理想の審査 2005.05.29
bride2.gif理想の女性(ひと)なんて存在するのでしょうか?
私がオードリーにぞっこんなのはご存知のとおり。でも彼女を伴侶としたら楽しい人生を送れるとも思いません。まずジバンシーの洋服は高く、私の給料では彼女は裸で過ごすしかありません。それに英語が話せないと意思疎通もできません。
彼女はフランス語やその他いくつものヨーロッパ語を話したはずですが、私にとってそれは英語以上に理解不能
やわらちゃんを奥さんにすると、朝出がけに「いってらっしゃい」なんて肩を叩かれて脱臼するかもしれません。抱きつかれて肋骨が折れたりしては愛し合うこともできません。
藤原紀香を嫁さんにしたら年がら年中見上げていなくてはならず、肩がこることでしょう。
とまあ、結局私には今のかみさんが似合いのようです。
AさんにはAさんに似合いの配偶者、BさんにはBさん向きの連れ合いが存在するわけなんでしょうね〜、
いえ、そんな人生の深遠を考えることは私の及ぶ所ではありません。


パット話は変わって、ISO審査といいますと当たり前のことですが審査員が来ます。
この審査員の当たり外れ、バラツキというのは非常に大きい。いったいぜんたい、審査機関は提供するサービスの品質管理をどうしているのでしょうねえ〜?
ラーメン屋でラーメンの味がその日その日で変わったらどう思います?
愛想がいいと飲んでいた居酒屋が、店長が変わって愛想が悪くなったら即店を変えます。
愛想 → あいそ → ISO なんてそりゃ考えすぎってもんですよ 
審査を受ける会社には「品質保証がなっていない」とか、「環境マネジメントシステムができてませんね」なんてご大層なことを語るわりには、自分の組織の管理は無管理だったりして

私が過去15年以上の間にお相手した審査員は70〜80人、国籍は日本を含めて5カ国です。
昔のことですが、審査員がイギリス人だったとき、後の方で隣の人と審査員の容貌をあげつらっていたら、最終日の審査終了後に日本語で挨拶されて血の気を失いました 
そんなことはいけないと分かりましたので、それ以降相手が何人であっても聞こえないところで悪口を言うようにしております。
審査員のばらつきというのはとんでもない幅があります。
まず審査に来る前に審査員の経歴なんてのが送られてきます。この時点でだいたい見当がつきます。いえ、経歴書をみて、良い悪いが分かるのではないのです。お名前を見ますと、この人はどの会社でどんなことしたとか、問題児であるというブラックリストがあるのですよ。
提案された審査員のお名前を見て、気に入らないと忌避(きひ)もできるのですが、まずそうする人は少ないですし、なかなかさしさわりのない理由も思いつきません。
私は同業者(ISO事務局といいまして、審査員にいじめられる人たちです)の知り合いが多くいます。「みんなどうしてるの?」なんて聞きますと、
 「トンチンカンと評判の人には弊社と同業の出身という理由でお断りしている」とか、
 「一度お見えになられたので今度は別の視点から見ていただくために人を変えたい」
とかお断りするにも気を使っているようです。
もちろんずうずうしい私だって「この審査員は間違ったことばかり言ってるので忌避します」なんては、口が裂けてもいえません。
でも悪くない審査員なら・・良い審査員を、なんて高望みはいたしません・・同業の会社出身でも何度来ていただいてもけっこうなんですよ、

話を戻します。
とにかく経歴を見ますと、きら星の如くスバラシイ学歴、業歴、資格が並んでいます。トーダイ卒、ドクター、元工場長、技術士、まあそんな肩書きが並んでいます。
でも私は皮肉屋ですから、そんなのを見ても感心したり驚き入るということもありません。
見方を変えれば、トーダイでて審査員をしていることもなかろうに、ドクターで審査員をしているのはなにか理由があるのだろうか?工場長とまりで取締役になれなかったのか?などと裏読みしてしまうのです。
これはやはり私の育ちが悪かったのでしょうか? 

まあ、経歴のばらつきも幅があるのですが、その審査の幅たるや、ものすごいものがあります。どのくらいかといいますと片側10車線くらいといいましょうか。イエス様が金持ちが天国に行くのはらくだが針の穴を通るよりむずかしいといいましたが、これだけの幅があったら誰でも天国に行けそうです。
しかしながら、このようにバラツキの大きい審査に対応するためには受査側はいったいどうしたらいいんだ? というおかしなことになるわけです。
規格適合を判断するあたりまえの審査員ももちろんいますが、経営コンサルタントか?といいたくなるような審査員、何も言わず出された資料をただめくるだけの審査員、審査に関係ない話しかしない審査員、工場経営を熱く語る審査員、自分の過去の栄光を語る審査員などなどに、受査側はただお付き合いするしかありません。
ISOの審査で、経営や業務改善の指導を受けても対応しようがありません。
「じゃああなたの言うとおりやりますから、失敗したら責任をとってくれのでしょうね?」とお聞きしたらどういいますかね?
過去の輝かしい成果をお聞きしましても、拍手すべきかどうか迷うのが関の山でありまして、「審査結果はどないなるんじゃ?」と脇から上役に突付かれても困るばかり・・・

しかし見方を変えれば、審査を受ける組織も構築中、活動初期、成熟した組織などいろいろあるのも事実でございます。
会社を良くするためにISOを採用した会社もあるでしょうし、公共入札のためにISOを認証せにゃいかんとか、ISO以上のシステムが既にある会社などいろいろあるわけです。
だからどのタイプの審査員が理想ということでもなく、男女と同じく、見合い、似合いということはありそうです。
それならば審査機関としては、規格適合審査の範疇ではあっても受査側(クライアントではない)のためになる審査方法とかそれに見合った審査員というものをイメージして、第三者審査というサービスを提供することはできるはずですし、しなくてはならないでしょう。
でなければ市場競争の原理、弱肉強食の自然の法則によって己が淘汰されてしまうわけです。
しかしながら、第三者審査登録機関というのは、業界毎に審査機関を設立しているような実態ですから、市場原理が働かないのも事実。困ったものです。
そう考えますと、理想の審査員はいないかもしれないが、理想の審査機関というのは存在できると思います。
では、理想の審査機関が存在しているかどうかといいますと、少なくとも私はまだ出会っていない。

ある審査機関では審査員の採用条件として、部長以上の経験者をあげている。
しかしその審査機関から来る審査員がマネジメントを知っているかというと、とんでもない。
元部長様とか元工場長様の審査員が、重箱の隅をつつくような審査をしている。
実例を挙げれば
 「規格の項番とマニュアルの項番が違いますね」
 「規格の言葉とマニュアルの言葉が違いますね」
 「ISOの定義がおたくの規則では定義されていません」
いったい、そのようなご意見を取り入れると会社が良くなるのでしょうか?

マネジャー経験者がマネジメントを知っているとは限らない。
法律も知らずにいい加減なことを言うのは迷惑どころではなく犯罪行為である。
審査員に必要なのは資格ではなく、力量なのだ。
おっと、こんなことは私が言うまでもない、すべてISO19011に書いてあったではないか。

マネジメントに貢献しない審査をするのは、審査員の無能なのだろうか?それとも審査機関の力不足なのだろうか?
いずれにしても「経営に寄与する審査をします」などとほらを吹かないでほしい。


審査機関の使命とは、
組織の仕組みが規格に適合しているか否かを判定することであって、それ以上でも以下でもない。
あっ、これ第三者認証制度そのものだよね




お断りしておきますが、
私はISO9000や14000の事務局を10年以上してきました。今現在は環境に関する指導などで飯を食っております。
ご異議、ご質問はいつでもお受けいたします。




右顧左眄様からお便りを頂きました(08.02.20)
理想の審査
人生いろいろ、理想もいろいろ、理想達成度もいろいろ。結果異常事態もいろいろで、酷い目にあう被害者の多いことには心が痛みます。
その結果悟った人は左の頬を向けてくれるのですが、普通はそうはいきません。規格を楯に奮戦してもいつの間にか足元をすくわれたり><
管理に役にたつ道具が提供できたと確信できる反応があったとき、そんなにないですけど、その時はうれしいですね。このために仕事をしているようなものです。

右顧左眄様 お便りありがとうございます。
理想というのは決して実現しないものという意味もありますが、人によって違う、いえ同じ人でも時と場合によって願いが変わるということもあります。
というと、人は決して、絶対に、理想にはなれそうもありません。
ま、浮世を生きているからには、理想はもっても、最適状態を目指すことが大人というものでしょう。
そして、最適状態を実現することさえ叶わないわけで・・・まあ、だからこそ人生やりがい、いきがいがあるのでしょう。
私の文章も意味不明ですが、心は言葉では表せません。


右顧左眄様からお便りを頂きました(08.02.22)
理想の審査
私の文章も意味不明ですが、心は言葉では表せません。
完璧に理解しました。・・・塵のようなものでも、言葉に投射したときにもう塵ではなくなってしまう。でも言葉でコミュニケーションをしようというルールを決めざるをえない以上誤解を恐れては先にすすみません。

規程を作る ⇒ 誤解をおそれる ⇒ 誤解がないような完璧な規程をめざす ⇒ 全部読めば何でも答えられる知識が得られる ⇒・・・

人を見て説教 ⇒ 浸透効率が悪い ⇒ Eラーニングで大量教育 ⇒・・・

ルールとおり生きよvs人の言うこと鵜呑みにしちゃいけないよ。
先生のメッセージも弟子入りして初めて理解の入り口に立てるのでしょうね。

右顧左眄様 毎度ありがとうございます。
だんだんと、禅問答になってきてしまいました。
言葉を尽くして話し合い、結論に至るというのが私の信条だったのですが、それだけでは世の中成り立たないようです。

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