環境審査 レッスン11 2006.07.29
監査といっても、ここでは環境監査に限定する。但し、第一者監査も第二者監査も第三者監査(審査)も区別しない。

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わたしは趣味というべきか、仕事のためだけでなく、過去より自腹を切ってさまざまな内部品質監査や内部環境監査の研修コースや審査員研修コースを受けたが、実を言って、以下に述べるようなことについて教えていた研修機関はなかった。だから私がここで語る監査についての話は、すべて自分の体験と試行から生み出したものである。
そして今も日々、監査道を極めようとしている修道僧なのである・・・もっともかなりの生臭さ坊主、ものぐさ坊主であることは認める。
もちろん世界は広いので、どこかに私などが考えているよりもはるかに高度な監査の真髄を教えている研修機関があるかもしれない。

監査はなぜするのか? と言えば、依頼者から監査をして欲しいという依頼を受けたからである。だから監査結果を依頼者に報告する、それが監査である。
じゃあ、監査とはそれがすべてなのか? 監査員(審査員も同様)は依頼者が示した監査基準と実態を比較して判定すれば事足りるのか? といえばどうだろうか?
本日はそのへんについて私の考えを述べる。
今述べたように監査についての要求事項はISO14001:2004の4.5.5項に述べられていることがすべてである。
しかしだが、監査員の真の任務は組織を良くすることであることは間違いない。審査員にしても審査登録機関に規格適合ですと報告することだけではあるまい。
私が立ち会ったISO14001審査のオープニングで「審査とは不適合を見つけることです」と語った審査員がいたが、彼の目的は判定委員会に「規格不適合です」と報告することであったのだろうか?
今度どこかで出会ったなら、彼の目指す監査の目的がなんなのか問い詰めたい。
絶対に、逃げないで欲しいものだ。 
監査結果がマネジメントレビューのインプットのひとつであることからも分かるように、監査とは組織の改善のために行うのであって、規格要求だから行うのではない。
監査員は監査基準との比較判定ができるだけでなく、実はもっと上位概念である組織の改善への貢献が期待されているはずだ。そしてその貢献はマネジメントレビューの材料提供だけでなく、もっと直接的な貢献も求められていると考える。だから監査を担当するものは経営層に監査結果を報告するだけでなく、自らが組織を改善させていくというタスクを認識して行動しなくてはならない。
それはおせっかいではないのか? という疑問も湧いてくるし、監査員個人の思いとか価値判断がその組織にとって最善なのか? 間違ってはいないのか? という迷いも否定できない。
私がいつも揶揄している付加価値審査でないかとも言われそうだ。
適合、不適合の判断でさえ難しいことであり、規格適合判定というもっともベーシックな任務さえ遂行できない監査員が少なくないのに、組織の文化・ビジネスなどを考慮して総合的に判断し指導するなどできるはずがないとさえ思える。
だが、監査員はそうあらねばならないと私は考えている。
信じているだけかもしれない。 

しかし、理由はある。
内部監査員になる人は、その組織内部では監査基準はいうまでもなく、その組織のマネジメントシステムを十分に理解していて、かつ指導的な立場にいると思われるからである。もしそうでなければ内部監査員などを拝命しないことが望ましい。・・・あからさまに言えばそのような人は監査員になってはいけないということだ。
man7.gif 二者監査であっても監査員として派遣される者は派遣する組織において、マネジメントシステムについて理解が深く、人格もよく、かつコミュニケーションも上手である人が任じられるであろうという前提がある。
第三者監査については・・・どうだろうか?
いずれにしても、監査員はマネジメントシステムについて被監査側よりも造詣が深いだろうこと、環境技術についても法規制についても被監査側を指導できる力量を持っていると推定するからである。
もし、そういった方が監査員でないなら、私の論は意味を持たない。
あるいは、そういう人が監査を行うのが本当の監査であって、そうでない人が行うのは監査(審査)ではない。
「勘さ」や「sinさ」なのかもしれない。 

では、そういった力量のある監査員が行うあるべき姿の監査においてはどのようなものか、を説明したい。
私の考える監査とは適合判定だけでなく、適合判定を通して被監査側を指導していくことものだ。そしてそれは監査における個々の項目や、一回限りの単発的な判断ではなく、被監査組織を包括的に長期的に指導していくものである、と考えている。
例えば私がある組織を監査することを想定する・・・それが私の日常なのだが・・・まず被監査組織の環境側面だけでなく、歴史・文化・強み・弱みといったものを、できる限り知ることが必要だ。そしてその組織のあるべき姿を思い巡らし具体的なビジョンを持つことが必要である。そして監査においてはそのあるべき姿と現実の差異を見つけるだけでなく、いかにしたらあるべき姿に近づけていくのかと考え、その方向に指導していくことではないだろうか。
審査のオープニングで、審査を受ける組織のマネジメントシステムを改善するためのお手伝いをしたいと言う審査員は多い。しかし彼らの残していく所見報告書が、あるいは審査の場での発言が、組織を良くするに値するものであった経験は・・・私にはない。
womankomatta.gif 表面だけではない組織の真の環境側面を知らず、規制を受ける法律の詳細を知らず、組織の文化も知らず、組織のビジネスの実態も知らない人があるべき姿を想定できるはずがない。あるべき姿をしっかりとつかんでいない人が指導できようか?
彼らが残して行く毎年の所見報告書を並べてみて、被監査組織のあるべき姿の具体的イメージ・ビジョンをもっていて、そう導くために指摘しコメントしているとは思えず、体系だって時系列的に指導を進めているとも思えない。
もちろん、監査において指導や指示はご法度である。監査員に許されているのは、監査において不適合を指摘することだけであり、そして不適合として指摘できるのは監査基準と実態の差異についてだけである。監査員はこの与えられた手段(権限)のみを使って、いかに真の目的である「あるべき姿」に近づけるためにどのような方法をとることができるのだろうか?
本当はあるべき姿と現実の差異を指摘したいのだが、それを指摘とする理論的根拠はないし、また問題を抱えている組織ならば、あるべき姿との差異を示されてもそれを是正する力がない。更にはレベルの低い組織はあるべき姿を提示されてもそれを理解することができないかもしれない。だからこそ、監査員はあるべき姿へ導いていくプランを己の内部に持ち、現時点でフィードバックかけるべきことを、具体的な個々の項目において監査基準と実態の差異を示して指摘することができなければならない。
仕事を頼むのに一人前の部下へなら大筋を示せばしてくれるだろうが、新人には細かく指導しなければならず、また複数の手順を一度に指導しても消化不良になってしまう。それと同じである。
それは簡単そうに見えるが、簡単ではない。
単に法規制に則っていないのを見つけたとしてそれをNGとするのではなく、それを処置させるだけでなく、どういった形で不適合とすれば被監査側は監査員の意図を理解しなくても是正処置の方向があるべき姿に向かうようになるのかを考えて不適合を提示しなくてはならない。
そこらの内部監査やISO審査で見かけるような所見報告ではお代をいただけないのである。
仕事以上の代価を頂くことはドロボーです。 

言いたいことは簡単である。
いやしくもマネジメントシステム監査というならば、それを行う監査員はその組織のあるべき姿を確立し、それに近づけるように、監査を重ねるたびに継続的改善を進ませるような誘導的指摘事項を出せる人でなければならないのである。

実を言って、監査(審査)とはそのようなものであるべきだと考えている人に会ったことはない。
無意識のうちにそのような監査を行っている人は時たま見かける。
私自身はどうか? 少なくとも私はそう考えてそのように行動しようとは努めている。しかし、できているかどうかは自信がない。

次のような異議が予想される。
☆☆「そんなこと当たり前じゃないか。」
☆☆「そんなの新しいアイデアでもなんでもない。」
いや、けっこうなことです。ともかく、私の提案があなた様のご同意を得たことは間違いないようです。
そしてその論理から演繹すれば、監査員の力量は被監査組織がスパイラルアップすることによって評価されることになります。
man2.gif それにも、ご同意いただけますよね?
ゆえに、被監査組織のシステムとパフォーマンスが改善していなければ、あなたの力量がないか? あるいはこの考えに基づいて監査をしていなかったということですよね?
もちろん、そのようなお考えで審査をしているなら、決して負のスパイラルは起きないはずですよね?
では、負のスパイラルとは審査機関と審査員がこの考えで審査していないせいなのかしら?


本日の激励

あなたは監査員である。その責を全うせよ




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