25条1項 2002.03.02
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

わしゃ、百獣の王じゃ! 動物園にいる動物と、野生の動物はどちらが長生きかご存知でしょうか?
いえ、私は飼育係なんかしたことありません。本で読んだのですが、動物園のほうが野生のものよりはるかに長生きするそうです。
だって、考えても見てごらんなさい、野生の生き物は自分で狩りをしないと食べることができません。いえ、草食獣は天寿をまっとうするより天敵に食べられてしまう可能性が大です。
それに引き換え、動物園にいれば草食獣が肉食獣に襲われる可能性はゼロです。肉食獣にしても毎日新鮮な肉を与えられ食いっぱぐれはありません。シマウマが骨折したら即アウトでしょう。野生のライオンが歯をなくせば生きていくことはできません。
動物園ではそのような時も至れり尽くせりです。更に定期的な健康診断を受けて、異常があれば獣医さんが面倒見てくれます。これでは野生より早死にするわけがありません。


昔、社会主義とか共産主義という考えがありました。
えっ! 今でも生き残っているんですか??
きっと動物園の中でしょう。
社会主義とは人間を動物園で飼うという趣旨だったのではないかと思います。
一生懸命働く人も、一生懸命働かない人も衣食住を保証され(あるいは保証しようとし)結果の平等を目指しました。
実現されればきっと人々の寿命が延びたことでしょう。

さて、憲法の条文を拝見しましょう。 確かに、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利はないと言われるより、権利を有すると言われた方が気持ちがいいですわな!

でも待てよ、と考えます。
権利を有するとありますが、この意味はどういうことでしょうか?
機会を持つということか、絶対与えられるという結果なのでしょか?

権利があるなら主張すれば与えられるのでしょうか?
すると、私が土曜・日曜あくせく働くことは憲法違反だったのでしょうか(??)

この条文が言っているのは、国民が一生懸命努力しても結果が出ないとき、最低限を保証するということでしょう?

別な観点からですが、
いつも私がカチンとくることですが、言い回しが気に入りません。
主語があいまいすぎます。それに国民が権利を有するという表現はおかしいと思います。
憲法は国家を規制するものだそうですから、必然的に国家もしくは国が主語になるべきです。
そうすれば『国民が・・・する権利を持つ』のではなく、『国は・・・する』という表現になるのは自明ですね。


本条項の改善案

『国はすべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を保証する。』

とすべきではないでしょうか?
『自ら維持することができない国民に対して』とするべきかもしれません。

しかしながら、と続きますが、
この改定案では憲法25条2項とあまり意味するところが変わらなくなります。
とすると、これも盲腸条文なのかもしれません。



urecco様よりご意見をいただきました。(2002.04.21)
憲法25条1項について、
実際は、国は国民に健康で文化的な最低限度の生活を保証していないと思います。
憲法を理由に、裁判で国に対して生活援助を求めたりしても援助は受けられないようです。それについて、我妻栄先生はこのように言っているようです。(要約)
「基本的人権には、国家に縛られないための自由権と国家に守ってもらう生存権があり、25条の規定は当然に生存権に関する物である。この規定に反する立法や規則をおくことは違憲である。
しかし、保護を受けるには他の法律によって規定されていなくてはならず、そうでない場合は、25条を根拠にして権利を主張してはならない。
なぜなら、それが許されると、財政が破綻する恐れがあるし、規定の内容も曖昧だからだ。
それゆえ25条の存在は立法の方針を定めたものにすぎないと考えるべきなのである。 」
しかし、規定が曖昧であろうと、財政が破綻しようと、憲法は守られるべきだと思います。
だから私は改正案としては、「国は国民の健康で文化的な最低限度の生活を営むことを侵さない。」とし、1項は自由権 2項で生存権を規定すれば良いと考えます。

お便りありがとうございます。
私のスタンスははじめにで述べたとおり、憲法の文言だけを読んで理解するということです。
おっしゃるように1項と2項で表裏の定めをするのはすばらしいアイデアと思います。ご意見に賛成です。
今後ともお便りをお願いします。



あらま様のブログからすばらしい憲法25条論の転載の許可を得ましたのでここにアップします。(2009.05.14)
生まれながらにして・・・
前回に引き続き、今回も「憲法」談話をしたいと思います。
さて、小生は 50歳を過ぎた オッサンです。家内や娘に言わせれば、甲斐性なしのスケベオヤジというところのようです。
そして、その小生の同級生をみれば、事業が成功している者もあれば、医者や弁護士になった者もいます。身分が安泰な公務員もいれば、リストラされて失業中もいます。
そんなわけで、生まれた時や義務教育など、おなじラインでスタートを切っても、同窓会などで会った時は、そうとうな差が開いていることに気がつきます。
そうした‘結果’は、本人の努力も大きいのですが、家柄など、本人の努力以外の要素も否定できないとおもいます。
よく、人間は生まれながらにして「自由」で「平等」なんていいますが、もちろん現実を見れはウソです。
猫だって、人間に飼われて大切にされているのもあれば、野生として厳しい環境を生き抜いているのもあります。
たとえば、小生の幼なじみの村長のドラ息子は、綺麗な嫁さんを貰い、そのバカ息子には金を掛けて大学に行かせ、コネで県庁の職員になっています。
一方、小生なんて、( 一応 ) 綺麗な嫁さんを貰い、息子は高卒で、スーパーに勤めています。
そんなわけで、村長のどら息子の息子と、小生の息子とでは、同じ人間として生まれても、生まれながらにして大きな差があります。決して平等ではありません。
どうやら世の中には、金持ちの家もあり、貧乏な家もあり、権力者もあり、そうでなかったりで、さまざまで、その程度に応じて「自由」や「権利」があるようです。

ところで、日本国憲法の 第 25条によれば、日本という国家は、国民に対して最低限の生活を保障しているということになっているようです。
そこで、日本国民として生まれてくれば、何もしなくても「生存」が保障されている・・・なんて解釈をする人がいます。
しかし、働かなくて学ばない人 ( たとえばニートみたいな人 ) に、生きる権利なんてあるのでしょうか ?
今、日本には およそ 80万人の ニート がいるそうですね。つまり、働く意思も学ぶ意慾もない人が 80万人もいるそうですよ。
その 80万人は、どうやって食べているのでしょうか ? なんと、親のスネをかじり続けているそうです。その親が働けなくなって年金暮らしになっても、更にその年金を当てにして生きているのが日本のニートみたいですね。
そんな国が、世界中を見て、日本以外にあるのでしようか ?

また、先の戦争などを通して、在日韓国人や中国人に対して、日本が多大な迷惑を掛けたとして、その生活にたいして優遇措置を与えているそうですね。そうした在日特権と言うものが日本にはあり、その特権は、今だけでなく後の累代にわたって生活が保障されているんだそうです。
たとえニートでもそれなりの生活ができ、更に、外国人に対しても生活の優遇措置をとっている日本。これは、究極な社会主義国ということになるのではないですか。
働く意慾がなくても生きる権利が保障されている日本。こうしてみますと日本の「生存権」とはいったい何なんでしょうか ?
日本国憲法によれば、日本国民には、権利もありますが、義務もあります。つまり、義務を果たしている人、またはその予定のある人に対して、権利を付与しているようです。
つまり、ニートや該当する在日外国人は、日本人としての義務を果たしていないので、当然、権利の主張なんて出来ないはずです。
ところが、ニートにも「人権」があるとし、さらに、在日外国人にも参政権を与えようという動きがあります。
いったい、これは何なんでしょう。
日本国の「人権」って、つまりは「特権」ということなんでしょうか ?
日本人として、ちゃんと「義務」を果たしている人に、「人権」をはじめとする各種権利を保障するのが本当ではないでしょうか ?
小生は、憲法 第 25条は、社会保障を示したものではなく、国家が国民に対してむやみに生きる機会を奪ってはならないということを示したものだと思います。
つまり、国家は戦争などをして国民の命を奪ったり、生活の場を奪ったりしてはならないことを示したもので、平和憲法の象徴ともいえる憲法第 9条に準拠したものだと思います。
そうして考えてみても、この第 25条は実際と矛盾していると思います。
つまり、国家は、国民にたいして命の犠牲をもとめてはならないということなんでしょう。
戦争の苦い体験をした人の中には、「もう戦争なんて沢山。たとえ攻められても応戦しない。」と思っている人もいると思います。

憲法第 25条は、そうした国民の心情に対応した憲法の条項ということなんでしょう。
しかし、実際に、戦争に負けるということは惨めなことで、同様に、戦争をしないで占領され隷属させられるということは、死ぬことよりも惨めなことかもしれません。
つまり、外国に占領されてしまえば、日本国憲法なんてなくなってしまうかもしれません。当然、9条や 25条なんてのも保障されないわけです。
そんなことになったら、憲法の意味がないでしょう ?
小生は、この限りある命ですので、国家のために命を捧げることに躊躇はありません。日本を守る権利があっても良いと思います。
でも、前回の戦争のように、陸軍官僚の虚栄心のために、多くの兵士が無駄に命を落としたことには疑問です。

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