第1条2001.12.16
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の在する日本国民の総意に基づく」

この条文は第1章「天皇」にあり本文の真っ先にあります。
この文章は複雑です。分かりやすくするために単文に分解しましょう。


本日の結論
上記2項目の矛盾を解決するためにこの条文はぜひとも

「天皇は日本国の元首である。」と改正すべきです。
あとの文章は不要です。




トマトソース様からお便りを頂きました(07.12.08)
天皇制なんかいらない
よく横暴な人を指して「○○天皇」と呼んだりする。
400勝投手の金田正一氏は「金田天皇」と呼ばれた。
最近では、読売新聞の会長である渡邊恒雄氏が「ナベツネ天皇」と呼ばれたり、防衛省の守屋武昌前事務次官が「守屋天皇」と呼ばれたりしている。
不思議なことである。
横暴な人のことを「○○天皇」と呼んだりするのは、天皇、天皇制のことを日本人は皆、否定的に捉えているからではないのか?
それにもかかわらず日本人は天皇制を認めているのである。
日本国憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。
この条項は、「日本国民の総意がなくなれば天皇制を無くすことができる」と読むことができる。
天皇、天皇制なんて無くしてしまってかまわないのだ。日本社会から天皇を無くし、天皇制を無くす総意をこそつくり出そう!
トマトソース様 毎度ありがとうございます。
前回よりパンチが弱いですね、体調が悪いのでしょうか? 
まあ、叫ぶのは結構ですが縦横斜めもっと観点を変えて私に返り討ちされないようになってから出直してください。

あらま様からお便りを頂きました(07.12.08)
佐為さま あらまです
小生は、トマトソースが大好きです。今回も、美味しくいただこうと思います。
さて、組織の独裁者を「○○天皇」と揶揄するような人は、大陸とか半島からご訪問されて居座っている方々とか、危険を顧みず平和を唱えている思慮浅き人々です。
あるいは、自分を天皇のような至上な存在と思い込んでいる人・・・という意味で使っています。
いずれにしても、まっとうな日本人は天皇を独裁者のような揶揄の仕方はしません。
お国に帰って、もう一度「日本人」を勉強しなおしてください・・・

と、お伝えください。
あらま様、毎度ありがとうございます。
お伝えくださいとおっしゃっても・・・トマトソース様はハレー彗星じゃなくて一回限りの流れ星のようなお方で・・
タイガージョー様からお便りを頂きました(07.12.08)
拝啓佐為様
いつも楽しいお話をありがとうございます。
トマトソース様のご意見を承りました。これによると天皇=悪というのは国民の総意であるとあります。守谷氏も金田選手も周辺からアンタッチャブルな存在になっていることを揶揄して天皇という言葉を使用されているわけで、むしろ「天皇」という言葉がいかに親しまれているかと言うことべきではないでしょうか。私はこういう使い方は好きですが・・。なるほど・・・。
「大将」言う言葉は割と親しみを持って使用されます。
「鬼軍曹」と言う言葉は恐れられている証拠です。
「一兵卒」と言う言葉は過重労働に悩む現場の者がネガティブな意味でよく使っています。
要するに自衛隊(日本軍)は軍曹と一兵卒の階級を廃止して大将ばかりにしてしまってはどうかと・・・。
タイガージョー拝
タイガージョー様 毎度ありがとうございます。
私は会社では鬼軍曹と呼ばれています。もっともしごいている相手は私より年上のご老人ばかり・・
会社で40年も働いてきて、仕事の納期を守る、適宜進捗を報告する、情報を入手したら共有するというもう社会人としての最低限の常識も持たないジジイが多くて困ります。
私もそんな中でぬるま湯的に働くこともできるでしょうが・・そしたら会社はつぶれます。
と思っているのは私だけでしょうか?
とすると、天皇とは私のことかな?

外資社員様からお便りを頂きました(09.02.25)
佐為様 こんにちは
一雨ごとに、少しづつ暖かくなるように思います。
お元気でご活躍と思います。
私は技術者出身なので、あまり難しい話は出来ません。
とは言え、昔から憲法における天皇の位置については疑問があり、色々な人に聞いてもすっきりと理解できないことがあります。
それは、“天皇は国民か”という、単純な疑問なのです。
(話しを政治論や宗教論にして難しくしたいと思わないので、予め、天皇制の是非や、現在の皇室の在り方、神格や神聖などを問題にしたいのではなく、あくまで憲法における天皇の地位や扱いについて、法解釈からのお話である立場を表明いたします。)
戦後憲法(以下 憲法)のおいて”天皇(および皇族)は日本国民(以下 国民)なのか?”ということです。 私の浅学故なのか、憲法の条文からは読み取れないのです。 戦前の帝国憲法においては、臣民の別があり、皇族や華族は憲法に加えた別の法律が適用されました。 その是非は別として、身分に対する法理は明確です。
もし天皇を国民と考えた場合には、財産権などに加えられた制限は違憲と言えないでしょうか?
帝国憲法では、皇室自立の原則があり、皇室歳費は皇室財産により賄うことになっていました。皇室財産は、私有財産を保障しているはずの憲法下で、国有財産に編入され、以降は国からの歳費により皇室は存立しています。もし旧皇室財産を元に皇室歳費を賄うなら管理者が国になっただけで差異は少ないでしょうが、皇室財産をもとにした国有林が林野庁の管轄になっている点からも、それはないように思います。皇居の参観も無料ですから、その収入もないでしょうし。皇室代々に伝わってきた御物も、宮内庁管理でどうにも“私物”や“私有財産”とは思えません。
また、憲法では”国民は門地により差別されない”とありますが、それも問題になるように思われます。
一般国民が持っている公民権(投票など)は聞いておりませんし、裁判を受ける権利や相手も訴えることが可能かも不明です。(もし私だったらマスコミを”人権侵害”で訴えたいと思います:笑)
国民でないとすれば、憲法で保証された権利や原則の外であることは解決しますが、昭和天皇以来、何よりも憲法遵守を心がけていらしたご当人が、憲法の適用外という皮肉な状態でもあり、また国民は、国民でない人を象徴、元首として戴き、国事行為をして頂くという不思議な体制になります。
これらが、私が第一条に抱く一番の疑問:“天皇は国民なのか?“なのです。
無い知恵を絞り想像するに、憲法の条文は、戦後の混乱の中で、限られた時間の中でやれることは決めたのでしょうが、帝国憲法における天皇の権限を、法理によりどのように整合するかの議論や対応はとれなかったのではと疑っております。ましてや、天皇に国民としての権利が存する、それをどのように保護するかなどと考えた人は少なかったのだと思います。
法的な不整合があろうが、実施できるとしたら、”当事者の合意”つまり昭和天皇ご自身の了解があったからとの可能性があるのかもしれません。
いづれにせよ、浅学な私には、持て余す問題です。
佐為様よりも、ご意見を頂ければ幸いです。
 外資社員
天皇は国民なのか否かという論議は、専門家でも一般人でも数多くされており、ネットでググるといろいろな見解があることが分かります。
国民といってもその定義はどうなんでしょうか? 定義次第によっては国民とも言えるし、国民に含まれないとも言えるのではないでしょうか?

憲法10条では国民の要件を定めていますが、具体的に定めているのは国籍法です。
では国籍法はどうかとみると、
 第二条 子は、次の場合には、日本国民とする。
 一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
これじゃあ、堂々巡りですよね
しかし、
 第四条 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。
とあります。
つまり外国人でなければ国民であるということですか? 天皇は外国人でないことは明白ですから、国籍法によれば国民となるのでしょう。
しかし、日本を構成する一員ではあるけど、その地位は一般国民とは異なるということは明白でしょう。
少なくとも国民の権利である、職業の自由、法的なことだけでなく、実質的に自由はなく義務ばかりという実態ではないのでしょうか?
雅子妃はかわいそうですね

あらま様からお便りを頂きました(09.02.28)
皇族は国民ではない
佐為さま あらまです
皇族は国民ではないですよ。社会保険にも加入していないし、自分たちの仕事は内閣が決めますから、権利なんてものがありませんね。あるのは皇族としての義務だけで本当に何とかしなくてはいけないと思います。
戦前までは、日本という国の土地の所有者は天皇で、臣民はそれを借りていたに過ぎません。
それが、戦争が終わると、主権者である日本国民に全てをパクられてしまいました。
皇居だって、御陵だって、みんな宮内庁に没収されてしまいました。
あの戦争で、一番得したのは都会の小作人です。
農地改革で、膨大な土地を手に入れました。いまでは、それをアパートや倉庫にしたり、工場やパチンコ店に貸して、その賃貸料などで左ウチワです。
もちろん、皇室の財産がありますが、相続税がかかっているといいますから、驚きです。
国民でないのですから相続税はおかしいと思うのですが、相続税は、人にかかるのではなくて品物にかかる税ということで徴収され続けているようです。
また、「免税」も国民でないので適用されないそうです。
ですから、国民はその現実を考え直すべきだと思います。
あらま様 コメントありがとうございます。
心情的には良く分かりますし同意いたしますが、あまり説得力はなさそうです。
ちょっと話がそれますが、天皇が国民であるか、否かによって、日本の国政が変わるとは思えません。
ISOの世界にも言葉の遊びを楽しむ人がいるのですが、付き合いきれません。
私たちは、よりよい社会を作るという中には、皇族のあり方、権利というものを含めて考えるべきだと認識すべきというところで幕を引きたいと思います。

流星様からお便りを頂きました(09.03.03)
佐為様。流星です。余計なことかも知れませんがこういう問題を見過ごせない性格です。
ご容赦下さい。
この数日、天皇の地位等について幾つかの意見を見かけました。
誰がどのような考えを持とうがそれは自由ですが、私は次のような考えを持っています。
日本人は2、600年に亘って天皇は神だと信じて生活していました。素晴らしい国民性だと思います。日本民族の結束と繁栄を考える時、神話の時代から継続される系譜を日本民族が受け継いできたことを誇りに思うのです。
戦後旧敵国の圧力でゆがんだ民主主義を押し付けられた。何時までもその憲法にひれ伏す必要はないはずだが、従順な日本人はいつの間にか押し付けられた憲法を金科玉条のごとく押し頂き、全ては民主主義を前提にして議論がなされる現状に辟易しています。民主主義と憲法の問題はさておき、天皇の地位を民主主義だからという理由で論じてほしくないということです。そういうアプローチの仕方が正しいとか間違っているという問題ではないと思うのです。日本を弱体化するために押し付けられた憲法や民主主義はそれだけでも存在価値は認めたく有りませんが、仮に認めるにしても我国に入り込んでからせいぜい60年しかない民主主義で天皇の地位や存在を云々してほしくないのです。
明治の時代になって旧皇室典範が出来ました。神代の時代から続く天皇の系譜や伝統、行事を成文化したものです。内容は明治になって新たにつくられたものではなくそれまでの歴史や伝統を踏まえた不文律を文章にしたに過ぎないと理解しています。
戦後GHQの圧力もあり現在の皇室典範が出来ましたがとんでもないことです。
又最近、お世継ぎ問題から皇室典範の改定をしようという動きがありますが不遜と言うほかありません。要するに長い歴史の積み重ねである不文律をその時々の政治や主義で変更出来る性格のものではないということです。最近オバマ大統領が宣誓文の中の一語の語順を間違っただけで宣誓をやり直したそうです。伝統や儀式とはそういうものです。一代限りのローマ法王ですら他からの力で伝統を変えたりはしないのです。皇室や天皇でさえその不文律を曲げたり変えたりは出来ないということです。
天皇は年に1500以上の神事を司っておられると聞いています。内容の多くは皇祖への祈りと国民の安寧への祈りです。日本開闢以来変わらないお仕事であり、それゆえにこれまで日本人は畏敬の念を抱いてきたわけです。
天皇は日本人か否かという問題ではないのです。勿論憲法の埒外であり、平成の時代に外国製の憲法で拘束しようと言う考え方には同意できません。
流星様 毎度ありがとうございます。
私のスタンスですが、どのような考えであっても良い、どのような考えをしても良いと思っております。
但し、いかなる考えであっても整合性は必要ですし、説明責任は必要だとも思います。
天皇が神か人か、伝統が大事か、変革を良しとするのか、そのようなことは人によって多様な考えがあって良いし、己が信じることと違ってもそれゆえに否定することはしてはいけないと考えます。
少し前、蛇のお名前の方からいろいろとコメントを寄せられましたが、彼はご自身の発言が支離滅裂なことに気がつかず、雑音を発するだけでした。
そういうのは困ります。
しかし天皇を神とあがめる人がいても良いし、伝統を破壊するという人がいても私は良いと思います。
そのくらい広い心を持ちましょう。
外資社員様からお便りを頂きました(03.03.02)
佐為様 こんにちは
東京地区はすっかり春めいてきました。
お元気でご活躍と思います。
憲法における“天皇は国民か?”のお話にお返事頂きありがとうございます。
改めて、規約としての在り方で切り込めば、憲法の規定として次の点が問題なのだと思います。
1)適用範囲や、対象が明確でない
私が佐為様に申し上げるのは釈迦に説法ですが、仕様書でも企画書でも、誰に、何に適用するのかを明確にする必要があります。
少なくとも帝国憲法では、天皇と臣民という定義が明確でしたから、それを受けた定義や記述は必要だったと思います。
2)例外規定に関する説明がない
適用範囲が明確でないならば、記載に登場する天皇も含めて憲法は適用と考えるのが普通の読み方です。その時には、天皇に関する1−8条に、“天皇および皇族はここに定める義務・役割を果たすために、憲法の定める*条については別規定に従う。”のような例外規定の記載があれば、矛盾や天皇への例外規定に混乱しないのだと思います。
3)連続性の問題、改定履歴や背景も不明
帝国憲法からの連続性を、法的な有効性も含めて言い始めると難しいことになるので、あくまで規定としての連続性、改定についての観点から述べます。
帝国憲法からの変更点:特に天皇の位置づけや、皇室の経済的自立原則の廃止、過去にあった元首としての役割、大元帥としての地位などは、廃止とか変更などと説明があれば読み手は混乱しなかったし、改憲の時の参考になると思います。
加えて、憲法に対する理念が不明確です。 帝国憲法では“五箇条御誓文”が基本理念としてあったので、規定として寄って立つ思想が明確でした。 五箇条御誓文は皇基などの言葉を現代風に国家などと置き換えれば現憲法とも矛盾しないと思いますが、あの“意味不明な憲法 序文”が、五箇条御誓文を置き換えるのかも不明です。
例えていえば、老舗の会社で今まであった規格を、ISO監査があるので、それに沿った規格を急いで作ったが、よって立つ思想も、連続性もまともに検討されておらず、矛盾だらけ、みたいな感じでしょうか。(笑)
結論を言えば、私は“天皇は国民”であると思います。
国民としての権利が、役割により限定はされ、一般の国民に比べて制限されているのは確かですが、帝国憲法のような特別法は殆どありませんし、私的行為に対しては一般の法理が適用されます。
(その事実や必然がなかったので、判例はありませんけれど。)
但し、問題点は国民として権利が制限されることに対して世間の認知がないことや、当事者も比較の対象:一般国民の生活を知らないので、相互理解が難しいのだと思います。そうしたはざまに、雅子妃さんの問題もあるのだと思っています。
外資社員
外資社員様 まいどありがとうございます。
法律を語る人が見ればそれなりの考えがあるのでしょうが、私たちは市井の庶民、それなりに考え論じることも許されるでしょう。
そもそも現在の日本国憲法(正確にはマッカーサー憲法)は日本人のために作られたものではありません。9条主義者、平和憲法論者、戦後民主主義者が何を語ろうと絶対にそうではないのです。
それじゃ、何を目的として作られたか? そんなこと言うまでもなくアメリカが日本を統治するための規制にすぎません。
そしてその憲法は包括的であるかといえばそうではなく、その時代に国民に理解される程度に粗密があるのです。
終戦時、天皇が神でないということだけで十分であって、国民か否かなんて当時の日本人も統治者も気にもしなかったというだけでしょう。
だから憲法を読んだだけでは良く分からないというところは、天皇に限らず多々あるようです。
じゃあ、どうするのか?
リセットするのか、明治憲法に戻るのか、現憲法を改正するのか、はたまた・・・
どれも実現困難でしょうね。
結局現憲法を解釈改憲していくほかないのかもしれません。
悲観的ですけど

流星様からお便りを頂きました(09.03.07)
obaq さま
コメント有難うございます。流星です。
一億人の人間が居れば一億通りの考え方があると言います。したがっていろいろな意見があってよいという佐為様のご指摘はその通りです。 私は私の意見を述べたにすぎませんので寛容なるご理解の程を!
なお、日本の国が神代から続いていると言うことを信じても信じなくてもどちらでもよいことです。物理的にはそんなことはありえないということが正しい考え方でしょうが精神的な問題として日本人は正史をもっと尊重してもよいのではないかと私は思っています。
ただ戦後の民主主義は本質的に日本を骨抜きにしようという旧敵国の政策であり、その具体化したものが現憲法であることは疑いのない事実です。
そのような憲法を前提に物事を考える現代人?と、現憲法を屈辱的と思う私の様な考え方の人間とは基本的に意見が食い違うことは当然だと思っています。
流星様 毎度ありがとうございます。
私たちがいかようなことを信じようとひと様に迷惑をかけない限り許されるというのは、ボルテール以来の人類の英知というか、心であろうと思います。
願わくは常に私たちが異なった考えを持つ人に対して広い心を持って接することができますように
もちろん!非常識な連中は絶対に許しません 

外資社員様からお便りを頂きました(09.03.09)
“天皇が神でないということだけで十分であって、国民か否かなんて当時の日本人も統治者も気にもしなかった”
まさにおっしゃる通りと思います。 戦後の“人間宣言”として教科書にも載っている事項がありますが、この勅語の内容をみると、“国民と共に国家再建に尽力する”というお気持ちが書かれているもので、人間宣言に曲解できる部分は“朕と国民との紐帯は、神話に基づくものではなく信頼関係による”と書いてある部分と思います。
とは言え、昭和天皇が自身が国民であると思われたとは思えませんし、天皇とは国民を導く“役割”であると考えられたのだと思います。
その為に、国民としての権利が制限されることは当然であるとお考えだったと思います。
私は、“今後 国民としての天皇の権利を明快にするべき“という考えなのですが、このようなことを言いますと、右からは不敬だと叩かれ、左からは天皇制を廃止すれば良いだけだと言われます。(笑)
外資社員様 毎度ありがとうございます。
天皇陛下を嫌ったり、引きずり降ろそうという人もいるようですが、天皇の権利と義務というか、現実の暮らしを考えるとこれは大変窮屈で安穏としたものでないことはあきらかです。
我が国民に代わって、常に緊張して、礼服を着て、かしこまっていらっしゃる天皇にお礼申し上げます。
一般国民にはつとまりそうありません。

てんさつ様からお便りを頂きました(09.03.9)
流星様へ
皇室典範の話ですが、伝統の男系男子維持派の私でも現状典範では養子がとれないのでお世継ぎ一人だけで「四十年安泰だ」と言っていた国会議員もいましたが、遅くても十年以内には国会で旧皇族復帰条項等の典範改正は不可欠だと思いますが・・・
てんさつ様 お便りありがとうございます。
流星様がご覧になっていればご返事があるでしょう。
しばらくお待ちください。
外資社員様からお便りを頂きました(09.03.09)
天皇は国民か その3
天皇が神でないということだけで十分であって、国民か否かなんて当時の日本人も統治者も気にもしなかった”
まさにおっしゃる通りと思います。 戦後の“人間宣言”として教科書にも載っている事項がありますが、この勅語の内容をみると、“国民と苦労を共にし、国家再建に尽力する”というお気持ちが書かれているもので、人間宣言と解釈できる部分は“朕と国民との紐帯は、神話に基づくものではなく信頼関係による。現御神を抱く国としての優越感は誤っている”と書いてある部分と思います。
とは言え、昭和天皇が自身が国民であると思われたとは思えませんし、天皇とは国民を導く“役割”であると考えられたのだと思います。
その為に、国民としての権利が制限されることは当然であるとお考えだったと思います。 改めて天皇は国民であるかという問題の論旨を明確にすれば、他国では”法は君主に及ぶか”という考えに共通します。 この点では、憲法は天皇に及ぶとしか解釈のしようが無いと思います。 なぜなら臣民の関係が解消されたのですから。

私は、“今後 国民としての天皇の権利を明快にするべき“という考えなのですが、このようなことを言いますと、右からは不敬だと叩かれ、左からは天皇制を廃止すれば良いだけだと言われます。(笑)

蛇足ですが、この勅語では冒頭に”日本国の基本理念として五箇条の御誓文”を改めて冒頭で確認しているのですね。だから、なおさら、憲法のよってたつ思想は何だろうというのが、私の疑問です。
あの前文が、もう少しましなものだったら、良かったのですが。
外資社員様 毎度ありがとうございます。
ひとつの言葉も時代が変わると持つ意味が変わってしまうこともあるというか、理解できなくなってしまうことさえありますね。
人間天皇ということを、今の子供が聞いたって「なんだそれ?」でおわりでしょう。
日本国憲法が平和憲法なんてあがめられるようになったのも、戦後しばらくしてからと聞きます。
まして明日どころか今日食うものに事欠いていた時代、憲法どころじゃなかったでしょう。
とすると、天皇が国民か?とか平和憲法とは?と論じることができるのは、もう今は天国ということなのでしょう。

流星様からてんさつ様へお便りを頂きました(09.03.11)
佐為様 いつも有難うございます。

てんさつ様。 流星です。ご指摘有難うございます。
私が不変の真理としている処は2600年の歴史と慣例であり、それを踏まえた旧皇室典範です。戦後GHQに気兼ねして、それでも憲法とは一線を画して作られた現在の皇室典範は内容を変更してしかるべきであり、 というより旧典範に少しでも近づける努力が必要だと思っています。説明が足りず申し訳ありません。
さてご指摘の通り今の典範では遠からず万世一系は崩れかねません。小泉元首相やマスコミがはやし立てるような女系容認の意見を封じるためにも旧皇族復帰条項など我国が受け継いできた天皇制が守られるに必要な措置を早急に講じる必要があると思います。


てんさつ様からお便りを頂きました(09.05.09)
憲法第一条のショック
流星様 みなさんお久しぶりです。
お返事ありがとうございます。
ここへはISO項目から覗いたのがきっかけですが、たまたま憲法についてもあったので述べさせていただきました。
万世一系(最初の頃の伝説はともかく)受け継いでいる男系を維持するにも、現行典範養子条項等の改正は急を要するほど不可欠だと思ってます(この意見は平沼衆院議員も質問して賛成されてます)
ところが先日某掲示板の皇室男系維持女系反対のテーマについて活発に女性・女系天皇もよい(よくない)とよくある議論の中に私と同じ皇室男系維持女系反対派の中にも現行典範改正反対の人が多数おられて非常にショックでした。
男系を維持するのに典範改正派はまだまだ少数であり、親王殿下ご誕生で「これでよい」という空気があまりにも強いのには数十年後になって以前流星様がいわれた「お世継一人=皇位継承順位二位以下なし」になってからでは旧皇族(あるいは血縁の近い皇別摂家)復帰等世論の賛同など得られるはずもなく非常に危機感さえ覚えます。
人の命なんていつ何が起こるかわからないのに男系維持にしてもちゃんとした条項をまとめる時期に来ている(もう過ぎた?)と思います。
てんさつ様 毎度ありがとうございます。
私はISOには一家言というか多家言というか意見は多々あるのですが、皇室関係はからっきしです。
といってそういう関係の知識がないと皇室を敬ってはいけないということないという純粋素朴な日本人です。
まあ、そのうち私に代わっててんさつ様に回答される方がいらっしゃるでしょう。
お待ちください。

明人様からお便りを頂きました(2010.07.31)

天皇制を即刻廃止せよ

明人様
お便りありがとうございます。
残念ながら、天皇制を廃止することはできません。
なんとなれば、そもそも天皇制とは存在しないものなのですから、
現行の制度は皇室制度といい、権力などと無縁のものとなっております。
それでも明人様が天皇そのものを廃止したいとお考えならば、それは簡単です。
憲法を改正すればよいのです。日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正手続法)も平成19年に成立しました。
ここはひとつ明人様が音頭をとって憲法改正を進めてください。

ところで、明人様のお名前は今上天皇のつもりなのでしょうか?
もしそうなら、明人ではなく明仁ですのでお間違えないように

あらま様からお便りを頂きました(10.08.02)
天皇制を廃止しよう
佐為さま  あらまです
arama.gif 「天皇制」あるいは「天皇制度」なんてのは、佐為さまが仰るように法的には存在しません。
しかし、明治時代に、共産主義者が特権階級をなくそうと、そのトップだと思い込んでしまった「天皇」を無くそうとして、天皇を「制度」として捉えたのが始まりのようですね。
そして、それが「機関説」へと発展 ? していくわけです。
ですから、法的には「天皇制」なんてものはないのですが、共産主義者、社会主義者の間では、「天皇制」は存在するようですね。
小生も「天皇制廃止」の意見に大賛成です。
「天皇制」がないということは、社会主義者も共産主義者もいない社会ということですから。
あらま様 毎度ありがとうございます。
おっしゃるとおり・・・といいますか、大笑いでございますね。
何かを主張するときは、ちょっとは右左をみてからでないといけません。
急な飛び出しは車に轢かれてしまいます。

流星様様からお便りを頂きました(10.08.20)
佐為様
ご無沙汰しています。流星です。
10日程前に送信しましたがどうやら届かなかったようですので再送します。
民主党の天下になってこのサイトとも遠ざかっていました。たまたま立ち寄って見ると、天皇制廃止とか天皇不要という意見が有りました。戦後の反日教育の結果でしょうか。日本人の精神が素直でなくなってくるのは残念という他有りません。
私は戦前の生まれですが、終戦時は小学生だったので戦前の教育をほとんど受けているわけではありません。しかし私には神代以来の日本人の血が流れておりそれを誇りにして生きています。だからちょっと口出ししたくなりました。
天皇制という言葉は佐為様のおっしゃる通り制度では有りませんが便宜上この言葉を使うことにします。ヨーロッパや中東には王制という言葉が有るのかないのか知りませんが通称として呼ぶのと同じつもりです。いずれにしても天皇の治世を社会主義や共産主義あるいは民主主義と同列に論じることは適当ではないと思います。社会主義や共産主義等は高々百年や二百年の歴史しかない外国製の政治形態であり、国が始まって以来続く日本の天皇という存在とは異なる次元のものだからです。
私は学者でも政治家でも有りません。年金暮らしの一小市民です。だから偉そうなことは言えませんが、日本人のひとりとして天皇廃止論に反論します。
長い歴史のなかで一時的に天皇が権力を行使した時期が有ったにせよ、基本的に天皇は権力によって国を治めたわけではありません。時によって実質的な統治者は変遷しています。しかし、天皇が国家の長であることに変わりはありません。
外国から社会を混乱させるいろいろな主義主張が入り込んでくるまで天皇の存在は日本という国と庶民とはいわば一体でした。それは律令制度や封建制のもとでも同じだとおもいます。
馬鹿な評論家が、天皇は国賓が来日した時に握手するだけであとは何もしない、だから皇室予算等必要ないとけなしました。もし天皇が不在なら国政はうまく収まりますか。おそらく国内は混乱するでしょう。外国は天皇という尊敬すべき存在がなく、戦争もできないこの国を馬鹿にするでしょう。日本は外圧に耐えられますか。
天皇のお仕事の第一は国民の安寧を祈願することです。専門家の話では天皇は毎朝5時ごろ起床され正座して体力を整えられるということです。
国民の健康と五穀豊穣、又祖先の霊を慰めるため年間約1500回の神事をこなしておられるということです。もちろん国事行為や地方行事への行幸も有り、一般人には耐えられないような生活を送られているのです。
酒を飲んで女の尻を追っかけるようなどこかの王様とは違うのです。
政治家も知識人も二言目には民主主義を表面に出します。天皇制も民主主義の中で論じようとするのです。これは錯覚にすぎません。中身のない偽装民主主義はGHQに強制されたものであり、それも高々65年の歴史しか有りません。
どうして我々日本人がそのような主義にタガをはめられなければならないのでしょうか。
一歩ゆずって我々国民がその偽装民主主義によって縛られたとしても、何故皇室がそのような主義に縛られなければならないのでしょうか。皇室は神代以来の伝統を守っており、明治になって旧皇室典範という形で成文化されたものの、精神は建国以来受け継がれてきています。 何故その立派な精神が外国製の民主主義という枠で歪められなくてはいけないのでしょう。
皇室を中身のない民主主義で縛ろうとする考えには同調できません。
日本民族の誇りが許さないのです。
流星様 ご無沙汰しております。
まず、論点がふたつあります。
ひとつは、天皇制廃止するか否かという議論であり、もうひとつは天皇制廃止という主張についての見解だと思います。
まず、後者について考えますと、私は天皇制廃止という意見を、おかしいとか、間違っているとか、日本人の誇りがないとかいう発想はまったくおかしいと思います。
天皇陛下がいかに国民のことを思い、自分に厳しい生き方をされているかということと、天皇を廃止しようという意見があることとはまったく無関係です。GHQなど前世紀の亡霊を持ち出すことも関係ありません。
日本は民主主義国家ですから、テロとか外患誘致罪などに該当しなければ合法であり、それだけでなく主張することは正当なことであると思います。ヴォルテールの言葉として「私はあなたの意見に反対である。しかし、あなたがそのように主張する権利は最後まで擁護する」というものがあります。私たちは自分の意見を主張するためには、論敵が主張する権利を擁護しなければなりません。
前者について考えれば、いかなる主張もできるという言論のジャングルの自由において、己の主張を多くの人に受け入れてもらい、論敵を排除するために己の論理を研ぎ澄まし、また聞き心地良い言葉で語らねばなりません。
それこそが私たちがいまいるネットであり、また現実の政治でもあります。
大変僭越ですが、同調できないなら、同調できないと語ることではなく、なぜ同調できないのかを原因を考えて、その原因が現在の世の中に合わないあるいは害を与えるだろうという証拠を見つけて、それを叩く主張をしなければなりません。
誇りが許さないという論は論理ではなく感情です。感情で人を動かすことはできますが、常に、そして永遠に動かすことはできません。己の考えが論理的に正しい、だから私の語ることを採用したほうがあなたは得ですよという論理を語ることが必要なのです。
まだるっこしいとか、話すまでもないとか、当たり前だろうとか、流星様がいろいろと考えていらしゃるのはわかりますが、人を動かすには最終的には相手が利害を計算して得だと思わなければついてきません。
現実を踏まえれば、言葉を尽くして語ること、それしかありません。
そしてそのためには口の数が多いほうが有効なのはいうまでもありません。ご協力をお願いします。

流星様からお便りを頂きました(10.08.22)
佐為様
ご意見拝読しました。
佐為様の論点と私の云わんとする所に若干ずれがあるように思います。
民主主義だからとかどうだとかいうことは別にして、他人の意見が気に食わないから云うな、というようなことを云っているわけではありません。
一方に天皇制を廃止するという意見に対し、私は天皇制存続を良しとする者ですから、その必要性を主張したまでです。従い天皇制廃止論者を抹殺せよというような乱暴な主張をしているわけではないのです。
我が国はそれなりの歴史と伝統を持つ国であることから、守るべきは守りたい、と主張しているわけです。おそらく私の主張が佐為様のサイトに掲載されれば、多くの人の目に触れることになるわけですから、天皇廃止という主張に対して、反論をしたにすぎません。
民主主義についてはこのように思います。
多くの人は、日本は民主主義だから法に触れなければなんでも自由だ、と考えているようです。しかし我が国の民主主義は多くの点で自由が制限されています。例えば、マスコミがそうです。韓国や中国で反日運動が起きてもメディアの報道は極く限られています。自民も民主も新聞もテレビも国民に冷静を呼び掛けるだけです。国民が何も知らぬ間に竹島は占領され、東支那海の天然ガスはどんどん取られています。
ロシアは最近9月2日を戦勝記念日としたようですが、政府はほとんど反応していないしマスコミも騒がない。8月15日以降にソ連は千島列島を占領したので約二週間の違いでロシアは占領の合法性を得たという見方があります。
今の民主主義では国民がおかしいと思っても新聞やテレビでは取り上げられないのです。インターネットがあるではないかという意見がありますが、現状は国民の大半はテレビに大きく影響を受けています。街を歩いていると地方自治体はどこも「平和・非核宣言都市」という運動を展開しています。しかし、丸裸では危ないから「軍備を拡張せよ」という主張は出来ない。本当はどちらの主張もあってよいと思うのですが、一方の意見しか主張出来ないのが我が国の民主主義です。

明治維新は極少数の下級武士たちの活躍によって進められた。国民の総意ではなかったかもしれない。しかし、僅かの年月で我が国は列強に肩を並べることが出来た。戦後の高度経済成長も戦前の教育を受けた人たちが中心になって、成し遂げたものです。
民主党の天下になってはたして我が国は何時まで経済大国の地位を保てるか、いま、多くの国民が危惧しています。
戦後65年、すでに三代にわたって押しつけられた民主主義の中身が間違っていても誰も疑問に思わない、そんな現状を考え直すきっかけになればと思っています。
乱暴な意見かもしれませんが、ご理解ください。
流星様 毎度ありがとうございます。
おっしゃることは良くわかります。またその意思にも同意です。
しかし物事をダメダダメダといってもせんのない話ですし、流星様がおっしゃるように完全に戦後民主主義に洗脳されている人に正論を語っても水と油です。
特に鉄壁のサヨクマスコミは難攻不落に思えます。
私の言いたいことは、そういうお考えにはまったく同意なのですが、戦術としてはもっとエレガントに練る必要がありますよということです。
具体的に言えば、流星様のおっしゃる
長い歴史のなかで一時的に天皇が権力を行使した時期が有ったにせよ、基本的に天皇は権力によって国を治めたわけではありません。時によって実質的な統治者は変遷しています。しかし、天皇が国家の長であることに変わりはありません。
という文を読んだだけで、そのとおりだと思う人が何人いるとお考えでしょうか?
私自身、この文で天皇って大事だよねとは思いません。
戦後民主主義にどっぷりつかっている大人、子供、それぞれに対してすこしずづ洗脳を解いていくにはどうすればよいのか? それを考える必要があるということです。
朝日新聞に書いてあることを正義と信じている人を論破するのは簡単です。しかし論破された人が気を悪くし、いっそうサヨク思想にすがるのではまずいのです。
たとえば、天皇についてなら、日本において天皇が国家の長であるから大事だではなく、国家というものはどんなふうにして構成されているのか、外交というのはどういうプロトコルで動いているのか、元首とは何なのか、日本はそういう仕組みにどういう制度が対応しているのか、そしてどのような意味を持っているのか云々を、分かりやすい言葉で語ることしかないと思うのです。
よく、着眼大局着手小局といいます。そしてこの戦法をセオリーとおり運用しているのが憎きサヨクであるということをよく理解しなければなりません。
もともと、ネットにはたくさんの正論派のウェブサイトがあります。私など知識や熱意は彼らの足元にも及びません。しかし私はそういうウェブサイトやブログには足りないところがあると考えてこのおばかなホームページを作ったのです。
それは、分かりやすい言葉で語りかけるということが欠けているということです。
流星様も、分かりやすい言葉で、サヨクに洗脳された人々を救い出すのにご協力ください。

あらま様からお便りを頂きました(10.08.24)
制度と改革
佐為さま あらまです
小生にとって、天皇とは「敬愛」の対象で、論ずる対象ではありません。
つまり、自分の親に対すると同じ、いえ、それ以上なんですね。
ところが、例えば、歴史学者が歴代の天皇の研究をして、天皇を論じています。
そうすると、歴代の天皇の中には、国民を虐殺した武烈天皇みたいな人もいれば、「道鏡事件」なんていう権力争いもあったようですね。
また、南北朝に分かれて戦う天皇もいました。
そして、天皇の血が流れていると言う理由で、殺されたり流されたりする天皇もいたのですね。
源氏物語なんて読むと、当時の皇室の色恋沙汰の乱れには呆れてしまいます。
こうした乱れた天皇・皇室に対して、徳川家は禁中ならびに公家諸法度で「天皇は勉強しなさい」と、定めたほどです。
しかし、基本的には、歴代の天皇は、国民のために祈りを捧げることが「お仕事」だ・・・と、天皇の研究者らは解釈しているようです。
しかし、祈りが仕事だなんていう考え方は、小生はしません。
つまり、小生にとって、天皇は「研究」の対象ではないからです。
さらに、天皇を「制度」として捉えることは、必然的に「改革」を目的とすることになると思います。
天皇を改革しないで保存・維持をするのなら、敢えて「制度」にする必要はないと思うのです。
そのよい例が、日本の戦後民法における「家族制度の崩壊」です。
制度にすると、争いが起こり、崩壊するのですね。
それが、人類の歴史ではないでしょうか ?
サヨクは、それが狙いなんですね。
そんな狂信的なサヨクに同調なんてすることはなく、小生は、ただただ、天皇・皇室を敬愛している民草のひとりです。
あらま様 毎度ありがとうございます。
天皇とは関係があるかどうか知りませんが、夫婦別姓とか、未婚の子、婚外子、妻以外の生んだ子の相続などの展開を見ていると、もう家族制度は崩壊ですね。
もう・・・日本的なものはどこにあるのでしょうか?
せめて私は子供を二人育て上げたということで先祖に対して顔向けができるでしょう。

流星様からお便りを頂きました(10.08.24)
佐為様
ご指摘の点については理解しています。ただ佐為様に満足して頂けるような説明は難しいと思います。
天皇の祖先がどこから来たのか、、何故この国で幾多の政変を乗り越えて存続したのか、多くの先人達がいろいろ研究し、数え切れないほどの書物が出版されていますがいまだ確たる根拠のある説明がなされていません。

佐為様は、『「長い歴史の中で・・・天皇が国家の長であることに変わりはありません。」というという文を読んだだけで、そのとおりだと思う人が何人いるとお考えでしょうか?
私自身、この文で天皇って大事だよねとは思いません。』
、と指摘されました
この点については小難しい説明をする必要はないと思います。何故なら日本の歴史を見れば明らかなことだからです。(正しい歴史を否定したのが戦後教育です)
私は天皇廃止論者を洗脳しようなどと思っているわけではないのです。我が国の歴史をまともに見つめて考えてくれればそれでよいのです。 このHPに載った「天皇は不要だ」という主張を多くの人が見たとき、そういう人たちに我が国の歴史や伝統を踏まえて天皇を廃してよいのか、ということを少しでもわかってもらえたらと願っているだけです。
戦後の日本人が洗脳されていることは間違いありません。(戦前、軍国主義に洗脳されたことも含めて)ひとりの人間が洗脳された多くの国民、巨大なマスコミ、日教組を相手に洗脳を解くなどおおそれたことを考えているわけではないのです。
小学生から日教組に頼らない教育をしてゆくことしか方法はないと考えています。

国に忠節を誓ってはいけない、国旗を掲揚してはいけない、徒競争では団体戦しかしてはいけない、戦前の倫理や歴史認識は間違い等々、こういう教育を改めない限り、我が国は物質的に米国の植民地、精神的には中韓に従属、という地位は改まらないと考えています。

「国家というものはどんなふうにして構成されているのか、外交というのはどういうプロトコルで動いているのか、元首とは何なのか、日本はそういう仕組みにどういう制度が対応しているのか、そしてどのような意味を持っているのか云々を、分かりやすい言葉で語ることしかないと思うのです。」、という設問に対して残念ながらここでお答えする立場にありません。

私は政治学者ではありませんし、仮にそのような立場にあってもこのサイトで簡単に説得出来るような解答は誰も出せないと思います。

余談ですが国民の多くが洗脳されているかどうかの身近な例をあげておきます。
地区の自治会館に祝祭日に国旗を掲揚してほしいと要望しましたが認められませんでした。自治会総会で提案したのですが、この提案に対して誰ひとり反応がなかったのです。日本の市民は国旗一つに対してどう対処すればよいのか自分の意見を発表出来ないのが現状なのです。誰かが賛成すれば自分も賛成、反対と言えば反対、としか意見が述べられないのです。その時は自治会役員がこういう場では不適切な問題と発言したために結局結論が出なかったのです。それいらい自治会役員はこの提案を受け付けようとません。
外国では考えられないことです。

せっかく先人たちから受け継いだ、世界でも最も長い国体を保持するこの国を、他国の従属から守りたいと思っているだけです。

流星
流星様 毎度ありがとうございます。
はっきり申し上げます。気を悪くしないでください。流星様は心が清ければ正しいと認められ、誠実であれば尊敬され、正しいことなら誰でもそうだと考えると思っておられるのではないでしょうか?
そんなことはありません。
世の中はそんな正義が支配する単純な世界ではありません。
権謀術数、ずるいものが勝利し、正しいことが理解されず、正直者が特段尊敬されることもない、リア王の世界です。
しかし私はそれが良いと申しているのではありません。
世界でも最も長い国体を保持するこの国を、他国の従属から守りたいと思っているだけです。
思うのは勝手です。しかし思うことで他の人が信じるなんてことは絶対にありません。
人を動かすためには、汗をかかなくてはならないのですが、単に汗をかけばよいのでもないのです。
大先輩に申し上げるのは僭越きわまりますが、相手を動かすにはどうするのか?それを徹底的に考えることが必要です。
国旗を揚げよう、それは良いことだと思います。しかし良いことと思わない人にどうやって思わせるのですか?
それを考えてください。
ここでくだを巻いてもしょうがありません。

あらま様からお便りを頂きました(10.08.27)
考えても分らない
佐為さま あらまです
昨年、陛下の御在位 20年祈念式典がありました。
その時、たくさんの国民が皇居に集まりました。
その中には、若者たちの顔もありましたね。
その若者たちは「天皇制」があったから集まったのでしょうか ?
そもそも、日常生活で「天皇制」なんて感じますか ?
みんな、それぞれ自由な発想で集まったと思います。
中には「天皇制反対」を唱えるために集まった人もいました。
それが、日本の民主国家としての姿なんですね。

さらに、天皇の歴史を「制度」で捉えようとしても回答なんて容易に出ません。
しかし<、「皇位継承」として捉えれば、全てが分ります。
佐為さまが仰るように、考えても分らないことは考えても仕方がないと思います。
それよりも、今をどうするのか、これからをどうするのかを考えることが実利的だと思います。
そして、その障害となる勢力があれば、それとどう向き合うのかを考え実践することが大切だと思います。

あらま様からお便りを頂きました(10.08.28)
佐為さま あらまです
今の日本は、何を考えて 何を言っても自由です。
でも、自分の言動には責任を持たなければなりません。
そうした素晴らしい日本の有様を維持するためには、それを維持するための努力をしなければならないと思います。
それが、自分も主張するけれども、相手の主張にも耳を傾けるという姿勢ですね。
たとえば「国体論」にしても、国体を維持しなければならないと言う主張もあれば、国体なんて崩してしまえ・・・なんていう意見もあります。
小生は、どちらかといえば 昭和天皇と同様に「国体なんて崩してしまえ ! 」という意見のほうです。
その理由は、国体論 あるいは 皇国史観というのは、一連の流れを持つ国学者たちの創作であるという研究成果もあるのです。
たとえば、江戸時代の国学者 本居宣長らが皇統と神話とを繋げて、日本の伝統としてたのは、周知の史実ですね。
(その創作に対して 平田篤胤 の友人であった春海は、そんな国民を煽るような考え方を作って、日本をどうするつもりだ・・・みたいなことを言って不快感を表したようでした)
はたして、その後の日本は皇国史観に基づいて国民を教育し、戦争をすることを大義名分にしたわけです。
その戦争に勝っているときは提灯行列です。
しかし、負ければ荒廃が待っていました。

天皇を「制度」として考えると、それが「体制」になる例だと思います。
もちろん、小生は皇国史観を否定はしません。
皇国史観の中にも「真実」があると思うからです。
このように、自分の考えを主張する部分と、ニュートラルな部分と、両方を持たないと無用な対立をすると思うのですね。
人事には、「万事、塞翁が馬」のように、成るようにしか成らない面があります。
それ以前に、天命を尽くす努力も必要だと思いますが。

とにかく、体制の中で従って生きていくのは簡単ですが自由がありません。
自由の中で生きていこうとするならば、相手の自由も認めなければなりません。
小生は、家の中では「体制」のなかで生きています。
かかあ殿下様に従えば、こんなに楽なことはありませんものね。
しかし、小生の家内に従う姿を見て、子どもたちがどう思うかは、また別問題です。

結論として、日本の伝統・制度の中から、日本人の誇りを見出そうとするのは自由です。
しかし、今の日本と言う国に漂う雰囲気の中からも、十分に日本人の誇りを見出せると思っています。
あらま様 毎度ありがとうございます。
あらま様と私は本質のところは同じだと思っております。
私が流星様と議論していることはあらま様の二番目のご意見と同じことと思います。
旗幟鮮明にいたしますが、天皇を思う心を持つことは自由ですが、誰でも持つのは自然なことだと思うことは不自然なことです。
類似の事例を挙げれば、人間は道徳的に生きるべきだと思うことは否定しませんが、生まれながらにして道徳本能なんてものがあるはずがない。
ということで、そこからが現実社会への対応なのです。
天皇を否定する人、無関心な人、その他多様な人たちに天皇に関心を持っていただき、尊敬するように誘導することは、天皇を敬うことは当たり前のことだという前提では意思疎通は不可能なのです。
流星様はそこをどう考えているか、そのためにどうすべきかという点でもっと現実に即した対応でなければならないと私は考えます。

様からお便りを頂きました(10.08.29)
佐為様 何時も丁寧な解説をいただき恐縮です。
天皇は不要、という意見があったのでそれに対して反対の意見を述べたまでです。
「心が清ければ・・・正しいことなら誰でもそうだと思っている。・・・」と決め付けられますが、それは誤解だとおもいます。世の中は思い通りに行かないから面白いんです。一億人居れば考え方も一億通りあって不思議ありません。
誰が何と言おうとお前の意見は聞かない、という人に翻意を無理強いするほど私は傲慢な人間ではありません。出来るだけ多くの人達が私の意見に耳を傾けてくれればよいと思って自分の主張を述べているだけです。お前の云うことには説得力がない、という人にまで従え、と言っているのではないのです。
佐為様は私の説明では誰も納得しないとおっしゃいますが、それは佐為様の考え方であり、他の人には又別な受け止め方があるかも知れません。
佐為様は国のありようを考えるうえで、現在の民主主義を肯定し、その枠の中で行動すべきだというご意見かとおもいます。 そして多くの日本人は民主主義は守らなければならないと教えられてきました。しかし中には私の様にこの民主主義を否定する者が居てもいいのではないでしょうか。
さもなければ何時までも我が国を弱体化しようという意図により出来あがった現体制は崩せません。金魚鉢の中の水は汚れても中の金魚には変えられないのです。佐為様が表題に掲げられているように「もはや、戦後民主主義ではない」はずです。誰かが民主主義という水の入った鉢の外から水を取り換える努力をしてもいいのではないでしょうか。
もともと佐為様と議論をするために投稿したわけではないので佐為様との論争は本意ではありません。もうひとつだけ余計なことを云わせてください。
日本人が誇りを失わず他国に歪められない精神を取り戻すために、中国の覇権に呑みこまれないために、朝鮮に対しこれ以上卑屈にならないために、これからも私なりの方法で大声を出して行きたいと思います。
流星
流星様 毎度ありがとうございます。
おっしゃるように、私は私の考えであり、流星様は流星様のお考えであるわけです。
細かいことはどうでもいいのですが、
誰が何と言おうとお前の意見は聞かない、という人に翻意を無理強いするほど私は傲慢な人間ではありません。
私は傲慢でも良いと思うのです。ただ、無条件に人は分かってくれるだろうという思い込みは違うんじゃないですかというだけです。
流星様がおっしゃるように
一億人居れば考え方も一億通りあって不思議ありません。
だから、相手に合わせて説得することが大事でしょう。
よく言われますが、囲碁将棋は下駄を履くまで分からないと・・
あるいはあがってナンボともいいます。
高い理想を持っても、実現できなければ一文にもなりません。
目標に向かってどういう行動をするか、そしていかに成果をあげるか、実際に上げたかが重要です。
そう思っております。

流星様からお便りを頂きました(10.08.30)
佐為様
お互いの主張が食い違う場合は自分の考えを無理に押し付けることもないでしょう。
思いもよらぬ議論になってしまいましたが双方の考え方も出つくしているようですし、あとは堂々巡りになるだけだと思います。そこでこの掛け合いはこのへんでお開きにしませんか。
まえから気になっていることがあります。それについて丁度よい機会なのでお尋ねします。
このHPはどちらかと言えば、反民主、反民社、反共産主義に主張の重点があったとおもいます。今の世の中には謝罪やご機嫌取り外交に不信を持つ人が沢山います。そういう人にこのHPを見るよう勧めてきました。しかし一年前民主党が天下を取ってから、政権批判の意見が極端に少なくなったようにおもいます。私はこういう体制になった時こそこのHPは活発になると期待していたのですが、予想に反して注目すべき論争がほとんどなかったようでした。
佐為様の目には現政権を批判するような出来事が少なかったということでしょうか。
このコメントをメールしようとしてHPを見ると、「No、小沢、No,菅」という文章を見つけました。同じ議論をするなら、民主党政権を倒すために努力したいものです。
佐為様もだらしない民主党政権を崩壊させるためにお得意の説得力をどんどん行使してください。期待しています。
流星
流星様 毎度ありがとうございます。
まず前段いついては、おっしゃるとおりですね。
新たなご質問の件、
まず、私はいまだ現役の会社員であり、日常業務においてISO認証機関、審査員と関わっているといいますか、チャンチャンバラバラの仕事をしております。
そして、ここの訪問者、特にアップしていない書き込みや問い合わせの7割以上がISO関係です。残念ながら多くの方からはこのホームページは愛国者の集うところではなく、ISO何でも相談室と認識されているようです。
そんなわけでついそちらが重点になっているというわけです。
またご存知と思いますが、ことし4月から更新は極端に減っています。実は4月からは新たなまた別のことに関わっておりまして、このウェブサイトに注ぐパワーが足りなくなっているということです。
反民主党(反民主主義ではありませんよ)に変わりはありませんが、私一人の打ち出す文字は限られており、なにもかもというわけにはいきません。
そういうことでご理解ください。

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