおっしゃる事は全くの正論だと思います。しかしながら、日本企業における従来のMSで、ISOの規格を満たせているものがどれくらいあるでしょうか?(トヨタの様な企業は稀だと思います)
弊社においても、規格要求を満たす為によそ行きの仕組みを作らざるを得なかったことは確かです。

ISO規格は、過去の優良企業のMSを基に作成されているというのは初耳です。そうなんですか?
そのような事実は無いのでしょうか?確か、セミナーか何かで聞いたような気がするのですが?

私の言いたかったのは二つのMSを統合していくとでは無く。(前回の説明が悪かったと思います)
従来のMSで欠けていたものを、ISOの規格を基に、仕組みを継続的に改善していき、本来企業のあるべきMSに造り上げていくことが事務局の仕事だと考えたいのですが。
今あるMSが、規格以上だとはどうしても説明がつかないもので・・・
将来出来上がったMSが規格以上のものであることを目指したいと思います。

ご意見の程、宜しく御願いします。

先程に続いて、ちょっと引っかかりましたので、疑問を書かせていただきます。
認定と認証の件ですが、ISOの認定と審査登録と言うことの実態は良く分かりました。
ISO認定登録の仕組みがそうなっているし、登録機関が保証はしていないと言うことも理解できます。
しかしながら、認定登録している企業が違反してしまっても、認定機関がなんら責任を問われないというのも少し違和感を覚えるのは小生だけでしょうか?
何のために高いお金を払って審査を依頼しているのか、登録機関の意味・威厳はどうなっているのでしょうか?
(これは単なる個人的な不満ですが)

世間では、「当社は、ISOxxxxx認証取得しました。」などと言うことが頻繁にいわれていますがそれは本来の意味を履き違えていることなのでしょうか?(言葉に、深い意味は無いのかもしれませんが)

勝手な事ばかり、書いてしまいました。
ISO推進において、方向性が見えてくればと思っています。
以下、要点のみ

MSについては、佐為様のおっしゃる事は全くの正論だと思います。
しかしながら、日本企業における従来のMSで、ISOの規格を満たせているものがどれくらいあるでしょうか?(トヨタの様な企業は稀だと思います)
弊社においても、規格要求を満たす為によそ行きの仕組みを作らざるを得なかったことは確かです。


あまり卑下することはありません。
我々の勤めてる企業が、法を犯さず、利益を上げているという事実は、しっかりしたMSがあり、社会に貢献しているということです。それを否定したり疑ったりすることはありません。
ただ、文書化されているかというとそうでない会社は多いでしょう。
じゃあ、どうするのか?
簡単です。現状を明文化すれば事足りると思います。
自信を持ちましょう。

私の言いたかったのは二つのMSを統合していくとでは無く。(前回の説明が悪かったと思います)
従来のMSで欠けていたものを、ISOの規格を基に、仕組みを継続的に改善していき、本来企業のあるべきMSに造り上げていくことが事務局の仕事だと考えたいのですが。
今あるMSが、規格以上だとはどうしても説明がつかないもので・・・
将来出来上がったMSが規格以上のものであることを目指したいと思います。


MSとは何か?と考えれば、品質とか環境とか、ISMSなんてものでないことは明白です。財務、人事、営業すべてを網羅したものです。
そういった認識でみたとき、ISO事務局ふぜいになにができるでしょうか?
ISO事務局なんて社長室とか取締役から見たら、手のひらの上の孫悟空です。
MSを作るなんていきがったらみっともないです。
品質事務局は品質保証の仕組みを改善し、文書化し、それを外部内部に説明すること、に限定されるでしょう。そしてそれは十分立派な仕事であり、簡単ではないのです。

私はISOの月刊誌や書籍で、ISOで会社をよくするなんて論を拝見しますと、そんなことを語っている人は、会社とかマネジメントということを知っているのだろうかと疑ってしまいます。
彼らはISOを語る前に、経営を学ぶ必要があるでしょう。もっとも大学で経営学を学ぶまでありません。会社で20年も働くと会社の仕組み、品質、営業、財務などの関わりを否が応でも知るわけで、そういった知識体験があれば、ISOの位置づけを理解でき、ISOとか事務局のできること、身のほどを知るでしょう。

しかしながら、認定登録している企業が違反してしまっても、認定機関がなんら責任を問われないというのも少し違和感を覚えるのは小生だけでしょうか?
何のために高いお金を払って審査を依頼しているのか、登録機関の意味・威厳はどうなっているのでしょうか? (これは単なる個人的な不満ですが)


疑問とおっしゃいますが、既に答も書かれているのではないでしょうか?
登録の意味も威厳もないということでしょう。
それ以上私が答えることはありません。
一部のISOTC委員や一部のISO審査員(優秀な方が多い)は、第三者登録という制度は発展的に解消すべきだろうといっています。
自治体の多くがISO認証を返上していることは一部の人はそれに気付いて行動に移し始めているということと思います。
まあ、誰だってばかじゃありませんから、時間がたつと裸の王様はばれてしまいます。
あと2年くらいお待ちください。


yonesan様よりお便りを頂きました。(07.10.01)
おはよう御座います、お忙しい中ご回答有難う御座います。
佐為様の言わんとするところがおおよそ見えてきたような気がします。
小生も、肩肘張らず出来る範囲で、
「品質事務局は品質保証の仕組みを改善し、文書化し、それを外部内部に説明すること、に限定されるでしょう。
そしてそれは十分立派な仕事であり、簡単ではないのです。」
の精神で頑張りたいと思います。

最後に気がかりなのは、二年後?第三者登録制度が無くなりISO認定の意味がなくなったときに企業内におけるISO管理担当者の立場はどうなってしまうのか心配です。
企業内ISO部門の消滅になりかねないと?
(現状、認定登録の継続のためにあるような気がしています)
企業内での、品質保証(9001)や社会貢献・環境保全(14001)がそのまま会社方針としてある以上、仕組みの管理者としての仕事は必要であるとは思いますが、どういう立場で仕事を続けるか不安な気持ちです。
yonesan様 毎度ありがとうございます。
二年というのは私のうそ八百・・本気にしないでください。
とはいっても、ISO9001の登録数は減る一方、このカーブを積分すればどのようになるのか?興味があります。
○年後、第三者登録制度がなくなったとき、ISO事務局は何をするのか? なんて問うまでもありません。
仕事はたくさんあります。
マネジメントレビュー、インフラ、設計管理、購買管理、監視機器及び測定機器、内部監査、不適合品の管理、データ分析・・・ISO規格で定めていることはしなくてはならないし、それを推進することが会社を良くすることなのです。
ISO認証のためでなく、会社を良くするためにどうしたらよいかを考えたら、仕事は無限にあります。
第三者認証をしている今でも、審査のためではなく、会社を良くするためにどうするかと行動することが事務局の務めでしょう。
審査不適合で会社が良くなるなら、それは結構なこと
審査が満点で、会社が良くならないなら・・・それは悲しいことです。

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