目的及び目標のプログラム その2 2005.05.08
この私はかなり激高するほうである。
先日書いた目的及び目標のプログラムを読み返したら、またまた怒りが湧き上がってきた。
私の過去15年の歴史はISO審査員との攻防であり、その結果は論理的勝利と政治的敗北の積み重ねである。
論理的敗北は一度、政治的勝利は・・・ ない

環境目的のプログラムが必要か否かという以前に、方針の展開についての考えが審査員や審査機関によって大きく異なり・・・つまり私と異なっているという意味なのだが・・・まともな理解をした方は少なかった。
もちろんまともな審査員もいたことを申し添えておく。
まともでない審査員の方々に、私は一生懸命に説明し、お教えしてきたものだ。
ところがそういった審査員は学ぶことが苦手なようで、私の明快な説明を理解することができなかった。
その結果、常に私が貧乏くじを引くことになり、それはフラストレーションの蓄積となり、いまそれを放出しているわけだ。  

前回、方針は目的に更に目標にそして実施計画に展開され、達成されなければならないと申し上げた。
しかし、実際の仕事はもっと込み入っている。

まず非常に初歩的なことだが、
ISO規格に「組織の関連する各部門及び階層で・・・目的目標を持つ」(ISO14001:1996 4.3.4)という文章があった。
oioi.gif これを「組織の各部門及び階層で・・・目的目標を持つ」と解釈する審査員が非常に多かった。
なぜ「関連する」という修飾語を読み落としてしまうのか不思議でならない。そういう審査員はすべての部門で目的目標を持たなければならないと言い出し・・・・困りました。
そういった苦情が多かったのか、改定版では「組織の関連する部門及び階層で・・・目的目標を持つ」(ISO14001:2004 4.3.3)と「各」が削除された。(原文ではeach)
eachを削除するのでなく、国語力のない審査員を排除すれば改定は不要だったはずだ。

本題であるが、
ISO審査を受ける組織は当然複数の部門・・・たとえば営業と設計と製造とか・・・があるだろうし、さらにそれらの部門は複数の階層を持つのがふつうだ。たとえば部とか課とか係とか。
そうするとISO規格の文字面を一生懸命読んでいる・・・本当は読んでいない・・・審査員は次のような書類を要求する。

組織全体環境方針組織の
環境目的
組織の環境目的
のプログラム
組織の
環境目標
組織の環境目標
のプログラム
部レベル部の
環境目的
部の環境目的
のプログラム
部の
環境目標
部の環境目標
のプログラム
課レベル課の
環境目的
課の環境目的
のプログラム
課の
環境目標
課の環境目標
のプログラム
 図で矢印は展開方向を示す。
 実際には部門は複数だからねずみ算的に書類が必要になる。

こういう考え方を教えた審査員教育機関があったのだろう。今でもあるのかもしれない。
よく見てほしいのですが、トップの環境方針からさまざまな文書に展開されていきますが、実際に活動するのは最終的に展開された <課の環境目標のプログラム> に基づいて行うのであって、他の文書は途中経過にすぎません。
<組織のプログラム> とか <部のプログラム> には一体どんな存在意義があるのでしょうか?

最初に感じる疑問は、このような展開がはたして整合性を持つものだろうか?
反語です
物事を展開していくときに二つのルートがあり、その二つのルートを経て来たものがまったく同一であるということが保証できるだろうか?あるいはアウトプットがまったく同じであるならば、二通りの展開をする必要がないと考えられないだろうか?
quest.gif 私はそう考える。
たとえば司令官の決定に基づき複数の参謀が作戦を立てて部隊に伝えたとしよう。複数の参謀からひとつの部隊に届く命令書がまったく同一ということはありえないだろうし、まったく同一なら複数の参謀はいらないのではないか?
もちろん考え方を変えても結果のつじつまが合うかを確認する必要があるかもしれない。しかしそれは通常、検証といい展開とはいわない。

次に感じる疑問は、仕事というのは必然性があって行うものだ。
なぜ必要性のない無駄な仕事、無用な資料を作らなくてはならないのか? ということだ。
仕事に限らない。
数学は答えに至るまでのステップが最も少ない解法が最善とされるのではないか?
ファッションだってゴテゴテしていれば良いというわけではない。
ゴルフはクラブを振る回数が少ないほうが勝ちだ。
化粧もしかり。最高なのは化粧が不要な人だ。
我が家の豚児たちは化粧が厚い人を顔面デラックスと言ってました。

不要な仕事はしないにこしたことはない。第一、環境に悪い 
実施計画までの展開をいろいろひねったところで、環境がいっそう良くなるわけでもなく会社が儲かるわけでもない。
ISO14001というものがこのような資料作りの仕事ばかり増やしていくのなら、会社も環境も良くならない。そしてISO規格や第三者認証制度の評価を下げてしまうばかりではないか?
かような要求をする審査員は、己の仕事をなくし失業を目指しているとしか思えない。 

規格が求めているのは一体なんだろうか?
環境と会社をよくしなさい。そのためには掛け声だけでなく、目指すものを達成できる仕組みを持っていなければいけないよということだけではないか。
そして、インプットからアウトプットまでのプロセスが論理的で、かつ簡素ミニマムであることが、ISO規格の要求事項を最適に満たすことに違いない。
これは私がそう思うのではなくて、ISO14001:1996でもISO14001:2004でもひたすら100回くらい読み返すと、そうとしか理解できないことに気付くはずだ。

じゃあ、規格要求を満たし、会社にとっても簡単で実効があり、事務局の手間もかからない方法は・・・と考えると次のようになる。

環境方針組織の環境目的部の環境目標課のプログラム
もちろん課のプログラムでなく部のプログラムでも良い

非常にシンプルではないか!

実際に私はこのように方針展開をしてきた。もちろん審査員の中にはいちゃもんを付ける方もいて、こういった方々を説得できないとき・・・言い換えよう・・・この理屈が理解できない審査員のためには多少修飾を付けた。
改悪であるが、これも渡世の義理、やむをえない。

ところで私がISOの事務局を卒業して・・・リストラされたというのが正しいのだが・・・早や三年、今は少しは改善されたのかと想像していた。ところが、最近お付き合いのある会社のISO事務局からまったく同様の審査機関とのトラブルでご相談を受けた。
わけの分からない審査員はまだ生息しているようだ。



本日の気付き事項

いやあ、
ISO14001のおかしな審査って、環境側面の特定だけでなく、いろいろありますねえ〜






霧山人様からお便りを頂きました(05.05.09)
目的及び目標のプログラム その2 を読んで
もし、佐為さまの立場でしたら、私も同じくらいの怒りを感じると思います。公務員の仕事もですが、だんだんと実務的な事柄が疎かになっていると、思います。昔ならば、実務的なことに卓越した人物が上にきて、下の方にその経験からくる指導を与えるということが多かったと思いますが、今では文字知識だけが多い人物が上にきて、あれこれわけのわからん実行不能に近いような指図をして、一向に現状はよくならないという結果を招き続けています。これが日本の現状だと思います。これでは、いつまで経っても日本は良くなりようがありません。社会も環境も改善されないのは、頭の中だけでごちゃごちゃやっているだけで、現実問題を把握することすらできなくなっているのではないかと思います。すぐに、実行できる方が悪化を早く食い止めることになるとおもいますが、いかがでしょうか。
霧山人様、お便りありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
まあ、これも渡世の義理といいましょうか、困ったものです。


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