ISOのつまづき 2007.07.19

ISO9001の第三者認証制度もISO14001の第三者認証制度も期待された成果を出していないということは間違いない。それはいったいいつからどこからはじまったのか?と考えることも必要だ。私は何度も審査機関や審査員を揶揄しているが彼らの責任だけではない。
もちろん彼らの責任が極めて大きいことはいうまでもない。
そもそも日本は1987年にISO9001が制定されたとき、それを採用することにあまり乗り気ではなかった。80年代は今では想像できないくらい日本、特に製造業は自信あふれていたのだ。
しかしともかくEU統合とかに対応するために認証しなくてはならないという事態になった。ではやむを得ないから認証するか、そういう意識が出発点に初めにあったのだ。品質をよくするためにそういった仕組みを活用しようという意識はなかったと思う。
man1.gif 私の経験を言えば、まさに輸出するためにISO9001(当時は9002でも良かったが)が欲しい!ということであった。そのためには会社の仕組みをちゃんしようというのではなく、ISOが売られているなら買って来い、認証するには簡単なものにしろ、厳密な審査するところよりいいかげんな審査機関の方がベターという判断基準であったことは否定できない。そしてそれが悪であるともいえないと思う。何事も目的次第である。
そしてそういったスタンスだったから多くの会社ではISO事務局を品質管理部門、あるいは品質保証部門に担当させたのである。それが第二のつまづきであったと思う。マネジメントリプレゼンタティブを管理責任者なんて訳したのがそんな考えに輪をかけたといってはまずいだろうか?
ISO事務局というものが必要か否かはともかく本当に会社の仕組みを作るなら品質管理部門とか品質保証部門に任せるなんてことはできません。
それは社長とか取締役が担うべきレベルの仕事です。
要するに、品質マネジメントシステム(当時は品質システム)を作るという意味を理解しなかったのだ。出発点というかもっとも基本的なこと、会社の仕組みであることと製品品質の違いを理解せずに突っ走ったのだから、目的地に到達できるはずがない。
あるいはウソも方便、バーチャルマネジメントシステムと割り切って、真正面から受け止めなかったということだろう。
だから文書管理でも内部監査でもとにかく規格の要求事項に書いてあることをした。要求されないことはしない。そんなことはシステム的でないことは明らかであるし、部分最適を目指すアプローチが全体最適に至らないことはいうまでもない。だからこそISO9001を認証しても品質システムが確立せず、結果として製品品質も良くならなかった・・・と思う。
断定はできないが。
そんなことなら小集団活動や従来からの日本的経営を過去20年間継続してきたほうが良かっただろう。
グローバル化への対応はまたそれとして・・・
またそのようなスタンスだから新しいマネジメントシステム規格が現れるたびに○○システムを構築するという発想がはびこるのは当然だし、あげく複数のシステムをひとつに統合するという面妖で難解な思想がでてくることになったのである。
ISO14001がスタートしたのが97年、ISO9001が流行しはじめた93年から4年後である。これは事実関係として非常に大きい意味がある。
このタイムラグにより、ISO9001の仕事が一段落した事務局担当者のかなりがISO14001の事務局に変身したことは間違いないし、人そのものが異動あるいは兼務しなくてもそのスタンスは引き継がれたからである。
そして更に重大な影響を与えたのは品質審査員の多く(ほとんど全員)が環境審査員になったことである。(現在では審査機関は双方の資格保有者でないと採用しないと聞く)本来ならマネジメントシステムの理解、構築、審査というものにおいて品質と環境の差異はないと思う。上に述べたように別物でないのだから差があるはずがないのかもしれない。しかし認証することが目的化して審査に合格するためのマネジメントシステムを作るというアプローチにおいては、本質を理解していない事務局と審査員によるフィードバックは適正なところに収束する代わりに発散してしまったのだと私は考える。
そういっても信じない人が多いだろうからいくつか証拠をあげる。組織のマネジメントシステムを考えたとき、文書管理にしても記録管理にしても計器管理でも内部監査システムでも、ふたつあるいはみっつも存在すると考えるだろうか? 『品質の文書と環境の文書が存在する』という文章はそれ自体が病的どころではなく、既に正真正銘のビョーキです。会社の文書体系はひとつであるだけでなく、ひとつの業務に文書はひとつ、その文書に品質も環境も安全も各種法規制も織り込んであるのが当然です。
文書体系の考え方は会社の数だけあるという意見もある。しかし仕事をする上で複数の文書を見ながら仕事をすることは可能なのだろうか? 現在の法規制はかなり複雑であるが、各省庁は制定にあたりものすごい労力をかけて刷り合わせを行っている。
それでも、認証は受注のためで会社を良くするためではない、仕事を得るためである、マネジメントシステムといっているのはバーチャルなもので認証の方便であると割り切っているならまだいい。しかしコンサルも会社側も審査員も組織論もマネジメントも知らずに、そういった仕組みが当然と信じ、その作業を目的化したから正のフィードバックになった。

つまづきはなんどもあった
ISO9001認証しても品質が上がらないと言われた90年後半にするべきことは二つあったと思う
ひとつは品質保証という意味、価値を説明することであったと思う。
第二に、形だけのシステムは意味がないこと、それを指導したコンサル、作った会社、認証した審査機関が総懺悔(?)反省して87年の意図を実現すべく努力すべきだったのだ。
しかしそんなことをせずに、実際にしたのは規格要求を加除修正し書き直したことであって、自分をあるいはお互いに反省することをしなかった。
その結果?
2000年以降の負のスパイラルになり、入札条件に値しないとみなされて、今認証数が減り始めているということだろう
品質だけでないISO14001だって同じである
14001は9001を4年遅れて追いかけているような気がする。4年というのはズバリ認証ブームが始まった時間差である。そうするとISO14001の認証件数が減りはじめるまであと4年の執行猶予があるのだろうか 
実際のデータを見ると時間差は2年であるように思える。
環境側面を正面から捕らえず紙ごみ電気・・と活動ともいえない  活動をしている。チェリーピッキングが多い、認証している組織の遵法違反がある・・などの理由で2004年改定をしたわけだが・・
これだって規格のせいにせずに、環境側面をしっかり見ていない企業を『不適合』とすりゃよかっただけのこと、チェリーピッキングしている企業のためにわざわざ適用範囲を明確にするなど書き直すなどせずに『不適合』とすりゃよかったし、順守評価なんて項番を設けるまでもなく、不適合にすれば良かったとあなた思いませんか?
2004年版の4.5.2項の不適合を、1996年版の4.5.1項では不適合にできないとは思えない。
そして前述したように形だけのシステムは意味がないこと、それを指導したコンサル、作った会社、認証した審査機関は総懺悔・反省して96年版の規格の意図を実現すべく努力すべきだったのだ。
2004年の規格改定なんて必要はなかったのではないか?
私はそう考える
考えてみたまえ
犯罪を防止するために厳しい法律を作れば防げるだろうか?
法律というのは厳格に適用されてはじめて意味を持つ。
いくら罰則が厳しくても、取り締まりもせずに、実際に罰も与えられなければ破る者は破る。
ISO規格を改定して厳格な審査が行われるようになったのか?
そりゃ不祥事が起きると、すぐに認証を取り消すようになった。だが、それは厳格な審査が行われるようになったためではない。逆に厳格な審査が行われていないという証拠である。
サポーズ
通常の審査において、不適合があったので認証を停止しましたとか、取り消しましたということがなく、なんで不祥事が行政によってあばかれたときに認証が停止になるのでしょうか?
規格をいくらいじりまわそうと、審査においてそれが実現されなくては意味がないのである。
他方、規格を理解しないおかしな審査がたくさんあり、それが解消されていないことをどう解釈すればよいのだろうか?

わざわざ2000年対応、2004年対応のための審査員の資格要件まで見直したり、お疲れ様でした。 
もっともお疲れになっただけではなく、審査機関も研修機関もコンサルも2000年改定や2004年改定のおかげで、講習会などずいぶんもうけたんと違いますか?
認証という制度の価値向上のため、いえ企業の改善のためには規格をいじることではなく、規格の意図をいかに実現するかを考えればよかったのです。
そういう真正面からの取り組みをせずに、安易なこと、金儲けになること、形式、建前論に逃げたから今があるのです。

私はISO規格の価値を認めるが、第三者認証の価値は疑問だと以前から言っている。
しかしそういった私のスタンスもある意味逃げに違いない。
この世界に関わったものとして、やはり第三者認証の価値向上、スキームの信頼性向上のために活動していくのがまっとうであろうと反省する。こんなけちなウェブサイトでごまめの歯軋りであっても批判だけとかこの世界に関係ないことをよそおうことはやはり不誠実だと思う
そんなことを考えている。

今ひとたび、ISOマネジメントシステム規格制定の思いを実現すべくみなが力を合わせてやり直すべきだと思う。


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