社説対決(その13) 2002.05.03
建国記念の日に反対する人がいるのだから、本日を悪しき憲法記念の日と読んでもばちは当たりますまい、
まあ、過去をクダクダ言ってもしかたない(相方、私はさっぱりしているんだよ)
ここは今後いかに改善するかということを考えようではないか!

護憲、改憲の両旗手の社説と私の茶々をご高覧願いたく!

2002年5月3日付け朝日新聞社説(無用な段落は削除)
小泉政権がその新憲法下で初めて、「有事対応」を内容とする武力攻撃事態法案など三つの法案を国会に提出した。
「国民の生命と安全をいかに平時から考えていくか。大事な法案だ」というのが、小泉純一郎首相の説明である。
起こりうる非常の事態に対し、あらかじめ統治機構の対応や国民の権利義務を整備しておくことの必要性だけをとれば、反対する国民はそう多くはいまい。

なるほど、朝日は平時においても有事法制の必要性は認識しているのだ。
そして有事法制に反対する国民が少ないことも知っているのだ。
でも「だけ」と書いてあるところがミソなのだよね、
しかし、日米安保協力に基づく周辺事態法からテロ対策特別措置法へと、ひたすら自衛隊の活動領域を広げてきたこ こ数年の政府と自民党の安保政策の方向性を考えれば、国民が不安を抱くのもまた、当然であろう。
例えば、仮に台湾海峡で何か不穏な動きが起きたとする。米軍の行動に引きずられ、自衛隊が後方支援を開始する。
事態沈静化への十分な努力を欠いたまま、「日本への武力攻撃の恐れがある」と、これらの法律が発動されることはな いのか。

ずるずると、戦争準備から戦争へと突き進んでしまいかねないそうした予測を、果たして「杞憂(きゆう)」といいきれるだろうか。

そう考えると、問題は、法案の内容そのものというより、この国の政府の行為や判断に対する国民の信頼感の欠如に あることが見えてくる。歴代内閣は「戦争の惨禍が起こらないようにする」努力をどれほどしてきたのか、憲法が保障する自由や人権を本気で守ろうとしてきたか……と。

国民の不安は不審船に適切な対応ができない法律についてじゃないのだろうか?

台湾海峡で何か不穏な動きが起きた時に、対応できなければ有事法制ではない。これは語義から言ってナンセンスですよ。

『事態沈静化への十分な努力』って、まさか中国様に頭を下げることですか?

そうです、私は何もせずにいると戦争に巻き込まれるのではないかと心配しています。杞憂でないと良いのですが、(^^)
信頼感?難しいですね、
確かに一時的な小泉現象を除き、自民党は長期低落傾向にある。しかし野党全部をあわせてもその牙城を崩すことができない。
なぜか?
答えは簡単、国民が野党を信頼していないからです。
よりひどいことに北朝鮮や中国の政策に目をつぶって、国家や政府に対する不信感を増大させようとしているメディアがあるんですよ。ぜひ記事にしてください。
●欠いた憲法血肉化の努力
民主主義の諸制度という「仏」は確かにつくられた。地域に根ざす市民活動の広がりなど、一定の成熟もある。
朝日が成熟とか、成熟していないと断ずる能力、資格があるのか、立証してほしい。
私は朝日というメディアの存在すら肯定できないのだが?
中略
 
●改憲国民投票制度の「爆薬」
改憲に積極的な「憲法調査推進議員連盟」(中山太郎会長)が先ごろ、その具体化として、「憲法改正国民投票法」な ど2法案をまとめた。
(中略)
護憲勢力からは「改憲に道を開くものだ」「中身の議論が尽くされていないうちに、手続きを議論するのはどうか」といっ た反論がすでに起きている。
法案は、確かに改憲への道筋づくりを企図したものであろう。しかし、改憲論者の多くが嫌う、直接民主主義という「爆薬」を秘めている制度だ。何より、憲法制定権が国民にあり、国民のコンセンサスなしでは実現しないことを改めて確認する意義はとても大きいのではないか。

(中略)

改憲提案の場合は具体的な改定条項を明示し、賛否を問うことになる。詳細な意味や影響、文言の是非をめぐって、国民の間で激しい運動や論議が起こるだろう。全国民に問題をさらしたうえで、投票者の過半の賛成を得られるかどうかは、時の政権にとっても大変なリスクになる。

私たちは、当面、憲法改正の必要性があるとは考えていない。しかし例えば、将来、民意を貫徹するための広範な国民投票制度の導入のためにも、この制度をどう設計するか、の議論は大いに役立つ。

憲法の論議を主権者国民の側に引き寄せる意味からも、まともに考えてみたい。

『改憲に道を開くものだ』って?
元々、憲法に改正が定めてあるなら、手順を法制化するのが憲法に違反するのだろうか?
改正手順の法制化に反対するのは憲法違反ではなかろうか?
国民投票が直接民主主義とは短絡的ですね、
まあ直接民主主義としてなんで「爆薬」なんでしょうか?
『爆薬』が『・・意義は大きい』う〜ん、論理のつながりが理解不能だな?


時の政権のリスクという捉え方はどういう発想なのでしょうか?
直接選挙で国民の意思が明確になり大変良いことじゃないか?その結果、政権が倒れようとそれこそ民主主義というものだ。

なぜか、主権在民というより、主権在朝日新聞という感じが否めないのだが、、
『私たち?』誰ですか、それ?
前の行と、後ろの行を合わせて読むと『私たち』は『国民』と受け取られる。
本当は『論説委員個人の意見』でしょう?
ぜひ、まともに考えてほしい。
朝日新聞以外はみなまともに考えていると思っていますが、、

2002年5月3日付け読売新聞社説(無用な段落は削除)
【大きく変わる国民意識】
国家にとって、安全の確保は存立にかかわる重大な課題だ。その観点に立つと、昨年から今年にかけ、日本が取り組んできた一連の動きは、戦後史でも特筆すべきものと言ってよい。
(中略)
二十年来の懸案である、日本有事を想定した法整備も、ようやく本格化してきた。政府が今国会に提出した関連法案には、多々不備があるが、その意義は決して小さくない。

武力紛争終結後が活動の舞台となる、PKO協力法をめぐってさえ、与野党を二分する激しい攻防が国会で繰り広げられたのはつい十年前のことである。
不審船となると、能登半島沖に現れた北朝鮮の工作船に対し、有効な手立てを講じられないまま、取り逃がしてしまったのは、僅(わず)か三年前のことだ。

様変わりである。従来より、一歩も二歩も前に踏み出した政策の変化を、国民もおおむね肯定的に受け止めている、という結果が世論調査にも表れている。
国民の意識も、また、政策を立案し、執行する政府や国会議員の認識も、日本を取り巻く環境や外からの視線の変化に応じ変わりつつある、と言ってよい。
「空気や水と同様、安全もただで買えると思っているのではないか」
日本人の安全保障観について、このような見方があったのは、遠い昔のことではない。その意味で、国の安全確保や、国際的脅威の除去のために、どのような行動を取るべきか、との課題に、国際標準に近い回答を示せるようになったことは、肯定的にとらえるべきである。
あの不審船事件(領海侵犯)でほぞをかんだ日本人は多かったはずだ。
国民がみな拉致事件のことが頭をよぎったに違いない。
もう許せない!と、



国民も選出された国会議員の多数も有事法制賛成、自衛隊肯定、憲法改正賛成、といっている現実は否定できない。
品質管理は3現主義(現場、現実、現物)がセオリー、報道でもそれは同じでなかろうか?
 事実に基づかない報道を捏造といいます。

護憲・自衛隊反対に凝り固まって、目を耳を塞いでいるメディアはどこですか?


[憲法記念日]「『安保観』の確立こそ時代の要請」
問題は、政策や国民意識の変化に、規範となる憲法や法制度が追いつけず、乖離(かいり)したまま今に至っていることだ。
情勢の変化や軍事技術の進歩なども踏まえ、なすべきこと、できることを考えていくのが、本来の国防の姿である。しかし、戦後の日本の安全保障は、憲法解釈上、やってはならないことをまず規定して、組み立てられてきた。
なすべきこと、できることを極めて狭い範囲に限定してきたために、法律相互の間で、時に、木に竹を接いだような現象も生まれるようになった。
そのとおりです。
朝日も現実と法律の乖離を認識しているが、その後に続く結論は正反対となっている。
その論理回路が分からないところだ?
【乖離する現実と法制度】
有事法制の柱である武力攻撃事態法案と、既に施行されている米軍の行動に対する支援などを規定した周辺事態法の関係はその一例だ。武力攻撃事態法案に盛り込まれた、「武力攻撃が予測される事態」と、日本の安全に影響を与えかねない周辺事態の違いを問われて、どこまで明確に答えられるだろうか。
「併存することはあり得る」というのが首相の答弁だ。が、その一言で済まされる問題ではない。
一貫した考え方の下ではなく、その場しのぎでガラス細工のように積み上げてきた法体系の限界が露呈しているのが現実だ。
「権利として持っているが、憲法上行使できない」とされている集団的自衛権も同様である。日米同盟関係が深化する中で、内閣法制局の解釈の積み重ねは限界に達しつつあると言ってよい。
日本の政治家は基本的に政治家ではないのだろう。
彼らは利権屋であり国家百年の大計よりも今日明日のお金が重要なのだろう。

ひとつ提案だが、読売の論説委員に政治をやってもらったらどうだろうか?
(中略)
 
【憲法創造の時代が来た】
もとより、基本的人権の尊重など、現行憲法の柱となっている普遍的原理を生かしていくのは当然である。
同時に、虚心に憲法と向き合い、変化に合わない点、欠けている点を考え、見直すことが大事だ。ただいたずらに、「護憲」「改憲」のスローガンを叫ぶだけでは、知的怠惰以外の何物でもない。
論評するところがない、
ぜひ多くの方が読売を購読してまっとうな考えをしてほしいものである。
読売新聞の憲法世論調査では、改正賛成派がこの五年間過半数を占めている。これまで護憲派と目されてきた在野の人々の間でも、新しい憲法を考える動きが出てきている。
国会の憲法調査会の作業も折り返し点を迎えた。政党が、自らの憲法構想を有権者に問う時代がいずれ来る。各党にはそれに備えた心構えを求めたい。
読売新聞は以前より、改憲草案など誤解を恐れずに積極的な憲法論議をしている。
この勇気ある行動を私は高く評価する。
護憲、平和憲法で思考停止した新聞社、政党は読売の爪の垢を煎じて飲まねばならない。


二つを読み比べると一方は普通の新聞で、他方はイエローペーパーとしか思えない。

この二紙では社説対決なんて成り立たない
・・・と思うのは私一人でしょうか?


「読売VS朝日」という本があります。
過去の読売新聞と朝日新聞の社説を対照して正否の審判を井沢元彦さんがしているが、判定結果は読売新聞の31戦31勝である。
本日の社説で更に一敗増えても当然なのだろう。
 正確に言えば勝敗以前にRSCというところか・・・


本日のまとめ

本日の社説対決 読売の勝ち



 2002.05.04追加

昨日、読売と朝日の社説を論評しましたが、毎日が抜けておりました。
 毎日さんすみません。
昨夜毎日の社説を拝読いたしました。
三紙とも、現実と憲法の乖離という出発は同じです。(偶然ですかね?)
ところが、演繹されるのは
 読売→改憲の手順法制化を推進すべし
 毎日→改憲の機運は高まった
 朝日→私たちは、当面、憲法改正の必要性があるとは考えていない。
  文脈では私たちとは国民という意味で使われているようだ。
  毎日と読売は国民の多数が改憲を支持していると統計データを引用している。
この違いはなんでしょうか?

朝日研究を深めねばと自戒いたすところです。


日本国憲法の目次にもどる